『あの日の君』を忘れない

              芹沢 軍鶏

 

 

 

 嬉しかったこと。悲しかったこと。

 忘れられないこと。忘れてしまいたいこと。

 そんな思い出の積み重ねの中に、私たちは生きてます。

 あなたの一番大切な思い出は何ですか?

 私は……

 

    ×    ×    ×

 

「――と、いうわけで」

 と、プロスペクターは、いつもの癖で眼鏡をひょいと指で押し上げながら言った。

 西暦二一九六年のある日。

 機動戦艦ナデシコは、太平洋上空を飛行中。

 その艦橋に、艦長のミスマル・ユリカ以下、主だったクルーが集まって、ナデシコの行動予定について、プロスペクターから説明を受けているところである。

「ナデシコがヒラツカ・ドックでメンテナンスを受ける三日間、乗員の皆さんには、休暇を取って頂くこととなりました」

「お休み、頂けるんですか?」

 プロスペクターの言葉に、ユリカは目を輝かせた。

 隣に立っていたテンカワ・アキトの手をとって、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、

「やったね、アキト! 三日間もお休みだって! 一緒においしいもの食べに行って、お買い物して、映画なんか観に行っちゃったりなんかして!」

「え? ああ……」

 アキトは気おされたように曖昧に頷く。彼がユリカのペースに振り回されるのは、いつものことだ。

 ユリカの大はしゃぎする様子に、プロスペクターは、ひょいと眼鏡を押し上げただけで何事もなさそうな顔で言葉を続けた。

「ナデシコとクルーの皆さんは、これまでロクにお休みもなく木星蜥蜴と戦って来られました。そこで、私のほうからネルガル本社と連合軍にお願いして、ナデシコのドック入りと、皆さんの休暇が認められたという次第です」

「そのことですが、艦長にはお父上のミスマル提督から、この機会にオダワラの叔母様の家を訪ねるようにと、ご伝言がありました」

 ゴート・ホーリーが言って、ユリカは、きょとんと小首をかしげた。

「叔母様の家を?」

「はい。ヒラツカからオダワラまでは近いので、ぜひと」

「うーん……?」

 ユリカは腕組みをして考え込んだ。

「せっかくだから、行ってきたらいいじゃないか」

 アキトが言うと、ユリカは、さらに深く首をかしげて、

「オダワラの叔母様って、どんな人だったか覚えてないのよね」

「ずっと会ってないのか?」

「小さい頃に、会ったきりだから……」

「それじゃ、なおさら会いに行くべきだよ。叔母さんも、きっと喜ぶと思うよ」

 そう言ったのは、アオイ・ジュンだった。そして、つけ加えるように、

「よかったら、僕が送って行ってもいいけど……」

 だが、その言葉は、ユリカの耳には届かなかったらしい。

 ユリカは、ぽんっと手を打って言った。

「そうだ。アキトも、私と一緒に来ればいいんだ」

「えっ?」

 驚くアキトの手をぎゅっと握り、ユリカは、

「ねっ、アキト? いずれは叔母様にもアキトを紹介しなきゃならないんだから、いまのうちから顔を合わせておいても、損はないと思う」

「いずれはも何も、何で俺がお前の叔母さんに紹介してもらう必要あるんだよ?」

 呆れているアキトの横で、ジュンがうるうる涙を流し、

「一緒に行くなら僕が……って、聞いてないよね、ユリカ……」

「あの、艦長以外のクルーの皆さんには」

 プロスペクターが口をはさんだ。

「ぜひともネルガル・ヒラツカ水族館の見学会に参加して頂きたいのですが」

「水族館の……?」

 アキトが聞き返した。

「見学会、ですか?」

 気を取り直して、ジュンが聞き返す。

 そこに、マキ・イズミがぼそっと、

「……平林健一、あだ名はケン。その彼が死んだ。ケン、がくっ。クックックッ……」

 アマノ・ヒカルとスバル・リョーコは頭を抱えて、

「平林健一って、誰……?」

「オレに聞くなっ!」

 イズミのわけのわからないギャグは、プロスペクターにも聞こえていたはずだが、彼は何事もなさそうな表情を崩すことなく、話を続けた。

「我がネルガル系列のネルガル・ヒラツカ水族館は、地球圏最大規模の水族館として先月オープンしましたが、ここはヒラツカ・ドックとも近く、ナデシコのクルーの皆さんをぜひ招待したいと申し入れがあったわけです」

「いいんじゃない、休みは三日あるんだし。一日くらいみんなで水族館見物ってのも」

 アカツキ・ナガレが言って、エリナ・キンジョウ・ウォンも頷き、

「タダで水族館見物ができるなら、ありがたい話じゃないの」

「でも、何で水族館が僕たちを招待したがるんでしょう?」

 ジュンに聞かれて、プロスペクターは、またひょいと眼鏡を押し上げて、

「それはその、ナデシコのクルーといえば、木星蜥蜴との戦いで数々の功績を挙げたヒーローであり有名人なわけですから、皆さんに来て頂ければ、水族館の宣伝になるというわけでしょうな。実のところ水族館では、皆さんの来場に合わせてマスコミ関係者も招待するそうです」

