年号がまだ大正と呼ばれていた昔

兵庫県の西宮市に一つの球場が誕生した

そこでは数多くの名勝負、偉大なる選手が現れ、そして消えていく

百年近くの間、高校球児たちの道標、聖地としてその名を馳せる

そしてこれからも...




全国の球児たちの憧れの地

その球場の名は甲子の年に完成したことから

甲子園と名づけられた




今年も甲子園を舞台にした多くの物語が綴られる...




















甲子園を借りた練習日−−−
第壱高校の全部員が純白のユニフォームを身にまとい、甲子園に入った。

カンカンカン...

スパイクがコンクリートを踏む音が静かな空間に響く。
冷たく永く伸びる廊下を歩き、彼方に見える僅かな光の方向を目指す。
その間、誰も口を開こうとはしない。
歴史の重さがそうさせているのか...

ザ...

グラウンドに出て、スパイクで土を踏みしめる。
感触はどこの球場も同じだが、今日ほど自然と胸が高鳴ったことはない。

「ここが甲子園か...」

誰からともなく漏れる言葉。
まだグラウンドに一歩踏み入れただけだというのに、想いの深さからか熱い何かがこみ上げてくる。
置かれたベースや引かれたライン、若々しい天然芝など、ここにある全てが違って見える。





ザ...

シンジはダイヤモンド内に入り、そのままマウンドに上がる。
頂上に置かれたピッチングプレートは、まるでこの日のために磨かれているようで真っ白だった。
そっと手を伸ばして触れてみる。
普段は足で踏みしめているので、違った感触がする。

ザザっ...

改めてマウンドに立ってバッターがいる方向を見据える。
目を閉じて想いを馳せるだけで試合の光景が映り、知らず知らずの内に手は堅く握られていた。
そこには誰もいない。
だがシンジの目には、はっきりと自分を大切に想ってくれている人の姿が映し出されている。





今から二年前、3人の少年たちが同じ夢を見ながらも別れた。
違う道をそれぞれが歩み、二年という時を経て再会を果たし、多くの球児の憧れの地で初めて相まみえる。
ライバルとして、同じ夢を見る同志として、そして二年間の想いがここでぶつかり合う。










「きたよ...レイ...」











大切な人への想い

第八拾話 憧れの地











ヒュッ...パーン

キャッチボールをしても甲子園での練習は何かが違う。
気が引き締まり、今まで味わったこともないような充実した気分になる。

キン!
ザザザっ...パシィ!

体が軽くボールをさばく動作が素早い。
何一つとってもいつもと感じが違っていた。





「よおタツヤ、今回は運が良かったな」
「あのなヨウスケ、オマエらがオレをどう思ってるかが判ったよ...」

昨日、ついに甲子園の組合せが決まった。
第壱高校の1回戦の相手は、共に初出場の富山県代表だった。
野球部の大方の予想を外して強豪ではなく、実力は第壱高校と同程度の学校だ。
その事実が告げられたとき部員たちは冗談かと思ったり耳を疑ったりと、まったく信じられなかった。
付け加えるのならば第壱高校の初陣は初日の第1試合、つまり開会式直後の試合である。
運良く(?)選手宣誓は免れたが、栄えある第1試合に第壱高校は登場する。
だが運が悪ければそのまま第三新東京市へ帰っていく。

「なんとしても校歌は唄いたいな」

タツヤの想いにヨウスケが頷く。
校歌を唄う、つまり試合に勝つということだ。
しかし前評判では相手校と戦力が拮抗しているので勝敗の行方は判らない。
従って人事を尽くし、天命を待つしかない。
肝心の人事の方はというと...

ザ...

ブルペンで大きく振りかぶるエースのシンジ。
ボールを投げるときの眼光はいつもと変わらず鋭い。
他の部員はというと甲子園にきて浮かれているのか動きがいつもと少し違う。

「やれやれ、少しはシンジを見習えって...」

自然と愚痴が出る。
だがキャプテンである以上、こんな状況は見過ごせない。
部員たちに檄を入れ、気を引き締め直す。

「オマエら、声出していけ!」
「「「オウっ!!」」」

夏の太陽の下で練習は進んでいった。











「ここが甲子園か」

マナからも誰もが口にする言葉が出た。
ベンチから見る憧れの地。
球児としてではなくマネージャーとして小さな頃からの夢だった場所にきた。

ジャリ...

