【 TIP OFF 】

 

第六話 『そして非日常へ』

 

 

 

 

「…でさあ、ミサトったら寝ぼけて、ねえ、ハヤト… 勝つだけがレースの全てじゃない

わよね…?、とか口走ってるんだもの、笑い死ぬかと思ったわよ」

「へ、へえ…?」

底抜けに明るい調子で言うアスカに、ヒカリが少し顔を引きつらせて曖昧に相槌を打つ。

「あれ? 面白くなかった?」

「う、うん… ごめんなさい、そういうマニアックなのはちょっと…」

良く分からないことを言うアスカに良く分からない答えを返すヒカリ。

…それに。

…アスカ、目が全然笑ってないんだもの。

よく見ればこめかみにはうっすらと血管が浮いているし、ペンを握っている手はぷるぷると

震えている。

アスカに気付かれ無いようにそっと彼女の隣の席に視線を向ける。

相変わらず、彼、碇シンジは数人の女生徒に囲まれて談笑している。

朝のHR後や1、2時間目の後の休み時間はまだマシだったのだが、アスカの干渉がどうも

無いらしいと知れるや、シンジの周りには今のように絶え間無く人垣が出来るようになった。

まあ、しょうがないといえばしょうがないのよね…、とヒカリは思う。

昨日は、アスカがべったりな上目を光らせてたものだから、他のクラスメート達には近づく

チャンスさえなかったのだ。

ただでさえ物珍しい転入生。

それが、シンジのように優しげな物腰と、高校生離れした落ち着いた雰囲気、その上男子

高校生特有の油っぽさを全く感じさせないすっきりとした中性的な顔立ちとくれば、今日びの

女子高生、興味を持つなというのは酷な話であろう。

…はあ。

これもまた、アスカに気付かれ無いようにヒカリが軽く溜息をつく。

アスカの気持ちはわからないでもないけど、そんなに気になるなら…、とヒカリは思う。

…こういうところは、相変わらずなんだから。

「ねえ、アスカ…」

さすがにそろそろフォローを入れようと思ったヒカリが声を掛けようとした瞬間、シンジを

取り巻く人垣が一際大きな嬌声を上げる。

ぺきゃっ。

アスカの持っていたペンが、妙に乾いた音をたてて真っ二つに折れる。

顔には笑顔を張りつけたままであったが、それまで纏っていた怒気が膨れ上がり殺気へと

進化するのをヒカリははっきりと知覚した。

「あ、アスカ! きっと今日だけよ! ね!?」

今にも大爆発しそうなアスカを必死に宥めつつ、ヒカリは自分の隣の席でケンスケと何やら

話しているトウジの背中を蹴りつける。

「いっつっ、な、何やね…」

背中をさすりながらこちらを向いたトウジは、全てを言いきる前にアスカの鬼気迫る様子と

ヒカリの必死の「ちょっと何とかして! じゃないとお昼抜きよ!」のアイコンタクトで

状況を理解する。

泣きそうな顔でケンスケに顔を向けると、ケンスケは苦笑いして肩を竦めるものの頷いている。

意を決して、2人連れ立ってシンジを取り巻く人垣に割って入る。

「あれ、どうかした?」

急に現れた二人の友人に、シンジが不思議そうに訊ねる。

「シンジ、ちょっと外の空気でも吸いにいかへんか?」

がしっとシンジの肩を掴む。

少し切羽詰まった様子のトウジにシンジは首を傾げる。

「え? でも、そろそろ授業始るよ?」

「まあまあ、いいじゃないか? トウジを助けると思ってさ」

こちらは、苦笑いを浮かべてケンスケがトウジとは反対側の肩を掴む。

「え? え? え?」

状況が把握できないシンジに構わず強引にシンジを立たせる。

「ちょっ、ちょっと、二人とも?」

「さ、屋上でも行こうぜ、シンジ」

「せやせや」

周囲からの密度の濃い不満の声を無視し、未だに?マークを顔中に貼り付けたシンジを

引きずって二人は教室を出ていった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

普段なら、昼のこの強い日差しの下、心地よい爽快感を感じさせてくれるはずの、屋上ならではの

頬を撫でつけるこの風さえも、今日ばかりは、少なくともその場に居合わせる3人にとっては、

気まずさを煽るだけのひどく空ろなものであるように感じられた。

 

