垂直落下式妹
Hiroki Maki
広木真紀




18



6月16日金曜日(停学3日目)

 祐一、香里、あゆの3人は、佐祐理・舞の大学生コンビと共に、生徒会の前会計長を務めていた小田桐孝之おだぎりたかゆきが通う市内の大学に足を運んでいた。
 同時に佐祐理たちの通う大学でもあるその学校は、歴史こそ浅いが、近代的な設備と斬新な講義と研究内容で近年注目を集めている地元の有名私立大学である。学力的にもレベルが高く、何故に舞が入学できたのか祐一はいつも首を捻っているほどだ。
 それとは別に、祐一たちが通う高校の卒業生の多くが、この大学を進路の第1志望とすることでも、地元では有名な存在である。要するに、金持ちのエリートが好んで通うような大学なのだ。3年前、学長が文部大臣になりかけたことでもそれは分かる。
「うぐぅ、これが大学……」
 あゆは、半ば呆然と呟いた。中学校にも高校にも通えなかった彼女にとって、『大学』という空間は殆ど異世界にも等しい。それ故だろうか、彼女は上京してきた田舎者のようにキョロキョロとしきりに周囲を見回しては、その度に感嘆の声を上げていた。
「わ、みてみて。祐一君! 学校の中なのに、ハンバーガー屋さんがあるよ。……と言うことは、タイヤキ屋さんも?」
「ねェよ」クイクイと服の裾を引っ張ってくるあゆに、祐一はキッパリと言った。
「ったく、あゆ。お前は一体何しに来たんだ?」
「何って、えーと。……うぐぅ。なんだっけ?」
「あはは〜。小田桐さんにお話を伺いに来たんですよ」
 期待通りの大ボケを披露してくれるあゆに、佐祐理が優しく教えてやった。
「図書館の1階に、カフェテリアがあるんですよ。今日は、そこで待ち合わせのお約束をしています。ね、舞?」
「ハチミツくまさん」
 広いキャンパス内には幾つもの出入り口があるが、祐一たちは南西にある正門から足を踏み入れた。リムジンを停められる駐車場が1番近くにあるからだ。
「うぐぅ、広いね……公園みたいだよ」
 あゆの言う通り構内は緑が多く、一見、どこかの自然公園のようにも見える。目にも鮮やかな常緑樹のグリーンの合間に、背の高い近代的で洒落たデザインの校舎群が見え隠れするといった具合だ。
 歩道もヨーロピアン・スタイルの煉瓦敷きで、麗らかな午後、ゆっくりと散策すると非常に気分が良さそうである。
「なかなか良い環境ですね。セントラル・パークみたいだわ」
 今年この大学を受験しようかと考えている香里も、とりあえず好印象を持ったようだ。
 勿論、外見だけの印象で全てを評価するほど、彼女も迂闊ではない。昼時、賑わい始めた学生たちの表情もその観察対象になっているようで、彼女は鋭い視線を周囲に走らせていた。

