Neon Genesis Evangelion SS.
異邦人 《前編》 write by 雪乃丞




 世の中には不思議なことが沢山あるものだ。
そう感じるのは、なにも僕だけではないはずだ。 改めて考えてみると面白いもので、僕は意外なまでにものを知らなかった。 たとえば、自分の体についてもそうだと思う。

 僕は、どんな風にアルコールが体内で作用して気分が良くなったり、その反対に気分が悪くなったりするのかを知らない。 僕のこの手の中にあるお酒・・・半ばまで減ったビールなのだけど、このお酒を飲めば酔いがまわって、その結果として気分が良くなったり悪くなったりする。 それを経験上、知らないわけではないのだけど、そのメカニズムっていうか・・・仕組みが良くわからないんだよね。 まあ、お医者さんを目指しているような人だったら、それくらいはわかって当然なのかも知れないのだけど、僕のような単なる浪人生のアルバイターじゃ、そこまで詳しく知らなくとも特に問題ないのかも知れない。 第一、そんなことを知らないでも生きていけるのが実情なわけで。 むしろ、お酒を飲むと気分が良くなる・・・いや、違うか。 少しでも、今の僕が感じている気分の悪さというものが改善されるってことのほうが、むしろ大事なのだと思う。

「・・・苦いだけじゃないか」

 気分の良いときに飲むお酒は、より気分を良くしてくれるとは言うけれど、気分が最高に悪い時に飲むお酒って、どうしてこんなに苦いのだろう? それに・・・頬も痛くて、熱い。 これで、何本目になるのだろう? 四本目くらいまでは覚えていたのだけど。

『さようなら』

 耳の奥で、いまだに木霊し続けるのは、あの子の涙交じりの別れの言葉だった。







 男女の仲というものは面白いもので、始まりというものはひとつしかないのに、終わり方には、なぜか何種類もあったりする。 出会いがあって、相思相愛の関係になって、その結果として付き合い始める。 そこまでは誰もが同じなのだと思う。 当然、僕も同じだった。 この街に引っ越してきて、初めて親密な仲になった相手。 それが、彼女だった。 でも、そこから先は、まさに人ぞれぞれなのだろうと思う。

 仲の良いままに付き合い続けて、自然と夫婦となってゴールイン。 そうやって一つの関係を終わらせて、手に手を取り合って新しい段階へとステップアップしていくカップルもいれば、熱した鉄が急速に熱を失っていくかのように、時間の経過とともに関係が疎遠となっていって関係が自然消滅するような、ある意味、もっとも互いを傷つけないで済む終わり方をするカップルもいると思う。 そうかと思えば、盛大な喧嘩別れという、双方にとって後味の悪い分かれ方をするカップルもいるかと思えば、それが誤解だったといって、いつの間にか復縁してしまっているような面白い関係の改善の仕方をするカップルもいる。 まさに、千差万別だと思う。 でも、僕と彼女の場合は、ちょっとだけ複雑だった。

「なぁーに、しみったれた飲み方してんのよ」

 残りわずかになったビールを飲み干しながら盛大にため息をついた僕に、そう言いながら新しいビールの缶を差し出してきたのは、赤みがかった金髪に青い瞳がひどく特徴的な女の子だった。 その子の手に同じようにビールがあるのを見た僕は、ちょっとだけ疲れたような表情を浮かべて見せるしかなかった。

「辛いことがあったんだよ」
「つらいことって?」
「個人的な問題なんだけどね」
「あっそ。 なら、聞かない」

 そう。 この問題に、多分、彼女は・・・アスカは関係ないのだと思う。 たとえ、僕の恋人が、たまたまアスカと一緒に買い物に出かけていて、一緒に部屋に帰ってきた僕とアスカの姿を見て、その関係を変に勘ぐってしまったのが、その主な原因の一つだとしても。 ちなみに、アスカは、ほんの数週間前から僕の部屋に転がり込んでいるだけの他人であって、当然のことながらやましい関係などではない。 つまり、単なる居候ってことだよ。 ・・・まあ、そんなことを言っても信じてもらえるはずもない。 そのことが、多分、僕の失恋の主な原因だったのだろうと思う。

