陽炎が昇るグラウンド。
その一番高いところであるマウンドには最強のエースが立つ。
最後の打者に挑むトシフミの姿は9回を投げ抜いてきたにもかかわらず、大きく力強い。
(あと1人で終わりだ...
今日は球足がやけに早いから調子が良い)
帽子を脱ぎ、空を仰ぎながらユニフォームの袖で汗を拭う。
その表情にはまったく疲れは見えない。
むしろ心地好さが体を駆け巡る。
(碇シンジ...
鈴原だけでなくオレまでこんな気持ちにさせてくれる...
面白い存在だ...!)
キャッチャーとのサインも決まり、笑顔でうなずいた。
《エース岩瀬がうなずき、大きく振りかぶった!》
実況の声が響いた次の瞬間、トシフミが最後のボールを投げた。
スピードの乗ったストレートは力強く、まっすぐにミットに向かっていく。
バッターはプライドと最後の意地を見せ、鋭くバットを振った。
そしてスタンドからは歓声が鳴り、それが合図となって試合は終わりを告げる。
《東雲高校、星陵高校を破り、2回戦進出!》
完投完封無失策、しかも全員安打で15−0。
星陵高校相手にこれだけの大差を与え、優勝候補筆頭の名に間違いなしである。
中でも四番のトウジとエース、トシフミの活躍は最強の名に相応しい。
流れる校歌を聞きながらスタンドにいたケンスケはスコアブックをパタンと閉じた。
「トウジのところはこれでおしまい。
次は明日のオレの試合だな」
最後にトウジの姿を見てケンスケは出口へと向かった。
そして違う場所で見ていたシンジとレイも席を立つ。
「そろそろ帰ろうか、練習に間に合わなくなる。
...綾波?」
「あ、はい」
勝利に沸きあがるスタンドから2人は去る。
だがレイは後ろ髪ひかれる思いで、もう一度だけトウジを見た。
2本塁打、6安打、7打点と、最高の仕上がり。
にもかかわらずトウジの顔はずっと険しいままだった。
(なんで笑わないの...
あれじゃどっちが勝ったのか判らないよ)
大切な人への想い
第八拾六話 それぞれのポジション
フラッシュがたかれ、記者たちは何とかして一言をもらおうとマイクが差し出される。
試合直後の記者会見は付き物で勝者と敗者、双方に大勢の記者が集まっていた。
しかし今回だけは東雲高校の方が明らかに多い。
彼らのお目当ては当然、鈴原トウジである。
「まずは初戦突破おめでとう。
星陵高校相手に13得点、その内半分がキミの打点ですね」
「ありがとうございます...」
最初はありふれたことばかりが聞かれ、それにトウジは気のないような顔で短く答えていく。
(もう少し愛想を振りまいてもいいだろ...)
横にいた時田がそう思うほど今のトウジには表情というものがない。
これには記者たちも面食らった。
「...え、えーと、初打席でいきなりホームランを出すとはさすがですね。
あれは狙ってました?」
「緒戦ですから勢いをつける意味も持っていたみたいなものですか?」
「去年までとは違うのを示すためですか?」
トウジの態度に戸惑ったが、そこはプロの記者。
すぐに気持ちを切り替えて質問攻めにする。
が、トウジは慌てることもなく落ち着いて答えていく。
「四番が攻撃の中心になるのは当然です。
ワシはただその責任を果たしただけです」
「いやそうはいってもだね、星陵高校相手にこれだけの大差をつけるのは...」
気のないトウジをなんとか振り向かせようとして食い下がる。
そのとき、間に割り込むようにして誰かが聞いてきた。
「自分の力を見せつけなければならなかった−−−
そんな相手がいたんですか?」
ザワ−−−
その一言が記者会見場の空気を一気に変えた。
悪びれた様子もなく堂々とトウジの前に立ったのは岡沢アキ。
今朝の新聞でシンジたちにまつわるエピソードを書いた張本人である。
「例えば−−−
碇シンジ君...かな?」
妖しく笑う目はトウジの心の揺らぎを読もうとしていた。
普段なら質問攻めに遭って聞き取れないほど騒がしい場所なのだが、この時だけは水を打ったように静まり返る。
誰もがトウジの答えを待っていた。
「それとも...六分儀シンジ君って言い直した方がいいかな?
