終末の果て

 

THE END OF EVANGELION after story

 

 

 

 

  いつもの様に授業が終わった。

  今日は金曜日だから、帰ったら明日の予習に煩わされることなく本でも読むつもり。

  最近興味を持ちはじめたのが心理学の本。

  ヒトの心を理論的に解き明かすなんてそんな大それたことは出来ないけれど、せめてそんなヒト達の相談に乗るくらいなら出来るんじゃないかって・・・

  なによりも、アスカ自身の心の傷を癒してあげたかったから。

 

  心の傷。

  それは僕にもある。

  僕にもあるからこそ、同時にアスカの持つ心の傷のことを解るんじゃないかって、そう思ったから。

  それに・・・このまま逃げつづけるわけにもいかないって云う思いがやっぱりある。

  過去を過去として振り返らないんだったら、それは潔いとかそんな綺麗事じゃなくて単なる偽善だよね。

 

 

  HRの時間が終わってみんなが帰り始めた。

  僕も机の中から一冊の本を取り出して、裏見返しにある返却日時を確認する。

  しまった・・・今日だ。

  まだこの精神分析入門を読み切っていなかったからもう一度借り直そう。

  そう思って僕は学校の図書館へ向かう。

  「なあ、センセ。何処行くん?」

  「あ、トウジ。ちょっと図書館寄って行くから今日は先に帰ってよ」

  トウジに声をかけながら僕の足はもう教室の外に向かう。

  眩しい陽射しが北側の廊下すら明るい色に染め変えている。

  「ならワイも行くわ。

  ケンスケも確か今日は図書委員の仕事で抜けれんとか云ってたしな」

  そう云ってトウジは僕の手の中にある文庫サイズのやたらと厚味のある本をしげしげと眺めた。

  「精神分析入門?なんやセンセ、えらい難しそうなもの読んでるなあ・・・」

  「そうかな・・・?けっこう納得出来るものだよ、これ。

  ただ厚いから読み切れなくてもう一回借り直すんだ」

  「そりゃまた勉強熱心なことで・・・」

 

  がらがら

  扉を開けたそこにはケンスケが雑誌を眺めながらカウンターに座っていた。

  「お、碇。トウジもどうしたんだ?

  碇が図書館に来るのは納得出来るけどトウジまで来るなんて明日は雪でも降るんじゃないのか?」

  僕はカウンターに本を乗せた。

  「僕は本の借り直し。もうニ週間ね」

  ケンスケは慣れた手付きで手続きを済ませると今度はトウジに云った。

  「で・・・トウジは?ひょっとして俺が寂しいと思って来てくれたのか?」

  トウジは少しの間黙っていた。

  「・・・なあ、センセ。

  明日暇かいな?」

  「別に・・・特にこれと云った予定は入っていないけど・・・

  何か?何処か行くの?」

  「ああ・・・実はな・・・」

  ケンスケが何ごとかとこっちを興味深気に見ていた。

  さっきまで見ていた愛読の風景写真の雑誌はどうでも良くなってしまったらしい。

  「妹と・・・会ってくれへんか?」

  「妹って・・・」

  僕は聞き返した。

  「ずっと前に退院したんや。もう偉い元気なんやで。

  で・・・あいつがどうしてもシンジと話がしたいって云ってな・・・

  だからセンセには辛いかもしれんが会ってくれへんか?」

  僕にはトウジのその声が他の次元からやってきたかの様に感じられた。

 

 

 

  「あ、いたいた、碇君。

  このあいだのコンサートのビデオ編集したから松井先生が見に来ないかって。

  ねぇ、来ない?」

  服部さんが図書館入り口の処から手招きしている。

  「ふ〜ん・・・じゃあ行こうかな。

  トウジも来ない?この前のだって」

  トウジに返事をすることから逃げて、でもきちんと答える余地は残すと云う卑怯なことをしながら僕はトウジに声をかけた。

  「あ・・・そうだ、碇。

  この前のコンサートの写真、松井先生だったっけ?あの先生に渡しといたから見てくれよ。

  久しぶりに人物写真撮ったけど結構自信作なんだ」

  「分かった。

  で、トウジ・・・どうする?」

  「・・・分かった。ワイも行くわ。

  けど・・・今日中に返事、頼むわ」

 

