* 愛と爆炎の聖誕祭 *

吉田








  その日、街は赫く炎に包まれた。

  血の惨劇と、己の飽くなき欲望に染まったクリスマスの夜。
  一人の少年を求め、少女達の痛哭の叫びが炎の街に響きわたった。

  その日、街は赤く血に染まった。

  危ういバランスの上に大量に積み上げられた小石の数々。
  その日、誰かが小石を一つ抜き取り、山は一気に崩れ落ちた。

  様々な色、形、大きさを持った小石達は急な斜面を一気に転がり落ちてゆく。
  ほかの小石の上を飛び、ほかの小石の下を潜り、ほかの小石を押し退けて。
  儚く消え、優雅に走り、美しく輝く……‥
  眩いばかりの輝きは、色とりどりの軌跡を描きながら落ちてゆく。

  どこを目指して?
  なにを目指して?

  そこに辿り着いた時、すべての軌跡は一点で交差した。



  その瞬間、神の座する絨毯の色は万色に輝いた。











         第36章
の
日々
                      One's life is an escape.



その時、アスカは宙に浮ぶ歪みから現われた何人もの人影の中にシンジの姿を見た。 そしてシンジが金髪の少女に抱かれているという事実を認識すると同時に、彼に向かって駆け出 した。 当然、シンジをぶん殴るために。 理由などはなくても構わないのだから。
その時、シンジはテンゴの胸に抱かれながら朦朧とした意識の中で片手を伸ばしているレイの姿 を見た。 彼女は青白い電光のような輝きを身に纏い、それはまるで新たに生まれくる女神のように幻想的 だった。 彼はゆっくりと無意識のうちに手を伸ばしていた。 人の身で神に触れる事を望む殉教者のように。 白い手がシンジの手を包み込む。 だがそれは女神の手ではなく、また綾波レイの手でもなかった。 「もう大丈夫です。」 月の光に照らされ、人外の美しさを身に纏った金髪の少女、シンジをその胸に抱くテンゴはそう 言って安心させるように微笑んだ。
その時、ゲンドウは自分の乗る兵員輸送用装甲車の天蓋から上半身を乗り出していた。 視界の隅でなにかが動いたような気がし、ハッとして道路の先を見ると、そこで見えたものに一瞬 我が目を疑った。 そこには凶悪な顎を大きく開き、耳を聾せんばかりの咆哮を上げる巨龍がいた。 ゲンドウは反射的に肩にかけたバズーカの照準を巨龍の眉間に向けた。 イグアナのような顔をした巨大な顔が、口にずらりと並んだ凶悪な牙を月明かりに光らせて天に 向かってそそり立っている。 ゲンドウは迷うことなく引き金を引いた。 次の瞬間、軽い反動と共に白煙を引きながらロケットが筒から飛び出し、火を吹きながら大加速で 龍モドキに突っ込んでゆく。 同時にSI公平分割機構所属混成自動車化部隊の戦車やら自走砲から内臓を揺さ振る爆音と共に、 立て続けにタングステンとウランの徹鋼弾やら榴弾が撃ち放たれた。
その時、チャーリーは木の影からこちらに向かって道路を驀進してくる車両群を見つけた。 チャンス到来。 彼女はトカゲを倒す事は脇に置き、逃走用の車両を一台確保するために立ち上がった。 目指すは先頭、NERVのロゴがでかでかと書かれた兵員輸送トラック。 屋根から上半身を出してバズーカを構えている髭おやじを倒せば後は楽勝。 一瞬の後、チャーリーはタイミングを計って駆け出した。 SILF情報局局長を勤める身でありながら、彼女はまだシンジの父親の顔を知らなかった。
その時、鬼頭三姉妹長女の風は、森の中から龍モドキの残った片目に鋼矢の狙いを付けた。 チャーリーに打たれた肩の傷が疼く。 だが、それでも彼女のスチールワイヤー並みの集中力は乱れなかった。 巨体を誇る龍モドキに対し、傷ついた身体での勝機は針の先ほどの大きさも無い。 一撃必殺。 小さく吐いていた呼気がピタリと止まった。 そして必殺の矢を解き放つ直前、彼女の耳に白煙を引きながら空を裂いて飛ぶロケット弾の音を 幾つも聞いた。
