暗い部屋の中央に一人の少女が立っている。美しい金髪は乱れ、整った顔には不思議な笑みを浮かべている。
「どうして?」
 足下で倒れている男は答えない。血だまりの中で息絶えていたからだ。
「どうして、あの子を選んだの? 私は」
 人形のように生きていた。
 男の意に沿うように、自分を殺して人形のように生きてきた。
 だが、男は少女を選ばなかった。
 それは少女が自分の望むものではなかったから、それだけの理由だった。
 少女の苦悩も省みることなく、少女の求めていたものを与えたわけでもない男。
「貴方のためになら」
 少女は男を愛していたわけではない。ひたすらに拠り所を求めただけだった。依存を愛と勘違いしてしまった哀れな人形。
 男は自分だけを求め続けた。少女は依存を愛と勘違いした。
 二人の間には、すれ違い続けた結果だけがあった。それだけのことだった。
 現時点では……
 
 
 王都は同心円を描くように造られている。円の中心部に周囲を威圧するように鎮座する城の周りを貴族や豪商の屋敷が取り囲んでいる。力のある者を守るように巨大な壁がそびえ立ち、内側の円を形作っている。その円を取り囲むように平民の住む街がある。更にその街を壁が取り囲んでいるが、その壁は所々壊れている。内側の街は旧市街、外側の街は新市街と呼ばれている。
 旧市街と新市街を結ぶ道路を一台の蒸気自動車が、もの凄い速度で走っている。普通の通りでこれだけの速度を出せば、すぐに死亡事故を起こすだろうが、この通りは全く人気がなかった。
「何が、そんなに楽しいのですか?」
 蒸気自動車を巧みに操りながら、黒いエプロンドレスを着た女は助手席にいる男に尋ねた。
 女の歳は二十代前半か十代後半と言ったところだ。髪を肩の辺りで切りそろえている。切れ長の目が印象的な美人だが、無表情すぎて人形のようだ。ちなみにエプロンドレスはロングスカートの上、フリフリが強調されていて、主人のマニアックな趣味がモロ出しだった。
 一方、もの凄い速度で流れてゆく景色を眺めながら、微笑みを浮かべている男の歳は十代後半に見える。短く切りそろえられた黒髪には天使の輪が輝き、黒曜石のような瞳は無邪気な光を宿している。薄手のワイシャツと黒のスラックスに包まれた体はホッソリとしていて、精悍や男らしさとは無縁に思える。名をアッシュと言う。親も兄弟もない天涯孤独の身だ。
「色々です」
 ニッコリと微笑みながら、アッシュは答えた。
「それだけでは分かりません」
 間髪入れずに突っ込みを入れるメイドの無表情っぷりをアッシュは横目で確認する。
「そうですね。空の色とか、風の匂いとか、そう言った物が感じられて楽しいですし、これから何が起きるのか考えるのも楽しいですよ」
「不思議なことを言われるのですね。でも、分かるような気がします。私も蒸気自動車を運転している時には、とても興奮しますもの」
と無感情に呟きながらメイドはアクセルを思い切り踏み込んだ。
(その楽しいと僕の楽しいは違うんじゃないかな)
などとアッシュは思ったが口には出さなかった。頬を紅潮させてアクセルをベタ踏みするメイドが怖かったからだ。
 
 白い蒸気をあげる蒸気自動車が敷地内に入ってくるのが、その部屋から見ることが出来た。広い部屋である。売るだけで一財産稼げるほどの豪華な家具が並び、大きめの窓からは柔らかな午後の日差しが差し込んでいる。だが、冷たい印象を受ける部屋だった。
「……ふん、下らぬことじゃ。どうせいなくなってしまうのなら、教育係など不要じゃ」
 マリアベルは怒りを宿した青い瞳で外を睨み付けながら、吐き捨てた。その倦怠感とやるせなさのミックスされた口調は十二歳の少女には不似合いだった。その口調のせいか、よく手入れされた長い金髪がくすんでいるようにも見える。
「……でも、今度の教育係はわらわを」
 小さな期待を込めた言葉をマリアベルは飲み込んだ。
 マリアベルの言葉に応じる者はいない。いるとすれば飼い猫のポッターくらいなものだ。マリアベルが住んでいる無意味に広い屋敷は檻にすぎなかった。飼育小屋のようなものだ。
「期待するだけ無駄じゃ……早速、新しい教育係を追い出すための準備じゃ」
 マリアベルは隣にいたのポッターの顎をさすり、窓枠にしなやかな足をかけた。
 
