Death Trap. |
part 4. 〜処置〜 |
write by 雪乃丞. |
平穏で居ながらも、胃に穴が空きそうな一ヶ月がようやく終わる。 あと半日足らずで、シンジくんへの処置が行われるのだ。 これで完全に終わると信じたい。
「ご苦労さまです」
「ああ。 君たちもご苦労だったな」
「いえ・・・こんなに平和で緊張する時間があるんだなんて知りませんでした」
「そうだな」
一人の子供を完全に守り抜く事が、いかに難しいことか。 しかも、その子供は、いつ自殺行動をとるか分からないんだからな。 彼らのような若いヤツらには、この長い時間は辛かっただろう。 かくいう俺も、そうとう参っているんだがな。 多分、白髪が増えただろうし、目の下の隈は、凄い事になっているだろう。 とりあえず、今夜だけで良いから、ゆっくり眠りたい。 それが正直な気持ちだ。
「・・・加持さん、コーヒーは如何ですか?」
「もらおう」
安堵感から、緩みかける意思のヒモをもう一度締めなおさなくちゃな。
「・・・本当に、暗示はあったんでしょうか?」
「ある。 それだけは、間違いない」
「しかし・・・」
確かに、この一ヶ月は平穏なまま過ぎた。
幸いにも、シンジくんは、一度もおかしな行動をとることはなかった。 心配されていた衝動的な行動も一切なし。 彼らが感じている通り、暗示なんて本当はなかったんじゃないかとさえ思える程の平穏ぶりだ。 だが・・・俺は、未だにあると感じていた。
「発現しなかったのは、運がよかったからだ。 まだ彼への処置は行われていない。 まだ安心するには早いんじゃないか?」
自分の第六感を信じられなくなったら、この仕事はお終いだ。
だからこそ、俺は、警戒し続けたし、この部屋で一緒に過ごした数人の若いヤツらにも、そう言い聞かせてきた。 シンジくんが襲われたのは、オレ達が油断したせいだ。 そう幾度も幾度も、しつこくな。 その甲斐あってか、今朝まで平穏無事に過ごす事が出来た。
「・・・そう、ですね。 すみません」
「そんな顔するなって。 オレ達の任務は護衛みたいなもんだ。 何もなくて当たり前なんだからな。 ・・・後で、全部杞憂だったんだって言われたら、俺が責任とるよ」
「そうですね。 何もない方が良いに決まってます」
「そういう事さ」
俺としても、今日という日を無事に迎えられた事は素直に嬉しい。
シンジくんの手錠を外してやれると思うと・・・本当に嬉しいんだ。 まあ、本部の地下・・・大深度地下施設で処置が完了するまでは、あのままだろうが。 なにしろ、一ヶ月ぶりの本部だ。 シンジくんと仲が良いらしい綾波レイに、偶然遭遇しないとも限らない。
「本部への連絡は?」
「今朝、済ませました」
「何と言っていた?」
「赤子博士の準備は間に合うそうです」
「・・・そうか」
赤木は、数日前に退院して、今はシンジくんへの処置を行う準備を行っているはずだ。 もっとも、両手とも骨折していたせいで、あの神速のタイピングはまだ無理だろうとも聞いているが。 ・・・となると、マヤちゃんを連れて地下へと降りているのか?
「あと・・・」
「ん? どうした?」
「いえ。 ・・・処理が終わってからの話しなんですが・・・葛城作戦部長が、迎えに来るそうです」
「・・・そうか」
まあ、シンジくんの保護者は葛城だしな。 それも当然か。
「・・・どうかしたんですか?」
「いや、アイツって、家事能力が皆無だったのを思い出してな」
「・・・そうなんですか?」
「余り大きな声では言えないんだが・・・学生時代、付き合ってた時期があるんだ。 あいつの普段のだらしなさは筋金入りだからな。 あれから8年経ったとはいえ、治っているとは思えない」
「・・・そんなに凄いんですか?」
「まあね。 どうやら整理整頓と掃除という文字は、彼女の辞書にはないらしい」
今思いだしても、掃除は俺しかしてなかったような気がする。
「さて、ここで問題だ。 そんな彼女を一ヶ月間放っておくと、部屋がどうなると思う?」
「・・・考えたくありませんね」