次の瞬間、チャーリーは大木の枝から身を躍らせた。 ゲンドウはその気配を一瞬で感じ取り、振り返りざまにバズーカの砲口を向ける。 それは殺人だ、などという事は一切気にしない。 が、豪快な爆音を立てながら驀進する兵員輸送用トラックの上に見事に着地を決めたチャーリーは ゲンドウよりも一歩早く、髭面が振り返りざまにの顔面にヤクザキックを見舞った。 有無を言わさず鼻っ柱に300kgのヤクザキックをまともに食らったゲンドウは呻き声一つ発て る事も許されず、その勢いで車から身体を引っこ抜かれて鮮血と共に宙に舞う。 チャーリーは車から落ちたゲンドウなどを見向きもせず、車内に素早く入り込んだ。 中に入り込むとそこには誰も居ず、その代りに運転席の方から男の声が聞こえてきた。 「――――――お前はまだ充分に美しいし、私よりも良い男はごまんと居るだろう。願わくば早く 再婚を。娘はまだ4歳で、父親が必要だ…‥」 (まさか電話?) そう考えるなり彼女は使い捨てバズーカやらロケット弾やらRPGやらマシンガンやらが砂利道に 敷かれた小石のように大量に転がっている殺風景で揺れる車内を走り抜け、運転席に駆け込んだ。 中年男は代用のMDに己が遺言をようやく吹き込み終え、ディスクを取りだそうと手を伸ばした。 その瞬間、突然背後から伸びてきたすらりとした白い足にMDを蹴り飛ばされた。 「あ………」 という、中年男の間抜けな声と同時に、MDは防弾フロントガラスに勢い良くぶつかる。 それは男の頭の中にかんしゃくを起こした息子がプラモデルを床に叩き付ける瞬間を連想させた。 それは脆くも破壊された。 ハンドルを握ったまま男は凍り付く。 「ああああ……」 ゲンドウに引き続き二度目の心無い悪質な嫌がらせを受けた(と思い込んだ)苛められっ子タイプ の中年男は、ワンテンポ遅れて滝のように滂沱の涙を流し出した。 仲間に通報されないうちに携帯電話を蹴り壊した(と思い込んでいる)チャーリーは振り上げた足 を下ろし、少し悪い事をしてしまったかしら、などとは昆虫の脳味噌の一片程度も考えずに、 「邪魔。」 の一言で、泣き崩れている中年男をドアから蹴り落した。 既に彼女の頭にある事はただ一つ。 『これで碇シンジを助け出し、可愛い上に頼りになる女の子として急接近!』 という安っぽい考えだけだった。
空を覆わんばかりの巨体を誇示する龍モドキの頭や胴体に、突然雨のように砲弾が降り注いだ。 全身を保護する鱗がけたたましい音を立てて砕け散り、空を切り裂く砲弾が甲高い音を立ててデ ルタや雷たちの鼓膜を強く震わせる。 一瞬の閃光が瞬いた次の瞬間に龍の頭部で爆発が起き、焼け焦げた血が雨のように道路に撒き散 らされた。 デルタ達はこの砲撃に巻き込まれてはシャレにならないと道路の端の逃げ込んだ。 その時、デルタは砲弾と血と肉の雨を撒き散らす龍の脇を絶妙のドライビングテクニックで幾多の 障害物を避けて進む装甲トラックを見た。 運転席には似合わない眼鏡をかけ、額に止血用のパッチを張った少女が運転席に座っているような 気もしたのだが、それを詳しく確かめている暇は彼女には与えられなかった。 いきなりデルタの眉間めがけて鋼の矢が空を裂いて飛んできた。 疲労で纏わり付くような脱力感に覆われた体を鞭打ち、デルタは断続的に襲う激痛を堪えながら 地面に転がる。 鋼の矢が耳元を撫でるほどの距離で地面に突き立った。 次の瞬間、目の前には月明かりに黒光りする鋼鉄の棍が目の前に突きつけられていた。 「姉貴が来たな。こちらの勝ちだ。純でチョコパだぞ。」 デルタは目を険しくして雷を睨み付けた。 「南天の造った龍モドキとの戦いには来なかったじゃないか。私は納得行かないぞ。」 雷はしばらく考え込んでから言った。 「…‥良いだろう。今回もチャラって事にしてやる。」 「なにが今回も、だ。この前はそっちがサマをしたんじゃないか。」 デルタは身をおこしながら呟いた。 余談ながら、前回、とは碇シンジとどちらが長く話を交わせるか、という至ってふざけた内容の賭けで あった。その時は壱中と弐中の両校が親睦のために学校対抗の体育大会を行った事がきっかけでちょっと した騒ぎが起こったのだが(更に余談ながら、その騒ぎに碇シンジは一切関係していない。