〜ル・フ・ラ・ン〜


第一話 離別

遠くに浮かぶ入道雲が暑い一日の始まりを約束しているような夏の日。まだ朝のラッシュの名残を残す駅のホームで二人は向かい合って立っていた。

シンジはミサトが持ってくれていたバッグを受け取ると、深々とお辞儀をし静かにミサトに別れを告げた。

「ミサトさん、本当にお世話になりました」

ミサトはじっとシンジを見つめた。母親似だろうか優しく整った顔。どう見てもその体で世界の命運を支えてきたとは思えない年齢にしては華奢な体。自分たちはこの少年に過酷な運命を押しつけてきたのだ。そしてその少年に何も報いていない自分が悲しくなった。

「シンジ君ごめんね。本当はみんなで見送りしなきゃいけないんだけど、
 まだNERVの方もごたごたしていてリツコもマヤも日向君もどうしても手が放せないし。
 副指令も政府との折衝でここにいない....
 あんなにがんばってくれたのに本当にごめんね」

シンジはミサトが心からシンジに対して詫びていることを感じた。シンジにはミサトに対して恨みはない。そして今のネルフが組織存続上大変な時期にあることもよく分かっていた。そんな中、エヴァのパイロットであった自分が拘束されることもなく、自由に行動できるように尽力をしてくれたミサトや冬月らに感謝もしていた。だからシンジは心からの笑顔を浮かべミサトに言った。

「僕が初めてここに来たとき迎えに来てくれたのもミサトさんでしたね。
 一人だった僕といっしょに住んでくれて、
 いろいろと僕を励まし、慰めてくれましたね。
 ミサトさんだけが僕とずっと一緒にいてくれたんですよ。
 ミサトさんがいてくれたからボクは耐えてこられたと思うんです。
 だからミサトさんに見送ってもらえるのが一番うれしいんです。
 本当にありがとうございます」

ミサトはシンジの言葉を聞くとじっとシンジの瞳を見つめ、そして意を決して何度目かのいや最後の説得を試みた。

「ううん、ありがとうを言うのは私の方よ。
 シンジ君には迷惑をかけっぱなしだったから。
 ねえ今からでも遅くないのよ、ここに残らない。
 ううん、いかないで欲しいの。
 住むところならいくらでもあるわ
 お金の心配だっていらないのよ。
 なにも孤児院に戻らなくたって...」

シンジはミサトの気持ちがうれしかった。できれば自分もここに残りたい。シンジはそう思っていた。しかしそうしてはいけないとシンジ自分に言い聞かせていた。それはシンジと同じ、いやシンジ以上に傷つき、今もその心の傷を癒せないでいる赤い髪をした少女にとって自分の存在は邪魔になると思っていたから。そしてシンジの心も彼女が自分に対して向ける敵意にもう耐えられないと感じていたから。シンジ自身も大きく傷ついていた。

「いえ、いいんです。これは自分で決めたことですから。
 父さんのこと、母さんのこと、将来のことをゆっくりと考えてみようと思うんです。」

「それにやっぱりここには悲しい思い出が多すぎるから...」

ミサトはシンジの決心を変えることをできないことを理解した。そしてシンジと離れたくないと思う一方、できることならシンジにはネルフと関係のないところで生きてほしいと考えている自分がいることにも気づいた。これで良いんだ。この方がシンジ君は幸せになれるんだ。そう思うことであきらめようとミサトは思った。

「そう....やっぱり引き留めるのは無理なのね。
 でもこれだけは覚えておいてね。
 たとえ離ればなれになってもシンジ君は私の大切な家族よ。
 もし帰って来たくなったら遠慮なく帰ってきていいのよ。
 ううん、早く帰ってきて私待ってるから」

シンジは自分の事をまだ家族と言ってくれるミサトの言葉がうれしかった。

「.....ミサトさん、ありがとうございますミサトさん。
 そうですね、いつかわからないけど吹っ切れたら帰ってきますよ。」

そういったあとシンジはいたずらを思いついたようにミサトに言った。

「でもミサトさん、僕がいないんだからちゃんと家事をしないとだめですよ。
 ごみの山に埋まっているようじゃ結婚できませんよ。
 ミサトさんももう30でしょ、手後れにならないうちに考えないとだめですよ」

