終末の果て

 

THE END OF EVANGELION after story

 

 

 

 

  「碇、今日帰りに音楽室へ寄っていきなさい。

  音楽担当から話があるそうだ」

  授業を終えて帰ろうとしていた僕に担任の先生の声がかかった。

  「はい。・・・と云うわけで、ケンスケ、トウジ、今日は先に帰ってよ」

  先生の言葉を受けて僕はさっきまで一緒に帰る予定だったトウジとケンスケに声をかける。

  「ほな、帰ろか。ケンスケ」

  「しょうがないな、じゃあまた明日な」

  「うん、また明日」

  二人に挨拶をして振り返ったところにいたのは服部さんだった。

  革製の学生かばんを胸に抱きかかえる様にして僕を見つめている。

  「シンジ君音楽室へ行くんでしょ?

  わたしも一緒に行くわ」

  明るい笑顔でそう云って僕の横に並んだ。

  「え?・・・あ、そうか。

  服部さんって確か吹奏楽部だったっけ?」

  ホームルームが終わって賑やかな廊下を僕と彼女は歩いて行った。

  麗らかな光の中で眩しい風が僕と彼女の間を駆け抜ける。

  「そう。

  まったく、わたしだってきちんと新入生歓迎会の時にフルート吹いてたでしょ?

  これでも真面目な部員なんだから」

 

  音楽室は、本館棟からちょっと離れた別棟の3階にあるからどう足掻いても結構な距離を歩かないといけない。

  まあ・・・まだ爽やかな季節だからそう大して苦になるとか云うわけじゃないんだから良いけどね。

  やたらと明るい服部さんを見てると・・・まだあの頃のアスカみたい・・・

  封印しきれない想いが頭を過った。

  そして自分自身のそんな気持ちにおかしくなって思わず笑ってしまう。

  大丈夫、まだ・・・アスカの顔を想い出すことで自信が持てる。

  そして記憶の中のアスカの笑顔はまだまだ霞んでいない。

  「・・・?

  シンジ君、何か云った?」

  不思議そうに僕のことを見つめている彼女。

  階段の踊り場から首を傾げて僕の方を見下ろしている。

  「ううん。

  ただ・・・何か服部さんに良く似てる女の子がいたなぁ・・・って思って、ね」

  服部さんはそれを聞くとちょっと顔をしかめて軽く僕の頬をつねる。

  「シンジ君。

  女の子といる時に他の女の子の話なんかするもんじゃないの。

  解った?」

  悪戯っぽく云って、今度は僕の手を取ると階段を昇りはじめた。

  「あの・・・服部さん?」

  僕は半ば彼女に引き摺られるかのように階段を昇る。彼女の髪が肩で踊っているのが見て取れる。

  「良いから良いから。

  別に誰か見てるわけでもないし、こんなのもたまには良いでしょ?」

 

  僕には・・・何が良いのか良く解らなかったけど、とりあえず真っ赤になりながらもそう云っている彼女にもう一人の彼女の面影を重ねて・・・もう一度微笑んだ。

  「そう・・・だね。

  たまにはこんなのも良いかもね」

  階段を駆け抜けた風は、とても気持ち良かった。

 

 