あなたがそれほどまで意識するライバルがいるとは...正直に言って信じられませんね」
最強と謳われたバッターが注目するピッチャー。
今までは同じチームのトシフミぐらいだろうと囁かれていたが、突如として現れたシンジ。
しかもかつての仲間、親友だったエース。
アキが投げかけた質問にトウジが動く。
「バッターとして強いピッチャーを意識するのは当たり前です。
それにシンジのことはよく知ってるつもりです...ここにいる誰よりも...!」
ライバルと認め、倒すべきかつての仲間。
アキの言葉を肯定する答えがトウジの口から出た。
そして...
「碇シンジを捕まえてコメントを取れ!」
「写真だ!
昨日のだけじゃないぞ、予選から全部だ、かたっぱしから集めろ!」
「第壱高校に連絡して取材申し込んどけ!
他社に追い抜かれるな!」
色めきだち、矢継ぎ早に指示が飛び交う。
蜂の巣をつついたように記者たちは散っていく。
時田はやや冷ややかな目で、その様を眺めていた。
「やれやれ...行動力だけは見習いたいものだな。
どうだ、碇シンジが自他ともに認めるライバルになった感想は?」
「どうもせぇへんです。
碇シンジだろうが六分儀シンジだろうが、どんなピッチャーだろうが倒すだけです」
「それが四番としての務めか...」
時田の言葉に返事はなかったがトウジの目を見れば十分だった。
静かにだが強い意思が込められた目を...
☆★☆★☆
喫茶店CAT'S EYE。
第壱高校野球部は、ほぼ全員が集まっていた。
ここは練習場である風早高校の近くにあるので、休憩もかねて東雲高校の試合を見ていた。
「東雲高校って、ほとんど化け物だな...」
ムサシが発したその言葉は全員の意見だろう。
暑い盛りの昼間であるのに試合内容を見ているだけで震えが出てくる。
中でも四番のトウジとエース、トシフミは別格であった。
「日本一になるってことはアレに勝たなきゃいけない...か。
...勝てる気がしねぇ...」
格の違いというのが襲う。
相手は伝統ある強豪。
全国から有望な球児が集まり、その中から選ばれた者だけがレギュラーの証であるユニフォームに袖を通すことができる。
どんなに練習を積もうとも、その座に手が届かない者もいる。
スタートライン自体が違っていた。
「.........」
イヤな沈黙が辺りを包む。
データを見てもレギュラーは中学時代に各学校で活躍していた中核の選手たちが大半を占める。
その生え抜きの猛者たちが東雲高校という環境で育ち、甲子園を目指していた。
それに大して自分たちは...
考えれば考えるほど力の差が大きく広がっていく。
プルルル...プルルル...
沈黙を破ったのは、お店にかかってきたシンジからの電話だった。
内容は短く簡単なもので、これから練習場に向かうとのことだった。
「シンジ君からで練習場に向かったそうだ。
そろそろオレたちも行くぞ」
加持はいつもと変わらぬ口調で告げた。
しかし答えは返ってはこない。
その場には暗くどんよりとした暗雲が漂っていた。
「...どうしたんだオマエら?」
「あ...すいません...行くぞ、みんな」
キャプテンのタツヤが重い腰を上げるように席を立った。
それでもタツヤに続く者は少ない。
(やれやれ...デリケートなヤツばかりだからな。
アレを見たら自信なくすのもムリないか)
加持はそんな部員たちを見て、静かに息を吐いてから穏やかな口調で話す。
現状を評価する加持の言葉は冷静で、そこに私情はまったく無い。
「見た通り東雲高校は強い。
おそらく甲子園の歴史上最強の学校だといって間違いないだろう。
...それに比べるとオレたちは初出場で評価は最低、おまけに監督の采配もダメだ。
その東雲高校に挑むとなれば当然厳しい闘いになるだろう。
だがそこから逃げることはできない。
...なぜかは判るな」
そこで一旦言葉を区切って改めて1人1人を見ると、まだ迷いと恐れがある者ばかりだった。
それらを一蹴するため、強い意思を込めてはっきりと言う。
「オマエたちが新東京区の代表だからだ」
ずしりと響く言葉。
新東京区では107校がたった一つしかない代表の座を巡って熾烈な闘いを繰り広げた。
そして第壱高校は代表の座をつかんだ。
しかしその影では106もの学校が涙を飲んでいる。
「相洋高校、総武台高校、柏陵高校。
敗けていった学校はな、自分たちよりも強いと思ったから代表の座を譲ってくれたんだ。
その彼らの想いを受け継いだオマエたちが逃げてしまったら、その想いはどこにいけばいい?」
「「「!」」」
加持の一言が部員たちの胸に突き刺さった。
予選で闘ったライバルたちが全力で闘った数々の試合を思い出させる。
力と力、読み合いと策謀を駆使して死闘を演じた。
ギリギリのところで勝ち取った代表の座の裏に彼らの想いが残されている。
(そんなことすらオレたちは忘れていたのか...!)
