終末の果て

 

THE END OF EVANGELION after story

 

 

 

 

  夕陽も地平線の向こう側に隠れてしまって、紫色の闇に染め抜かれた夜が訪れた。
  時計を見ると、終業の時間は過ぎている。
  やっていることがやっていることだから、此処でも完全にヒトがいなくなると云うことはあり得ないのだけれど。

 

  「・・・ふぅ・・・」

  小さくため息をつくと、ハルカに声をかける。

  「ハルカ・・・今日はもう終わろうか?」

  「・・・うん」

  気のない返事だけが返ってくる。
  いくらアイのことを考えない様にしようとしても、そう思えば思うほどアイのことが気になってしかたがない。
  毎日の様に病室を覗きはするけれど、少なくとも見た限りでは良くなった様には思えない。
  もう・・・1ヵ月経つけれど、これ以上回復の兆しが見えないようならば・・・

 

  最悪のことが頭を過ってしまって、慌てて頭を振って自分自身に対してそれを否定する。

  「だめだめ、アタシがアイのことを信じてあげないでどうするのよ?」

  アイとの間にある隙間がそのまま心の隙間の様に思えてきて寒気がした。

 

  いつもの様にデータのバックアップを取るとアタシの端末をフリーズさせる。
  パスワードを設定して席を立つ。
  ハルカもままアイがいないことを気にしている様にこちらに視線を送りながら操作している。

 

  なんて云えば良いんだろう・・・?
  どう云えば伝わるんだろう・・・?
  この気まずい雰囲気。
  自分のキモチだけ先回りしてしまった様な違和感。

 

 

  アタシとハルカは着替え終わると何も云わずにアイの部屋へと向かう。
  何も話さないし、話そうと思ってもそれがアイのことになってしまうのは分かり切っているから・・・
  結局アイはネルフ付属の病院の一室に入院している。
  きっと他の病院でも同じだと思った。
  けど・・・少なくとも此処の方が他の職員の人もお見舞いに行けるんじゃないかって・・・そう思った結果。
  昔のアタシのところに来てくれたヒトは・・・・・・何人いたんだろう?
  少なくともシンジはアタシのところに来てくれた。
  そこでどんな事があったにしても・・・アタシのところに来てくれた。
  誰も来ないよりは・・・・・・誰か来てくれた方が良いじゃない。

 

 

 

 

 

 

  「アイ、入るわよ」

  一声かけてからアタシたちは病室に入った。
  真っ白な壁、真っ白な天井、リノリウムの床。
  清潔すぎて暖かみなんてカケラもない様な調度。
  ベッドサイドのテーブルには花が生けてあって、それがこの部屋の唯一の華だった。

 

  窓から差し込む光が点滴の刺さっているアイの左手の白さを際立たせている。
  完全すぎる空調のおかげで汗も大してかかないし、看護が行き渡っているおかげで常に清潔に保たれている。
  でも逆にそのことでアイが本当に今も生きているのかどうか疑問に思ってしまうことがあるのもまた事実。

 

  「アスカ・・・
  いつになったらアイは起きるのかなぁ・・・」

  ぽつりとハルカが云った。

  「・・・・・・
  そのうち、起きるわよ」

  そのうち。
  永遠に来ないかも知れない『そのうち』
  無意識のうちに噛みしめている唇が痛い。

 

  「ほら、アイ。
  わたしもアスカも待ってるんだから、早く起きなさいよ。
  この・・・ねぼすけ」

  アイの右手をそっと握っていたハルカの手に涙が落ちた。
  何も云わずに、声もあげずにハルカは泣いていた。
  ただただ涙だけがアイの手を濡らし続けた。

 

 

  ふと・・・アタシは昔のことを思い出す。
  アタシが入院してた時・・・シンジもこんなふうに思ったのかな?
  やっぱり何も出来ない自分をもどかしく思ったのかな・・・?

  あの時の声は・・・ひょっとして何も出来ない自分への叫びだったの?