その場にいる5人はその時間に相応しく、それぞれ思い思いの昼食を口に運んでいた。

少なくとも表面上は。

 

 

3人の視線がつーっと揃って左に動きアスカを捉える。

 

アスカは、ぺたんと女の子座りして、膝に広げたお気に入りらしい小さな赤いお弁当箱から

お手製のおかずを器用に箸で口に運び運び、もごもごと咀嚼している。

ただし、何処か苛ついた様子で。

けれども、視線を泳がせながら。

 

はあ…、と3人はユニゾンして溜息をつくと気を取り直すようにまたつーっと視線を右の

シンジに移す。

 

シンジは、ただ黙々とここにくる前にトウジとケンスケと共に購買部でフライングゲットした

ヤキソバロールをかじっている。

ただし、頬にくっきりと鮮やかな紅葉を貼り付けて。

しかも、明らかに不機嫌そうな表情で。

 

はああ…、と更に深い溜息をつく3人。

まあ、無理も無いといえばその通りであった。

顔を合わすなりいきなり理由も告げられずビンタされれば、誰だって不機嫌にもなろう。

しかし、アスカはともかくもこのようにシンジまでも取りつくしまも無いと言うようでは、

もはや3人にはどうすることも出来ない。

しかたなく、それぞれの昼食に手をつける。

気まずい沈黙が続く。

箸を動かす音とパンを包むビニールがこすれる音だけが虚しく響く。

ケンスケは軽く溜息をつくと、やれやれといったように肩を竦めてからすくっと立ち上がる。

「ちょっと、便所行って来るわ」

去り際、逃げるな!、というアイコンタクトを必死に送り付けて来るトウジとヒカリに、

目配せする。

あ… そうか、とケンスケの意図を読み取ってまずヒカリが立ち上がる。

「ちょっと、飲み物買ってくるわね」

演技に自信はないが、出来る限りさもふと気付いたように言ってみる。

「お、それならわしも付き合うわ」

ぎこちなくそれにトウジが続き、連れ立ってその場を離れていった。

 

