山の中に流れる川に、鉄のつり橋がかかっている。
早朝のランニングでシンジは橋の上までやってきて、そこで一息入れることにした。
辺りには水のせせらぎが聞こえて、なんとなくいい雰囲気である。
ここからではよく判らないが、川は澄んでとてもキレイだ。
ちょっと降りれば、細波のきらめきの間に、川底の丸い石が数えられそうなくらいである。
風が吹き抜け、葉先が鼻をくすぐる。

(...うーん、緑のにおいがするなぁ...)

橋の柵に体を預け、肺いっぱいに高原の空気を吸い込んだ。
時折、森の奥からかすかに鳥の声が響いてくる。
細波の立つ川面に、陽射しが反射して、網の目のような影を映し出す。
きらきらしてまぶしいが、いくら見ても飽きない。

(静かだなぁ...
 川のせせらぎと、風に揺れる木の葉ずれの音以外はなにも聞こえないや)

下からは川のせせらぎが聞こえるくる。
キラキラ光る細波に見入っていると、ふいに後ろから声をかけられた。

「キレイな川ね...
 魚、いそう?」
「アスカ?
 それにレイまで。」
「おはよ、兄さん。」

朝早いにもかかわらず、3人は一緒になった。

「あれ...?」

なぜだかアスカとレイの雰囲気が昨日までと違う気がした。
距離が縮まったというか...まあシンジにしては上出来な洞察力である。

「今日のバーベキュー楽しみね。」
「アス姉は食べることしかないの?
 まるでトウジさんみたい。」
「あの熱血バカと一緒にするなっ!」

仲のいい姉妹のような2人。
シンジは目を細くして微笑む。

(ま、いいか)

高原の涼しい風が流れ、3人の髪を撫でる。
川風に栗色の髪がサラサラと流れる。
ホントにサラサラって音が聞こえてきそうだった。

「それにしてもキレイな川だよね。」
「ふふんっ、このアタシが釣りたての魚を食わせてあげるわっ!」
「あれ?
 アスカ、釣りなんてしたっけ?」
「今日が初めてよ、でも自信はあるわ。」

胸を張って大威張りである。
だがそこに突っ込むレイ。

「川釣りって難しいんだよ、アス姉...期待しないで待ってるから!」
「そんなこと言ってるのも今のうちよ。
 アタシには秘密兵器があるんだから。」

ちっちっちっと、人差し指をちらつかせる。

「「秘密兵器?」」
「そっ、アメリカ製のルアーよ!
 魚のトコまで自分で泳いでいくんだから。」

シンジとレイの頭の中に、ものすごく怪しい想像図が現れる。

「...アスカ、なにそれ?」
「スイミング・ルアーっていって...深夜の通販でね...」
「深夜の通販?
 また怪しいモノを...」
「遅れてるわね。
 包丁からカーワックスまで、今はなんでも通販でそろうのよ?」
「カーワックスまで、ねぇ...そんなのアテになるの?」
「アタシん家の車、見たでしょ?
 ショールーム並の輝きよ!」
「じゃあ、楽しみにしてるよ...」
「まぁ見てなさいって!」

半信半疑のシンジに釣る気満々のアスカ。
最後のレイは...

「包丁まで...」

主婦の哀しいサガなのか、通販のことをマジで考えていた。











大切な人への想い

第六拾八話 過ぎ去った夏(其ノ拾壱)











橋を降りて少し歩くとバーベキューができる川原が広がっている。
そこは人工的に手が加えられ、バーベキューをやるための設備が整っていた。
カレーライスや、グリル班などに別れ、シンジ、アスカ、レイは川魚を釣りにきていた。

「うっわ〜〜〜い、また釣れちゃった。」

一本釣りのごとく、岩魚を釣り上げた。
川から上げる際に水飛沫を上げ、太陽の光に反射してキラキラと輝く。

「う、うそでしょ〜っ?」

アスカはルアーフィッシングにトライしていたが、いかんせんルアーは難しい。
いい道具を持っているからといって、腕が良くなるわけではないのだ。
しかし、そんなアスカの竿にもアタリがやってきた。

「きたっ!
 シンジ、きたわよ!」

これ以上ないほどに喜びの顔を浮かべるアスカ。
一気に竿を振り上げると...

