* 愛と爆炎の聖誕祭 *

吉田





  細く揺らめく数本の蝋燭の灯では、天井が高すぎて光が届かない。
  薄暗く、ただっぴろい部屋の中央に一切加工されていない、剥き出しのどす黒い大理石が辺りに
異様な雰囲気を撒き散らしながら鎮座している。
  部屋の床に描かれた六紡星が白銀の輝きを放ち、大理石を囲んでいた。
  漆黒のローブを身に纏った人影は、六紡星の頂点に立てられた六本の蝋燭に火を付けてまわった。

  その時、何の前触れも無くすべての火が消えた。

  部屋は一寸先も見えない闇に支配された。

「・・・フール・・・・・」

  闇の中で女の冷たい声が流れた。

「ここに。」

  闇の中で初老の男の声が唐突に沸いた。

  女の声が続ける。

「・・・・・先ほど、場が大きく乱れました。」

  その時、柔らかく小さな蝋燭の火が灯った。
  その明かりは火を灯した漆黒のローブの人物を心細げに照らし出しす。
  細い顎がフードの影からチラリと見えた。

「・・・何が起きたのか・・・・分かりますか?」

  白髪の男はうやうやしく頭を下げた。

「ゲートが開いたようですが、詳細にはなんとも・・・・」

  ローブの人影は、まるで何事も無かったかの様に蝋燭の火を付けてまわる。
「そうですか・・・・ゲートが開ける事のできる者が敵に回っているという事ですね・・・・・・」
「強敵、ですな。」
「・・・・当面は無視しても大丈夫でしょう・・・・・・・。」

  彼女は最後の一本を灯し終えた。
  足音を立てず、宙を漂うように黒い大理石の前に立つと、初老の男の方を向いて言った。
  その声は先ほどまでのけだるげな声とは打って変わり、ただっぴろい部屋に力強く響いた。

「今宵、新たな眷族を我らの内に迎え入れます。人選は終っていますか?」
「捕らえた者のうち二名にその資格と適性を認めました。」

  漆黒のフードが肯くように動いた。
  執事は言葉を続けた。
「残りの者達はいかがいたしましょう。」
  ローブに身を包んだ女は少し考えるように口を閉ざした。少しして彼女は言った。
「地下迷宮に送りなさい。田中さんの家族にもたまには良い物を食べさせてあげましょう。」

  執事は慇懃にお辞儀をすると部屋を去った。
  そして、その女以外誰もいなくなった部屋に声が響いた。

「彼らをここへ。」

  声に応じ、正面の大扉が音もなく開く。
  そこにはそれを待っていたかのように、二人の男女が宙を漂っていた。
  その顔はサードチルドレンの捕獲という特殊任務につき、そしてテンゴと呼ばれる少女と人外の
化け物達によって壊滅した陸上戦略自衛隊特殊戦術特務作戦部隊の隊長と、女の一曹だった。

  二人はまるで目に見えない誰かに支えられているように空中を静かに渡り、どす黒い大理石の
祭壇の前で床に下ろされた。

  黒ローブの女はローブの隠しから、まがまがしい雰囲気を放つ暗赤色の短剣を取り出した。
  鋭利な刃が蝋燭に反射し、血のようにぬらりとした輝きを放つ。
  彼女はその短剣で自分の指を切り付けた。
  細く白い指を伝い、一筋の血が大理石にポツリと垂れた。