「だぁー、もう気にしてるんだから、歳のことは言わないの!
 でも貰い手の方は大丈夫よん、そん時はしんちゃんに貰ってもらうから。」

ミサトは暗くなった雰囲気を明るくしようとしているシンジの気持ちに答えるように軽く言葉を返した。

「謹んで遠慮させていただきます。
 この若さで人生を捨てたくないですから。
 もっとおとなしくて家庭的な人を探しますよ」

「しんちゃんも言うようになったわね」

お互いそう言い合うと、顔を見合わせ笑いあった。つかの間の楽しい時間だった。その楽しい時も長野行きのリニアの到着を告げるアナウンスがが終わりを告げた。ミサトは笑うのをやめ、シンジの顔をじっと見つめるとこう語りかけた。

「さようならは言わないわ、行ってらっしゃい、元気でね。」

シンジもミサトをじっと見つめた。

「...そうですね。じゃあ行って来ます。」

二人は右手を差しだし握手を交わした。しばらくじっと手を握りあったあと、ゆっくりと手を離すとシンジは「じゃあ」と言って後ろを振り返らずリニアに乗り込んでいった。空気音とともにリニアのドアがしまり、シンジを乗せたリニアは滑るように走り出し、やがてビルの間に隠れ見えなくなった。

「....本当に行っちゃったのね。」

リニアの走り去ったあとをしばらく見つめたあと、ミサトは小さくつぶやくと踵を返し改札を出た。停めてある車へと歩きながらミサトは最後まで見送りに現れなかったもう一人の家族のことを考えていた。落ち込んでいてはいけない自分にはもう一人護らなくちゃいけない家族が居るのだから。彼女もシンジと同じように傷ついているのだから。彼女のためにも落ち込んでいてはいけないのだと。

「さあてっと、お姫様のご機嫌でも伺ってきますかっ」

ミサトはその時待合室に赤い髪をした少女を見つけた。

『アスカ!』

ミサトは少し驚いた、彼女はここには来ないと思っていたから。

「アスカ、来たの?」

アスカは不意にミサトから声をかけられたことに少し驚いたようだったが、顔を上げるとすぐに返事をした。

「ミサトが落ち込んでいると思ってね。
 ミサト、どうせ今日暇なんでしょ?
 つき合ったげるからドライブでも行かない?」

ミサトはアスカの物言いに苦笑いを浮かべながらも、アスカの心遣いには感謝していた。だから素直にアスカの提案に乗ることにした。

「確かにこれから仕事をする気分でもないわね。
 仕事たまってんだけどな〜。
 まっ女同士じゃ色気もないけど、
 アスカともゆっくり話したいこともあるしお付き会いしましょうか」

「色気のないのはお互い様よ。
 まあアタシもミサトには話があるからちょうどいいわね。」

アスカはニッコリ笑ってそう言うとベンチから立ち上がりミサトと車の方に歩き出した。

ミサトはアスカの横を歩きながらアスカに行き先を尋ねた。

「どこ行く〜、アスカ」

アスカの元気な声が駐車場に響いた。

「芦ノ湖へいこ!ミサト」



シンジはリニアに乗り込むとホームとは反対側の席を確保し荷物を網棚に載せると窓側の席に腰をかけぼんやりと流れる景色を見ていた。

シンジは流れる景色を見ながら第三新東京市に来てからのことを思い返した。

父親に呼び出されてEVAに乗せられ使徒と戦ったこと。

葛城ミサトとの出会い、ままごとのような家族生活。でも初めての暖かい生活

綾波レイとの出会い、想い

渚カオルとの出会い、自分のことを好きだと行ってくれた存在。死

補完計画の発動・他人との融合

そしていつも心の中に住んでいた少女のことを思い浮かべた。

「ミサトさん、アスカのことは一言も言わなかったな...」

シンジは、それがミサトの優しさだということは分かっていた。

惣流・アスカ・ラングレー

碇シンジにもっとも近かった女性、そしてもっとも遠いところにいた女性。人類補完計画を頓挫させる鍵となった存在。シンジはアスカの存在を頼りに、他人と一体となって生きる世界ではなく、分離した個人として生きる世界を望んだ。

しかしシンジを待っていたのは冷たい拒絶、憎悪。

自分を見つめたアスカの瞳に自分はアスカにとって忌むべき存在であることに気づいてしまった。どれでも誰も病室に訪れることのないアスカのために、シンジは自分の心をすり減らすことを知りながら怪我と衰弱のため入院を余儀なくされたアスカを献身的に看護をした。回りからは恋人を献身的に看病しているように見えただろう。しかし看護した一日一日がシンジの心を蝕んでいった。



『シンジ君、どうしてここを出て行くの』

ミサトの問いかけだったろうか。

『すべて終わったから。もう一度やり直してみたいんです』

『ここじゃいけないの』

『ここには悲しい思い出が多すぎるから。
 まだそれを受け止められるほど強くないですから』

『これからどうするの?』

『先生のところに戻ろうかと思います...
 他に頼る人もいませんし。
 何をするあてもないけど、時間はあることだしゆっくりと考えてみます。
 この先とりあえずは進学しないことには話にならないので、
 勉強でもしてみようと思います。』

『そう...、そうするの...』


リニアは山並みを縫うように走り、もう第三新東京市は片隅にも見えなくなっていた。窓の外を走りすぎる景色を見ながらシンジは自分に言い聞かせるように小さくつぶやいた。

「さようなら...」

シンジの暑かった夏の日が終わった....