「マスコミが取材に来るんですか?」

 メグミ・レイナードがたずねて、プロスペクターは、「はい」と頷き、

「新聞、雑誌、ラジオにテレビと、報道各社の記者の皆さんが集まる予定です」

「取材かぁ。どうしよう、インタビューなんかされちゃって、テレビに映っちゃって、それをきっかけに芸能界デビューなんてことになっちゃったりしたら」

 目にキラキラとお星さまなど浮かべて言ったヒカルに、リョーコとイズミは、おでこに手を当てて頭が痛そうな顔で、

「それは、ないない」

 相も変わらず賑やかなクルーを横目に見て、ホシノ・ルリは、コンソールに頬杖をついて、ぽつりと呟いた。

「平和よね……」

 

 

 その日の午後に、ナデシコは、ヒラツカ・ドックに到着した。

 繋留作業を終えたクルーは、ドックのメンテナンス・スタッフと交替して下船する。

 ドックの外の駐車場には、ユリカの父親が差し向けた迎えの車と、彼女以外のクルーを水族館へ運ぶ、ネルガル系列の「ネルガル交通」の観光バスが待っていた。

 車に乗り込んだユリカは、窓から身を乗り出して、バスの中のアキトに向かって言った。

「それじゃあ、アキト。私の分も水族館、楽しんで来てね。私へのおみやげなんて、気にしなくていいから。全然全然、気にしなくていいから」

「はいはい……」

 と、アキトはおざなりに頷いている。

 アキトの前の席に座っているヒカルが、隣りに並んで座るリョーコとイズミに、

「あれって艦長、絶対おみやげを期待してるよね?」

「うんうん」

 と、リョーコとイズミは揃って頷く。

 バスのガイドが出発を告げた。

「それでは皆様、ネルガル・ヒラツカ水族館に向かって、出発いたしまーす」

「それじゃあ、ユリカ」

 アキトはユリカに向かって軽く手を上げてみせた。

 ユリカも、にっこり笑って大きく手を振って、

「うん。それじゃあ、また三日後に。さっきも言ったけど、おみやげは全然気にしなくていいから。ホントにホントに、気にしなくていいから」

「あの様子じゃ、おみやげを忘れたら大変なことになりそうね」

 ヒカルが言って、イズミは、「ふっ……」と笑って髪をかき上げ、

「血の雨が降るわね」

 

 

「いらっしゃいませぇ。わたくしぃ、ネルガル・ヒラツカ水族館のぉ、広報担当ぅ、ヨツカイドウ・アカネとぉ、申しまぁす」

 スーパーモデルばりのナイスバディにルックスと、それに似合わず舌っ足らずな甘ったるい喋り方をした女性職員が、水族館に到着したナデシコのクルーを出迎えた。

 アカネと名乗った職員は、バスを降りたナデシコ一行を玄関ロビーまで案内しながら、水族館の説明をした。

「この水族館はぁ、ネルガル・グループがぁ、その技術の粋をぉ、集めて建設したぁ、地球圏最大規模のぉ、自然博物館でぇす。総水量八千トンに及ぶぅ、大小の展示水槽の中でぇ、約九百種ぅ、二万五千点の水棲動物がぁ、飼育されていまぁす」

 先に立って歩いて行くアカネの後ろ姿を、ウリバタケ・セイヤは、でれーっと鼻の下を伸ばして眺めた。

「うおおっ、たまんねえなぁ、あのお姉ちゃんの歩く姿」

「そうですか……?」

 苦笑するアキトに、ウリバタケは、アカネの見事なボディラインをなぞるような手振りをして、

「なんちゅーか、この、お尻をクイッ、クイッと揺らして歩くところなんかさ」

「はぁ……」

 そう言われると、今までアカネのことなど気にしていなかったアキトも、何となく彼女のお尻に視線が行ってしまう。

 いや、アキトに限らず、いつもポーカーフェイスのプロスペクターとアカツキを除いて、男性クルーはみんなアカネの後ろ姿に見とれてしまっていた。普段は堅物に見えるゴートや、真面目一辺倒のジュンまでが、頬を赤らめたりしている。

 面白くないのは女性クルーである。男性クルーのだらしない様子に、みんなシラけた顔。

 アカネは、そんなナデシコ・クルーの様子には全く気づかない様子で、水族館についての説明を続けた。

「先ほどぉ、博物館とぉ、申しましたがぁ、私どもぉ、ネルガル・ヒラツカ水族館のぉ、基本理念はぁ、まさしくそのぉ、博物館としてのぉ、学術的機能のぉ、実現にありまぁす。従いましてぇ、当水族館ではぁ、次のようなキャッチフレーズをぉ、つけましたぁ」

 アカネはそこで足を止め、ナデシコ一行を振り返って、にっこり微笑み、

「大人も楽しくお勉強できちゃうぅ、ネルガル・ヒラツカ水族かぁん!」

「はいはーい、楽しんでまぁーす!」

 ウリバタケを初めとする男性クルーが、でれーっとした顔で言う。

「あっ、もちろん子供さんにもぉ、楽しんでもらえるようなぁ、工夫もしてますよぉ」

 と、アカネはルリに微笑みかけた。

 しかし、ルリはシラけた表情を変えないままで、

「私、子供じゃありません。少女です」

「あら、そぉ? ごめんなさい……」

 アカネは、きょとんとした顔をした。

 

 

 地球圏最大規模というだけあって、ネルガル・ヒラツカ水族館は、その玄関ロビーからして立派なものだった。三階まで吹き抜けの広々としたところに、立体映像の魚が無数に泳いでいて、まるで海の中にいるように感じられる。

