アスカを訪ねて三千里

第4話「希望……そして絶望


出羽さんの家に引き取られてからもう二ヶ月……

もっぱら毎日命令された課題のデッサンを描いて過ごしている。
まだキャンバスに向かって絵を描く事は許されていない……
まずはデッサン力を高めろとの言葉に従ってるんだけど……

家事全般やってくれてるカヲル君に悪いけど、今の僕には絵を描く事しか出来ないんだ。

巧く描けた時は誉めてくれるけど、出羽さんの意図から外れてると叱られるんだ……
でも、こうして絵を描く事は嫌いじゃ無い……だからひたすら今は描くだけだ……
だけど、時には課題以外の絵も描いてみたくもなるけどね……

中学校はもう事実上 義務教育じゃ無くなってるから、学校には通っていない……
けど、検定を受ければ高校を受験する事も出来るそうだから、勉強もしないとね……

「ん……」

「あっカヲル君 どうしたの?」 カヲル君が、机の上の白地の紙に向かってデッサンし
ている僕の肩を軽く叩いたので、僕は振り向いた。

「んん……」 カヲル君は出羽さんの部屋の方を指差して唸った。

「出羽さんが呼んでるんだね わかったよ」
僕は鉛筆を置いて出羽さんの部屋に向かった。

とは言っても広い邸内だから、出羽さんの部屋に辿りつくには5分程かかっていた。

僕はドアをノックして返事を確認してから部屋に入った。

「シンジです 何か御用でしょうか」
室内には香水の匂いが充満していた。
僕はこの匂いが苦手で10分もいたら苦しくなって来るんだ……

「今日の課題は出来たのか?」
「はい どうぞ」 僕は出来たばかりの今日の課題を手渡した。

「少しは形になって来たようだな……来月の頭に開催する私の派の新人賞
に応募してみろ……テーマは何でもいい」
そう言って、出羽さんは僕に白いキャンバスを手渡した。

「は、ハイ! 頑張ります!」
僕は自分を認めて貰えた事も嬉しかったが、何を描いてもいいと言うのも嬉しかった。

出羽さんの部屋を出て、僕は飛び跳ねるかのようにして自室に戻った。

「何を描こうかなぁ……何を描いてもいいって言われたんだし……やっぱりアスカの絵に
しようかなぁ…… アスカ 今何をしてるのかな」
僕はキャンバスに向かいながらも、心はアスカの元にあった。


そして、紙に下書きを初め、構図を決めかねていたが、夕食の時間になったので、
中断せざるを得なかった。

夕食とは言っても、出羽さんは自分の部屋で絵を描いていて煮詰まった時に食べる程度な
ので、出羽さんの部屋にサンドイッチのようなものを置くだけだ。

「うん 美味しいよカヲル君」
僕はカヲル君が作ってくれたシチューを一口飲んで、感想を述べた。

カヲル君は少し満足気に微笑んで、シチューを口に運んだ。

僕はカヲル君と二人きりの食事を終え、シチュー皿を台所に持って行って洗いはじめた。

「んんっ……」カヲル君の吃音と共に腕が伸びて来て、カヲル君は僕の手からシチュー皿を
奪って、手早に洗いはじめた。

「カヲル君? どうかしたの?」
だが、問いかけてもカヲル君は振り返ってはくれなかった。

「どうしたのかな……」 僕は歯を磨き終えて、風呂の準備をする事にした。

ところが……お湯を抜いてバスタブを洗っていると……

「んっんっ!」 カヲル君が入って来るなり凄い形相で僕の手からスポンジを奪い取った。

「カヲル君 一体どうしたのさ! 今日はちょっと変だよ カヲル君」

「…………」 だが、カヲル君は僕に背を向けてバスタブを洗い続けていた。


不可解なカヲル君の態度に僕は少し驚いてしまい、早いが今日はもう寝る事にした。

「最近のカヲル君 なんだかおかしい……言おうとしてる事が解らない事も増えたし……」
僕は寝間着に着替えて、ベッドの上で横になったまま考え事をしていた。


「ん……まだ二時か……早く寝過ぎちゃったから目がさめちゃった……」
僕は眼を擦りながら時計を見た。

「うわ……汗がびっしょりだ……お風呂にでも入るかな……」
僕はのそのそと起き上がって、着替えのシャツとパンツを手に部屋を出た。


「このお屋敷……夜歩くのはちょっと恐いよね……」
僕は僅かな月の明かりを頼りに風呂場に向かっていた。

「あれ……扉が開いてる……」
カヲル君の部屋の扉がどこからともなく吹いて来る風に揺られていた。

「閉めといてあげようかな」 僕はドアノブを手に中を覗きこんだ。

「こんな時間にいないなんて、どうしたんだろ……カヲル君もお風呂かな?」

僕はドアを閉めて風呂場に向かった。
だが、カヲルの姿はどこにも無く、僕は不審に思いながら部屋に戻った。
僕が風呂から戻るとすでに寝ていたので、僕は安心して寝床についた。