騒ぎの発端は どこの学校にもいる熱血野郎同士の我の張り合いであるとされているが詳しい事は定かではない)、デルタ と雷の二人はその騒ぎに乗じて碇シンジを安全な場所に挿そうという口実のもと、既成事実の成立を企み、 運悪く二人が同時にそれを実行に移そうとしてしまった為、かような賭けが行われたのである。 「ふざけるな、あの時は勝手に惣流アスカが割り込んできたんだ。別にわたしが仕組んだ訳じゃない。」 「良く言う!あの時アンタはあそこに惣流がいるってことを私に言うべきだったんだ。そうだったら 私はちゃんと碇君に声をかける事が出来てたんだ。」 「どうせお前は彼と面と向かってまともに口を聞けたためしがないじゃないか。」 「ぐ、で、でも今はもう朝に顔を合わせればちゃんとおはようって挨拶をする仲だぞ。」 「なにが仲、だ。要するに知り合いAだろう。きっと名前も憶えてないぞ。」 「そういうアンタは隣をすれ違っても見向きもされない通行人Aでしょうが。」 「な…、ふ、ふざけるな!あたしだって二回も話をした事があるぞ。」 「どうせ何か質問されてイエスかノーで答えただけってんでしょう?」 「!!‥な、そ、それだけじゃないぞ!他にも弐中に行く道を教えたり―――――」
「馬鹿が……」 鬼頭魔焔三姉妹長女の風は車道を挟んだ反対側の樹の枝の上から、つい先程までの超一流の武道家 としての戦いが今では小学生ですらしないような低レベルな口喧嘩と化したのを見て呟いた。 「SILF幹部の一人を損失無しで殺れるチャンスをむざむざ見逃すとは…‥」 彼女は諦めと失望の混じった溜息を吐いて視線を下げると、そこには地面にぐたりと横たわり、 全身を戦車砲で穴だらけにされていながら、いまだに手足の筋肉がヒクヒクと小刻みに動かし続け ている龍モドキの半ミンチが見えた。 その後頭部からは彼女の放った矢が、凶悪な矢尻をさらしているのも見える。 そのエグい光景にすら何の感慨も抱かなかった彼女に、やがて複数のエンジン音が聞こえてきた。 そちらにチラリと目を向けると幾台もの重量感溢れまくる戦闘車両群が怒涛の勢いで道路を邁進 して来ているのが見えた。 「公平分割機構か……」 風は手に持った鋼弓に矢をつがえるとそのうちの一台に狙いを付けた。 その先には、如何にも無骨で物騒な据え付け式の榴弾砲を荷台に乗せた輸送トラックがあった。 トラックのタイヤは積んだ榴弾砲の重みで深く沈んでいる。 彼女は一瞬の躊躇もなしに、素早く矢を放った。 鋼の矢は空を切り裂き、トラックのタイヤに突き刺さる。 トラックのタイヤは荷台に積んだ20tを超える榴弾砲の重みで一瞬にして穴の空いたタイヤを 押し潰し、車体を傾けて横滑りをし始めた。 辺りにけたたましいブレーキ音が鳴り響き、火花が散る。 が、すぐ後ろを走っていたM1A2戦車がスピードを緩めずにトラックに突っ込んだ。 トラックは横腹に戦車の突撃を受け、車体を二つに折り曲げながら道路から弾き飛ばされる。 「ちっ…‥」 風は小さく舌を鳴らした。 玉突き衝突を起こしてこれ以後の車両による碇シンジへの接近を拒む、という三姉妹長女の風が 立てた即席の妨害作戦は失敗に終った。 平均的に優秀な指揮官が咄嗟に指示を飛ばしたのか、それともただ単に先を急いでいただけなのか。 大した期待はしていなかったとは言え、こうも簡単に、ほとんど効果もなくあしらわれてしまうと 馬鹿にされたような気になってしまう。 不機嫌に顔をしかめた彼女の足元を次々に車両が通過していく。 そして、その後に来るものは数千を超える人の津波。 彼らを足止めさせる作戦は考えるのも馬鹿馬鹿しいと、彼女は音もなく木から飛び降りた。 彼女にとって今日の戦いは終り、後は家に帰って寝る。 碇シンジを確保できなかった事は悔しいが、第三新東京市に名を馳せる人間の半数近くが一堂に 介した以上、個人、または一団体がシンジを保護(確保、独占、拉致、収容…etc)する可能性は 低い。 彼女は去り際に人差し指と中指を唇に咥え、鋭く甲高い口笛を一拭き吹いた。 それは妹達に向け、自分は戦線を離脱するので後の事は各自の判断に任せる、という合図だった。
