とある旅館の一室。
薄暗い部屋の中にモニターの光だけが照らされ、食い入るように画面を見る者がいた。
およそ球児とは思えないほどのカールのかかった長髪が彼の特徴だ。
で、映っているのは試合のDVD。
しかもシンジがノーヒットノーランを成し遂げた第壱高校の試合だった。

ピっ

リモコンの音と共に場面が高速で戻される。
画面に映るシンジの姿も逆回転し、投球直前まで戻ったところで再生がまた始まる。
流れるようなシンジの投球フォームをじっと眺め、リモコンを持つ手に思わず力が入る。

「ヨシカズ...また見てんのか?
 よくもまあ飽きないな」

突然声をかけられ現実に戻される。
声をかけたのは広島商業高校のキャプテンの村山ジュンイチで、DVDを見ていたのはその親友にして幼なじみのエース 『青木ヨシカズ』
ジュンイチは呆れ果てた顔で親友を見ていた。

「いいじゃないか、良いモノは良いんだから。
 見習うところがあるんだよ」

再びリモコンを操作して投球モーションを眺め、うっとり...というか熱い視線を注ぐ。
そのケが無いのは幼なじみであるジュンイチにはイヤというほどわかってはいる。
ただ尊敬に値するものには敵味方関係無く、とことん傾倒するクセがある。

「見ろよジュン!
 碇シンジの投球フォームはすげぇぞ、最高だぁ!」
「...ったく、もう遅いんだから早く寝ろよな」

キャプテンであるから注意すべきところは注意しなければならなかった。
がしかし竹馬の友であり、1から10の全ての性格を知り尽くしているが故にあきらめてほっとくしかなかった。
その親友の悩みを知ってか知らずか、ヨシカズは陽気な声で立ち去ろうとしたジュンイチを呼び止める。

「なあジュンイチ、碇シンジにサインしてくれって言ったらもらえるかな?」

その瞬間、何かが切れる音と怒号がフロア全体に広がった。

「いいかげんに寝ろ!」

頭痛がするのか、ジュンイチはこめかみを抑えながら部屋を出た。
ズカズカと足音を鳴らして歩き、寝静まっていた仲間たちが何事かと目を覚ます。
そして理由がわかると、またいつものことかと何事も無かったように寝に入る。

「ま、次の対戦相手が第壱高校だからしょうがないよな」

そんな言葉が寝静まった部屋から聞こえた。
すでに時計の針が1時を回っていたのに、ヨシカズの部屋の明かりはまだ点いていた。











大切な人への想い

第九拾弐話 もう1つの可能性











「幼なじみぃ?」

風早高校のグラウンド脇。
第壱高校野球部の練習を見ていたノゾミが体に似合わぬ大きな声を上げた。
となりにいたミユキは注目を浴びて恥ずかしそうに体を小さくさせる。

「ちょっとノゾミっ...声が大きいよ」
「そんなのどうだっていいじゃない。
 でもその話、本当なの?」

2人が話しているのはシンジたちの次の対戦相手、広島商業高校のキャプテンとエースのことである。
このことは、その手の雑誌を読めば必ず書いてあった。
それどころかもう2・3ケース同じ話がある。
がしかし悲しいことに今回ばかりはシンジたちの存在感によって隅に追いやられてしまっていたのだ。

「幼なじみとはまた厄介ね...
 今回はちょっとばかり相性が悪いかも」
「...やっぱりそう思う?」
「そりゃそうよ!
 しかもその2人がバッテリー組んでるんだから信頼関係は抜群よっ」

ノゾミの言う通り、2人は阿吽の呼吸で数々のバッターを苦しめてきた。
その防御率はなんと今大会中ベスト4に名を連ねている。
実力的にはシンジよりも上だった。
心配そうに練習を見るミユキとノゾミ。

「でもそんなに歩が悪いかな...?」
「守備ではシンジさんが投げれば敗けないかもしれないけど攻撃がねぇ...」

ノゾミの一言が重い。
1回戦の相手は同じ初出場校で同レベルだったので、なんとか打線が繋がった。
しかし今回は強豪の部類に入る学校であるため心配のタネは尽きない。
目の前で行われている練習風景を見ると、お世辞でも強豪校とは言えないかもしれなかった。
そしてノゾミと同じ考えを持つ者が、同じ空の下に何人かいた。

「...その話なら知っとるで」

汗を拭いて一休みしていたトウジとヒカリである。
トウジの表情に険しさが増す。

「今回ばかりは運がなかったんか...」
「ちょっとトウジ、その言い方ってなによ?」

ヒカリの言葉にトウジは顔を向ける。
真剣な表情には迫力があり、ヒカリは思わず引いてしまう。

「そのまんまや。
 ...ひょっとしたらシンジんトコ、敗けるかもな」

トウジの顔が事の重大性を示していた。
そしてケンスケも同じことを考えていた...