そして、二週間の月日が流れた。


「出来た……結果はどうなるか解らないけど……どうなっても悔いは無いよ」
僕は描きあげたアスカの絵を見ながら呟いた。

これまで油絵なんか描いた事が無かったから、最初は戸惑ったけど、
出羽さんに貸して貰った本を読んで、なんとか形になったような気がする。
形になったと言うだけで絵の出来の方は……精進あるのみかな

出羽さんに見せると一瞬顔をしかめたが、何とか受けとって貰えた。

そして、出羽さんが主宰している芽卯苧(めうお)会と言う画家の派閥の発表会が近づき、
他の画家の人が多数訪れて、出羽さんはもとより僕たちも雑用で手一杯になっていった。

発表会を目前に控えた そんなある日……

「何ですって? ホールの予約をキャンセルしたいですって?」
出羽さんの部屋の近くで掃除をしていたので、僕は出羽さんの電話の会話を聞く事が出来た

「どうするんですか もう招待状は郵送しているんですよ!
絨毯の損傷で張り替え? 今からなら間に合うでしょうが……
何?オーナーが変わった? そんな事こっちには関係無いじゃ無いですか
オーナーが観月? そうかそういう事か だが違約金は振り込んで貰うからな」
受話器が叩きつけらて、盛大な音が周りに鳴り響いた。
「出羽さん どうするんですか?」
芽卯苧(めうお)会の幹事の一人で今日訪れていた人の声が聞こえて来た……
「この様子じゃ他のホテルにも手を回してやがるな……
また差し出せってのか……肥えたブタめが!」
出羽さんの怒鳴り声はさっきより大きくなっていた。

「おい カヲルかシンジ いないのか?」
僕が足音を出さないようにその場を離れようとした瞬間、出羽さんの叫び声が響いた。

「は、はいっ!」 僕は反射的に答えてしまっていた。


「今からこの封書をとある処に届けて貰う その家の前まで彼が車に乗せていってくれる
そうだ……帰りは 歩くなり走るなり好きにしろ 道は覚えておけよ」

「誰に渡したらいいんですか?」僕はずしりと思い封書を手渡された。

「この街のオフィサーなんだが……見れば分かる肥えたブタ野郎だ
その封書は”ご主人様に直接渡すように言われた”と言えば案内してくれる筈だ」

「それじゃ行こうか」 来ていた会の幹事の人が立ち上がって言った。

「俺を失望……させるなよ」 部屋を出ようとした時、出羽さんからかけられた言葉は
僕を振るえあがらせるのに充分であった。
この封書にはきっと沢山のお金が入っているんだろう……

「先生はああ言ったけど、そんなにびくびくする事無いよ……
僕も昔 先生の弟子だった頃はこうやって行かされたものだよ」
幹事の人は 僕を哀れむような目つきで見て言った。


市内を20分ぐらい走り、500坪もあろうかと言う巨大な屋敷の門の前で僕は降り立った
なんとか道順を覚えたので、帰り着く事は出来るだろう……


「あの 出羽さんの使いの者です」
僕はドアホンに向かって少し緊張しながら喋った。

「聞いております、横の通用門を開けますので、そちらから入って下さい」
一方的に回線が切られた直後には通用門のロックがはずれた音が聞こえて来た。

僕は少しおどおどしながら通用門から中に入っていった。
少し歩くと僕と同年代の少年が迎えに来てくれたので、僕は彼の後をついていった。

5分程迷路のように入り組んだ通路を通り、僕はようやくこの家の主人のいる部屋の
手前にまで通された。

「御主人様は中でお待ちです どうぞ」 そういって僕を案内してくれた少年は姿を消した

「失礼します」 僕は一言告げて部屋に入った。
部屋の中は悪趣味の嵐とでも言おうか、ふすまの金箔は普通としても
手元に置いている湯のみは純金 そして前世紀の有名な前衛画家の作のモニュメントが
純金で作られ、部屋の四隅に立てられていた。

僕が部屋の中の様子に呆れて見とれていると、かなり太った色白の男性が口を開いた。

「ふ カヲルとやらを差し出すと思ったが 新入りか……まぁ悪くは無いの」
そう言って僕ににじり寄って来たので、僕は寒気を感じた。

「主人から聞いておろう ほれ、側に寄らんか」

「は……はい これが主人からの……」 僕は封書を手渡したが、太った色白の男性
は見向きもせずに放り出し、僕の首筋に腕を回して来た。

「どうやら、まだ手を付けられて無かったようだな……よしよし」
僕の反応を見て、嬉しそうににやっと笑みを浮かべた。

指が僕の服にかかった、次の瞬間には僕はようやく全てを悟った。

「嫌だ……やめて下さいっ」 僕はなんとか腕から逃れる事が出来た。

「なんだ 言い含められて無いのか……帰っても良いが、主人が困る事になるぞ」
そう言って太った色白の男性は僕が持って来た封書をひっくり返した。
封書から出てきたのは想像していた札束では無く、反故紙の束であった。