グラウンドの土を触ってみる。

「ふぅん...なんだ、ただの土じゃん」

そんなことを言っているがマナの顔はニヤけていた。
グラウンドを見れば想い人のムサシが所狭しと動き回っている。
浮かれているのが一目で判るのだがムサシの想いを知っているだけに微笑ましく見ていた。
他の部員たちも同じである。

(この日のためにマネージャーをやってたんだな...)

そう思うだけで胸がいっぱいになる。
どんなに願っても、甲子園の土を踏める学校は少ない。
僅かな席を巡ってしのぎを削り、腹を探り合い、全力を尽くす。
苛烈を極めた闘いをくぐり抜けてきた学校だけが今、ここにいられる。

「みんなガンバってきたもんね」

マナは優しい目で憧れの地での練習風景を眺めていた。











カキン!
...ザザザっ、パシィッ!

軽快な足さばきで打球への最短距離を走る。

「フジオ!」

体勢を立て直すやいなや二塁に送球する。

「ハイっ!」

ベースカバーで二塁を踏むと同時にミットにボールが入った。

「望月先輩っ!」

流れるような仕草で一塁に投げる。
そしてファーストのヨウスケがキャッチして6・4・3のゲッツーとなる。

「やっぱり甲子園での練習は一味違うな」

ケイタはグラウンドの土を確かめるように踏みしめる。
ときおり吹く風が火照った体と心を冷やす。
憧れの地に立っているのだから気持ちが昂ぶるのもムリもなかった。










キン!

打球は外野方向へ高く上がった。

ザザザ...

ムサシは打球を追いかける。
落下地点を見極め、すぐに捕球態勢に入る。

パシィ...ザザっ

「だりゃあああああ!!」

ブン!

ムサシの返球は唸りを上げて飛んでいく。
返球先はもちろんバックホームだ。
方向、スピードともに狂いは無く、いつも以上に気合が入っているのが誰の目にも明らかだ。

「相変わらず元気だなオマエは」

半ば呆れた感じのライトのリュウスケ。

「そういう榊先輩こそ顔が弛んでますよ」
「そのぐらいは勘弁しろよ」

高校生活最後の夏に、一時はあきらめた場所に立っている。
野球部に誘ってくれたタツヤや苦楽を共にしてきたシンジたちには感謝の言葉もない。
リュウスケはグラウンドに散らばる仲間たちを頼もしげに見ていた。

「野球やってて良かったですね」
「そうだな...」

ムサシが冗談めかしてリュウスケの今の心境を語った。










ザ...

大きく振りかぶり、ミットを構えているカヲルを見据える。
遠くから見れば小さく見えるが、シンジにとっては頼もしい大きな構えに見える。

ビュッ!

上げた足が大地を踏みぬいた瞬間、ボールが放たれる。

ギュンっ!

風を切る音がした。

スパーン!

次の瞬間にはミットに突き刺さる。
ボールを受けたカヲルの表情が僅かに歪んだ。

「...いつにも増して威力のあるボールだね」

左手からしばらく痺れが取れない。

「大丈夫カヲル君?」
「心配することはないよ。 それにキャッチャーとしては嬉しいくらいだからね」

心配するシンジに微笑む。
ピッチャーのボールを受けるキャッチャーにとって、球威が増すことほど嬉しいことはない。
多少の痛みもピッチャーの成長に比べれば安いものである。

「甲子園に立った心境はどうだい?」
「ははは、今でも信じられないよ。
 ここにこうして立っていられるのも、実は夢だったりして」










☆★☆★☆










十六夜高校野球部は甲子園練習のためにすでにグラウンドに到着した。
早くきすぎたせいもあって、前の学校の練習を見ようと集まっている。

「おお、やってるやってる」
「で、どこの学校なんだ?」
「たしか第壱高校って新東京区の学校だぜ。
 ちなみに初出場だってよ」
「初出場ねぇ」

その一言に甲子園常連校の余裕を感じさせる。
確かに第壱高校の練習内容は十六夜高校から見ると低い。
しかし今、見えているモノが第壱高校の全てではない。
それを知っているケンスケの目はシンジだけを見ていた。

(...予選のデータとあまり変わらない
 見るべきものはないか...)