☆★☆★☆










タッタッタッ...

レイは忙しそうに走っていた。
マネージャーというのは選手たちの練習が円滑に進むようにサポートするわけだから当たり前である。
もう1人のマネージャーであるマナもどこかで走り回っているはずである。

「あれが終わったから今度は備品のチェックを...」

走っている間も次の仕事を考えている。
そんなことを考えながら走っていると前方不注意となり−−−

ガツン☆

勢いがよすぎて自分ともども相手を転ばせてしまった。
双方派手に転がる。

「いたたた...」

レイは痛みをこらえて謝ろうと相手を見る。
すると見知った女の子が自分同様に倒れているのに気づいた。

「ミユキ...さん?」

ぶつかったのはミユキだった。
となりにいたノゾミは手で顔を覆って痛そうに見ていた。

「あっちゃ〜...
 2人とも大丈夫?」
「ハ、ハイ、私はなんとか。
 でもミユキさんが...」
「このコだったら大丈夫よ。
 見かけによらず頑丈な造りしてるからね」

親友を起こそうとして手を差し出す。
それに気づいたミユキが手を借りようとしたとき、レイの姿が視界に入った。

(レイ...綾波レイ!)

途端に黒い感情が湧き上がる。
その変化にノゾミは気づいたのだが、ミユキは差し出された手を取らずに立ち上がり、逃げるようにしてその場から走っていった。

「ちょっとミユキっ!
 ...あ...」

親友の声など聞かずに走り去っていく。
小さくなるミユキの後姿が何を言わんとしているのかがわかる。
そんな2人に気不味さを感じたのか、レイが恐る恐る話しかけてきた。

「スイマセン...私が前をよく見ないで走ってたからミユキさんに...」

本当にすまなそうな顔を見せる。
その顔が親友だった六分儀レイと重なった。
どこまでも似ている少女−−−
ノゾミは息をゆっくりと吐いて気を落ち着かせ、レイに話しかける。

「...綾波さん。
 ちょっといいかな?」

人懐っこそうな笑顔だとレイは感じた。










☆★☆★☆










先ほどのイヤな話が耳に残る。
屋上からはグラウンドで多くの少年、少女たちが走っているのが見える。
自分の想い人のトウジも見えた。

( ...ひょっとしたらシンジんトコ、敗けるかもな)

トウジの口から出た言葉はウソではないと思う。
あの時のトウジの横顔は本心を現していた。
いつも見ていたヒカリだからわかる。
不意に悪寒が走り、身体を震わせる。
一度頭にこびり付いたイヤな考えは消えることはなく、逆に膨らんでいく。

「確かに勝てないかも...」

ゾクっ...!

動悸が激しくなり、呼吸のリズムも乱れる。
目の焦点も合わなくなり、視界全体がぼやけてきた。
一瞬だが、さらに恐ろしいビジョンが見えた。

「碇君が敗ける...
 じゃあアスカはどうなるの?」

今まで考えもしなかった。
いや、わざと考えようとしなかった。
この夏が終わったとき、シンジやアスカは、自分たちはどうなるのか。
あるいはもし、夢半ばで終わってしまった場合はどうなるのか...

「そんなのはイヤ...」

そのまま終わってしまうシナリオしかなかった。
シンジとアスカ、トウジとヒカリとケンスケは、そのまま別の道を選んで二度とその道は交わることはない。
その刻を口にするのも辛く、そのまま記憶の奥に無理やり押し込まれ、苦い思い出としていつまでも残るだろう。
輝かしい高校生活の影として...

「アスカに教えなきゃ...」










☆★☆★☆










「手伝ってもらってすいません...」
「気にしない気にしない。
 マネージャーだからサボれないもんね」

結局ノゾミは備品のチェックをレイと一緒にやるハメになった。
しかしマネージャーの仕事は地味で地道な作業ばかりである。
そのようなモノが苦手なノゾミは手を進めながらも本題に入ることにした。

「綾波さんは次の対戦相手についてどのくらい知ってる?」
「広島商業高校ですよね。
 キャプテンとエースが中心のチーム...」
「そうそう。
 で、去年まではあんまりだったけど10年くらい前はすごかったらしいじゃない。
 いわゆる古豪ってヤツね」

