BITE ON THE BULLET!!




バイト・オン
ザ・ブレット
Hiroki Maki
広木真紀




−圧殺の終章−




Bar "Highlanders"
Glasgow Scotland U.K.
GMT Sat,23 July 2000 23:17 P.M.

現地時刻 7月23日 午前04時57分
スコットランドグラスゴーショットバー“Highlanders”店内


 店内は、照明が抑えられていて薄暗かった。場末のクラブとは違い喧騒は無く、ロックグラスの氷が揺れる涼やかな音しか聞こえてこない。全てが必要最低限に抑えられている。飽和するノイズ、過剰なサービス、無意味な笑顔、世の流れに逆行するように、それらは完全に排除されているのだ。バーテンもウェイターも、寡黙。ここは言葉を必要としない人間が、カクテルグラスを静かに傾けるためだけに存在する空間。――こういった場所の雰囲気は、嫌いではない。
 私は客席と出口の位置関係、客の人数をざっと頭の中にいれると、入店と共に歩み寄ってきたウェイトレスに待ち合わせであることを告げ、店内を歩いた。
 目的の人物の姿は、テーブル席の片隅にあった。店内全体を見渡せる位置だ。プロの本能といったところか、恐らく無意識にこの場所を選んだのだろう。
 コンフォート・グレイの丸いテーブル。彼女の向かい側の席に、私は無言で腰を落とす。ドライ・マティーニをオーダーした。
「久しぶりですね、小次郎」
 向かいの女性は、私と視線を合わせて静かに微笑した。全身を黒の着衣で纏めた、私の知る彼女のいつもの選択。故に白い肌と眩い金髪が際立つ。
 美しい人間だ。人間の概観にあまり関心を示さない私でも、自然とそういう感想を抱いてしまう。それ程、彼女は異常だった。
 右がゴールド、左がエメラルド、左右で色の違う瞳。金色の滝を思わせる見事なプラチナブロンド。なにより、自然体であるにも関わらず異様なまでに人目を引き付ける圧倒的な存在感。
 住む世界があまりに違い過ぎる。感性の貧弱な私でさえそう思うのだ。常人では、彼女の存在を正しく認識することすら適うまい。
「お待たせしてしまって申し訳ない、デス=リバース」
「――小次郎」
 彼女はテーブルのカクテル・グラスを軽く持ち上げると、私と視線を合わせた。揺れる水面は、ユニオン・ジャック。ジンとヴァイオレットをシェイクした、この連合王国の国旗の名を冠するカクテルだ。相変わらず、この人はこういう見えないところでの洒落が利いている。
「私と貴女との間では、その呼び名は適当ではないと思いますが?」
「……そうかも知れませんね、リリア・シグルドリーヴァ」
 確かに、彼女の言うことは正しい。私は認めた。
 デス=リバースとは、彼女を敵に回しこれから死んでいく者の唱える名だ。私には相応しくない。
「ともあれ、8年と69日ぶりの再会。再びあなたにお目に掛かれたことを光栄に思います、我が師マスター

 ――リリア・シグルドリーヴァ。この美しい化物と最初に出会ったのは、私がまだ推定4歳の頃の話だ。もう25年以上前の出来事であったが、私には今でもあの時のことを鮮明に回想することが可能である。
 当時の私は、エンクィスト財団が組織する能力者研究・開発・養成施設、通称『チョコレイト・ハウス』の被験者だった。恐らく、1970年代から始まった“異能者狩り”で捕獲されたのだろう。生まれながらに極めて強力なPSI(超能力)に目覚めていたらしい私は、気付いた時には旧ユーゴの辺境にあるチョコレイト・ハウスで実験動物として生活していた。
 当然、親の顔も自分の名前さえも知らない。被験者たちは番号で認識されていたからだ。モルモット自身にそれ以上の情報は必要なかった。
 性別の概念を理解し、自分が人間の雌性体であることを知ったのも随分後のことだ。あまりに認識が遅すぎたせいか、今でもあまりその手のことに興味は無い。
 そんな私の元に、トリックスターは現れた。突如出現した、黒衣の女。その手には、光輝く巨大な『死神の鎌』が握られていた。
 彼女は、研究所に駐屯していた能力者で構成される防衛隊を一瞬で殲滅し、難攻不落と云われるクロアチア支部を僅か17分で壊滅に追いやった。
 その際に、黒衣の死神に開放された実験体は私を含めて47人。その全ては、彼女に引き取られ、名前と人格と感情の所持を許可された。
 後に独自の調査を行った結果、どうやら私は、クロアチアと日本の血を混じり合わせて生み出された存在らしかった。頭髪が黒いのは、そのせいだろう。今の『コジロウ・タカヤマ』という名は、その調査の過程で判明した、私の肉親(恐らく父)ではないかと思われる人物の名をそのまま頂戴したものだ。  それが日本人の男性名であることを教わったのは、名乗り始めてから4年も経った日のことだった。

