時と言う時間の流れとともに・・・

第10話

THE MOON SHINES US・・・・AND・・・・







すーっと弓をチェロから放す。

はあっと溜息をついてイスの背もたれに寄りかかる。

チェロを脇にやって首をのけぞらせながら余韻に浸る。

いつもこうして、自分を取り戻すことにしている。

不思議なことに、今日に限ってどういうわけか身体の火照りがおさまらない。

耳にはっきりと自分の演奏が焼き付いて離れない。

こんなことは初めてだ。

だが、僕は把握しきれない自分の気持ちに戸惑いとともに心地よささえ感じていた。


どうして、こんな気持ちになのかはわからないけど・・・でも、チェロを弾いてよかったと思う・・・


イスから立ち上がり、台所に戻ろうとしたその時、浴室のドアが空いた。




「・・・アスカ・・・」


急のことで、うまく言葉がみつからなかった。

一瞬、アスカの表情が和らいだような気がした・・・

でも・・・僕がそれもう1度確認することはできなかった・・・



次の瞬間、僕はアスカの髪の香りに包まれていた・・・

風呂上りで少し濡れている金色の髪・・・


「・・・・シンジ・・・・ありがとう・・・・」


ささやくようなアスカの声。

僕はなにも言うことができなかった。

たったの五文字のなんの変哲もない言葉によって僕の思考回路は働かなくなっていた。


知らなかった・・・

自分の心がこんなに理解しにくいものだったなんて・・・


でも、今はそんなことはどうでもよかった。

僕は強くアスカの体を抱いた。





お互いの身体をもう1度きつく抱いてからどちらともなく身体を離す・・

僕はアスカに凝視されて恥かしくなってしまった。

日本人の特徴なのだろうか、どうも目と目を見詰め合うのは苦手だ。

照れ隠しにアスカに背を向けて話す。


「・・・じゃあ、僕は朝ご飯の用意をするから・・・」


「・・・・うん・・・・・」











「・・・・・そうだ、ねえアスカ!今日の朝ご飯・・・・・・・・・」


僕は朝食にアスカが何を食べたいたかを聞くために振りかえった。

だが、そこにあったのは・・・





張り詰めた空気・・・

・・・振りかえった僕の目に映ったものすべてがスローモーションになっていた・・・

まるで、映画のワンシーンのように・・・

ゆらゆらとアスカの頭が揺れる・・・

アスカの膝がくりと落ちる・・・

必死に手を伸ばす僕・・・







・・・・・・ドサッ・・・・・








・・・間に合った・・・


僕はかろうじてアスカの体を支えることに成功した。

腕の中のアスカ。

だが、いつもとは明らかに違う・・・

目は堅く閉じられ、肩で息をしているのが僕にも伝わってくる。

額には脂汗がうっすらと浮かんでいる。


僕の頭にミサトさんの言葉がよぎった・・・


・・・・まさか!!


