【 TIP OFF 】

 

第九話 『落涙』

 

 

 

 

チチッ…

 

 

軽やかな小鳥達のさえずり。

僅かに残る朝もやの中、朝日が一条二条と浮かび上がる。

普段は通勤・通学の人々が行き交うこの通りも、いまだ人影はまばらで早朝特有の瑞々しい空気と

柔らかい静寂に包まれている。

どこからか、シャッターを開けるけたたましい音が聞こえてくる。

が、それさえも清々しく感じることの出来る。

そんな朝。

 

しかし、今その通りを連れ立って歩き、高校へ向かう彼ら3人は、そんな雰囲気にゆっくり浸れる

ような気分にはとてもなれなかった。

無論、それは彼らの前を、待ち合わせの時間に5分遅れた挙げ句迎えに行ったはずの人物を伴わず

現れ、何の説明もないまま「…行きましょっ!」の一言を口にしたのみでそのまま、押し黙ったまま

その艶やかな亜麻色の髪を背中で揺らしながら歩く少女にも同じことなのだろうが。

その少女の背中を追うように歩を進めながら、ケンスケ、トウジ、ヒカリの3人は示し合わせた

ように同時に深い溜息をつく。

ただし、こっそり。

 

その姿勢のまま、ケンスケが隣を歩く自分より15cmばかり背の高い親友に何ともいえない

視線を送る。

その視線を思わず受けてしまい、ウッとしたような表情をするトウジ。

自らの視線をしばらく葛藤するようにさ迷わせた挙げ句、結局、すまなそうに傍らを歩くヒカリに

視線を落とす。

ヒカリはその視線にもう一度溜息をついてから、仕方ない、という風に頷き、喉の調子を整える

ように、また覚悟を決めるように軽く咳払いする。

 

「あ、あの…アスカ…?」

 

前を行く亜麻色の髪に覆われた背中に変化はない。

 

「あの…碇君は…どうしたの…?」

 

ピクッ

一瞬立ち止まったアスカの背中が、僅かに揺れる。

が、依然口を開かぬまま、またすぐに歩き出してしまう。

 

そんなアスカの態度に、ヒカリは三度溜息をついてしまう。

でも…とヒカリは思う。

シンジが帰って来てからというもの、アスカはよく笑い、よく怒り、そしてまたこれはヒカリに

とっては推量なのだが、よく泣いてもいるのだろう。

無論、だからといってこれまでのアスカがそういった表情を見せなかったというわけではない。

可笑しいことがあったら笑ったし、憤慨するようなことがあれば遠慮なく怒ってみせたし、また

ほんの数回ではあるが悲しいことがあれば泣いたりもしていた。

けれど、そういった感情と、今のアスカのそれらが全く別種のものであることを、ヒカリは知って

いた。

今のアスカは、まさに「自分のこと」でよく笑い、よく怒り、そしてよく泣いているのだ。

当たり前のことのように思えるかもしれないが、これまでのアスカはそうではなかった。

アスカが笑い、怒り、そして泣いてきたのは、その殆どが直接的には彼女に関係のない、彼女が

第三者として立ち会った、その周囲の事象についてであった。

人見知りをせずかつ人当たりがよく、しかしだからといって人に媚びたりするのではなしに、自己を

殺すことなく言いたいことははっきり口にして、しかも感情表現が豊かで清々しいほどに朗らかな

アスカであったから、他の多くの人間は全く気づいていないことだが、ずっと傍にいたヒカリには

わかっていた。

つまり、アスカは「自分のこと」に対しては酷く無頓着であった。

他の人間のためには一生懸命になるくせに、いざ自分のこととなると途端に流れにまかせるのみに

なってしまう。

それは自分を大切にしないとか捨て鉢になってるとかそういうことではなかったのだが、ヒカリに

とってそんなアスカの姿はどこか痛々しいものに感じられた。

 

見方を変えれば、一人の人間との再会に自分のペースを乱され、その人間の行動に対し時に周囲が

目に入らなくなるほど一喜一憂し、またそんな自分に戸惑っているアスカは間抜けなのかも知れない。

ただ、少なくともヒカリにとって、今のアスカがそんなアスカであるということは、どこか嬉しく

思えた。

 