シンジが本気で投げていないのは判ってはいたが、やはり残念だったようでガッカリと息を吐いた。
他のメンバーの練習をざっと見ても、これといった者がいるとは思えない。
ケンスケがベンチに向かおうとしたとき、1人の記者が近づいてきた。

「相田、ケンスケ君...よね」
「は、はい...そうですが...」
「キャーーーー、良かったぁ!」

至近距離からの大音響が耳を突き抜ける。
誰もかれもが驚いて振り返った先に見えたのはベンチからズリ落ちたケンスケと、ひたすら謝る女性記者だった。





「岡沢アキ...スポーツ記者ですか」
「そうよ。
 まだ駆け出しだけどね」

アキは何事も無かったようにケンスケの隣りのベンチに腰を下ろす。
一人になりたかったケンスケにして見れば邪魔で仕方なかった。

「で、取材ですか?
 もしそうならちゃんと監督の許可を取ってくださいよ」
「あら、私はただ練習を見にきただけよ。
 気にしない気にしない」
(ったく...これだからマスコミは...)

アキの神経の太さにうんざりしてケンスケは第壱高校の練習を眺める。
もちろん狙いはシンジだ。
アキはそんなケンスケを横目で見ていた。

「今練習してるのは第壱高校っていってね、新東京区の代表よ」
「知ってますよ。
 初出場でしょ...」

気乗りしないながらも、律儀に答える。

「でも結構変わってる学校なのよ。
 知ってる?」
「何が...ですか?」
「この学校の柱となる選手ってね、他の部から引き抜かれてきたのよ」
「引き抜き?」

その言葉に僅かだがケンスケの目が光ったのをアキは見逃さなかった。
ケンスケの反応を楽しんでいるようにアキは続ける。

「まずは四番の榊リュウスケ。
 高校二年の夏まではテニス部のエースとして活躍してたんだけど、突然野球に転向。
 調べてみると中学生の頃までは野球部に所属、スラッガーとして結構有名だったらしいわ」
「さすがマスコミ。
 選手の過去を調べるなんて朝メシ前ってヤツですか?」

ケンスケはイヤミを込めて言ったつもりなのだが、アキは微塵も気にしていない。

「はっきり物を言うタイプなのね。
 キミの印象が変わっちゃうな」
「別に好かれようとは思ってないですから...」

色々と会話を交わしてはいるが、ケンスケの目は一度もシンジから離れていない。
そしてメガネの奥に輝く目の光が増している。
相田ケンスケの洞察力、観察力、分析力が高いのは良く知られている。
アキは自分の目に狂いがなかったのを確信した。

「第壱高校のエース、碇シンジ。
 ちょっとこのコには興味あるのよねぇ...」

わざと含みを持たせる言い方。
ケンスケの反応を探るためなのは判っていた。
だがケンスケとしてもアキがどこまで知っているのか見極めるため、続けることにした。

「スピード、コントロールともに申し分は無し。
 甲子園に出てくるだけはありますね。」
「それだけのコだったら興味ないわ。
 ...彼には他のコには無い 『何か』 があるのよ」

今までとは違い、記者としての鋭いアキの視線がシンジを捕らていた。
どこにでもいそうな少年がその瞳に映る。
記者であるがゆえに、知りたいと思ったことはどんな手段を使ってでも調べるつもりだ。

「『何か』 って一体なんなんです?
 ちゃんと調べてあるんでしょ?」
「タハハ、痛いところを突いてくる...
 現在調査中よ、悔しいことに」
「良く聞く言葉ですね」

アキは笑って見せたが、どこからどこまでが本当なのか判らない。
自分にアプローチをかけてきたことを思えば、いくらだって疑える。

(シンジの過去を調べれば必ずオレやトウジと結びつく...だが...)

