「ただいま〜。」

ペンションのドアを開けてシンジが帰宅を知らせる。
だが意外なことに、ペンションの中は静かだった。

「おっかしいな...
 誰かが迎えにきてもいいのに。」

不思議に思いながら誰かがいるであろうリビングへと向かうと、いつもだったら聞こえないギシギシと床を踏む音が嫌に耳につく。
人がいないだけで、このペンションも廃墟と化したように静かになるのだ。

「誰かいないの?
 出かけちゃったのかな?」

顔をひょこっと覗かせてリビングを見るが、誰もいなかった。
他の部屋を探そうとしたとき、微かにだがスゥスゥと寝息が聞こえた。

「あ...レイ。」

シンジの位置からちょうど死角の部分でレイは寝ていた。
ソファの上で横になり、時折漏れる寝声がとても可愛く思え、シンジは飽きもせず、しばらくの間じっと眺める。
そんな自分の寝顔をまじまじと覗かれているとは露知らず、レイはもぞもぞと体を震わせた。

「...ふぁ、ふぁ...くしゅんっ!
 うぅ...」

体温が逃げないように小さな体を震わせ、ネコのように丸まる。
無防備な寝顔を微笑ましく思え、シンジは顔が綻ぶ。

「レイの寝顔って、ホントに幸せそうだな。」
「ん...」

シンジの声に反応し、まぶたが開いた。
緩慢な動きで上半身だけ起き、頭の寝グセはご愛嬌。

「ん〜〜〜...誰かいるのぉ...?」

寝起きはあまり良くないのか、ゴシゴシと目をこするとぼんやりとだが視界が開ける。
目の前にはシンジがいるのだが、まだそれをシンジだと認識しきれていない。

「...誰?」
「ゴメンね、起こしちゃった?」
「はれ?
 ...まさか...兄さん...?」

寝ぼけた顔をシンジに近づけてジっと見つめる。
彼我距離は10数センチ、お互いの息がかかる距離だ。
シンジの声を聞いて急激に目覚めるレイ。

「いつからいたのっ!」
「...10分くらい前、かな?」

あまりにもレイが近づいたために、シンジは引きながら言う。

「...ずっと見てたの?」
コクン

黙って頷くシンジ。
そしてボッと音を立てて真っ赤になるレイ。










「女の子の寝顔じっと見るなんてひどいよ兄さん!」

顔を真っ赤にさせて怒る。
寝顔を見られたのがそんなに恥ずかしいのか?
しかし昨日は昨日で酔っ払った醜態を見せてたのに、すでに忘れている。

「だって可愛かったから...」

こちらも負けじとスゴイことを言う。
だが天然なので本人はあまり気にしていない。
さらりとそんなセリフを言われては、レイは真っ赤な顔をさらに赤くする以外、他はなかった。

「う〜〜〜...やっぱりダメ、許せないっ!
 罰として買出しに付き合ってもらうからね!」











大切な人への想い

第六拾六話 過ぎ去った夏(其ノ九)











パコーン、パコーン...

所々にあるテニスコートから聞こえるボールを打つ音。
楽しそうな声も聞こえてくる。
シンジはレイのあとをついて行きながら目で追っていた。

所狭しとコートを駆けるプレイヤー。
ボールを追い、ラケットを振る。
流れる落ちる汗が夏の太陽の光に反射して、キラキラと輝く。
そして自然に目が行ってしまう女の子のスコート姿。

「兄さん、なに見てるの?」

突然、不機嫌極まりないレイの声が聞こえた。
なにと聞いてもちょっと考えれば判るのだが、釘を刺す意味で聞く。

「あ...ここってテニスコートが多いんだね(汗)」
「ふ〜ん、だったら兄さんもテニスしてきたら?
 野球ばっかりじゃ飽きちゃうでしょう(ジロリ)」

夏の暑さからなのか、はたまたレイの身も凍るほどの殺気からなのか、とにかく汗が流れてくる。

「そういえばレイもラケット持ってきたんでしょう?」
「う...うん。」
「やらないの?」

シンジが聞くとレイはさらに不機嫌になる。
視線を逸らして口をとんがらせ、ブチブチと聞こえないくらいの声で文句を言う。
そこでようやく鈍感のMVPであるシンジは気づいた。
そう、レイは運動がまるでダメだった。
走ることくらいな簡単なモノならまだしも、ちょっとでも複雑になると途端にダメなのだ。
従ってテニスのような複雑且つスピーディーなスポーツになると、目がぐるぐる回って速攻で降参してしまう。
ちなみにアスカは文武両道なので、なんでもこなしてしまう。
その代わりといってはなんだが、家事全般はレイの方が上だった。