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…ねえ」

沈黙に耐え切れなくなったアスカがおずおずと口を開く。

「…………」

「ちょっと、なんとか言いなさいよ… 男らしくないわねえ」

アスカがちょっと拗ねたようにそう言うと、ぴくんと僅かに反応したもののやはり黙々と

カツサンドにかじりつくシンジ。

「…………」

「…なによ、まだ怒ってるの?」

ちょっと気まずそうに訊くアスカに、とうとうシンジはきっとした視線を合わせる。

「当たり前だよ! 有無も言わさずひっぱたかれて怒らない訳ないだろ! それに、

男らしくないだって? そういうアスカの方は完全に女らしくないよ!」

「な、なんですってぇ!?」

「だってそうだろ!? いったい何処の世界に、出会い頭に何の前触れも無く男をひっぱたく

女の子がいるんだよ!? そりゃ、嫉妬してくれてるのは光栄だけど…」

「だ、だ、誰が嫉妬なんかしてるってーのよ!」

顔を赤くしたアスカがシンジの言葉を慌てて遮って言う。

「じゃ、なに?」

「う…」

間髪入れずに返ってきたシンジのストレートな物言いに、思わずたじろぐアスカ。

視線を斜め下に落として、必死の頭の中で言葉を探す。

はあ、と軽く溜息をついてからその手をシンジが優しく取る。

それを感じ、はっと顔を上げると苦笑い気味に微笑するシンジの視線に出会う。

「ねえ、アスカ…」

正面から見据えられ何処か気恥ずしさを感じてしまい、アスカはまた俯いてしまう。

「な、なによ…?」

「うん… 昨日も言ったけど、クラスのみんなとはこれから2年間付き合っていくことに

なるんだよ…? その上、好意を持って接してくれているのに邪険に出来る訳ないだろ?」

「それは… わかってるけど…」

むう、と上目遣いにシンジを見上げ歯切れ悪くアスカが口を開く。

「…でも… あたしは… やっぱり…」

言ってるうちにアスカの顔にどんどん桜色に染まっていく。

そんなアスカにシンジは優しく微笑みかて、頬に手を添える。

「…うん。…ありがとう、アスカ。でも、彼女たちだってそんな意味で僕に話し掛けてるんじゃ

無いと思うよ? それに…」

反論が無いわけでは無かったが、段々赤くなっていくシンジの顔を見上げながら続きを待つ。

今度はシンジが自分を真摯に見上げるアスカの視線に詰まる。

「それに…、その、僕にその気はないって言うか、その、僕は… ね?」

視線をあっちこっちにさまよわせた挙げ句、誤魔化すように照れ笑いを浮かべる。

それを見て、完全に余裕を取り戻したアスカは、くすっと笑うと体の向きを変えシンジに

背中を預ける。

「あ、アスカ…?」

陽の光の下で感じる、アスカの温かなぬくもりと柔らかな感触に、シンジは何処か気恥ずかしさを

覚え一瞬少しうろたえてしまうがすぐに気を取り直して、アスカの体を胸の中におさめる。

少しの間目を閉じてシンジを感じていたアスカが、首を後ろに倒してシンジの顔を見上げて

確信犯的な笑みを浮かべつつ口を開く。

「…で?」

「…え?」

「だからあ、僕は…、の続きよ!」

アスカは今回もまたシンジの逃げを許さなかった。

 

 

「な、どうせ二人っきりになればああなるんだよ」

屋上へのドアの隙間から様子を伺っていたケンスケがうんざりしたというように、溜息をつく。

「しっかし、シンジの奴… 惣流の扱いかたを心得とるのお…」

同じように、半ば感心したようにトウジが呟く。

「このままほっといたら、どうなるかしら…?」

未だに二人を伺っているヒカリがぼそっと呟く。

「「…………」」

ずざざっと思いっきり引いた二人は、何か怖いものを見るような目でヒカリを見詰めた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

体育館にバッシュの底がフロアに吸い付く乾いた音が響く。

コートでは、スターター組と控え組による実戦を意識したオールコートの5対5が行われていた。

「あいつ、上手い…」

2階席からヒカリとその様子を見物していたアスカが呆然と呟く。

「鈴原が上手いとは言ってたけど…」

ヒカリもまた呆然と呟く。

シンジは控え組のPG(ポイントガード)としてコートに立っていた。

その動きは素人目にもかなりのもであることがわかった。

仮にも県予選で決勝に駒を進めたチームのスターター達がシンジ一人にいいように引っ掻き

回される様は尋常ではなかった。

 

 

「きゃー! 碇君凄ーい!」

「わぁ、凄い上手ぅ!」

「かっこいい!」

 

 

アスカ達と同じように見学に来ていた女生徒達のうちの一グループが黄色い声を上げる。

何処で聞きつけたのか既に名が知られてるのは、校内で抜群の人気を誇るバスケ部なればこそ

だろう。

 

 

「昨日転入して来たんだってぇ!」

「じゃあ、もしかして…」

「えー! フリーなのぉ!?」

「うっそぉ!?」

「私ぃ、ねらっちゃおうかなあ!?」

「あ、あたしもぉ!」

 

 

「くっ…」

アスカの表情が危険な色を帯びる。

「い、いいじゃない! 口で言ってるだけよ! ね、アスカ?」

ヒカリが少し顔を引きつらせながらも、最悪の事態を何とか回避しようと必死にフォローを

入れる。

「碇君だって相手にしないわよ! アスカにべた惚れじゃない、ね?」

「な、何言ってんの? ヒカリ。あたし全然気にしてないわよ」

明らかに無理をした表情ではあるが、危険な色はどうやら薄れている。

ほっとして溜息をつくヒカリ。

 

 

「ああぁ!」

「痛そぉー…」

「平気かしら?」

「もうっ! 鈴原君ったら!」

「いくら止められないからって、ファールすることないじゃない!」

「くやしいかったんじゃない? やっぱぁ?」

「「「きゃははは!」」」

 

 

ぷちっ。

「ちょっと! なにふざけたこといってんのよ!」

「あ、ちょっと、よしなさいってば! ヒカリ!」

一転してキレて席から立ち上がろうとするヒカリにアスカは必死になってしがみついた。

 