  やがて、徐々に大理石の表面に招魔祈願の隠し文字が浮かび上がってくる。

  そして、それは赤く輝きはじめた。






                      Going my way.
 八
 百    第35章
 万
 のきざま
0


「先輩!磁力線がだんだん弱まっています!」 既にハンディタイプのSQUIDは針が振り切れて壊れたために、今は携帯用とはとても言えない 大型金属製トランクのような磁場測定器を使っていたマヤが叫んだ。 「放射線も弱くなっているわ。つまりこの空間の歪みは長時間存在できないって事かしら?」 「でも先輩、これが特異点だとしてシュバルツシルト半径から割り出した推定質量と降着円盤から 生成されるの粒子対総量が合いませんよ。重力レンズも局所的なものですし、計算していないので 詳しい事は判りませんが重力波もこの質量に合わないんじゃないかと・・・・・・・・」 「・・・そうね。シンジ君もこれに飲み込まれるときは水に沈むように消えていったわ・・・、潮汐力は 働いていないと考えるべきかしら・・・・」 リツコは軽いめまいを感じて言葉を切った。 この事態が起きてから空間のさざなみが体の中を通過するたびに起こる。 「・・・・・でもそれならここに重力井戸は存在しないことになるし、重力波も観測されたりはしない はずなのに・・・・、この空間の波は重力波よね・・・」 リツコは、と言うか、人類は誰一人として重力波を体感したものは存在しないので確かなことは 言えないが、重力波は空間を伸縮させながら同心円状に広がっていくらしい、先ほどから起こって いる波紋のような空間の揺らぎや、それが体の中を通るたびに起こる軽いめまいは重力波のせいで ある筈である。 しかし、リツコはいまいちそれに自信が持てなかった。 重力波は重力崩壊を起こした特異点の近傍や超新星が起きたときに発生するといわれている。 ここでそれが起きているのか? リツコには自信が持てない。 「マヤ、もう少し近づくわよ・・・・・」
まだアスカと東天は力比べをしている。 アルファはそれを視界の隅に収めながら恐怖と、同時に疑問を感じた。 (四天王はまだ全員そろっていないはずなのに・・・・・、準備は完全に整っていないはずなのに・・・・) アルファは北王のゴーレムがヒカリに押え込まれているなどとは知るよしもなかった その時、一人の少女が揺らぎの中心に向けて駆け出した。 数発目かの照明弾と道端の街灯に照らされながら、青白い頭髪が波打った。 レイは走りながら手の平を前に伸ばした。 閃光が走る。 次の瞬間、世界の中心から宇宙が溢れた。
「ATフィールド確認!」 長髪のオペレーターが叫んだ。 「歪みにこれまでにない変動が見られます!!」 「歪みからの重力波エネルギーが急激に増大!波形もはっきりしてきました!」 「スーパーカミオカンデでニュートリノを大量に検出中、現在は1秒間辺り59.7個の割合で 検出中との事です。」 「ファーストチルドレンと赤木博士が歪みに飲み込まれました!伊吹二尉も同様、他にも民間人が 数名が飲み込まれた模様!セカンドチルドレンは確認、無事です!民間人『別所ナツミ』と喧嘩、 いえ、戦闘中!」 「歪みの直径が大きくなっています!増加率は毎秒34.71cmずつ加速!現在、直径は毎秒 192.44cmずつ増大しています!」 「歪みの中心からの電磁波で通信に支障が出始めました!装甲車からの情報が不完全です!」 「歪みの近傍に落雷発生!街灯が壊れました!」 「暴徒の先頭は歪みまで180秒の所まで迫っています!碇司令の車は健在!」 「ATフィールドが完全に消失!歪みの成長は止まりません!」 次々に入ってくる報告を聞きながら、冬月は事態が自分の手からどんどん離れていく事を実感していた。
鬼頭三姉妹の末娘、通称“雨”の目の前で空間の歪みが巨大化し、彼女を飲み込まんと襲いかかる。 彼女は反射的に両手を掲げ、一瞬でその場から消え去った。 少し離れた場所に実体化し、戸惑いながらも顔を上げた彼女は我が目を疑った。 閉じかかっていたゲートはATフィールドによってこじ開けられ、巨大な球体となって周囲の ものを飲み込んでいく。 ゲートから生じる空間の波は、周囲の彼女やアスカ達のからだに容赦なく襲いかかる。 内臓を握り潰され、引き伸ばされ、引っくり返されるような感覚を苦痛と共に味わいながら、雨は両手 を前に伸ばし、必死に自分の周囲に結界を張った。 暗青色の半透明の輝きが彼女の身体を覆い、その周囲だけ空間がしっかりと固定される。 (なんてことを・・・・・) 雨は愕然としながらそう思った。 ゲートは少しずつ、しかしゆっくりとその速度を増しながら大きくなっていく。 これだけ大きくゲートが開いてしまうと自然に閉じる事は有り得ない。 こちらの宇宙と向こうの宇宙の法則の流出入の圧力が少しずつゲートをこじ開け、最後にはこちらの 宇宙と向こうの宇宙が融合する。まず最初にこの第三新東京市がその犠牲となる。 向こうの宇宙とこちらの宇宙のゴッドナンバーの差異が無視できるほど小さければ問題はない。 しかし、この先の宇宙を支配するゴッドナンバーがこちらの宇宙と大きく違っていた場合、お互い の自然法則の浸透によっておとずれる物理学的平衡が、こちらの宇宙と向こうの宇宙の生命、あるいは 惑星や恒星自体に致命的な影響を与えてしまう。人の体が唐突に分子レベル、あるいは素粒子レベルで 崩壊するかも知れない。太陽が爆発したり、突然冷えて膨張し、地球を飲み込むかもしれない。 絶望的な考えが次々に湧き起こり、彼女の頭を支配する。 突然、背後で音がした。 雨は素早く振り返ると、御免なさいと言いたくなる程にシンジとそっくりの顔を付けた人型兵器 PIシリーズ参号機が襲い掛かってきた。 素早く雨は胸の前で指を組み合わせ、印を結んだ。 喝っ!!!! 夜を切り裂く一喝が雨の口から放たれ、印を結んだ両手から目に見えない衝撃波が放たれる。 PI−3はトラックに跳ねられたように衝撃波に吹き飛ばされ、道を大きく吹っ飛んで街灯の 根元に背中からぶち当たった。 街灯はぶつかった衝撃で根元から折れ曲がる。 中のコードが真っ白い火花をパチパチと放ち、明かりが消えた。 が、それだけの衝撃を受けながらもPI−3は身体を軋ませながら立ち上がろうともがき始めた。 街灯の根元で火花が跳ね、PI−3のロングコートに小さな黒い焼け焦げを作った。 「・・・・・すいません。」 唇をかみ、雨はシンジそっくりの顔のPI−3に詫びると印を結び変え、呟き始めた。 「吾れ雷公の旡、雷母の威声を受け、以って眼前の魔怪を討つ。吾をして五行の将、六甲の兵を使い、 百邪を斬断し、万鬼を駆滅せしむるを得んことを。急急如律令!勅!勅!勅!」 雨が手の平を天に向ける。 その瞬間、白い閃光が走り、雷が落ちる。 耳を聾する爆音と、閉じたまぶたを通して突き刺す白き閃光と共に稲妻が街灯を撃ち付ける。 下で立ち上がろうともがいていたPI−3の電子回路が一瞬の火花と共にショートする。 PI−3の耳から白い煙がぽっと吹き出した。 辺りには落雷の後のイオン臭と、焦げ臭い煙が立ち込める。 その時、軽く息を吐いた雨は違和感を感じて振り返った。 いつのまにかゲートの成長は止まり、今は逆に少しずつ縮小しはじめていた。 「ゲートが・・・、閉じる?」
