「道具に頼る?」
「あのボールを受け止めるなんてプロでもない限りムリだと思うよ。
 だからもう少し待ってほしいんだ」

シンジとカヲル、バッテリーが話し合うのは珍しくはなく、他の部員たちは自分たちの練習に集中していた。
おかげで2人の会話が聞かれることはなかった。
が、しかし−−−

「シンジ君、ちょっといいかな?」

加持が2人の間に入ってきた。

「どうしたんですか...ってそちらの人は?」
「ああ、なんでも君に取材を申し込みたいそうだ」

加持の後ろには大勢の記者がいた。
チラッと見るなり、カメラのフラッシュが光る。
改めて加持を見ると済まなそうな顔をしていた。

「練習があるから断ったんだが聞かなくてね」
「僕は別に構いませんよ。
 遅かれ早かれこうなるのは今朝わかりましたから」
「そうか...なら今の内にやっておこうか」

素っ気無く言うシンジに少し意外だと感じた。
そしてOKの返事が出ると、あっという間にシンジを取り囲むように人垣ができる。
次から次へとマシンガンのように質問が飛び交ったため、順番に答えていくことになった。

「まず...鈴原トウジ君だけど...」

まず第一声に予想されていた質問が出た。

「はい、トウジとは小学校から中学まで同じチームでした。
 それにケンスケも一緒です」

それに対してシンジは用意していた言葉で答えていく。
それからは立て続けに質問の嵐がくる。
問題の記事に対する質問、今の心境、トウジやケンスケなど昔の友人などなど...
シンジは冷静に答えた。





...が、なぜか次第に早口になっていった。
早く終わらせたい、というよりも昔のことを話すのがイヤなのだろう。
思い出すのは全てがあった楽しいことばかり。
心がザラつき、自分でもわかるくらいに苛立つ。
そして取材は突然終わりを告げた。

「練習があるので取材はこれで終わりにします」

加持がシンジの心の動きを感じて気を利かせたのだ。
あのまま行けばそれこそマスコミの思うツボになっていただろう。
カンの良い者、洞察力の鋭いならばシンジの心を読むことができる。
そこを突かれては精神的に大きく揺さぶられるのは明白であった。
ケンスケの狙いはそこにある。










「はぁ〜...
 一体ここに何しにきたのかな...?」

練習に戻ったシンジを未練がましく見るアキ。
聞きたいことは山のようにあったが半分も聞けなかった。
落ち込むアキに先輩記者が慰めに入る。

「いや、そうでもないぜ」
「慰めてくれなくていいです。
 余計に落ち込むじゃないですか...」
「まあ聞け。
 アスカって女の子、オマエの話じゃ幼なじみで一番近い位置にいたそうじゃないか」
「そうですけど...」

何が言いたいのかはっきりとわからず、顔を上げる。
先輩記者の顔には自信が浮かんでいた。

「気づかなかったのか?
 碇シンジは惣流アスカの名前を一度も言わなかったんだぜ」
「そういえば...」

実際にトウジやケンスケの名前と一緒にアスカの名前が出てきた。
しかし2人の名前は何度も言っていたのに、シンジはアスカの名前を最後まで一言も言わなかった。

「妹にそっくりな女のコに名前すら言わなかった幼なじみの女のコ...」

これが何を意味しているのか...
先輩記者はニヤリと笑い、わざわざ足を運んだ甲斐があったと確信した。










「意外な方向に話が行ってるかもな」












大切な人への想い

第八拾七話 過去の呪縛











バシャーーーー

シンジは蛇口を全開にして頭に水を浴びせた。
冷たさが心を落ち着かせ、取材のときの自分を振り返る。

(これからってときに...くっ!)

アスカが思い浮かぶだけで頭に激痛が走る感じがした。
駆け巡る頭痛が憎しみの色を一層濃くする。

(いつまで僕を苦しめる気なんだ...)

水道水でも昂ぶる感情を押さえることができない。
それがわかった途端に水を止めた。
鏡に写る自分はまるで泣いているように見えた。

「肩、冷えますよ」

差し出されたタオルと心配そうに見つめる黒い瞳。

「綾波...いつから...」
「早く拭かないとカゼひきますよ」
「あ、ありがと...」

少し大きめのタオルをかぶって頭を拭く。
チラッとレイを見てみると暮れ行く夕陽を眺めていた。
そばにいてくれる−−−
そう想うだけでさっきまでの頭痛が薄らいでいく気がした。
そのときレイがシンジの視線に気づく。

「...どうかしました?」
「あ...ありがと、おかげでさっぱりしたよ。
 今日は大変だったからね」
「取材のことですか?」
「そ...
 でも、もっと早くくると思ってたけどな?」