 

「よーし! この辺で休憩にしよう!」

結城の野太い声がコートに響く。

 

 

「ふう…」

マネージャー、冴木カノエから受け取ったタオルを頭から被って、シンジはどかっとフロアに

腰を下ろし壁に背を預け天井を仰ぐ。

僅かな苛立ちが、自然と溜息のかたちをとって吐き出される。

PGとしての習性が身に染み込んでしまっているシンジにとって、周囲を使いこなせていない

という実感は苦痛に近いものがあった。

自分でゴールを狙うプレーも嫌いではなかったが、やはり自分が本当の意味で面白味を感じる

のはアシストである。

周囲が自分に合わせることが不可能な以上、自分が周囲に合わせなければいけないのに、

何と言うか、いまいち上手くピントが合わない。

そんな自分に感じる僅かな苛立ちが、更にプレーの幅を狭めてしまう。

こればかりは、時間を置いて経験を積んでいくしかないとは解っていながらも、やはり100%の

自分が出せないというのは苛つくものである。

その反面、反対チームでプレーを重ねるにつれ、スターター達の細かい癖や長所短所がはっきり

見えて来た。

C(センター)のトウジのインサイドでの圧倒的な支配力とミドルレンジからもゴールを狙える

意外な器用さはこのチームのスコアラーであることを裏付けているが、下手に才能と優れた

身体能力を持ってるためすぐにブロックショットを放ってしまうのは悪い癖である。シュートは

止めるでは無しに、打たせないのが理想だ。トウジにもう少し腰を落とした粘りのあるディフェンス

があれば、僅かとはいえ間違いなく失点は減少するだろう。

PF(パワーフォワード)の樹ユウは成る程県のリバウンド王だけあって、ボール落下地点の

予測はまさに天賦の才である。が、難を言えばもう少しパワーが欲しい。今のままでは、いくら

読みが正確でもスクリーンアウトで負けてしまう時がいつか来るだろう。

SF(スモールフォワード)剣野タケヒコはこのチームにおいては地味な存在だが、シンジは

彼を最も高く評価していた。全ての面において高い能力を持ち、ここぞというところで、よく

効いている。意地悪く言えばこの手のタイプは器用貧乏とも言えなくもないが、彼の場合

それを十分否定し得るだけのものを持っている。

SG(シューティングガード)のケンスケは、こと3Pシューターという点においては、

シンジが今まで出会ったSGの中でもトップクラスの選手だ。

だが、若干3ポイントに拘りすぎていると言わざるを得ない。いくら入るといっても

3ポイントの成功率はよほどのことがない限り5割をきる。

もう少し、本当にもう少しだけ拘りを捨てて、ここぞというときのボールをもらう位置を

広くすれば更に怖い存在になる。

PGの桜ハヤトは堅実なプレーが持ち味である。人の度肝をぬくようなプレーはしないが

常にベターな結果を出している。また、そのディフェンススキルはシンジの目から見ても

かなりのものである。

ただ、彼の場合極端にシュートが少ない。

外、中、ペネトレイション、いずれも殆ど見ることがない。

いくらシュートが不得手といっても、これではマッチアップする相手にしてみればディフェンス

しやすいことこの上ない。

この点に関しては、チーム全体に対しての影響が大きすぎるので即刻改善しないと取り返しの

つかないことになりかねない。

「あの、碇先輩…」

遠慮がちな声に顔に顔を向けると、控え組のメンバー達が集まっていた。

「あ…と、どうかした?」

偉そうなこと考えすぎかな? と少し苦笑しながら応える。

「あの…、今のゲームのことなんですけど…いいですか?」

シンジが僅かに不思議そうな表情をしつつも頷いたのを確認すると、幾つかの場面に言及し、

その時のそれぞれのポジショニング等についてシンジにアドバイスを求めてくる。

初めはポンポン飛び出す彼らの質問に面食らっていたシンジだが、やがて僅かに微笑むと、それらの

一つ一つに意見を述べていく。

シンジにとって彼らの積極性は、心地よく、沈みがちだった心を軽くしてくれるに足りる

ものだった。

 