高校生となった今では中学時代、3人が同じチームにいたことはあまり知られていない。
知っているのは地元か極々一部の人間だけで、1年経った今でもそうだった。
本人たちもあまりしゃべろうとはしなかったのも理由の一つ。
現実とは常に非情なモノだというのを知っているからである。





「ま、調べ始めたばかりだから判らないだけよ。
 必ず突きとめて見せるわ」

何も知らないアキは自分の好奇心を満たしたいだけかもしれない。
ケンスケはそんなマスコミ連中がイヤだった。










☆★☆★☆










「よしっ時間だ。
 甲子園の練習はここまで!」

加持が監督らしくしめる。
甲子園を使った練習は意外に短い。
開幕が間近に迫った今、49校全てがやるとなると一校あたりたった30分である。

「もう終わりなんですか?」
「そうだ。
 すでに次の学校が待ってるんだ、早く上がるぞ」
「「「は〜い」」」

後ろ髪引かれる思いでグラウンドから引き上げる。
ふと見ると次の学校が準備を終えて待っていた。

「もうきてたんだ。
 ...赤いアンダーって珍しいな」
「えっ?!」

ムサシの言葉にシンジが反応した。
数ある学校の中でも白のユニフォームに朱色のアンダーを使う野球部は少ない。
しかも甲子園に出場する学校ともなると思い浮かぶのはただ一つ。

「十六夜高校...ケンスケは...」

シンジはとっさにケンスケを探した。
甲子園入りした日に再会を果たし、今だ消えぬ傷痕が残ってはいるがかつての親友である。

ス...
「えっ?」

シンジのそばを通り抜ける影。
慌てて振り返ったが、あちら側は背中を向けたままだった。
しかし背番号を見たとき誰かは判った。

(ケンスケ...)

背中に張られた6の数字は、リトルリーグの頃からずっと変わらないポジションだった。
懐かしい想い出が蘇り、シンジはケンスケを呼び止めようとする。

「ケ...」

しかし最後まで言葉は出なかった。
ケンスケにしてもそうだ。
シンジに気づいていたにもかかわらず、何の言葉もない。
改めて今の距離を思い知らされた。

「...今の相田ケンスケだろ?」

いつの間にかムサシが近くにいた。
実はずっと近くにいたのだが、シンジが気づかなかっただけであった。

「声かけなくていいのか?」
「うん...
 ケンスケって神経質なところがあるから、なんだか声かけずらいんだ...
 特に今の時期はね」
「ふ〜ん、そんなモンかね...ってオマエ顔色悪いぞ、大丈夫か?」
「...だ、大丈夫だよ。
 うん、何ともないから...」

しかし誰が見てもシンジの顔色が優れていないのが判った。










「ちょいと見てくか?」

というムサシの誘いで何人かは甲子園に残ることになった。
十六夜高校という優勝候補に名を連ねる学校以上にシンジの親友である相田ケンスケに興味があった。

「相田ケンスケは...あ、あのショートか」

ケンスケは守備練習でノックを受けていた。
内野手としての能力、反応の早さ、守備範囲の広さなど、どれを取っても一級品。
ケイタも同じショートを守っているが、どう見ても同じポジションの人間とは思えない動きを見せていた。

「...さすがはシンジの親友ってヤツか...」

同じ高校生であるのに、ここまで能力の違いがある。
全国のレベルというのが何となく判ってきた。
しかしケンスケの能力はそれだけではない。

「な、なんだぁ?
 色々と指示を出してるぞ」
「ホントだ。
 普通は監督とかキャプテンが出すのに...」

ムサシとケイタが見た先では、ケンスケが様々な状況を仮定して的確な指示を送っていた。
しかもナインたちが指示に合わせて展開していく様子は素早くてムダがない。
どれだけ練習しているのかが一目で判るくらいだった。