昔は強かったが今は−−−
そのような学校は珍しくはない。
栄枯盛衰という言葉のように、時代の終焉と創世、時の流れと共に勢力図も変わっていくのが世の常である。
東雲高校や十六夜高校ですら例外ではなく、彼らの衰退と共に頭角を現して時代を築くに至った。

「でね、その全盛期の時代に2人の男の子が見てたわけ。
 それが広島商業高校の今のキャプテンとエースなのよ」

ノゾミには見てもいない光景を簡単に想像できた。
なぜならば似た過去を持つ少年たちが身近にいたからである。

「じゃあ2人は...」
「そっ、幼なじみってワケね」

そのとき、ノゾミの顔が引き締まった。
真剣な目がレイを捕らえ、事実の重さが伝わる。
キャプテンとエースの想いがそこにはあった。

「憧れと幼い頃の夢、そして強豪校復活への想い」

10年という歳月を経ても色褪せることはない。
甲子園を目指すモノなら誰でも持っている想いだった。
ノゾミはその想いをレイにぶつける。

「想いの深さならシンジさんにも敗けないはず」
 綾波さんは今度の試合...かつての強豪の復興に懸ける2人に勝てると思う?」

いつもと違うノゾミの言葉に圧され、レイの手は完全に止まってしまった。
ゴクリとレイのノドが鳴る。
夏の暑い日差しと頬に流れる冷や汗が心の動揺を誘う。
もちろん心では第壱高校の勝利を願っていた。
だがノゾミの話を聞いた後では気持ちが揺れてくる。

「広島商業高校はシンジさんたちのもう1つの姿といってもいいわね。
 ...次の試合は覚悟しといた方がいいわよ」

レイはノゾミの言葉に何も言い返せなかった。









「綾波、ちょうどいいところにいた」

急に違う場所から声をかけられ、レイは驚いた。
そのときチェックを取っていたノートを落としてしまった。
それを慌てて拾って平静さを取り戻そうとする。

「どうしたんですかムサシさん?」
「いやな、ケイタのヤツがケガしたんでバンソウコウないか?」

ケイタの右腕に擦り傷があり、血が滲んでいて痛々しい。
しばらく放っておけば傷跡も残らないようなモノだが、一応念には念を入れておこうと思ったらしい。
ちょっと待っててくださいねと言ってレイは救急箱を取りに向かった。
そのときムサシとケイタはノゾミの存在に気づいた。

「キミはたしかシンジの知り合いの...」
「洞木ノゾミです、榛名ムサシさん」

ノゾミは小さく会釈した。
ムサシは自分の名前を知ってるコがいたので満更でもない顔をした。









「へー、そりゃすげえな」

救急箱を持ってきたレイと一緒にノゾミの説明を聞いたムサシはそれほど驚かなかった。
ケイタも別に驚きはしない。
2人の態度に当然レイとノゾミは訝しがる。

「...本当に思ってます?」
「ああ、思ってるさ。
 けどな、それをいったらオレたちだってそうさ」

消毒液を傷口にシュっとかけるとケイタの顔が痛みで歪む。
それが面白いのかムサシは更にかけた。

「甲子園にきたヤツら...いや、これなかったヤツらにもそんな話があってもいいはずだ。
 それでも甲子園に行けるのは49校だけだ」
「そうそう。
 それにね、誰かが言ってた言葉なんだけど、高校野球ってのは挫折を味わうトコなんだってさ。
 オレたちの影で涙を飲んでる人はたくさんいる。
 だからオレたちや広島商業高校だけが特別じゃないんだ」

時折しみる消毒液に顔を歪ませるケイタも同じことを思っていた。
ムサシとケイタの話にレイとノゾミは感心した。
シンジたちも甲子園にこれなければ、今回のようなエピソードは語られることはなかった。
そして永久に日の目を見ることはなかっただろう。
球史の光と影、脚光を浴びた人間の影では何百という人間がその礎となっている。
だからそんなことでいちいち騒ぐことでもないとムサシとケイタは思っていた。

「甲子園ってのはそんなトコなんだ。
 だからそれほど驚くことじゃない...っと」
「イタっ!!」

ムサシはキレイになった傷口にバンソウコウを貼って、最後にバシっと叩いた。










☆★☆★☆










ザ...