「なぁーんか、暗いわねぇ」
「・・・まあね」

 さすがに彼女に振られた当日にヘラヘラ笑っていられるほどには、僕は強くなかった。 だからこそ、こうして日ごろ飲まないお酒を飲んでいたりするのだろう。

「もしかして、アタシが原因だったりして」
「そうだって言ったら、どうするの?」
「ん〜。 これといって心当たりがないんだけど、とりあえずゴメンってあやまっとくかな」
「とりあえずって、何だよ」
「だって、アンタが落ち込んでるのって、アタシが原因だったんでしょ?」
「そ、そりゃあ、そうだけど・・・でも、多分、君だけが原因じゃなかったんだよ」
「そうなの?」
「多分ね。 ・・・悪いのは、多分、僕の方なんだ」
「ふ〜ん。 じゃあ、謝らなくても良いわよね?」
「・・・そうだね」

 アスカは、少し変わっていると思う。 どこがどう変わっているのかと聞かれても、それを具体的に答えられるわけではないのだけど。 それを、どう表現すればいいのかが、僕にはわからないんだ。 だけど、それでもアスカは少し変わっていると感じている。

 たとえば、ほんの数日前に、僕と一緒に買い物に出かけた時もそうだった。 こんなに綺麗な容姿をしているというのに、他人から自分がどう見られているのかなんて、ぜんぜん気にしていない風に見えるし、格好だってそう。 安物の服でもぜんぜん平気って感じで・・・それこそ、注意しなければ、何日でも同じ服を着ているような・・・そんな風変わりな女の子だった。 それに、僕のような冴えない男の横に立って、一緒に買い物をしている姿を周囲から奇異の目で見られても、それに何の違和感も感じていないっていうか・・・。

『多分、男として認識されてないんだろうなぁ・・・って、なに考えてるんだ、僕は』

 と、とにかくアスカはちょっと変わってるって感じがする女の子だったんだよ。 でも、それ以上にミステリアスな部分があるっていうか・・・すごく秘密主義なんだよね。

「なんていうか、アスカって何者なの?」
「前に言わなかったっけ?」
「確かに名前は聞いたけど・・・」

 僕は、アスカのフルネームを知らない。 彼女は、自分のことを何一つ僕に教えようとしなかったから。

「アタシは、アスカ。 友達からも、そう呼ばれているし、アタシをアスカ以外の名前で呼ぶヤツもいないわ。 だから、アタシはアスカなの。 ・・・なにか問題あるの?」
「おおありだよ」
「どこが?」
「僕は、君がアスカって名前の女の子だってことしか知らないんだよ?」
「それが何か問題なの?」
「問題じゃないっていうの?」
「アタシはアスカ。 アンタはシンジ。 それさえ分かっていれば問題ないわよ」
「・・・」
「ね? ぜんぜん、問題ないじゃない」

 僕が知っているのは、アスカが自分のことをアスカと呼ばせていることだけ。 本名かどうかすらも知らないんだ。 つまり、それだけしか僕は知らないままに、もう何週間も一緒の部屋で生活していることになる。 それを口で言うほどに不自然に感じさせないのは、多分、アスカのもつ独特の雰囲気が原因なのだと思う。 なんといえば良いのか・・・とにかく、すごく自然体なんだよね。 肩肘を張らないっていうか、他人・・・つまり、僕のことなのだけど、僕を無闇に意識しないっていうか。 側にいても当たり前だって雰囲気なんだ。 そのせいで、今まで特に問題にしなくても良いやって感じていたのが原因だと思う。

「フルネームは?」
「アスカ」
「フルネームはって聞いたんだけど?」
「だから、答えたじゃない。 アタシの名前はアスカだって」

 アスカは、いろいろな意味で不可解な女の子だった。

「それじゃあ名前については、それでもいいや」
「それでもって、どういう意味よ?」
「どうしても教えたくないっていうのなら、僕も、それ以上は聞かないってことだよ」
「しつこいわねぇ・・・アタシの名前はアスカだって、最初から、ちゃんと答えてるじゃない」