 

 

  

§

 

 

 

 

先程まで真っ赤に染まっていた空も、今は西の空を残して夜色に染まりつつあった。

そんな微妙な空の色の下、街灯がぽつりぽつりと点いていくさまはどこか幻想的で、なにか

くすぐったさの様なものを感じさせた。

「きゃっ」

急に吹き付けた一陣の風にアスカが、割と短いスカートの裾と背中を覆い尽くす豊かで艶やかな

亜麻色の髪をおさえ付ける。

その拍子に垣間見えたアスカの健康的なうなじと、漂ってきた柑橘系の優しい匂いにシンジは、

今更ながらに何となく赤面してしまう。

…くすぐったいのはこの所為か。

「もうっ… 急になによ! …って、ちょっと、あんた何顔赤くしてんのよ? やらしいわね」

自分も少し頬を染めてアスカがジト目になる。

「そ、そんなんじゃないよ! 見てないよ!」

あたふたと慌てるシンジ。

「…あたしは、やらしい、って言っただけなんだけど?」

ジト目を更にきつくしてアスカが睨む。

「うっ… でも違うよ、それで赤くなってたんじゃないよ」

何とか踏みとどまって冷静さを取り戻すシンジ。

「じゃあ、何よ?」

「い、いいだろそんなの」

「ふーん…」

僅かに唇をとがらせて、納得したようなしないような複雑な表情を浮かべるアスカ。

「何色だった?」

「白」

乾いた音が夜の帳の落ちはじめた第三新東京市に響いた。

 

 

「バスケ部楽しい?」

少し先を歩いていたアスカがやっと機嫌を直したらしく、くるっ体を振り返らせて訊く。

「うん… みんないい人だし、楽しいよ」

でも、と少し苦笑する。

「明日から朝練があるんだけど起きられるか不安だよ。まだ時差ぼけが抜けきってなくって…」

「ふーん…」

少し思案するように、宙に視線をやっていたアスカがふとシンジに訊ねる。

「そういえば、あんた今日のお昼パンだったみたいだけど、御弁当作り忘れたの?」

「え? ああ、そういう訳じゃないよ」

はは、と苦笑いしてシンジが応える。

「じゃ、なによ?」

アスカが不思議そうな顔をする。

「うん。やっぱり、一人分をわざわざ作ろうって気にはなれなくて」

「あ、成る程ね… ってあんた、じゃあ、まさか夕飯なんかもレトルトとかで済ませるつもり!?」

「え? あ、うん。たまには自分で作ろうかとは思ってるけど…」

それが? という表情でシンジが言う。

「あんたねえ… 部活だってやるってーのに、そんなんで栄養足りる分けないでしょ!?」

あきれたように溜息をついて、アスカが怒鳴る。

「そうかな…?」

「あったりまえよ!」

「平気だよ、きっと」

「平気じゃないから、言ってやってんでしょうが!」

「うーん…、でもやっぱり面倒くさいなあ…」

「ったく… しょうがないわねえ… いいわ。あんた、夕飯家に食べにきなさい」

少し頬を赤らめて、さも本当にしょうがないわねえといった様にアスカが言う。

「え? でも、悪いよ… そんな…」

「別に構わないわよ」

そっぽを向いて何処か照れくさそうに言う。

「え、でも…」

「あーっもうっ! ぐだぐだうっさいわねえ! あたしが良いって言ってんだから良いの!

二人分も三人分もたいして手間は変わんないんだから! 余計なこと考えんじゃないわよ!」

「あ、うん…」

「…それから! ついでだからあんたの御弁当もあたしが作ってあげるわ…」

前に向き直りながら付け足すように少し小さな声でアスカが言う。

「…………」

「な、なによ!?」

応えがないのを不安に思ったのか、耳まで真っ赤になっているアスカは再び振り返って、

怒ったように訊く。

「ううん… ただ3年前にはアスカに御弁当作ってもらえる日がくるなんて夢にも思わなかった

から…」

そう言って、はにかむような微笑むシンジ。

「は、ハンッ。か、勘違いしないでよ。別に作りたいって訳じゃないんだから…! そ、そう!

