Death Trap. |
part 2. 〜誓約〜 |
write by 雪乃丞. |
シンジくんの説得を終わらせた司令の表情に、ようやく僅かな安堵が広がった。
「葛城一尉は?」
「作戦課の執務室だと思われます」
「呼び戻せ。 指揮権を葛城一尉に戻す。 今後の戦闘の指揮は、今まで通り葛城一尉に一任する」
「了解。 葛城一尉を呼び出します」
司令は、自分の仕事は終わったばかりに席に腰を落ち着ける。 そんな司令の横には、いつものように副司令が笑みを浮かべて立っていた。
「ご苦労だったな」
「勝負は、これからだ。 我々はようやく第二ラウンドの準備が出来たに過ぎない」
「・・・だが、彼は決心してくれた。 我々に出来るのは、ここまでだ。 ・・・後は、祈るのみだな」
「ああ」
そう。 もうオレ達に出来る事はない。
あとは、せいぜい、シンジくんの無事を祈り、彼のサポートをするくらいだろう。 それを見届けた俺は、発令所を後にしようしたのだが。
「加持君?」
そんな俺を呼び止めたのは、入れ違いに発令所に姿を表した赤木だった。
「何処へいくの?」
「もう俺の出番はないだろうからな」
「あら。 見届けてあげないの?」
「何をだ?」
「シンジくんは、これから命がけの賭けに出るのよ?」
「・・・そうだな」
分かってるさ。 それくらい。
「・・・また、逃げるつもり?」
その抑えきれない不快感を感じる声に、俺は苦笑を浮かべるしかない。 確かに、俺は真実をこの目で見たいってことを理由にして、葛城の元から姿を消したことがある。 だが・・・今回は違う。
「心配はいらないさ。 シンジくんは、きっと負けない」
「楽観的なのね?」
「信じているんだよ。 彼をね」
そうだ。 シンジくんが、あんな卑劣な男の罠になど、負けるはずがない。
「それに、俺には、俺にしか出来ない仕事があるだろうからな」
「そう。 でも、参考までに、その仕事とやらを聞かせてくれないかしら?」
「ちょっとハッパをかけにな」
「ミサト?」
「ああ」
「・・・そう」
「それよりも・・・」
どうせ、赤木の協力なしには出来ない事なんだ。 ここは、コソコソ根回しするよりも、素直に頼むべきだろう。
「シンジくんの事なんだが・・・地下の記憶転写装置で何とか出来ないか?」
「・・・」
流石にいい顔はされない。 まあ、仕方ないか。
あの装置自体が、第一級の機密扱いになっている代物だ。 それに、元々、ファーストチルドレン綾波レイの記憶をバックアップしたり、新しい体へ記憶を写すのに使うためだけに存在する機材だ。 それだけに、機材の設定や機能などは、特定の目的にだけ、際だった性能を発揮できるように特化されている。 応用の効く類の機材ではないのだ。 そんな代物を、綾波レイではなく、シンジ君に使うには、余りに危険だった。 だが・・・俺には他に方法が浮かばない。 可能性はあるんだ。 シンジくんと綾波レイの遺伝子・・・パーソナルパターンはかなり似ている。 それなら、その機材の設定を大幅に変更すれば、何とか使えるんじゃないかと思うのだ。
「呆れた・・・本当に、そんな事に許可が出るとでも思っているの?」
「他に手があるのか? それに、君だって俺と同じ事を考えていたんじゃないか?」
「・・・」
この緊急時に姿を見せなかったということは、余程手が離せない類の仕事をしていたか、あるいは・・・すぐには戻ってこられない様な場所にいたか。 そのどちらかだと考えたのだ。 そして、その推測は当たっていたのだろう。 赤木は、何ともいえない苦い表情を浮かべていた。
「アレがあれば、記憶のバックアップだけでなく、ある程度の記憶を操作することだって可能になるんだろ? 深層意識レベルでの意識や記憶の操作が可能であれば・・・」
「暗示を消せる?」
「ああ。 その可能性はある」
正直、どのレベルまで暗示が浸透しているかが問題だ。
シンジくんに使われた薬物は、そうとう強力な代物だった。 なにせ、目の前で人が撃ち殺されても表情を変えなかったくらいだからな。 おそらくは、相当に意識が混濁していたか、朦朧となっていたはずだ。 そんな状態で仕掛けられた暗示が、どれだけ深層意識に刷り込まれたか・・・考えたくもない。 それに、危惧ってのは、それだけじゃない。