 

  音楽室まではトウジも服部さんも無言のままだった。

  気まずい雰囲気。

  いつかの僕とアスカみたいだ。

 

  結局そのまま何も話さずに音楽室へ入ると吹奏楽部の人達と先生がモニタを囲んでいた。

  「ああ、碇君、来てくれたね。

  みんなに君の演奏を聴かせてあげたくてね。折角だから君にも来てもらったわけだ。

  まあ・・・別にどうこうしろとか無理難題をふっかけるわけじゃないから心配しないで良いよ」

  松井先生はいつものペースに僕を巻き込むとDVDを再生する。

  僕は後ろの方の席に座ると、となりに服部さんが座った。

  トウジは・・・窓辺で壁にもたれかかってそっと目を閉じている。

 

  いつもは・・・こんなふうに自分の演奏したものをもう一回聴くことなんかないから、どうなんだろう?

  今は、他の人もいるから恥ずかしいけど、どんな顔してたんだろう?

  モニタの中で僕が弓を構えて、左手がネックを押さえて、曲が始まる。

  いつもの癖で・・・音楽を本当に聴こうと思ったら目を閉じてしまう。

  演奏者がどう弾いているとか、そう云うことじゃなくて純粋に音だけを聴きたい時は・・・これが一番良いと思う。

 

  後からこうして聴いてみるとかなり緊張していたみたい。

  いつもならもう少し滑らかに弾けていたフレーズとか、楽譜に念入りに印をつけておいたイメージが綺麗に飛んで行っている。

  大それたミスはないみたいだけど・・・それでもちょっとした休符の長さの違いとかに神経質になってしまう。

  ヴィブラートのかかり具合は悪くなかっみたいだし、テンポも悪くない。そんなふうに思ってた演奏直後には考えられないことだった。

 

 

  「どうだい、碇君。

  自分の演奏を聴いた感想は?」

  いつもの笑顔で先生が僕に問い掛ける。

  きっと僕の云いたいことは分かってるんじゃないかな。

  聞いたことないけど・・・この先生もきっとこんな経験あるはずだし。

  「・・・やめてくださいよ、先生。

  自分でも今聴いたら恥ずかしいくらいなんですから」

  「え〜?でも碇君上手に弾いてたじゃないの。

  あれで納得出来ないの?」

  となりで服部さんが不思議そうに聞いた。

  「なんて云うか・・・自分ではもっと納得の行く弾き方があって、それに届かなかったって感じかな・・・

  まだまだ練習が足りないね」

  僕がちょっと笑って云うと先生は云った。

  「ほら、彼でもこう云っているくらいだからみんなはもっと努力せんといかんぞ。

  と云うわけで練習するよ。

  今日はボッケリーニのコンチェルト、とりあえず最初から通して、細かい部分の訂正をしていくから。

  そうそう、碇君はちょっと準備室までおいで。渡すものがあるからね」

 

 

  音楽準備室は今日も爽やかな空気が充満していた。

  隣からはやっぱり部員の人たちが各々の楽器のチューニングをしている音が聞こえる。

  先生は机の引き出しから写真を取り出した。

  「相田君が君に渡してくれって。

  見せてもらったけど彼も中々の腕だね。単に映像の記録だけでは終わらないような迫力がある。

  それに・・・この間のコンサート、私の私見だけど・・・ホント素晴らしい演奏だったね。

  君自身が納得してないだろうことも解っているつもりだけど、何と云ったら解ってもらえるかな・・・そう、指使いに迷いがないんだよね」

  先生はいつの間にか僕に差し出してくれていた紅茶を見て微笑んでから窓の外を見つめる。

 

  僕は手渡されたカップを両手で包み込みながら先生の言葉を待った。

  

  「私ぐらいの歳になってから後悔しているのでは遅いからね。

  今のうちに出来ることをやっておくんだ。

  どんなにみっともないことをしても、後からやっておけば良かった、だなんて悔やむよりはよっぽど救われるんだからね」

 

  何故だか知らないけど、この先生の言葉は重みが違うような気がしてならなかった。

 

 

 

 

  窓の処でトウジはさっきと同じかっこうで管弦楽部の練習を見ていた。

  「トウジ?」

  「・・・ん?