 感心した様子で魚たちを眺めていたナデシコのクルーだったが、ジュンがふと気づいたように、アカネにたずねた。

「あの、きょうは僕たちの貸切ってわけじゃないですよね?」

「ええ、まぁ……」

 ちょっぴり苦笑気味に、アカネは頷く。

 ジュンは、ロビーを見回して、

「それにしては、他のお客さんの姿が見えないですけど……」

「うちの水族館ってぇ、近頃ずぅっと、こんな感じなんですよぅ。最近この辺りってぇ、木星蜥蜴がよく現れるからぁ、お客さんもすぅっかり、怖がっちゃってぇ」

「じゃあ、マスコミの取材は?」

 ヒカルがたずねて、アカネは首を振り、

「せっかく招待したんですけどぉ、どこも来てくれませんでしたぁ」

「なーんだ、がっかり」

 と、ヒカルはうなだれた。

 そこにイズミがぽつりと、

「……学生の割引料金、それは学割。クックックッ……」

「こいつ、いっぺん人喰いザメの水槽にでも突き落としてやったほうがいいかも知れない……」

 リョーコが頭を抱えて言った。

 

 

 ナデシコの一行は、以後は自由行動ということで館内を見て回った。

 ホウメイは、ホウメイガールズの五人娘と一緒に、大水槽の中を回遊する魚の群れを眺めていた。

「さすが、活きのいい魚たちだ。ナデシコにもこんな生け簀があれば、みんなにもっと旨い魚料理を食べさせてやれるんだけどね」

 イネスは、ジュゴンの水槽の前に立って、掲示されている説明書きをじっと見つめている。

(ジュゴンは人魚姫のモデルである、か。でも、熱帯の海に棲むジュゴンが西洋人の目に触れたのは、大航海時代以後のはず。それよりもむしろ、人魚伝説の形成には、古代ケルトで信じられていた蛇や魚の下半身を持つ水の精霊の影響が大きいと思う。ああっ、説明したい、説明したい、説明したぁぁぁいっ!)

