Change myself
最後のチャンスさ




ヒンキイ・ディンキイ
パーリィ・ヴゥ
Hiroki Maki
広木真紀




−煉獄の章−




25 September 1996 08:22 A.M.
Kanagawa JAPAN

1996年 9月25日 水曜日
日本 相沢家玄関


ドアを開けると、途端にむっとする熱気が肌に纏わりついてきた。
嫌気が差す程の快晴。まだ午前だというのに、その日差しは肌を差すように鋭く強い。
あと何日もすれば10月に入るのだが、それでも日本ではまだ厳しい残暑が続いていた。

「母さん、ギター持って帰ってきた?」玄関まで見送りに来てくれている母さんを振り返り、問う。
「いえ。置いてきたわ。あの人のこともあるから、直ぐに帰るつもりだし」
「――それ、正解だよな」オレは肩を竦めて見せた。「湿気はギターを悪くするから」

相沢夏夜子レベルのギタリストともなれば、ちょっとした湿度差による楽器の変調ですら音に大きく影響してくる。場合によっては、素人レベルでもそれは顕著で、特に海を越えて外国製のギターを日本に持ち込むと途端に音が鳴らなく(悪く)なることも良くある。
だから几帳面な母さんは、『B型シリカゲル』のギターペットや『ドライフォルテ』といった調節剤で、湿度を50%前後に常に保つようにし、保管には細心の注意を払っている。ギターはデリケートなのだ。

いや、ギターだけではなく、弦楽器は湿気や乾燥に悪影響を受け易い。材質が木材だからだ。
木材が温度や湿度の変化によって伸び縮みすることは、一般的にも良く知られている通り。
そう言えば親父も、四季によって気候の変化が激しい日本でのチェロの保管には気を使っていたものだ。

気温自体は、海を隔てたブリテン島とも然程変わらないように思えるが、何と言っても日本は湿度が段違いに高過ぎる。
湿り気を帯びた何とも不快な空気が、漸く日本に帰ってきたのだという実感をオレに齎していた。

「ほんじゃ、行って来るよ。母さん」
「いってらっしゃい」振り返って挨拶するオレに、母さんは穏やかな微笑を返してくれる。
こうした日常的なやり取りが、なんだか新鮮に思えた。
いや、いつもなら不快に思えるはずの湿度も、履き慣れた学校指定の革靴も、こざっぱりとした真っ白い夏服も、全てが無性に懐かしい。

「車に気を付けてね」
「ああ、分かってる。……あ、学校にはなんて言ってある?」
玄関から1歩踏み出しかけて、オレはそのことに気が付いた。
「大丈夫。ちゃんと事情は説明しておいたわ。担任の先生にも、了解を得ておいたから」
「そっか。じゃ、安心だな」

9月の21日から、3日間に渡る入院期間を終え無事に退院を果たすと、オレは母さんを伴って直ぐに日本に帰国した。
間抜けな話にも、オレはその事実を失念していたが――相沢祐一は、日本人であり中学生なのである。
決して、イングランドで集団リンチを受けて入院したり、軍用プラスティック爆弾でこの世から消え去ったり、ビール瓶で頭をぶん殴られて再入院したりすることは本分に当たらない。

しかし、日付を考えれば分かるように、学校の夏休みは終わって久しい。
既に日本では2学期が始まり、当然ながら授業も始まって1ヶ月も経っている。休みあけには、実力テストなども行われていた筈だから、オレはそれら全てから置き去りにされたことになるのだ。
中間テストがいつ行われるのかは知らないが、考えなくても状況は絶望的な筈である。

「はぁ……卒業できるのか、オレは」
懐かしい通学路の景色を楽しみながらも、オレはぼやいた。
だが、以前の相沢祐一なら頭を抱えて悩みこんだであろうこの危機的状況にあっても、何故か今、オレは精神的な余裕を維持していられる。

イングランドでのあの経験に比べれば――
生きるか死ぬかを問われたあの試練に比較すれば、学校のテストで思い悩める日常すらオレには楽しいイヴェントの1つに見える。
そういう意味で、オレは変わった。相沢祐一は、この1ヶ月で怖いくらいに変わった。それが、実感できる。

上手く表現できないが、そう、視野が開けたような気がしていた。
今まで頑なに目を閉ざして、意識的に遠ざけていた何かから逃れられない状況に追い込まれ、それを直視せざるを得ない現実。
オレが北の地で体験したのは、恐らくそんな現実だったのだろう。