自分たちの浅はかな考えにより、彼らの大事な想いを踏み躙ろうとしていた自分たちを責めた。
間違っていたことに気づかされ、安易に逃げようとしてた自分たちの考えに恥じる。
そんな部員たちを見ていたミサトの表情が優しくなった。
「敗れた者の想いは勝った者に受け継がれる。
そして最後に残った者が栄冠を手に入れることができるんだ。
...それまで受け継がれたきた想いもろとも全てな」
夢破れ、散っていったその106校のためにも闘い続けなければならない。
それが代表としての、勝者としての責務である。
真紅の優勝旗にはそれだけの重さがある。
「敗けたって胸を張って帰ればいい。
決して恥じることではないんだ」
その言葉を最後に、加持から険しい表情が消えた。
そして風早高校−−−
グラウンドにはシンジが1人立っていた。
「やべっ、シンジの方が先にきてるじゃん」
ムサシがマウンドに立ったエースの姿を見つけた。
グラウンドで一番高い位置のマウンドからホームベースに向かった姿は雄々しく、頼もしく見える。
全ての始まりはそこからだった。
「...シンジがいたからオレたちはここまでこれたんだよな」
感慨深く言うムサシの目は一年前を思い起こさせる。
柏陵を招いての練習試合のときに見たエースとしての姿。
小さな体に秘めた才能を見たときに全身に駆け巡った電流のような感覚は今でも鮮明に思い出せる。
その姿に惚れたときからわずか一年しか経っていない。
たった一年で夢は現実のものへと変わった。
「ムサシの言う通りだ。
オレだってシンジがいたからグラウンドに戻れたんだ」
リュウスケがグラウンドの土を踏みしめる。
文化祭のイベントで行われた招待試合の結果から、甲子園を目指すために四番の必要性が求められた。
そのとき白羽の矢が立ったのがリュウスケだった。
一度はあきらめた遠い昔に見た夢である甲子園。
しかし自分は今ここにいる。
「碇先輩がいたからオレもここにいるんだよな...」
フジオがボソリとつぶやく。
一度、エースとしてのプライドを傷つけられた。
しかしそれは薄っぺらなプライドであり、自分の奢りでもあった。
同時にシンジの才能に嫉妬していたのだろうと今では思う。
才気あふれるシンジというエースにぶつかって自分を見直すことができた。
その機会が無ければどこにでもいるようなピッチャーに終わっていたに違いない。
誰もがシンジというエースがいるからこそ甲子園までこれたと思った。
「シンジっ!」
誰かが叫んだ。
それを合図にグラウンドに駆けていく。
シンジの存在が不安を吹き飛ばしてくれる。
相手がどんなに強大であろうとも、シンジがいてくれれば敗ける気がしなかった。
たとえ相手が東雲高校であろうとも−−−
それがシンジが認めたライバルであろうとも−−−
「練習始めるぞ!」
「「「オウっ!!」」」
シンジと一緒なら、どこまでも夢を見ていけると思う−−−
☆★☆★☆
十六夜高校練習グラウンド−−−
「ただいま戻りましたぁ」
「お疲れさん相田」
監督がケンスケを出迎える。
グラウンドでは明日に備えた練習に励む部員たちが汗を流していた。
「どうだった、親友の試合は?」
「どうもこうもありゃしないですよ。
2ホーマー、6安打に7打点ってバケモノ以外の何者でもないです」
打ち取るための策はナシと言わんばかりに手を広げて降参のジェスチャーをする。
しかし直接対決がまだ先だから言っていられる。
その時が来たのなら、徹底的に調べ上げ勝利へのシナリオを描くだろう。
「星陵高校だってなんらかの対策を立ててたはずなんですよ。
それなのに直球、変化球、内角、外角...」
「高目に低目と器用に打ち分けていくと。
...死角ナシ...まさしく天才だよ」
「あ、その天才なんですがね...」
監督の言った天才という言葉に反応する。
「アイツは天才じゃなくて、ただの努力家なんです」
「じょ、冗談だろ?