 そんなイネスの心の中の葛藤を知らないプロスペクターは、彼女の様子に感心して、

「さすがドクター、説明書きの隅々にまで目を通しておられる。このような場所でも研究を怠らない姿勢は敬服に値しますな」

 リョーコ、ヒカル、イズミの三人は、中庭にある白クマの檻の前にいた。

『エサをあげないでください』という注意書きを無視して、ヒカルとイズミは手にしたポテトチップスをちらつかせ、白クマを挑発している。

「ほれほれ」

「おいでおいでー」

 だが、白クマは、「ふんっ」と莫迦にしたように鼻を鳴らしただけで、こちらに背を向けてごろりと横になってしまった。

「なによー、かわいくないなー」

 ヒカルはふくれ面をする。

 黙ったままのリョーコに、イズミが、

「どうしたの、リョーコ?」

「べつに……」

 肩をすくめるリョーコに、ヒカルが、

「せっかく艦長がいないんだから、アキト君と仲良くすればいいじゃない?」

「ばっ……バカッ、何言ってんだよ。テンカワのことなんか関係ねぇよ」

 そう言いつつも赤くなったリョーコに、ヒカルとイズミは、にやにや笑って、

「遠慮することないのに。滅多にないチャンスなんだから」

「遠慮はせんでも、ええんりょ。クックックッ……」

「うるさいっ、バカッ!」

 リョーコは、そっぽを向く。

 エリナとアカツキは、館内の喫茶店にいた。

 熱心に携帯端末のキーを叩いているエリナに、アカツキがコーヒーを飲みながら、

「そんなに一生懸命、何してんの?」

「宿の部屋割を決めてるんです。寝るのが早い人と夜更かしな人、イビキをかく人とかかない人は、部屋を分けなくちゃいけないでしょ」

「ご苦労だね。学級委員長さんは……」

 アカツキは半ば呆れたように言う。

 ミナトとメグミは、売店の前のベンチに腰掛けて、ソフトクリームを食べていた。

「メグちゃん、もうアキト君のこと、あきらめちゃったの?」

 ミナトに言われて、メグミは「えっ……」と驚き、すぐに苦笑いして、

「やだ、いきなり、なに言ってんですか」

「だって、せっかく艦長がいないのに。アキト君と急接近のチャンスじゃない?」

「もういいんですよ、アキトさんのことは」

 と、メグミはちょっと寂しげに笑ってみせて、

「前に、アキトさんと私が二人で船を下りたことありましたよね?」

「ナデシコのみんなが、軍人さんになれって言われたとき?」

「ええ。あのときにわかったんです。アキトさんが必要としてるのは、私じゃないって。私は誰かの代わりにはなれないし、なるつもりもないから」

「そっか……」

 ミナトは微笑み、

「まっ、アキト君が宇宙で一番いい男ってわけでもないし。メグちゃんなら、そのうちもっといい男が見つかるわね」

「ええ……」

 メグミも笑う。

 同じ売店の、みやげ物コーナーでは、ウリバタケがおもちゃを物色していた。

 飲み物を買いに来たジュンが、それに気づいて、

「あれ? 子供さんへのおみやげですか?」

「まあな。たまには親父らしいこともしてやんねーと。お前は買わなくていいのか、艦長へのみやげ?」

「ユリカへは、テンカワが買っていくと思いますから……」

 寂しげに笑って答えるジュンに、ウリバタケは眉をひそめて、

「なんだなんだ、その弱気な態度は? お前、艦長に惚れてるんじゃねぇのか?」

「えっ? いや、その……」

「誤魔化さなくても、みんなとっくに気づいてるよ。気づいてねぇのは艦長本人くらいなもんだ」

「そうなんですよね。だから困ってるんです……」

 ジュンは肩を落として、ため息をつく。

 ウリバタケは、小さなペンギンのキーホルダーをジュンの手に押しつけた。

「ほら、これ」

「え、何です?」

「艦長へのみやげだよ。あのお嬢ちゃん、そういうモンが好きそうだからな」

「そうでしょうか……? ユリカ、こんな物で喜ぶのかな?」

「あとは自分のハートだよ。お前の気持ちをプレゼントに託して、ドンッと思いきって渡してやれ!」

「そう……、そうですね!」

 ジュンはキーホルダーをぐっと握りしめ、決意を固めたように言った。

 

 

 ルリは、水槽の中を泳ぐ鮭の群れを見つめていた。

「あれ? ルリちゃん、ここにいたの?」

 何やら三角形の紙包みを抱えてやって来たアキトが、ルリに声をかける。

「あと十分ほどで、バスの出発の時間だよ。おみやげ買いに行かなくていいの?」

「おみやげを買う相手なんて、いません」

 ルリは、鮭に視線を向けたまま答えた。

「私の知ってる人たち、みんなここに来てますから」

「他の人へのおみやげじゃなくて、自分がここに来た記念でもいいんじゃないの? 俺なんかペナント買っちゃったよ。ウリバタケさんにはダサイって笑われたけど。ほら」

 と、アキトは苦笑しながら紙包みを示す。

 だが、ルリは鮭を見つめたまま、振り向かず、

「ここに来たことを記念にしたいなんて思いません。私、動物園や水族館って嫌いなんです」

「嫌い?」

「自然の中で生きるのが一番幸せなはずの動物たちを、こんな狭い場所に閉じ込めるなんて、人間の身勝手です」

「それは違うと思うよ、ルリ君」

 ゴートの声に、アキトは振り向いた。

 ルリも、ちらりとそちらに目を向ける。

 ゴートがアカネと並んで歩いて来た。どうやら二人で館内を見て回っていたらしい。

「この水族館で、魚やその他の動物たちを飼っているのは、見学者に生き物を愛する心を持ってもらうことが目的なんだ。……と、これは、こちらのヨツカイドウ君の受け売りなのだが」

 ゴートは頬を赤らめて、ちらりとアカネの顔を見た。

 アカネに微笑みを返されて、ゴートは、ますます赤くなる。

 アカネはルリの前で腰をかがめ、彼女の顔を覗き込むようにして言った。

「えっとぉ、あなたルリちゃんって言ったわよねぇ? みんなに生き物のことを好きになってもらうにはぁ、実際にその生き物さんとぉ、接してもらうのが一番なのぉ。でもぉ、ほとんどの生き物さんはぁ、人間が暮らす街からは遠いぃ、山の中やぁ、海の中で暮らしてるでしょぉ? だからぁ、この水族館ではぁ、生き物さんたちに協力してもらってぇ、人間の街に近いところにぃ、引っ越して来てもらってるのぉ」

「協力なんて、詭弁だと思います」

 ルリは答えて言った。

「協力というのは、自発的な意志に基づいて行なうものです。人間が一方的に強制することは、協力とは言いません。それとも、あなたが生き物たちの意志を確かめたというなら別ですけど」

「うぅーん、困っちゃったわねぇ……」

 アカネは弱りきった顔をする。

「よさないか、ルリちゃん」

 アキトにたしなめられて、ルリは、ひょいと肩をすくめた。

「そうですね。この人を責めたって仕方ありません。この人だって、仕事のためにやってるだけでしょうから」

 ルリはアキトたちに背を向けて、ロビーのほうへ去って行った。

「ルリちゃん……」

 アキトたちは言葉もなく、ルリの小さな背中を見送るだけだった。

 

 