広島商業高校のバッテリーは投球練習に勤しんでいた。
エースの青木は190cm近い長身を活かした高いところから振り下ろすピッチングには定評がある。
かくいうキャッチャーの村山もフィールディングや肩の強さは誰にも引けをとらない。
広島県下でも1・2を争うこの名バッテリーが甲子園に出場できたのは3年目の夏であった。
それまでは準決勝止まりで、甲子園への門はそれほどに狭く険しい。
しかしこのバッテリーに惹かれたのか、やがて人は集まり、2人を中心とした今のチームに育つことができた。

スパ−ン

キャッチャーミットに突き刺さるボールの音が耳につく。
小さな頃から受けてきたジュンイチにとって、今年ほどよく球が走ったことはないと思う。
だから甲子園に出場もできた。
そして甲子園で優勝し、古豪の復活も夢ではないとも思った。

「いい感じだ。
 この調子で次の試合も頼むぜ」
「当たり前だ。
 次の試合は最高の仕上がりにしておきたいからな」

ボールが返ってくるとヨシカズが当然のように言う。
ジュンイチには相棒が何を言わんとしているかがわかっているため、精神的な疲労に襲われた。

「ふふんっ♪
 なんたって次の試合は投手戦だからな。
 それ相応の力を見せないと碇シンジと釣り合いが取れないだろ」
「はいはい...」

半ば投げやりに答える。
ヨシカズの頭ではすでに試合の流れは投手戦になると決まっていた。
とは言うものの実際にはそうなるんだろうな、とジュンイチも同じく想定していた。
自分の相棒が第壱高校打線に打たれるとは思えない。
相手を過小評価しているのでもなく、自分たちを過大評価しているのでもない。
元来、ジュンイチは慎重にことを進めるタイプなので、その評価方法は決して私情をはさまずに判断する。

「...む」

そのときジュンイチの頭に、投手としての評価対象に岩瀬トシフミがいたのを思い出した。

「なあヨシカズ、なんで碇シンジなんだ?
 アイツは1コ下の後輩なんだぜ。
 尊敬するんなら岩瀬トシフミでもいいんじゃないか。
 東雲高校のエースで自他ともに認めるNo.1投手だぜ」

ヨシカズは相棒の問いにキョトンとした顔を向ける。

「ん〜...そういえばアイツもいたんだよな。
 確かにピッチャーとしては岩瀬トシフミが抜きん出てるのは認めるよ。
 うん...悔しいけど実力ならアイツが1番だな」
(オイオイ...)

素直に劣っているのを認めていたので、ジュンイチは心の中で突っ込みをいれた。
エースとは常に自分が1番だというプライドを持っていなければならない。
しかしヨシカズは優しい性格からか、すぐに他人の実力を認め、尊敬してしまう傾向にある。
それさえなければもっと上をいくピッチャーになれるんだが...とジュンイチは常々思っていた。

「...そうか、あの目だ」

ジュンイチが考えにふけっていた最中、ヨシカズはずっと理由を探していた。

「何があの目だ?」
「碇シンジを尊敬する理由さ。
 ...間違いない、オレはあの目に惹かれたんだ」

そのときのヨシカズにはいつもの穏やかさは消え、かわりにどことなく寂しげな表情を浮かべていた。

「繊細で、とても壊れやすい目をしていた...」










☆★☆★☆










アスカとヒカリ。
2人は親友だった。
だが、今の2人の間に漂う空気は張り詰めている。

「ヒカリ、今なんていったの?」

はっきりとした口調。
真一文字に結ばれた唇と射竦めるような目が怒りの度合いを表している。
しかしヒカリはひるんだりはしない。

「聞こえなかったのなら何度でもいうわ。
 ...碇君、次の試合、敗けるかもしれないわ」

そこには強い意思がこめられている。
ヒカリもアスカに負けないぐらい、はっきりとした口調だった。

「そんなことないわ。
 勝つのはシンジよ」

あくまでシンジの勝利を疑わない気持ちを言い放つ。
一方のヒカリもシンジの強さを疑うわけでもなかったが、今回だけは違った。
広島商業高校にはシンジたちには無いモノがある。

「広島商業高校のこと、知ってる?」
「知らないわ」
「なら教えてあげる。
 そうすれば碇君が勝てない理由がわかるわ」

ヒカリの性格からしてこんなときにふざけたりはしない。
一瞬だがアスカの顔が難しくなった。
それをヒカリが見逃すはずがない。

「広島商業高校のキャプテンとエースは幼なじみ同士なのよ」
「それが...どうしたのよ...」
「まだわからないの?
 あそこにはトウジと碇君がいるのよ!」

口火を切ったヒカリはアスカへの説得に熱を帯びていく。

「あの2人には碇君にもトウジにもないモノがある。
 アスカは碇君1人で勝てるって本当に思ってるの?」
「.........」
「あの2人は碇君とトウジのもう1つの可能性なのよ!」