 黒衣の死神は、私と全く同じ境遇にある子供たちを大勢育てていた。そして、彼女とその協力者の大人たちは、私たちに多くのことを教えてくれた。異能者として生きる術、今まで知らなかった社会、そして人間の持つ体温。モルモットであった子供たちは、新たな世界を知る度に驚愕させられたものだ。全てが目新しく、新鮮で、興味深かった。あの頃感じた、自分が開発されていく実感は今でも良く覚えている。
 そんな我々に世界を提供してくれた、左右で瞳の色の違う不思議な怪物は、自らをLILIAと名乗った。白百合と云う名の死神。極めてアンバランスだ、というのが第一印象だった。
 ある一時期、我々は彼女の存在を『神』だと思っていた。今でも、その疑惑は晴れていない。実際、彼女にその問いをぶつけてみた時、彼女はそれを明確に否定したようには見えなかった。
「どちらかと言えば私は悪魔に近しい存在でしょう」
 だが、彼女が神であろうと悪魔であろうと、我々が敬愛する友人であり姉であり母であり、そして戦友であるという事実に変わりは無い。


「暫くお会いしていなかったが、一体この数年何を?」
 オーダーしたマティーニが、ウェイトレスによって運ばれてくる。私はそれを受け取ると訊ねた。
「世界を回っていました。人間の文化と生活を見てみたかったんです」
「――なるほど」
「貴女はどうです。今は日本で活動していると聞きますが」
 以前、日本という島国には想い入れがある――と云うようなことを師の口から聞いたことがある。
「一応、一般人のボディガードとして潜伏しています。既に財団には少なかれ露見しているだろうが。そこを拠点に、アジアの財団関連施設を調査していますよ」
「財団に露見しているとなると、あなたの雇い主が危険ではありませんか?」
 リリア・シグルドリーヴァは、意外な話だが多少は優しい。
「危険でしょう。だが、恐らく手遅れ。何の因果か、雇い主が勝手に財団に手を出し始めましてね。恐らく自覚はないのだろうが、既に彼等も財団にマークされている。今離れるのは、逆に危険でしょう」
「貴女も色々と大変そうですね」彼女は目を細めて微笑した。
「まったく。今のクライアントは、よくよく財団と縁がある連中らしい」
「今回の作戦を最後に、私はこの時代を離れます」
 リリア・シグルドリーヴァは唐突に言った。この人は、少なからずこういうところがある。
「……申し訳ない、リリア。あなたの言葉の意味を把握しきれない」
 2秒ほど考えて、私は言った。経験上、2秒間思考して結論が出なかった問題は、それ以上幾ら試みても適当な解答が得られないことが多い。たとえ答えが得られたとしても、時間的に手遅れであることが殆どだから、どちらにせよ無意味だ。
「説明は難しいですが、私は今回限りで死亡すると考えてください」
「死ぬ。あなたが?」
 いままでの人生で聞いたものの内、1番斬新なジョークだと思った。
「生物学的には死ねませんが、この時代からは存在が抹消されます」
 まるで他人事のような言いぐさだが、どうやら彼女は本気らしい。いつでも彼女は本気だったが。
「説明を要求する、リリア・シグルドリーヴァ」
「つまり、あなたがもしSFをご存知なら、タイム・トラヴェルに行くとでも思って下さい。クレスが落ち着いた時空連続体の座標を特定できたので、そこに出掛けます。娘とも久しぶりに会いたいですし」
「待った」グラスを持った手の動作が、無意識に停止した。私は相当驚いている。「クレスとは何者です。娘がいたのですか、あなたには」