 水族館の見学会を終えたナデシコ・クルー一行は、再びバスに乗って、ヒラツカ・ドック近くに用意された宿舎に向かった。

 そこはいかにも高級感を漂わせた老舗風の旅館だったが、ナデシコのクルー以外に客がいないのは、水族館と同様だった。

 エリナの決めた部屋割りに従って、それぞれの部屋に落ち着いたクルーは、以後は自由行動で、大浴場へ入浴に行ったり、近くの海岸へ散歩に出かけたりした。

 そして入浴を済ませた者は、自然とみんな浴衣姿で、娯楽室に集まって来る。

「ふぅぅっ……」

 と、ウリバタケは、マッサージ椅子に腰を下ろした。

 浴衣の袂から財布をひっぱり出し、小銭を一枚取り出して、機械に入れる。

 うぃぃぃぃぃ……ん、と唸りを上げて、マッサージ椅子は動き出した。

「うおおっ、気持ちええわぁっ。やっぱ風呂上がりには、これだよなぁ」

 ウリバタケは心地よさげに目を細める。

 その横でジュンが、腰に手を当てたポーズで缶コーヒーを飲みながら、

「あとは、壜の牛乳がほしいところですね」

「それじゃあ、お前、銭湯じゃねぇか。やっぱ旅館と言やぁ、オレンジジュースだろ。それも果汁は三十パーセント未満で、甘味料と着色料がたっぷり入った奴だ」

「なるほど……」

 リョーコとイズミは、卓球をしていた。

 イズミが見事にスマッシュを決め、

「ふっ……」

 と、髪をかき上げて、ほくそ笑む。

「イレブン・スリー、イズミの勝ちぃ!」

 審判役のヒカルがコールして、リョーコは悔しげに卓球台を叩く。

「あーっ! クソックソッ! イズミ、もう一セットだ!」

 ホウメイはホウメイガールズの五人娘の応援を受けてモグラ叩きに挑戦し、ゴートとプロスペクターは将棋を指している。

 そして、ミナト、エリナ、アカツキの三人は、カーレース・ゲームで対戦していた。

 トップを走るのはミナトで、エリナがそのすぐあとに続いていたが、コーナーに来たところでアカツキが、インから強引に二人を追い抜いて行く。

「どうしたの? ナデシコの操舵士と副操舵士は、その程度の腕かい?」

 アカツキに冷やかされて、ミナトとエリナはムッとした顔で、

「すぐに抜き返すわ」

「見てなさいよっ!」

 メグミとイネスが、その後ろに立って、三人の対戦を観戦している。

 メグミはすっかり感心した様子で、

「すごーい。さすがにパイロットと操舵士ですよね、三人ともすごいですよ」

「そうね……」

 微笑みながら答えたイネスだが、心の中では、全く別のことを考えていた。

(違う! 本物の鈴鹿のヘアピンは、もっとタイトだわ! ああっ! 説明したい、説明したい、説明したぁぁぁいっ……!)

 

 

 旅館の前の砂浜に腰を下ろして、アキトは打ち寄せる波を眺めていた。

 すでに日は傾いている。

「……そろそろ、帰るかな」

 誰にともなくつぶやいて立ち上がり、ズボンについた砂を払って、旅館へ帰って行く。

 玄関をくぐり、ロビーを横切って階段へ向かおうとして、ふと、ロビーの片隅の談話コーナーに目をとめた。

 ソファの一つに、こちらに背を向けてルリが座っている。背もたれの向こうに、銀色のおさげ髪の頭がちょこんと見えている。

「ルリちゃん」

 声をかけるアキトに、ルリは振り向いた。相変わらずの無表情で、黙ったまま。

 アキトはルリのそばへ行って、たずねた。

「何してるの、こんなところで?」

 ルリは膝の上の携帯端末に目を戻して、キーを叩きながら、

「オモイカネとの通信です。ヒラツカ・ドックの常備戦力では、木星蜥蜴が襲撃して来た場合にナデシコを守ることはできません。そこで、ナデシコの警戒システムを常に働かせておいて、敵が現れたらすぐにエステバリスで迎撃できるようにします」

「そっか。いろいろと船のことを考えてくれてるんだね」

「それが私の仕事ですから。アキトさんこそ、どうしたんです?」

「えっ、俺?」

「一人でずっと海を眺めてましたよね。そこの窓から見えてました」

「うん、まあ……」

 アキトは苦笑いして、頭を掻き、

「俺は火星育ちだから、海なんて珍しくてさ」

「そうですか……」

「でも、せっかくだから、ルリちゃんも誘えばよかったかな?」

「えっ……」ルリはキーを叩く手を止めた。

「だってルリちゃんも、海にはあまり来たことないって言ってただろ?」

「ええ……」

 頷いたルリの頬が、ちょっぴり赤くなる。

「……あの、アキトさん」

「ん?」

「さっき水族館で、私が案内役の女の人に言ったこと、怒ってますか?」

「……そうだね」

 アキトは、少し考えてから、

「仕事でやってるだけだろうってのは、言い過ぎだったと思う。そりゃ、もちろん仕事には違いないけど、あの人だって生き物が好きだから、水族館という仕事場を選んだはずだろ? みんなに生き物を好きになってほしいと言ったのは、本当の気持ちだと思うよ」

「そうですね。それは私もわかってました。それでも私、言わずにいられなかったんです。あの、水槽の中の鮭たちを見ていたら」

「鮭?」

「前に、アキトさんと一緒に、私が生まれた場所へ行ったことがありましたよね?」

「うん……」

「あそこのすぐそばに、川が流れていて。そこを、たくさんの鮭が上っていて。その音が、私の小さい頃の、数少ない思い出の一つでした」

「…………」

 アキトは黙ってルリの言葉を聞いている。

「水槽の中の鮭を見ていたら、何だか私、それが自分の姿のように思えたんです。本当の鮭は、自然の中で自由に生きているのに、水族館の鮭は、狭い水槽の中で、人の手で生かされているだけ。まるで、子供の頃の私みたいに」

「ルリちゃん……」

「あの日、アキトさんと一緒に川を上る鮭を見て、自分の生まれた事情については、もう吹っ切ったつもりだったのに、やっぱり私、心のどこかでこだわってたんですね」

「…………」

 アキトには、ルリにかけてやる言葉が見つからなかった。

 

 

 ピーッ、ピーッ、ピーッ……!