昔の借りを返すだけなんだから!」

思わずその笑みに見惚れてしまった自分を誤魔化すように、アスカが怒鳴る。

「…………」

「な、なによ…?」

笑みを深めて自分を見るシンジに、そっぽを向いたアスカが蚊の鳴くような声で訊く。

「ううん… ありがとう。アスカ」

そう言って歩み寄ると、アスカの手を握る。

「行こう?」

「わ、わかってるわよ…!」

不機嫌そうにそう言い返しながらも、大きなシンジの手をしっかり握りかえす。

「ったく…! あんたはあたしがいないと駄目ねえ… しょうがない、明日の朝あたしも

ヒカリに付き合ってあんた達の朝練見に行く約束してるから、行きがけにあんたのこと

拾っていってあげるわよ。ほら、カードキーよこしなさい?」

そう言って手を出すアスカの頬は、やはり桜色に染まっていた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「ん…」

覚醒間近のまどろみの中にたゆたいながら、シンジは奇妙な違和感を感じていた。

とは言っても、それは不快なものではなく。

全身を優しく包み込んでくれるような。

むしろ、安心でき、身を寄せて甘えたくなるような。

そう感じさせるものだった。

 

 

…何だろう?

…優しくて。

…柔らかくて。

…少し甘い。

 

 

…匂い?

…匂いだ。

…かぎ慣れた匂い。

…いい匂い。

…安心できる匂い。

…母さんの匂いだ。

…元気かな? 母さん。

 

 

夢現のまま、息を大きく吸ってみると、確かに感じられるその匂いに満足する。

 

 

…何だろ?

…右手が痺れてる。

 

 

そういえば… と以前よくあったことを何となく思い出し、苦笑いに近い笑みがシンジの寝顔に

浮かぶ。

 

 

…こういう感じに右手が痺れてる時は必ず綾波が忍び込んできてたんだよなあ。

…何時の間にか腕枕させられてるから。

…腕の痺れで目が覚めちゃうんだよね。

…そう言えば、綾波も母さんとおんなじ匂いしたっけ。

………?

…………。

…………。

…………。

…………。

…まさかね。

…ここは日本だよ。

…僕は一人で日本に来たんだ。

…はは、有り得ないよ。

…そうだよ、あるはずない。

 

 

眉根にしわを寄せて、その想像を打ち消すようにシンジは軽く寝返りを打つ。

ここにきてやっと覚醒しつつあった触覚が、柔らかく暖かいそして妙に心を千々に乱すような、

そんなボリュームを持つモノが体に密着してるのを感じ取る。

 

 

…………。

…………。

…………。

…………。

…………。

 

 

やがて、シンジはあきらめるとゆっくり瞼を開く。

そして大きな溜息を一つ。

予想通り。

そこには、シンジとおそろいのパジャマに身を包みナイトキャップをかぶった彼の妹が

兄の腕枕で心地良さそうな寝息をたてていた。

…何で?

ともすれば、錯乱してしまいそうな心を必死に鎮めて、とにかく事情を訊いてみないこといには

とレイの体に手を掛ける。

「ねえ、起きて…」

「ん…」

軽く体を揺すられると、少し体を丸めて寄り添うようにしていたレイがかすかに身じろぎする。

…………。

そのレイの様子に、何か罪悪感のようなものをおぼえ少し躊躇してしまうが、何とか気を

取り直してもう一度声を掛ける。

「ねえ」

再び体を揺すってみるが、低血圧な彼女はやはり、ん…、とかすかに身じろぎするだけだった。

…どうしよう、そろそろ起きないと朝練に遅刻しちゃうよ。

時計に目をやりながらそう考える。

 

 

…ん?

…朝練?

 

 

レイの頭の下から強引に腕を引き抜き、がばっ、と起き上がる。

…アスカが迎えに来るんじゃないか!

「まずいよ、起きてよ! ねえ!」

ゆっさゆっさと力をこめて、レイの体を揺する。

…まずい! まずいよ!

…アスカにこんなところ見られたら!

