終末の果て
THE END OF EVANGELION after story
The second division
朝、いつものように、いつもの時間に僕は目を醒ました。
カーテンの隙間から溢れるほのかな白さ。日の出直後の新鮮な光が僕の目を焼いた。
学校に向かうにも十分すぎるくらいに早い時間。結局あの頃からの習慣はぬけ切らないみたい。もう・・・お風呂の温度に文句を云う彼女もいないのにね。
机に飾ってあるアスカの写真におはよう、と一言だけかけてから、寝間着代わりのスウェットスーツを着替えて部屋を出る。
この時間に起きたのは・・・他でもない、チェロを弾くためなんだから。他のつまらない事に費やしているためなんかじゃないんだから。
どうしてか分からないけど・・・・・・アスカとの絆といったら、まずあの日と同じようにチェロの事が頭に浮んだんだ。
だから・・・・・・かな?朝起きるとまず、チェロを弾くことししている。
またその一日、アスカとの絆を想い出せるように。
チェロを弾くことでアスカとの絆が少しずつではあるけれど、強くなるような気がして。
やっぱり、変?こんな事考えている僕って。
ケースから出して、調弦をする時間さえも僕にとっては神聖な儀式の様なものだから。
いつものようにリビングの窓を開け放って冷たい空気、新鮮な空気を部屋の中に導く。
どうしてか分からないけど・・・澄んだ響きが出るような気がして。
十分すぎるくらい換気をしてから、おもむろに指で弦を弾いた。
まだ陽の昇る前の、でも真夜中ほどではないにしても優しい薄明かりの世界に響き渡る弦楽器の音色。
そして弓を当てて軽くスケールの練習。
低音から始めて高音まで一息に昇り詰め、後には余韻が残った。
調子は・・・・・・悪くないみたい。
ついさっきまで眠っていた感覚がまだ早い朝の空気にたたき起こされたみたいに明確なイメージ。鋭くなってる気がする・・・って云ったら自信過剰かも知れないね。
今日は何を弾こうかな・・・
ボッケリーニとハイドンのチェロコンチェルトはこの前やって、白鳥も此処一月間ずっと弾きっぱなしでもう暗譜しちゃったし・・・
そうだ、今日は久しぶりに・・・
心に決めると迷わず弓を弦に当てた。
バッハの、無伴奏チェロ組曲。
僕にとっては、一番アスカとの想い出が色濃く残る曲。
好きとかキライとかじゃなくて、きっと僕の心の基盤になっているような音楽。
旋律も、音そのものの輝きも、全てがほのかに色付くように・・・呼気をヴィブラートに重ねる。吸気を運指に乗せる。
どこまでもその音が風の波に乗って広がっていくように。
チェロではなく、僕自身が歌うように。
弾いている間にしか逢うことが出来ない、幻想との会話を楽しむかのように。
オリジナルのスピードでなんて弾けないし、ちょこっとだけ僕はゆっくりに弾いた方が好き。もう一回チェロを真面目に弾き始めたときなんか左手がつりそうになっていたのにね。
気がつくとあたりは明るくなって、ベランダから見下ろす道路にも散歩を楽しむ人が少しずつ見え始める。
雲ひとつない、爽やかな朝。
チェロを片付けて、ベランダに出ると遥か彼方を見つめてため息をひとつ。
同時に頭の片隅を過るアスカの微笑み。
その微笑みに誘われるかのように、僕は洩らした。
胸の奥深くの何処かに、罪悪感をひしひしと感じながら。遥か彼方にいる彼女の事を胸に描いて。
「ごめん、アスカ。
僕は・・・まだ自分の答えが見つかっていないんだ・・・」
その僕の呟きは、風に流されて何処へともなく消え去った。
僕だけを残して。
たった独りで朝食を取ると何時もの様に学校へ行く準備をした。
以前はあれほど手間のかかっていた朝の準備も今では懐かしいんだ。
如何に『家族』が大きなものかって教えてくれていたのに・・・今更気づいたって遅いのにね。もっと早くに気付けたら、大切に出来たかも知れないのにね。
「今日から、高校三年生か・・・」
誰のためでもない独り言。
成長ではない。惰性のままに進級してきただけ。気づいたらあれから3年が経っているんだ。
そして、独りで暮らしているにも関わらず今でも自然と家を出る時に口に出てくるコトバ。
