大会3日目、第2試合開始前−−−
グラウンドの整備は完了し、これから始まる十六夜高校 対 久留米工大付属高校の試合を待っていた。
両チームともベンチ前に集合し、監督を前にして今日の試合の作戦に耳を傾ける。
相手の短所長所を的確に指摘、その対策を自軍のチームに伝えた。

「...じゃあ全部歩かせるんですか?」
「そうだ。
 データを見る限り村田シュウイチの調子は確実に上がってきているからな」
「念には念を入れて、ですか...」

沈んだ声で質問したのは十六夜高校のエースの 『谷村ヨウジ』だ。
エースとしてのプライドから逃げるのを嫌っていた。
しかしチームの主力を無力化するという監督の作戦は正しい。
嫌々ながらも従うしかなかった。





「−−−以上が今日の作戦だ。
 心してかかれ!」
「「「はいっ!!」」」

激励の言葉がかけられ。十六夜高校ナインがベンチを飛び出していく。
その途中、キャプテンの 『烏丸ナオキ』 がヨウジに話しかけた。

「試合が始まるってのにぶすっとした顔すんなよ」
「あのな、今日の試合楽しみにしてたんだぜ。
 なのに作戦を聞いてみたら勝負は避けろって...」

頭ではわかっていてもプライドが許さない。

「そりゃオマエの気持ちもわからんでもないさ。
 だがな、オレたちの目標はあくまでも優勝だぜ」
「だから安全策をとるってのか...」

頑ななヨウジの態度にナオキは呆れる。
しかし、それぐらいなければチームの柱は務まらない。
2人とも三年で付き合いが長いことから、お互いの性格は知り尽くしていた。
だからキャプテンとしてではなく親友として、諭すように言葉をかける。

「ふ〜〜〜...よく考えてみろ。
 甲子園が終わるまでの2週間の中で6試合もやらなければならないんだ。
 決勝ならともかく初戦で体力を消耗してどうする」
「そ、それはそうだけどよ...」

それが正論だった以上、ヨウジは言葉に詰まる。
そこにダメ押しとばかりに畳みかける。

「それにな、これは相田の案だそうだ」
「そうなのか?
 ...いや、やっぱりアイツだったのか...」
「ま、アイツの情報は正確だからな」
「そうじゃない」

意外な言葉に顔を向けるとヨウジはすでに整列したケンスケを見ていた。
真面目な顔つきがナオキを引かせる。
それに気づいた瞬間、ヨウジはいつもの顔に戻って走り始めた。

「キャプテンが遅れたなんてシャレにもならん。
 早く行くぞ!」
「ま、待てよ!
 それにさっきのはなんなんだよ?」
「なんでもねーよ。
 考え過ぎただけだ」

そうは言ったものの、ヨウジの頭にはケンスケへの疑問が浮かんでいた。





(アイツは頭はキレるが慎重過ぎる面もある。
 それが裏目に出なければいいんだが...)





チーム内では多くの部員がケンスケの策に全幅の信頼を寄せている。
それは監督とて例外ではない。
そのケンスケに疑心を抱くのは現時点でこのエース、谷村ヨウジ、ただ1人だった。











大切な人への想い

第八拾八話 相田ケンスケ











「あーっと、またもや敬遠です!
 徹底的に避ける気でしょうか、十六夜高校バッテリー!」

久留米工大付属の四番、シュウイチが打席に立つとすぐにキャッチャーは立ち上がってボールを待った。
作戦通り、勝負をする気はまったく無い。
久留米工大付属のスタンドからは野次とブーイングの嵐が飛ぶ。

(ったく...
 オレたちホント悪者だな)

エースのヨウジがグチる。
一番批難を浴びるのは当事者であるバッテリーだ。

(そんなこと言うなよヨウジ。
 勝たなきゃ意味ナシ、これも作戦さ)
(試合は中盤だが、お互いに動きはない...
 本当に崩れるのかコイツ?)

6回の裏に進んだというのに、何ら変化の無いシュウイチに対して焦れる。
投手戦にもつれ込んでいるためか、ヨウジに焦りの色が見え始めた。

(アイツはオレと違って四番でもあるんだ...
 何か動きがあってもいいんじゃないか?)

攻撃の中心となる者が勝負を避けられるのは、これほどマズイ状況は無い。
それを知ってるからこそ久留米工大付属のベンチやスタンドからは野次とブーイングが飛んでいる。
にもかかわらずシュウイチに何の変化は見られない。

(それともこれは予想された展開だってのか...!)
「ボール、フォアボール!」

4球目のボールも外れ、シュウイチは何事もなかったように一塁に走っていき、ノーアウトのランナーが出た。
その後は送りバントで進塁したが、それ以上は進めず、その回は終わった。





「相田、本当にこのままでいいのか?
 アイツは一向に崩れないじゃないか」

ベンチに戻ったとき、ヨウジはケンスケに詰め寄った。
打線の援護もなく、エースとしてのプライドを傷つけられ、苛立っていた。

「谷村先輩、少し落ち着いてください。
 オレたちが苦しいときは敵だって苦しいはず。
 条件は同じなんです」

ケンスケはヨウジだけでなくチームのみんなに聞こえるように言った。

「村田シュウイチは9回を投げきるスタミナは十分に持ってるんです。
 試合はまだ6回しか過ぎてないんですよ」
「それはわかってるが、あの攻撃の作戦はどういう意味なんだ?
 はなっからフォークを捨てるってのは」