「どうして空き缶なんかがひっかかるのよ!」

お約束だった。

「こんなに綺麗な川なのに、空き缶が転がってるなんて不思議だよね...」
「アス姉ったらウケ狙ってるんじゃないの?
 だいたいね、ルアーなんて初心者には無理なんだよ。」

言いながら再び竿を投げる。
ひゅっと、いい音を鳴らして、ぽちゃんと水の中に沈む。

「ふんっ、レイにそんなこと言われてたまるかっ!
 だいたい料理ができて釣りもできるなんて出来過ぎよ!」

ぶちぶちと文句を言いながら針をはずし、カコンと空き缶やナガグツなどのゴミの山に棄てる。
どうやらこのゴミの山がアスカの釣りの成果らしい...
そんなアスカを尻目に、クイクイっとレイのウキが反応し、またもアタリがきた。

「ああっ、またかかったぁ♪」
「やったね、レイ。」
「ううっ...アタシの釣り竿のバカ...」
「今ので人数分は確保できたからみんなのところに戻ろっか。」
「そうだね。」

釣った魚を持参して、3人はみんなのところに戻った。
そこでは...










惣流夫妻が料理をしていた。
2人ともエプロンをつけ、包丁で野菜を切っている。

「ぬぬぬ...キョウコ、ニンジンがよく切れないぞ。
 それにタマネギを切ると涙が出てくる...」
「大丈夫ですか、アナタ?」
「この包丁は研いでないのか...
 砥石あるか?」

ガサガサと荷物を物色し始める。

「え、ええ...それは別にいいんですけど...
 こんなことで大丈夫かしら?」
「大丈夫だ、タマネギなんて丸ごと入れてしまえ!
 ニンジンはカラダにいいから大きくても構わんだろ。」

砥石を片手に河原に向かう。
その後、気の済むまで研いだアベルの包丁の切れ味は、想像を絶するモノだった。
なんとなくだが、シンジは見てはならないモノを見てしまった気がした。










「ねえ、お母さん、これ味見してくれる?」

こちらではレイとユミが一緒に料理をしていた。
チラッと覗いてみると、どうやらソーセージの下ごしらえのようだ。

「う〜〜〜ん、ちょっとコショウが足りないんじゃない?」
「やっぱりそう思う?
 じゃ、ぱっぱっぱと...」

テーブルを前に2人並んだ姿。
レイの方が少し背が低く、遠目からでは姉妹にしか見えない。
なんとなく声をかけずらい気がして、シンジはその場を去った。










河原近くで即席のかまどを造り、そこで火を扱っているのはヒデユキだった。

「あ...シンジ君。
 いい天気になってよかったな。」
「うん、練習ばかりやってたけど、タマにはこういうのもいいですよね。」
「川風が涼しくて気持ちいいな...」

ヒデユキは野菜に火が通るのを待って、ちょっと一息ってところだ。

「釣りの方はどうだった?」
「ははは、レイが調子良くって、あっという間でした。
 そっちの方はどうです?」
「もうほとんど済んだるよ。
 あとは焼けるのを待つだけさ。」

鍋のふたをカパッと開けると、湯気と一緒にいい匂いが漂う。

「ふむ、野菜も肉も、もうできあがったみたいだ。
 味見てみるか...それとも、もう少し野菜を切るかな...」

意外にも手馴れた手つきで野菜を切っていく。
その姿をシンジがボーっと見ていると、サエコがやってきた。

「ねえシンジくんっ!
 カレーにジャガイモって入れるの?」

思い悩んだ顔だった。
こんな顔を見るのは初めてだったので、ヒデユキを見る。
...となぜだか笑いを堪えているようにも見えた。

「...ウチのは入ってますけど。」
「そうなの?
 ...じゃ、やっぱり私だけなの?」

がっくりとうな垂れるサエコ。
まるで魂まで抜け落ちたようであった。
不思議に思ったシンジはヒデユキに聞いてみることにした。

「なんかあったんですか?」
「うん、カレー作ってたんだけど...ジャガイモ入れてるときにね...文句言ってきたんだ。
 そしたらみんなが...」
「そんなことがあったんですか。」
「あ〜〜〜ん、少数派は私だったなんて...
 ショックだわぁ!」










バーベキューの準備ということで、シンジも色々と駆けまわっていると、最後に信じられない光景を見た。

「アスカが料理してる...」

アスカが包丁を握って立っていた...って言っても別に危ないことをしてるわけではない。
レイ並の...とはいかないものの、上手な手つきで野菜や肉を切っていた。

「シンジ、邪魔しないでね、危ないから。」
「別に邪魔なんてしないよ、ただ見てるだけ。」
「なんかのCMみたいなこと言わないでよ。」

なんて照れたそぶりも見せず、リズミカルに包丁の音をさせている...