  ああ、センセ。云ってなかったんやけど、この前妹と一緒に行かせてもろうたわ。

  なんかえらく感動しとったで」

  トウジは僕に云った。さっきのことは全く口にせずに。

  「来てくれたんだ・・・」

  そして何も云わずに僕に考える時間をくれたことに感謝をした。

  そこでさっき先生に云われたことをふと思い出す。

 

  「明日、だったね?行かせてもらうから」

  そう答えたのは、僕自身の意志。

  このまま留まっていても何も変わらないのはもう分かりきっていたことだったから。

  「分かったわ。じゃ、うちに来てくれるか?」

  「分かった。

  で、頼みなんだけど、ケンスケも呼んでおいてくれない?

  どうせだから、この際話しておきたいこともあって・・・」

  「委員長は?」

  「彼女は僕が云わなくてもトウジが連れてくるだろ?

  と云うわけで明日・・・何時?」

  「ワイはいつでも良いんやけど・・・なら昼の一時なんか」

  「分かった。十三時ね」

  手短に会話を終わらせると、ケンスケに云うことはトウジに任せて僕は帰ることにした。

 

 

 

  夜。

  今日は月が出ていない。

  いつもなら月の明るさに負けてしまって見えない数々の星が今日ははっきりと見える。

  ベランダで僕はミネラルウォーターの栓を開けた。

  ちゃぷ・・・と小さく音を立ててペットボトルの中の水が揺れた。

 

  トウジの妹・・・か。

  僕はまだ顔も見たことがない。

  知っているのは僕が傷つけたこと、そしてトウジが左脚を失ったのは彼女に良い治療を受けさせる為だったと云うこと。

 

  目を閉じてチェアに背を預ける。

  普段は聞くことが出来ない様な『夜の音』が耳に届く。

  星の息吹、風の溜め息、空気の微笑み。

 

  僕はこの2年間何をしていたんだろう?

  アスカが僕の側からいなくなって・・・自分を見つめ直す良い機会にはなったんじゃないかと自分でも思ってる。

  でもそこから進歩がなかったんじゃないの?

  いつかアスカを迎えに行く。

  自分で決めたはずなのに、そのときの気持ちはどうしたんだろう?

  ひょっとして自分自身に嘘をつくことで、他の人たちは知らない方が良いって勝手に決めつけて、独りよがりなことしてただけなのかな。

  アスカが決めたことだから、アスカのためにはそれしかないんじゃないかって、またそんなことを思い込んで後悔を繰り返してただけじゃないのかな。

 

  もうあのときで懲りたんじゃなかったのか?

  無気力になるのはいつでも出来るんだから。

  全ては守りたいものを守り切ってからでも遅くないって。

 

  伝えたいことは・・・言葉にしないと伝わらない。

  勿論、当たり前の事だ。

  でも・・・僕はどれだけのことを言葉に出来たんだろう?

  どれだけ後悔から遠いところに身を置くことが出来たんだろう?

  ひょっとして今していることも後悔から遠離るつもりで、逆に一直線に後悔に向かって進んでいるんじゃないか?

 

  加持さん・・・

  僕にしか出来ない、僕になら出来ることって何ですか?

  僕はアスカを幸せにしたいんです。

  我が侭でも傲慢でも構いません。アスカに思い上がりだって、云われるかも知れません。

  それと同時に・・・僕はアスカと一緒にいたいんです。

  アスカが望んで僕の元を去ったのかも知れません。

  もしも・・・アスカが『僕のため』と云ってたんなら、加持さん、アスカに教えてあげてくれませんか?