「いってきます」
どうしてもぬぐい去れない家族への願いは、まだ僕の心から離れていなかった。
THE END OF EVANGELION
The story after conclusion
Episode:7 聖なる予言
学校に着いて、やはり教室には誰もいなかったけれど僕は席に座った。
鞄から専用端末を取り出すといつものようにネットワークにアクセスする。
ネルフの方で僕にあてがわれた仕事・・・・と云うよりも僕が頼み込んでもらったと云った方が正しいのかも知れない。
簡単な・・・事務処理とか云っていたけど、当初は機密に関わる事もあると云うことで容易く一般の人には見せられないものらしい。
僕がどうしても何か仕事がしたいと云ったら・・・日向さんが笑ってこの仕事をくれた。
「じゃあ、最初はこの書類を処理しておいてくれ」って。
良く見ると一級機密扱いになっていて、どうしたら良いか分からないままにしていたら教えてくれた。
自嘲気味に笑いながら、でもどうしようもないと云った感じで。
「旧ネルフの隠していた資料なんだ。
この中から重要と思われるものとか、若しくはこっちに示してある基準を満たすようなことの書いてある部分をまとめていって欲しい。まとめるって云っても、抜粋だけでも良いよ。アブストラクト(概要)だけ解ればまた別の人間が手を加えるから。
君自身も知っておくと良いかも知れない事だしね。
辛いことかも知れないけど。
醜い大人の世界だけど、隠してしまうよりも当事者だった君には知っておいて欲しいことばかりだから」
何でもなさそうに云っていたけど、実際に作業を始めると予想以上に辛い仕事だった。
ディスプレイに表示されるデータを抜粋することよりも、そこに示されるデータの意味が分かる度に心を揺さぶられるような感じがする。
膨大な量のネルフがしてきた所業の記録。
かつて、僕がエヴァで出撃した時の被害状況、人的災害、その他僕が直接ではないにしろ間接的にでも関わったことと云えばかなりの量になることが分かった。
初号機で初めて出撃したときに出た一般市民の負傷者数。
ヤシマ作戦で電力が徴発されたがために救われなかった病人。
アスカと使徒を倒したときに、使徒ではなく間接的とは云えエヴァによって負傷させられた人たち。
最初、ディスプレイを見て五分もすると顔が青くなった。
口元を手で押さえっぱなしになってしまう。
それを見て日向さんは云った。
優しく、そして力強く。
「本当なら・・・君は見ないでも良いデータだよ、それは。旧ネルフでも二尉以上の階級のものしか閲覧禁止指定がかかっていたくらいだからね。
それでも、もし君自身が何か悪いことをしてしまって、それに対する何らかの償いがしたいと云うのなら参考にして欲しい。
償いじゃ無くても、自分のしてきた事の明確なイメージが欲しいとか、どんな事に使うかは君次第だからね。
どうする、やるかい?
他に仕事と云っても未だ監視レベルがSの君ではアルバイトなんかは許可出来ないから最終的にはこっちで斡旋することになるんだけど」
「いえ、やります。やらせて・・・ください」
僕は日向さんの顔をまっすぐに見つめて答えた。
そしてその一言は、僕の決意。
目を背けたくなるような現実にも目を背けずに、真正面から立ち向かっていきたいから。
「分かった、じゃあこれからは此処のアドレスにアクセスしてデータを拾っていって。
忙しいだろうから・・・もしも朝早くに起きているとかそんな時間だけで良いよ。
別に最終的には公開する資料で誰かに見られても構わないものだから、学校とかでやっても構わない。
ただ・・・そのとき君の友達がどんな反応を示すか、良く考えるんだよ。
シンジ君の友達にも初号機に傷つけられた人を妹に持つ子がいただろ?」
そう云ってさっきまで自分が使っていたラップトップ端末を僕に差し出してくれた。
「これ、つかって良いよ。
君のじゃきっと処理速度が遅いだろうから」
僕はびっくりした。
だって、これは日向さんがずっと愛用しているものだって聞いていたから。
新しい機種がでても敢えて買い直さずに自分で勝手に変えてるって云って、とても大切そうにしていたものなのに。
「え?