「言ってませんでしたか? 私の情夫の名です。私には彼との間に設けた娘が1人いるんです」
 彼女の言葉と共に、私の脳内に直接イメージが流れ込んできた。北欧系の顔立ちをした黒髪の男と、ボブカットの死神に良く似た娘の相貌だ。恐らく男の方が彼女の夫であり、少女の方が娘なのだろう。目の前の彼女の言葉を信じれば。
「情夫……あなたにそんなものが必要なのですか? あなたが異性を意識し、性交し、子を作る?」
「そうです。彼を異性として認識し、性交を繰り返し、子を宿しました」
「信じられない話だ。あなたは私と同じだと思っていた」
「1番信じられないのは、貴女ではありません。私ですよ、小次郎」
 死神はそう言って、嫣然と微笑む。
「話を戻しましょう」彼女は言った。
「――セヴンス・ムーンが完成して、実は今回の作戦に参加します。一応、私は艦長として乗り込み指揮を取りますので、実行部隊の方の指揮は貴女にお任せすることになりました」
「潜航要塞セヴンス・ムーンですか」
「はい。エンクィスト家が気前良く人材を貸してくれたおかげで、思いのほか早く形になりました。完成度は80%ですが、既に機能します。今後このセヴンス・ムーンが、我々『Thuringwethilスリングウェシル』の拠点となるでしょう」
 潜航要塞セヴンス・ムーンは、Typhoon Class SSBN。戦略原子力潜航要塞の開発コードネームだ。海中では潜水艦として、海上では一種の基地として機能する非核トマホーク搭載の万能型の機動要塞で、私の所属する反財団武装グループ『Thuringwethil』の次期拠点として、7年前に開発・建造が予定されていたものだと記憶している。
 完成までには莫大な資金と技術力、労働力および時間が必要だと思っていたが、既に実働までに漕ぎ着けていたとは――流石は死神といったところか。
「シルヴィア・エンクィストが死去した影響で、開発計画は頓挫か延期されるものと思っていたが――」
「彼女に任せていた部分は、私が補完しておきました。問題はありません」
 そうだった。この人は人間の規格から外れた存在だった。今世紀最高と呼ばれた頭脳の肩代わりも、彼女になら片手間程度の仕事なのだろう。失念していた私が愚かだ。
「私が消えた後は、貴女たちThuringwethilで好きに使って下さい。艦長は貴女が務めると良いでしょう」
「そのことだ。あなたが消えれば、我々は危機的状況に陥る。デス=リバースの存在は、核兵器と同じだ。財団やその他の組織に強力な抑止力として働いていた。その存在が失われれば、ミリタリィ・バランスが崩れて均衡が破れる。Thuringwethilとて、無事でいられるかどうか」
 Thuringwethilの総帥が世界最強の死神であったからこそ、我々はここまで組織を拡大することができたのだ。彼女がいないとなれば、我々は最強にして最大の武器と求心力を失うことになる。これは痛手どころの話ではなく、死活問題だ。組織の弱体化は否めない。
「心配いりませんよ。別に、私が消えたことを宣伝する必要はないのですから。元々、神出鬼没だったでしょう、私は。本当に消えたところで、そのことに財団が気付くのは随分と先の話です。まして、確信を得るとなれば相当の時間が必要となるでしょう」
「それはそうかも知れないが……」
「大丈夫です、小次郎。貴女は貴女が思っているより随分と強い。何千という同志もいます。恐れる必要はありません」
 事も無げに言うと、彼女はユニオン・ジャックのグラスを傾ける。