 

 

  あのとき・・・・・・自分のココロの壁の中に閉じこもっているのは、ある意味楽だった。
  だって・・・・・・こっちの世界での苦しみを全てではないにしても・・・忘れる事が出来たのだから。
  ママに逢う事は、ママと言葉を交わす事は叶わなかったかも知れないけど・・・使徒にココロを犯されていたときよりは、ファーストに助けられたって思うよりは、よっぽど楽だった。

  それでも戻ってきたのは・・・アタシをココロの底から必要としてくれたヒトがいたから。
  どんなカタチでも、それを示してくれたヒトがいたから。
  補完計画の最中にアタシがどんな事を云っても、それでもアタシの事を最後まで見ていてくれたヒトがいたから。

 

 

  じゃあ・・・あのときと同じなら・・・アタシの経験は役に立つの?
  苦い想い出でしかなかったものだけど・・・
  もしもそうなら・・・
  アタシは・・・・・・

 

 

 

 

 

 

  そしてアタシは決心した。
  他でもないアタシ自身の過去と向き合うことを。

 

 

 

 

 

 

 

   THE END OF EVANGELION

 

       The story after conclusion

 

       Episode:14  虚無への供物

 

 

 

 

 

 

 

  アタシはアイとハルカの手に自分のそれを重ねた。
  なんの前触れもなく唐突に話し始める。
  アイが聞いているかどうかなんて些細な事。
  アタシ自身が云う決心をした事に大きな意味があると思うの。

 

  「アイ。
  アタシもね、昔自分の心を閉ざしちゃったことがあったわ。
  自分がやってきたことの意味が解らなくなってしまって。
  自分に価値がないって思い込んでしまって。
  自分の殻の中に閉じこもっちゃったの。

  でも・・・アイは違うでしょ?
  あんたがやったのは大切なことでしょ?
  あんたのおかげで・・・あの女の子は助かったのよ?
  でもその女の子の『ありがとう』を、聞いてないでしょ?
  寝たまんまのあんたにそんなこと云いたくない。
  起きてるアンタに云いたいことがたくさんあるのよ。
  さっさと・・・起きなさいよ・・・・・・おねぼうさん」

 

  泣いているアタシの髪をハルカがそっとなでてくれた。

  「ほらアイ。
  アスカだってこう云ってるじゃないの。
  ・・・今日はもう帰るけど、良い?明日はわたしたちと話せると良いわね」

 

 

 

 

  部屋に戻るとアタシはとりあえず紅茶をいれた。
  ホントは何もしたくなかったけど、何かしていないとそのまま泣き出してしまいそうだったから・・・
  窓を開け放って空を見上げるとクレセントムーンが輝いている。

  アタシは今日自分がアイに云ったことの意味を思い返した。

 

 

  使徒に心を犯されて心の箍がはずれた様な自分。
  自分のことを信じられなくなって、自分のやってきたこと全てが否定された様な気になっていた自分。
  病室でアタシのことを必要としていたのかも知れないシンジ。
  自分が必要とされているのかも知れないって・・・思ったのは確か。
  ただ、その後でシンジが自分を慰めていたことで何を信じて良いか解らなくなった。
 
  思い出したくもないことを思い出して、沈んだ気持ちをどうにかするかの様に紅茶を口に含んだ。
  砂糖もミルクも入っていたはずなのに、何故か苦かった。

 

  シンジはもっと上手にいれていたのよね・・・
  そうやって考え直すと、シンジとの想い出はそれだけじゃないことに気がついた。
  カップを持つ手が震える。

 

  

  太平洋上、弐号機で一緒にシンクロしたときのこと

  使徒を倒すため、ということで同居して、重ねた心

  浅間山で、無理してアタシを助けてくれたときのシンジの気持ち

  第三新東京市が停電になった時の、使徒を倒してから三人で交わした会話

  指令に誉められた時のシンジの嬉しそうな顔

  裸のままエントリープラグごと外へ放り出されたときの不安

  シンジがチェロを弾くって知ったときのささやかな感動

  キスしたときの淡い想い

  シンジが使徒に取り込まれてしまったときに感じた気がかり

  熱血バカを傷つけたときのシンジの痛み

  エヴァにはもう乗らないって決めたくせに、戻ってきてくれたシンジの決意

 

 

  なんだ・・・アタシがシンジを拒絶していた理由なんて・・・些細なものじゃないの。
  それよりももっと大切な想い出も、記憶も、たくさんあったのにそれをほんの少しの理由で否定してしまうだなんて・・・
  バカよね、アタシって。
  あんなに大切にしたいって想ってたものを自分から捨ててたんだから。
  きっと誰よりも欲しがっていたものに対して誰よりも鈍感で、臆病だったんだから。

 

  「ホント・・・バカよね・・・アタシって・・・・」

  言葉にしたらいっそう涙が溢れてきて視界が歪んだ。
  両手で包み込んだティーカップはもう冷めていたけど、気づいた想いは暖かかった。
  まるで小さなカップを満たした紅茶が暖めてくれたみたいに。
  そして、そんな小さなことに気づけなかったからシンジと過ごすときを自分から放棄してしまったことに呆れて・・・

  冷めた紅茶をもう一度口に運んだ。
  さっきと同じ紅茶のはずなのに、冷めてしまったはずなのに、さっきよりもずっと美味しく感じられた。

 

  「逢いたい・・・
  やっぱり、シンジに逢いたいよ・・・」

 

 

  自分から拒絶したはずだったのに・・・
  自分からシンジのためって思ってやった事だったはずなのに・・・
  それでも逢いたいと思ってしまうのは・・・どうして?
  もうシンジに迷惑かけないからって決めて、その結果がこれじゃないの?