「わかっただろう? 奴はおまえを差し出したのだ おまえが貢ぎ物と言う訳だ
発表会をやりたければ、私の意向に添わねばならん……」
そう言いながら僕の服を脱がし始めた……

「僕は絵の勉強をする為に孤児院から出てきたんだ! 男娼になる為じゃ無いっ」
僕は太った色白の男性から身体を離して言った。

僕は扉に手をかけた。

「お前の主人も、昔は私に抱かれに来たんだぞ……
いくらいい絵を描こうが、発表する機会が無くば、大成する筈が無かろうが」

僕は一瞬逡巡したが、逃げる事にした。
これまで案内されて来た道のりを逆に走って入り口を目指した。

誰も咎めなかったので、僕は屋敷の外に出る事が出来た。

「だけど……もう出羽さんの処には帰れないなぁ……
カヲル君に頼んで荷物だけでも渡して貰おうか……」

僕は車で来た道順を逆に辿って家に帰り始めた

だが、帰り着いた頃にはすっかり暗くなってしまっていた。

僕はそろりそろりと門に近づいていった。

「どうだったの?シンジ君」
「ひっ!」 いきなり柵の向こうからカヲル君に話しかけられて僕は驚いた。
カヲル君は吃音しか出せないと思っていたからでもある

「先生には悪い事をしたと思うけど……逃げ出して来たんだ……」
そういえば、カヲル君の事を話していたから、カヲル君も……

「多分そうだと思ったよ……けど 僕にはその方が都合がいいんだ」

「どうして?」

「僕は君みたいに絵を描きつづけて来た訳じゃ無いから、まだ君みたいには書けない
練習を続けていつかは絵描きになるつもりだけど……君がいれば僕はいらなくなるんだ
だから……僕は絵描きになる為、あの太った人にも先生にも…………
一年ぐらい前から声変わりが始まって、何とか喋れるようになったんだ
だけど……喋る事が出来ても……僕はあんな時止めてなんて言えない……
だから喋れないままでいいんだ」 カヲル君は切々と話しはじめた。

「僕がいちゃ君の迷惑になるんじゃ無いかって気持ちは前からあったんだ……
率直に言って貰えて……良かったよ」 僕はカヲル君の手を取って言った。

「シンジ君は……こんな僕を許してくれるの?」
カヲル君は後ろめたそうな目つきで僕を見て言った。

「許すも何も……僕たちは友達じゃ無いか……僕は僕の道を行く
カヲル君はカヲル君の道を行く ただそれだけさ……」

「シンジ君……シンジ君……」
カヲル君は昔孤児院にいた時のような顔で僕に縋り付いて泣いた。

「最後にお願いがあるんだ……僕の荷物を持って来てくれないかな
あれには大事な物が入ってるんだ……」 ようやく泣きやんだカヲル君に僕は頼みこんだ

「それならもう用意してるよ」 カヲル君は僕の荷物を持ちあげて、柵ごしに渡してくれた。

「それじゃ……元気でね だけど……絵描きとして一人前になったらこの街は出た方がいい
いつか……また一緒に絵を描こうね」
僕はカヲル君に別れを告げた。

「先生に迷惑かける訳にいかないから、今から僕が行って来るよ 忠告……ありがとう」
カヲル君は門から出てきて言った。


僕はようやく得たかに見えた安住の地を捨ててしまった……
だが、安住の地とは他人に与えられるようなものでは無い……
自分で作らないといけないんだ!

これから先の事は……何一つ分からない……
アスカを……いつか迎えに行くと言う事以外は……

僕は心の中で出羽さんとカヲル君に別れを告げて歩きはじめた。




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どうもありがとうございました!


第4話 終わり

第5話 に続く!


マナ:尾崎さん、欠番だった4話の投稿ありがとうございました。

アスカ:なんてやつっ! なんてやつっ! なんてやつっ!

マナ:ちょっとっ、気持ちはわかるけど、いきなり興奮しないでよっ!

アスカ:許せないわっ! シンジを何だと思ってるのよっ!

マナ:欠番になっちゃう理由もわかるわねぇ。

アスカ:でも、これからシンジにとって辛い旅が始まるのよねぇ。

マナ:でも、その道を選んだのは、シンジの強さよ。

アスカ:そうね。やっぱり、アタシのシンジだわ。

マナ:はいはい。

アスカ:シンジに比べると、アタシは幸せ者よねぇ。

マナ:まぁ、それだけでもわかったらたいしたもんだわ。

アスカ:どういう意味よっ。

マナ:それだけ、シンジは強いってことよ。
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