 アスカは大いに不満そうだったけれど、僕にとってはアスカの本名なんて正直、どうでも良かった。 むしろ、どこの誰なのか。 何を目的として、こんなことをしているのかってことを聞きたかったんだ。

「じゃあ、次の質問」
「なによ?」

 ギロリと横目で睨んでくるアスカに、ちょっとだけ気圧されながらも、僕は何とか言葉を返していた。

「君は、どこの国の人なの? 見た感じ外国人っぽいんだけど」
「いっとくけど、アタシ、お金もカードも身分証明書も、パスポートもビザも、ぜーんぶ持ってないわよ?」

 そういうことって、胸を張っていえるようなことなのかな?

「それに、これでも、いちおーは日本人なんですけど?」
「そうなの?」
「パパが外国の人だったの。 ママは日本人。 ちなみに、ママの旦那さんは日本人。 戸籍関係はややこしいから特に調べたりしてないけど、多分、日本人として扱われるんじゃないかって気がする」
「え、ええっと・・・」

 もしかしなくても、それって不倫?

「複雑な事情の子供ってトコかしらね。 これ以上詳しく聞きたいのなら、出すもの出してからにしてよね」
「・・・お金をとるつもり?」

 押しかけ同然の居候で、その上、無一文で。 洋服代とか食費まで僕が負担してあげてるのに?

「とーぜんでしょ?」

 意地悪そうにニンマリ笑って、アスカは冷蔵庫からビールのツマミになりそうなものを物色し始めた。

『この子、何者なんだろう?』

 結局、今夜もアスカから、アスカ自身のことを聞き出すことができなかった。 でも、僕は、そんな奇妙な共同生活っていうか、アスカとの同居生活を少なからず楽しみ始めていたのかも知れない。 だけど、そんな僕たちの奇妙な共同生活の始まりというものは、とんでもなく理不尽で不可解なものだった。

 それは、今から数週間ほど前のこと。 走行中の車のバックミラーの中に移ったアスカが、僕に向かって小さく手を振っていたのが、その始まりとなった出来事だったんだ。

『・・・君、誰?』
『そういうアンタこそ誰よ?』
『ぼ、僕? 僕は・・・・シンジ。 碇、シンジ』
『あっそ。 アタシはアスカ。 よろしくね』

 この世の中には、とんでもない出会い方をする男女がいるとは聞いていたものの・・・まさか、自分が、そんな話の主人公の片割れになるだなんて、思ってもみなかった。 僕とアスカは、出会いからして異常だったんだ。 コンビニの駐車場に車を止めて、ちょっと買い物するだけだからって車のエンジンをかけっぱなしにして店内に入っていった僕にも、多分原因はあるのだと思う。 でも、そんな誰のものか分からない車の後部座席に、勝手に潜り込んで、その上、問答無用とばかりに部屋に転がり込んでくるような女の子なんて居て良いのだろうか? その上、アスカはすごく綺麗な女の子だった。

『こんなの反則だよなぁ』

 不条理と不可解、不安と猜疑心。 そして・・・少しだけ、期待もあったのかも知れない。 下心がなかったかって聞かれたら、多分否定しきれないと思うんだ。 だから、僕は誤解を誤解だと彼女に・・・マナに弁解出来なかったのかも知れない。 ・・・まあ、今更のことなんだけどさ。 でも、分からないことは、まだあった。 なぜ、僕だったのか。 なぜ、アスカは僕を頼ろうとするのか。 それが、いまだに分からないんだ。

「ねえ」
「ん〜」
「なんで、僕だったの?」
「そういえば、アンタって、初めて会ったときにも、そんなこと聞かなかったっけ?」
「そうだった?」
「そうよ」

 冷蔵庫の中から夕食の残り物であるポテトサラダなどを取り出しながら、アスカは楽しそうに笑っていた。 アスカはよく笑う。 短い同居期間とはいえ、アスカが辛そうな顔をしているところなんて見たことがなかった。 そんないつものように笑みを浮かべていたアスカだからこそ、僕は・・・本当の心というものを確かめてみみたかったのかもしれない。