 やがて一行は、煉瓦敷きの小道を進み、階段を登って高台に出た。そこはどうやら幾つかの校舎を繋ぐ中庭になっているようで、昼食時でもあるせいか、多く生徒で賑わっていた。
 ミニサッカー場程度の面積を誇るであろうその中庭は、今まで歩いてきた小道とはまた違うデザインのカラフルな煉瓦敷きの広間になっていて、中央部には小さな花畑がある。その中心に立つ銀色のオブジェは時計塔になっているようで、午後の日差しを反射して眩しく煌いていた。
「向かって正面に見える建物が、5号館です。国際文化学棟とでも言うんでしょうか。主に、外国語関連の講義が行われる校舎です」
 自分たちの通う高校とは、全くかけ離れた雰囲気を持つその空間に魅入られる祐一たちに、佐祐理は笑いかけた。
「それから、右手が1号館。ツイン・ビルになっていて、この大学の中心になっています。佐祐理の受講している講義は、殆どがこの建物で行われるんですよー」
「へぇ、高いビルだな。しかも、新しくて綺麗だ」
 最上階を視界に収めるには、首が折れるほどに顎を持ち上げなければならない。祐一は目を細めて、その近代的なデザインの校舎を見上げた。
 いや、校舎というよりは、高級ホテルというべきか。ガラス越しに見えるロビーも、そういった印象を助長している。
「なんと、10階建てなんですよ〜。この大学では、1番大きな建物ですね」
 佐祐理は、にこにこと嬉しそうに語る。
「それから、反対側を見てください。左手に見えるあの茶色っぽい建物が、本日の目的地である図書館なんですよー。基本的に学生しか利用できないのが残念ですけどね」
 祐一たちは佐祐理に随って、その図書館に向かった。右手には『就職課』と大きく書かれた看板が見える。左手には、図書館の2階部へ直接繋がっている大きな階段があった。
 それらを横目に、祐一たちは1階の正面入り口の自動ドアを潜る。だが、そこはがらんどうの空間だった。所々にソファやベンチ、灰皿が置かれているだけで、太い柱以外には何も見当たらない。
「あははー。ここが、図書館の1階です。左の奥に、カフェテリアがあるんですよ」
 佐祐理は務めて明るく言うが、祐一は怪訝そうな顔をしていた。
「なんか、暗いですね。妙にシンとしてるし」
「ピロティになってるのよ。――洒落てるわね」
 香里が周囲を見まわしながら、感心したように言った。
「うぐぅ……。ピロティってなに?」
「ル=コルビュジエが提唱した、近代建築の技法の1つよ。2階以上を部屋として、1階を柱だけにした建物の1階部分のことを言うの。まあ要するに、見たまま、このホールそのもののことね」