「なによ、さっきからじーっと見て...」
「いや、感心してたんだよ。
 アスカの包丁さばきがあまりにもうまいから。」
「な...」

気がつけば触れ合えるくらいの近さまで接近していた。
徐々に、ではなくゲージがグイーンと上がるようにアスカは赤くなる。

「レ、レイにだってできるんだから、アタシにだってお茶の子さいさいよっ!」
「そうなの?
 アスカのなんだか料理食べてみたくなっちゃったな。」
「!」

その一言にアスカの理性が溶けそうになった。
何気ないシンジの言葉はツボにはまっていくのだ。
狙ったわけではないのが一番怖い。

「...そ、そのうち機会があったらね。」
「やたっ♪」
「もう...邪魔するならあっちに行ってなさいっ!」
「ゴメン!」

追い出されるようにアスカから離れていくが、アスカの妙技に感心したシンジは、おそるおそる近づいて行く。
トントントン...と軽快なテンポでニンジンを切り、タマネギを切り、ジャガイモを切り、キャベツを千切りにし、ニンジンを千切りにし、キュウリを千切りにし、トマトを千切りに...

「ってアスカ、トマトまで千切りにするのっ?!」
「あ...あぁ、あ〜〜〜っ!
 や、やっばぁ...」

時すでに遅く、スライスされたトマトができた...

「ま、食べれば同じだから、問題ないんじゃないの。」
「あ...う、うん...なぐさめてくれてありがと。」

しょげてる姿がとても可愛くて、アスカに対する印象が変わりつつあった。
そしてバーベキューという名の宴は始まり、やがて終わりを迎える...










☆★☆★☆










「一緒に帰ろ、兄さん。」

後片付けも終わる頃、レイがやってきた。
うきうきと心が踊っているような、そんな雰囲気だ。

「じゃあ一緒に帰ろうか。」
「うんっ!」

川から林道を通って、シンジとレイは2人だけでペンションへの帰路についた。
シンジの前を歩くレイは、ときおり振り返りながら楽しそうに歩いていく...

「ねー、あそこの川ってキレイだったね。」
「うん、そうだね。
 あ、でも長靴...」

ほけ〜っとした顔でレイの後を着いて行く。
せっかく一緒に帰っているんだから...とレイが思っているのに露知らずであった。

「あれはねー、少し上流で釣りしてたおじさんが転けて長靴脱げたのが流れてきたんだってさ。」
「えっ、そうなの?」
「片づけしてるときに探しにきたから返してあげた。」
「あんなもの持ってきてたの?」
「だってさ、あんなキレイな川に長靴なんておかしいよ。」

レイは見ているこっちまで嬉しくなりそうな笑顔を向けていた。
一方アスカはそんな2人を物陰から腹立たしげに見ていた。

(お、抑えるのよアスカ...
 レイの気持ちも考えてあげるのよ...!)

アスカの頭にも昨夜のことが、ライバル宣言が蘇る。
あんな辛い思いをさせたことを、本当に済まないと思っていた。
内心は 「アタシもバカね」 と思っていたが、そんな自分が好きであるアスカだった。

(でもね、今回だけだからね、レイっ!)

なんだかんだ言っても一人っ子のアスカにとって、レイはかわいい(?)妹であった。










そんなこんなで断れないレイのお願いがやってきた。

「兄さん、午後から付き合ってくれない?」
(また買い出しかな?)

鈍感な思考ルーチンを持つシンジには、そんなことしか思いつかない。

「うん、いいよ。」
「よかった...それじゃね、今から1時間後に遊歩道で待ってるから。」

それだけ言うとレイは走り出した。
シンジは徐々に小さくなるレイを呼び止めようとする。

「レ、レイ!」
「忘れないでねっ!」
「あ...うん。」

予想を思いっきり外され、なにがなんだか判らなかった。

「遊歩道だから、買い出しじゃないよな...
 でもなんで待ち合わせなんだ?
 ...一緒に行けばいいのに...」

鈍いシンジに女心を理解しろというのはまだ早いのかもしれない。










☆★☆★☆










「あれ、レイはまだきてないのかな?」

いつも通りのラフな格好で、遊歩道の入り口でポツンと1人立ち尽くすシンジ。
ヒマになり、遊歩道の遥か先を見つめと、そこからは緑の匂いが風に乗ってやってくる。

「あ、ゴメンなさい兄さん、待った?」
「いや、僕も今きたとこ...ろ?」

不意にかけられたレイの言葉に振り返ると、シンジは言葉を失う。
白い大きな帽子に、薄い水色のサンドレスを身にまとったレイがいた。
ツバが広くて顔が見えにくいところがあるが、見え隠れするレイの気恥ずかしそうな表情が可愛いらしいのか、思わずボ〜っとしてしまう。

(うわぁ、か、可愛い...いつもと違う服だから?)