 

 

  熱いシャワーを浴びても、ちょっとだけアルコールを咽に流し込んでも、ベッドに入って夢うつつになりながらも、その答えは出てきてくれなかった。
  そこにないのが当然であるかの様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ぴぴぴぴ ぴぴぴぴ ぴぴぴぴ

 

 

  ん・・・?
  誰よぉ、朝から電話かけてくる非常識人間は・・・?

  「はい もしもし」

  「アスカ?私だけど」

  「ハルカ?まったく・・・常識ってものを考えなさいよね?
  で・・・なに?こんな朝早くから電話かけるくらいだから何かあったんでしょ?」

  「アイが目を醒ましたのよ!」

  え?

  しばらく声をだすのも忘れていた。
  アイが・・・目を醒ました?
  昨日までずっと意識がなかったのに・・・?

  「じゃ、じゃあ・・・」

  「だから、今すぐ病院に来て!まだまだ安静にしていなきゃいけないけど、峠は越えたってお医者さまも云ってるから」

  「分かったわ」

  云うが早いかアタシは受話器を叩き付ける様にして次の事を考える。
  着替えるだけ着替えて、それから・・・

 

 

 

  駅で出逢ったアタシたちはそのままアイの待つ病室へと向かった。

  「ハルカ、いつ電話あったの?」

  ふと気になった事をアタシは聞いた。
  だって・・・アタシが電話を貰ったよりも前にハルカの所には電話があったって事よね?

  「うん、アスカにかける少し前。
  ほら、一応連絡先は私の所にしておいたし、何かあったらすぐに連絡って書いておいたから」

  そっか・・・それで、ね。

  

 

  「あ、アスカ先輩、ハルカ先輩・・・
  おはようございます」

  扉を開けたそこにあったのは、アイの底抜けに明るい顔。
  まったく・・・この子には一言云ってやらないと。

 

  「アイ、あんた自分が何をしたか憶えてる?」

  「ちょ、ちょっと・・・アスカ・・・」

  ハルカはアタシのちょっと冷たい声に気づいたのか制しようとしている。

  「え?
  ええ・・・あの女の子を助けようと思って・・・」

  アタシの手がアイの肩を掴んだ。

  「だったらねぇ!どうしてあんなにも無茶な事するのよ!?
  幸いあんたも女の子も助かったから良かったけど、今朝までみたいにあんたが意識を戻さなかったらどうするつもりだったの!?
  アタシもハルカもすっごい心配したんだから!
  第一あんたが助けた女の子はアンタのことを一生背負って生きていかないといけないところだったのよ!」

  アタシは涙がこぼれるのも構わずアイの瞳を見つめてまっすぐに叫んだ。

  「・・・・・・ごめんなさい・・・」

  やがて顔を伏せたアイが洩らしたコトバ。

 

  ハルカがアイの肩を抱いた。

  「アイ。
  私たちね、凄く心配したの。
  アスカも云ったでしょ?
  アイにもしものことがあったら・・・あなたが助けた女の子は一生それを背負う事になっちゃうの。
  あなたはそんな事がしたかったんじゃないんでしょ?
  ただ、純粋に助けてあげたかったんでしょ?」

  ハルカの優しい言葉が終わる前に、アイはアタシに抱きついて泣いていた。
  アタシは、何も云わずにそっとそんなアイの小さな身体を抱きしめた。
  ようやく戻ってきてくれたアイのことをやっぱり嬉しく思いながら。

 

 

  しばらくすると、ようやく気分も落ち着いたのかアイはそのまま眠ってしまった。
  天使の様な寝顔ってこんな事を云うのよね、きっと。
  満足し切った様な、凄く穏やかな顔。

  「良かったね、アスカ」

  「うん」

  ハルカに肩を抱かれるままにアタシは涙を流した。

  「今は・・・そっとしておこう?
  アイもきっとアスカに云いたい事、たくさんあると思うから。
  とりあえず・・・ご飯でも、食べない?」

  「・・・うん・・・」

  そうよね。
  アイもこっちに戻ってきた。
  アイは自分自身に勝ったんだ。
  だからあとはアタシたちの気持ちだけ。

 