  僕のためなら・・・これからはずっと側にいて欲しいって・・・

  加持さん・・・

 

  これがこのときの僕の最後の意識だった。

 

 

 

 

 

 

   THE END OF EVANGELION

 

       The story after conclusion

 

       Episode:11  頭蓋骨の中の楽園

 

 

 

 

 

 

 

  朝、気づいたらベッドの中だった。

  いつの間にベランダから部屋に戻ったんだろう?

  そんなことすら記憶にないくらい。

 

  ベランダで考えていたことは頭の中に残っている。

  答えが見つかっていないのもそのままに。

  夢か現か区別がつかないほどぼんやりとした意識をたたき起こす為に僕は洗面所に向かった。

  冷水で顔を洗うと流石に意識がはっきりする。

  そうして初めて今日僕が何をすべきなのか、イメージとして描くことが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

  僕は約束の十分前にトウジの家に着いた。

  少々強すぎるかも知れない日光が、あの日と同じ様に陽炎を浮かび上がらせている。

  約束の時間になっていないから・・・と自分に言い訳しながらベルを押す勇気を持つことが出来ない。

  ベルを押そうとしては引っ込めてしまう人さし指。

  陽気の中で、そして緊張のためか汗ばんでいる。

  僕はそっとハンカチで汗を拭った。

 

  どうしようか迷っていたら不意に扉が開け放たれた。

 「ああ、センセ。来たんなら云ってくれたら良かったんに・・・ま、あがってや」

 「おじゃま・・・します」

  トウジに案内されていった先には、既にケンスケも洞木さんももいた。

  そしてその横にいるのが・・・

  「はじめまして、シンジお兄ちゃん。

  トウジの妹のカナエ云います」

  小学校の高学年くらいの女の子が、頭を下げたので僕も慌ててそれにならう。

  「碇・・・シンジです」

 

  勧められた椅子に座りもせず、僕はその場に立ったままだった。

  トウジの妹の瞳と交錯する僕のそれ。

  「ねえ・・・シンジにいちゃん。座ったら?」

  「え?・・・うん・・・」

  彼女に勧められてようやく椅子に着いた僕は、既に動悸が速い。

  カナエちゃんは快活そうな女の子だった。

  ショートカットの髪にまっすぐにこちらを見つめる瞳。

  トウジに似て少し日焼けした肌にまっすぐな笑顔を浮かべている。

 

  僕は何を話したら良いんだろう・・・?

  一晩中考えていても見つからなかった答え。

  ミサトさんも、加持さんも、リツコさんも、どうしてもと云う時には何処かで支えてくれていたヒトたちももういなくて、叱咤しながらも支えてくれたアスカもやっぱりいなくて、途方に暮れていた記憶だけがほろ苦く甦る。

 

  全員が何も話さないまま、最初に口を開いたのはカナエちゃんだった。

  「あのな、シンジにいちゃん。

  ずっと云いたかったことなんやけど・・・ずっと前に、あのロボットに乗って私たち守ってくれたんやろ?

  そのお礼を云ってなくて・・・」

  「・・・・・・」

  僕は無言で応えた。

  黙ったままカナエちゃんの方を見つめる。

  「なにより私、そのとき怪我したんやけど、今こうして元気やから気にせんどいてって・・・それが云いたかったの」

  爽やかな笑顔が僕の心に刺さった。

 

  「・・・ごめん・・・

  あの時は・・・僕にはどうすることも出来なかった・・・

  カナエちゃんを傷つけたのは僕だったし、それは紛れもない事実なんだ。

  それに・・・」

 

  全員の視線を感じた。

  自分自身が乗り越えるためにも、云わなければいけないこと。

  今までずっと避けてきたけど、避けてばかりはいられないこと。

 

  「サードインパクトを起こしたのは・・・僕なんだ・・・」

 

 

 

to be continued

 

 

 


 御意見、感想、その他は てらだたかし までお寄せ下さい。

 またソースにも幾らか書き込みがあるのでよろしければ御覧下さい。

’99 Jun 16 初稿完成

’00 May 03 改訂第二稿完成




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