「じゃあ、もう一回聞かせてよ。 ・・・なんで、僕なの?」
「きっかけは、単なる偶然よ。 あの場所にいた人なら誰でも良かったの」

 そう、すべては偶然の結果だった。







 そんなアスカとの奇妙な同居生活を始めて、はや二週間あまり。 僕は、これまでの慎ましい生活のおかげか貯金もそれなりにあった。 いきなり食費が二人分に増えたからといっても、特にバイトを増やす必要はなかった。 さすがに両親にはアスカのことは話せないけれど、それでも、これまでと特に生活のサイクルが変化したわけではない。 それはたぶん、幸運なことなのだろうと思う。

「ねえ、碇君」
「なに?」

 バイト先の会社の事務所には、一応、休憩時間というものがあった。 そんな休憩時間の中で、僕はよくバイト仲間の女の子、洞木ヒカリさんと話をしていた。 洞木さんとは、中学時代からの知り合いで、割と仲はいい方だと思う。 でも、ここ最近はできるだけ話しをしないで済むように心がけていた。 つまり、お互いに、相手を避けていたってことだよ。 その理由は、僕たち二人の共通の親友が、分かれてしまうことになった僕の彼女だったから。 つまり、互いに気まずい雰囲気になりたくなかったってことなのだけど・・・。

「マナ、元気にしてるのかな?」
「正直、分からないんだ。 あの日から、ぜんぜん話とかしてないから」
「そうなんだ」
「・・・洞木さんには連絡とか入ってないの?」

 僕たちが盛大に喧嘩別れしたってこと、知ってるんだよね? ・・・なんて、野暮なことは聞くべきではなかったのかも知れない。 僕の元恋人・・・マナが、洞木さんにグチでも聞かせているのは多分確かなことだと思うから。 でも・・・それでも、そのときにはマナの様子が気になっていた。 マナは一見したところ、ひどく明るい女の子で、悩みなんて欠片もなさそうなほどの元気印な女の子なのだけど、その内面は、結構、繊細な部分もあるって感じの子だったから。 アスカが側に居てくれるお陰で、それほど落ち込まずに済んでいる僕とは違って、多分、大変なんじゃないかって思ったんだよ。

「やっぱり、気になるよね?」
「まあ、気にならないって言ったら嘘になるかな」
「それじゃあ、電話くらいしてあげれば良いのに」
「・・・僕には、そんなことする資格、もうないと思うから」

 マナが変な風に誤解する羽目になったのも、そんなマナに何も言い訳できなかったのも、全部、僕が原因だったから。 だからこそ、僕はマナに、あの日から連絡一つ入れてなかった。

「洞木さん、マナと本当に連絡とりあってないの?」
「最近はちょっと・・・」
「じゃあ、その前は?」
「碇君と別れたって電話で聞いたときビックリしたけど、その時は、さすがに落ち込んでたみたい」
「そうだったんだ」

 マナには、悪いことしちゃったな。 ・・・でも、言い訳なんで出来ない状態だったし。

「さすがに心配になって、次の日に会いに行ったの」
「・・・そう。 その時の様子、どうだった?」
「やっぱり、気になるの?」
「そりゃあね」
「その時には、見た感じだけは平気そうだったわ」
「空元気ってこと?」
「うん。 相当無理してる感じがしたの」

 うーん・・・マナも、僕と同じで一人暮らしだって言ってたしなぁ。

「多分、まだ吹っ切れてないんだと思う」

 そういって少しだけうつむいて黙り込んだ洞木さんが、次に何を言い出すか。 それを、僕はうすうす感じ取っていたのかも知れない。

「碇君」
「なに?」
「碇君って、とっても真面目なのに。 なんで・・・」

 そこで少しだけ語調をきつくして、洞木さんは言葉を続けた。

「なんで、二股をかけるような真似をしたの?」
「・・・違うんだよ」
「違うって?」
「僕に非がないとは言わないよ。 九割がた、僕に原因があるのは事実だからね。 でも、マナが勘違いしているのも確かなんだ」