「...ゴメン。」
「知らないっ!」

完全に機嫌は傾き、とりつく島もない。
ツーンと怒ったレイ、その後ろをシンジが困った表情を浮かべて歩く。
はた目には他の女の子に目移りして彼女に口をきいてもらえなくなった彼氏である。
そんな感じで街を練り歩き、お土産屋さんの前を通り過ぎようとしたとき...

「そこのカワイイお嬢ちゃん、そんな顔してちゃ後ろの恋人さんが可哀想だよ。」

お土産屋の店員が2人の姿を見てそう判断した。

「えっ?
 わ、わた、わた...私?」
「そうだよそう。
 水色の髪なんて珍しいね。」

レイにとっては、今はもう何気ない一言だったが、シンジがレイの前に進み出た。
そして明らかに敵意が込められた言葉を向ける。

「なにか用ですか?」
「ゴメンゴメン、気を悪くしたんだったら謝るよ。
 お詫びと言っちゃなんだけど、安くしとくよ。
 恋人さん怒らしたままじゃマズイだろ?」
「こ、恋人って言っても僕たちは...」

店員の勘違いにおたおたと狼狽する。
その姿は誰がどこから見ても付き合い始めたばかりの恋人同士にしか見えない。
そして気を良くしたレイがシンジの腕を取って店の中に入っていく。

「シンちゃん、入ろっ♪」
「...シンちゃん?
 なに言ってるんだよレイ...」
「照れない照れない。
 じゃあシンジ君、それともシンジ、シンジさん...シンジさま?」
「...さまだけはやめて...」










「ありがとうございました!」

店員の元気な声と共にシンジとレイが出てきた。
レイは2つのマグカップを大切そうに持っている。
もちろんシンジとお揃いで、買ってもらった物だ。

「ありがとね、兄さん♪」

ちょっと頬を染めて感謝の言葉を伝えるのが恥ずかしかった。
今思い出すだけでもウレシハズカシである。
なにしろレイがカップを取ろうとしたときのことだった。
シンジも同じカップを取ろうとして手と手が触れ合ってしまい、2人の顔は真っ赤っ赤になり、一緒に俯いてしまったのだった。
しかも手はそのままの状態にして(笑)
そのときを思い出し、シンジはボンヤリと自分の手を見つめる。

(レイも女の子なんだよなぁ...手、柔らかかったし...)

手と手が触れ合ったときは恥ずかしかったが、今となっては微かに残る感触と温もりが心地好い。

「兄さん、なにボーっとしてるの?」
「な、なんでもないよっ!」

慌てて手を後ろに回す。
そして顔は先ほどと同じように真っ赤に染まる。
ボーっとしたり、恥ずかしがったりで、忙しい。

「ふ〜ん...ま、いいか。」

気のないセリフだが、シンジの心の内は読めていた。
まあ顔に出てしまう性格だからしょうがない。
とにもかくにもあのときだけは、妹としてではなく女の子として見てくれていたと感じて 「脈アリよ!」 と内なるレイはガッツポーズを決める。
表情には決して出さず、心ではこんなことを考える辺りは恋する乙女である。

「行こう、兄さん。」

いつも通りの顔で、ごく自然に手を伸ばす。

「あ...うん。」

少しためらった後、シンジは差し出された手を取った。

「じゃ、行きましょう。」

手と手が触れ合った瞬間、レイに笑顔が浮かぶ。
仲睦まじき2人の買い物は再開された。










☆★☆★☆










レイが先頭になり目的地を目指して一直線に進む。
シンジは不思議に思っているのだが、駅前の繁華街はとうの昔に素通りしていた。
しかも次第に街外れに向かっているようにも思えた。