空は赤く染まり、果てしない地平線の向こうまで広がっている。 地面は背の低い青草に覆われ、一面に緩やかに隆起した大地にびっしりと生え広がっていた。 赤い空には黒っぽい雲が所々に密集し、空をゆっくりと流れながら地上を見下ろしていた。 青天はゲートの大きさを力尽くで臨界体積以下にまで縮小する。 両手から放たれる凄まじい力の奔流が、彼女の髪と同じ緑色の閃光を放って空間を走る。 やがて肥大化し続けていたゲートはその成長を止め、空気の抜けてゆく風船のようにゆっくりと 萎んでいった。 彼女は血に濡れた両手を下ろして、ほっと息をついた。 足元にはチョロチョロと清らかな小川が流れ、そのとなりにはシンジが眠っていた。 青天はシンジから目を逸らし、血にまみれた自分の両手を憎々しげに見つめた。 やがてその視線は、ゲートの前で立つ綾波レイに向けられる。 「これがどういう物だか分かってるの?」 青天が指差すゲートを見ようともせず、レイは首を振り、要求を端的に伝えた。 「碇君を返しなさい。」 「いーや。」 青天はその場にしゃがみ、気を失っているシンジを抱きかかえた。 「あなたのせいで私が怪我しちゃったじゃない。」 青天の愚痴を無視し、レイは黙って睨み付けていた。 「あなたが何も知らずに無理矢理こじ開けたゲートを、私が身を呈して閉じなければ、あなた達の 世界のほとんどの人間が死んでいたのよ。お礼ぐらい言ってもいいんじゃない?」 青天はふて腐れたようにその場で腰を下ろし、シンジの頭を自分の膝の上に乗せた。 「見てよこれ。あなたのせいで血だらけになっちゃったじゃないの。」 青天はレイに、怪我をした自分の手を見せ付けた。 彼女の手は膨張するゲートを強制的に閉鎖する時の力の奔流に耐え切れず、至る所で毛細血管が 破裂し、はじけた皮膚から幾筋もの血が流れていた。 「良く言うわね。」 アルファがエコーとシエラを押しのけて前に出た。 シエラは早くも銃を青天に向けて構えている。 「元はと言えば、あなたが碇君をさらうために強引にゲートを開けたのがいけないんでしょ。 ――――それも計画が不完全なうちに。」 「へえ。」 青天の目が面白がるように細まった。 「良く分かってるのね。」 「もちろん。デルタや惣流アスカや綾波レイ達をあなた以外の四天王が押え込み、その間に碇君を さらうって計画だったが、どういう訳か人形使いの北王が来れなくなった。だから青天のあなたは、 綾波レイがここにいる事を承知で危険を冒し、碇君を強引にさらった。その結果がこれでしょ。 あなた、人の上に立つ人間として失格よ。」 「さすがはSILF筆頭の総務局長アルファ、って誉めてあげましょうか?」 「結構よ。それよりも、碇君を返してもらいましょうか?」 「いやだといったら?」 青天は挑戦的な目でアルファ達を睨み付ける。 アルファは凄みのある笑みを浮かべた。 「試してみたら?」 青天は座ったまま、ついと顎を上げた。 「いやよ。」 アルファは即座に指を鳴らす。 それを合図に背後に控えていたシエラが銃の引き金を引いた。 撃鉄が振り下ろされ、銃弾の火薬を叩き付ける。 カチン、と音がした。 一瞬の緊迫感を含んだ間が空く。 「・・・あ、あれ?」 シエラはもう一度引き金を引いた。 が、結果は同じく、何も起こらなかった。 「(ちょっと、こんな時にふざけないでよ。)」 背後からエコーが小声で囁いた。 「(わ、分かってるわよ。)」 シエラは動揺した声で囁きかえした。 スライドを引き、新しい銃弾をチェンバーに装填する。 「(右手を前に伸ばし、左手で銃を手前に押さえつけて照準を合わせる。)」 口で銃を撃つ時の動作を確認しながら銃口を青天に向けた。 「(安全装置を外して、引き金を引く。)」 撃鉄が倒れ、カチンと音がした。 「あ、あれ?あれ?」 シエラは頭に幾つもハテナマークを浮かべながらキョロキョロと意味もなく辺りを見回した。 アルファが小声で文句を囁く。 「(ちょっと、シエラ。カッコつけたあたしが恥ずかしいじゃないの!)」 「(だ、だって、あの・・・・や、やっぱり密造拳銃じゃ安定性に欠けるのかしら?)」 「(私に聞かないでよ!)」 「(でもチャーリーの太鼓判付きなのよ。)」 「(だから私に言わないでって。)」 青天は口元に手をやり、クスクスと笑っていた。 「試してみたけど良く分からないわ。アルファさん。」 アルファはギリリと奥歯を噛み締めた。 その様子を見ていたリツコとマヤは、ゆっくりと彼女たちの側面に回っていった。 マヤはリツコの耳元に口を寄せた。 「どう思いますか?」 「そうね・・・・・幾つかの仮説は立てられるけどまだ何とも言えないわ。観測を続けてちょうだい。」 「でも、先輩、その・・・・・それが・・・・・」 マヤは口篭もった。 「なに?」 「あの・・計測器の電源が入らないんです。」 マヤはトランク型の計測器の電源スイッチをカチカチやっていた。 「故障?バッテリーは?」 「確かめる事が出来ないんです。それにそれだけじゃなくて、取っ手もどんどんボロボロに・・・・・・」 黒いゴムの取っ手は黒い微粒子状になって表面から少しずつ崩れていた。 リツコの脳裏に一つの仮説が立った。 薄ら寒い恐怖を感じながら、リツコはアルファ達に声をかけた。 「やめなさい、あなた達。」 青天と睨み合っていたアルファ達はリツコを向いた。 「青天とか言ったわね。ちょっと聞きたい事があるわ。」 「なにか?」 リツコは険しい顔をして、青天に詰め寄った。 「ここはどこ?」 青天は面白そうについと顔を上げた。その拍子に彼女の緑色の髪が揺れた。 すでに真っ赤な夕日は傾き、地平線の彼方に吸い込まれようとしている。 「ここ?・・・そうね。現地の知的生物はただの《平原》って呼んでるけど。」 「知的生物?つまりここは地球じゃないって事?」 「そうね。もう一声。」 リツコは黙り込んだ。そして、それがしばらく続いた後、彼女は唾を飲み込んだ。 額には薄っすらと汗が浮んでいた。 「・・・・・・・つまり、ここは別の世界。別の宇宙って事?」
巨大な尻尾が鞭のようにしなり、デルタの身体を叩きつけ、弾き飛ばした。 全身がバラバラになったような衝撃を受け、道路の上を何回も転がりながら、彼女はあばらが 数本折れた事を強烈な痛みと共に知らされた。 身体が転がる事をやめても、彼女は荒い息をつきながら苦痛に身体を二つに折りながら地面の 上に寝転がっていた。 脱臼した左肩は、今では真っ赤に晴れ上がり、まるで焼きごてのように彼女の痛覚を刺激する。 痛みをこらえて目をうっすらと開けた時、視界に再び巨大な黒い尻尾が迫っていた。 彼女は反射的に右手に持った木刀でガードする。 次の瞬間、一撃でダンプカーをスクラップにできるほどの運動エネルギーを持った尻尾がデルタに 叩き付けられる。 鉄筋が落下したような轟音と共に尻尾は振り下ろされ、地面に叩き込まれた。 大地が跳ね上がったような衝撃と共にアスファルトに縦横にひびが入り、破片となって宙に舞う。 巨大な尻尾は地面に半ばまでめり込んでいた。 辺りには濛々たる粉塵が舞い上がり、一瞬遅れて弾き飛ばされたアスファルトや岩の破片が雨の ようにバラバラと降ってくる。 粉塵の奥で、まるででそれ自体が生き物のようにゆっくりと尻尾が持ち上がった。 纏わりついた瓦礫が音を立てて崩れ落ちる。 デルタはその下でゆっくりと息を吐いた。 全身に螺旋を描くように纏わりついていた目に見えない気の流れが攪拌して消えていく。 尻尾の一撃で彼女を中心に地面の亀裂が放射状に広がり、デルタの周りは小さいクレーター状に えぐれていた。 デルタは咄嗟に硬気功でその一撃に耐えたものの、衝撃は大きく、体は油の切れたブリキの人形 のように上手く動かない。 