「キミたちは十六夜高校を初めて見るの?」

近くで見ていた女性がムサシたちを見て笑っていた。
口を半開きにさせたムサシがおかしかったのだろう。

「変わっているでしょ、この学校って。
 一体誰がキャプテンなんだか」
「え〜と...どなた、ですか?」
「あ、ゴメンなさいね。
 私はこういう者よ」

そういうと1枚の名刺を出す。
それをムサシが受け取って名前を読み始めた。

「...岡沢アキ...
 スポーツライターですか」
「よろしくね、新東京区代表の第壱高校のみなさん」

ニッコリと笑顔を向け、丁寧にもその場にいた1人1人に握手をする。
そして最後にシンジの番となったが、アキの手がそこで止まった。
しかもジロジロと値踏みをするようにシンジの体を見ている。

「...あの...何か?」
「ふふ、キミにはちょっと興味があってね」
「「「な、なななっ!?」」」

アキは大人の女の笑顔を向けた。
当然シンジは動揺し、ムサシたちは 「なぜシンジだけ?」 と腹が立つ。
幸いなことにレイはいなかったが、精神的なダメージは受けずともムサシたちにより肉体的なダメージを受けることになった。
ゴスゴスとやっかみを受けるシンジを見てアキはクスリと笑う。

「碇シンジ。
 新東京区の優勝候補だった相洋高校、柏陵高校の強豪を相手に投げ勝った第壱高校のエース」
「...僕のこと知ってるんですか?」
「去年まで泣かず飛ばずの学校がいきなり甲子園に上がってくるんですもの...必ずチームの柱となる人物がいるわ」

アキの雰囲気はガラリと変わっていた。
さすがスポーツ記者をしているだけあって、人を見る目はあるらしい。

「でも良く知ってるよね、オレたち初出場なのに」
「そうだよなケイタ、世間じゃウチの学校はDランクになってるってのに
 初出場校にはホント冷たいよな甲子園って」

ムサシとケイタは二人一緒にガックリと肩を落とす。
新幹線の中で見た雑誌のことをいっているらしい。

「データがあまりないんだから仕方ないわよ。
 それにね...」
「それに?」
「辛うじて勝ったって感じだからねぇ」

言葉とはえてして直接的なダメージよりもクリティカルになる確率が高い。
が、アキの言葉はそれ以上に鋭かった。
面と向かって言われてムサシたちは追い討ちをかけられた。

「...ハッキリ言うタイプなんですね...」
「記者たる者、物事は正確に判断しなくちゃね」

最後にシンジと握手したとき、ちょうど十六夜高校の練習時間が終わった。
良く見るとたくさんとまではいかないが、何人かの記者が集まる。
それを見たアキが慌てて荷物を抱え出した。

「さて取材取材。
 じゃ、ガンバってね碇シンジ君」

小さく手を振ってアキはグラウンドへと向かった。
しかも素早くあっという間にケンスケの近くに辿り着いている。
ムサシはもらった名刺をもう一度見て名前を呟いた。

「岡沢アキさん...か。
 ストレートにモノを言う人だな」
「マスコミって大概はそうなんじゃない?」
「だよなケイタ。
 キレイな人だったんだけどな...」










☆★☆★☆










「そういや組合わせが決まったんだってな」
「甲子園だろ?」
「それ以外に何があるっていうんだよ」

東雲高校でも季節は夏というワケで校内は甲子園の話でいっぱいである。
優勝候補筆頭に名を刻む東雲高校は今年も全国制覇に向け、生徒たちも先生たちも盛り上がっていた。
当然選手はもちろんベンチ入りも果たせなかった部員も同じだ。

「今年はめぼしい学校はないなぁ」
「そうそう、甲子園出場経験があっても上位に食い込んだことのある学校は少ないな」
「あっても去年ベスト8止まりの十六夜高校か...
 今年もウチで決まりだな」

夏の炎天かの中、練習が繰り広げられているグラウンドの片隅で聞こえる会話。
しかしこれは二軍である。
甲子園の土を踏む一軍は...

キィン!

快音を聞かせて飛ぶ打球。

バァン!

重い音を響かせてミットに突き刺さるボール。

「さっすが一軍...」

組合わせが決まっても顔色一つ変えずに普段の練習をこなしていく。
いや、より一層熱を帯びているのかもしれない。
最強の学校の名に恥じない練習光景、東雲高校の一軍の練習だった。
中でも...

ガキィン!

