TECHNO ANGEL 1.03【ghost】

「さてさて。続きなんですがね。」
男は口火を切った。

「ご存じの通り南半球までの報告は流れました。問題はその後なんですよ。」
男はサイドポケットからコーヒーを取り出した。

「お飲みになります?」
男の缶コーヒーはよりにもよってクリームと砂糖が一番多いものだった。
先輩のコーヒーとは大違いね。
そうマヤは思うだけだった。

「南半球アルゼンチン、シドニー、カルカッタ、ナンキン、ナホトカ、モスクワです。」
ぐびり、と男はコーヒーを飲んだ。

「じゃぁ、モスクワ市内にハッカーがいるんですか?」
「そうお思いになるでしょう?」
そう男は言った。にこにこ余計にうれしそうだ。

「佐野さん、でしたっけ。単刀直入でお願いできますか?」
佐野は少しまじめな顔になった。
細い目を少し開けようと努力する。

「失礼いたしました。あなた、赤城さんのお弟子さんでしたね。」
そんなことはすっかり忘れていたというように佐野は告げた。

「では話は早く。モスクワ市内の回線をあさりました。結果。該当する回線なし。」
「消えた?」
「そういうことになります。日本のマギ1号と2号をつかってこのざまです。」
「でも、無線回線の可能性もないんですか?」
木崎がやっと話題に入れたようにしゃべった。

「いえ。ありません。」
そう佐野は答えた。
「それは最初に削ってますよ。あと、考えられる可能性は一つしかないですがね。」
「まさか・・・マギそのものからの?」

佐野はたまらなくうれしそうに笑った。コーヒーが飲み干される。
「そうなります。それが大変に困った問題でしてね。」
それはそうだ。
マギシステム。第七世代の有機コンピュータ。
世界最高のシステムで世界中の意見システムのすべてに近いほとんどが
このシステムの模倣である。
意見システム。つまり政治意志決定機関。

それの崩壊。
当然、あってはならないことだった。
2000年問題、2032年問題。
そんなこともかすむかもしれない。
もはや生きることが不可能になる。

「発表できないんですよねぇ。上も。困ったものです。」
男は眉根にしわをよせたが、それは苦笑とでもいう表情だった。

「マギの直通端末。入れるんですか?」
「不可能じゃぁないです。だから、あなたとお話ししに来たんですよ。」
男はルームミラーをのぞき込んだ。
「赤城さんはやったんでしょ?」

それが本題か。
マヤは見抜けなかったことを後悔した。

「さて。一つ目の話終わり。二つ目、入っていいですか?」
「はい。」
「仮に入ったとして。そいつは技術責任者かあるいはそれに近い人間。
少なくともコードをばらせる技術のある内部犯が濃厚なんです。」
そのぐらいわかっている。だから?

「『奴』に勝つにはそれ以上の技術がほしいわけです。」
"技術がほしいわけです。"
いやな言い方。

「あなたに少し推理ゲームにつきあっていただきたいと思いましてね。」
やはりそうか。
「お願いできませんか?」
「いやだと答える前に。条件を聞きましょう。」
佐野は笑った。
声を出して笑った。
大きな声だった。
防音が無駄じゃないかと思えるほどに。

「失礼。さすがは赤城さんの一番弟子だ。あなたを選んで正解ですよ。」
佐野はハンドルを握りなおした。

「マギを一台あげましょう。気に入ると思いますよ。」
今度はマヤが笑った。
くすくすと。吹き出すように。
佐野がすこし不機嫌になった。
人に笑われることになれていないらしい。

「そんな馬鹿な話。どこに余ったマギがあるんです?
まさかモスクワの五番がお払い箱じゃないでしょうね?」
「いーえ。」
再び佐野は笑った。
「マギ六号機。第八世代連動有機コンピュータです。内緒ですよ。」
内緒、どこが内緒の話なものか