 枕元で聞こえるアラーム音に、ルリは目を覚ました。

 そこは旅館の部屋。窓から障子越しに、蒼白い月明かりが差し込んでいる。

 隣の布団で寝ていたメグミも起きてしまって、目をこすりながら、

「何の音、ルリちゃん……?」

「敵襲です」

「て、敵襲っ?」

 メグミは、がばっと跳ね起きた。

 ルリは、枕元に置いていた携帯端末を起動させて、

「オモイカネが知らせてくれたんです。敵機動兵器多数、ヒラツカ・ドックへ接近中」

「大変! みんなに知らせなくちゃ!」

 慌てるメグミに、ルリは端末のキーに指を走らせながら、

「皆さんへは、すでにオモイカネが警報を送ってくれています。計算では、エステバリス各機の発進準備に要する時間が八分。敵機動兵器の有効射程圏内への到達までは十二分ありますので、充分に対応できます」

「あ、そう……」

 メグミは、半ば呆れたように頷いて、

「ルリちゃんって、いつでも冷静なのね」

「それが私の取り柄ですから」

 ルリは答えて言った。

 

 

 アキト、リョーコ、ヒカル、イズミ、そしてアカツキ。

 空戦フレームを装備した五機のエステバリスが、ドックに繋留されたナデシコから発進した。

 敵機が、それに呼応して散開する。

 敵は《バッタ》と呼ばれる無人機動兵器だ。

「行けぇーっ!」

 アキトのエステバリスが、バッタの群の中に突入した。

 アキトは、トリガーを引きまくる。

 エステバリスが、敵を撃ちまくる。

「無茶すんな、テンカワ!」

 リョーコは叫び、アキトを追って、敵のただ中に突っ込んだ。

「このっ! このっこのっ!」

 と、敵機を次々と撃ち落とす。

 アカツキの機の正面に、バッタが一機、突っ込んで来た。

「見え見えなんだよ!」

 と、アカツキ機はそれをかわすと同時に、ワイヤード・フィストで敵を殴り飛ばす。

 吹っ飛んだバッタは、別のバッタに激突して爆発した。

 イズミも敵を撃ちまくりながら、ぽつりと、

「……バッタをバッタバッタと撃ち落とす。クックックッ……」

「この際、誤射ってことにして、あいつ撃ち落としちまおうか?」

 リョーコは頭を抱える。

「んなこと言ってる間に、後ろ回り込まれるよっ、リョーコッ!」

 ヒカルが叫び、リョーコ機の背後へ回り込もうとしていたバッタを撃ち落とした。

「サンキュ! 助かったぜ、ヒカル!」

 礼を言うリョーコに、ヒカルはウインクしてみせて、

「おまかせっ!」

 ナデシコの艦橋では、ユリカを除く艦橋要員のクルーが、エステバリス隊の奮戦を見守っていた。

 ミナトがコンソールに頬杖をつきながら、感心したように、

「すごいわぁ、アキト君たち」

「でも、あまりに敵の数が多すぎます」

 メグミが不安そうに言う。

「三時方向より敵戦艦、急速接近」

 ルリが報告した。

「六分以内に、ナデシコは敵の有効射程圏内に入ります」

「三時方向って言ったら、あの水族館!」

 叫んだジュンを、ルリは、はっと振り返る。

 そしてすぐに、正面のモニターに目を戻した。

 そこには、水族館の上空に迫りつつある敵戦艦が映っている。

 ゴートが眉をひそめて、

「まずいな。あそこには当直の職員もいるはずだ」

「エステバリス隊を呼び戻し迎撃させます」

 と、メグミが指示を出そうするのを、エリナが止める。

「待って。それじゃ水族館を戦闘に巻き込む危険がある」

「ナデシコを発進させて、敵の注意を引きつけよう!」

 と、ジュンが、さっと右手を上げて、

「ナデシコ、緊急発進! 責任は副長の僕が負います!」

「作動キーがないから船は動かないわ。艦長が持って帰っちゃったから」

 ミナトが頬杖ついたまま言って、ジュンはずっこけた。

「な、なにっ……?」

「キーはいつも艦長が管理してるでしょ? 船をドックに入れたあと、しばらく動かすこともないだろうからって、キーを抜いてポケットにしまっちゃってた」

「ユリカ、何でまた……」

 見せ場を失ったジュンは頭を抱える。

「敵戦艦の動きはどうだ? まさか水族館を攻撃するつもりか、それともまっすぐこちらへ向かって来るのか?」

 と、ゴートはルリにたずねようとして、

「……ルリ君は一体、どうしたのだ?」

「えっ?」

 一同は、艦橋を見回した。

 いつの間にか、ルリの姿が消えている。

「ルリルリが戦闘中に持ち場を離れるなんて、考えられないのに……」

 ミナトは怪訝に首をかしげた。

 

 

 ナデシコ艦内、格納庫。

 ルリがエステバリスの予備の機体に乗り込もうとしているのに気づいて、ウリバタケは驚いて叫んだ。

「おい、ルリルリ! 何やってんだ!」

「私がこれで敵の注意を引きつけます」

「注意を引くって……おいっ!」

 駆け寄って来るウリバタケを無視して、ルリはエステバリスの操縦席に座り、ハッチを閉じた。

 IFSのインタフェースに手を置き、通信回線を通じてオモイカネに指示を出す。

「エステバリス発進準備。発進口開け」

 ルリの目の前にコミュニケーターの画面が出現して、『OK』の文字が示された。

「ウリバタケさん、危ないですよ」

「危ないって……うわぁっ!」

 動き出したエステバリスから、ウリバタケは慌てて離れる。

 ルリの操るエステバリスは、カタパルトの上に乗った。

「進路オールクリア。エステバリス、発進」

 カタパルトによる加速を受けて、エステバリスは、ナデシコから飛び出して行った。

 