シンジ達の目の前にけたたましいブレーキ音を響かせながら装甲トラックが滑り込んできた。 道路にタイヤの跡は長々と引かれた。 「乗って!!」 運転席から顔を出したチャーリーが叫んだ。 「すぐ後ろに公平分割機構の戦車部隊が団体で来てるわよ!」 その声にSILFの頭目らしくアルファが叫んだ。 「後ろを開けて!とっととずらかるわよ!」
「…せ、戦車?」 シンジは顔を引き攣らせながら顔を上げた。 金髪を胸の前に流しながらテンゴはシンジの顔を覗き込んだ。 「…立てますか…?」 シンジは現在の自分の状況を一瞬考え込み、次に真っ赤になってテンゴの腕から身を離した。 「え?…あっ!ご、ごめん!‥あ、あの、べ、べつに、あの、そういうつもりじゃ…‥」 シンジは自分でも何を言っているのか分からなくなりながら、立ち上がった。 その途端、目眩が襲ってきた。くらっと膝が折れた所をテンゴは背後から優しく抱きかかえた。 「…大丈夫ですか…?」 「あ…うん…、どうしたんだろう?」 シンジは頭を押さえながらゆっくりと立ち上がった。今度は目眩は来なかった。 テンゴはシンジの側に寄り添い、シンジを支えるように背中に手を当てた。 「…恐らく青天がシンジさんをゲートで移動させる時に、気を失わせた後遺症だと思います…‥ 多分、後二、三分もすれば…落ち着くとおもいます。」 しかし、シンジは寝起きのスッキリしない頭で、綺麗な人だなぁ、などと思いながらテンゴの話を 聞いていなかった。 やがて、遅まきながらに彼女が壱中の制服を着ている事に気づいた。 「…あの、君も壱中の生徒なの?あまり見ないけど…‥」 シンジはおずおずといった感じで切り出した。テンゴの薄い唇の端に薄っすらと笑みが浮んだ。 「…‥夜型なんです。」 「そ、そういう理由で学校に来ないっていうのはいけないと思うよ、あの、多分…だけど。だ、 だって、ほら、友達とかも心配するだろうし、やっぱり勉強って言うのは将来のために必要なもの で――――」 テンゴをさっと手を上げて更に続きそうなシンジの言葉を遮った。 「…‥本当はウィルス性転移共生型色素脱失症という皮膚病です。」
「ちょっと待って。」 長い茶髪をなびかせながらシエラは、車に乗り込もうとしていたアルファの制服の裾を掴んだ。 アルファは煩わしそうに振り返った。 「なによ?」 「PI−3回収しなくちゃ。」 シエラはちょいちょいと指を差した。 アルファがその指の示す方向を見ると、ぐったりと煙を吹いて街灯の足元に横たわる人型が見えた。 「もう壊れてるわよ。後で回収に来ればいいわ。」 「今度、日本重化学工業共同体にうちの伸縮金属を使ったロボット工学技術を売り込みに行くんで しょ。万が一、あれがなくなっちゃ話しにならないわよ。」 アルファは突然シエラを睨み付けてぐっと顔を寄せた。 「まさかマスターを持ってきたの?」 顔をごく間近に寄せられ、思わず海老反りになったシエラの白い額に一筋の汗が垂れた。 「え?だってズールーの話だと戦闘に耐え得る耐久性を持ったやつはまだあれしか……‥」 アルファはギラリと獰猛な猛禽を思わせるド鋭い視線をシエラに叩き付け、彼女の言葉をみなまで 聞かずに輸送トラックから飛び降りた。 「ほら、さっさと運ぶわよ。エコー!あなたも遊んでないで手伝って!」
「え?うぃ、うぃるすせいてんいきょうせいがた…‥」 舌を噛みそうな病名にシンジは戸惑った。 「…‥特殊なウィルスが体内の色素細胞と共生してしまうんです。…‥このウィルスは特に紫外 波長の光に対する感受性が非常に強いので陽光の下にいるだけで菌は死に、同時にその死骸で細胞は 硬化します。…硬化した細胞は真皮から皮下組織に溜まり、新陳代謝による排出もされにくいので 知覚神経や汗腺、毛細血管、毛球細胞など圧迫し始め、初期症状として表皮の萎縮や真皮の肥厚、 脱毛、血管収縮、白斑や紅班などの症状が現われ始め、末期には皮膚が鱗のように硬化し、呼吸困難 や血管収縮にともなう高血圧や循環不良などで最終的に感染者は死亡すると言われています……」 つらつらつらつらつらと、まるで教科書でも読んでいるかのようにテンゴは淀みなく言った。 