あの打撃センスは全国どこを探したっていないぞ...」
「アイツの両手、見たことありますか?
原型がわからないくらいボロボロなんですよ」
ケンスケの真面目な表情が冷や汗を流させる。
「...って言いすぎですけどね」
「オマエが言うと冗談に聞こえないんだよ...」
ほっと胸を撫で下ろすが、あながち冗談でもないだろうと思う。
努力とひらめきが重なったとき、天才は怪物へと成長する。
「シンジにしたってそうです。
アイツも人より努力したから今があるんです」
「オマエが言うんだ、それが本当なんだろうな...
でもノーヒットノーランの碇シンジに星陵相手に2ホーマー6安打に7打点の鈴原トウジかとは...
厄介な親友だな」
「味方だったらこれ以上ないくらいに頼もしいんですけど」
思い出すことは日が暮れても倒れるまで動き回った日々。
たった二年前の光景だった。
「...昔を思い出したのか?」
「スイマセン、今は敵同士なのに...」
「謝るこたねぇ、味方だったからわかることだってあるんだ。
オマエだけにしか見抜けないクセだってあるかもしれない。
それを見つけ出せ」
「ハイ、必ず見つけますよ」
2人で練習を眺める。
息の合った守備陣の連携プレイに途切れの無い打撃陣。
汗を流す十六夜高校ナインは、どこに出しても恥ずかしくないチームである。
「東雲高校に第壱高校...
ウチの実力じゃ勝てるかと思うか?」
「敗けるはずありませんよ」
監督の問いにケンスケはレギュラーを見る。
シンジやトウジのような抜きん出た選手はいないが、チームとしては全国屈指のレベルを持つ。
その選手を駒として策を練り、甲子園という盤上で力を発揮させるのがケンスケの仕事。
「これだけのチームがオレの手足になって動いてくれるんです。
...勝てないワケがない...!」
ケンスケの書いたシナリオには自分の勝利しかない。
それが誰であろうとも勝てる自信はある。
(シンジ、てめぇにだけは絶対に敗けねぇぞ...!)
そう思ったケンスケには昔の面影は無かった。
☆★☆★☆
「ムサシっ、そのボールを見逃すんじゃない!
腕をたたんでコンパクトに振れば当てることは簡単だぞ!」
リュウスケの指導の元、特打の真っ最中である。
付け焼刃だろうがなんだろうが勝ち抜いていくには少しでもレベルアップしなければならなかった。
シンジにおんぶにだっこで勝てるほど東雲高校は甘くはない。
そしてシンジの投球練習では−−−
ズバァン!
ミットに突き刺さる音だけで練習している部員たちを振り向かせる。
「ずいぶん調子いいね」
カヲルが手の痛みをガマンしながらボールを投げ返す。
今日のトウジに火をつけられてしまったのは明白だった。
事実、投球練習でもシンジはバッターボックスにトウジを想像している。
2本塁打6安打7打点が今日のトウジの戦績。
中でもホームランはシンジを唸らせるほど鋭く力強いスイングだった。
(トウジ...!)
目を奪われてしまったことが自分を許せなくなる。
エースである以上、どんなバッターであろうとも打ち取らなければならない。
ググ...
ボールを握る右手に力が入る。
バッターボックスに立つトウジを想像してボールの握りを変えた。
その仕草をカヲルはとっさに感じた。
「ちょっと待ってくれないかな」
突然水を差されてシンジは現実に戻る。
「どうしたのカヲル君?」
「あのボール...フォークかナックルだと思うんだけど...」
走ってきたカヲルはいつになくすまなさそうにしていた。
そしてカヲルの言葉はシンジを驚かせる。
「あれを受け止める自信はまだ僕にはないんだ」
「そんなっ!?」
信頼しているバッテリーから思ってもいない言葉が出た。
しかしカヲルにいつもの笑顔が現れ、シンジを安心させる。
「もちろん対策は考えてあるよ。
でもね、それができるまで投げるのは控えてくれるかな?」
「なんで?」
「赤木先生に頼んだんだけど、それができるのが第二試合の直前らしいんだ」
「赤木先生...???」
野球とはあまり関係ない名前が出てきた。
「そう...
時間がないから道具に頼らざるをえないんだ」
第八拾六話 完
第八拾七話へつづく
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