エヴァに乗ったら死ぬという暗示、チルドレンと会話すれば自分の目をくり抜いてしまうという暗示、好きな子に好きという言葉を口にしたら息が出来なくなる暗示・・・あとは、ルールについて説明すれば、舌を噛み切ってしまうという暗示か。 だが、それだけじゃない。 まず間違いなく、他にも幾つかあるはずだ。 それが、どれだけあるのか・・・俺達は、それすらも知らないんだ。 その不明な部分に、何らかの回復処置を受ければ死ぬという暗示がないとは言えないだろう。 げんに、あの男も、冗談めかしてはいたが、そんな事を言っていた。 それに、ここ数日間の記憶を完全に消去しても、しぶとく暗示が残る可能性はゼロじゃない。 いや、元々記憶がない状態の体に、記憶を戻す事だけを目的としている機材であるだけに、どこまで記憶を上書きして消していってくれるか分からないし、そんな真似をして、どんな副作用が出るか想像も出来ないのだ。 不安だらけな上に、やり直しが効かない危険な賭けだった。
「どの道、危険すぎるわ」
「失敗した時が問題か」
「当然でしょう? 彼は・・・レイとは違うのよ?」
「わかってる」
確かに、彼の場合は失敗が許されない。
なぜなら、綾波レイのように予備の体が複数あるわけではないのだから。
「・・・それでも、やるのね?」
「ああ」
例え、司令が許可を出さなくともな。 俺は、シンジくんを助けるためなら、何だってやってやろう。 それが、俺への復讐に・・・あの卑劣な男の復讐に、彼を巻き込んでしまった事の、俺なりのケジメの付け方だった。
「・・・良いわ。 司令には私から話しを通しておくから」
「わるいな。 だが、時間がないんだ。 出来れば、戦闘の直後か、今夜が良い」
「いくらなんでも、急すぎるわ」
「シンジくんは10個近い爆弾を抱え込んでいるんだ。 しかも、そのうちの半分以上が分かっていない。 どんな事柄がトリガーになるのかも分からないんだ。 ・・・とにかく急いでくれ。 彼を死なせでもしたら・・・俺は、一生自分を許せなくなる」
今の顔だけは誰にも見せたくない。 俺は、赤木に背を向けた。
「加持君は、何処に行くの?」
その言葉に、俺は僅かに笑みを浮かる事が出来た。
「俺には、俺にしか出来ないことがある。 そういったろ?」
「・・・そうね」
「どうせ、今頃、どっかで泣いているだろうからな」
そして、俺は発令所を後にして、どこかで落ち込んでいるだろう葛城の元へと向かったのだった。
アレから、数日が無事に経過した。
シンジくんは、死を覚悟してエヴァにエントリーしてくれた。
その結果は、俺の目の前にある。 数日前の光景が、ウソみたいに思える程に破壊された発令所。 恐らくは、幾人かの死人と無数の重傷者が出ただろう。
「・・・予想して、しかるべきだったんだ」
恐ろしく不安定な精神状態のままのエントリー。
その死の恐怖に押し潰されていた彼が、まともにエントリー出来るはずはなかったんだ。 エヴァンゲリオン初号機は、起動した。 そして、シンジくんは、死ななかった。 もしかすると、あの男の暗示は、もっと違った事をトリガーにしていたのかも知れない。
「・・・よくもまあ、ここまで・・・」
「・・・司令」
「あいつも、派手にやってくれたものだ」
そんな苦笑を浮かべる司令に、俺は何も言えなくなっていた。
シンジくんは生き延び、使徒は初号機の手によって原型を留めない程に破壊された。 シンジくんはもとより、司令を初めとするネルフのスタッフは、賭けに勝ったんだ。 だが・・・その代償は、少しばかり大きすぎた。
「被害は甚大ですね」
「だが、使徒は倒せた。 ベストではないが、ベターといえない事もないだろう」
「ベター、ですか」
「最悪よりは少しだけマシだ」
そんな司令は、片腕をギプスに包まれ、三角巾で肩に吊っている。 額には包帯。 片目も怪我をしたのだろう。 その包帯は、顔の半分を覆っていた。 肩にかけられただけの上着の中、シャツのエリなどから垣間見える包帯は、見るだに痛々しい。 しかし・・・これでも軽傷の部類に入るのだ。 少なくとも、自分の足で歩いているのだから。
「副司令は?」
「死んではいない」
「赤木博士は、何時退院出来そうですか?」
「今は集中治療室だ。 ・・・最低でも、あと一ヶ月は病院から帰ってはこれないだろう」
葛城は、赤木ほどではないにせよ、重傷。 発令所につめていたサブ・オペレータ達の幾人かは死亡し、重傷者も多数。 メインオペレータ達は、3人とも意識不明の重体。 ・・・病院送りだ。 事実上、今のネルフは指揮能力を無くしたような状態になっている。 そのせいか、破損した零号機の修理も、遅々として進んでいないようだ。 指揮出来るだけの能力をもった者が二人とも病院で意識不明なのだから、それも当然だろう。 技術部のナンバーワンと、その補佐役が両方とも病院送りになったんだからな。