 そのピロティとなっている1階部の左奥に、一行の目的地となるカフェテリアはあった。薄暗いホールの中に、店内から零れ出てくる照明が昼間でも一際目立っている。
 分厚いガラスでできた入り口のドアを押し開けると、カウベルが涼しげな音色をたてた。店内はそんなに広くない。洒落た感じのファミリィ・レストランを思わせるような内装が印象的だ。
 入り口から見て右側に、ショットバーのような落ちついた大人の雰囲気を漂わせるカウンター席。 そして左側に、テーブル席がいくつかある。こちらは、若干大衆的なイメージだ。
 祐一は店内を見回してみたが、1つも窓が存在しないことに気付いた。店自体が、外と接する面を持たないのだ。それにプラスして、照明が若干暗めに抑えられていることもあって、店内は独特の空気に包まれている。あゆには悪いが、子供には多少向かない雰囲気だ。
「倉田さん、こちらです」
 一行が店内に入り席を探していると、1番奥のテーブル席から男が軽く手を振ってきた。
「あ、小田桐さんですね〜」
 佐祐理はニッコリと笑うと、祐一たちを伴って彼の元へ歩み寄った。
 小田桐が陣取っていたテーブルは6人がけになっていたため、何とか全員が座ることができるようだった。
 一向は、笑顔で迎え入れる彼と軽い挨拶を交わし、そして適当に席順を決めた。結局、奥の左側から小田切、祐一、あゆ。そして手前の左側――小田桐と向かい合う席に佐祐理。その隣に舞、香里がそれぞれ腰を落とすことになった。
「倉田さん、ご無沙汰しています。随分と久しぶりのような気がしますが」
 全員が着席したのを見計らって、小田桐タカユキは正面に座る佐祐理に微笑を向けた。
「あはは〜。そうですね。佐祐理とはクラスが違いましたし、大学でも学部が違いますから」
 要するに、2人の接点は生徒会しかなかったわけだ。
 佐祐理は生徒会に関心を抱いていなかったため、実際、小田桐とも名前を知っている程度の付き合いしかなかったに違いない。
 しかし、その生徒会の元エリート役員というイメージから、祐一は小田桐タカユキを、『昔の武田鉄也のような髪型に、牛乳瓶のような分厚いレンズの眼鏡をかけた、マッチ棒みたいに貧弱な男』であると勝手に決めきっていたのであるが――実物はそれとは対照的な男のようである。
 一言で表現すれば、優男。ただし、穏やかな感じがするだけで、貧弱というイメージはない。口には出さないが、初対面の香里やあゆも彼に好印象を抱いたようだ。
 ハンサムな部類に入るであろう端整な相貌と、祐一と殆ど同じ位の(アジア人からすれば)長身。時折見せる笑顔も、それなりに女性受けしそうだ。髪の毛が薄い茶色をしているのも特徴の1つだが、これはどうやら染めているのではなく、生まれつきのものらしい。染めて作った偽物の茶髪はすぐにそれと分かる。恐らく、元から色素が薄いのであろう。その証拠に、彼の肌の色は女性のように白かったし、目も頭髪とほぼ同じ薄いブラウンだ。
「ええと、倉田さんと――その隣に座っているのは川澄君かな? それ以外の人たちは、ちょっと顔に見覚えがない。だから多分、初対面だと思うんだけど、まず自己紹介でもしないかい」
「んじゃ、まずはオレから」
 何故か機嫌が悪いらしい祐一が、ブスっとした表情で言った。彼にとって、女性にモテそうな優男は『気にいらねー』の一言で片付けられる。
 だが何より頭に来るのは、この小田桐という男が明らかに佐祐理や香里に色目を使っていることだ。佐祐理が思いがけず美人を大勢連れてきたので、これを機会に良い関係を築こうとでも思っているに違いない。
「いや、僕が先に名乗ろう。それが礼儀だからね」
 そう言ってニコリと笑う小田桐に、祐一は「ケッ」と密かに悪態を吐く。それに気付かず、小田桐は良く通る中性的な声で言った。
「ええと、僕は小田桐タカユキ。この大学の法学部に在籍する1年だ。倉田さんとは同級生でね。去年は生徒会で会計長をやっていた関係で、知り合ったんだ。……まあ、そんなところかな。皆さん、よろしく」
「じゃあ、今度こそボクの番かなぁ? えっとぉ、ボクは相沢祐一っていいま〜す」
 祐一はキラリと歯を光らせ、素敵な笑顔(演技)と共に言った。そして爽やかに右手を出して、握手を求めつつ――
「よろしくぅ、おにぎり先輩っ
「オダギリだ」
 ニコリと笑って祐一の手をギュッと握り返す小田桐だったが、その目は少しも笑っていない。おまけに、無理に笑顔を形成する唇の端は微妙に引き攣っていた。
「ああ、これはビックリ!」
 祐一は大きく目を見開くと、大袈裟に驚いて見せる。
「いやぁ、すみません。まさか、小田桐をおにぎりと間違えてしまうなんて。
 あまりに似ているとはいえ、よもや小田桐をおにぎりだなんて!
 ああ、ボクは一体なんて失礼を。みんな、聞いてくれ! ボクは罪深い人間だ!
 よりにもよって、この小田桐さんを、おにぎり!
おにぎり呼ばわりしてしまったんだ〜! うおおおぉぉ、ライス・ボール!」
「……い、いや、ちっとも構わないよ。気にしないでくれ」
 小田桐は慌てて祐一を座らせると、お返しに握手をしていた手に全力を込める。それに負ける祐一ではない。彼もまた、その勝負を真っ向から受けてたった。壮絶な握力合戦を繰り広げ、ビキビキと握り合った手の骨を軋ませながら、両者は不敵な笑みを交し合う。
「相沢君と言ったかな? 愉快な人だねキミは」
「いやあ、先輩の顔には負けますよ」
「いやあ、こればかりはキミに勝ちを譲るさ」
「いやいや」
「いやいや」
「「はっはっはっはっ……!」」