今朝の朝刊で事実は知らされ、それから取材まで半日はかかった。
新しい物好きマスコミがそれだけ時間を置くとは思えない。

「あれ、知らなかったんですか?
 監督が断ってたんですよ、一件一件」
「そ、そうだったの?」

取材の申し込みは朝からあった。
それを加持が断り続け、マスコミの方もトウジから話を聞いてからでも遅くはないと判断したため時間がかかったようだ。
そういった裏の事情はさておき、シンジはある大事なことに気がついた。

「...忘れてた...」
「グラウンドに忘れ物...ですか?」
「昨日の報告...」
「ご家族へ、ですか?」
「うん...」

今は亡き家族に初戦突破の報告を忘れていた。









☆★☆★☆










シンジとレイは、先に帰った仲間たちとは逆方向、墓参りへと向かった。
だがそこに先客が来ているとは思いもよらなかった。

「洞木さん」
「ろ、六分儀君...
 あ...」

とっさのことで旧姓の方で言ってしまったことに気づく。
しかしシンジは気にしなかった。

「いいよ、どっちでも。
 ...僕は僕だから」

そういってシンジは墓前に立って手を合わせる。
一緒にきたレイもシンジの横で手を合わせた。
綾波レイを改めて見てヒカリは驚く。

(本当にそっくり...見分けがつかないわ)

うつむいた表情、絶えずシンジの横にいる仕草。
どれをとっても同じと言うしかなかった。

「あれ...」

シンジが目を開けたとき、墓石がきれいに磨かれているのに気づいた。

「ひょっとして洞木さんが?」
「え、これは...」

シンジの問いに答えるかどうか躊躇した。
しかしその戸惑いが答えを教えているのと同じである。

「そうか、やっぱり...」

シンジが答えであるアスカを思い浮かべたとき、哀しい顔になった。





ピシィ...!





頭に激痛が走った。
頭痛は一瞬のことだったが、哀しい表情はすぐに消え去った。
シンジは話をそらすようにアスカのことを頭の中から消そうとした。

「まだ言ってなかったね。
 一回戦突破おめでとう」
「あ...そうね、ありがとう。
 トウジも喜ぶわ」
「でも、手放しじゃもう喜べなくなったね...」

トウジやケンスケの強さをイヤというほど知っているシンジにとって、2人との試合に勝てるかどうかはわからない。
まして野球は個人戦ではなくチーム戦である。
相手は百戦錬磨の甲子園優勝経験校。
どう考えても第壱高校は総合力で劣っている。

「敵同士になって初めて2人の怖さがわかるよ」
「それはトウジも相田も同じよ。
 碇君だってノーヒットノーランをやったじゃない」
「それでも勝てる保証はないよ」

そのときのシンジの寂しそうな顔がヒカリの頭に焼きつく。

(やっぱりトウジと相田とは闘いたくないのかな...!!)

ケンスケの名前が出たとき、今朝の騒動を思い出す。
ヒカリもトウジと同じく騒動の発端が誰だか簡単に思い至っていたのだ。
いや、彼を良く知る者ならすぐに思いつく。

「碇君、今朝の新聞って、あれは...」
「わかってるよ、誰の仕業か...」
「でもなんでそこまでする必要があるの?」
「それは...わからない...」

2人には確固たる理由がわからなかった。
精神的な揺さぶるをかけると思えば理由になるが、あまりにも度が過ぎている。
再会したときを思い出せば、アスカにした仕打ちに対する復讐とも考えられる。
だが今回の件ではシンジだけでなくトウジやケンスケ本人、そしてアスカとほぼ全員を巻き込んでいるので復讐と考えると、その範囲は広すぎる。

(ケンスケが僕にこだわる理由は何?
 ...アイツのため?)

瞬間的にアスカの顔が浮かんできたが、すぐにその考えに疑問を持つ。
そもそもケンスケがアスカに好意を持っていたのか?
シンジが知る範囲では持っていない。
あくまでも親友の幼なじみという感じで見ていた。

(でも僕が知っているケンスケはそこまで...)