 トランクから衣類と何冊かの本の入った鞄を取り出したアッシュはブラウニング邸を眺めた。
 高価な蒸気自動車を個人で有していたことと支度金の額の多さから、漠然と金持ちくらいにしか思っていなかったアッシュは絶句した。ブラウニング邸は他の貴族や豪商と比べても二倍近くの敷地面積があり、建っている白磁の屋敷も立派の一言に尽きた。邸内には噴水まである。
「どれくらいの広さがあるんですか? この屋敷は」
 振り向いたアッシュが見たのは地面に写る影だった。影は地面を高速移動し、アッシュに接近してきた。不思議に思いアッシュが顔を上げると、靴の裏が目の前にあった。
 ゴキィ
 その直後、もの凄い衝撃がアッシュの首を襲った。その衝撃は、死なないのが不思議なほどだ。普通は死んでいる。
 音もなくアッシュは地面に倒れ込んだ。全身が小刻みに痙攣(けいれん)し、虫の息と言った感じだ。
「みたか! 愚か者めっ! これに懲りたら教育係なぞ辞めて故郷に帰るが良い!」
 ない胸を反らしてマリアベルは口上を述べたが、誰も聞いていなかった。アッシュは容赦ない攻撃を受けて気絶していたし、メイドはすでに屋敷の中だ。
「あう、あう」
 奇妙なあえぎ声をあげながらアッシュは身を起こした。顔の中央には靴の形をした痣(あざ)が浮かび、鼻の穴から鮮血がダラダラと流れている。
「なかなか頑丈な奴じゃな」
 取りあえずマリアベルはアッシュの頑丈さに感心した。
「……頑丈って? いきなり何をするんですか」
「取りあえず追い出すために蹴りを入れたのじゃ」
「はぁ?」
 相手を死の淵に追い込んでおいて悪びれない力業(ちからわざ)のせいか、常識的な観念を持つアッシュは混乱気味だ。
「ふっ、わらわの名はマリアベル・ブラウニングじゃ。短いつきあいになるが、覚えておくが良い」
「はぁ……僕はアッシュです」
「さらばじゃ!」
 何がどうきて「さらばじゃ」に繋がるか分からなかったが、アッシュは深々とため息を吐いた。
 何となくだが、これから厄介なことに巻き込まれるような気がした。
 
 しばらく庭で立ちつくしていたアッシュだったが、迎えはすぐにやってきた。どうやら雇い主である館の主と顔合わせをしなくてはならないらしい。メイドに案内されて、ある部屋に顔合わせのために通された。
 その部屋は他の部屋と比べれば狭く、事務的な造りをしていた。部屋の両脇には本棚が並び、びっしりと本が詰められている。奥には年代物と思われる机があり、一人の女性が座っている。その女性の後ろには一人の男が立っていた。女性はブリュンヒルデ、マリアベルの姉だ。
「マリアベルがとんだ粗相を」
 そうはいったが、ブリュンヒルデの口調から罪悪感は感じられなかった。流石は姉妹と言うべきか、ブリュンヒルデはマリアベルを十歳ほど成長させたようによく似ている。ついでに言えば悪びれないところまでそっくりだった。
「これから貴方には妹の教育係になっていただきます」
「君はこれから私の命令を聞けば良い」
 ブリュンヒルデの言葉を遮り、後ろに控えていた男が優しげな声で言った。歳は三十路を少し過ぎたくらいだろうか。二メートルを超える大男で、ワイヤーを編み込んだような筋肉が、白い軍服の上からも分かった。
「はぁ? わかりました。それで貴方の名前は?」
「クルーガーだ、覚えておきなさい」
 クルーガーと名乗った男は口の端を歪めて笑った。それは他人を見下すような厭な笑いだった。
 
「……あのトボけたガキが今回の生け贄って訳か?」
 アッシュの出ていった後、クルーガーはブリュンヒルデに幾分抑えた声で言った。
「生け贄じゃないわよ。貴い犠牲って所かしら? 今までは『消えた』だけだったから、今度は『死体』が欲しいわね」
 独り言のように呟くが、それは屋敷の者にとっては決定事項だ。
「へいへい……全く人使いの荒いお姫様だ」
 

(つづく)


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