そのいかにも説得力を有する単語の羅列に、シンジは疑おうなどという気も起こらなかった。 「そ、そうだったんだ…、その、ごめん。変な事言っちゃって……」 シンジは萎縮しながら謝った。テンゴはフリフリとゆっくり首を振った。 「…‥陽が沈めば他の方々と同じように行動することもできますから…‥」 「でも、色々と大変なんじゃ…………」 「そう…ですね…」 彼女はシンジの言葉に少し言いよどんだ。 「…学校には…雨や深い曇りの日だけしか行けませんが友人達がよく家を訪ねて下さるので… あっ。」 彼女ははっと顔を上げた。シンジは思わず何か不味い事を言ったのかとビクッとした。 「ど、どうかしたの?」 「…‥これは感染力は非常に弱い病気です。…‥感染ルートは性交と母子感染だけなので… シンジさんに病気が移っているという事は―――――」 「ちょ、ちょっと!」 彼は慌てて彼女を遮った。 「そんな事気にしてないよ。それに助けてもらったみたいだし。」 「そう…ですか。」 「うん…、あの、ありがとう…‥」 「?」 小首を傾げたテンゴに正面から見つめられ、シンジは顔を真っ赤にしながらしどろもどろに口を 開いた。 「…その…助けてくれて。変な黒い球体に飲み込まれた所までは憶えてるんだけど、その後はな んか気絶しちゃったみたいで、じつはもう駄目かなぁ、とか思ってたりもしたから……あの、何 かお礼が出来ればいいんだけど、でも、何も持ってないし…出来る事があれば…」 テンゴは静かに微笑んだ。 「…‥でしたら…‥後日、私の家に立ち寄って下されば嬉しいんですが…」
「ねえ、アルファの握力はどのくらい?」 エコーは足元を見ながら尋ねた。 「えーっと、確か右が二十八で左が二十九キロ……」 「シエラは?」 「あたしは左右両方とも三十キロ。」 「ふむふむ…」 エコーは腕を組んだままうんうんと肯いた。 「実はあたしの握力って左右二十二キロしかない訳よ。」 ホォー、とその他の二人が声を上げた。 エコーは足元を指差し、つぃと顔を上げた。 「で、これは何キロあるわけ?」 「えぇっと…多分、三百キロぐらいあった様な気がしないでもないような感じがそこはかとなく…」 「…ふ〜ん…‥」 エコーは大きな眼鏡を中指でかけ直し、腕を組んだ。 「これは即ちロープレの対ボス戦でいきなり不意打ち食らって問答無用で強力な魔法使われて味方の ターンが始まる前に主力メンバーが全滅した時と同じような状況だね。」 彼女達の足元にはPI-3、コブラとも呼称される、嫌になるほどシンジそっくり顔の人型ロボッ トが転がっていた。 「ほー、その心は?」 シエラが白魚の指を細い顎に当てながらのほほんと尋ねた。 エコーはシエラをきっと睨み付けた。 「どないせぇっちゅうんじゃぁ!」 とりあえず、先ほどの街灯の下にあった時よりも三十センチほど動かされていた。
「え?立ち寄るって…でも、迷惑じゃ…‥」 テンゴはまたフリフリと首を振った。 「…‥いつも暇を持て余していますし、お舘…ではなく、母と私以外には無愛想な執事だけでいつ も家が広すぎると感じているので、…きっとおや…母も喜びます…‥」 とびっきりの美人にすがる様な目で言われた頼み事を断る事が、まがりなりにも思春期真っ盛りの 少年に出来よう筈もない。 が、主人公のほのかなラブロマンスを断固阻止せんとする他の美少女の存在は絶対不可欠だった。 突然、シンジの背後から猛烈な灼熱の殺気が襲いかかる。 次いで極限まで感情を押し殺した声が絶対零度の冷気と共に流れてきた。 「…‥残念だけどその日はこのあたしと約束があるの。」 その言葉を解析すると、その日にアスカとの約束を強引に取り付けさせられるという意味だと予想 され、シンジはその声の主と約束をおじゃんにされる悲しみに少し胃が痛んだ。 アスカの放つ殺気は硬直したシンジの背中を通り抜け、向かいのテンゴに直撃していた。 