 

「エステバリス? 誰が乗ってるんだ?」

 ナデシコから六機目のエステバリスが発進したことは、アキトや他のパイロットたちも気づいていた。

 だが、それにルリが乗っていることは、まだ知らずにいる。

 ルリのエステバリスは、敵戦艦に全速で接近した。

 敵艦もそれに反応し、対空火器でルリの機を狙い撃つ。

 ルリは、素早く回避行動をとった。

 敵弾がエステバリスをかすめる。機体が激しく揺れて、ルリは小さく呻く。

「……くっ!」

 しかし、これで敵の注意は引きつけた。

 ルリのエステバリスは、進路を洋上へ向けた。

 敵艦もそれを追って進路を変え、水族館から離れて行く。

「囮になったわけか? ……うわっ!」

 アキトが六機目のエステバリスの行動に気をとられている隙に、バッタが目の前に迫っていた。

 バッタの背中の装甲が開き、蜂の巣のようなミサイルポッドの砲口が、アキトの機を狙う。

 だが、敵機はミサイルを放つ寸前に爆発四散した。

 敵を撃ち落としたのはアカツキだ。

「なーにやってんの、テンカワ君」

「済まない! それより、あのエステバリスは……?」

 アキトの目の前に、コミュニケーターの画面が出現した。

 映し出されたのはウリバタケの顔だ。

「おい、テンカワ! ルリルリが予備のエステバリスで出撃しちまった!」

「何っ!」

 アキトは、戦艦に追われて洋上へ逃げて行くエステバリスに目を向けた。

 その視界を遮るように、バッタが正面に回り込んでくる。

「クソッ! 邪魔するなっ!」

 アキト機はバッタを蹴り飛ばし、全速で敵戦艦を追尾し始めた。

「ルリちゃん! 何でそんな無茶を!」

 アキトは敵艦を狙って闇雲にトリガーを引くが、エステバリスの火力では、まるで歯が立たない。

 そして。

「え、エネルギー切れっ?」

 無情に響くアラーム音。

『残念 エネルギー切れ』

『重力波エネルギー届いてません』

『墜落します』

 といった文字が次々と、コミュニケーターの画面に踊る。

「お……落ちるぅぅぅぅぅっ!」

 失速するアキトのエステバリス。

 だが、そこに、

「お待たせっ、アキトッ!」

 と、ユリカの明るい声が聞こえて来た。

 同時に、エステバリスのエネルギーが回復し、動力系が息を吹き返す。

「……ええいっ!」

 アキトは急いでエステバリスの体勢を立て直した。

 モニターで確認すると、いつの間にかドックを飛び立ったナデシコが、こちらのあとを追って来る。

 ナデシコの重力波圏内に入ったので、エステバリスのエネルギーも回復したのだ。

 コミュニケーターの画面の中で微笑むユリカに、アキトは叫んだ。

「ユリカ、どうして!」

「私が敵接近の警報を受けたのは、こっちに戻って来る途中のことだったの」

 ユリカは笑顔で答える。

 そして、ずいっとコミュニケーターの画面に顔を近づけて、ぷうっとふくれ面をしてみせて、

「だって、お父様ったら、ひどいのよ。私に叔母様に会いに行けと言ったのは、お見合いをさせるためだったの」

「み、見合い?」

 呆れて聞き返したアキトに、ユリカは頷いて、

「そうなのよ。今まで忘れてたけど、オダワラの叔母様って、親戚中で恐れられてる、お見合いマニアだったの」

「お見合いマニア……?」

「親戚中の年頃の子に、お見合いを紹介して回ってるの。だからいつも忙しくて、ずっと会ってなかったのは、それが理由なの。その叔母様が、お父様と組んで、私にお見合いをさせようとしたわけ」

「はあ……」

 アキトは呆れ果てた顔をする。

 ユリカはコミュニケーターの画面から離れて、真顔に戻って言った。

「さあいいわ、アキト。あとは私に任せて。ルリちゃん、敵艦からできるだけ離れて」

「わかった」

「わかりました」

 アキトとルリは、それぞれ回避行動をとる。

 敵艦は二機のエステバリスには構わず、新たに出現した敵――ナデシコに向けて砲門を開いた。

 だが、その砲撃はことごとく、ディストーション・フィールドに弾き返される。

「グラビティブラスト、発射準備! 目標、敵戦艦!」

 ユリカは、二機のエステバリスが敵艦から充分に離れたのを見て、指示を下した。

「――発射!」

 まばゆい光の帯が、敵戦艦を呑み込んだ。

 

 

 残りのバッタを始末するのに、さほど時間はかからなかった。

 ナデシコのクルーは格納庫に集まり、帰還する六機のエステバリスを迎えた。

 アキト、リョーコ、ヒカル、イズミ、アカツキが、それぞれの機を降りる。

 そして最後にルリも、うつむいたままエステバリスを降りて来た。

 アキトは、ルリに近づいて行き、黙って手を振り上げる。

 ――ぶたれる!