 ――何やら火花散らす2人であった。




19



「それで――」
 小田桐はアイスコーヒーのグラスにミルクを混ぜながら、隣に座る祐一に鋭い視線を送った。グラスの中で、氷がカランと涼しげな音色を上げる。
「キミと倉田さんとはどういった関係なのかな? 高校3年生というからには、同級生ではないだろうし」
「まあ、そうですね。敢えて言うことでもないのですが――」
 佐祐理を巡るライバル意識だろうか。祐一も感情を剥き出しにして、小田桐の視線を受けとめる。
「佐祐理さんとオレは、そう、切っても切れぬ太ぉぉぉいパイプで繋がれた、タダならぬ関係とでもいったところでしょうか。
……ちなみにオレ、昨夜は佐祐理さんのマンションで1夜を過ごしました」
「なっ、なにィ!」
 勝ち誇った笑みを浮かべる祐一の爆弾発言に、小田桐は目を丸くする。どうやら彼は、高校時代から佐祐理にただの同級生として以上の興味を持っていたようだ。
 それも無理からぬ話だろう。倉田佐祐理と言えば、才色を兼ね備えた優等生の代名詞だ。それに加えて、実家は地元の名士倉田家。才に色に、権力と金まで併せ持つ彼女は、まさに絵に描いたような本物のお嬢様である。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ち給え。落ちつくんだ」
「いやだなぁ、落ちつかなくちゃならないのは先輩でしょう。オレは冷静です」
「いや、なんだ……今のはジョークだろう? そうだよな?」
「え、何が?」優勢を悟ったか、余裕の笑みを浮かべつつ、祐一はすっ呆けてみせる。「どの部分?」
「だから、その、倉田さんのマンションで1夜をとか――」
「いや、それなら本当。ね、佐祐理さん」
「あはは〜。はい、そうです。祐一さんの言うことは本当ですよ、小田桐さん」
 佐祐理は何故に男たちが熱いバトル(?)を繰り広げているのか、いまいち理解しきれていないようだったが、それでも祐一の質問には律儀に応えを返した。
「そ、そんな馬鹿な〜!」
 それを聞いて、更なる衝撃に見まわれる小田桐。ここまでショックを受けているところを見ると、佐祐理に密かな恋心すら抱いていたらしい。
 祐一はそれに気付くと、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべて、追い討ちをかけるべく更なる攻勢に入った。
「ちなみに一昨日も1つ屋根の下で1夜を過ごしましたよ、オレたち。ね、佐祐理さん」
 遠い目をして、ウットリと呟く祐一。
「あの時(風呂上り)の佐祐理さん、素敵だった……火照った肌がピンク色で」
「あ、あの時ってなんだ〜! ほ、火照った肌? お、お、おい……キ、キミは、倉田さんになにを……なにをした〜っ?」
 ガタンと椅子を蹴って、小田桐は祐一に詰め寄る。
「あれ、おにぎり先輩。気になりますか?」
「小田桐だ!」
 すっかりヒートアップした小田桐は青筋を立て怒鳴るが、祐一はそれを爽やかに無視して続ける。
「そりゃ、そうですよね。佐祐理さんって綺麗だし。優しいし。頭もいいし。(人当りが)柔らかいし。気持ちいい(人柄だ)し」
「ま、待て〜っ! ちょっと待て〜! 前半の『頭もいいし』までは分かるが、後半の『柔らかい』とか『気持ちいい』とかはなんだっ? なぜ、そんなことをキミが知っている!」
「まあまあ、落ちついて」
 詰め寄ってくる小田桐を、祐一は両手で抑え込む。そして、ヘロヘロ状態の小田桐にトドメを刺すべく、最終兵器を発動させた。
「ねえ、佐祐理さん。ご家族と舞を別にするとさ。この世で1番好きな人ってだれ?」
 その質問には、小田桐も日頃から並々ならぬ関心を抱いていたのか、ピクリと思わず体を震わせる。そして全員が注目する中、佐祐理が口を開いた。
「家族と舞を除いて、1番好きな人――ですか?」
 チョコンと小首を傾げながら確認すると、佐祐理はニッコリと笑って即答した。
「もちろん、祐一さんですよ〜」
「わあ、嬉しいなぁ」祐一は予測済みのその応えを聞いて、満面の笑みを浮かべる。「オレも、佐祐理さんのこと大好きですよ〜」
「あはは〜。じゃあ、ふたりはお揃いですね〜」

