第1日 第1試合
富山代表 砺波高校 対 新東京代表 第壱高校
ともに初出場校同士−−−
開幕第1試合ということだけで、それ以外何も注目されない試合だった。
しかし現実には...

《三振、また三振です!
 第壱高校のエース、碇シンジが奪った三振はこれで15コ目!》

アナウンサーがマイクに向かって叫ぶ。
ほとんどの人間が予想し得なかった試合が展開されていた。
トウジもケンスケも...

《これでアウトカウントは26コ!
 残るはあと1人、あと1人でノーヒットノーラン達成!》

ノーヒットノーランという記録を前にした打席に向かうバッターの顔には焦りが見える。
自分が最後のバッターになるかもしれないことを考えると当然だ。
スタンドからは否応無しにマウンドに立つエースを称える声が聞こえる。

(あと1人...)

誰もが頭の中に思い浮かべる。
エースとしてマウンドに立つ者なら一度は達成したい偉業。
その記録を目前にしてシンジは軽く腕を回す。

(...大丈夫だ...)

まるで勝利をその手に取るように、右手をグッと強く握り締める。
カヲルから最後のサインが出されると大きく頷き、投球フォームに入った。

《最後のバッターに向かってエース、碇シンジが振りかぶって...》










そして甲子園は歓声に包まれた。











大切な人への想い

第八拾参話 闘いの準備











甲子園に第壱高校の校歌が流れた。
勝利の証である。
一列に並んだ球児たちが、スタンドの生徒たちが歌う。

「...第壱高校〜♪」

終わった瞬間、第壱高校野球部は三塁側アルプススタンドに走る。
初出場、初勝利の余韻が収まらず笑顔が止まらず、我先にと駆けていく。
フェンス越しには勝利を祝う同じ学校の生徒たちがいた。
第壱高校野球部は帽子をとってそれに応える。
しかしシンジは一歩離れた場所から、その光景を見ているだけだった。

「どうしたんですかシンジさん...?」

ユニフォームを着たシンジたちとは違い、レイは学校の制服に野球部の帽子をかぶっていた。
表情はチームが勝ち、シンジがノーヒットノーランを達成したのに、笑顔はなかった。

「嬉しく...ないんですか?」

原因はいつもの笑顔が見えないシンジにあった。
甲子園初勝利、しかもノーヒットノーランのおまけ付きにもかかわらずだ。
同じ勝利の美酒を味わっているはずなのに、目の前の仲間たちとは大きく違っていた。

「...まだ、始まったばかりだからね...」
「そう...ですか...」

2人で並んで仲間たちが喜ぶ姿を眺める。
同じ仲間なのにシンジの目の前には大きな隔たりあるようだった。
そして第壱高校野球部はグラウンドを後にした。





加持を先頭にグラウンドから去ると次に待っているのは当然マスコミたちだった。
全員こぞってシンジになんとか一言もらおうとしている。

「碇シンジ君、ノーヒットノーランおめでとう!」
「ひょっとして始めから狙ってたのかな?」
「何か感想を一言...」

カメラのフラッシュと一緒にたくさんのマイクが差し出される。
第1試合にしてノーヒットノーランの記録を立てた。
その本人は端正な顔立ちとは裏腹に相手をねじ伏せるような剛腕を持つ。
話題性、スター性、共に申し分ナシ。
無名だった学校が一気に有名になった瞬間だった。

「...はい、自分の力を試してみたかったんです。
 それがこのような記録を創ることになって...」

一つ一つ丁寧に答えていくシンジ。
流れ落ちる汗も、汚れたユニフォームも、全てが輝いて見える。
いつかきっと、誇れるエースになりたい−−−
幼い頃からの願い。
シンジの、レイの、そしてアスカの願いだった。

「シンジ...」

ブラウン管越しに見えるかつての幼なじみの姿に涙を流すアスカ。
夢に見た光景がそこにあった。

「す、すごいわねシンジ君って...
 あんなにカッコよかったっけ?」

良い方向に変わった姿を見てキョウコは驚いていた。
なまじ二年前の事故を知っているから信じられない。
輝かしいばかりのフラッシュに包まれるシンジ。
インタビューを受けるたびに優しい笑顔で答える。
その右腕はノーヒットノーランの偉業を成し遂げる力を秘め、ヒーローと呼ばれるのに相応しい力を持っていた。

「良かった...」

アスカは自分のことのように喜ぶ。

「シンジ...シンジ...!」

普段は見せない喜びの感情が浮かぶ。
あの日以来、消えてしまった笑顔が戻ってきた。
眩いばかりの笑顔を消したのもシンジ。
しかし戻したのもまたシンジ。
キョウコはアスカにとってシンジの存在が大きいことを改めて知ることとなり、同時に自分たちの知っている六分儀シンジが、どこか遠いところにいってしまったように思えた。

「碇...か...」










☆★☆★☆










「これがシンジのピッチングか...」

ミーティングルームではケンスケが1人で第1試合のVTRを見ていた。
姿こそ成長したものの投球モーションなどは二年前のままで、幾分懐かしく想える。
ピッチャーの教科書のような綺麗なモーションから投げるボールは軽く140km/hを超えていた。