十六夜高校が点を取れない理由がこの作戦だった。
エースのシュウイチにはカーブの他に変化球はフォークを持っている。
データを見ると大会予選の中盤辺りから出始めていた。
投球数こそ少ないものの、大事な場面で投げる切り札のような位置付けになっている。
その決め球を全く無視するケンスケの作戦にはいくつか理由があった。
ケンスケはしょうがなく理由を話すことにした。

「...知ってますか?
 村田シュウイチの指って結構短いんですよ」
「なにっ?」

その言葉にヨウジの表情が引き締まる。
2人の周りにいたチームメイトも同様だった。

「それなのにフォークのコントロールは絶品です。
 彼のように短い指はフォークを投げるのには不向きなのにです」
「じゃ、じゃあ...」

ヨウジはケンスケの意図することを悟った。
驚きの顔を向けたとき、ケンスケはメガネを光らせる。

「そう、彼の失投を待ってるんです。
 予選大会中、数えるほどしか投げてないのは、何か理由があるはず...」





カキン!





そのとき、グラウンドの方から打撃音が聞こえた。
見ると外野まで飛んでいて、打った本人はなぜか不思議そうな顔をしていた。

「どやら切り札のフォークにもキレが無くなってきたみたいですね」

久留米工大付属サイドは慌しくなり、キャッチャーをはじめ内野陣がマウンドに走っていく。
それを見たケンスケは攻撃に転じる時がきたのを確信した。

「ようやく時がきたようですね」
「ス、スマナイ、ケンスケ...」
「いえ、構いませんよ。
 それよりこれから攻撃に移りますから守備の配置換えをやります。
 谷村先輩は念のためにベンチに戻らずライトに移動、ピッチャーには...」

ケンスケはテキパキと仲間に指示をかけた。
そして十六夜高校は今まで沈んだ雰囲気だったベンチは活気を取り戻すことになる。










「...動いた」

十六夜高校ベンチが慌しくなったのを見たシンジがつぶやく。
同じく別の場所から見ていたトウジも察した。

「こっからが正念場や。
 ...どう受ける、久留米工大?」

今回、十六夜高校の作戦が誰の発案なのか、2人には最初からわかっていた。
わかっていたからこそ、作戦の徹底さに驚きを隠せないでもいる。

「四番だけを綺麗に送る...
 それだけケンスケを信頼してるってことか」
「あの、相田さんってどんな人なんですか?」

シンジのつぶやきに今日も一緒にきていたレイが聞いた。
昔の親友にして今のライバル。
鋭い洞察力と観察力を持ってシンジとトウジをサポートしていた。
レイが知っている相田ケンスケとはこんなものだった。
それはシンジが語った過去の話と、自分の目で見た現在の相田ケンスケ本人から出た答え。
いわゆるレイが考えた相田ケンスケだ。

「う〜ん...いきなりな質問だな...」

レイはシンジにとってのケンスケが聞きたかった。










☆★☆★☆











「きゃははは」
「行くぞっ!」

小学生くらいだろうか。
広場で所狭しと駆け回る少年たちがいた。
元気に遊ぶ無邪気な姿は道行く人の笑顔を誘う。
そんな光景をベンチに座っていた少女が、ただボーっと眺めていた。

時折吹く風になびく長い栗色の髪。
整ったスタイル。
街を歩けば誰もが振り向くほど端正な顔立ち。

しかし、その容姿を台無しにしてしまうモノを少女は持っていた。

艶やかな髪も
魅力的な肢体も
見るもの全てを魅了する顔の作りも

光の宿らない濁った目が本来持つ彼女の美しさを失わせる。




「...先輩、本当にコンタクトをとるんですか?
 私、気が進まないんですけど...」
「何をいまさら。
 オマエは真実を知りたくはないのか?
 知るためには惣流アスカと話さなくちゃならんのだ」

遠巻きにアスカを見ているのはアキとその先輩。
昨日の取材でアスカに対して興味を持っていた。

「真実って言ったって...
 昨日、碇シンジ君から聞いたばかりじゃないですか」

乗り気じゃないアキは先輩の八神を引き止めようとした。
しかし逆に言い返される羽目になった。

「昨日のあれは碇シンジの視点であって、真実は人の数だけ存在する。
 それを見極めるためにオレたち記者は取材するんだ」

いつになく真剣な表情に気圧されて、ついアキは本心を口にする。
どこかでまだ割り切れない部分があった。

「他人の気持ちはお構いなしなんですか...?」
「だからオマエは甘いんだ。
 最初にフタを開けたのはオマエだろ。
 だったら最後まで見届けるんだな」

八神の言葉が胸に突き刺さる。
どこで狂い始めたのだろう−−−
時折見せる物憂げな目に惹かれ、奥底に眠る真実を見たかった。
だが八神のやろうとしていることは踏み込み過ぎだと思い留まらせる自分がいた。
しかしジャーナリストとしての心は八神の行動を肯定している。