それでも、襲い来る激痛に耐えながら木刀を杖代わりにしてゆっくりと立ち上がった。 制服からパラパラと砂やら小石やらが落ちる。 辺りにはまだ粉塵が舞い上がり、視界は良くなかった。 その時、ごく近くで巨大な物体が動く気配を感じ取った。 次の瞬間、赤い光が瞬いた。まるでまばたきをするように。 彼女がハッとしてそちらに目を向けた刹那、鋭い牙の生え揃った巨大な顎が粉塵を切り裂き、 一瞬でデルタに迫った。 デルタは尻餅をつくようにしゃがみ込み、何とかそれを躱す。 トカゲの顎はバクンと豪快な音を立てて素早く閉じた。 一瞬、トカゲの赤い両眼とデルタの目が合った。 そしてデルタが全身でがなりたてる激痛で反応する事もできずに、殺られると覚悟した時、横合 いから鋭いの気合と共に鋼の棍が赤く光る獰猛な目に向けて突き出された。 生卵が割れるような音を立ててトカゲの右目に鋼の棍が突き立たった。 だが、西洋龍モドキの合成獣は反射的に素早く頭を振り上げ、棍が脳に達する直前に引き抜いた。 頭を振り回しながら、龍モドキは激痛に咆哮を上げた。 怒りと苦痛に満ちた目はデルタと雷を睨み付けていた。 デルタは脱臼した左肩を庇いながら立ち上がり、棍を構えた雷に声をかけた。 「気付いているか?アルファ達や碇君がいない。どこにいると思う?」 「知るか、今は自分の事で手一杯だ。」 「だったら提案。」 「なんだ?」 「逃げる方に一票。」 「逃げないに一票。だめだな。決は出ないぞ。それにじきに姉貴が来る筈だ。それまで待て。」 「民主主義は数の暴力だっつーのに。とりあえず来るのはチャーリーだと思うけどな。」 「賭けるか?」 「なにを?」 「喫茶『純』のデラックスチョコパ。」 「甘いのは嫌いだ。私はタラコスパ。」 「いいだろう。」 同時に二人は左右に飛んだ。 一瞬遅れて、二人のいた場所に巨大な鈎爪が振り下ろされる。 地響きを立ててアスファルトが砕け散り、また粉塵が舞った。
(二人してなに下らない事やってんのだか・・・・・) チャーリーはデルタ達に呆れながら、袖で額から流れる血を拭った。 しかし袖は血でぐっしょりと赤黒く濡れぼそり、いくらを拭っても、顔中に血を引き伸ばすくらい にしか役に立たない。 額の傷は皮膚が縦横に強く引っ張られているので、切れると小さな傷でも結構な量の血が流れる。 仕方なくチャーリーは、剥がす時痛いから、という理由で張らずにいた手の平の半分ほどの大きさ の止血パッチで血を止めた。 彼女はもし病院に行けば問答無用で七、八針は縫合されるくらいの傷を負っていたにも関わらず、 その上、暗い上に片目は血で見えないのに地面の出っ張りや木の根につまずくことなく、デルタ達の 戦っている場所に辿り着いたのは、つい先刻だった。 いくら龍モドキの鼻がきくとは言え、すでに何人もの人間の匂いが充満し、更には近くで戦闘機 の残骸が大きな火柱を吹き上げながら燃え盛り、落雷さえ落ちたここは、新しい人間が一人二人増 えた所で獣の注意を引く事はない。 そう考え、道の脇に生えた巨木に身を隠しながらチャーリーは機会を狙う事にした。 その時、雷の放った突きが龍モドキの喉元に突き刺ささった。 驚くほど近くで龍モドキが苦痛の咆哮が彼女の耳を襲った。 他のどんな音をも圧し、内臓が引き千切られるのではないかというほどにビリビリと腹に響く。 空気が痺れたように振動し、一瞬耳が聞こえなくなる。 チャーリーは背筋がぞっとした。 今、デルタや雷と戦っている西洋龍モドキは、その大きさも素早さも彼女の予想を超えている。 彼女の持つ拳銃程度ではかすり傷を着けられるかどうかも疑問だった。 チャーリーはむりやり恐怖を押え込み、深呼吸をすると頭を巡らせ始めた。 こちらの利点といえば蜥蜴の知性の低さとすぐに本能に身を任せる躾の無さだけ。 本来なら碇シンジの奪取を任務とする場合、絶対に碇シンジを傷付けないよう、単体で任務の内容 とその目的を理解しうるほどの高度な知性を持った物、あるいはいっさい自分の意識を持たず、淡々 と与えられた命令を実行するゴーレムやゾンビのような物、もしくは完全他立型のゴーレムで主人が 遠隔操作でラジコンのように任務を行うか、術師が仲間以外の誰かに無理やり取り憑いて行う。 これは第弐中学校に拠点を置く、SI促進委員会の会長オメガ(本名、年齢、住所不明。また《彼》 が第弐中学校において、公的にどのような役職についているかも不明)が第二次SI争奪戦争勃発 直後に提唱した、《オメガ条約》の第二条にある、 『 何人たりとも碇シンジに危害を加えてはならない。またその 恐れのある行為、もしくは言動、その他の行動もまた、すべて これを禁じる。 1)SIに対する行動に関する規則2条を参照 2)罰則第52条の1を参照 』 という条約を遵守するために確立し始めた方法だった。 附則2の罰則52−1とはすなわち違反した人物の《廃棄》であり、その人物の属していた組織 はその他の組織からほぼ完全に絶縁状態とされる事、簡単に言うと日干しにされる事を言う。 このオメガ条約には確認されている限りで、ほぼ全てのシンジ後援(擁護、寵愛、ファン、恋愛 推進・・・etc)組織が調印しており、当然、龍モドキを放った御清糾恋愛教団も調印している。 だから、チャーリーは仮説を立ててみた。 この龍モドキは意図的に低知能にふるまう事で本来持っている知性を隠しているのか。 否・・・・・・ 知性強化をやり過ぎると、稀に造物主である術師に反乱する事がある。 賢明な魔導士ならば、自分の創る知性ある創造物には余り強力な力は与えない。 創造物に高度な知性と強力な力を与えるという事は、フランケンシュタイン博士などの例にも あるように創造主自身の命の危険を大きくすると歴史も証明している。 したがって、強力な力を持つものを造る時は知性が低く従順な物、番犬やボディガードのように 使われる事が多い。 そして、この龍モドキはどう見ても南王が後者のために造ったとしか思えない。 教団が、この龍モドキはけっして碇シンジを傷付けない、という確信の元にここへ送ったのだと すると、つまるところ残る可能性は一つ。 時間稼ぎ 兼 撹乱のための捨て駒。 そう考え、素早くシンジを探してみるが、彼の姿はどこにも無かった。 そして、なぜかアスカとブラボーが殴り合っているのを発見した彼女は目を疑った。 と同時にその事が彼女にその事を確信させた。 つまり、思った通りこれらの障害は碇シンジから自分達を引き離すために設置された罠だったのだ。 恐らくシンジはすでに連れ去られている。 同時に綾波レイとアルファ達の姿も消えているのを確認した。 だから不安は感じなかった。 戦術レベルにおいては役立たずトリオ、あるいはブラボーと合わせて能無しカルテットの異名を 持つアルファ、エコー、シエラの3人は置いといて、今夜だけは碇シンジに片時も離れず影のよう に寄り添っている綾波レイの存在を(極めて稀ながら)好ましく思った。 デルタが気合を上げ、龍モドキに木刀を叩き付ける。 強固な鱗の弾け飛ぶ破砕音と同時に、龍モドキの肉の弾け飛び、真っ赤な血と共に路上にばら撒 かれた。 もう一度、龍モドキは苦痛に咆哮を上げた。 しかし、チャーリーは先ほど感じた恐怖が薄れている事に気付き、耳を聾する叫びの中でうっすら と笑みを浮かべた。 とは言え問題が一つあった。 それは自分の持っている拳銃ではこの怪物に傷を負わせる事すら難しいという事実だった。