一際カン高い音をさせて飛んでいく打球はフェンスを越える。

ガキィン!

再びボールは柵越え。
二軍の選手やそれ以下の部員はみなこのバッターに釘付けになる。
見物にきたギャラリーは言うに及ばず。

「おいおい...なんだかヤケに気合入ってるな鈴原先輩。
 相手になるようなピッチャーはいないはずなのに」
「よく言うだろ、獅子はウサギを狩るのにも全力を尽くすって。
 あの姿こそ我が東雲高校の四番さ」

球拾いをしている一年生部員の声。
彼らとて中学時代はそこそこ名の知れた選手だった。
しかしここは名門東雲高校の野球部である。
さらに上にいる存在に憧れていた。

「あの人がいる限り、我が東雲高校も安泰だな」

そう、憧れているだけ...
野球部であるのにどこか他人事に聞こえてしまう。
信頼しきっているのか、はたまた自分たちとは違う人間だと勝手に線を引いてしまったのか。
グラウンドの外、フェンス際まで来ているギャラリーの、さらに後方で見ている少女にはそう聞こえた。

「...そういっていられるのも今のうちよ...」

少女の蒼い瞳に映るのは最強の四番、鈴原トウジ。
しかし少女の心にはエースの姿しか見えない。





ザ...

フリーバッティングで投げるピッチャーがモーションに入る。
東雲高校の二軍のピッチャー。
しかし少女にはあるエースの姿とダブる。
モーションも姿形も違うのに、二年間待ち続けたエースの姿が映っていた。





ガキィン!

ボールはフェンスを越えた。

「まだやるのか、鈴原?」

ピッチャーは投げるボールがなくなって困り果てているのに四番はなおも構えている。
ホームランを何本も打っているのに、トウジは打った気がしていない。

「お願いします」

闘争心をむき出しにしたバッターに周りから聞こえる声援は全て集まっていた。
どこから見てもミーハーな女の子たちである。

「ふんっ...せいぜい今のうちにチヤホヤされとくのね...」

少女は機尾を返して練習場から去っていく。





「何今のコ、感じ悪くない?」

先ほどの言葉を拾った女の子が苛立たしげに呟く。
だが近くにいた友人がそれを抑える。

「滅多なこといわない方がいいわよ...」
「同じ学校で、しかもあの鈴原トウジにあんな言い方ないでしょ」
「彼女よ、ほら...惣流アスカ...」

その名前を聞いた途端、冷水をかけられたように黙り込んでしまった。





「あのコが...いわく付きの...」










☆★☆★☆










時は流れて夜。
ホテルの廊下は窓から差す月明かりで照らされていた。
シンジは淡い光につられて空を見上げた。

「レイ...」

夜空に浮かぶ月はイヤでも妹を思い出させる。
目をつぶるだけで月を見上げるレイの姿を鮮明に思い浮かべることができる。
夏の空の色の髪、燃えるような紅い瞳、透き通るような白い肌。
想い出すこと全てが昔の幸せな頃のままだった。

「...ふぅ」

しかし目を開ければ現実へと戻り、妹はもうそばにいない。
月は流れてきた雲に隠れて辺りは闇に閉ざされる。





カタ...

シンジの後ろで物音がした。
振り返るが暗くて誰だかは判らない。
しかし雲が切れて月明かりが照らし、そこにいたのが綾波レイだとすぐに判った。
だが淡い光に照らされたレイの髪の色が変化して角度によっては水色に見えなくもない。
そんな綾波レイを見て、シンジは呆然としてしまった。

「...シンジさん?」
「...あ、綾波か。
 お風呂入ってたの?」

レイは着替えとタオルを持っていた。
髪の毛もまだ乾いてなく、頬も上気してほのかに赤く染まっている。










「長年の夢、甲子園の土はどんな感触でした?」

レイはいつも通りに当たり障りのないことを話しているが、シンジの動きを一つも見落とさないように気を配っている。
恋人としてマネージャーとしてはもちろんだが、甲子園にきてからというものレイにはもう一つの目が働いていた。

(さっきの一瞬の間って...多分、レイさんを思い出したのかな...)