・・・アスカの病気の・・・


僕はアスカをソファに寝かせると、急いでドアのほうにはしった。

ドアに手をかける・・・

だが、その時アスカの悲しそうな顔が僕の頭によぎった。






・・・だめだ!!アスカを一人になんてできないよ・・・・
くそっ・・・どうすれば・・・

無意味に僕の頭が回る。

その辺のものを手当たり次第投げ飛ばしたくなって周りを見渡したその時・・・僕の目にある物が目にはいった。


・・・・電話・・・・!!なんで、気付かなかったんだ・・・


手早く、電話のボタンをプッシュする。

心の中で、なんども、はやく、はやくと呟いた。


「・・・・はい・・・・第三新東京市総合・・・「アスカが!!!アスカが!!」


僕は受付の看護婦さんの言葉を無理矢理遮った。

そうせざるを得なかった。

「お願いです!!はやく!はやく・・・・」


僕の脳には「速く」という言葉しか浮かんでいなかった。

そして、それがそのまま、焦り、怒りといった感情に姿を変えて僕の言葉に反映されていた。

だが、対照的に受付の看護婦さんは冷静だった。

電話ごしで慌てふためいている僕の問いかけに一つ一つゆっくりと答えてくれた。

そして、最後に手の空いている看護婦を家までによこしてくれるよう手配してくれた。


「・・・はい・・・はい・・・ありがとうございます・・・」






・・・・ガチャン・・・


電話を置くと僕のこころの緊張の糸が一辺に切れたに違いない。

へなへなと床に座り込んでしまった。

そして、ふらふらと立ち上がりソファに横になっているアスカに近寄る。

辛そうな表情がうかがえる。


「・・・アスカ・・・今、病院の人呼んだからね・・・安心していいよ・・・」


僕の言葉がアスカの耳に入ったのかはわからない。

だが、アスカの表情がふっと和らいだ。


・・・よかった・・・ひとまずは安心だ・・・


洗面器を持ってきて、濡れタオルでアスカの額をそっとぬぐってやる。

自分にできることはこれくらいなのかと思うと情けなくなったが、僕はそのまま続けた。

しばらくして、洗面器の水がぬるくなってきたころ、インターホンがなった。

僕はアスカに確認を取るように、彼女の髪を優しくなでると玄関に向かった。














「じゃあ、今回のことは病気とは関係ないんですね・・・」


今、僕は駆けつけてくれた小林さんから説明を受けている。

アスカはむこうの寝室で静かな寝息を立てている。

今はずいぶん落ちついたようだ。

「ええ・・・たぶん、急な温度差によるただの立ちくらみだと思います・・・

脈拍にも異常は見られませんし・・・

・・・ですが・・・」


「・・・え・・・なにか?・・・」





「実は・・・ただの立ちくらみにしてはやっぱり、少しおかしいんです。

シンジ君も確認されたと思いますけれど、異常ともいえる急な呼吸困難・・・

そして、多量の発汗です。

しかもこれがすべて一時的・・・・」


「じゃあ!!アスカは!!アスカは!!」


呼吸困難や発汗のなにがいけないのか、人体にどう影響するかなどという医学的な知識が自分にあるはずもない。

僕はもう、いても立ってもいられなくなっていた。

「・・・ごめんね、シンジ君・・・今のところ、まだわからないの・・・、アスカちゃんの場合、病気そのものがほとんど原因不明だから・・・・」


原因不明・・・

パイロット時代にいやというほど耳にした言葉だ。

相手が使徒だったからであろうか。

あの時は別にそれ自体が普通だったし、深く考える必要もなかった。

だが、今は状況が違う。

その原因不明という言葉が頭から離れない。

僕は自分の膝を見つめていた。

あまりにも絶望的な事実・・・・

だが、認めなければいけないことも事実だ・・・


「・・・ごめんなさいね・・・・私達・・・そんなに万能じゃないの・・・」


「・・・いえ・・・

今日は・・・ありがとうございました。」


「じゃあ・・・私はこれで・・・」


僕は小林さんを玄関まで案内した。

いつもよりも玄関が暗く感じた・・・

ぺこりとお辞儀をして小林さんを見送った。







・・・・・バタン・・・・・






・・・沈黙・・・

   なれていたはずのそれに僕の心は悲鳴を上げていた。

・・・寂しさ・・・

忘れかけていたはずのその感情に今にも押しつぶされそうだ・・・


脱ぎ捨てられた、二足の靴。

一方は僕の・・・そしてもう一方はアスカの・・・


僕は・・・幸せという形を知ってはいけなかったのだろうか・・・

幸せは僕のパンドラの箱だったのだろうか・・・

幸せをしらなければ、辛さを知ることもなかったはず・・・


僕はそこまで考えて頭を振った・・・

結局、それも逃げでしかないということに気付いたから。

僕が見つめなければいけないのは、今という時。

過去じゃない・・・

・・・決心なんて、何度もしたつもりだったのに・・・















・・・・・コト・・・・





ふいに背後で物音がした。









・・・・シンジ・・・・





・・・・ア・・・アスカ・・・・だめだよ!!寝てなきゃ!!