声も出せないほど見惚れていた。
いつもと違い肌の露出が少なく、ロングスカートにウエストを結ぶリボンが腰の細さを際ださせる。
清楚可憐という言葉が良く似合い、どこかのお嬢様といったところだ。

「ホント?
 よかったぁ...」

清々しい笑顔がシンジに向けられる。
その違う服装に意味が込められている...のだが、当のシンジは気づいているのだろうか?

「遅れちゃってゴメンね。
 私が誘ったのにとんでもないね。」
「いいんだよ、ホント...僕だってきたばっかりなんだから...」
「本当に?」

おそるおそる、上目遣いに聞いてくる。
そんなレイにいつもの笑顔を向けるシンジ。

「うん、本当だよ。」
「やっぱり優しいね...」










「こんなところで立っててもしょうがないよ。
 早く湖に行こ?」
「そうだね。」

シンジとレイが2人並んで歩き始める。
大きな帽子を手で押さえ微笑むレイは、シンジだけを見ていた。
シンジもまた、知らず知らずのうちにレイの顔に目が行ってしまう。
今、この瞬間だけは、2人は恋人同士であった...とシンジ以外は思っているだろう。

「木陰が日差しを遮ってくれて気持ちいいね。」
「うん、爽やかでいいよね。」
「私ね、この青々とした木々の香りが好きなの。
 心が落ち着くでしょ?」

目を閉じて深呼吸する。
肺に染みわたる新鮮な空気は冷たかった。

「そうだね、森林浴っていうのがあるくらいだからね。」
「近頃あまり聞かなくなった言葉だね。」
「あはは、ちょっと古かったかな?」
「うぅん、そうじゃなくて、人って流行に流されちゃう生き物なんだなって思ったの。
 時間と一緒に流される...」

しかし決して変わらないモノもあるとレイは思う。
それがシンジへの想いであった。
そしてこれからも変わらぬことを祈る...

「なるほどね。
 だけどさ、ホントこの道って気持ちいいよね。」
「うん...心が洗われるような気持ち...」

そう言ってレイは笑う。
シンジにだけ、好きな人にだけ向ける笑顔であった。

「もうすぐ湖だね。」
「うん...
 ね、湖についたらどうしよっか?」
「ボートに乗ろうよ!」

シンジが嬉しそうな顔で言うと、レイもまた嬉しそうな顔をした。

「わぁ、なんで判ったの?」
「えっ?」
「私もね、ボートに乗ってみたかったの。」
「なんだ、考えてること同じなんだ。」
「ホントだね。」

好きな人と同じことを考えたのがとても嬉しかったのか、レイの笑顔は耐えることはなった...










ギシッと木の板が歪む音と共に、湖へとボートは進み始めた。
湖上から爽やかな風が吹き抜け、レイは脱いだ帽子が飛ばないようにお腹の辺りに抱えて、手で押さえていた。

「気持ちいいねぇ...」
「うん。」
「湖の上にいるなんて、信じられないっ!」

にっこりとシンジに微笑みかけてるその顔は、とても幸せそうだ。
シンジがレイを幸せな気持ちにさせている...などとは露知らずである。
爽やかな風が長い髪をなでていく。
この辺りは自然が多く、まるで山奥にいるような錯覚に陥る。
ほんの少し歩けば、賑やかな観光地があることなど忘れてしまいそうだ。

「ねぇ、ボートって不思議だよね。」
「なんで?」
「だって、木でできてるんでしょう、これ?
 それがこんなふうに水の上を滑ってるなんて、とっても不思議。」
「そうだね。」
「ほら、水に手が届くよ。」

ちゃぷちゃぷと湖に手をつける。
冷たさがとても気持ちいい。

「あ、白鳥がいる...」

そう言うとレイは白鳥に手を差し出す。
白鳥はよほど人に慣れているのか、逃げようともしない。

「かわいいわね...」

そう言って嬉しそうに微笑むレイの顔が、とってもまぶしかった。

「ああ、もっと近づきたいな...」
「でも危ないよ...下手するとボートが...」

シンジの言うことが聞こえないのか、レイは大きく身を乗り出して白鳥に手を伸ばしかけたとき...