「ストレートにフォーク...たったこれだけの球種でノーヒットノーランか。
 ...やはりシンジのコントロールには恐れ入るな」

ケンスケの頬に汗が流れ落ちた。
暑さからか、それともシンジの力を改めて知ったからなのか...
気持ちを落ち着かせるために、置いてあったコーヒーを口に含む。

「しかし予選での試合の組立て方とはまったく違うな...
 まるで自分の実力を見せるように...」

予選のシンジは抜群のコントロールを駆使して打たせて取るピッチングだった。
だが甲子園でのピッチングはケンスケの言う通り違い、力でねじ伏せるようなピッチングだ。

「砺波高校の打線は甲子園に出てきたんだ。
 決して低いとは言えないはず...」

ノーヒットノーランに加え、15奪三振。
外野まで飛んだ打球はわずかに2球で、しかも浅い外野フライだった。
唯一、非を付けるのならば、5回に見せた振り逃げだけ。
記録上は三振であるため、ノーヒットノーランになる。
ケンスケは息を大きく吐いて、今まで立てていた対シンジ用のプランを練り直すしかなかった。

「...あんなピッチングをされたらウチの打線でも難しいぞ...」

目をつぶって試合の構想を練るが、口に出した言葉通り、良い案が浮かばない。
それならばとシンジを打ち崩せそうなバッターを記憶の中から探そうとする。
すると答えはすぐに出た。

「...トウジぐらいか...」

シンジ同様にトウジのことは誰よりも知っている。
敵同士に別れ、唯一倒せそうなバッターもまた敵であることは皮肉であった。

「...トウジのトコも今ごろ大慌てかな...」










「う〜ん...これが 『碇シンジか』 ...」

東雲高校では監督の時田が第1試合のVTRを見て唸っていた。
一軍を率いる将として碇シンジの存在は優勝への大きな壁となっていた。

「何1人で唸ってるんですか監督」
「岩瀬か。
 いやなに...これを見てたら唸りたくもなるだろ」

リモコンでシンジのVTRをさす。
誰が見ても一級品のピッチングだった。
しかしここにいるのは、同じく一級品のピッチングを持つエースだ。

「あのぐらいオレだってやったじゃないですか」
「そうだったな...
 まるで去年のオマエを見てるようだな」
「もう少し自分のチームのことを信用してくださいよ。
 でなければ...」
「勝てないか?」

時田はトシフミの先を読んで言葉を出した。

「そうです!
 監督の動揺がチームに広がったら勝てる試合も勝てなくなりますよ」
「じゃあ勝つ自信はあるんだな?」

時田の問いにトシフミは自信に満ちた笑みを見せる。

「もちろんです。
 オレたちは東雲高校史上、最高のチームだと自負しています!」

何人にも侵されざる絶対の自信。
トシフミの言葉には強い意思がこめられていた。
それを聞いた時田は満足そうに頷く。

「良い答えだ。
 期待しているぞ」
「はいっ!」

トシフミは一礼して退出した。
時田が窓際にくるとグラウンドでは部員たちが練習に励んでいる。
その一角ではバットを振り続けるトウジの姿が見えた。
聞こえるはずのないスイングの音が聞こえるかのような速さでバットを振る。

「少し不安だったが良い緊張感だな。
 岩瀬も鈴原も調子が良い...今年もいけるな」

傾いた太陽の光を浴びた部屋の中で時田の考えは確信に変わっていた。










☆★☆★☆










甲子園からさほど遠くない場所にある第壱高校の泊まるホテル。
そこにシンジたちを乗せたバスが戻ってきた。
朝は見送りのホテルの従業員しか見えなかったのに対し今では...

「な、なんだこの人だかりは...?」

バスから見える光景を目の前にしてのタツヤの第一声だった。
耳をつんざく黄色い声。
幾重にも並ぶひと、ヒト、人。
大抵このような人だかりの多くは女のコと相場は決まっている。

「「「キャーーーー!!」」」

シンジたちがバスから降りたと同時に押し寄せてくる人の波。
彼女らの目標は碇シンジ、ただ1人である。
当の本人は何が起こったのかも判らずに、キョトンとした顔をしているだけ。
成す術もなくカメラや色紙を持ったファンに呑まれていく...かに思われたが...

さっ

誰かが手を上げた。
それと同時にシンジたちのまわりに壁ができる。

「こ、今度はなんだぁ?」

人だかりの前にできた真っ黒なスーツに身を包む人たち。
180cmを余裕に越える身長と威圧的に見えるサングラス。
どことなく要人を守るために存在するSPに見えるのは気のせいだろうか...?