 キャイキャイと祐一と佐祐理が騒ぎ合う一方で、小田桐は風に散っていた。驚愕の表情を顔に張り付けたまま、彫像のように硬直して動かない。よほど、佐祐理の「祐一さんが1番好き」宣言が堪えたらしい。
「あら、おにぎり先輩。どうしちゃったんですかぁ? 聞きました、今の? 祐一さんが1番好きなんですって、佐祐理さん。ちなみに先輩、ボクの名前知ってます? 祐一っス。相沢ゆ・う・い・ち。……ま、そういうことなので、よろしくぅ〜」
 バシバシと小田桐の背中を叩きながら、上機嫌で祐一は言った。
「いや〜、なんだか盛り上がってきましたねぇ。先輩。そんな固まってないで、パ〜っといきましょうよ。パ〜っと! ふわ〜っはっはっはっは、オレは強い!」
 結果は分かりきっていたが、どうやら佐祐理を巡るこの勝負。祐一の勝利で決着したようだった。



20



「それで――」
 小田桐はアイスコーヒーのグラスをストローで掻き混ぜながら、向かいの席に座る佐祐理に疲れ切った視線を向けた。グラスの中で、氷がカランと哀しげな音色を上げる。
「そろそろ本題に入りませんか、倉田さん。今日はどういったお話で?」
「あはは〜。実はそれなんですが」
 佐祐理はテーブルの上にチョコンと置いていた手を組みかえると、曖昧な笑みを浮かべた。
「武田さんと竹下さんのことはご存知ですよね?」
「ああ、やっぱり」小田桐は予測してはいたが、やりきれないといった表情で呟く。「その話じゃないかとは思っていたんですけどね」
「小田桐さんは、特に竹下啓太さんとは仲良しでしたよね〜?」
「まあ、友人ではありましたね」小田桐は肩を竦める。「正直、実感はありませんよ。彼が亡くなった……しかも、殺人かも知れないなんてね」
「ということは、竹下さんが事件に巻き込まれるような心当たりはないと?」
 舞を挟んで佐祐理の右隣に座る香里がはじめて口を開いた。
「彼が、誰かに殺されてもしかたがないような心当たりかい?」
 小田桐は大袈裟なジェスチャーで言った。
「そんな物騒なものあるわけがないよ。ええと……」
「美坂です。美坂香里」
「ああ」その名を聞いて、小田桐は少し驚いたようだった。
「キミが2年の主席だった美坂さんか。噂のミズ・パーフェクトだね。名前は知っていたんだが、そうか。キミがあの」
 何度か納得したように頷くと、小田桐は視線を変えて値踏みするように香里をジッと見詰める。それを見て、また祐一は機嫌を悪くするのであった。
「で、おにぎり先輩」
「小田桐だ」
 香里を見詰める小田桐の視線を遮るように、祐一がヌッと顔を突き出す。
「じゃあ、小田桐先輩。武田玲子のことは知ってんの?」
「じゃあとはなんだ。じゃあとは。それにキミ。僕は仮にもキミの先輩。言わば目上の人間だよ? きちんとした言葉遣い、敬語を使って話すべきじゃないのかな?」
「あはは……何をわけのわからんことを。敬語ってのは、自分より歳食ってる人間に使う言葉じゃない。尊敬する対象に敬意を払って喋る時に使う言葉でしょうが。オレはアンタを尊敬してない。よって、敬語は必要ない。敬語が欲しけりゃ、オレから尊敬の念を自分で勝ち取ってくれ」
 バシバシと小田桐の背を力一杯叩きながら祐一は言った。
「では、何故に倉田さんには敬語なんだい?」
 咳き込みつつ、小田桐は祐一に恨めし気な視線を向ける。
「知れたこと。佐祐理さんは存在するだけでエライのだ。よって、尊敬に値する。腐ったオニギリとは月とスッポン。美人だし、優しいし、頭良いし、柔らかいし、気持ちイイし」