ネルフ崩壊の後。
マギシステムの新型は作られていない。
いや、有機jコンピュータの新型と言っても良い。
新しく作られたものはマギのコピーかダウンサイジングに過ぎない。
有機コンピュータは部品交換で速度が上がる訳ではない。
脳内システムを模したように、それは使えば使うほど速度が上がるシステムなのだ。
つまり交換の必要は破損以外にはない。

したがって新型を作る必要がなかった。
だが、マヤのグループは違う。
リツコの残した研究結果から、より感情による客観制御を強化したのだ。
実際、人間の認識は客観的な判断ですら複数の主観分析に過ぎない。
主観=経験としての蓄積、つまりはデータベースとして構築できよう。

その理論を実用化まで持ち上げた。
ソフトウェアのOS部分の進化によってそれが可能になるはずだった。
しかし。
「六号機・・・誰が作ったんですか?」
「開発主任のことですか?設計者のことですか?」
この男、何か知っている。
「両方を。」
「主任は前島・ニース・クランシー。設計者は、」
ルームミラーを見る。いやな笑顔だ。
「赤城さんです。」

マヤはやはりそうなのか、という思いとそうであってほしかった気持ちに揺れた。

「先輩が・・・」
ほかの人間の前で「先輩」という言葉を言ったのは三年ぶりだ。
「先輩が、残してたんですか?」
「ええ。」
佐野はコーヒーに手を伸ばし欠けてやめた。
飲み干したのに気がついたのである。

「設計図がね。あとから見つかったんですよ。赤城さんのデスクから。」
こいつら、あさったのか。
マヤは怒りを感じないわけには行かなかった。

「ほかには何もなかったんですけどね。そうだ。」
男はダッシュボードに手を伸ばす。
高速運転中にである。
木崎が息をのんだ。

「これ、赤城さんの大事なものでしょ。お返しします。」

それは。
黒猫の人形だった。
思わずマヤは泣いてしまう。
「先輩っ。」
黒猫を抱きしめた。
小さな小さな人形だった。
いつも先輩、これ机の上置いてたっけ。


『先輩、これかわいいですね。』
あのころはもっと気持ちを表すのが得意だった。

『あげないわよ。』
ほほえみながら言うリツコ。コーヒーの匂いがしてた。
『これだけはね、だーめ。』
おどけるリツコが好きだった。
いつも何かに疲れたようにしているリツコ。
仕事に対して妥協を許さないリツコ。

でもほんの少し、ほんの短い間だけマヤに見せる笑顔が好きだった。
先輩。
あこがれてたんだ。先輩みたいになりたかったんだ。
今の私、先輩みたいになれてるかな。

マヤは泣いていた。

車の音が静かに静かに。
流れる川の中にいるようでただ身を任せていく心地よさがあった。

「伊吹さん。」
佐野が笑っていない。
すこしすまなそうな顔をした。
「・・・勝手に机をあけてすいませんでした。代表して謝ります。」
佐野はそういうと無言になった。

「六号機、もう動いてるんですか?」
「いえ。つい先日最終試験が終わったところです。」

「どこにも繋いでないですから、ウイルスやハッキングも心配ないです。それに、」
佐野はルームミラーを見た。
「それに、誰も中に入ってないですから。」

木崎がマヤを見つめていた。
マヤの前の職場のことは聞いていない。
聞くことでもないと思った。
聞く暇もなかった。

でも、このマヤは。
強い伊吹博士じゃなかった。弱い、純粋な伊吹二尉。
当然、木崎や北島や吉見は知らない。

「本当に、六号機もらえるんですね?」
「ええ。約束しますよ。それに例のクライアントもなんとかしましょう。
あなた方が犯人を捜すまではあなた方のために動きます。」

「佐野さん。やらせてもらえますか。」
「い、伊吹さん。」
木崎は思わずそう言ってしまった。
条件はいいじゃないか。何をこだわる必要があるんだ?
いや、なんとなく。この仕事危険すぎるような気がして。