爆発、炎上する破壊された戦闘機を挟んだ向こう側。 チャーリーがその答えを出すのとほぼ同時に、雨もまた同じ結論に達していた。 自分にはゲートを開けられないと、馬鹿にされたような不愉快な気になった雨はゆっくりと両手 をかざし、シンジの取り込まれたゲートを広げようと意識を集中した。 彼女の周りの空気がゆっくりと冷えていき、朧に青白い輝きを帯びる。 その時、立て続けに彼女の結界に打ち付ける重力波とはまた違った力の波動を感じてはっと顔を 上げた。 夜空を見上げると、そこだけ他の場所とははっきりと違った揺らぎ方をしていた。 「黒魔術研究会・・・・・・・・・、意外に遅かったですね・・・・・・・」 雨はぽつりと呟いた。 そこの空間の揺らぎは徐々に大きくなり、やがて赤い光を帯び始めた。
「現場の装甲車のパッシブレーダーに反応!」 オペレーターが叫んだ。 「偵察衛星を向けろ、確認して結果を知らせろ。」 冬月は素早く指示を飛ばした。意外に早くその答えが返ってきた。 「副司令、明らかに先ほどの物とは違う揺らぎが発生しています!」 「またあれが大きくなりだしたのか!?」 オペレーターの声に、冬月は反射的に尋ねかえした。 「いえ。どうやら全く新しい物のようです。ですが、至近に先ほどの揺らぎが依然として大体積で 存在しているために重力波などの詳細な情報は検出不能です。」 「大きさはどの程度だ?」 「約2メートル弱。地上約2.5mの所で滞空中です。放出しているエネルギーも前のに比べると 非常に微少です。」 そこへ新たなオペレーターが加わった。 「確認できる限りではエネルギー放出は赤の可視波長以上で赤外波長の電磁波の放出が主体のよう ですが、徐々にそのエネルギーは増しています。」 「レーダーは見ているか?」 「いえ。防空レーダー、火器、航空管制レーダー、偵察衛星から超音波ソナーまで反応ありません。」 冬月は腕を組んで唸った。 すでに事態はNERVの手を大きく離れ、現場では科学的に説明不可能な現象が多発している。 未確認ながらに妖怪やモンスターの類も出現しているともいう。 その真っ只中にエヴァのパイロットや赤木博士を初めとするNERVに欠かせない人間が多数 置き去り、行方不明とあってはただの暴動騒ぎでは済まされない。 冬月は唸りながら頭を上げた。 「兵装ビルの起動と武器転換作業はどうなっている?」 「作業は弾頭の変更を完了し、現在射出ポッドにミサイル装填中。残り五分で全作業終了予定。 その後はゴーサイン待ちです。」 冬月は苦虫を噛み潰したような顔をした。 「いざという時は止むをえんか・・・・、分かった。今は、手のあいてる空戦部隊を暴徒達の牽制と 足止めにまわせ。」 「現在は歪みの発する電磁波によるスタティックで航空機のレーダーがホワイトアウトしており、 戦闘は元より着陸すらできない状態です。使用できるのはセスナが四機あるだけです。」 冬月の顔がさらにしかめっ面になった。 「・・・それを発進させろ。地上部隊共々は装甲車や火器をもって抵抗する相手には発砲も許可する。 それ以外の者には威嚇射撃に留めておけ。兵装ビルの準備が完全に整ったらすぐに知らせろ。 ・・・・できるだけ早急に決着を付ける。」 オペレーター達は、何を今更、と言う言葉を意識的に噛み殺した。
宙に浮んでいた赤い光は次第に強さを増し、やがて雨の視界をくらませるほどの赤い閃光を放ち 次の瞬間嘘のように掻き消えた。 雨が赤い閃光の残滓の残る両目を無理矢理こじ開けると、そこには数名の少女たちが円陣を組ん で立っていた。 円の中心に立っていた金髪の少女が胸の前で印を組んでいた両手を離し、一歩踏み出した。 背後に立っていた黒髪ボブカットの少女は、活発そうな顔に緊張の色を見せながらも、巨大な ゲートにも巨大な龍モドキにも、雨にも、ゾンビ達にも、爆発炎上する戦闘機にも、残骸と化した 装甲車にも、内臓を捏ね繰り回すかのような重力波の拷問にも動じることなく片手を上げ、無言 で振り下ろした。 それを合図に回りに立っていた少女達は、まるで事前に打ち合わせがあったかのように素早く 散った。 それを見ながら、雨は小さく笑って声をかけた。 「ようこそ地獄の入り口へ。黒魔術研究会会長さん。遅かったですね。」 テンゴはツイと顔を上げ、大きく周囲の空間を歪めているゲートを見ると静かに微笑んだ。 「・・・ええ・・・・まさかゲートが開くとは予想していませんでしたので・・・・・・」 「私も、空間座標が絶えず変化するゲートの周辺区域に瞬間移動で来られる者がいるとは思いませ んでした。」 「・・・副会長が・・・・・そういった技術に精通していますので・・・全てお任せしています・・・」 それ自体が淡い光を放っているような長い金髪が夜風に揺れた。 雨はテンゴと口を聞いているうちにまるで空気が話をしているような気持ちになり、軽く首を振 ると両手で印を結び、前に差し出した。 一瞬、空気が緊張をはらんだ。 「どうします?会長さん。」 テンゴはゆっくりと首を振った。 「・・・今は戦うよりも・・・・彼を救出する方を優先させるべきだと考えます・・・・・・」
日本刀を構えた両手から血が滴り落ちた。 アクションサービスの四人はお互いに背中を預けながら、円陣を組み、無言でゆっくりと確実に 輪を狭めてくるゾンビ達と向き合った。 少女達のかつては純白だった制服は至る所で切り裂かれ、その下の白い柔肌まで切り裂き、流れ 落ちる幾筋もの真紅の血で、それは赤く染められていた。 そして彼女たちにたびたび襲い掛かる重力波は、全身をプレスされたり、内臓を引き伸ばされたり するような苦痛を伴って彼女たちを蝕んでいる。 その上、ソンビたちは鈍重で愚鈍と言う映画で言われているものとは大きく違っていた。 当然といえば当然。 彼女たちは苦々しく考えた。 己の身体を省みないで火事場の馬鹿力を常に出し続けているようなもの。通常時とは比べ物にな らない怪力を出せるようになり、同時に瞬発力も上がり、剣先の速さも踏み込みの素早さも比べ物 にならなかった。撃ちの力強さも段違いだった。 SILF情報局の誇るエリート集団、シークレットサービスの最前線で戦ってきた彼女たちでさえ、 かつて実戦レベルにおいて格下だった友人のゾンビたちにまともに太刀打ちできなかった。 まだ生きているのが不思議なくらいだ。 その時、道路の向こう、ゆらゆらと揺らめく空間の歪みの近傍に赤い閃光が膨らみ、弾けた。 彼女たちが驚いて目を向けると、明かりの中から数人の少女達が駆け寄ってくるのが見えた。 街灯と月明かりに照らされ、純白のシャツが見える。 (新手か・・・?) 彼女たちの絶望に満ちた思いは、すぐに安堵に取って代わった。 先頭に立って走り寄ってくる人影は綾波レイ対策委員会、又の名を黒魔術研究会の副会長とその会員。 彼女たちの仲間だった。 黒魔術研究会副会長は髪を振り乱しながら地を蹴り、夜空に高く舞い上がった。 大きな満月を背中に背負い、まるでなにがしかの劇画か何かの一場面のように敵めがけて飛び降り、 着地ざまに手に持った呪符を目の前に立つ、死んでなお生かされている少女の胸に叩きつける。 彼女の履いたスニーカーがアスファルトを踏みつけ、ザッと小さな音を立てた。 生きた少女の死体は、胸に張り付いた呪符を意にも介さず、手に持ったヌンチャクを振り回し、副会 長に襲いかかった。 どんよりと鈍く光る二つの眼光を見ながら、副会長は白く繊細な指を組み合わせ、印を結んだ。 「妖魅、悪鬼を禁ずること、此れ即ち在る事あたわず、以って万物の理において彼を滅し封殺せん」 口の中で小さく呟き、精神を研ぎ澄ませる。 森の木々が風に揺れて小さな音を立てた。 ゾンビは切り裂かれてぼろぼろの制服をはためかせながら、素早くを副会長との間合いを詰める。 その時、副会長の口から短く鋭い気合が発せられた。