「だから、その後半部分は一体なんなんだ! それに腐ったオニギリとは何のメタファ(隠喩)だっ」
「ナハハ。先輩ったら、分かってるくせに〜」
 そう言いつつ、祐一はゴスゴスと肘で小田桐を突つく。
「く……まあ、とにかくだ。僕は竹下の死にも武田という女生徒の死にも何の関わりもない。知っていることといえば、彼らが生徒会の役員であったという事実くらいだよ」
「そうは言うけど、状況は知らないで済ますことができるほど単純なものでもない――」
 祐一は真顔に戻って言った。
「この2年でウチの学校の生徒会役員が連続して3人も死んでいる」
「それはそうかも知れないが、それをキミたちが嗅ぎ回ったところで状況が変わるかな? そういうことは警察の仕事だ。少年探偵の真似事は自由だが、僕を巻き込まないでやってほしい」
「なるほど……」
 祐一は頷いた。そして現実を認識する。
 そうだ。これは『名探偵コナン』の漫画ではない。ああいうフィクションのように、関係者が事件についてペラペラと喋り、有用な情報を提供してくれるわけがないのだ。彼らはみな一様に口を閉ざし、事件を嗅ぎまわる人間を警戒し、情報を胸の内に隠そうとする。
 そして、警察のように手帳を振りかざして口を開かせる術をもたない素人では、余程の幸運と根気がなければ彼らから有用な情報を仕入れるのは困難であろう。
 事情を聴取し、それらを元に推理を纏め、そして殺人事件を見事解決して見せる。これは決定的にリアリティを書いた空想上の探偵であり、美汐から聞いた話では、実在する探偵は徹夜でラヴホテルの前を張り込み、浮気の現場を高感度フィルムを使って激写する連中だ。
 金を貰って他人を尾行して回り、対象者のプライバシーを侵害して依頼人に報告書を渡す。言わば、プロのストーカー。それが現実の探偵というものである。
「――しかし、不安はありませんか?」
 このまま話を運んでも何の情報も聞き出せないと悟ったのは、香里も同じらしかった。切り口を変えて、再び小田桐に挑戦する。
「不安、というと?」
「去年自殺した澤田さん、そして自殺と断定されている武田さんはともかくとして、竹下さんはニュースを見ただけでも容易に殺人であることが分かります。事情はどうあれ、生徒会の関係者が3人も死んでいる。私も学級委員長として生徒会に顔を出している人間です。それに、倉田先輩も生徒会には因縁がある。考え過ぎだと分かってはいても、正直不安があります」
 そこまで言うと、香里は改めて小田桐に視線を向ける。
「まして、小田桐さんは前年の会計長として、生徒会の中枢にいたわけでしょう。不安や恐怖というものは、全くないものですか?」
「それは……」
 明らかに表情を変えた小田桐の反応を見て、香里の手腕に祐一は感嘆していた。なるほど、確かに相手に自分に対する親近感や仲間意識を持たせるのは、情報を引き出す上で最も効果的なやりかたの1つだろう。
 生徒会に関係している、同じ不安を抱くもの同士。そういう印象を相手に持たせることができれば――あるいは、相手の口を開かせることもできるかもしれない。香里は、その辺りのことを計算した上で話題を選んだのだろう。テストの点数や偏差値などでは計り知ることのできない、彼女の頭の良さの一端だ。
「確かに、僕にも不安はある。竹下啓太は僕の友人だった。去年亡くなった澤田さんも、竹下の補佐をしていた武田君のことも知っている。顔見知りであり、会話を交わしたこともある人々がこの2年で3人も死んだ。正直言って……僕も、怖いと思った事は何度かあるよ。そのことは、弟とも何度か話した」