しかも、レイの着ているパジャマはサイズまでシンジのものと一緒なため、襟があどけなく

はだけていてレイのこの上なく白い肌を惜しげも無く晒している。

「ねえ、起きてよ! 綾波!」

神に祈りながら、必死に呼びかける。

「頼むよ! 綾波!」

その祈りが通じたのか、ゆっくりとレイの瞼が開かれる。

「綾波! 良かった! 悪いけど早く着替えて… 綾波?」

レイは身じろぎもせずにじぃっとシンジの目を見つめている。

「…綾波?」

「…………」

「ねえ?」

「…………」

「綾波?」

「…違うわ」

「…へ?」

「…呼び方」

「あ… レイ?」

呆けたような顔でそう呼び直すと、レイは、こくん、と頷き少し微笑む。

「…兄さん」

「あ… おはよう、レイ… っじゃなくって! えーと… そう! これから人が来るんだ、

だから早く起きて着替えて着て欲しいんだ!」

せっぱ詰まった表情でレイに訴えるが、レイはまたじぃっとシンジの目を見つめてくる。

今度はシンジにもレイが何を言いたいのか理解できた。

顔に血が上ってくるのを自覚しながら、何とかごまかそうと考えを巡らせる。

が、今は時間が惜しい。

…………。

やがて思い切ったようにすっと手を伸ばし、レイの額にかかった空色の髪をかき上げ顔を

近づける。

「…おはよう、レイ」

そう言って。

ゆっくりと近づいたシンジの唇が。

レイの額に触れる。

その瞬間。

「起きてるぅー? シンジ!?」

上機嫌な声とともにシンジの寝室の扉が開かれる。

…………。

凍りつく部屋の空気。

それまでの緩やかに刻まれていた時が止まる。

 

静寂。

 

はじめに動いたのはレイだった。

ぼーっとした表情のまま、

「…おはよう、兄さん」

固まったままのシンジの頬に軽く音をたてて口付けをする。

「…着替え、してくるわ」

もそもそとベッドから降りると、やはり固まったままのアスカの脇からてくてくと部屋を

出ていく。

そして、再び動き出す時間。

「ち、違うんだアスカ! これは、その、そんなんじゃなくて…!」

アスカは俯きプルプルと肩を震わせている。

「そう! なんだか良く分からないんだけど、居たんだよ! 何時の間にか、起きてみたら

レイが!」

最後の、レイが、というセリフがシンジの口から出た瞬間、ぴくんとしてアスカの震えが止まる。

それを突破口と見たシンジが重ねて言う。

「僕にも、何がなんだか分からないんだ! ぜんぜん聞いてなかったし! だからこれからレイに

訊こうと…」

「…うふふ、うふふふ」

なおもいいつのろうとするシンジの言を遮って、アスカが感情を感じさせない声で笑い出す。

俯いたままのため、その表情は亜麻色のカーテンに隠され窺い知ることは出来ない。

「あ、アスカ…?」

何か本能的な危険を感知してシンジの声が裏返る。

顔を上げたアスカの顔には、凄惨な「無表情の笑み」が浮かんでいた。

「…レイ、だなんて仲がいいのねぇ。それに、これから訊こうする時ってキスするんだぁ…

珍しいこともあるもんだわあ」

ユラ〜っとアスカが近寄ってくる。

ヒッ、とシンジがあとずさる。

「お、落ち着こうよアスカ! 冷静になろう! ねっ!?」

「あらぁ、あたしは冷静よお」

遂に壁際まで追いつめられるシンジ。

死神は目前まで迫っていた。

 

(第七話に続く)


 

あとがき

 

どうも、主命です。

お久しぶりです…。

で、でも、葉っぱなSS書くのにかまけていた訳ではありません。

ええ、本当に(汗)。

 

冗談はさておき、やっと綾波嬢を登場させることが出来ました。

上手くは書けませんでしたが。

今回のお話は何か無駄に長くなってしまったので結構削りました。

ですから、繋ぎ等で粗くなってしまった部分が有るかとは思いますが勘弁してください(極力

気を付けはしたつもりですが)。

 

その辺も含めて、読んでくださった方がどう感じられたのかを聞きたいので是非メールください。

勿論、苦情、お叱り、誤りの指摘等だけでも構いません。

お願いします。

 

それでは、少し長くなってしまいましたが今回はこの辺で。



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