 我ながら、言い訳くさいとは感じつつも、それでも洞木さんには本当のことを話しておくべきだと感じていた。 マナに振られた上に、親しい友人にまで軽蔑されるのは流石に辛すぎたから。 だから僕は、洞木さんにアスカのことを話しておこうと考えたのだと思う。

「言っても信じて貰えないと思うけど、僕は別に浮気をしたわけじゃないんだ。 だけど、言い訳できない状況を見られてしまったんだよ」
「・・・どういうことなの?」

 我ながらひどくややこしい関係と状況だと思う。 マナは、アスカと僕が付き合ってると勘違いしたのだろうし、僕は僕で、アスカとの関係を、全くの他人だなどと言いながらも、家では同棲同然の生活をしている。 まあ、実際のところは、単なる同居でしかないのだけど・・・。

「まず、大前提を話すとね。 僕は、今、同い年くらいの女の子・・・アスカって名前の女の子なんだけど、その子と一緒に住んでいるんだ」
「・・・同棲しているってこと?」
「マナが勘違いしたのも、そこなんだよ」
「えっ?」

 わけが分からないなりに、僕に原因があると分かってもらえたのだと思う。 洞木さんは、僕に険しい視線を向けていたのだけど、それが少なからず誤解だったんだっていう僕の言葉に、さすがになんと答えたら良いのか分からないようだった。

「アスカと僕は、別に付き合ってる訳じゃないんだ」
「もしかして、親戚の子か何かなの?」
「ううん。 ただの・・・他人だよ。 見ず知らずの他人」
「たにん?」
「うん。 それも、極め付きに訳の分からない他人だと思う」

 僕とアスカが、他人から見てどう見えようとも、断じてやましい関係などではないということ。 確証はないけれど、アスカが多分、家出している女の子だと思われること。 それに、一文無しな上に、身分を証明できるようなものを何一つもっていないこと。 着の身着のまま、僕と出会ったこと。 行くあてが無いと聞かされた上に、もう数日も、何も食べていないと言っていたことから、自分のマンションの部屋に滞在させてあげている上に、衣食住の面倒も見てあげているということ。 アスカは、僕の部屋で生活しながら、当座の生活資金を稼ぐためにアルバイトに精を出しているということ。 多分、そう遠くないうちに僕の部屋を出て行くであろうことも。 ・・・それらに加えて、マナに黙っていたことを少なからず後悔しているということも。

 僕は、30分という短い休憩時間の中で、できるだけ簡潔に、そういったことを説明した。

「つまり、たんなる勘違いだったってことなの?」
「僕の言い訳を信じてもらえるのならね」

 洞木さんは、それを聞いて、なんとなく納得してくれたようだった。

「それだったら、最初から、そう教えあげれば良かったのに」
「無理だよ。 洞木さんだって、ある日、いきなりトウジが見ず知らずの女の子と同居し始めたなんて聞いて、それを勘違いしないで居られるの?」

 トウジは、マナと同じく僕たち二人の共通の親友で、洞木さんは高校時代からトウジと付き合っている。 それだけ付き合いのある相手であっても、今の僕と同じ状況にはまり込めば、きっと誤解されてしまうと思う。