僕は自分の声のあまりの大きさにはっとなった。


・・・ごめんなさい・・・なんか喉、渇いちゃって・・・・


僕の剣幕におどろいたのだろうか、アスカは本当にすまなそうにしている。


「・・・アスカ・・・水くらい僕に言ってくれればよかったのに・・・」


声の調子を落としてアスカに言う。


・・・ごめん・・・どうせ近くだからって思って・・・


「・・・わかったよ・・・僕が持っていくから・・・

ほら、アスカそんなカッコじゃ寒いだろ・・・」


僕はアスカに自分のはいていたスリッパを履かせ、カーディガンを肩にかけてやった。

スリッパもカーディガンもアスカには大きすぎたかもしれない。


アハハ・・・シンジのやつ、ぶかぶかね・・・


アスカは嬉しそうにぶらぶらの袖をパタパタさせている。

僕はアスカが少し体調を取り戻したことに気付きほっとした。


「ほら、アスカ・・・行こう・・・」


アスカを促し、寝室まで連れて行った。



「ちょっと、待っててね、シンジのやつ脱ぐから・・・」


うーん、と背伸びをしながら僕のカーディガンを脱ぐアスカ。

背伸びをして身体が伸びたせいだろうか、アスカの白く美しい肌がちらりと姿を見せる。

4年前は、アスカはあれだけ薄着をしていたのだから、み慣れているはずなのにどうしてもどきどきしまう。

やはりそれだけ、アスカが少女から女性へと変化したということだろう。


「・・・はい・・・ありがとう・・・」


カーディガンが僕にて渡され、アスカはそのままベッドに入った。

僕はアスカの布団をかけなおしてやった。

別にそうする必要はなかったかもしれないが、僕はとにかく彼女のために何かしたかった。

彼女の存在を、そのぬくもりを自分の肌で直に感じたかったから・・・




溜息を一つしてアスカが口を開く。


「・・・ねえ・・・・・シンジ・・・・


「・・・なに?」


・・・アタシが眠るまで一緒にいてくれる?


「・・・うん・・・いいよ。」


僕がそう言うと安心したように、ふっとまぶたを閉じるアスカ。

僕はアスカのなんて事のない動作に見入っていた。

・・・目を閉じたまま、アスカが口を開く。


・・・シンジの久し振りの手料理食べられなかったね・・・


「・・・そんなの、いつだって作れるから・・・」


・・・・そうね、あんた昔から上手だったもんね・・・


「・・・アスカだって、練習すればできるよ料理くらい・・・

ほら、僕が今度教えてあげるよ・・」


ありがとう、シンジ・・・アンタ、優しいわね・・・


「・・・そんなこと・・・ないよ・・・」


僕はアスカのいつもと違った表情にどぎまぎしてしまって、彼女を直視することができなかった。


・・・フフフ・・・

変わってないわね・・・あんたのそういうとこ・・・

たまには、素直に褒められたらどう?



「・・・ごめん・・・

あ・・・、でも、こればっかりは・・・」


わかってるわ、そう簡単に性格なんて変えられないもの・・・

冗談よ、冗談。

だいたい、シンジが、褒められるのを当然みたいな風にしてたら、逆に気持ち悪いわ。



アスカにはかなわないや・・・

僕は少し微笑みながら、肩をすくめて見せた。







・・・シンジ・・・EVAに乗ってたころのこと覚えてる・・?


僕は頷いた。

忘れられるわけがない・・・でも、むりに忘れようとも思わない・・・

そのおかげで・・・ミサトさん達、ネルフの皆、そして、アスカに会う事ができたんだから・・・


昔はさ・・・なんか大変だったわよね・・・・

自分を傷つけてばかりいて、内罰的だったシンジ・・・

他人を傷つけることで本当の弱い自分を必死に守っていたアタシ・・・

一見、正反対に見えるけど、似たもの同士だったのよねアタシ達は・・・

・・・フフ・・・不思議ね、こんなこと昔は絶対に口になんて出さなかったのに・・・



アスカは苦笑しながらそう言った。

どこか寂しげな顔をしながら・・・




自分という存在を拒絶しつづけていた二人。

人の顔色をうかがいながら、自分を偽りつづけていたシンジ。

他人のなかに嫌いな自分を見てしまうことが我慢できず、他人を攻撃し続けたアスカ。




    『僕に優しくしてよっ!!』

『あたしを見てぇっ!!』




誰にも知られることなく、閉ざされつづけてきた心の叫び・・・

それは、もっとも愛してほしかった人の愛を受けられなかったということが作り出した拒絶の現れ・・












「・・・お互い、昔のことだよ・・・」


・・・そうね・・・忘れることはできないけど・・・

今はもっと・・・上手く言えないけど・・・別の見方ができるっていうのかな・・・・

そういう風に考えられる気がする・・・



「・・・時間が解決してくれる、ってこういうことなのかな・・・」


アスカは無言でうなづくと目をうっすらと開き、身体をこちらに向けた。



















・・・ねえ・・・シンジはどうしてアタシと居てくれるの・・・?








