−帰らざる日々−
 
 

こんなきれいな月の夜にはあたしは部屋の明かりを全部消して、月の明かりを楽しむ。1杯のウィスキーのオンザロックとともに。それはあたしの神聖な儀式...氷は大きなかけらから削り出したグラスいっぱいの丸氷、グラスはバカラのクリスタル、細かな模様のないシンプルなカット...そしてウィスキーはあいつの残してくれたもの。

「鈴原のやつずいぶんと飲んでったわね...
 これで最後じゃない...」

あたしは空になったボトルを見つめる。

「でも良かった、これ以上我慢できそうもないから...」

あたしはグラスを月にかざした...解けていく氷の作り出す模様に月の光が当たってとてもきれい...あたしはそれに少し口をつけウィスキーの感触を口の中一杯で楽しんだ。

「こんな事ならあいつに付き合ってあげれば良かった...」

しかしそれはもうかなわない願い...

あたしはさっきまで遊びに来てくれていた友達の顔を思い出した。

「ヒカリはひょっとして気づいているのかな?
 だから心配して遊びにくるのかな...
 でも大丈夫だよねあの子には鈴原がいるから。
 相田...ありがとう心配してくれて、あなたの気持ちはうれしいわ
 もし、シンジと出会ってなければあんたのこと好きになってたかもね
 ごめんね、みんな...」

あたしは、引き出しから白い錠剤を取り出した。大学の薬局から持ち出した特別製の薬。これさえ飲み干せばあたしもシンジのところへ行ける...

あたしはもう一口ウィスキーを口に含むと月を見上げた。

「月を見るとファーストのことを思い出すって言ってたな...
 あいつファーストのところにいるのかな...
 ねえ、あたしもそっちに行ってもいいよね、
 もう、一人は...ううん、シンジがいないのは耐えられないの
 あんたとも仲良くするからさ、あたしも仲間に入れてくれるよね」

もう一口ウィスキーを口に含む、グラスの残りもあとわずか...あたしが飲んでいるのはウィスキーと言う名の命の雫...この雫を飲み干したときあたしは...
 
 

***
 
 

「チェロにはねオンザロックが似合うんだよ」

二人で月を見ているときに唐突に言われたあいつの言葉。あたしは急に何を言い出すのかと思った。

「ほら見てごらん、こうして作ったグラス一杯の丸い氷と、ウィスキー、そして月の光が作り出す光の芸術...そしてほらね、ボクのチェロの演奏...似合うだろ」

そう言ってあいつはチェロを奏でた。サンサーンスの「白鳥」を、あいつらしいやさしい曲...そして曲が終わるとウィスキーを口に含んだ...ここでむせなきゃかっこいいのに。

「あんたお酒駄目なんでしょ...何をかっこつけてんの」

あいつは息を整えながら言った。

「このお酒は特別なんだ...
 この前ミサトさんの荷物を整理してたら出てきたんだよ。
 ミサトさん、このお酒を大切に飲んでいたんだ...
 何かうれしいことがあったときには必ず飲んでいた...一杯だけだったけど
 だからボクもこんなきれいな月の日にはチェロを弾きながら飲むことにしたんだ。
 アスカもどう?一緒に飲むかい」

「遠慮しておくわ、あたしはお酒が飲めないしね」

「そう」と言ってシンジは少しさびしそうに月を眺めた。月を見ているときのシンジはいつもさびしそうな顔をする。ファーストのことを考えているのかな、あたしの胸に少し痛みが走る。

「シンジ、あんたファーストのことを思い出しているの?」

あたしはシンジに聞いてみた。

「ん、何?」

「レイのことを思い出してるのかって聞いたのよ」

シンジはあたしに優しい笑顔を返してくれた。

「ああ、こんなきれいな月を見ると綾波のことを思い出すんだ。
 アスカが日本にくる前にあった作戦で綾波と二人で月を見上げたことがあってね
 その時はもうこれで最後かもしれないと思っていた...
 結局その作戦は成功したんだけどね。
 それからかな...どうしても綾波と月が結びつくんだ
 綾波の持っていた儚げな雰囲気、それが月にあっていたんだね。
 そして考えるんだ、いったい綾波ってボクにとってなんだったんだろうって...
 アスカはボクにとっては気になる女の子...恋愛の対象になりうる娘
 でも、綾波は違った...
 ボクの母さんのクローンだという話なんだけどそれだけじゃない気もする。
 まあ、いなくなってしまった今では確かめようもないんだけどね」