禁!!! 目に見えない閃光が駆け巡った。 生きた少女の屍の胸に張り付いた呪符が粉微塵に弾け飛び、同時に少女の身体は電撃に撃たれたように 体がガクンと仰け反る。 彼女は悲鳴を上げるように口を開け、スローモーションのように膝をつき、その場にゆっくりと倒れた。 風が音も無く流れ、サラサラと少女達の髪を揺らす。 ピクリとも動かない。 副会長は首を振ってあたりを見回した。 他の少女達も黒魔術研究会のメンバーによって全て調伏されていた。 「怪我の具合はどう?」 彼女は辛うじて生き残ったアクションサービスの四人に尋ねた。 日本刀を持った少女は軽く息を吐きながら、首を振った。 「何とか生きてるけどね。・・・・・・これ以上は無理。」 そう言うと、彼女たちは力尽きたように地面にしゃがみ込んだ。 副会長は軽く手を振り、部下に彼女たちの手当てするように示すと、ゲートに歩を進めた。 その時、惣流アスカの怒声が夜空に響いた。 「てぃやぁぁぁぁぁっ!!天奉臥式百裂脚!!!!!!!」 次いでブラボーの声が。 「足が分裂するなんて卑怯よ〜〜〜〜〜〜!!!!」 研究会の面々が驚いて顔を向けると、硬式野球ボールのストレート140Km/h数十発が人の体に 立て続けにぶち当たるような音と共に、肉がひしゃげて弾け飛び、骨が砕けて折れ曲がるという生理 的にも心理的にも嫌な音が彼女たちの耳に届いた。 同時に鬱蒼と生い茂る木々の一本が、メキメキと大きな音を立てて傾いだ。 ゆっくりと倒れていく大木の根元はまるで爆弾が炸裂したかのように引き裂かれ、ささくれ立っ ている。 葉と梢の擦れる音があたりの音を全て制して長く低く響いた。 やがて大木は大きな音を立てて地面に沈み込んだ。 次の瞬間、白い固まりが暗い森の中から吹っ飛んできた。 それは亀裂だらけのアスファルトを何度かバウンドしながら黒魔術研究会副会長の足元で止まった。 それを良く見た彼女は目を疑った。 「ブラボー!?」 首が異様な方向を向いているが、その顔は紛れもなくSILFナンバー2にして財務局局長の ブラボーだった。 「ハンッ!いくら怪力だからって、その程度の腕でこの私に刃向かおうなんて、一億年早いわよ!」 アスカが倒れた木を踏み越えて顔を出した。 副会長は事態が掴めないながらも、初登場以来SILFの暗殺対象者ブラックリストの上位に常に ランクインし続けている惣流アスカに向かって身構えた。 アスカの目がスッと細くなる。 「あんたも私とやろうってーの?」 その言葉に副会長だけでなく、その部下達も怪我人を手当てするのをやめて身構えた。 その時、下から素早く手が伸び、副会長は襟首を万力のような馬鹿力で引っ掴まれた。 次の瞬間、体を物凄い勢いで引っ張られ、一瞬で空と地面が混ぜ合わさる。 副会長は気がついたら宙を飛び、道路を横切っていた。 が、アスカは自分を目掛けてブッ飛んできた副会長を冷静にキャッチした。 副会長は信じがたい出来事に唖然としたまま、逆さになってアスカの両手にぶら下がっていた。 「あんた、どうせ飛ぶんならどっか別の方に飛んでいきなさいよ。」 アスカは心底迷惑そうに言いながら、副会長を離した。 「誰が好きであなたなんかに向かって飛んでくってのよ。」 副会長は、体を捻って立ち上がりながら、こちらも心底嫌そうに言い返した。 副会長を放り投げたブラボーは、ゆっくりと立ち上がりながら異様な方向を向いた首を両手で 元に戻した。 ゴキリ、と言う関節が鳴る音がアスカの耳にまで響いた。 「変態・・・・・・・」 アスカは苦々しげにぽつりと言った。 ブラボーの体を乗っ取った東天は冷ややかな笑みを浮かべた。 「貴方みたいなのと一緒にしないで。」 ブラボーの言葉に黒魔術研究会副会長は頭を強く殴られたような衝撃を受けた。 「まさか憑依されたの!?普通のブラボーじゃないと思ってたけど、身体を乗っ取られるなんて・・・」 彼女がブラボーをはじめ、SILFのアルファベットを関する大幹部たちに持っている印象は、 そのたぐい稀なる特殊能力と常人には計り知れない強靭な精神力を同時に併せもつ、人類史上稀に 見るほど強力な人間たちの集団というイメージだった。 その幹部をして抗いきれない強力な呪力を持つ者などいないと思っていた。 「どうして・・・・、いえ、これには他になにか理由があると考えるべきであって・・・・・」 ぽつりと呟く副会長の言葉に、アスカは思い出したようにポンと手を叩いた。 「あ、そう言えば海老名だかエコーだか言うのが『あなた東天ね!』とか大仰に指差して言ってた わね。」 副会長はアスカを真正面から直視して目を見開いた。 「まさか!東天はボコールよ・・・・・ロアを使った擬似死体蘇生術と死体憑依が主の術形態で自分自身 が死体に憑依する術なんて・・・・」 彼女は顎に手を当てて考え込んでしまった。 「・・・・・ハッ、でもまさか・・・・・・・・・・・・・・・いえ、でも・・・・・そんな事・・・・・・・・」 呟きながら、ゾンビと化し、そして自分達によって調伏され、いまは道路に横たわっている少女 達を見まわした。 一拍置いて彼女を決心した。そして深く息を吸いこんだ。 「呵禁孝召!!」 「はい!」 研究会の少女達が威勢の良い返事を返し、円陣を組んでブラボーを取り囲んだ。 「ちょっと、なにすんのよ。」 アスカは、人間が自分の獲物を横取りするのを心配している猿山のボスのように、副会長に尋ねた。 「なにって?ブラボーの体の中から東天を追い出すの。殴り合いじゃ埒が明かないわ。」 東天は自分を囲む少女達を眺めながら、潮時だと決心した。 彼女の精神力は、アスカとの格闘と言うよりも肉体の修復作業ですっかり疲弊し、そろそろ気力も 尽きる頃だった。 (人選を間違えた・・・・・) 彼女は陥没した頬骨と潰れた眼球を元通りに直しながら考えた。 (もっと肉体的に訓練を積んだ人間に憑依をすべきだったわ・・・) もっと筋肉が太く、動体視力が良く、骨が太くて肉体的に頑強であれば、自分の力で筋肉が裂ける 事もなく、もしかしたら長期戦に持ち込んで惣流アスカに正面から打ち勝てたのかも知れない。 その時、黒魔術研究会副会長の両手から放たれた二枚の呪符が空中に直線を引いて飛んできた。 (少なくとも自分の仕事は充分すぎるほどに果たしたのだから・・・・・・・) 東天は、フッと笑うとブラボーの体から抜けた。 アスカの目の前で、ブラボーの体は突然力が抜けたように崩折れた。 目標を失った呪符が唐突に失速し、枯れ葉のようにヒラヒラと道路に舞い落ちる。 「なに?どうしたのよ?」 アスカは狐につままれたように、目をぱちくりさせた。 視線の先には地面に横たわるブラボーの姿があった。とても先ほどまで威勢良く戦っていた相手 とは思えない。 「抜けたわね。」 アスカの問いに副会長は短く答えた。 だが、彼女の霊的知覚力を持った目にはアスカの目に見えなかった青白い光の帯を見ていた。 それはブラボーの体が崩れ折れる直前、夜空に向けて飛び立った。 「東天・・・・やっぱりロアだったのね・・・・・・・」 彼女は苦々しげな視線を青い光の飛び去った方向に送っていた。 「こいつは厄介だわ・・・・・・・・」 黒魔術研究会副会長は下唇を強く噛みしめた。