「ごめんね。木崎君。あなたたちに迷惑はかけないから。」
マヤは正直すまなそうに言った。
私だけが背負えばいい。そうですよね、先輩。

「佐野さん、我々の条件を一つ加えてもいいですか?」
「なんなりと。不可能なことは少ないですからね。我々には。」

「では。我々も伊吹博士と一緒に雇っていただく。」
佐野は目を大きくした。
「ほぉ。言っておきますがあなた方の知ってしまった
情報によってあなた方が不幸になることがあるかもしれませんよ。」

「木崎君・・・」
「かまいませんよ。我々は『伊吹マヤ班』なんです。伊吹さんの行くところ、
ドコヘでも行きますよ。」
「後悔なさいませんね。」

「ええ。」
「でも木崎君・・・」
「北島と吉見もそう言いますよ。僕らには博士が必要なんです。」

「それは、あなたの先輩と同じなのかもしれません。」

佐野は少しだけにこり、とした


「前島・ニース・クランシーです。よろしく。伊吹博士。」
「伊吹です、前島博士。」

前島ニースはふふと笑った。
「ニースと呼んでください。前島の性、苦手なんです。」
「ではマヤと呼んでくださる?ニース。」

「荷物、こっちでいいですか?」
北島が行った。色黒のこの男は力仕事と徹夜仕事では無敗である。
「ええ、お願い。」

「彼、キリマンジャロの岩肌みたいにたくましいわね。」
「変な表現。ニースあなたっていつもそうなの?」
「いけない?」
ハハハと二人は笑いあった。
お互いに理解できそうな気がする。


「そうねぇ・・・」
とニースは長い金髪を指で絡めながら答えた。
「このアルゴリズム、おもしろいけど一つだけ欠陥があるわ。」
「何?」
「言っていいの?」
「ええ、是非。」
吉見が不安そうにマヤとニースを見ている。

「速度は桁違いに上がるし、これなら確率分布もかなりの精度だけど・・・。」
「だけど?」
「余計なところで演算してて効率が良くないのよ。」

これ、と彼女は指さした。
たしかにその部分は検算として行っている部分だが、それの数が
アーキテクチャの変更によって二度演算することになっていた。
「これじゃ同じ結果しか返さないもの。それじゃもったいないわ。」

ニースの性格はシンプルにすることらしい。
ストレートの彼女の髪に似合ってる、そんな気がマヤにはした。


「これが六号機・・・」
「そう。マギ六号機・・・って呼ぶべきなのかしら?」
ニースは疑問を掲げた。
「どういう意味?」
「これ、人格パターンがマギのオリジナルと違うのよ。ここだけの話。」
「意味が分からないけど。」
「つまり、マギのコピー機じゃなくて、マギの次世代機。」
そんなことくらいマヤにもわかった。

「とも、違うのかも。なんていうのかなぁ。」
ニースは金髪を指でいじった。
「マギの娘、って感じかな。」

マヤは言葉を失った。
「似てるのよ、人格パターン。でも部分部分で違いがあるの。それに
マギのオリジナルと反対の部分がある。そうね、まるで娘が母親の嫌いなところの
反対の行動をするって言う感じ。」
マヤは六号機を見上げた。
六号機には五台のシステムが組んである。
5パターンの思考。

それはマギのオリジナルと大きな違いではないはずだった。
ただ単に小脳とでも言うべき補助演算装置をつけただけなのだから。
だが、それが微妙に異なってくると言う。
それはコンピュータ、以上に人の不思議を見るようだった。

「だから、私にくれるの?マギとは違うから。」
「それは違うわ。私、それ言ってないもん。おじさんたちに。」
ニースは笑った。
この子の方が一枚上手だ。

「まぁ、マギの娘。せいぜい仲良くしましょ、マヤ。」
ニースは歩いていった。
そう言えば。
マギは赤城ナオコ博士の人格だという。
その娘。
じゃぁ、これはリツコそのものではないか。

「先輩、そうなんですか?」
声は反響するが何も生まない。

目の前の端末に描かれた「06」がマヤにだけリアルに見えてならなかった。


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