俺は、その言葉に苦笑して軽く頷くと、シンジくんの部屋に向かった。 さあ、これからが正念場だ。 最後まで・・・きっちり守り抜かないとな。
処置完了。
その知らせを聞いたとき、俺は安堵から膝の力が抜けて、床へと座り込んだ。
「ご苦労様」
そう俺に香りの良いコーヒーを差し出してくる赤木に、俺は肩の力を抜いて答えた。
「これで、ようやく安眠出来そうだ」
赤木の腕は疑うべくもない。 彼女が処理完了と言った以上、その処置は完璧だろう。
「でも、まだ油断は禁物よ?」
「ああ。 ・・・深層意識下の記憶操作は?」
「ここの施設はレイ専用だから・・・詳細なデータの揃っていないシンジくんでは、そっちのほうは手を出せないわ」
まあ、変に深層意識下の記憶や情報いじると大変な事になるだろうしな。
「暗示の仕掛けられた数時間の記憶は消去出来たと思うけどね。 あとは・・・」
「分かってる。 あとは俺が責任もって見届けるさ」
一度弛緩してしまった体に、俺はもう一度気合いを入れ直す。
「さーってと、シンジくんは?」
「まだ眠っているわ」
「・・・これで悪夢を見なくなると良いがな」
「そうね」
そう答えると、赤木も肩の力が抜けたのだろう。
フー・・・と、心底疲れたような溜め息をついて、椅子に腰掛けた。
「体、良いのか?」
「まだね。 両手が自由に使えないのよ」
そう言う赤木の両手には、肘から拳のあたりまで、白い包帯が巻かれている。
「怪我のせいか包帯のせいかは分からないのだけど、感覚が違うのね。 タイプミスも多いし・・・変に力を入れると痛むのよ」
「鎮痛剤は?」
「飲んでいないわ。 あんなの飲んだから、思考力や判断力が鈍るもの」
まあ、何にせよ・・・ご苦労さんだな。
「もう若くないな」
「あら? それは誰の事かしら?」
「お互い、もう30代だろ? 20代の体力は何処いったってなモンさ」
この仕事は体力勝負だ。 それをつくづく思い知らされた。
「実は、この一ヶ月若いのと一緒に居たんだが・・・」
「・・・」
「アイツら、化け物じみた体力をしてるな」
俺の頬に思わず苦笑が浮かぶ。
「一ヶ月間、俺と同じ生活してた上に、雑用全般全部やってたのに、何でもない顔をしてるんだ。 ・・・それに引き替え、俺の有様はなんだ?」
「そう言えば、凄い顔をしているわね」
「毎朝、洗面所の鏡の前で思ったものさ。 ・・・誰だ、お前ってな」
原因は、多分、心労。 だからこそ、俺だけが奇妙にやつれて見えたのだろうが。
「それは、単に貴方が衰えたのではなくって?」
「かもな」
安堵感からか、互いに軽口が止まらない。
赤木も笑っているな。 ここ数日の激務が原因か、少しばかり疲れてはいるようだが。 ・・・もしかすると、ようやく俺は一段落つけたのかも知れない。
「じゃあ、そろそろ行くか」
「シンジくん、まだ眠ってるわよ?」
「彼には悪いが、そろそろ起きてもらわないとな」
「なぜ? そんなに急ぐ用事なんてあったかしら?」
「どうせ葛城は、掃除なんてしていないだろうからな。 俺も手伝ってやろうかと思ってな」
その言葉に苦笑を浮かべている赤木に背を向けると、俺は、部屋の出口へと向かう。
「・・・頼んでおいた物は?」
「アレなら、もうミサトに渡してあるわ」
「そうか」
そんな短いやりとりの後。
「・・・頑張ってね」
「ああ」
俺は、赤木の励ましに頬を歪めながら、扉を潜った。
しかし、なんだな。
「しんちゃーん!」
「ミ、ミサトさん・・・恥ずかしいですよ」
こう・・・結構、クルものがあるな。
「だって、あれから一回も会っちゃ駄目って命令されてたのよ? もう、心配で、心配で・・・」
「で、でも・・・加持さんだって居るのに・・・」
「いいの、いいの。 あんなの放っておいても全然、オッケーよ〜ん」
「うわ!」
一応、ここは、発令所なんだがな。
「嬉しいのは分かるが、少しばかりはしゃぎ過ぎではないかね?」
「かまわん。 今は非常時ではない」
「・・・シンジくんに拘りすぎだな」
ううう・・・周りの・・・特に司令の目が痛いぞ。
「処置、済んだのよね?」
「え? あ、ああ」
葛城・・・シンジくんを殺す気か? 抱きしめるのは良いが、そのままだと窒息するぞ?