あの瞬間、何があったのは俺には分からない。 だが、人から聞いた内容から、分かっている事もある。 あの時の初号機は、完全に制御不能に陥っていたそうだ。 精神状態の悪すぎるシンジくんでは、制御が出来なかったのかも知れない。 死の恐怖に怯え、使徒の恐怖に押し潰され・・・そして、自暴自棄にもなっていた。 そんな無茶苦茶な精神状態が、あるいはエヴァにも悪影響を与えたのかも知れない。
ケージ中で、いきなり暴走状態に突入した初号機は、巨大なエネルギーを巻き散らかしながら、地上へ。 幾つもの隔壁を吹き飛ばしながら表れた初号機は、使徒を問答無用で殲滅した。 ・・・その力は、圧倒的だったと聞いている。 惜しむらくは、その戦闘のデータが何一つ残っていない事だろうが・・・。 まあ、MAGIも相当なダメージを受けたようだから、仕方ないのだろう。
ケージに程近いフロアにある発令所でさえ、これだったんだ。 その時のエネルギーの暴走が、どれだけの代物だったのかなんて、想像する事も出来ない。
「最初から、これが狙いだったんでしょうか?」
「そこまでは何とも言えんな」
「・・・」
「だが、勝負には勝った。 シンジは生きて帰ってきた。 レイもだ。 今は、それでいい」
確かに、チルドレンは二人とも生きて帰ってきた。 最も、入院する事になったが。
「壊れた物は、修理すれば良い。 怪我をした者は、治療すればいい。 意識さえあれば、現場の指揮も可能だ」
「病院の中からでも指示は出せるって事ですか」
例え、今のネルフに戦力はなくとも・・・。
「死なない限り、戦い続ける事は可能だ。 どんなに無様であろうとも、立ち上がる事が出来るのであればな」
生きている限り、諦めない。
それが、この人のもつ強さの正体だったのかも知れない。
「・・・赤木博士から話しは聞いているでしょうか?」
「ああ」
どうやら、シンジくんのエントリー前に、話しを通しておいてくれたらしい。
「許可を頂けますか?」
「赤木博士の退院後、ただちに処置を行う」
「・・・」
「不満か?」
「はい」
手遅れになる可能性があるのに、一ヶ月も待てない。
「加持くん、君に辞令を出す」
「命令、ですか」
「そうだ。 君に、入院中の葛城一尉の代わりにシンジの面倒をみてもらう」
「・・・了解しました」
確かに今のシンジくんの状態は危険すぎる。 誰かが側で常に監視しておく必要があるだろう。
「明日より一ヶ月間、シンジの24時間の監視を命じる。 君の補佐として保安要員を数名つけよう。 買い物や掃除、炊事などの雑用は、全て彼らにやらせて君はシンジから目を放すな。 間違っても料理などさせるな」
「分かっています」
包丁など持たせたら、どうなることやら。
暗示がなくとも、いつ死ぬか分からないプレッシャーに負けて自殺しようとしないとも限らないのだから。
「学校ではどうすれば?」
暗示のせいでチルドレンと会話出来ない以上は、学校での監視を綾波レイには頼めない。
「シンジを学校に行かせる必要はない」
監禁同然だが、それも仕方ないか。
「あとは、緊急時の対処を行うために、医療スタッフもつけておく」
「感謝します」
「・・・何があっても、絶対に死なせるな。 あいつを死なせては、我々に未来はない」
「はい」
シンジ君には可哀相だが、これも仕方ないだろう。
「・・・頼んだぞ」
そう言い残すと、碇司令は、破壊された発令所に背を向けた。
シンジくんと、ネルフの危険な賭けは終わった。 無論、まだ完全に終わった訳じゃないのは分かっている。 だが・・・あの人の戦いは、これから始まるのだろう。
破損したエヴァンゲリオン二機分の補修費用、大破した本部の修繕費用。 これだけでも、国が幾つかひっくり返る。 あとは、入院したスタッフの治療費、及び死亡したスタッフの遺族への補償など・・・探せば探すだけ、経費が見つかる状況だ。 被害額が、何処までいくかなんて、想像すらも出来ない。
これが使徒が原因だったら、まだ司令もやりやすかったのかもしれないが・・・。 今回の被害は、その多くが初号機によるものであり、その原因は、たった一人の男だったんだ。 ・・・やりきれないな。 人の敵は、所詮人でしかないとは言うけれども・・・今回みたいなのは、もうご免だ。
「・・・絶対に、死なせない」
俺は、誰とも無しに、そう誓った。
── TO BE CONTINUED...