「どこに行くのか?
 そう思ってるでしょ、兄さん。」
「うん...
 だってこの先にはなにもないはず...」

ランニングなどでこの辺りの地理を覚えているのだ。
だがしかし、レイはその上を行っていた。

「多分、知らないと思うよ。」

そう言うと初めての土地だというのに 「私の庭よ」 と言わんばかりに突き進む。
街外れに向かっているので、人通りも次第に少なくなるかと思いきや、結構人通りがあった。
だが良く見てみると、自分たちのようなよそ者ではなく、地元の人たちである。
そして聞こえてくるのは威勢のいい声と喧騒であった。

「レイ、ここってなに?」

目的地に到着し、周りを見れば判るのに、念を押すように聞く。
それもそのはずで、星降る里高原という避暑地のイメージからは、程遠いところだった。

「市場だよ。」

レイはさも当然のように言う。
そう、ここは新鮮な野菜や肉などの食料品が手に入る、地元の人たちの御用達である市場なのだ。

(そう言えば買出しって言ってたっけ...)










「兄さん、なにが食べたい?」
「う〜ん...最近は肉ばっかりだったから魚もいいかな?
 あ、でもここは高原だから魚はあるのかな...」

相変わらずの優柔不断さを見せる。
それを間近で見るレイはいつものことかと思い、ニコニコしている。

「な、なんだよレイ、じっと見ちゃって...」
「ふふ、変わらないね。」
「...どうせ優柔不断だよ。」

欠点を指摘され、拗ねるシンジ。

「そんなことないよ。
 ...大切なモノは変わらないってね。」

そのとき、やけに大人びた表情に見えた。
そして見られているのに気づいたレイはそっと微笑む。

「...くすっ。
 さ、早く決めなきゃね。
 兄さんの言う通り、ここは高原だからお魚よりお肉の方がいいわね。
 それじゃ...トマトとリンゴを煮込んで、キノコとクルミを入れてハーブで香り付けしたソースで...」
「あの...レイ?」
「そうなるとペンションの冷蔵庫には...があるから...足りない物は...買わなくちゃいけないのは...」

早くも今日の献立を思案するレイ。
冷蔵庫の中のモノと照らし合わせ買うべきモノを検索するその姿は主婦レイの真骨頂だ。
ホケ〜っとレイの後ろをついて行くシンジ。
献立が決まると、レイは鍛えられた眼を活かして食材を探している。
少しでも良いモノ、気になるモノがあるとシンジの存在を忘れてしまう。
従って、ちょっと目を離した隙に見失ってしまうのである。

「...あれ、レイは?」

野球以外はとにかくトロイので、当然の如く離れ離れになる。
知らない場所でヘタに動くのはマズイと思ってじっとしていると、買い物袋を下げたレイが現れた。

「こんなところにいた!」
「レイ。」
「も〜、1人にするなんてひどいじゃない。
 ハイこれ。」

買い物袋をシンジに手渡す。
かなり重いのか、渡された途端にシンジの肩がガクンと下がった。

「な、なにを買ったの?」
「お米8人分。
 旅行中の分、まとめ買いしたの。」
「なにもまとめて買わなくても...」

ヨロヨロとふらつきながらも、なんとか態勢を立て直すが、レイは構わずに次の買い物へと繰り出していた。
シンジはやれやれと思いながらレイの後ろについていく。










「兄さん、はぐれちゃダメだよ。」
「うっひゃぁ...
 こんなに人がいるなんて思わなかった...」

人ごみをかき分けて進む。
ちょっと気を許せばあっという間にはぐれてしまいそうな勢いだった。

「東京みたいにスーパーとかがないからね。
 この辺りのホテルやペンションやレストラン、みんなここで仕入れるんだって。」
「...でもどうしてレイが知ってるの?」
「ん〜...色んなお店でね。
 ここの人って、みんな親切だよ。」

とは言っているが、これもレイの人柄によるところが大きい。
常日頃から商店街に出入りしているので、自然とお店の人との付き合い方が身についているのだろうか...