だから、ヒカリは前を行く少女の背中に笑いかけた。

 

 

「ア・ス・カ!」

「きゃっ!」

 

いつのまにか歩を早めて追いついたヒカリに後ろから思いっきり抱きつかれて、その勢いでアスカは

前につんのめってしまい、危うく転びそうになってしまう。

 

「きゅ、急になにすんのよ! ヒカリ!」

依然抱きついたままのヒカリを肩越しに睨みながら、抗議するような口調でアスカが言う。

「だってアスカったらなんにも応えてくれないんだもの」

ニッコリ笑ってヒカリが応える。

その邪気のない笑顔に、アスカは何となく勢いをそがれてしまう。

「あのねぇ… だからって何も急に抱きつくことないでしょ?」

「いいじゃない、たまには」

「たまにはって…」

「ん〜アスカってば柔らかくって温かくて抱き心地いい〜!」

「あ、あのねぇ…」

「碇君が羨ましいわ〜」

「なっ! な、なに言ってのよ! ヒカリ!」

「あ、アスカってばお肌白いから首筋まで赤くなるのがわかるんだ」

「べっ、別に赤くなんて…!」

「でもこれだと碇君も迂闊にキスマークつけられないわね」

「きっ、キスマークぅ!? ちょっ! ヒ、ヒカリっ!!」

「うふふ…冗談」

「あ、あのねぇ!」

「で、なんかあったんでしょ? 碇君と」

顔を真っ赤にして怒るアスカをやっと解放したヒカリは、今度はアスカの隣を並んで歩きながら、

優しい微笑を浮かべながら、その顔を覗き込むようにして訊ねる。

「べ、別に…」

そんなヒカリにプイッとそっぽを向くアスカ。

「だって行ってきたんでしょ? 碇君のところ」

「…………」

「それなのに、遅刻した上碇君が一緒じゃないってことは、碇君の家で何かあったんでしょ?」

「…………」

「んー…寝ぼけた碇君に襲われそうになった?」

「そっ、そんなわけないでしょ!」

「じゃあ、何があったの?」

真っ赤になって食って掛かってくるアスカに、ヒカリはまたニッコリ笑う。

その笑顔に、う、という表情をしたアスカは視線を前方に戻して、ぽつりと言う。

「…あのオンナがいたのよ」

「…え?」

「だから…あのオンナがいたの…」

「…えっと」

ヒカリは、吐き捨てるようにそれだけを言うアスカの言葉を、吟味するように少し考える。

「…それは綾波さんのこと? って今は碇さんか」

 

こくん

そのヒカリの言葉に、しかめっ面のアスカが無言で頷く。

「その彼女が、碇君の家に居た?」

 

…こくん

 

「ふーん…じゃあそれでアスカが怒り出して一悶着起こした挙げ句飛び出してきたってところか…」

的確に事情を把握したヒカリがからかうような調子で呟く。

「だっ、だって一緒に暮らすとか言い出すのよっ!? 年頃の男女が一つ屋根の下でよ!? もう

信じらんないっ!!」

「え!? じゃあ彼女もこっちで暮らすの!?」

「…そーゆーこと」

げっそりしたような表情でアスカがぼやく。

「それはまた…予想外ね…」

「まったくなに考えてるのかしら…?」

「フフ、でもそれならアスカのヤキモチも理解できるかな?」

「なっ! だ、誰がヤキモチなんか妬いてるってーのっ!?」

「アスカ」

「ちっ違ッ…」

「うの? でもさっきそれで飛び出してきたんでしょ?」

アスカがすべてを口にする前に、その言葉を引き取りヒカリがアスカを覗き込むようにして訊く。

「うっ…そ、そりゃ、そういうのもあるけど…なんか…その…あたしもよくわからないんだけど、

なんか少し違うのよ…」

「?」

 

そう…今の自分の胸の奥にある、なにかもやもやしたものは少し違うのだ。

そう、アスカは思う。

無論、ヒカリの言うようにレイにべったりなシンジを見せつけられて、ただ純粋に嫉妬していると

いうのは少なからずあり、否定できない。

ただ、それとは少し違う、或いは全く違うのかも知れない、感情が不鮮明でぼやけてはいるが、

間違いなくあるのだ。

 