命の危険に晒されるという経験は、やはりその人物の視野を広め、価値観を変える。
例えば自分が癌に冒されたと想像してみれば良い。多大な苦痛を伴う入院生活と、ヒタヒタと迫り来る現実的な『死』の恐怖。日常が突如崩壊し、今まで当たり前にできていたことが出来なくなる。当然の常識が決して常識ではないことを悟る。

そうしてもし大病を克服できた時、人はその経験から多くのことを学んでいる筈だ。
命に対する考え方も激変するだろうし、他の人間とっては何でも無い平凡で当たり前の事実にも感動できるに違いない。
そして、自分を大切に生きる事ができるだろう。死に至る病を克服したという経験は、誇りと自信にも繋がるに違いない。恐怖は人を破壊もするし、進化を促しもする。

「――ねえ、祐一」
先日、日本へと渡る旅客機の中で、隣り合わせて座った母さんか言っていた言葉を思い出す。
「成長を実感できる瞬間って、どんなときだと思う?」
オレはそんなことを考える気力も余力もなかった。だから、力なく首を左右してそれに応えた。

「私はね、恐怖が恐怖でなくなった瞬間だと思うの」
彼女は言った。人間は常に何かを怖れ、恐怖する生き物だと。
克服しても途絶えることなく新種が生まれてくる病のように、それは尽きることはない。

「でも、何かを克服しようとすることは無意味ではないと、私は信じてるわ。
だって、進化とか成長ってそういうことでしょう?
いままで怖くてどうしようもなかったものに、正面から対峙できるようになった時。
私は、そんな時に1番、生きていることを実感できるから」

変化と成長は同義ではない。だが、変化がなければ成長があり得ないのは紛れも無い事実だ。
頑なに視界を閉ざし、逃避によって目の前の恐怖を回避するだけが全てではなかった。
対照的に、恐怖と対峙して意志の力でそれを捻じ伏せる人間も存在する。
オレはそんな男を実際、この目で見てきたのだ……。

この世には凄い奴がいる。
オレなんかじゃ、及びもつかない高みに彼等はいる。
相沢祐一という人間と、彼等との間には決して埋めることの出来ない何かがあるのだろうか。
彼等は、選ばれた者だからこそあれほどまでに強いのか。
それとも、オレも彼等のようになれるのか。足掻き続ければ、いつの日か彼等と対等に肩を並べることができるのか。

懐かしい通学路で、果てしない蒼穹を仰ぐ。
空は高く、日差しに容赦はなくて。
それらはオレが辿り着くべき場所が遥かにあることを、象徴しているようにも思えた。
高みに立つあの男の、失われた左手を思い起こし、独り呟く。


「強く、なりたい――」









…2ヵ月後




19 November 1996
C.Kawasaki Kanagawa JAPAN

1996年 11月23日 木曜日(祝日)
神奈川県 川崎市 相沢家



今日は、皆大好き『勤労感謝の日』。
それにどんな由来や意味合いがあろうと、祝日は大歓迎だ。
そんなわけで、本日11月23日は勤勉な日本人の働き過ぎを労う祝日として、堂々と学校を休むことができる素晴らしい1日である。

まあ、それにしたところで、イングランドの休みの多さには敵わないけど。
あそこは、各学期の半ば頃に『中間休み』なる短期休暇があり、生徒達は1週間ほど纏まった休みを得ることができるのだ。羨ましい限りである。
あれで水質とメシの味が良ければ、永住を真面目に検討しても良い。失業率が高くて、あちこちにホームレスがいるのはちょっと何だけどな。

基本的に、相沢祐一の休日は怠惰でグータラの一言に尽きる。
特に、寒かったり熱かったり、雨が降っていたりすると外に出るのは億劫だ。TVをつけて、カウチポテト(死語か?)でも洒落込んだ方が良い。
あと1ヶ月学校に行けば、本格的な冬休みが訪れるから遊びまくるならその時で充分だし。

だが、最近の中学生と来た日には真面目過ぎていけない。
なんと、オレたちはまだ中学2年生であるにも関わらず、みんな塾でお勉強などなさる予定らしい。
信じられない話だ。今日は勤労感謝の日だというのに、塾で勉強。土日も勉強。クリスマスも冬休みも勉強。塾とやらは魔境だ。

なんでも高校受験に備えるには、2年の冬休みからでも遅すぎるとかなんとか。
偏差値が50にも届かないオレにとっては、ちょっと理解に苦しむ思考である。
学生の本分は勉強。だが、『人生にとって最も大切な学習は遊びの中でこそ培われる』というオレの有難い格言を彼等は知らないに違いない。