芦ノ湖を見渡せる駐車場に二人はいた。二人は湖岸に立てられた柵にもたれかかりしばらく黙って穏やかな湖面を見つめていた。おもむろにミサトはアスカに声をかけた。

「ねえ、アスカ。」

「...何よ」

「これからどうするの。ドイツに帰る?」

「...わかんない」

「アスカさえよかったらだけど、ここにいてくれる」

「...ありがとう、考えておくわ。

 ところでミサト」

「何?アスカ」

「アタシ...これからどうなるの?」

「どうにもならないわ。
 たぶん...ネルフは存続するし、エヴァも量産機があるわ。
 だからチルドレンも必要なの。
 もっともあなたがいやならネルフから離れて暮らすこともできるわよ。
 一応退職金も出るしね」

「そう...」

再び二人の間に会話が沈黙が訪れた。その沈黙を破ったのはミサトだった。

「シンジ君行っちゃったわね」

「....」

アスカは何もミサトの言葉の意味が分からず喋る事ができなかった。

「このまま別れて良かったの?」

「...もうすんだことよ」

アスカはぽつりとつぶやいた。そう終わったことだ。

「シンジ君はアスカのことが好きだったわ..
 あの世界を捨ててしまうほど。
 病院でだってあんなに一所懸命付き添っててくれてたしね。
 アスカだって...」

「別に何とも思っていないわ、あんな奴」

アスカはどうでも良いことのように言った。

ミサトはアスカの気持ちが知りたかった。たとえ知ったところで今更どうにもできないかもしれない。でもどうしても確かめなくておきたい。ひょっとしたらまだ自分に何かできることがあるかもしれい。まだ間に合うはずだ。二人が一緒にいたいという気持ちさえあればまだ間に合うはず。そんな気持ちがミサトを支配していた。

「でも...」

「もう終わったのよ」

「本当にいいの?」

「いいも何も、なんにもなかったんだから」

ミサトにはアスカの気持ちが読み取れなかった。だからミサトははっきりと聞いてみることにした。

「...シンジ君のことどう思ってるの」

予想された質問だったのだろうか、ミサトにはアスカの表情に変化を見つけることはできなかった。アスカはしばらく考えた後口を開いた。

「別に何とも思っていないわ...
 ううん、憎いと思っているわ」

ミサトは意外な答えにアスカの方に向き直った。

「憎い?どうして」

アスカは湖の方を向いたまま堰をきったようにしゃべり出した。

「憎いわよ。アイツはエヴァに乗れて私は乗れない
 アイツだけみんなに大切にされて...
 ミサトだって、加持さんだって...
 アタシのことなんか誰も見ていてくれなかった
 いなくなっても一週間も見向きもされなかったわ
 ママと私が白いエヴァに陵辱されているときも来なかった
 みんなアイツの所為だと思っていた...
 アタシのことを見てもいなかったくせに...
 ファーストがいなくなったらアタシにすがりついてきて...
 どうしてそんな奴のことを好きになれるの...
 憎いわよ...ええ、憎くてたまらないわよ」

ミサトは何も言うことはできなかった。

「アイツが病院にきたときアタシを笑いにきたと思ったわ
 結局何の役にも立たなかった私を笑いに...」

「シンジ君はそんなこと思っていなかったわ」

ミサトはアスカの言葉を否定した。

「そうね
 確かにアイツ...私以上にボロボロだった
 アイツがずっと心の中で涙を流し続けているのが分かったわ
 アタシといると辛いくせに
 拒絶されるのが、いらないと言われるのが怖いくせに
 それでも一人になるのがイヤだからアタシにすがりついて
 なんて気持ち悪い
 シンジがアタシのことを好き?
 ハン、いい迷惑よ」

「アスカ...」

「アタシがアイツのことを許していないことがわかったらさっさと逃げ出して
 何が悲しい思い出よ...
 みんな自分のせいじゃない。
 何よ自分だけが悲劇の主人公ぶっちゃって
 いなくなってせいせいしたわよあんなやつ」