「へえ...道理でみんな大量に買い込んでいくワケだ。」
「あら、人事みたいに言ってぇ。
 今日は頼りにしてるのにな、兄さんのこと。」
「任せてよ、米や野菜の1トンや2トン...」
「くすっ...頼もしいね。
 でも、トンは買わないよ。」
「トウジなら、それくらい食べそうだよね。」
「そだね。
 ...さてと、残りを早く買わなくちゃ。」

もう、こっちを振り返ることもせずに、スタスタと慣れた感じでドンドン先に歩いていく...

「ああっ、レイ〜、待って...」

追い付こうとするが、人ごみに揉まれて、なかなか進めない。

「あ...兄さん!」

思わず伸ばしたシンジの手をつかんで引っ張る。
そのお陰で、ようやく人ごみから抜け出せた。

「あ...ありがとう。」
「だらしないよっ。
 も〜、野球部で鍛えてるんでしょっ。」

レイは見上げるようにして怒ってみせる。

「ゴ...ゴメン。」

ふと思って下を向いたら...まだしっかり手をつないだままだった。
それをレイはグイグイと引っ張って先へと歩き始めた。
だが、ほどなくしてレイはつないだままの手に気づき、慌てて振り払う。

「あ...きゃっ、私ったら...」

真っ赤になった。
シンジが 「そんなに恥ずかしがるようなことかなぁ」 と不思議に思っていると、レイはくるりと背を向けると、足早に歩き始める。

「ちょ、ちょっと、レイ。」
「...グズグズしないのっ。」

そう言いながらまた手を取ると、グイグイ引っ張って歩き始める...

「レイ...恥ずかしいよ。」
「でも、こうしてないと、またはぐれちゃうでしょ。」

怒ったみたいに言うけど、ホントは怒ってるのか判らない。
背を向けてるから、シンジに見えるのは後ろ姿だけだった。
スタスタと歩くたびに髪の毛が揺れて、フワフワと石鹸の匂いが...

「...ちょっと恥ずかしいけどね。」

レイは足早に歩きながら、独り言のようにつぶやく。
それはシンジに聞こえないくらい、小さな独り言だった。










「エ、ラッシャイラッシャイラッシャイ...
 はい、高原レタス安いよ安いよ...お嬢ちゃんどう、どう?」

歩いているウチに、八百屋のオヤジが声をかけてきた。

「兄さん、どこから回ったらいいと思う?」
「...ええと。」
「嬢ちゃん嬢ちゃん、ほらそこのお嬢ちゃん、恋人さんと話してないでさ。
 カボチャどうカボチャ、糖度高いよ糖度。」
「レイ...糖度が高いって。」
「なんの話?」

レイの耳には八百屋のオヤジの声は届いていなかった。
だがここが正念場と感じたのか、八百屋のオヤジは勝負に出る。

「そうそう、糖度だよ糖度。
 じゃあこれどうだ、今朝取れたてのプチトマト。
 取れたてトレトレだよ、ほら嬢ちゃん嬢ちゃん。」
「...お嬢ちゃんって、私のことかしら。
 それから恋人さん?」
「そうそう、彼氏と手なんかつないじゃって、もう。
 ホラホラ買ってって買ってってお嬢ちゃんお嬢ちゃん...」
「...彼氏って、僕のことぉ?」
「そうみたいね。
 そんな風に見えるのか...くすっ、照れちゃうね。」
「な、なに嬉しそうにニヤニヤしてるんだよっ!
 こういうお店の人は誰にだって言うもんだろ...
 レイこそ、耳まで赤くしちゃって。」
「な、なにを言うのよ...」
「あ...レイ、買い物しないの?」
「お嬢ちゃん、素通りはヒドイですよ。
 嬢ちゃん嬢ちゃん...」

レイは足早に通り過ぎると、その向こうの八百屋さんに入っていく...
シンジはその後ろに追って入り...2人が出てきたときにはシンジの両手に野菜の大きな包みがあった。