 ルリは覚悟を決めて目をつむる。

 だが、ユリカが、アキトの手をつかんで止めた。

 振り向くアキトに、ユリカは首を振る。

 ユリカは、ルリの前にしゃがんで、にっこりと微笑んで言った。

「水族館を守るために、エステバリスで出撃してくれたんだって?」

「…………」

 ルリは目を開けてユリカの顔を見たが、すぐにうつむいて、何も答えない。

 ユリカは、ルリの手をとって、

「すごいわ。私なんか、とてもそんなことできない。だって私、エステバリスなんか操縦したことないし、無理して操縦しても、あっさり敵に撃ち落とされて終わってたと思う。水族館が守られたのは、ルリちゃんのおかげよ。水族館の人たちも感謝してると思う」

「……私はただ、水族館の生き物たちを、助けたかったんです」

 ルリは言った。

「でも、そのために皆さんにご心配をかけたことは、申しわけなかったと思います。ごめんなさい……」

「いいのよ、結果オーライってね。水族館は守られたし、お魚さんたちは助かったし、ルリちゃんも無事だったし、何も問題ないじゃない。ね、アキト?」

「……え?」

 ユリカの笑顔に、アキトは、ぎこちなく頷く。

「うん、まあ……」

 ユリカはもう一度、ルリに微笑みかけて言った。

「でもね、ルリちゃん。もう二度と、自分一人の考えで行動しないでね。ルリちゃんには、オペレーターという大切なお仕事があるんだから。ルリちゃんが勝手に持ち場を離れたら、みんなが困るの。ううん、それ以上に、ルリちゃんが黙っていなくなったら、みんなが心配するんだから。ね?」

「……はい」

 ルリはうつむいたまま、こくっと頷いた。

 

 

「先ほど、地球連合軍より緊急連絡がありまして……」

 艦橋に居残っていたプロスペクターが、戻って来たクルー一同に告げた。

「北極海に落下したチューリップの破壊のため、ナデシコに出動命令が下りました。従いまして本艦のメンテナンス作業は中止、よって休暇も取り消し、ということになりますです、はい」

「ええぇぇぇぇっ!」

 クルーは、不満の声を上げる。

 だが、その中でユリカだけが、

「わかりましたっ!」

 と、びしっと敬礼して、クルーに向かい指示を下した。

「ナデシコ、発進準備! 楽しい休暇はおしまい! きょうから再び、地球のみんなのために働きましょう!」

「きょうからって、いまからか?」

 リョーコがアクビを噛み殺しながら言い、ヒカルも腕時計を見てうんざりした顔で、

「午前3時半。いつもなら、まだお布団の中よ……」

「ユリカの奴、何であんなに張り切ってるんだ、休みが潰れたってのに」

 アキトが呆れ顔でつぶやいて、ジュンが、

「きっと見合いのことで親父さんと喧嘩して、開き直ったんだろ」

「さあ、行きましょう! ナデシコ、発進!」

 ユリカは、びしっと空を指差した。

 

 

「――あの、ルリちゃん」

「え……?」

 ヒラツカ・ドックを発って数時間後。

 シベリア上空を飛行する、ナデシコの艦橋。

 アキトは、リボンをかけた大きな包みを、ルリに手渡した。

「渡しそびれてたけど、これ、水族館のおみやげ。記念のものはいらないって言ってたけど、それじゃ、あまりに寂しいと思って……」

 ルリは、包みを開けてみた。

 大きなペンギンのぬいぐるみだった。

 アキトが言った。

「俺、思い出って、大事だと思う。だって、思い出の積み重ねが、いまの自分を作ってると思うから」

「アキトさん……」

 ルリは、アキトの顔を見上げる。

 アキトは、照れ臭そうに頬を掻いて、

「俺にとっては、ナデシコの仲間と一緒にいる毎日が、一つ一つ大切な思い出なんだ。ナデシコのみんながいるから、いまの俺がいる。だから、ルリちゃんにも、みんなと一緒にいる時間を大事にしてほしい。きのうの、水族館のことも……」

「……ありがとう」

 ルリはうつむき、頬を赤らめた。

「大切な思い出にします……」

「あーっ! ずるいずるい、アキト!」

 ユリカが叫んだ。

「私には、何もおみやげ買って来てくれなかったのに、ルリちゃんにだけ!」

「ユリカは、おみやげいらないって言ったじゃないか」

 アキトが言うと、ユリカは、ぶるぶるぶるっと首を振り、

「言ったけど、言ったけどでも、アキトは絶対、ぜーったい、買って来てくれるって信じてたのに!」

「そうよねぇ。普通あそこまで言われたら、本当は買って来てほしいんだって気づくよねぇ」

 ヒカルが言って、イズミが、

「大砲の音と鐘の音。ドン、カーン」

「何だよ、みんなして! 俺が悪いって言うのか!」

 叫ぶアキトに、ミナト、メグミ、リョーコ、ヒカル、イズミ、エリナにアカツキが、声を揃えて、

「あんたが悪い!」

 ゴートがジュンに、

「アオイ君、君は艦長へのおみやげを買ったんじゃないのか?」

「買いましたけど、でも、同じペンギンなのに、あっちは大きなぬいぐるみ、こっちは小さなキーホルダー。とても渡せないですよ……」

「やっぱり、みんなバカばっか」

 コンソールに頬杖ついて言ったルリの前に、コミュニケーターの画面が現れて、オモイカネのメッセージが表示された。

『それもまた 忘れ得ぬ思い出』

「……うん、そうだね」

 ルリは、ちょっぴり微笑んだ。

 

(終わり)

 




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