アタシはファーストクラスの広いシートに身を埋めると一息ついた。
「ふぅ〜」
最後の戦い以来続いてきた激務、UNから受けた尋問...ようやく開放されたとたんの祖国への帰国。毎日が目の回るような忙しさだった。でも自分でもそれで良いかと思っていた。忙しいほど気分を紛らわすことが出来るから。そうでもしないと叫び出してしまいそうな自分がいやだった。だからドイツへの召喚についても二つ返事で引き受けた。誰かが行かなければいけないこと...別にアタシでなければいけない理由はない。でもアタシしか居ないことも確かだった。
「まったく気がきかないったらありゃしない」
アタシはキャビンアテンダントの持ってきたオレンジジュースを口に含むと、そう一人呟いた。
「お酒でも飲まなきゃ間が持たないじゃない」
いくら文句を言ったところで、あのお堅いチーフパーサーがアタシにお酒を出してくれるはずのないことは分かっている。何もすることのないアタシは、頬杖をついてまだ動き出さない窓の外をぼんやりと眺めていた。
この飛行機が動き出してしまえば...いやこのフライトに乗る前からもう後戻りの出来ないところに来ているのは分かっていた。今の自分の立場は世界で2人しか居ないエヴァのパイロット。弐号機、13号機を日本に集中させておくのを良しとしない国連の決定で弐号機はヨーロッパに配備される事となった。替わりのパイロットの補充がありえない今、日本には当分来る事はできないだろう...ひょっとしたら一生日本の地は踏めないかもしれない...
『一緒に来て...』
何度その言葉を口にしそうになったのだろう...でも結局その一言はあたしの口を衝いて出ることはなかった。だってアイツの側にはいつもあの子が寄り添っていたから...
アイツがあの子を置いて日本を離れる訳がない...それはアタシにも分かっていた。
「バカシンジ...」
アタシは二度と呼ぶことの出来ないかもしれないその名前をそっと呟いた。
アタシは、カヲルの乗る13号機に引っ張られるようにしてシンジの戦ったターミナルドグマへと降りていった。そこで見たものは暴走したATフィールドによって崩れた内壁、蒸発してしまったLCL。サードインパクトを寸前で止めたということを嫌でも実感する壮絶な状況だった。
アタシは弐号機のモニタで内部を見渡した。そこには十字架に磔にされたリリスも、槍を持って降りていった初号機の姿も見つけることは出来なかった。ましてやエントリープラグの痕跡などどこにもなかった。やはり奇跡は起きなかった...いやサードインパクトを防いだこと自体奇跡なのだ。ただ、そのための生け贄としてシンジが供されただけなのだと自分を納得させようとした。でも出来るはずがなかった。
アタシは弐号機の探査機能のすべてを初号機の残した痕跡を探す事に当てた。アイツが死ぬはずがない。これまでだって生き残って来たんだ...だからこれからだって。
「アスカ...」
ディスプレーの向こうには心配そうな顔をしたカヲルの姿がある。ありがとう心配してくれて...アタシは大丈夫よ。
瓦礫に潰されているかもしれない...そう思うと作業は勢い慎重なものになる。そのため作業は遅々として進まない。さっきからカヲルがアタシのことをちらちらと盗み見ているのは知っている。
自分では冷静だと思っている...でも、カヲルから見たアタシはどうなんだろう...
とにかくアタシは一所懸命にシンジとレイの捜索をした。ディスプレーに映し出されるデータは絶望しか示さない。弐号機の計器は生物の痕跡を一切示さなかった。自分でも叫びだしたくなる気持ちを押さえアタシはただ目を皿のようにし、どんな小さな物も見落とさないように捜索を続けた。
リリスの居た十字架に近づくにつれ、アタシの中に何か予感にも似た者が膨れ上がって来るのを感じていた。相変わらず計器は何の反応も示さない。でもアタシの心に潜む期待は次第に広がって来た。そして気がついたときにはアタシはプラグをイジェクとし十字架へ向けて駆け出していた。通信機からはカヲルが何か言っているような気がしたがアタシの耳には何も入らなかった。
アタシは、戦いのフィードバックで痛む足を引き摺るようにして巨大な十字架の裏に回った。そしてそこに望んだものを見つけた。しかしそれと同時に自分の中の高揚した気持ちが急速にしぼんでいくのも感じていた。
アタシに追いついて来たカヲルは、倒れていた二人に駆け寄ると急いで呼吸と脈拍を確認していた。そしてプラグスーツに備え付けられた通信機を使い発令所と何か連絡を取っていた。
「二人とも無事だよ!アスカ...」
カヲルの声が遠くから響いてくるような気がした。その時のアタシの目には、しっかりと手をつないだシンジとレイの姿しか映っていなかった。二人の姿はお互いを二度と放すまいとしているように見えた...
見送りの人々が行き交う空港のロビーの喧騒も、アタシたちが居る特別室には届かなかった。
「寂しくなるね...アスカ」
ヒカリがアタシの手をしっかりと握ってそう言った。周りには鈴原、相田、ミサトや冬月さんが居た。後はオペレータの眼鏡をかけた人と髪の毛の長い人...ごめんね名前覚えていないや。それから加持さん。
「アスカ...」
カヲルが声を掛けてくる。アンタのいいたい事は分かる...でもアタシはそんな器用な女じゃない。シンジがだめだからって簡単に乗り換える真似なんかできっこない。だからゴメン...