「あとは、肉屋さん...
 どうしたの、重たい?」
「レイ...どうしてさっきのとこで買わなかったの?」
「こっちのお店を紹介されたのっ!」
「なるほど...」

単純なシンジはそれだけで信じてしまう。
...そんな風に話しながら歩いていると、今度は肉屋のオヤジが声をかけてきた。

「エ、ラッシャイラッシャイラッシャイ...
 はい、高原牛肉が安いよ安いよ...お嬢ちゃんどう、どう?」
「...あれ?
 さっきの八百屋のオジさんじゃない?」
「違いますよ、そんなことより嬢ちゃん嬢ちゃん、ほらそこのお嬢ちゃん、恋人さんと話してないで、ロースどう、ロース。」
「...話し方までさっきの八百屋に似てるな。」
「うん、そっくり。」

シンジは先ほどの八百屋のオヤジを思い出していた。

「ウチはオヤジの代から肉屋だ、それよりこれ、今朝取れたての和牛だよ。
 ね、取れたてトレトレだよ、ほらそこの嬢ちゃん嬢ちゃん。」
「...兄さん、また恋人さんだって...」
「肉の取れたてって...なんなんだ?」
「深く考えない。
 彼氏と手つないじゃって、ホラホラ、買ってって買ってって嬢ちゃん嬢ちゃん...」
「...彼氏って、僕のことなんだろうな?」
「そうみたいね。
 またそんな風に見られて...照れちゃうな。」
「レイっ、またニヤニヤして...
 そんなこと言われても嬉しくないだろっ。」
「兄さんこそ、真っ赤っかだよ。」
「もう...やめてよ。」
「お2人さん、素通りはヒドイですよ。
 お2人さんお2人さん...」

2人は足早に通り過ぎると、その隣の肉屋に入って...出てきたときには両手にビニール袋を下げていた。

「はいこれ、まだ持てるでしょ?」
「この店も教えてもらったの?
 おまけしてもらったけど。」
「うん、そうだよ。」









そうこうしているうちに買出しは終わった。
2人の両手には戦利品と言わんばかりに買い物袋をぶら下げている。
シンジの方が多いのは当然だった。

「兄さん、もうダメ?」
「大丈夫だよ、全部持てるよ、任せて!」
「無理しないでね。
 ペンションまでちょっと歩くし。」
「これぐらいはなんでも...うっ、大丈夫...」

男の意地でヤセ我慢するシンジ。

「それにしても...いつもこんなに買ってるの?」
「いつもはこの半分くらいかな。
 今はホラ、8人分だしね。」
「それにしても...」

ズッシリと肩にのしかかる食材たち。

「それでも今日は買い込み過ぎちゃったかも...ゴメンね。
 兄さんが一緒だったからつい...」
「レイ...」

そうやって取りとめのない話をしているうちに、ようやくペンションにたどり着いた。
まだペンションには誰も帰っていないのか、シーンと静まり返っている。

「ありがと、兄さん...キッチンに置いてもらえる?」
「うん。」

テーブルの上にどさっと下ろす。
ギシッと鳴るところが、重さを物語っていた。

「ご苦労様、疲れたでしょ。
 今、お茶入れるからここで待ってて...」
「え...?」
「買出し、手伝ってくれたお礼...と言っちゃなんだけど。
 付き合ってもらえるかしら?」
「うん...ありがと。」
「うふ、よかった。
 うんと美味しいハーブティーいれるね。」

そういってレイはキッチンに入っていく。
やがてケルトの笛が鳴り、ハーブティーのいい香りが漂ってくる...










☆★☆★☆










平常心とプリントされたTシャツに短パンといった格好で、着替えを持って廊下を歩く。
夕食前の練習を終え、汗を流すために露天風呂に向かう。
シンジがリビングを通りすぎようとしたとき、いつの間にか帰っていたアスカが神妙な顔をして待っていた。

「シンジ、いいかな...
 頼みたいことがあるのよ...」
「どうしたのアスカ?」
「うん...シンジにしか頼めなくて...」

アスカのどことなく思い詰めた顔が胸を締めつける。
なにかマズイことをしたのかと、シンジの頭にはそんな考えが浮かぶ。

「シンジ...あ、あのさ...」
「うん?」
「お願いなんだけど、聞いてくれる?」

いつもだったら問答無用の命令であるのに対し、アスカのとても珍しいお願いである。
シンジの悪い予感は固まりつつあった。
ふぅ、と深くため息をつき、覚悟を決める。

「判ったよアスカ...
 僕も一緒に行くから、素直に謝ろう。」
「はぁ?」
「こういうのは早く謝った方がいいよ。
 後になればなるほど言いにくくなるからね...
 じゃ、行こうか。」