  いっぱいアイに云いたい事。
  いっぱいアイに聞きたい事。
  そして・・・いっぱい教えてもらった事。

 

  「じゃ、朝ご飯食べに行こうか」

  アタシはハルカに促されて病室を出た。
  振り返ってみたアイの顔は、いつもより心持ち穏やかな気がした。

 

 

 

  「そう云えばさ、アスカって・・・何か昔あったの?」

  「は?」

  ご飯を食べ終わって、コーヒーを飲んでいると唐突にハルカが聞いた。

  「だから・・・何かアスカがアイに云ってた事が真に迫ってたなぁって・・・

  ・・・ごめん。
  サードインパクトがあったのに、何もないヒトなんか、いなかったよね」

  「ううん、良い。
  気にしなくたって・・・
  ただ、アタシも昔アイみたいに意識不明で寝てた事あったから、そのときのこと思い出してみただけ」

  そんなときでもアタシを必要としてくれたヒトの想い出と・・・

  「ほら、こんな暗い話はやめ。
  またアイの部屋に行こう?
  騒がしくしなければ・・・やっぱり側にいてあげたいし。
  どうせ今日は休日でしょ?」

  アタシはカップの底に少しだけ残った紅茶を飲んでから席を立った。
  今度はアタシがハルカの手を引っ張っていく。

 

 

  さっきアイがもう一回寝てからニ時間くらい。
  ハルカは朝早かったからか、仕事場の仮眠室を借りている。
  アタシは・・・今の状態が昔のアタシとシンジに似ている事にちょっとだけ気がついた。
  ただ寝てるだけって分かってても・・・今の痩せたアイを見ているのは辛い。
  じゃああのときアタシを見ていたシンジは・・・もっと辛かったの?

 

 

 

 

 

  起きていたのか寝ていたのか、あのときは分からなかった。
  でも、サードインパクトが発動したときにイヤでもシンジのそのときの意識がアタシのココロに入り込んできた。

 

  嫌だった。
  自分のココロを犯されている様で。

  でも何処か・・・気持ち良かった。
  他人の恐怖に怯える事がなくて。
  自分を見ている他人のココロも解ってしまったけど、解ってしまう事で逆に怯える必要がなくなったから。

 

 

 

 

 

  「・・・アスカ・・・先輩?」

  「目、覚めた?」

  アイは左手を差し出した。
  何を云わずにアタシはその手を握る。
  アイは何も云わずに目を閉じた。

  「あったかい・・・
  わたし、生きてますよね?」

  アイはアタシの手を確かめる様に力をゆっくりと込めた。

  「そうでしょ、あんた、生きてるんでしょ?
  アタシの手に触っていられる事がその良い証拠」

  アイはそっと・・・微笑んだ。

 

  「ふふ・・・そうですね。

 

  先輩。
  あの女の子、わたしの妹に似ていたんです。
  サードインパクトのどさくさで死んじゃったんですけど、生き写しかと思うくらい、似ていたんです。

  ううん、ホントは似てたかなんてどうでも良いんです。
  ただ、わたしの妹も生きてたらあのくらいだったなぁって・・・そんなふうに思ったんです。
  あのとき、わたしは妹のことを守ってあげられなかった。
  だから、今度は守りたかったんです。
  そのために死んじゃっても、わたしはそれで良いと思ってた」

  もういちど叱りつけようとしたアタシの口に手を置いて、アイは続けた。

  「分かってます、先輩。
  わたし、死んでませんもん。
  どうしてももう一度先輩たちに会いたかった。
  だから戻って来れたんです」

  そう云ってアイは緩やかに微笑んだ。
  アタシもそんなアイにつられる様にして微笑み返す。
  アイの手はちょっとだけ冷たくて気持ち良かった。

 

  ヒトとヒトとの触れあい。
  血の通うモノ同士の触れあい。
  他人同士の触れあい。

  昔はあんなに怖かったのに。
  あんなに嫌っていた事だったのに。

  でも、今のアタシは明らかに今の自分のいる場所が変わってしまう事を恐れている。
  自分が変わる事ではなくて、
  自分と他人の関係が変わってしまう事を。

 

 

 

to be continued

 

 

 


 御意見、感想、その他は てらだたかし までお寄せ下さい。

 また、ソースにも幾らか書き込みがあるのでよろしければ御覧下さい。

 

'99 Jul 31 初稿完成

'00 Jul 07 改訂第一稿完成



てらださんの部屋に戻る/投稿小説の部屋に戻る

inserted by FC2 system