そう言ってまた一口ウィスキーを口にした。
 
 

***
 
 

あたしはサードインパクトの混乱が収まった後ドイツに帰った。別にここにとどまる必要もなかったし、何よりもその頃に日本はあたしにとって居心地が悪かった。それに日本にいてもすることがなかった。だからあたしは大学に戻るため帰国した。

そこでの日々は充実していた、研究は楽しかったし、新しい友達もたくさんできた。そしてつくづく以前のあたしは子供だってことを思い知らされた。だって向こうはちっとも変わってないのにあたしが変わるだけでこんなにも居心地が良くなるのだから。

ボーイフレンドもたくさんできた、そして恋人と呼べる人も何人かできた。なぜか長続きしなかったけれど。

「アスカは何を求めているんだい」

ベッドの中での男達の言葉、そして別れの言葉。最初は何を言われているのかわからなかった、でも何人かの男に言われているうちに気がついた...あたしの胸の中に秘めていた想いを...だからあたしは知り合いに頼んで再び日本へ行けるよう手配をした。シンジに会うために。後から知ったことだけどシンジも同じ想いだったようだ...ただあたしの方が少し行動が早かった。

あたし達は再び一緒に暮ら始めた...
 
 

***
 
 

「ねえ、シンジ...
 ねえってば、買い物に行くんだから付き合ってよ」

結婚式を一週間後に控えあたしはシンジを街に連れ出した。街を歩くあたし達二人は目立った。あたしを見つめる男達の視線も気にはならなかった。女の子の視線は少し気になったけど。

そんなあたし達に一人の女性が声をかけてきた。

「あのー、ちょっと」

あたしとシンジは一緒に振り返った...そして思いがけないことが起こった。振り返ったシンジの胸にナイフが...即死だった。あたし達の幸せは突然終わりを告げた。

「人違いってなによ、そんな理由でシンジは死ななくちゃいけなかったの?
 シンジは命懸けの戦いに生き残って来たのよ。
 人に恨まれるようなことなんてしていない...
 それなのになんで...」

警察で聞かされた犯行動機は到底納得のいくものでなかった。もっともどんな理由をつけられたって納得などできるわけはないけど...

あたしの心はその時に死んだ...
 

***
 

あたしの手の中のグラスにもウィスキーは残りあとわずか。このウィスキーがなくなったときあたしの命も終わるとき。

「自殺をすると、シンジとは同じとこには行けないって言われているけど...
 大丈夫よね...あたし達あんなに頑張ってきたんだから。
 もし神様がいるんだったら許してくれるよね...
 あたし、きれいなうちにシンジに会いたいの...
 ほかに何も望まない...
 だから...」

あたしはグラスに残っていた最後の液体とともに白い錠剤を飲み込んだ。
だんだんと薄れていく意識の中誰かが隣に立っているのに気がついた。

「ファースト...あたしを連れてってくれる?
 みんなのところへ」

ファーストはこくりとうなづいた。

「もういいの?」

あたしもうなづいた。

「ええ...」

電話が鳴ってる...でもその音も遠ざかっていくよう...死を迎えるのがこんなに安らかなんてね...あたしの人生の夕暮れ...穏やかな夕暮れ...

「おかえり、アスカ...」

「ただいまミサト」

「おかえりアスカ」

「ただいま加持さん」

「おかえり...そしてごめん」

「ただいまバカシンジ」

あたしは帰ってきたんだ...辛かったけど一番楽しかった14歳の日々に...
加持さんがいて、ミサトがいて、そしてシンジがいる世界に...

「ファーストありがとう」

それがあたしのもとに駆けつけたヒカリが聞いた最後の言葉だった。

あたしの顔は微笑んでいた...

-fin-
 


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中昭のコメント(感想として・・・)

  カウンター2万HIT記念作品。トータスさまからです。

  ちょっと悲しい展開ですが、これも一つの愛の形なのでしょうね。

  自分の中のシンジに気が付く事がなければ、アスカは生きていく事ができたのかな。
  乾いた心を抱いて、何人かの男性に抱かれて。そのうち優しくて鈍感な男性と結婚して。

  そのころにシンジが迎えに行っていたら。
  どんな風にアスカは答えるでしょうか。
  想像が勝手に膨らんでいきますね。

  アスカが笑顔を取り戻した事。とてもヨカッタです。



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