『だってしょうがないだろ、家族なんだから…』

 

あの時のシンジの言葉。

そんなのははじめからわかってるし、別段気にしている訳でもない事なのに何でか胸に響く大きくて

重い衝撃を受けた。

 

…なんだろ…アレ。

 

自分の中に、自分では捉えきれない不鮮明な感情が存在するのはアスカにとって、どうにも奥歯に

物が挟まったような、そんな歯痒さを感じさせた。

しかし、なんとかその正体を確かめるために、先程のシンジとの遣り取りをじっくり吟味しようと

すると、途端に胸を刺すような鋭い痛みに襲われてしまう。

 

…なんでだろ…?

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

「…ショート!!」

 

スターター組の堅固なゾーンを崩しきれず、苦し紛れに3Pを放った控え組のG(ガード)が、ボール

をリリースした瞬間、悔しそうな声音で叫ぶ。

その声に合わせて控え組フロントラインの面々が、ゴールを目指して弧を描くボールを見上げながら

それぞれの相手に対し、果敢にスクリーンアウトを試みる。

が、ボールがリングの手前に弾かれた瞬間相手を抑えこんでいたのはやはりスターター組のフロント

ラインを構成する面々であった。

C(センター)のトウジはその身体能力にモノを言わせて。

PF(パワーフォワード)の樹は、的確な読みと駆け引きで。

SF(スモールフォワード)の剣野は、持ち前の器用さとスピードで。

それぞれが相手をスクリーンアウトしていた。

結果、落下地点に一番近い樹がポジショニングの優位さから空中での競り合いも楽々とモノにして

リバウンドを勝ち取る。

 

そして…

 

「ッ!」

 

殆ど着地と同時に、すでにサイドで駆け上がろうとしているPG(ポイントガード)の桜に鋭い

バウンドパスを送る。

リバウンド争い後の一瞬の気の緩みをを突く、速攻。

彼ら壱校の持つ定型の一つである。

 

しかし。

 

パスを受け、切れのあるドリブルで敵陣を目指す桜の前に素早く戻ったもう一人の控え組Gが

立ち塞がる。

 

「お、進歩…」

 

一瞬ドリブルを止められながらも、からかうような口調でそう呟く桜に、控え組Gは更に腰を沈めて

切り込みを警戒する。

が、決してやみくもにボールを取りに行こうとはしない。

ここでの彼の役目は、速攻を止めて味方がゾーンを組む時間を稼ぐためだからである。

下手に手を出してあっさり抜かれては、何の意味もないのだ。

 

「でもな…」

 

そう呟くと同時に桜は身を沈ませる。

同時に瞬発力にものを言わせて、行く手を阻む控え組Gの体を微妙な力加減の左手で抑えつつ右脇に

切り込む。

が、素早い反応で必死にコースに進入し抜かせまいとする控え組G。

 

刹那。

 

「ッ! ちょっと腰落としすぎだろっ!?」

 

桜は、鮮やかなバックターンで控え組Gを巻き込むようにしながら左脇を抜ける。

すぐにヘッドアップして、控え組のゾーンが整いつつあるのを見てとると、一つ舌打ちしてから

ハイポストに入った剣野にパスを出す。

 

「…………」

 

鋭く迫るボールを視界に入れながら、剣野を抑える控え組G(ガード)がこれから剣野がとりうる

幾つかのオフェンスパターンを頭の中で挙げた瞬間。

控え組Gの目には、今にも剣野に渡らんとしていたボールが、その勢いのまま急に角度を変えて

外に流れたように見えた。

剣野が、いつのまにか3Pライン外右45°の位置に陣取ったケンスケに、殆どダイレクトでノールック

のクイックパスを出したのだ。

パスを受けるやいなや、ノーマークのケンスケはすぐにシュートモーションに入る。

慌ててチェックに入る控え組F(フォワード)。

 

「残念」

 

ケンスケはワンフェイク入れてチェックに飛び出してきたFを躱すと、その飛び出しで空いた

スペースに無造作にボールを入れる。

 

次の瞬間。

 

「ッ!」

 

ワンバウンドしたボールは走り込んできたトウジの手で豪快にゴールに叩き込まれる。

 