「つまりここは多元平行宇宙の中の一つと考えて間違いないのかしら?」 リツコは黄昏の平原が続く世界の中で青天に尋ねた。 青天は嬉しそうに肯き、不自然なまでに鮮やかな緑色の髪を揺らした。 「そのとおり。運が良いでしょ。ここには酸素もある、水もある、有害な大気は存在しない。そして あなた達の体が一瞬で煙になって消えるような事も無い。まさに奇跡のような世界じゃない?」 「どうせ、あなたが碇君をここに連れ込んだ時にそうならない世界を選んだってだけでしょうが。」 理解できる範囲の話を頭でまとめながら、アルファが不機嫌そうに言った。 「もちろん。そんなの当然じゃない。でもアルファさん、あなた達が今どういう状況に置かれている のか、少しは考えてもいいんじゃない?」 「私が考えていないとでも?」 「ええ、その様子じゃ考えてないわね。だから、しょうがないから少しだけヒントを上げるわね。」 青天はそう言って両手を向かい合わせて身体の前にそっと差し出す。 その両手の中で空間がわずかに揺らいだかと思うと、突然そこから毒々しい紫色の炎が溢れ出し、 直線を引いてアルファ達を襲った。 「どわぁぁぁ!!!!」 が、SILF幹部の名は伊達ではなく、危険を予感した彼女たちはフナムシのごとく一瞬にして 辺りに散らばって炎を避けた。 「あ、危ないじゃないの!!」 髪に引火した火を慌てて叩き消しながらアルファが叫んだ。 「これがヒントよ。わかったかしら?」 「あなたはつまりあたし達を殺ろうってんでしょうが!そんな事はとっくの昔っから知ってるわよ! 今更言われるまでもないっての!」 しかし、青天は嬉しそうな顔で残念そうに首を振った。 「いいえ、まだ分かってないわね。赤木博士はわかるかしら?」 青天は振り返り、そんな事ありえないわ、などとぶつぶつ呟いているリツコを見た。 リツコは声をかけられ、ハッとした表情で青天に顔を上げた。 「あ、そ、そうね。今のは一体どうやったのか、科学的に説明してくれれば・・・・・」 「科学的に説明するには時間が掛かるわね。だからまあ、簡単には端折って言うと、こちらの宇宙 には存在しない物質を別の宇宙から持ってきて、こちらの宇宙に存在する物質と反応させた、って とこかしら。」 「別の宇宙から?ただ火を付けるだけならこちらにある物質でも十分なんじゃない?」 「ええ、その通り。それもまたヒント。元々あたしは召喚師であると同時に《ゲートキーパー》と 呼ばれる者たちの一人。幾多の多元平行宇宙の扉を定期的に開閉し、安全かつ可能な限り迅速に同 次元に存在する大多数の宇宙の物理的平衡状態をもたらす事を目的としているの。あと三十億年も すればほとんどの宇宙が平衡状態を保つようになり、お互い好き勝手に生身で出入りできるように なるわ。」 「物理学的平衡状態?」 「そう、それぞれの宇宙の科学法則を支配するゴッドナンバーは宇宙開闢時のビッグバンの瞬間に、 まったくの偶然によって決められた数字。そこには何者の意志も介在し得ない――――」 「待ってちょうだい。ゴッドナンバーって、つまり電気素量とか素粒子の質量とか、中性子の大きさ とか陽子の電荷とか電子の質量とかアボガドロ数とかいう定数の事でしょ?」 「そう、偶然、と言う以外、どうしてそうなったという理由は一切無し、神の定めた絶対不変の神秘 の数。つまりはゴッドナンバー。」 「つまり、あなたがわざわざ別の宇宙から火を持ってきたって言ったのは――――」 「この世界において極めて反応し易い不安定な物質を召喚したのは。彼も召喚したんだから。ここ へ。」 青天は素早く口をはさみ、リツコのセリフを訂正し、付け足した。 「つまりそうしたのは別の宇宙の物質を他の宇宙に持っていくと、その宇宙では分子レベルで見ても 原子レベルで見ても素粒子レベルでも極めて不安定な、存在しないといってもいいほど不安定な物質 として存在させ、もしかしたら瞬きする間に猛烈な核分裂反応を起こしたり、他の世界の化学物質と 反応して燃焼したり、蒸発したり・・・・・・・」 リツコの視線が、そうしまいと思ってもマヤの手元にある検出器の取っ手がある種の磁力を持って いるように釘付けにさせられる。 青天がリツコの言おうとした言葉を繋いだ。 「違う世界に行けば同じ質量数の原子核でも電子の軌道やスピンが違ってくるから物質の分子量が 多くなるほど、はやく壊れていく。ゴムの取っ手はその良い例ね。最悪、対消滅で光に変わったり。 もっとも、それ以外にも色々在るけどね。人間の血液に一滴垂らすだけで筋力を何倍にも増して、 二十四時間は息をしなくても生きていられるような物質とか。ま、何でもありね。」 「あなたはこの世界の事を奇跡のような世界といったわね。それはつまり私たちのいた所とゴッド ナンバーが非常に似通っているって事?」 「そう。でも、あなた達がこの宇宙では非常に不安定な物質によって構成された生物だという事には 変わりない。今からだを放射線計測器で測ってみれば針がビンビンに振れるだろうし、身体は中から 壊れ、外から溶けて続けている事は間違いない。」 「つまり、私たちはどんどん死んでいってるって事?」 「一回息を吸うたびに、一回心臓が時を刻むたびに・・・・・・でも心配しないで。今すぐ死ぬって訳じゃ ない。それじゃシンジ君も助からないからね。そうね、たぶん一週間は生きていられるわ。脳が先に 壊れるか、呼吸をする力も無くなって窒息死するか、心臓が止まるかの競争。もっとも、その頃には あなた達は中枢神経がボロボロになって何も感じなくなっているでしょうけどね。」 青天は彼女たちをゆっくりと見回した。 「でも、シンジ君を諦めてくれるんなら、今すぐに元いた場所に帰して上げるわ。どう?」 彼女は足元に横たわるシンジの頬をそっと撫でた。 アルファが一歩踏み出した。 「断るわ。」 彼女はわずかな逡巡も躊躇もなく言った。 「じゃあ、今ここで楽にして上げるわ。その方があなた達にとっても幸福だもの。心配しないで、 地獄や天国にはここからでもいけるから。」 そこへリツコが口をはさんだ。 「ちょっと待って。その前に教えてちょうだい。つまり魔法みたいなものは全てそういうやり方で 行われているの?」 「そういうやり方って?」 「超自然現象か超心理現象か知らないけど、一種のワームホールを作意的に作り出し、空間同士を つなぎ、別の宇宙の法則に従って構成された物質をこちらに呼び込むやり方。」 「超自然現象?言わせてもらうけど、これは純然たる自然科学工学技術よ。あなた達がまだ知らない だけ。超対称性大統一理論か一般相対性理論を量子化してトポロジーを固定した局所的な時空量を 変数とした波動関数に適当な超対称粒子が高速移動した時に生じる時空量変動値の統計的確率変数を 加味をして一般化した関数の広義域の関数空間位相を解析すれば答えが出るわよ。」 「そ、そうね、わたしもそう思うわ。科学で証明できないものはないもの。だから教えてちょうだ い。ちょっと前に東天とか呼ばれてる『何か』が別所ナツミさんの身体を乗っ取ったのを見たわ。 あれも魔法なの?あなたのように別の宇宙の法則を呼び込んでいるの?」 「イエスでもありノーでもある。あれは別の方程式に従って行っているのよ。あなた達が、もしか したら私たちですらもまだ見つけていないゴッドナンバーを使った方程式のね。多分、高次元の世界 に溢れている意識体とコンタクトして、自分の精神エネルギーと引き換えに魔法的な行為を行って いるとでも言うのかしら。ま、私も良くは知らないけどね。畑違いだもの。」 「ああ〜〜〜〜!」 突然、マヤが変な声を上げた。 「せせ、先輩!!」 「なに?」 「あれですよ!洞木さんの!」 「はぁ?」 