ヒカリは珍しく声を上げていた。
それだけシンジとアスカを心配している証拠だった。

「もう一度いってあげる。
 このままだったら碇君、次の試合、敗けるわ」

ヒカリの言葉だけが続き、アスカは何も答えない。
言い終わった後には静寂とセミの鳴き声がするだけ。
熱くなっていた自分に気がつき、ヒカリの熱は急速に冷めていく。

「お願いアスカ。
 碇君の試合を見に行ってあげて」
「アタシが行ったところでシンジは何も変わらないわ。
 ...ううん、いない方がいい...」

頑なまでのアスカにヒカリは苛立つ。
今までもそうだったが、今回だけは引き下がるわけにはいかない。
この場から離れようとするアスカの肩を強引に掴んで引き止めた。

「アスカっ!」
「心配いらないわヒカリ。
 シンジは勝つ、絶対にね」

背中を向けながらアスカはきっぱりと言い切るが、理由や根拠なんてないとヒカリは思った。
ただシンジへの想いがそう言わせているだけ。
そのアスカの切なる想いを知っているだけに、何の力にもなれず肩を掴んだ手にグっと力が入る。





「大丈夫...大丈夫だから...」

ふわりとアスカの手が、自分の肩に置かれたヒカリの手と重なる。
ヒカリがいつも自分のことを気にかけているのを知っていた。
何にも変え難い親友の気持ちを察して余計な心配をかけさせまいとする。

「鈴原や相田がいなくてもシンジにはレイがいるわ。
 それだけで十分...
 だからシンジは敗けないわ」
「でもレイちゃんはもう...」

言い終わる前にアスカは振り向き、ヒカリの言葉を目だけで遮る。
それだけの力がアスカにはあった。

「レイへの一途な想い−−−
 その想いがある限り、シンジは敗けない...絶対に...!」

シンジは情に生きていた。
レイへの情。
それが兄としてかはレイが死んだ今となってはわからない。
おそらくシンジにもわからないかもしれない。

「だってそうじゃない。
 シンジはレイのために強くなったんだから...」
「アスカ...」

アスカですら入り込めない部分がそこだったのはヒカリも十分知っていた。
知っているからこそ、今のアスカの心が痛いほど良く判る。

「シンジの心はまだレイの元にあるの。
 私にはわかる...」

凍りついたアスカの瞳にはヒカリが映っていた。

「...それでアスカはどうするの...
 待ってたんでしょう、碇君を!
 アスカは何もしないの、それでサヨナラなの?」

何者も寄せつけない隔たりがそこにある。

「もう終わったのよ、アタシとシンジは...
 ただの幼なじみ...そしてアタシはレイを殺した。
 それ以上でも以下でもないわ」

親友さえも越えられない壁だ。
いつもこうだった−−−
話題がシンジの方向に走ると途端に見えない壁を造りだす。
そうして独り閉じこもっていく。





「冷たいね...」





軽蔑の目が親友であるはずのアスカに注がれた。
そのままヒカリは消えた...










☆★☆★☆










タッタッタッタ...

ヨシカズはロードワークに出ていた。
コースなどは特に決めてはおらず、とりあえず時間内に戻ればいいや、という考えで走り始めた。
あてもなく走っていると近くに公園が見えた。
緑豊かな公園らしく、木々の匂いとセミの鳴き声が心地好い。
ヨシカズは気に入ったのか、公園の中に入っていった。

「はなしなさいっ!!」
「っスイマセン!」

突然の大声にヨシカズはとっさに謝ってしまった。
だが、自分の周りには誰もいない。
ちょっと恥ずかしくなったが誰もいないのがわかるとホッと胸をなでおろした。

「なんなんだ一体...」

気を取り直してキョロキョロと辺りを見渡すと、2人組の男が1人の少女をはさんで何やら話しているのが見えた。
誰が見てもナンパされて困っているようだった。
そして辺りには誰もいない。

「ふぅ...しょうがないな」

ヨシカズはそのコを助けようと、ロードワークを中断して足を向けた。










「あのコの髪って天然なのかな?」

その少女の髪は長く腰まであり、鮮やかな栗色をしていた。




第九拾弐話  完

第九拾参話へつづく




...マズイですね三ヶ月以上は。
一度書くスピードが落ちるとそのままズルズルと行ってしまうことがわかりました(汗)

ここからはアスカが野球の試合の方にも関わってくるということでシンジの対戦相手も登場させました。
にしてもアスカがここまで扱いにくいキャラになってるとは思ってもいませんでしたよ。
口数が少なく、他人との触れ合いを避ける...などなど...
まあこの辺をよく考えずに後回しにしてたツケが今になって降りかかってきたわけなんですけどね。
次回はいつになることやら...
気長にお待ちください。



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