でも・・・良いんですか?」
「ああ、良いよ。
ちょっと発令所行ってくるから、分からないところとかあったら後でね。それから・・・棚の一番左の下に確かマニュアルがあるよ」
あっさりと頷いてそれだけ云うと、日向さんは自室を出ていった。
呆然とした僕と、冷めたコーヒーの入ったカップ、そして暖かい思いやりを残したままで・・・
冷めたコーヒーを見つめながら、どうしてか分からないけど暖かかったコーヒーの温度がそのまま日向さんの気持ちを暖めてたんじゃないかと・・・そんなことを漠然と考えた。
「おう、シンジ。おはようさん」
「碇、おはよう」
「トウジ、ケンスケ、おはよう」
時計を見るともうそんな時間。
「なんやシンジ。また仕事かいな。たいへんなやっちゃな」
「うん・・・まあね。
これも僕から志願してやっていることなんだし」
そう良いながらも僕は端末の電源を落とした。
此処には、かつての僕の事を知っている人は少ししかいない。
そしてその数少ない人の一人、トウジにもこの仕事の内容は話していない。
どうしても、やがて公開される資料だとは分かっていてもそれを知った時の彼の反応が怖くて・・・
「まったく碇も良くやるよ。
この前のテストも、上位者一覧に載ってたんだろ?
ホント、あの頃の碇からは考えられないな」
ケンスケの言葉は、決して羨ましそうには聞こえない。
仲の良いもの同士の軽口。
「まあ・・・生物と英語の成績が良かっただけだよ。
そう云えばケンスケも今度何処かの写真家に声かけられたとか云ってたじゃない。
この前の雑誌に投稿したものが評価されたんだろ?」
その雑誌に載っていたのは、確かすぐそこの公園で撮った何でもない様な日常風景だったと思う。
少なくともケンスケのその写真に対して持ったイメージはそうだった。
でも・・・その当たり前かも知れない幸せを幸せと受け入れられる事はきっと素敵なことなんだと思う。
僕の気持ちに呼応するかの様にトウジも相槌をうった。
「まったくやなぁ・・・
中学校の頃には女子の隠し撮りばかりしていたケンスケが・・・」
その言葉が最後まで云われることはなかった。
「鈴原、週番でしょ!?さっさと学級日誌をとってきて!」
「あ・・・わ、分かったわ。ほな、行ってくるわ」
慌てて教室を出ていくトウジの姿を委員長は何処となく嬉しそうな顔で見つめていた。
トウジは・・・ダミープラグのせいで、いや、僕のせいで左足は失ったままだ。
LCLから戻ってきても、それに変わりはなかった。
結果、僕はLCLから戻ってきたトウジと逢うのが参号樹との戦闘からの再会となった。
あれから・・・何度トウジに謝ったか、数えたりないくらいだ。
そんなトウジから何度気にするなと云われたか・・・
トウジは自分を、現実を受け入れる事のできる強い男だった。
ケンスケや洞木さんの手を借りながら必死にリハビリをしていた。
洞木さんはそっと、トウジは僕のために、僕が罪の意識に苦しまなくても良い様に頑張っていると、教えてくれた。
その強さを思うと、頭が下がる思いだった。
そしてそんな努力のかいからか、義足で少々足をひきずるとは云っても日常生活に支障は出ない程度になった。
そんなトウジを見ている洞木さんも・・・嬉しそうだった。
「もうちょっとあの二人も正直になれんのかねえ・・・
そう思わないか、碇?」
「そうだね」
ケンスケの顔はいかにも平和そのものだった。
「そういえば、碇君。
今度、市のコンサートに出場するんだって?」
放課後に、声をかけてきたのは同じクラスの女の子。
「うん。そうだけど・・・でも服部さん何処でそれを知ったの?」
服部カオリさん。偶然僕と隣の席になったことがきっかけで、それなりに良く喋る女の子。
ちょっと赤味がかったストレートの髪をポニーテールにまとめて活動的な姿は少しだけアスカのイメージとダブる。
「ふふ〜ん。だってシンジ君がチェロやるんでしょ?