女としてのカンが働き、どうしても六分儀レイに対して嫉妬してしまう。
自分を通して六分儀レイを見ているかもしれないシンジを疑う。
そして惣流アスカとの関係が心にひっかかる。

(シンジさんの帰りを二年間待ち続けた惣流アスカさん...
 そして二年前に死んだ六分儀レイ...)

それはつい数日前に知った総ての事実。
碇シンジの口から聞いた過去。
洞木ノゾミから聞いたそれからの二年間。
そこには六分儀シンジへの六分儀レイの想いと惣流アスカの想いが詰まっていた。
自分の考えの及ばない怒りや憎しみ、果ては愛が感じられる。

(勝てるかな...この二人に...)

甲子園にいられるのは長くてもあと2週間。
その間にシンジたちは過去と決別する気でいる。
残り僅かな時間で今まで築いてきた関係が崩れてしまうのではないかと思うとレイの心は大きく揺れる。

「...波!
 綾波!」
「は、はいっ!?」
「どうしたの、ボーっとしちゃって?」

シンジは心配そうにレイの顔を覗き込んだ。
その優しい目を見るだけでレイは自己嫌悪に陥る。

(自分の恋人も信じられないの、私って?)

シンジの瞳の中に映る自分が、まるでそう言っているようだった。
しかし今のレイにはしっかりとしたモノが欲しかった。
すぐそばにいるのに果てしない距離を感じてしまう。





「...ねぇ、シンジさん...
 私、シンジさんのこと、好きなんですよ...」

やっとの思いで口にした言葉。
だがシンジをまともには見れなかった。

「うん、僕も綾波のことが好きだよ。
 ...でもなんでそんな判りきったこと聞くの?」
ちく...

シンジはただ聞き返しただけだったが、その言葉にレイの心が痛む。

「...綾波?」

シンジがレイの顔を覗き込んだ。
その瞳に映っている自分と六分儀レイがダブる。
写真でしか見たことのない水色の髪と紅い瞳。
そこには綾波レイはいなかった。





「シンジさんっ!」

一瞬のことだった。
二人の距離が縮まり、レイはシンジの胸に顔をうずめた。

「ちょ、ちょっと綾波!
 一体どうしたの...さ?」
「ゴメンなさい...
 しばらく...しばらくこうしていたいんです。
 ...ゴメンなさい...」
「綾波...」

そのときやっとレイが震えているのに気づいた。
小さな肩と力を入れれば折れてしまいそうな細い腰。
シンジはただ謝るだけのレイを抱きしめるしかなかった。
かつての妹、六分儀レイのように...










☆★☆★☆










そして深夜の誰もが寝静まった時間−−−

カタカタカタカタ...

十六夜高校が泊まっているホテルの一室で端末を叩いている少年がいた。
光り輝くメガネとキーボードを打つ流れるような手つき持つ相田ケンスケである。
目の前のディスプレイには大量のデータが流れていく。

「ふぅ、今日はこのぐらいにしておくかな。
 ...げっ、もうこんな時間かよ」

近くにある時計を見るとすでに日が変わっていた。
そして時計の近くには1枚の名刺が置かれている。
ケンスケは名刺を取って中央に書かれた名前を読む。

「岡沢アキ...
 マスコミはイヤだが、使えそうな人だな」










甲子園開幕まであと二日−−−



第八拾話  完

 

第八拾壱話へつづく





後書き

えー...お久しぶりです。
前回からたっぷり4ヶ月空いてしまいました。
空きすぎて話しの書き方を忘れてしまうほどです(笑)
さて7月の中旬ということで世間では甲子園の予選が始まりました。
嗚呼、夏がきたなって感じです。
連載を中断したのが春だったのに...と、まあ悪いことだけではなく、一度話を見直すきっかけにもなりましたね。
話の筋をゆっくりと思い直していたところ二転三転と転がってしまい、今まで立てていた話の予定に大きな影響が出ました。
よって以前書いた甲子園編の予告とは異なる展開が...

なんにせよまだ始まったばかりなので気長に読んで下さい。
ブランクが長かったので週一ペースは当分無いでしょう。





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