アスカの手を素早く取って引っ張っていく。

「ちょ、ちょっとシンジ!
 アンタなんだと思ってるの?」
「アスカ、なにか悪いことをしたんだろ?
 それで謝りにくくて僕に...」

そのとき、どこからかブチっと、なにかが切れる音がした。

「...こ...
 こンの大ボケシンジがぁ!!」

一瞬にしてシンジの視界がブラックアウトする。
だが慣れているので、すぐに再起動した。

「な、なんだよアスカ、違うの?」
「違うわよ!
 アンタ一体アタシをなんだと思ってんのよ!!」
「じゃあどうしたの?」
「...(ポっ)」

問い詰められた途端に顔が染まる。
もじもじ、そわそわと普段のアスカからは想像できない仕草を見せる。

「ねぇシンジ...あ、あのさ...明日気分転換に牧場行かない?」

その一言にシンジはピーンときた。

「それってもしかして乳搾り?」

ここ星降る里高原には 『星降る原牧場』 なるモノがある。
で、そこでは乳搾りを体験できるのだった。
意外なところで恥ずかしがるアスカがとても新鮮に感じられ、シンジは吹き出した。

「...ぷっ...」
「い、いいじゃない!
 とにかくどうなのよ!」

有無を言わさず引っ張りまわすのに、なぜかそこで顔を赤くしてOKかを聞いてくる。
その恥ずかしそうな仕草が愛おしく感じられ、シンジは笑顔で答える。

「判ったよ、アスカ。」
「え、ホントに!?」

OKと聞いた途端に、アスカの顔に笑顔が戻る。
とてもまぶしく、太陽のような笑顔だった。

「それじゃ、明日必ず行こうね☆」

うれしさを隠し切れず、飛び跳ねるようにリビングを後にする。
その背中をシンジは楽しそうに見ていた。

「このぐらいで、あんなにはしゃぐなんて...」










☆★☆★☆










さて今は夕食直前である。
メニューは今日の買出しで買った牛のステーキである。
レイがキッチンに立ち、現在調理中だ。
やることのないシンジとアスカはテーブルで向かい向かいに座っている。

「アスカは今日どこに行ってたの?」
「午前中は美術館で、午後からは工芸教室よ。
 美術館は退屈だったけど工芸はすっごく楽しかったわ。」

そう、惣流家は今日1日は家族水入らずで色々と回っていたのだ。
アスカは今日の成果である木彫りのサルの人形を後ろから取り出した。

「見て見てシンジ...ジャジャーン!」
「これアスカが造ったの?
 すごく上手くできてるね。」

市販には無い手作り独特の質感のあるサルの人形。
ちょっといびつな感じではあるが、かなり上手くできていた。

「アタシにかかればこ〜んな木彫りの人形なんて、お茶の子さいさいよっ!」

そんなことを言っているが、実はこの成功作に至るまでの道のりは長く険しい。
最初は簡単だと思っていても実際にやってみると難しく、試行錯誤を繰り返し、神経を使いながら真剣にやっていた。
ちょっとでも力を入れて削ると途端に形が崩れ、修正は容易ではない。
例えできたとしても完璧主義のアスカは納得いくまでやり続けたのだ。
その苦労は本人とその場にいたアベルとキョウコが良く知っている。

「お肉焼けたよ〜。」

とそこにフライパンごと焼けたステーキを持ってきたレイ。

「レイ、見て見てこれ。」
「これってアス姉が造ったの?
 良くできてるね。」
「ふふんっ、このアタシが造ったんだから当然よ!」

鼻高々のアスカ。
だが現場にいたアベルとキョウコは内心 「良くできたのはそれだけだろう」 とツッコミながらも微笑ましく見ている。
強情で意地っ張りな性格の娘を持つ親心であった。
ちなみに失敗作はアスカの部屋に大切に保管されている。
例え失敗策とはいえ、アスカにとっては大切な作品なのだ。