その余波でシンジの全身が硬直してしまうほどの殺気を真正面から受けながら、テンゴは顔色一つ 変えない。 しばしの沈黙と睨み合いの後、テンゴが口を開いた。 「…そうですか…」 テンゴはひとこと言って小さくシンジに頭を下げると優雅かつ颯爽と身を翻した。 そのまま撤収準備をしようと膝突き合わせて談議していたアルファ達を乱暴に肩で押し退けると、 彼女たちの足元に横たわるPI-3のロングコートの襟首を掴むと、まるで犬の口に餌を放り込む ように一挙動でトラックに向けて放り投げた。 シンジそっくりな顔を貼り付けたPI-3は見事な放物線を描きながらトラックの中に投げ込まれる。 激しい音を立てて床がひしゃげ、分厚い金属板を打ち付けていた鋲が幾つも弾け飛んだ。 「…早く行きましょう。後ろから戦車が来ているんでしょう…‥?」 テンゴは冷たく言い放ち、後ろも見ずにとトラックに足を運んだ。 アルファ達は少し考えた。 もしかしたら彼女は怒っているのかも知れない………
兵員輸送用の重厚な雰囲気を辺りにバリバリと放射するトラックに足を踏み入れたテンゴは、そこ に黒魔術研究会の副会長と、その足元にぐったりと横たわっているブラボーの死体(と思われるもの) を見つけた。 テンゴはショートボブな副会長を見た。 「…‥どうしたのですか…?」 「財務局長ブラボーの死体は東天が取り憑いてたわ。」 「…東天がボコールであるという話は前々からありました。…不思議はないでしょう…。彼女 には残念ですが……」 「いや、そうじゃなくってね。」 副会長はテンゴの言葉を遮った。 「東天自らがブラボーの身体に取り憑いてたんだって。」 「…東天が他流魔術を心得ていると?」 副会長は首を振った。 「この目ではっきりと見ちゃったわ。東天はロアよ。」 「確かですか?」 「間違いない。」 副会長はきっぱりと肯いた。 「……‥そう…」 テンゴが何やら考え深そうにしていると、ようやくドヤドヤとアルファやシンジやレイ達が乗り 込んできた。 「ったく!なんであたしがこんな目に遭わなくちゃいけないのよ!」 「そんな…、仕方ないじゃないか。暴動が起きたって言うんだから……」 「それよ!なんでこの時期に、しかも訳のわからないほど妖しい暴動なんて起きるのよ!みんな忘 れてるかも知れないけど今日はクリスマスっつー日なのよ!今宵一時聖なる夜を過ごしましょう、 って言う日なのよ!!」 「あ、そう言えばそうだったね…。すっかり忘れてたや…」 シンジとアスカの会話を背中に受けながら、テンゴはそっと副会長に顔を寄せた。 「…相手がロアと分かった以上、消滅させるも手なずけるも、手段は幾らでもあります。…とり あえず、その件は皆さんにはまだ伏せておいて下さい……‥」 副会長は納得行かないようだったが、結局小さく肯いた。 「あらぁ、あなたまで来てたの?」 その時、横からシエラの声が割って入った。 何となくやましい所を見られたような気分で多少どぎまぎしながら副会長は強張った笑みを浮かべた。 「ぅえ!?え、ええ、もちろん。これも仕事だからさ。」 「そう、心強いわぁ。」 アハハハハ、と乾いた笑い声を上げる副会長の目にはシエラの微笑みは、こっちは全部分かってる のよ、とでも言っているかのように見えた。 「…とにかく、早く出発するべきだと思います…‥」 テンゴはいつもとまったく変わらない口調で言った。 「あれはどうするの?」 シエラは外をむいて首をしゃくった。 その先には鬼頭三姉妹末娘の雨が、素人目にも不安定に揺らいでいるゲートを青白い額にびっしり と汗をかきながら必死に固定し、安定させていた。 「殺っちゃう?今なら簡単そうだけど。」 「…‥いえ、あなた方やシンジさんを助ける手助けをしてくれましたし、しばらくあのゲートは 安定しないでしょう。…‥少なくともゲートが不安定なうちは青天も彼女もあれから手が離せな いはずです…‥」 「ほっとくのが吉と。」 テンゴは肯いた。 「ま、しょうが無いか。それじゃ、あれを置き去りにして我々はとっとと逃げましょうか。」