 

 

「なんか…気合入ってますね、みんな…」

鬼気迫るといった様子の練習風景を眺めていたヒカリが呆然としたように呟く。

「そりゃ…ね、なんたって次ぎ勝てば全国だもの」

そんなヒカリの言葉を受けて、マネージャーの冴木カノエがニッコリ笑う。

「それにね…」

「それに?」

僅かに声の調子を落としてカノエが続ける。

「三年にとっては、もしかしたら次の試合が引退試合になるかもしれないしね」

「あ…」

「でもま、勝ちさえすればいい話なんだけどね?」

返答に困ってしまったヒカリをフォローするように明るい調子に戻してカノエがあっけらかんと言う。

 

「あ、休憩みたい。それじゃ、アタシはタオル渡してくるから。…あ、鈴原の汗はヒカリちゃんが

優しく拭ってあげるぅ?」

流し目でニヤッと笑いながら、つけたすようにヒカリに言う。

「カ、カノエさん!」

「アハハ! いつまでも初々しくていいわねえ!」

「も、もうっ!」

からかうような調子で笑いながら駆けていくカノエの背に、頬を赤く染めたヒカリが頬を膨らませる。

 

「まったく…カノエさんもアレさえなければ、ホントイイ人なのに…ね、アスカ?」

「…………」

コートに出ていたメンバーにタオルを渡すカノエを遠目に見ながら、ヒカリが隣のアスカに声を

かけるが、応えがない。

 

「?…アスカ?」

「…………」

ふと横を見ると、アスカはどこかぼうっとした、心ここにあらずなといった表情で、焦点の合って

いない瞳を体育館の床に向けている。

 

「アスカってば!」

「…………」

 

「アスカ!!」

「…なっなに!? ってヒカリ? ちょっと!ビックリさせないでよ!」

急に肩をがくんがくん揺すられて、ハッと気がついたはいいが、思わず焦ってしまったアスカが抗議

の声を上げる。

 

「ビックリさせないでって、ビックリしたのはこっちよ! アスカったら全然返事してくれないん

だもの!」

「…え? あ、ああ。ゴメン。ちょっと考えごとしてたから…」

「考えごと…って今朝…」

「何を考えてたんだい? アスカちゃん?」

そう気まずそうに言うアスカの肩に、やおらにゅっと腕が回される。

「い、樹先輩!?」

「…………」

「アスカちゃんからの相談事なら大歓迎だよ…さ、遠慮なく言ってみなよ」

ビックリするヒカリにフフフと笑ってから、肩にまわした手はそのままに俯くアスカの顔を覗き込む

ように樹が言う。

 

「…………い」

俯いたアスカの口から低音のくぐもった声が発せられる。

 

「え?」

聞き取れず、アスカの口元に耳を寄せる樹。

 

「…せ……い」

「ゴメン、やっぱりよく聞こえないよ、アスカちゃん」

アスカが何かの強烈な衝動に耐えるように、プルプル痙攣してるのに気付かずさらに耳を寄せる樹。

 

その瞬間。

 

ガッドゴッ

 

「汗臭いっって言ってんのよっ!!! このヘンタイっ!!!」

「ッ〜!!」

「次、あたしの身体に触ったらこんなんじゃすまないんだからっ!」

股間を抑えてのたうちまわる樹にアスカが吐き捨てるように言う。

 

「ヒカリ、ちょっと気分悪いからあたし外出てくるね…」

「え!!? あ、うん。わかった…」

肘の撃ち下ろしから股間蹴りの鮮やかすぎる連続技に、内心背筋を冷やされながら既に出口に向かって

歩き出しているアスカにヒカリが応える。

 

「アスカちゃん、ホントにどうしたんだい?」

「!?」

そんなヒカリに、何時の間にか復活した樹が心配そうな表情で訊く。

「だ、大丈夫なんですか?」

「ん? ああ、まあ慣れてるからね?」

「はあ…」

こともなげにそう言われては、ヒカリも返す言葉が無い。

「それより、アスカちゃんのことだけど、何かあったのかい?」

「…ええ…まあ…あるようなないような…」

「?」

「実際、私もよくわからないんです。多分…アスカにも…」

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「失礼しました」

「…………」

 