・・・・どうして・・・・・か・・・・






「・・・前にね、同じようなこと・・・ミサトさんに聞かれたんだ・・・

その時は、わからなかった・・・・自分の気持ちが・・・・」







・・・今は・・・どうなの・・・








「・・・今は・・・・」


































「・・・僕の人生は・・・人生って呼べるのかな・・・呼べないよね・・・」


・・・アスカは目を閉じて無言のまま僕の話を聞いてくれているようだ。


「・・・僕は今まで、逃げっぱなしの人生を送りつづけてきたんだ・・・

逃げれば、何か別のものが見えると思ってたんだ・・・

・・・でも結局はなにも変わらなかった・・・

それどころか、そのたびに別の人を傷つけて・・・哀しませた・・・




・・・僕は逃げれば・・・自分が・・・嫌いな自分が傷つく・・・そう思っていたんだ。

だから、嫌いな自分という存在を傷つけるために・・・・逃げた・・・



・・・でも、本当に傷つくのは、自分なんかじゃなかった・・・

たとえ自分が傷ついても、他の人をそれ以上に傷つけてしまった・・・




あの時・・・すべてが終わり、すべてがはじまった砂浜で・・・

傷ついたアスカを見たときにわかったんだ・・・

僕は、都合の良い、幻想の世界を追いかけていただけだったんだって・・・

・・・だから、僕は・・・・」

























アスカの口がゆっくりと動いた。

その目は閉じられたまま・・・・



・・・じゃあ・・・償い・・・なの・・??



























「・・・違う・・・・・償いなんかじゃない・・・







少なくとも・・・最初はそうだったのかもしれない・・・

・・・ううん、そう思いこんでいた・・

だって、そうじゃなきゃ、僕がアスカの側にいる理由なんてないと思ったから・・・

そうじゃなきゃ・・・アスカの側にいる資格なんてないと思ったから・・・

アスカのことを傷つけた、こんな僕なんかに・・・

































・・・・・・・・・でも、今は・・・・・・もう、だめなんだ・・・

そんな、こと考えてる余裕なんてないんだ・・・

気がついたら、もう僕はアスカの事、考えてた・・・

アスカがいないと・・・寂しくなるんだ・・・なにも手につかないんだ・・・

誰もいない、玄関が・・・寝室が・・・たまらなく広いんだ・・・

アスカがいなきゃ・・・

そうじゃなきゃ・・・僕は・・・僕は・・・・・



・・・・僕の心は・・・もう・・・アスカで・・・・

アスカでいっぱいになってしまったんだっ!!」





























「それで、僕は決めたんだ・・・何が起きても・・・

どんなことをしてもアスカの側にいるって・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・ごめん・・・なにいってるのかよくわからないよね・・・・ 」

































部屋はもう真っ暗になっていた。

お互いの姿が窓から入る車のライトでたまに確認できる。


アスカはなにも言わない・・・

寝ているわけではなさそうだ・・・


アスカはどう思ったんだろう・・・

でも・・・僕はアスカがどう思おうと良いんだ・・・

あれが、僕の思いなんだから・・・・


僕ははあっと息を吐いて、自分の顔を手で覆い、膝の間に自分の頭をうずめた。


ふっと、空気が動くのを感じる。


・・・アスカ・・・


僕を置いてどこかに行ってしまうの?

・・・いや・・・でも、僕にアスカを引き止めることはできない・・・





































「・・・シンジ・・・」














布かなにかが、落ちる音・・・






















「・・・ア・・・・アスカ・・・・」
















・・・見開かれた僕の瞳・・・

それに重なる、蒼く美しい視線・・・

暗い部屋ぼおっと浮き上がる白いライン・・・





















「・・・シンジ・・・・・・お願い、アタシを見て・・・」







































・・・カーテンがひらひらと風に揺られている・・・

・・・ふと、青年が私を見る・・・

一部始終を見ていた空から見ていた私を・・・

・・・4年前と何ら変わらないように見えるその一連の動作・・・

だが、彼の瞳を見たとき私は・・・ああ、そうか・・と気付く・・・

私は人は忘れることで生きていける・・・そう思っていた・・・

現に私が、4年前に砂浜で見た二人・・・

セカンドチルドレンとサードチルドレン・・・

私は彼らもすべてを忘れて生きて行くのだと思っていた・・・

それが人類の形だと思っていたから・・・

でも、それは大きな間違いだったようだ・・・


人は信じることで生きていけるのだ・・・

・・・相手が自分を愛してくれるかもしれない、わずかな可能性を信じることで・・・

・・・自分を見てくれるその存在を信じ、そして・・愛することで・・・


彼らは希望なのかもしれない・・・

彼らは拒絶しあうしかなかった悲しい「人間」という生物の・・・


・・・もう少しだけ、彼らを照らすことにしよう・・・

・・・あの砂浜を照らしたように・・










































「・・・ん・・・シンジ・・・どうしたの・・・??」


アスカが怪訝そうに僕を見ている。

僕はいつものように彼女に微笑む・・






「・・・なんでも・・・ないよ・・・・ただ・・・・」





「・・ただ??」





















「・・・月が・・・すごく綺麗だから・・・」



「そう・・・・」





どこか違和感を感じさせるアスカの返事がこだました。




<つづく>


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