ガキの頃、思いきり腕白に遊びまくって、悪戯の限りを尽くす。そして、大人達に叱られる。
そんなプロセスの中で、どこまでが他人に迷惑を掛けても許される範囲であるかを学べる。
子供が殴り合いの喧嘩をするのも、然り。暴力が相手にどれだけの痛みを与えるか、食らえばどれだけ痛いか、どこまでやるとやり過ぎになるか。それを学習できるじゃないか。

オレのクラスメイトのやつらの大半は、そういうことを知らずに勉強ばっかりしてるから、マニュアル通りの人生しか送れなくなるんだ。
「本を読んでも、泳げるようにはならない」って言うぜ?

……とまあ、こんな愚痴っぽいこと考えているのは、電話して「バスケでもやらないか」と誘った友達たちが、塾を理由に断ってきたからだ。
10人に呼びかけたが、OKを出したのは3人。これじゃ、3on3もできやしない。
こういう時、家族がいないと雑談もできないから暇だ。

母さんは、親父の面倒を看るために1週間くらいで直ぐにイングランドに戻ったし。
年末には帰ってくるらしいが、それまではまた、暫く独り暮しの生活である。
ちょっぴり母さんの手料理の味が懐かしい。まだ14歳だってのに、独身のサラリーマンみたいな生活を強いられるのは中々侘しいものだ。

「はぁ〜。なんか、面白いことないかな」
ソファにだらしなく座りながら、リモコンでTVのチャンネルをザッピングしていく。
時刻は、イングランドでいうティー・タイム。3時だ。
興味を惹く番組は1つもありはしない。誰が離れただのくっついただのを無意味に騒ぎ立てるワイドショウや、古臭くて退屈なドラマばかりだ。

「あ、そうだ。ゲームだ。ゲームしよ。脳天陥没、セガタサーンがあった」
中学生の男子と言えば、TVゲームに夢中になるのが日本での掟だ。
オレも日本男児。ここは伝統の和を大切にしなければならぬ。
UKにいってたころは、全然ゲームなんかしてなかったから、久しぶりだ。結構楽しめるかもしれない。

そう思って、ソファを立った時だった。
来客を告げるチャイムが、リビングに木霊する。
「はいよ」機嫌が悪い時は無視だが、今日は退屈にしているので素直にインターフォンを取った。
「宅配便でーす」無駄に元気の良い声が返ってきた。

「あ〜、はいはい。今行きますんで」
受話器をフックに戻すと、小走りに玄関へ向かう。
しかし、宅配便なんて珍しいな。向こうの両親が不要品なんかを送ったり、こっちから日本の調味料を送ってやったりすることはあるが、そういう遣り取りがある時は事前に電話で予告を入れるのが約束事になっている。誰が何を送ってきたんだろう?

ドア窓越しに相手を確認すると、オレは必要な分だけ扉を開いた。
海外で生活すると、結構個人レベルでの防犯思想が高まる。向こうは日本ほど治安は良くないからな。
来客をいきなりドア全開で開ける人間は、心理的に突け込む隙が多いという経験則が犯罪者にはあったりもするし。

「こんにちは。相沢祐一さんはこちらで宜しいですか?」
緑色の制服とキャップを被った宅配便の兄ちゃんは、キビキビした動作でオレに伝票を見せてくる。
住所と宛名を確認すると、オレは頷いて見せた。
「あ、印鑑の方が良かったんだっけ?」
この数ヶ月の癖でサインが習慣付いているオレは、押印といういまいち意味が分からない日本の文化を思い出してハッとした。

「いえ、サインで結構ですよ」笑顔と共に渡されたペンを受け取り、受取証にサインをする。
「どうも、お疲れ様」
「ありがとうございましたー」緑色の青年は、威勢良く駆け去っていった。
働く社会人であるにも関わらず、塾通いの中学生より彼は元気だ。見習わねば。

問題の荷物は、広辞苑くらいの大きさの奇妙な小包だった。
エアキャップ……は商品名だったか。とにかく、例のプチプチ潰せるビニル製緩衝材に包まれているらしく、もこもこしていて柔らかい。
包装紙は白で、その一面に伝票と『取り扱い注意』の紅いシールが張りつけられている。重量は1キロを割るだろう。そんなに重くない。
肝心の差出し人の欄を見てみると、それがUKにいる両親からの荷物であることが分かった。