ほら、毎朝マンションで弾いてるって。
新聞配達のバイトしてる友達が教えてくれたんだ。
音楽の先生に聞いたらパンフレットくれて、名前載ってたから・・・
ねぇ、その日聴きに云っても良い?
友達も誘ってわたしは行きたいなあ・・・」
そうか・・・あまり知られていないと思ったのに、そんなところからでもいろいろ分かるんだ・・・
「センセ、こう女の子が云ってんやからここはひとつ懐の大きなところを見せるのが男っつうものやあらへんか?」
トウジが云った。
何か・・・良く分からないコトバだって思わない?
あの頃から全然変わっていないし。それは当たり前のようだけど、とても嬉しいことなんだよね。
「鈴原もこう云ってるし、碇君、良いんでしょ?
わたしも聴きに行きたいな・・・」
「ほな委員長、一緒に行こか。
ケンスケ、お前はどうする?」
「俺は遠慮するよ。
あ・・・でも碇がチェロ弾いているところは写真取らせてもらおうかな」
そんなことを云って他の人には黙っていたことが瞬く間に広まってしまった。
ん?
でも、洞木さんって・・・僕がチェロ弾いてたこと知らないんじゃあ・・・
「ねえ、洞木さん。
どうして僕がチェロ弾いてるの知ってたの?
僕って、洞木さんに云ったっけ?」
でも、その返事は予想外のものだった。
「え?わたしはアスカから聞いたんだけど・・・」
「委員長、それは秘密やて・・・」
「!!あ、・・・ごめんなさい・・・」
洞木さんはばつが悪そうに頭をかくと云った。
「今まで黙ってたんだけど・・・アスカから時々メールもらうの。
アスカにも口止めされてたから云わなかったんだけど、それで聞いて・・・」
アスカ・・・が?
そっか・・・元気にやってるんだ・・・・・・・
窓から迷いこんで来た風が汗ばんだ肌をなでていった。
「あの〜」
誰も喋らなくなった緊張を最初に破ったのは服部さんだった。
僕は彼女に視線を向ける。
「その・・・アスカさんって、誰ですか?」
僕たちは顔を見合わせた。
ケンスケが肘で僕を小突いた。眼鏡が光を反射していて・・・その目が何を視ているのかは解らない。
「碇・・・俺たちは何も云わないから、お前から云えよ」
「そや、センセが云いたくないって云うなら、ワイらがどうこう云うことやあらへん」
僕は視線を遠くに移した。
今は此処にいない彼女の顔を思い浮かべる。
いくらでも、鮮明なイメージとなって現れてくる彼女が此処にいないことが無性に悲しくなった。
幻想の中で凄く綺麗な顔を見せてくれなくても、普通に笑っていてくれるアスカがすぐ側にいてくれたらそれが一番なのに。
「あの、云いたくなければそれで・・・」
間が悪そうに云いかけた服部さんに僕は云った。
静かに、意図せずに悲しみが混じったのは、どうしてだったのだろう?
「僕の・・・大好きな人だよ」
他人にこの想いを告げたのは・・・これが最初。
このきっかけが何かの鍵になるかもしれない、と僕は思った。
本当に漠然とした意識だったけど。
きっとそれは、予感。
僕の記憶の中にあるアスカの笑顔と、悲しそうでそれでも綺麗な顔と、二度めのキスをした時の表情がそう遠くもない記憶として甦った。
どうしても捨てられない大切な想いとして、また今日も育んでいけるものだと信じているから。
to be continued
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’99 May 29 初稿完成
’00 Mar 09 改訂第二稿完成