ポツ...
「あれ、なにか当たったかな?」

手に当たったようなので、よく見てみると水の玉が一粒あった。
その水滴が滑るように道を造っていくと、辺りの湖の水面には波紋が何個もできては消えていく...
空を見上げると、いつの間にか灰色の雲が青空を隠していた。

「レ、レイ...ひょっとして...」

シンジも気づいたようで、空を見上げる。
ポツっと鼻に雨が当たったのを合図に、一気に雨が降ってきた。
しかも粒は大きく、勢いが半端じゃない。

「マ、マズイっ!
 急いで戻るよ!」

大急ぎでオールをこぐシンジに、レイは帽子でなんとか濡れるのを防ごうとする。
幸いにも近くに岸は見え、辿り着くのにはそれほど時間はかからなかった。
だが湖の上ということで、雨を遮るものは何もない。
ボートが桟橋に戻った頃には、2人ともずぶ濡れだった。

「台風が近づいているって言ってたけど...
 まいったな〜、まさか降ってくるなんて。
 レイ、大丈夫?」

バケツをひっくり返したような雨が降る。
取り敢えず雨をしのげる場所はあることはあるのだが、屋根があるだけで強い風が吹くとどうしても雨に当たってしまう。
したがってシンジは風上の方で壁になるしかなかった。

「うぅ...大丈夫じゃない...
 せっかくの卸したてだったのにぃ(涙)」
「ごめんね、ボートに乗ろうなんて言ったばか...りに...」

そのときシンジは硬直してしまった。
見る見るうちに顔が染まっていく。

「ど、どうしたの兄さん?」

不思議に思ってシンジの顔を覗いたとき、ハッとなった。

「きゃあああああっ!!
 あっち向いて兄さん!」
「ごめんっ!」

慌てて後ろを向くが、時すでに遅しである。
雨で濡れてしまったお陰で、透けてしまっていたのだ。
バツが悪そうに背中と背中を向かい合わせる2人。

「...あれ、あそこに見えるのは...やっぱりそうだ。」

シンジが辺りを見回していたら、遥か向こうに対岸が見えた。
ボートを借りたところもかすかにだが見える。
そこから湖へと出たとき、正面には小さな浮島が見えた。

「ここって浮島だよ。」

だがレイには聞こえていないようだった。
かたかたと身を震わせ、唇は紫色に変色している。
帰ろうにも湖に浮かんだ孤島なので帰れない。
しかも助けも呼べない。

「マズイなぁ...すぐやんでくれるといいんだけど。」

地面に勢い良くバチバチと当たる雨から、通り雨であるのを祈る。
しかし天気予報では台風が近づいていることから、それも望み薄かもしれない。

「に、兄さん...」

今にも泣きそうなくらい、か細い声で呼ぶ。
雨で濡れた服がベッタリとくっつき、肌が透けて見える。
目は涙目うるうるで上目遣い、しかも濡れた髪が頬に張りつき、零れ落ちる水滴があまりに艶っぽくい。
ゴクリとツバを飲みこみ、ピシっとシンジの理性にひびが入った。

(...はっ、なにを考えてるんだ、レイは不安なんだぞ、それなのに...僕って最低だ!)

決壊寸前でなんとか堪えるシンジ。
しかし堤防はいつかは決壊するもの。

すす...ぴと

不安と怖さと寒さからレイが身を寄せてきた。
シンジの腕に濡れた服が冷たかったが、ふにっと柔らかな感触が走る。

(ちょ、ちょっとレイ...)
「に、兄さん...」

さらに強く押しつけられる胸の感触により、シンジの理性という名の防波堤に亀裂が走る。
「ピシピシ」 ではなく、地割れの如く 「ビキビキィ!!」 であった。
だがなんといってもレイは大切な妹。
溢れ出る欲望と闘いながら、なんとか平静を保とうとして、レイから視線を逸らす。
するとどうだろう、1軒の小屋が見えた。
おそらくは物置なのだが今は雨露、風がしのげる唯一の場所。
...なんとなくだが、さらに深みに入ってしまいそうな雰囲気になるとは、今のシンジには思いもよらなかった。










「レイ、あそこに小屋があるよ。
 そこに行こう。」



第六拾八話  完






―――予告―――



いつも子供たちがお世話になっております...母親のユミです

雨が降ってるけど、あの子たち大丈夫かしら?

そうそう、雨といえば思い出すわね...あの人とのことを

木の下で雨宿りをしたとき、寒さで震える私を抱き寄せ...ふぅ(うっとり)

寒かったけど、あの人と触れ合った唇は暖かかった...ってそんなことより来週の話ですね

あら、あの子たちったら...愛し合ってるんなら問題ないのかしら?





次回

大切な人への想い

「過ぎ去った夏(其ノ拾弐)」



注) 変わるかもしれません





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