「伯父さん!」

シンジが声を上げた。
海を二つに割ったモーゼのように、割れた人だかりの向こうにはゲンドウとユイが待っていた。

「きてくれてたんだ。
 でも言ってくれればよかったのに」
「う、うむ...
 まあこれでも...忙しい身だからな...これるかどうか判らなかったんだ...」

ゲンドウの口からは途切れ途切れにしか言葉が出てこない。
隣りにいたユイと冬月は笑いを堪えるのに精一杯だった。

(可愛い人か...ユイ君の言ってたことが少し判った気がするよ)

などと冬月が考えているのを余所に一応監督の加持がやってきた。

「理事長と校長のお出迎え、痛み入ります」
「うむ、初戦突破おめでとう」
「これもシンジ君のお陰です」

シンジの方に話をふると再びゲンドウの様子が一変する。

「う、うむ...
 よくやったな、シンジ」
「おめでとうシンジ君」
「ありがとう伯父さん、伯母さん」

喜び合う親子。
家族という美しい絆である。
が、しかし...

「あ、あの理事長が照れてるぞ...」
「あの隣りの人がシンジのお母さんだろ...
 ってことは理事長の...?」
「美女と野獣...」
「第壱高校の七不思議だな」

普段が普段だけに、そんな考えしか思い浮かばない第壱高校野球部であった。
何も知らない一般の人に至っては、さらにひどかったという...





そして夜がふけると、今日は初勝利初戦突破ということで祝宴が挙げられた。
祝宴といっても酒が出る...ということはない。
さすがにそこは健全たる高校生、未成年であるがゆえ。
酒が出るのは大人たち、加持やミサト、リツコたちだけである。
高校生は高校生らしく騒いでいた。

「なあ見たか、オレのシブい当たりのヒット!」
「なに言ってるんだよ。
 あれはただのポテンヒットだろ」
「オレのセーフティバント見た?
 あのラインぎりぎりの絶妙な転がし方!」

今日の試合の活躍に花を咲かせる。
その一角で静かに騒ぎを見ているリツコ。
そこにカヲルがやってきた。

「こんばんは赤木先生。
 ちょっと頼みがあるんですが」
「あら珍しいわね、アナタが頼み事なんて」
「自分のミスでランナーを許してしまいましたから」

今回、唯一の失策を悔やむ。
記録上は三振だが、それでもエラーはエラーである。
それさえなければパーフェクトピッチングだ。

「で、私に何をしてほしいの?」
「実はキャッチャーミットを作ってほしいんです」
「キャッチャーミット?」

驚きの声をあげる。
博士号をいくつも持っているリツコに、この少年はそこらの業者さんに依頼することをしてきたのだ。
当然リツコの態度は冷たい。

「他をあたってちょうだい」
「そこをなんとか...
 次の試合まで1週間しかないんで、今から発注かけてもできる代物じゃないんですよ」

カヲルは本当に切羽詰った顔をしていた。
もともと根が優しいリツコは断るはずもなく、ため息をつきながらも結局は引きうけてしまうのだった。

「...しょうがないわね。
 で、どんなキャッチャーミットを作ってほしいワケ?
 普通のじゃないんでしょ?」
「そうなんですよ、じつは...」

カヲルが説明を始めるとリツコの目つきが変わる。
この2人の周りに漂う空気だけは他のそれとは違っていた。

「...確かに前例がないわね。
 でもそんなモノが必要になるシンジ君のボールって...」
「実際に見てみないと判りませんよ。
 知ってるのは僕とシンジ君と...あとはバッターだけです」

カヲルのいつになく真剣な顔が、事の重大さを物語っていた。

(後手に回る前に準備を進めないと...)





話が終わるとすぐに2人は元の顔に戻る。
カヲルは何事も無かったようにその場を去ろうとした。

「じゃ赤木先生、よろしくお願いします」
「...渚君、待ちなさい」

最後に引き止めるリツコ。
突然のことに不思議そうな顔を見せたカヲルにリツコが聞いてきた。

「改造する気はない?」










☆★☆★☆










テレビの光しかついていない暗い部屋にケンスケはいた。
見ているのはもちろんシンジの試合。
ケンスケは同じシーンを何度も繰り返し見ていた。

「やっぱりおかしいな...」

映像がスローに変わる。
シンジが投げたボールがベースを通過する瞬間...

「フォーク...だよな」

ボールはバットの下を通り抜ける。
しかしこの後、カヲルはボールを止めることができなかった。
カヲルは極めてミスの少ない選手で、ケンスケもそれは認めている。
にもかかわらず、ここではボールを受け止められなかった。

「.........」

何度も繰り返して見る。
心の中で妙な引っかかりがあった。

「ヘン、だよな...」

壊れたレコードのように同じところだけ何回も再生させる。
わずかな仕草、わずかなクセを見極めるためにケンスケはまばたきをしなかった。

(見た目はただのフォークなのに、なんで渚は止められなかった...?
 何かを...何かを見落としている...)

しかしこの時点で答えを見出すことはできなかった。
残るのは心に引っかかる、理由もわからぬ 『何か』。

「クサイとあたりをつけたなら...」

すぐさまパソコンを起ち上げる。
手馴れた手つきでキーボードを打ち始めるケンスケの目は、獲物を狩るハンターのように鋭く冷たかった。










(出遅れる前に準備をしなくては...な)

エンターキーをを押すとある情報が送られる。
それが引き金となり、歴史にその名を残すことになる苛烈な闘いが始まった。



第八拾参話  完

 

第八拾四話へつづく



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