  こんこん

  「失礼します」

  一言断わって音楽室に入るとそこにいたのは音楽の松井先生。

  ピアノの前に座って背後のスピーカーから流れているヴィヴァルディのCDに耳を傾けている。

  「センセ〜、またCD聴いてるし・・・

  だから何度も云ってるじゃないですか。

  いくら教師の給料は安くて良いアンプ買えないからって学校のを私物化するのは良くないですよって・・・」

  服部さんはだかだかと先生の方に近付くとデッキからCDを取り出した。

  それまで流れていた『秋』が途切れた。

  「あ・・・

  服部さん、此処からがヴィヴァルディの旋律の良いところなのに・・・」

  そう愚痴を云いながら、ようやくとも云った感じで先生は僕の方を向いた。

  「やあ、碇君。待ってたよ」

  「はあ・・・」

  そう云われても、なんと答えて良いか解らない。

  ただ静かな声でそう告げる先生の声は・・・彼のそれと同じ様な響きを何処か持っていた。

  そう云えば・・・・・・この先生もこの前結婚したばかりで話題の人だったけど・・・つかみどころがない様でなんと表現したら良いのか判らない。

  「君は今度コンサートに出るんだろ?」

  本当に単刀直入な問いにちょっと驚いた。普通何かもう少し前振りみたいなものを入れるんじゃないかなあ・・・

  「ええ・・・まあ・・・」

  軽く受け流しておいて窓の外に視点を移す。

  白い雲と何処までも青い空のコントラストが目に鮮やかに映った。

  「シンジ君、松井先生にあんまりいい加減なこと云ってると勝手な憶測が飛び交っちゃうよ?」

  フルートを磨きながら服部さんは云った。

  先生がそれを聞いてにやにやしてるって云うのは、やっぱり本当のことなのかも知れない。

  「・・・と云うことで君にはきちんと答えて欲しいんだ。

  ウチの学校からそう云う生徒が出るのは嬉しくってね、授業でもいろいろ紹介したいし・・・」

  ホントは・・・学校のヒトたちに知られたくないって云う気持ちがあった。

  僕の思い込みかも知れないけれど、他のヒトがしていないことをしているからと云って注目を集める様なのはもう嫌だったから。

  でも、この先生の話を聞いていると、そんなことはどうでも良いような気になってくる。

  「はい、まあ・・・だから、出ますよ。

  二日めのプログラムの夜の部ですけど」

  先生はパンフレットを見ながら頷いた。

  「曲名が未定になっているけど、どう云うわけなんだい?」

  「あ、それはまだ僕が応募した時点では決まっていなかったと云うわけで書いてなかったと云うだけなんです。

  実際にはもう決まっていますよ」

  ふ〜ん・・・と云った感じで服部さんがこっちを見た。

  「先生、ちょっと聴いてて下さいね」

  そう云うと彼女は口にフルートをあて、目を閉じた。

  フルートの手入れが終わったらしく、柔らかい音色が音楽室に響き渡る。

  低音部から高音部まで一気に駆け抜けるとそのままヴィブラートがかかる。

  ものの10秒ほど、僕はその音に聴き入った。

  「・・・先生、こんな感じでどうですか?」

  「う〜ん・・・まあ、合格かな?

  でもまだ最後まで綺麗にヴィブラートがかからないね。ブレスの直前なんかかなり不安定な揺らぎになってる。免許皆伝の道は遠いよ、精進しなさい」

  先生は口ではしっかりしてるのかふざけてるのか分からない事を云っていたけど、顔は満足そうだった。

  「先生そればっかり・・・

  で、シンジ君、何の曲弾くの?

  パートナーは?」

  服部さんは窓辺に置いてあった椅子の処からフルートを抱えて僕の方に向かってくる。

  「バッハの無伴奏チェロ組曲やるから・・・パートナーはないよ」

  それを聞くと先生はCDを取り出すとステレオにセットした。

  「BWVの・・・1007番?それとも別の?」

  「はい、1007です」

  「なかなか碇君も経験はあるんだ・・・

  プレリュードも良いけどメヌエットが難しいねえ・・・あの曲は。

  私は個人的にはプレリュードよりもサラバンデの方が好きだけど、知名度で云ったらやっぱりプレリュードが一番だね」

  いかにも知ってますって云いたそうな口調で先生は云った。このへんは流石に音楽の先生だと思う。

  まあ・・・それでご飯食べてると云えばそうかも知れないんだけどね。

  プレリュードの方が有名な事は云うまでもない。

 

  それからチェロの低音が音楽室に響き渡った。

  奏者は、ヨーヨーマだった。ちょっと昔の、セカンドインパクト前のチェロ奏者。

 

 

 

 

 

 

 

   THE END OF EVANGELION

 

     The story after conclusion

 

     Episode:9  あやかしの鼓

 

 

 

 

 

 

 

  「でも、何でまた無伴奏なんだい?

  白鳥とか無言歌とか、他にもあったんじゃないのかい?

  君くらいの腕前だったらピアノ奏者を志願してくる子はいくらでもいるような気がするけど」

  先生は云った。

  結局なんだかんだと云って音楽準備室に引きづり込まれてのんびりお茶を飲んでいる時に、先生はカルピスをコーラで割った妖し気な飲み物を手にしながら。

  でもどうして僕がチェロを弾くのを知っているのだろう?

  となりからは吹奏楽部の演奏が聴こえてくる。

  先生はどうやらサボっているみたいだけど、別に支障はないみたい。

  現にこうして綺麗に聴こえてくるからね。

  このフルートの音色・・・服部さんかな?

  さっきと同じ、優しい旋律が準備室の方にまで響いてきている。

 

  「・・・なんででしょう・・・?

  気付いたら僕の原点になってた曲だからですね。

  忘れられない想い出もあるんで・・・」

 

  あの日のことを思い出す度に、今でも僕は胸が締め付けられるような感覚に捕らわれる。

  流されていたかも知れないけど、心の何処かで彼女にほのかな期待を寄せていた自分と、その自分自身の心の浅ましさに。

  そして、思い出を過去のものとして懐かしく思えるほど僕はまだ成長していない。

  その彼女が今、何処で何をしているのかと思って遥か透けるような青空を見上げた。

  微かにとなりから聴こえてくるフルートの調べが、耳に心地良い。

 

  何か云ってくるであろうと思っていた先生は、結局何も云って来なかった。

  炭酸の抜けかかった飲み物に浮ぶ氷をからからと回しながら、窓から迷い込んだ風に透かす様に目を細めて。

 

 

 

 

 

 