「じゃあ、レイとも会わせてあげて良いのね?」
「多分な」
「多分って・・・何よ、それ? 処置っていうのが済んで、もう心配ないんでしょ?」
「人間のやることだからな。 何にせよ100%はないさ。 せいぜい、99.89%って所か」
まあ、問題ないだろうとは思うんだがな。
「それって、100%と同じじゃない」
「かもな」
ところで・・・。
「葛城」
「な、なによ?」
お前こそ何だ? 急に狼狽なんかして。
「シンジくんの事だ」
「・・・そうね。 今後の事もあるし・・・」
何か勘違いされているような気がするな。
「いや、そうじゃなくてだな」
「へ? 真面目な話しじゃないの?」
「いや、緊急といえば、緊急の話だ」
「なに? 大事な事?」
「あ、ああ」
そんなに腕に力を入れると・・・あっ。
「・・・遅かったか」
「へ?」
「葛城、下、見てみろ」
「下って・・・キャー! シンちゃん、しっかりしてぇ!」
胸の谷間で窒息死か。
・・・まあ、男としては悪い死に方じゃないだろうな。 もっとも、そう簡単に死んで貰っては、こちらとしては困るんだが。
「・・・司令。 よろしいですね?」
「ああ」
俺は、事前に話しを通しておいた通り、葛城とシンジくんを伴ってネルフを出た。
それは車中でのこと。
「あのさ・・・加持?」
「なんだ?」
「明日、シンちゃんの全快パーティーやろうって思ってたんだけど、アンタも来るわよね?」
明日か。 ・・・そうだな、それも良いか。
「・・・そうか。 俺も参加させて貰おうかな」
「そうこなくちゃね」
「だがな」
そう俺は、ハンドルを握る葛城へと視線を向けて。
「とりあえず、今日は掃除だな。 どうせ、掃除なんてしてなかったんだろ?」
「うっ」
急に黙り込んだ葛城に、俺は不審げな目を向けた。
「・・・どうした?」
「い、いやぁ・・・その・・・」
「なんだ?」
「その・・・掃除なんだけど・・・実は、もう終わってたりするのよね〜」
「フッ。 ・・・冗談だろ?」
取り合わない俺に、葛城は言いにくそうに答えた。
「その・・・ちょっとの間なんだけど、入院してたじゃない。 その間に、日向君がお見舞いに来てくれてね」
日向・・・ああ、あのオペレータのメガネくんか。
「あのメガネくん、入院してたんじゃないのか?」
「傷自体は大した事なかったんだって。 それでね・・・」
シンジくんの前では、あまり、その話題には触れたくないんだがな・・・。
「自宅療養の間なんかも、何回かお見舞いに来てくれんだけど・・・」
・・・ほう。 つまり。
「それで、その後は、足げくお前の家に来てるってことか」
「うっ・・・そ、その・・・3回だけよ」
「三回か。 一ヶ月で三回って事は、ほぼ毎週って事だな?」
「・・・ゴ、ゴメン」
何を謝っているのやら。
「そうか。 ようやく貰い手が見つかったんだな」
「・・・」
「おめでとうって言わせて貰うよ」
「・・・うっ」
「お前も来年には30だろ? 実は少し心配してたんだ」
「・・・ううっ」
「結婚するのなら、披露宴には呼んでくれよな」
「・・・あううっ」
そんなおかしな空気に、後部座席のシンジくんが黙っていないはずもない。
「あの・・・加持さん」
「ん? なんだい?」
「その・・・何て言ったらいいか分からないんですけど」
「教えただろ? そういう時には、自分が一番伝えたい言葉を言えばいいんだ」
なにせ、一ヶ月間、常に一緒だったからな。 色々と話しをしたんだが・・・。
「ミサトさんを許してあげてください」
フッ。 ・・・君は、本当にお人好しっていうか・・・優しいヤツだな。 まあ、それでこそ、シンジくんってなモンだが。
「許すもなにも・・・怒ってなんていないさ」
呆れてるけどな。
「・・・怒ってるじゃない」
聞こえてるぞ、葛城。
「何か言ったか?」
「ぶぇっつにぃいぃ。 ・・・飛ばすから、つかまってなさいよぉ!」
ギャギャギャギャギャギャ!
タイヤの盛大なスリップ音の中。
「なによ、なによ・・・ちょっとだけ寂しかっただけじゃない。 だいたい、なんで電話もしちゃ駄目なのよ。 レイからは、毎日毎日、シンちゃんの居場所を聞かれるし、怖い目で睨んでくるし、リツコは何も教えてくれないし、マヤはマヤで姿を見せないし・・・何も知らされてなかった私に、どうしろってのよ。 それに加持も加持よ。 あれだけ私にハッパかけといて、戦闘が終わったらシンちゃん連れて帰ったっていうし、それからは全然音沙汰ないし・・・死んだじゃないかって心配してたのよ? そんなの、私、馬鹿みたいじゃない・・・日向くんだって、加持とシンちゃんの居場所探ってもらってただけなのにぃ・・・ちょっと掃除してもらっただけない・・・それなのにぃい・・・なんで、ここまでいぢめられなくちゃいけないのよぉおぉ・・・」
グルングルンまわる視界の中。 葛城の泣き言だけは、やけにはっきり聞こえた。
「・・・加持さんが悪いと思います」
「だな」
確かに・・・いぢめ過ぎたかな、こりゃ。
── TO BE CONTINUED...