「やっぱり母さんたちじゃねえか。なんだろう?」
首を傾げながらリヴィングに戻り、ソファに腰を落とす。早速包装紙を破り、中身を改めることにした。
果たして、ビリビリに破かれた包装紙の中から出てきたのは、何の変哲も無いVHSのヴィデオテープだった。ラベルが張られた形跡も無く、何が収められているかを予測できる情報は一切無い。内容を説明するような手紙の添付も見当たらなかった。

「何かは知らんが、これ送りつけようって言い出したの絶対親父だな」
この理不尽なまでの不親切さは、親父以外にはあり得ないだろう。
差出し人の欄には両親の名前が両方とも並んで入るが、主犯はヤツに違いない。
「はっ、もしや年頃の息子を想って、外国のエッチなヴィデオを送ってくれたのでは……!?」
が、その可能性は1秒で否定された。ヤツに、そんな息子想いの思考が働くはずがあろうものか。

「奴め、一体なにを送りつけてきやがった」
一抹の不安を感じながらも、32インチのワイドTV下に備え付けてあるヴィデオ・デッキにテープを挿入する。それからキッチンに向かい、冷蔵庫からクリアな後味がお気に入りの100%アップル・ジュースを取り出すと、グラスに注ぎリヴィングに戻る。
再びソファに腰を落とすと、それを見計らっていたかのようにプラズマ・ディスプレイに映像が写し出された。

恐らく、それがこのヴィデオ・プログラムのタイトルなのだろう。真っ黒なバックグラウンドの画面中央に、巨大なフォントが踊っている。
『Y'SROMANCER DEBUT!!』

「イース……いや、ワイズ、ロマンサー……か? デビュー?」
わけが分からなかった。
勿論、イースだかワイズだかもそうだが、何を目的としてこのヴィデオを送ってきたのか。包装紙を解く前より謎が深まったような気がしてならない。

と、そのオレの疑問に答えるように画面に変化が起こった。
タイトルのテロップが霞がかって消えていくようにフェードアウトし、変わってホームヴィデオで撮影したような画像の荒い映像が画面一杯に映し出されたのである。
一目見て、それが素人によるライヴ映像だということが分かった。

見慣れた広めのライヴハウス。1階の一般客席には既に観客が溢れ返り、通路にまで立見の人々がごった返している。2階のテーブル席もどうやら椅子は全て埋まっているらしく、まだギグ(ライヴ)自体は始まっていないというのに凄まじい喧騒が支配している。
酸欠で失神してしまいそうな熱気が、画面越しに伝わり、汗が滲んできそうだ。
ロックのライヴでしか見られない、密度の濃い独自の空気がそこには既に形成されていた。

観客が取り囲むステージには、前列の中央にマイクスタンドが、ステージ向かってその右に、炎のイメージを彷彿とさせる深紅のギターが立てかけてある。後列には巨大なドラムセットが鎮座しており、そのボディの1つに『Y'SROMANCER』の文字が大きくプリントしてあった。
その更に後ろ、ステージの壁には天井から吊り下げられている電工掲示板が1つ。
そのデジタル表示にも、やはり『Y'SROMANCER FIRST GIG』の巨大なフォントが踊っている。

それは、イングランドでもかなり有名なライヴ・ハウスの1つ。"アストリア"のステージだった。
Charing Cross通りにあるこの大きなホールは、ロックやパンクで名の知れたバンドが演奏することも多いところだ。親父と母さんも、たまにここでギグをやっていた。
さっき映像にも映っていたけど、2階にはテーブル席もあって、雰囲気は悪くない。
週末にはクラブの顔も持っているらしく、色んな客層を呼び込めるのも特徴だろう。金曜日の23時過ぎから始まる『ロック・シーン』はハードロック・ファンに大人気だ。

「Y'SROMANCERか。……ロックかパンクだよな、この雰囲気からいくと」
横断幕やらあちこちに謳われている宣伝文句を見るに、どうやらこの夜、アストリアで新たなバンドがデビューを果たすらしい。
いきなりこんなところでライヴができて、しかも、ファースト・ライヴだというのにこれだけの客を集め熱狂させられるとなると、余程前評判が高い連中で結成されたグループなのだろう。

やがて、会場に低いブザーが鳴り響き、ギグ開演を観客に知らせる。
普通なら、ここでバンドのメンバーたちの登場を静かに待つものだが、この観客達は逆にボルテージを上げて騒ぎ出した。その光景を映し出すカメラも、その煽りを受けているのか微かに振動する。
そして、一際凄まじい喚声が上がった。Y'SROMANCERとやらのメンバーが、ステージにその姿を現したのだ。
観客は早くも総立ちになり、割れるような大歓声を以ってそれを迎え入れる。