「造ったのはこれだけなの?」

そこに鋭くツッコミむシンジ。
アスカの幼馴染みだというのに、その性格を完全に捉えていないのか?
ちなみにアベルとキョウコは後ろでクックッと笑いをこらえている。
レイはなんとなくカンづき、とばっちりを食らわないように早々に退散した。

(普段はボケボケっとしてるクセに、な・ん・で・こんなときだけぇ(怒))

テーブルの下では握った拳が震えている。
だがそこでテーブルの上に今日初めて見るモノがあることに気づいた。
もちろんそれはお揃いのマグカップだ。

「シンジ、そのカップどうしたの?」
「これ?
 今日買ったんだ。
 ほら、お土産屋の 「かざぐるま」 でね。」

シンジは美味しそうにカップを口につけ、牛乳を飲む。
チラッとキッチンを見れば、こちらでもレイがお揃いのカップで美味しそうに牛乳を飲んでいた。

「ふ、ふ〜ん...
 そうなんだ。」

今日1日、アスカは家族と出かけていた。
そしてシンジとレイは2人だけで買い物に行った。
自分の知らないところで、2人は楽しそうに買い物をしている。
そう思うだけでアスカの心に疎外感と嫉妬が現れ、その心に気づかずシンジはさらに続けた。

「でね、レイったら...」
「レイ、レイって!
 シンジはそんなにレイのことが大切なの!」
「ア、アスカ...」

気づいたらアスカはイスをけって立ち上がっていた。
あまりの剣幕に近くにいた者は静まり、何事かとアスカを見る。
レイも同様に料理の手を止めていた。

「あ...ゴ、ゴメン...」
「ど、どうしたのアスカ?」
「なんでもない...」

感情の昂ぶりが収まると、アスカの体から力がウソのように抜け落ちる。
だが原因であるレイへの嫉妬は依然消えはしなかった。
その一方でレイもまた、アスカへの嫉妬が湧きあがるのを感じた。

(私だって...)










☆★☆★☆










そろそろ就寝の時間がやってきた。
それぞれが部屋に戻り、ブルーフォレストは昼間とは打って変わって静かになる。
シンジはそんな時間にトイレに行こうとして1階に向かった。
歩くたびに薄暗い廊下にギシギシと足音が響く。

「あ、シンジ...やっほ。」

1階にはなぜかアスカがいた。
しかもシンジの前では畏怖堂々としているのだが、珍しいことに髪を指で弄んでいる。
この世の春を謳歌している、そんな幸せを滲み出していた。

「明日、楽しみね...」

もじもじ、そわそわ...そんな雰囲気だ。

「乳搾り?
 うん、そうだね。」
「あ〜〜〜、いま締めっぽい顔したぁ!」
「そっ、そんなことないよ。」
「ホントに?」

シンジの顔を覗きこむようにして見る。
蒼い瞳にはシンジしか映っていない。
アスカの瞳に映るシンジは安心させるように優しく笑う。

「うん、ホント。」
「ホントにホントにホント?」
「ホントにホントにホントだよ。」
「そっか、よかったぁ...
 じゃ、明日ね。」

アスカは最高の笑顔をシンジに向ける。
ふと気づくと、今は2人だけだった。
今日1日は別々だったため、なぜかこの状況が懐かしく思えた。
アスカにとっては、待ち望んだ時だったかもしれない。
だがテレビの声が、2人だけの時間を打ち破る。










<...台風情報です...これからの進路は...2・3日中には上陸するでしょう...>



第六拾六話 完






―――予告―――



六分儀レイです

えへへ〜〜〜、今日は一日とっても楽しかったな

買い出しとは言っても、2人っきりだったからね

さてと、来週のお話は...ってなによこれ!

なんで兄さんとアス姉がデェトなわけ?

しかも私が...ああっ、予告のスペースがもうないじゃない、どういうこと?





次回

大切な人への想い

「過ぎ去った夏(其ノ拾)」



注) 予告はあくまでも予定です





sugiさんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る
inserted by FC2 system