「そ、それは・・・無理かも」
「でしょ?」

 だから、原因の大半は僕にあるんだよ。

「でも、その子・・・」
「アスカのこと?」
「うん。 そのアスカって女の子、何者なの?」
「それは僕が知りたいよ」

 アスカって名前の、本名かどうかすらも分からない呼び名しか知らない奇妙な同居人。 そんなアスカが何を考えているのかも、僕にはまったく理解できていなかった。







 何気なしに雑誌の星占いを見たら、そこにはなぜだか最悪の運勢の結果が載っていた。

「あの・・・すこし、よろしいでしょうか?」
「はい?」

 そんな僕の運勢の悪さが原因だったのか。 僕は、バイトからの帰り道で、一人の女の子に捕まってしまっていた。 これがアンケートへの協力依頼や、『貴方のために祈らせてください』などといった相手だったのなら、僕も、それなりに納得できていたのかも知れない。 特に帰りを急いでいたわけでもないし、用件がアンケートだったのなら、それに答えていただろうと思う。 仮に、宗教系の女の子が相手だったとしても、それなりの対応はしていたと思うんだ。 でも・・・。

「お尋ねしたいことがあるのですが、少しだけお時間をいただけませんか?」

 さ、流石に、こんな街中で、カトリック系のシスターに声をかけられるとは思わなかったよ。

「あ、あの・・・貴方は?」
「あっ! もうしわけありません!」

 そう慌てた風にペコリと頭を下げて謝った女の人は、多分、こういったことに慣れていないのだと思う。 ガチガチに緊張していて、声もひどく慌てたものだったから。 そんなシスターさんは、少しでも落ち着こうとしていたのか、かるく二〜三回深呼吸すると、今度はゆっくりと名乗った。

「私は、聖フランチェスカ教会のシスターで、山岸マユミと申します」
「えーっと・・・そのセントなんとか教会の・・・」
「フランチェスカ。 セント=フランチェスカ教会です」
「・・・その教会のシスターさんが、僕に何の用なんですか?」

 まさか勧誘なんてことはないと思うのだけど。

「もしよろしければ、すこしご足労願えないでしょうか?」
「・・・え?」
「ここでは話すには、すこし内容に問題があるかもしれないので・・・」

 そう答えにくそうに言う山岸さんに、僕は少なからず胡散臭いものを感じてしまっていた。 でも、誰だってそうだと思う。 いくら自分は神に仕えている人間だなんて言われても、いきなり自分たちの教会に来てほしいなんていわれても困ってしまう。 それに、いくらちゃんと名乗ったりと言っても、それでも話の内容が、あまりに胡散臭かったから。 だからこそ、僕は素直にうなづく事が出来なかった。

「すみません。 僕、こう見えても忙しいんです」

 そういって、断ろうとした僕であったのだけど、そんな僕に、山岸さんは少しだけ辛そうな顔して答えた。

「そうですか。 ・・・それでは、一つだけお答え願えませんか?」
「なんです?」
「この女性に、見覚えはありませんか?」

 そういって、山岸さんが取り出したのは、一枚の写真だった。

「・・・この子は?」
「私どもの教会で身柄を引き受ける予定になっていた女性です」

 どこか遠い異国の地らしい風景の中で、その女の子は笑っていた。 隣に立つ、赤い目にプラチナプロンドの髪の男の子に肩を抱かれながら、嬉しそうに・・・頬を赤く染めながら、楽しそうに微笑んでいた。

『そっか。 ・・・本当は、こんな顔で笑うんだ』

 そこに写っていたのは、アスカだった。 そこにあった彼女の微笑みは、僕がいつも目にしていたものとは、まるで違っていた。 内面から輝くような・・・僕の知っているアスカの笑顔が・・・あのいつも楽しそうに笑っていたアスカの笑顔が、ぎごちない作り物の笑顔だったんだって、ようやく分かったんだ。

「・・・」
「その子にはちょっと特殊な事情というものがありまして・・・」
「事情って、何です?」
「・・・それを聞いて頂きたくて、ご足労願えないかと思うのですが」

 こんな場所では話せない様なことなんだと思う。

「複雑な事情のある子なんだってことは、なんとなく分かりました」
「到着予定日を過ぎても当方に到着していなかったので、こうして街を捜し歩いていたのですが」

 なんだろう、この感覚。 胸の奥が・・・痛くて。 息が、苦しい。

「ご存知ありませんか?」
「・・・知ってます」

 その時の僕には、そう答えるのが精一杯だった。



<後編へ続く>





 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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