「レーダー回復、精密走査は不可能ですが大雑把には使用可能です。」 「歪みは依然健在。しかし、妨害電波等の電磁波はかなり弱まっています。」 「碇司令の乗っていたトラックを奪った者の人物照会が終了しました。」 オペレーターからの報告に冬月は立ち上がった。 「続けろ。」 「千葉ミホ、十五歳。第三新東京市市立第壱中学校の三年。IDナンバーA3516AAのトリプル Aで警察の未成年要観察者リストの上位に載っています。現在はSILFと名乗る民間非公認非合法 団体から報告を受けているエヴァパイロット達の臨時護衛班のメンバーの一人です。現在、車両は パイロット三名、赤木博士、その他数名を収容して暴徒達から逃走中です。」 「パイロット三名だと?もう一人はどうした?」 「えー、パイロットの鈴原トウジが行方不明です。」 「行方不明だと?」 「はい。近くを飛んでいた航空機パイロット達からお下げの女の子と一緒にホウキに乗ってどこかに 飛んでいったと報告が入っておりますが、どうにも先の歪みの発生のせいで通信が混乱しています ので……」 「くっ、手のあいた部隊から捜索隊を派遣しろ。トラックへ回線をつなげるか!?」 オペレーターは回線を開く片手間に冬月に尋ねた。 「碇司令を車から引き釣り落した件についてはどうしましょう?」 「構うな。不幸な事故だ。」 「了解。…回線、つながりました。」 「まわせ。」 「外線の4番です。」 冬月は手元のコンソールの“4”とかかれたボタンを押す。 一瞬間があいた後、《SOUND ONLY》の文字が画面に広がった。同時に盛大なノイズと 豪快なエンジン音と混ざってガタンゴトンという音が聞こえてくる。 「こちらNERV本部。応答を願う。私はNERV司令官代理の冬月だ。」 『こちらSILF別動隊。』 冬月の通信に応じて、ほとんど間髪を入れずに若い女の声が聞こえてきた。 「私は冬月NERV司令代理だ。君は?」 『SILF情報局所属のチャーリーです。』 冬月は『ちゃーりーだと?』と口だけ動かしてオペレーターに尋ねた。 オペレーターは自分のコンソールをいくつか操作して冬月を振り返った。 「警察の登録情報から声紋確認。94.76%の確率で先ほど司令から車を奪った人物です。」 冬月は肯き、通信にもどった。 「では千葉君。」 通信の向こうで息を吸い込む音がした。 『チャ・ァ・リ・ィ・で・す。』 「あ…‥う、うむ、ではチャーリー君。これから君達とパイロット達の逃走とNERVの暴動鎮 圧作戦とを同時展開する上での君達の行動を指示する。」 『どうぞ。』 「現在、君達は西区D−8、市道12号を北西に移動中だがその後方250に公平分割機構と名乗る 団体の戦車部隊が君達を追跡しており、更にその300後ろには暴徒達の集団も押し寄せている。」 『戦車部隊はこちらも目視で確認できます。』 「我々としては君達の身の安全を確保するために幾つかの切り札の攻撃手段を持っているのだが、 いかんせん君達との距離が狭すぎ、最悪の場合君達も巻き添えにしてしまう可能性もある。従って 君達には何がなんでも後続の部隊との距離を最低400は取ってもらいたい。ちなみに全員の生存確率 99%以上の安全圏は500だ。」 『救援は?』 「結論から言うと救援は望めない。戦闘可能な陸戦部隊は暴徒達の更に後ろから追跡中で敵戦車部隊 との予想会敵時間は今から900と±120秒。空戦部隊はつい先程発生した歪みのせいでレーダー やアビオニクスがパンクして全機使用不能。使えるのはセスナくらいだが残念な事に使用可能だった 四機全て撃墜されている。と、言う訳でよろしく頼む。逐次状況を報告するので回線はそのままに。 以上。何か質問は?」 『それでは、これからの……‥あ!ちょ、ちょっと!………‥』 唐突に無線から大きなノイズが溢れた。何やら銃声らしき音が聞こえてくる。 何か以上が発生したのかとNERV専用監視衛星より送られてくる輸送トラックを上空から撮った リアルタイム映像を見るが特に変化があったようには見られない。 しばらくして無線がもどった。 