「アスカ...」

「何よミサト!」

ミサトはアスカをじっと見つめて言った。

「じゃあ、アスカ...何で泣いてるの」

「泣いてなんかないよ!」

「うそよ、あなたは泣いているわ」

「うるさいアタシは泣いてなんかない!」

アスカは一段と大きな声を上げた。

ミサトはアスカに近づきその豊かな胸にアスカを抱きかかえた。

「無理をしなくて良いの。あなたは私の大切な妹よ。
 悲しかったら泣くのが当たり前よ
 ちっとも恥ずかしいことじゃないんだから
 だからアスカ...私の前で我慢しないで」

「うるさい...うるさい....」

そういうとアスカはミサトの胸で嗚咽をあげながら泣きだした。ミサトはアスカを優しく抱きしめ、アスカが落ち着くのを待った。

アスカはミサトの胸でひとしきり泣いた後。落ち着いたのか少し恥ずかしそうに下を向いてミサトに言った。

「ごめんミサト...」

ミサトは溜息をつくと聞き返したら。

「落ち着いた? アスカ」

「うん...」

「ねえ、アスカ...」

「何? ミサト」

「シンジ君のこと好きなんでしょ」

アスカはしばらく下を向いたまま考えていた。そしてぽつりと言った。

「よくわからない」

「でも、離れたくなかったんでしょ」

「うん」

「だったらどうして引き止めなかったの。
 アスカなら...アスカしか引き止められなかったのよ」

アスカはまだミサトの顔を見なかった。

「怖かったのよ」

「このままいたらアタシ...アイツに甘えてしまう...」

「アイツはアタシといると壊れてしまう...」

「そう分かったから...」

アスカの声は聞き取れないほど小さくなっていった。

ミサトは思った、どうして人はこんなに不器用なのかと。だから心の壁を取り払おうなんて考える奴等が出てくるのかと。でもいくら心の壁を取り払ってみたところで寂しさしか残らなかったではないか。やはり人は自分の力で分かり合わなければいけないのだ。

二人のためには一度離れて自分を見詰め直した方がいいのかもしれない。でもこのまま二度と会えなかったら...シンジにはここに帰ってくる理由がない。

ミサトは頭を振って自分の考えをうち消した。シンジが帰ってこないと決まったわけではない。もっと楽天的に行こう。だって本当ならこの二人は出会うことさえなかったはずだ。それがこうして出会えたんだから。会いたければ会いに行けばいいんだ。何もシンジの来るのを待っている必要はない。そうだ落ち込んでいたって何もいいことはない。

そう割り切るとミサトはアスカに元気よく言った。

「さあ、おなかもすいたし、帰りましょうか。今日は特別にミサトお姉さんがごちそうを作るわよ」

アスカは自分のために無理して明るく振る舞おうとしてくれるミサトの気持ちがうれしかった。だからアスカもミサトに負けないくらい明るく答えた。

「げっ、外食にしようよ、ミサト」

「アスカ、『げっ』てえのは何よ。今月ちょっち苦しいんだから我慢してよ」

「こんな日ぐらいいいでしょ。明日からアタシも手伝うから」

「そうねぇ〜、でも高いところはだめよ」

「りょーかい、ミサトの財布の中身ぐらい知ってるわ。ラーメンでいいわよ」

「いいの、そんなので」

「いいの、いいの」

肩をならべて車へ歩いていく二人の影をいつのまには傾いた日が長く伸ばしていた。

その半年後シンジは養子に迎えられ、九州へと旅立っていった。シンジが帰る理由はまた一つなくなった。






トータスさんのメールアドレスはここ
tortoise@kw.NetLaputa.or.jp



中昭のコメント(感想として・・・)

  よーし・・・
  あ、あ石を投げないで
  
  養子ですか、気になる引き方ですね。
  
  ああ、でも強請って(ネダッテ、ユスッテじゃありません)よかった。  
  まさか、連載してもらえるなんて夢みたいです。
  しかも、私のようなEVAもどきではなく正当派。  

  トータスさんのEOE(夏映画)補完に期待しております。



  みなさんも、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
  メールアドレスをお持ちでない方は、掲示板に書いて下さい。


  トータスさんからの伝言です。
  「タイトルは悩んだんですがどうも良いものがありませんでした。
   もし何かサジェスチョンがありましたらお願いいたします。」

  私ははっきり言って題を考えるのが苦手です。というか題を先に決めてそれと関係ある事を
  書いていくというよく判らない小説の書き方をしているので、できあがったそれにふさわしい
  名前というのが思いつきません。

  みなさん。感想と併せてタイトルを考えてトータスさんに送って下さい。




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