シンジが第3新東京市に引っ越した夏の終わりからは、まったく知らない。
事実、ケンスケがトウジと同じ東雲高校ではなく、四国の十六夜高校に進学していたのは知らなかった。
知ったのは去年の甲子園のときである。
その間に何があったのか−−−
シンジはヒカリに答えを求めた。









☆★☆★☆










十六夜高校野球部の練習グラウンド。
そのベンチには監督とケンスケが座っている。
監督はともかくレギュラーのケンスケが練習に参加せず、ベンチにいるのはチーム全員のプレイを見ているからだ。

「相田、明日の試合のプランはどうだ?」

監督が聞く。
するとケンスケは慌てる様子もなく話し始める。
資料など無くとも調べたデータは頭の中にインプットされていた。

「オレたちの相手、久留米工大付属高校は投手の村田シュウイチを軸としたチームです。
 その村田シュウイチは打って良し、投げて良し、走って良し。
 きれいに3拍子そろった地元じゃ名の知れた選手ですね」

ケンスケの調べによると久留米工大付属はキャプテンのシュウイチ1人がグイグイとチームを引っ張っていた。
高校野球ではこういったチームが甲子園に出てくるのは珍しいことではない。
優れた統率力と実力によって試合を支配することが可能なのだ。

「スター性抜群だな。
 で、どうやってその村田シュウイチを攻略するんだ?」
「簡単ですよ。
 久留米工大付属の中で名のある選手は彼1人だけです。
 あとはどんぐりの背比べ」
「しかし...
 ああいうチームはツボにはまってしまうと、これ以上厄介な相手はいないぞ」

監督はそこを懸念していた。
しかし戦力差は不利だと感じるはずなのだがケンスケは至って冷静。
チームのブレイン足る者、常に冷静でなければならない。
そしてケンスケの作戦にはそれも折込済みである。

「ええ、わかってますよ。
 それに彼の実力は個人のレベルで見ると、かなり上位に入るはずです。
 抑えるのはウチのチームを持ってしても至難の業でしょう」
「...まさか村田シュウイチとの勝負は避けるつもりなのか?」
「そんなところです。
 第一、彼以外は有象無象、小人の集まりに過ぎません。
 長期戦に持ち込めば層の厚いチームが必ず勝利を得ます」

勝負を避けて消耗戦に持ち込む。
周りから批難は浴びるが、これもまた戦術の一つである。
チームを率いる監督としての立場で見ると勝つことが問われるが、子供たちの成長を見届ける教員の立場から見ると、あからさまに賛成はできなかった。

(名と実、どっちを取るか...)

監督に迷いが出てくる。
だが今回の大会では野心があった。
ベスト8だった去年よりもチームは成長しており、優勝旗奪回も夢ではない。
そして揺れ動く監督の心中を読んだケンスケはダメ押しとばかりに囁いた。





「経緯ではなくて結果。
 結果を出せればこそ、その方法も正当化されます。
 全ては優勝の二文字...それだけです」





こうして明日の対久留米工大付属の準備が進められていった。
しかしケンスケにとって明日の試合には、もっと別の意味が込められていた。

(エースとしてならシンジに匹敵する実力の持ち主だろう。
 仮想シンジとして格好の相手になるな...)









☆★☆★☆










太陽が沈みかけ、影を遠くまで伸ばす。
そんな時間にシンジはレイと2人で家族の眠る冷たい墓前にいた。
このときすでにヒカリはいなかった。

(私にもわからないわ...
 碇君が引っ越した一ヶ月後に相田も引っ越した。
 ...誰にも理由も言わないでね)

ケンスケに関してそう答えた後、静かに帰ってしまった。
その時に見た寂しげな表情が目に残る。

(あんな顔をした洞木さんを見たの...
 多分、初めてだな...)

シンジの知る洞木ヒカリは面倒見が良く優しいコであり、決して人にあんな顔は見せるはずはなかった。
トウジやケンスケにしてもそうだった。





(ワイの前を歩くヤツは絶対に許さん!
 それがシンジ、ケンスケ、オマエらでもな!)





(じゃあ惣流はどうすんだよ!
 アイツはずっと待ってたんだぞ!!)





一週間前にここで再会し、別れ際に見せた男の顔。
二年前とは違っていた。










(もう二度とこない...
 さよなら、シンジ...)










幼なじみ、惣流アスカですら...
楽しかったあの頃からは想像もつかなかった。

(...だって...
 だって仕方ないじゃないか...!)

ギュっと握り締めた右手が静かな怒りと哀しみを表す。
感情を表に出さなくとも、隣にいるレイにはシンジの心がわかった。
シンジを誰よりも想っているから、過去と向かい合う今のシンジを心配する。















「...シンジさん」

レイの言葉に振り返ったシンジの顔はいつもと同じだった。
だがその裏に隠された顔をレイは知っている。
数え切れないほどの涙を流してきた。
そしてこれからも、過去と決別するまで流し続けることになるだろう。

鈴原トウジや相田ケンスケに勝ったときに終わるのか−−−
それとも自分の名前が空高く、天国まで届いたときに終わるのか−−−

それがいつになるのかは誰にもわからない。
だがそれまでは自分が傍に着いていてあげようと思う。
だから出来得る限りの優しい声を愛しい人にかける。










「帰ろう...みんなのところに...」



第八拾七話  完

第八拾八話へつづく

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