「弟――ヒデユキさんでしたね」
 佐祐理が言った。彼女の言葉通り、小田桐孝之には英之という一歳下の弟がいる。祐一や名雪の同級生で、兄の後を継ぎ今年の会計長を務めている、やはりエリートだ。
「そうだ。竹下を殺した犯人は捕まっていないんだ。なぜ彼が殺されたのかが分からないという事は、逆に現時点では自由にそれを想像できるということにもなる。その1つに、生徒会に対する怨恨という線もあるだろう。そうなれば、同じOBである僕や現役の会計長であるヒデユキにも危険が及ぶ可能性はある」
 小田桐は俯くと、アイスコーヒーのグラスをぼんやりと眺めながら言った。
「しかしそうなると――生徒会は、怨恨で殺人を呼ぶほどのことをやってきたってことになるが?」
「それは言葉のアヤというやつだよ」
 祐一に皮肉めいた突っ込みを、小田桐はサラリと受けながす。
「生徒会役員は、要するに為政者だ。為政者は最大多数の最大幸福を考えるのが務め。その最大多数から零れた極一部の人間たちから恨みを買うこともあるだろう。それが、政。為政者の宿命というものだよ」
「なるほど。末は官僚か弁護士ともなろうって先生は、仰ることが一味違う」
 祐一はニヤリと鋭利に笑った。
 彼にとっては、最大多数などどうでもいい。評価基準は数量ではなく、感情移入度だ。つまり『自分』と、『自分が感情移入できる一部の友人たち』。その最大幸福を生産し、維持する。そんな思想を持っているから、彼は決してシステムや為政者たちと分かり合う事はできないのだ。
「それより今気付いたんだが……相沢君たちは高校生だったね」
 祐一と香里、それにあゆの顔を一通り見回して小田桐は言った。
「今日は平日だったと思うが、学校の方はどうなっているんだい?」
「有給休暇をとってるんで、心配してもらう必要はない」
「有給?」祐一の返答に、小田桐は片眉を吊り上げる。
「……とにかくだ」訝しがる小田桐を無視して、祐一は言った。「正直、オレにとっては澤田紀子も竹下啓太も自殺しようが殺されようが、どうでもいい連中であることに違いはない。もちろん、小田桐先輩。あんたもな」
「フッ、言いにくい事をズバリと言うね」
 小田桐は肩を竦めて苦笑する。
「だが、そういうのは嫌いじゃない。少なくとも、腹の中で何を考えているのか分からない人間よりかは、幾分やり易いからね」
「でも、な」小田桐の言葉を遮るように、祐一はその口調に力を込めた。
「生徒会関係者だからって理由だけで、佐祐理さんや香里に被害が及ぶのは絶対に困る。今回の件で、警察がそこまでアテにならない事は、先輩が1番良く知っている筈だ。それに、連中は個人の防犯思想では基本的に動かないからな。だから、こうして探偵の真似ごとでもしてなけりゃ、不安なんだよ」
 祐一が真剣であることを悟ったのだろう。小田桐は完全に沈黙した。それを見て、祐一は続ける。
「オレに協力しろとは言わない。だが、佐祐理さんと香里のために、何か有益な情報があれば知らせて欲しい。オレたちはここ暫くは、行動を共にしている筈だから。佐祐理さんに連絡してくれれば、オレたちとはいつでもコンタクトをとれる。最大多数の最大幸福もいいが、たまには個人の防犯レベルで動くのも――いいだろう?」







to be continued...
←B A C K | N E X T→



INDEX → KANON小説の目次に戻ります
HOME → 作者のホームページ。オンライン接続時に


I N D E X H O M E

inserted by FC2 system