「やあ、惣流アスカさんだね」










☆★☆★☆











「あの、相田さんってどんな人なんですか?」

レイが聞こうとすることは至極当然のことであった。
今レイが持っている相田ケンスケの人間像は多くの情報から導き出したモノでしかない。
しかしシンジならば多くのことを知っている。
その言葉がほしかった。
レイが見守る中、シンジはゆっくりと口を開く。

「...ケンスケは万能型のプレイヤーなんだ。
 今でこそショートに落ち着いているけど、中学の頃は転々とポジションを替わってたね。
 ...まるでチームの弱点を補うように。
 だから万能型って呼ばれるんだ...」

思い出が次々とこみ上げてくる。
そこで一旦言葉を区切り、深く息を吐く。

「でもね、それは見えないところで努力をしたからなんだ。
 本人はカッコ悪いとしか言ってなかったけどね」

そう言ってレイに微笑む。
昔を思い出した顔はとても寂しくてレイの胸を締め付けた。

「ケンスケはチームのために走り回っていたんだ。
 誰のためでもない。
 ただチームの勝利のために」

レイには尊敬の眼差しがケンスケに注がれている気がした。
今でもシンジはそうなのだろうか。
再会したとき、トウジの試合で会ったときのシンジはレイが知るシンジではなかった。
どれが本当のシンジなのか。
一番近くにいるはずなのに、レイにはわからなかった。





「ケンスケほどの苦労人はいないんじゃないかな?
 だからみんなケンスケの立てた作戦には全幅の信頼を置けるんだ」

シンジが話す中、スタンドに歓声が上がる。
十六夜高校が待望の先取点を取った瞬間だった。










☆★☆★☆











「惣流アスカさんだね」

アキが見る中、八神はベンチに1人で座っていたアスカに声をかけた。
名前を呼ばれたアスカはそこで初めて自分の近くに人がいるのに気づく。
ゆっくりとした動作で顔を上げる仕草が面倒くさそうに見える。

「...誰?」

濁った蒼い目が八神を捕らえた。
それを見たアキは、輝く瞳が女優の条件というが、この少女がいかに着飾っていてもこれではダメだと思った。

「おっと失礼。
 オレはこういう者なんだ」

そう言って懐から名刺を差し出す。
だがアスカは受け取らずに名刺を呼んだ。

「...新聞記者」

それだけ言うと再び視線を子供たちに戻し、確認できた以上、再び自分の世界に入ろうとする。
差し出した八神の名刺は行き場を失い、苦笑と一緒に懐に戻った。

「君に聞きたいことがあるんだが...いいかな?」

そのままアスカのとなりに座り、逆の懐からタバコを取り出した。
タバコを一本加え、素早く火をつける。
そこでやっとアスカの口が開いた。

「...タバコ、やめてくれませんか?」
「おっと失礼。
 ...けどもうちょっと早く言って欲しかったけどな」

笑いながら取り出した携帯用の吸殻入れにねじ込んだ。
アスカは興味を示したのかじっとそれを見る。

「ああ、これね。
 愛煙家たる者、こういったグッズは必需品だからね。
 意外かな?」

吸殻入れをポケットにしまった。
しかし場を和ませようとした答えが逆にふざけた感じに聞こえ、アスカのカンを逆撫でた。










「偽善的ね...」

小さな声で、だが八神の耳に届くような大きさの声だった。
わざと言ったのであろう。

「最低限のマナーってヤツでね」
「...そう言うのを自己満足って言うのよ」

アスカの言葉には憎悪が篭められている。
となりで聞いていたアキにもはっきりとわかった。
その対象が八神ではなく、自分も含めたマスコミ全般に対してであることが。





(違う...)





アキの視線がアスカにクギ付けになる。
伏せた顔と微かに震える肩が怒りと憎しみを自分たちに向けているのを感じる。

「マスコミってデリカシーのないヤツばかりじゃない。
 言葉だけを並べて他人の心に土足で踏み込んで...」

アスカの一言一言がアキの胸に突き刺さる。





(こんなことをしたくて私はマスメディアに入ったんじゃない...)





自分の書いた記事が引き鉄になり、事態は予想を越えてしまっていた。

「何も知らないくせに知った風なことばっかり...
 アンタたちなんて最低よ...!」

その結果が目の前の少女となって現れた。
そもそも 「アレ」 は誰が送ったものかもわからない。
詳細に書かれていたことから六分儀シンジに近い者、もしくは凄腕の同業者だと推測することはできる。
しかし何のメリットも無しに情報を提供してくれるだろうか。
自分はただ躍らされただけなのかもしれない。
いや、利用されただけ−−−




















「で、何が知りたいの。
 聞きたいことがあるんでしょ?」

アスカはキツイ視線を向けた。
憎しみのこもった蒼い目がアキを捕らえる。
目の中にいる自分の姿はとても醜かった。



第八拾八話  完

第八拾九話へつづく

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