アタシはカヲルに駆け寄るとその頬に軽くキスをした。これが今のアタシの精一杯。カヲルがアタシにしてくれた事を考えると胸が痛い。アタシは受け取る一方でカヲルに何も返していない...でもゴメン。やっぱり心の整理が出来ていない...
「ゴメン...カヲル」
アタシの口からはそんなつまらない言葉しか出てこない。それなのにカヲルは私に向かって微笑んでくれる。やっぱりアンタは良い男よ、せめてシンジより先に出会えていたら...
「それにしても、シンジはどないしたんや。
惣流の見送りにもこんと...」
鈴原の何気なく言った言葉がアタシの胸に刺さる。確かにアタシはアイツに絶対来るなと言った。それでもここでアイツがここに居ない事を残念に思っている気持ちもある。自分から来るなと言ったくせになんて勝手な...
「アタシが...
アタシが絶対来るなって言ったから...」
「ほっか...」
みんなが下を向いて肩を震わせている。湿っぽい別れなんてやだな...アタシはこの時みんなが別れを悲しんでいるものと思っていた。
出発案内が機内搭乗を告げるアナウンスをしている。もう行かなくちゃ...
見送りのところで加持さんとミサトが向こうを向いて蹲っているのが見える...アタシとの別れを悲しんでいてくれるんだ...カメラを構えた相田の肩が震えているのも分かった。
さようならみんな...ありがとう。
飛行機が水平飛行に移りシートベルト着用のサインが消える、もうずいぶんと日本から離れてしまった。さようならアタシの第二の故郷...さようならアタシの一番大好きな人...
もうこんな激しい恋はできないだろうな...アタシはその時そう思った。バカシンジアンタのせいよ...その言葉がアタシの口を衝いて出た。
「ゴメン」
その時アタシの後ろの座席から聞きなれた声が聞こえて来た。思わずアタシは後ろの座席に座っている人を覗き込んだ。そこにはとぼけた顔をしてシンジが座っていた。アタシは自分が冷静で無くなってくるのを感じていた。
「ア、アンタどうしてここに...」
アタシにしては馬鹿な質問。加持さんやミサトが手配したに決まっている。搭乗するエヴァがないとは言え、シンジはチルドレンだ。そんなに簡単に国外へ出て行けるわけがない。ひょっとして...
アタシはニコニコしているシンジに思いっきり不機嫌な顔をして尋ねた。
「みんなこの事知っていたの」
シンジはアタシの質問に笑顔で答えてくれた。
「うん、加持さんが手配してくれたんだ。
委員長たちもずっと前から知っているよ...」
ひょっとしてみんなに担がれた...アタシは瞬間に頭に血が上った。
「こんちくしょーーー
みんなして、みんなしてアタシを担いでいたんだーーー」
アタシは手元にあった枕を踏み潰した。何度も何度も...怒りまくっているアタシをシンジは優しい笑みを浮かべた顔で見つめていたが、しょうがないとばかりに一つ溜め息を吐くとアタシを抱きしめた。その時アタシは唇にやわらかな感触を感じた。
その瞬間何が起こっているのかアタシは分からなかった。あんなに怒っていた怒りもどこかへ飛んでいってしまった。
「おわびのしるし」
シンジは顔を赤くしてそう言った。照れなきゃ格好いいのにね。でもそんなシンジだからアタシが好きになったのか...
シンジが一緒に来てくれる...アタシが一番望んでいた事。でも一つだけある気がかり...
「シンジが来てくれたのは嬉しいんだけど...
レイはどうするの」
綾波レイ。ファーストチルドレン。シンジを頼りにこの世界へと戻って来た少女。彼女からシンジを引き離すなんてアタシにはできなかった...なのになぜ...
「綾波がね、行けって言ってくれたんだ。
邪魔だからとっととドイツでもどこへでも行けってね。
それに綾波なら大丈夫...みんながついているから。
それとも迷惑だった?」
アタシはもうシンジの顔を見ていられなかった。アタシはそっぽを向くと早口で捲し立てた。
「迷惑も迷惑よ。
ドイツ語も喋れないやつが一人でひょこひょこと来ちゃって...
アタシがずっとついていてあげなくちゃいけないじゃない...
大迷惑よ」
「そうかなー
通訳ぐらい用意してくれるって言っていたけど」
「バカね。アンタみたいな愚図なやつは他人に迷惑を掛けるじゃない。
だからアタシがその迷惑を全部被ってやるって言ってるの。ずーっとね」
シンジの事を他人に任せられるもんですか。いやって言っても放してあげないんだから。アタシはこの時そう決心した。そして思った...つまらないはずのドイツも楽しいものになるかもしれない...こいつと一緒なら....
アタシはシンジの手を取るとアタシの隣の席に座らせた。そしてそのままその手をぎゅっと握り締めた、もう二度と離れないように...
中昭のコメント
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