だが、オレはそれどころではなかった。
喚声に怖気づくことも無く、堂々とした風格さえ漂わせる足取りでステージに現れた人物に見覚えがあったからだ。現れたのは全部で4人の男女。
最初に現れた屈強な体格をした男は、ウェールズ辺りの人間だろう。肩の辺りまでブロンドを無造作に伸ばしている。年齢は不明。壮年であろうことだけしか分からない。
彼は真っ直ぐにドラムセットに腰を落とした。その丸太のような腕からは、力強いリズムが生み出されることだろう。

続いて現れたのは、長いプラチナ・ブロンドを靡かせた小柄な若い女性。まだ10代かもしれない。
露出の高い、ロックらしいコスチュームを纏っている。ドラムの男と同じ材質の、デニム製の衣装だ。
特にそのパンツは、ジーンズの足の部分を乱暴に破り捨てたようなデザインになっていて、彼女のスラリとした脚線美を惜しげも無く晒していた。彼女はどうやら、ベース担当らしい。

続いて現れたのは、東洋人と思わしき女性だった。
青味がかった長い黒髪を三つ編みにしている。彼女がその姿を現した瞬間、観客は悲鳴のような凄まじい叫びを上げた。前に現れた2人のメンバーの比ではない。
一見した限り、恐らく20代半ばか後半。東洋人にしてはあまりに肌が白く、エキゾチックな雰囲気を持っている。イングランド最速にして最強の1人として知られる女流ギタリストだ。

「……って言うか、母さん!?」
驚くべきことに、それは間違い無くオレの母親、相沢夏夜子の姿だった。
彼女はいつもと変わらない穏やかな微笑を称え、炎を模った深紅のギターを流れるように纏う。
その一連の動作は、もはやギターが身体の一部であるかのように錯覚させるほど自然で優雅だった。
何気ない動きのひとつひとつが、彼女の格の違い――相沢夏夜子が超一級のギタリストであることを物語っている。

そして、最後の1人がステージにその姿を現した。
挨拶代わりに、小さなハーモニカを軽やかに吹きながら、悠々と歩いてくる。
他のメンバーと同じデニム生地のズボンに、白いTシャツ。そしてジャケットを羽織っていた。
ギタリストと同じ東洋人だ。目を閉じているため瞳の色は分からないが、アジア人特有の真っ黒な髪をしている。年齢はどれくらいだろう。エネルギッシュで若々しいが、30を超えているであろうことは何とか想像できる。

観客は、涙と共に絶叫していた。
両手を突き上げて叫びを上げる男や、泣きながら祈るようにその姿を見詰める女性もいた。
観客は皆、その男の身に起こった不幸な事件を伝え聞いていた。
それ故、音楽家としての生命線を絶たれたに等しい彼が、2度とステージに上がることはないと絶望していたのである。
――だが、彼は再び現れた。今度は、ヴォーカリストとして。

「……親……父……」

手にしていたグラスが床に転がり、絨毯に中身をぶちまけたことにすら気付かず、オレはその光景を呆然と見詰めていた。
分かってはいたが、それは信じられない光景だった。
古い道に行き止まったから、新しい道を選ぶ。それだけのことなのかもしれないが、それをたったこれだけの期間で実現させるには、一体如何ほどの精神力が必要なのだろう。
オレには想像すら出来ない世界だ。

――手が止まる。
ハーモニカの旋律が喚声に消え、閉ざされていた男の眼が開かれた。
客席にハーモニカを投げ捨てると同時に、彼は左手で力強くマイクを握る。

「待たせたな、オレがワイズロマンサーだ」

オレが求めていたものが、そこにはあった。
何物にも揺るがない、確固とした意志の力。
喧嘩の強さとか、腕力の強さとか、そんな低俗な概念を超越した、人間の持つ本物の強さ。
オレは今、それを目撃しているのだ。

「腕がブッ千切れちまって、ちょっ……とパワーアップしちまったけど、気にするな。
今度は歌とY'sこいつでチャレンジだぜ!!」

相沢芳樹は言った。
己が為、自ら切り落とした左手はもうこの世に存在しない。
だが今、失われた筈のその左腕には――黒い義手が光っていた。
生身の腕に代わり、相沢芳樹の新たなる左手となったそれは、“夢追う者”であり、形式に捉えられぬ“叙情を歌う者”の象徴。
オレは後にその左腕の名を知ることになる。


ロマンサーと。






to be continued...
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脱稿:2002/02/06 22:18:01

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