  「緊張するかい?」

  本番直前。

  舞台裏で一緒に控えている次の人が僕に囁いた。

  彼もヴァイオリンを小脇に抱えながら手持ち無沙汰なのかやたらと手を開いたり閉じたりしている。汗ばんだ手が言葉とは裏腹の緊張を教えている。

  防音扉の向こうで盛んに拍手がうちならされているのが微かに聞こえてきた。

  「ちょっと・・・ね」

  ぎこちなく僕は答えた。

  自分の演奏が・・・どう他の人に聴こえるかなんてもう関係ない。

  大切なのは、僕がどれだけ心を入れられるかと云うことであって、そしてそれをアスカにいつか届けるって決意したと云うこと。

  「まあ、大丈夫だ。

  舞台に立ったら何も頭の中には残っていないから。

  今までの練習だけだよ、最後に残るのは。初めてじゃないんだろ?」

  「はい。でも前舞台に立ったのはかなり前なんですけどね」

  自分を試みるための扉を今、開くために、チェロを片手に僕は立った。

 

 

 

 

 

無伴奏チェロ組曲 第一番 ト長調 作品番号1007

 

 

Prelude

  原曲では低音から湧き上がるように始まる曲だけど、敢えて僕は緩やかに舞い降りるような下降フレーズをひとついれた。

  舞い降りた天使をイメージして。

  天使と云えば・・・やっぱり綾波かな?どうしてか知らないけど、ふとそんなことを思った。

 

  曲調は少しゆっくりと。

  速く弾けるけど、速く弾けばそれが綺麗なわけでもないし、僕はそう思っていない。

  ひとつひとつの音に気持ちがこもれば、それが一番僕の望むカタチ。

 

 

Allemande

 

  最初にアスカの前で弾いたあの日の記憶。

  久しぶりに父さんと話して、きっとチェロのことはそれがきっかけだったんだと思う。

  そしてあのとき・・・僕は何をイメージしていたんだろう?

  まさかアスカに聴かれているだなんて思いもせずに・・・

 

 

Courante

 

  でもあれが、きっと僕の心には一番残ってたんだよね。

  だって・・・今でも忘れないもん。

  あの時はどうしてアスカがあんなことを云ったのか良く分からなかったけど・・・何となくだけど今は分かる。

  どうしてあんなこと云ったのか、あんなことしたのか。

  ・・・きっと今でもキスしてその後でうがいされたら落ち込むだろうなあ・・・

  ふふっ・・・『次は』アスカもあんなことをしないと良いんだけど・・・

 

 

Sarabande

 

  バッハの曲は難しいって、よく云われるんだよね。

  高音がメロディを奏でるだけじゃなくて、低音が下から旋律を浮かび上がらせる。

  奏者は低音を意識することって・・・何回も云われていた意味が最近ようやく解りかけてきた。

  高音の上辺だけの流れのときと、低音に支えられて尚そこから舞い上がる高音部とでは、弾いていても感覚が全く違う。

  もし・・・いや、必ずあるって信じているアスカとの再会の後には、アスカをこんなふうに支えてあげられる人間になりたいな。

  地味だって云われても、関係ないから。

  自分がこうしているからって・・・傲慢でも良いから思えたらそれは素敵な事じゃない?

 

 

Menuet

 

  音が切れないように、掠れないように・・・

  それはそのまま僕のアスカへの想いが途切れたりしないことへの願い。

  弦を押さえる左手は、決して離したくないものを捕まえるようにしっかりと、でも優しく。

  弓を持つ右手は、それが唯一の手段であるかのように大切に。

  そう、想いは言葉にして、行動にして初めて相手に届くものなんだから。

 

  楽器を奏でる時は好きな人を撫でる様にって・・・云われたことがある。

  優しく、愛を込めて。

  もちろん云われた時にはどういう意味か判らなかったけど、今だったらなんとなくイメージ出来る。

  大切にし過ぎるんじゃなくて、もちろん邪険に扱うのでもなく、それそのものを尊重した扱い。扱いと云うよりも・・・僕と同等かそれ以上の対象としての眼差し。

  干渉しないこととか、そんなのが尊重することじゃないよね?

  時には干渉出来るのが本当の優しさだって、僕は思う。

  それに気付くのは遅すぎたけど・・・

 

 

Gigue

 

  そう大して長くない曲だからあと残っているのも数フレーズのみ。

  ヴィブラートをしだいに強くかけながら、テンポを落としながら、最後の部分は単音で慎重に。

  程良い長さでかき消えるように左手を緩める。

 

 

 

 

 

 

  目の前で僕の演奏に賞賛を贈ってくれているひとがいるってことが・・・何処か嬉しくて、何かが解ったかも知れなくて、自然と上気してきているのが分かった。

 

 

 

to be continued

 

 

 


 御意見、感想、その他は てらだたかし までお寄せ下さい。

 またソースにも幾らか書き込みがあるのでよろしければ御覧下さい。

’99 Jun 07 初稿完成

’00 Mar 30 改訂第三稿完成




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