「18章で先輩が言ってたじゃないですか!葛城三佐の作ったカレーを食べた洞木さんがおかしく なった事件!」 「あ、そう言えばそんな事もあったわね・・・・・・・」 「わたし、まったく予想してませんでした。てっきり先輩が冗談か何かのつもりで言ってると思っ たのに、凄いです、先輩!さすが先輩です!つまりあの事は魔法の一種だったんですね!まさかあ れがここの伏線になっているなんて本当に全く予想できませんでした。いえ、誰もそんな事予想だ にしていなかったに違い有りませんよ!まさかあれが伏線だなんて!まさかあの説明が本当の事 だったなんて!もしかしたら作者も―――」 「マヤ!落ち着きなさい!妙な事を口走らないで!シンジ君は今のNERVに無くてはならない存 在。今は現状をどうやって打破するかを考えるのよ!そうすればみんな幸せよ!誰も傷つかないで 済むわ!」 「ハッ!・・・そ、そうですね。先輩。すいません、ちょっと動揺しちゃって・・・・」 「いえ、良くあることよ。」 「じゃあ、名残惜しいけどそろそろさよならね。これ以上長居をするとシンジ君の体に悪いもの。」 青天はゆっくり立ち上がりながら言った。 それにつられて青天に対抗する手段は何も無いというのにアルファ達は思わず身構えた。 「最後に一つだけ!」 リツコは思わず叫んだ。これだけはどうしても聞かなくてはいけない。 「あなたは私たちと同じ人間なの?」 青天は薄く笑った。 「博士にはどう見える?」 気のせいだろうか、彼女の瞳に一抹の後悔と悲しみがよぎったのを見たような気がした。 青天はリツコ達の見ている前で、いつのまにか傷の癒えている両手を空にかざす。 鮮やかな緑色の髪をなびかせながら、彼女が掲げた両手に淡い光が灯った。 その時、一陣の風が彼女たちの立つ平原を走り、少女達の髪を強く揺さ振った。 生い茂る青草はこれから起こる事に脅えるように長く、低くざわめいた。 突然、何の物音も立てずにアルファ達の背後で揺らいでいた空間の歪み《ゲート》が消えた。 次の瞬間、それは青天の頭上に現われた。 「先輩・・・・」 マヤが不安そうに話し掛けてきた。 「なに?」 リツコは出来るだけ優しく尋ねた。 「一つ思ったんです。突拍子もない事は承知しているんですが・・・・・・・。先輩、悪魔とか妖怪って 信じますか?」 ゲートに目を釘付けにされ、マヤは口篭もった。 「・・・・・私、思ったんです。もしかしたらそういうのって実在してるんじゃないかって・・・・。彼女 みたいな魔法使いの様な人に別の世界から呼び出されて、私たちの世界で順応していったような生 き物がいるんじゃなかって・・・・・・ほら、例えば狼男とか、龍とか、吸血鬼とか―――――」 マヤはセリフを言い終える事ができなかった。 突然、青天の頭上に浮んでいたゲートが閃光と共に小刻みに揺らぎ始めたのだ。 腹に響く音でない音、波でない波。強烈な重力波が彼女たちの体に至近距離で襲いかかった。 この世界に来る前に受けたものとは比べ物にならないほど激痛と強烈な不快感にアルファ達は 軒並み地面に倒れ込み、もがき回った。 しかし、アルファは全身を捻じられ、まともに息もできないほどの圧迫感にのたうちながらも 視界の隅に捕らえた。どういう訳かゲートを支える青天自身も激痛に身を二つに折っているのを。 だが、アルファは激痛でそれを訝しく思う暇も無かった。 青天もまた、その意識は激痛で陽炎のように朧げになったような気がした。 だが、仕事柄この種の不快感には馴れている彼女は、それでも大量の意志の力を要して両手を伸 ばすと重力波を遮断する結界を張った。 唐突に彼女の身体が半透明の光の膜に覆われて重さを感じなくなる。 身体の重さを感じない無重力の中で彼女は突然変動を始めたゲートを見つめた。 ゲートは青白い電光を放ちながらゆっくり肥大化しているのを、彼女は恐怖と共に認めた。 じきに肥大化の速度はその体積の増大と共に幾何級数的に増大してゆき、終いには物の数秒で全 宇宙を飲み込んでしまうだろう。 その最後の数秒が訪れる直前のゲートの大きさはせいぜい太陽系を二、三個足し合わせた程度の 体積でしかない。 そして、彼女が手に負えるゲートの大きさはせいぜいバス一台分の大きさでしかない。 (これはあたしの手に負えない・・・・) そう直感した青天が彼女の師匠達の住む世界に連絡を入れようと考えた。 その時、彼女は沸騰したヤカンから吹き出す水蒸気のように、勢い良く真っ白い霧がゲートから 這い出してくるのを見た。 青天は突然ゲートが不安定になった理由を悟った。 綾波レイがこじ開けた時と同じ、何者かが強引にゲートを開けたに違いない。 だが、人の体を素粒子レベルまで分解してしまうような潮汐力を前にして、中の人間が生きたまま 耐えうる結界を創り得るものは、彼女と同じ種の技術を使える召喚師、もしくはゲートキーパー以外 には存在しない。 例外的に綾波レイ達は、ここへ至るゲートを通る時にオールラウンドな防御機構たるATフィール ドが存在していたおかげで生きてここへ来る事ができた。 その綾波レイが目の前にいる以上、彼女の記憶では自分以外にゲートを使った移動ができる召喚師 はいないはずだった。 その時、ゲートからの霧の噴出が止まった。 それと同時に荒れ狂っていた重力波の嵐も嘘のように消え去った。 ゲートから吹き出してきた霧は地面をゆっくりと這いずり始めた。 咄嗟に対応のできなかった青天の足元を白い霧が覆う。 彼女ははっとしてシンジを探した。だが濃い霧に地面を覆われ見つける事が出来ない。 「・・・・・・まさか!」 青天はすぐさま片手を上に掲げ、頭上の手の平に漆黒の球体を呼び出した。 真空の空間とつながっているゲートなのか巨大な重力源を呼び出したのか、手の平サイズの漆黒の 球体に向けて周囲の空気が猛烈な勢いで吸い込まれて行く。 アルファ達の髪やスカートが突然の烈風に煽られて大きくはためいた。 だが霧は不自然にも拡散も吸い込まれることもなく、逆に青天から離れた一点に少しずつ集まって いった。 それはゆっくりと螺旋を描きながら宙を登り、人の背丈ほどにまで上がると唐突に人の形を取る。 と、思う間もなく、それは一瞬で実体化した。 金髪が綺麗な輝きを放ちながら舞い、額にビッシリと苦痛の脂汗をかいたテンゴは、荒い息を吐き ながらこの地に降り立った。 胸には眠り続けるシンジを抱いていた。 唐突に、何の脈絡もなく、青天の耳に先ほど赤木博士の助手が言っていた言葉が蘇った。 『・・・悪魔とか妖怪って信じますか?』 テンゴはシンジの額に何やら複雑な指文字を描く。 すると荒れ狂う重力波にも安眠を保っていたシンジがテンゴの胸で薄っすらと目を開けた。 その時、ずっと静観していた綾波レイがゲートに向けて駆け出した。 その意図を悟った青天は咄嗟にその動きを止めようと、炎を召喚する為に片手を広げる。 事態を察知したアルファは青天めがけて素早くアーミーナイフを投げつける。 テンゴはシンジを抱えたまま、走りくるレイの為に道を開けた。 青天の手の平に光が集結する。 炎がそこから溢れる直前、彼女の手にアルファの投げたアーミーナイフが深く突き刺さった。 青天が痛みにうめき声を上げた瞬間、炎は青天の制御を離れ、周囲に青い炎を撒き散らした。 レイはゲートの中心に片手を突っ込み、ATフィールドを素早く展開する。 青みがかった炎が彼女たちを襲う直前、宇宙が再び世界に溢れた。

<つづく>


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