『……こちら赤木です。副司令、聞こえますか?』 「おお、赤木君か。何かあったのかね?」 『いえ、ただ無線を借りただけです。』 「いや、銃声やら何やら…‥」 『単に無線を借りただけです。それより副司令。ちゃんと歪みの観測データはとってありますか?」 「データ?歪みのかね?もちろん観測は今も継続中だが?」 『なら結構です。それと発生した歪みの事はこちらの上方によると《ゲート》と呼ばれる事象である 事が判明しました。詳しい事はまだ判りませんが、私が戻ったらすぐに研究を始めたいと思いますの で私の分子物性研究室に集めたデータを送っておいて下さい。』 「うむ。了解した。だが、今は生き残る事を最優先にしてくれ給え。」 『もちろんですわ。副司令。新しい研究分野を目の当たりにしながら死ぬような事は致しません。』 そういうリツコの声は確固たる決意に満ち溢れていた。 『副司令。今度の研究は現代科学に画期的新境地を開くものだと確信しています。』
今宵は満月。 月はただ黙って地上の喧騒を見下ろしている。 そこにあるのは悲しみか、ある意は至福の表情なのか、今の世にそれが分かるものはいない…… ただわかる事は、月は唯それを見続けるという事だけだった……
誰かこんな話を知っている人はいるだろうか? 彼の望みはただ普通の生活を送りたかっただけだという事を。 沢山の不幸はいらない。だから多くの幸福も望まない。 まるで野に咲く花のように在り来たりで、誰からも文句を言われる事の無い極普通の生活。 いや、もしもそれが贅沢だというのなら、ゴルフコースの芝生、田んぼの中の稲、菜の花畑の菜の 花、駅前の放置自転車の様な人生で良い。 当り前の、人込みに石を投げれば当たるような、佃煮が山ほど造れるようなどこにでもある人生。 平穏に暮らし、穏やかに生き、平和に過ごし、静かに眠る、凡庸な人生。 子供の時に考える将来は全て《夢》だという。 彼は十四歳にして、それがまったくの夢だと気付かされた。 彼の平穏が崩され始めたのはその頃だった。 最初の同居人、二人目の同居人、理解しがたい少女、学校、友人、秘密組織、戦い、傷、etc… だが、それが壊されたとわかった時、彼は二度と元には戻れない事もまた、否応なく理解させられた。 人を憎み始め、友情が信じられなくなり、愛情は希薄になり、《夢》を見なくなった。 世界がとてつもなく巨大で、容赦の無い無慈悲な暴れ馬のごとく気性の激しい異形の化け物だと 気付き、その上で更に目標だけが、標的だけが、現実だけが、まぶたの裏にまでギラギラと眩しく 焼き付いた。 いつから?だれのせいで? その疑問は考えるだけ無駄だろう。 “今”、まったくもって容赦のない“現在”、彼はそうなってしまっているのだから。 それにより彼は父親に反乱を起こし、己の住む土地を半壊させ、自分に敵対する巨大組織に再起 不能の打撃を与える直前まで徹底した破壊行為を行う事になるのだから。 だがあえてその疑問に答えるならば、その答えの一部は、今この瞬間にも起こるであろう出来事に 起因している事は想像に難くない。だがまた、それ以外の、あるいはそれ以上の要因はNERVの 一作業員ごとき情報網からでは割り出すのは困難である事もまた確固たる現実社会における事実で ある。 だが、そこには常に彼を慕う少女達の姿が在り、そしてその少女達の重圧が無意識下においてまで 彼の上に心理的重圧として重く圧し掛かっている事は、彼を少しでも知る者にとって公然たる事実と いえる事柄であろう事もまた、複雑怪奇な人間模様と昏迷を極める局地的社会情勢と熾烈さを増す 対立組織の武力抗争の根底に非常に単純明快な要因を形成する真実の中の一つである。 これはその事実を一切の主観的観念を除外し、常に第三者の立場から客観的に見た事件の経緯を 克明、かつ簡潔に事実のみを記したものである。 それは、20XX年の12月25日、午前0時01分より始まった。

<つづく>


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