これから頑張ってね?と愛想よく手を振ってくれる事務員にもう一度軽く頭を下げてから、

二人は事務室を退出して、顔を見合わせる。

 

「…………」

「…………」

 

「なんか…随分呆気なく終わっちゃったね、手続き」

拍子抜けしたようにそう言うシンジの言葉に、レイもまた、こくんと頷く。

「母さんが、手続きはもう済ませてある、なんて言うから逆にまたどんな行き当たりばったり的な

ことしでかしたんだろって警戒してたんだけど…ホントに済ませてたんだね」

 

そんな兄のあからさまな物言いに、レイは僅かに薄い微笑みを浮かべる。

それに気付いたシンジもどこか嬉しそうに微笑む。

 

「でも…どうしよう? なんか中途半端に時間余っちゃったね?」

腕時計に視線を落としながら、少し困ったようにシンジが言う。

「…兄さん?」

「え?」

 

下からもの問いたげな視線で見上げてくるレイに、シンジが相槌を打って促す。

「…行かなくていいの?」

「…うん。もう随分過ぎちゃってるし、レイを一人にするのもなんだしね?」

「…そう」

その言葉に、またレイの顔に僅かに微笑みが浮かぶ。

 

「…なんか今朝は慌ただしかったから少しゆっくりしたいね」

少し苦笑気味にそう言うシンジにレイもまた、こくんと頷く。

「ん。じゃあさ、いいところあるから時間までそこでゆっくりしてよう?」

「ええ」

今度ははっきりと嬉しそうな声で応え、レイは柔らかく微笑んだ。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 

自分は一体どうしてしまったのだろうか?

 

アスカは不思議に思った。

 

全身が凍ったように硬直してしまって微動だに出来ず。

 

ただそこに佇むことしか出来なかった。

 

ただただ見つめることしか出来なかった。

 

辛いのか、心地いいのか。

 

哀しいのか、嬉しいのか。

 

苦しんでいるのか、安らいでいるのか。

 

それすらわからない。

 

けれど。

 

何か大きな感情の塊が、今明確な形をとろうとしていることだけはわかった。

 

 

 

 

アスカのお気に入りの場所である、庭園の中央部にある大樹の下に置かれたベンチ。

光差すその場所で涼しげな風に頬を撫でられながら、何をするでもなく目を瞑ってゆったりと時の

流れに身を任せていると、何となく優しい気持ちになるような気がして好きだった。

 

今も、気持ちを落ち着けるため、また少し考えを纏めるため、この場所に来てみたのだがそこには

、既に二人組の先客が居た。

その二人組の先客はアスカのよく知る「兄妹」だった。

その「兄妹」の姿を目にした瞬間、先刻から彼女の胸の奥で燻っていた、ぼやけて不鮮明であった例の

感情が再び大きく脈動したのだった。

 

 

 

 

青青と繁る大樹の、その緑なす枝葉の隙間から零れ落ちる柔らかな木洩れ日に包まれ、どちらが

どちらにという訳ではなく、互いが互いの身体を支えるように身を寄せ合いながら、控えめな寝息

をたててまどろむ二人。

まるで絵画からそのまま抜け出たような、清らかな光景。

 

 

「…あは…なんで…?」

瞳から大粒の涙が零れ落ちるのを感じ、アスカは二人の姿を視界に入れたまま戸惑ったように笑みを

浮かべる。

そんなアスカの戸惑いには関係無しに、涙は次から次へと溢れてくる。

 

 

 

それがあまりにも印象的で。

 

それがあまりにも優しい雰囲気に満たされていて。

 

そしてそれがあまりにも自然で。

 

 

 

「…………」

 

依然二人の姿を映すアスカの瞳からは大粒の涙が絶え間無く溢れ出し、頬を伝いその細い顎の先から

ぽたぽたと足元に零れ落ちる。

 

しかし、その表情に既に戸惑いの色はない。

 

「…ああ…そうなの…」

 

やっと明確な形をなした、その感情の正体を感じとったアスカは寄り添うようにしてまどろむ二人を

映したままの瞳から流れる涙もそのままに、どこか抑揚にかけた声で呆然と呟いた。

 

 

(第十話に続く)

 



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