「――時に小次郎。貴女は今、ハムステッドに逗留していると言いましたね?」
 元々、彼女はあまり自分のことを話すのが好きではない。唐突に話題は変わった。
「その通りだが、それがなにか?」
「フォースでも見つけましたか? 今、能力名『奇跡』を発動している人物がいますよ。座標で言うと、丁度ハムステッドあたりです」
 死神は乙女の柔肌よりも敏感なレーダーだ。世界中を見渡せる千里眼を持つのではないかと疑いたくなるほどに、異能者の存在に鼻が利く。
「能力名……奇跡?」
 聞き覚えのないワードだ。どちらも単独でなら耳にする機会もあるが――
「その名の通り、奇跡と云う名の能力です。あらゆる物質、事象の存在確率の変動。並列世界parallel universeへの介入。平たく言えば、この世に存在する全ての『事柄IF』に関するパーセンテージをコントロールする力です。もしもの展開と現実を入れ替えると言えば分かり易いでしょうか」
 死神は表情1つ変えずに、淡々と語った。
「言霊や思念などを用いて摂理に干渉し、あるものの存在確率を特化させるという意味ではあらゆるESPやPSIとなんら変わりませんが、問題はその制限と範囲が通常よりかなり大幅に解釈されるということですね。純粋な人類が操ることが出来る特殊能力としては、問答無用で最強です。まあ、あくまで人間限定での最強ですけど」
「そんな能力者が、ハムステッドにいると?」
「どちらかというと、暴走しているみたいですね。制御できるだけの素養もない。フォースの成り損ないと言ったところでしょうか。特徴としては能力名奇跡のそれに合致しますが、微々たるものです。仮に覚醒して訓練しても、せいぜい財団でいうS級程度の能力者にしか成り得ないでしょう」
 S級程度……。死神は軽く言うが、それは世界を狙える能力だ。
「それで、そのフォースとは?」
「奇跡を起こす人間と云えば、誰もが知っている人物がいるでしょう。それの4代目ということです」
 その問いに対する解答は、幸いにも2秒以内に脳裏に浮かび上がった。彼女もそれに気付いたのだろう。1つ頷くと言った。
「そう、クライストです。もっとも、初代クライストは純粋な人間ではないので例外なんですけど」
「ジーザス……クライスト」
「まあ、そういうことですね。能力名奇跡を操り、それを制御できる人間がたまに現れるんですよ。数世紀に1度の割合ですけどね。ヴァチカンはそういう人間を見つけると、『キリスト再来』と騒ぎ立てるのが好きなのです。1番有名なクライストを初代とすると、最近現れたのはクライスト3世。つまり、サードですね。彼は反教皇派に殺されましたので、次に能力名奇跡を操る人間が現れれば――」
「クライスト・ザ・フォース」
「私から言わせれば滑稽な話ですが――少なくとも、法皇庁ヴァチカンはそう呼ぶのでしょうね」
 情報を整理し、思考を纏める。暫くの沈黙を挟んだ後、私は言った。
「今、その能力を行使している者は何者です。特徴は?」
「少年ですね。東洋人は幼く見えますので、青年と言っても良い年頃でしょうか。人種はアジア系。名として浮かび上がる言霊は……“Yuu”」
「イュウ?」
「恐らく漢字です。『祐』。小次郎、あなたの名前にも使われるアジアの文字です。日本では、訓読みだとそのまま『たすける』と発音します。神がもたらす『救い』や『奇跡』を意味する言霊ですね」
 死神は一瞬だけ目を閉じると、言った。
「憎悪、悲哀、憤怒。今は、どうやら激情に支配されて一種の心神喪失状態にあるようなので、それ以上のことはちょっと分かりません」
 それだけで充分だった。相沢祐一。彼に違いない。川澄嬢から聞いた話と総合して考えると、可能性がある人物は彼しか存在しなかった。
 彼に何らかの能力が潜在的に眠っているとは聞いていたが――心神喪失状態とは? ハムステッドで何か起こっているのだろうか。

 いつものように2秒間に限定して思考してみた。結果として、用意できた仮説は6つ。1番ありそうなのは、私が彼等から離れたことを察知した財団が、その隙を突く恰好で『川澄舞』の捕獲か抹殺に乗り出した可能性だ。
 財団が、異能者としての川澄嬢に興味を抱いているという情報は数週間前から私の元にも入っている。  だが、私が彼等から離れたことを察知しているなら、スコットランド支部襲撃の情報も察知しているということ。川澄嬢のために能力者を割く余裕が、果たして財団にあるかどうか。支部を防衛の方が、優先順位は高い筈だ。
 となると――財団と提携しているフリーランサーが雇われて派遣された可能性が高い。考えられるのは、ネイティヴの異能者集団Asellusアセルス、財団と最も密なCYBER DOLLSサイバー・ドール、それに黒きものCelaenoあたりか。
「それで、その少年がそのクライスト・フォースだと?」
「いや、そこまでの才能はないですね。彼は、恐らく生涯『奇跡』の力を制御することはできないでしょう。今のように感情的な暴走と、幾つかの偶発的要素が重なり合った時に発動するのが関の山です。力の程度も低いですね。反魂は無理でしょう。……そうですね、出来て瀕死の重傷を癒したり、重病患者を治したりくらいですか」
「奇跡を使いこなせないため、誰にとっても脅威にはならない?」
 私の問いに、死神は頷いた。
「ただ、教皇庁はちょっと能力名奇跡に煩いので、保護しようとか研究しようとか言い出すかもしれません。ヴァチカンには、ほら、噂の実働部隊がいるでしょう」
 法皇直下の実働部隊。その噂なら耳にしたことがある。確か――
「教皇庁12使徒」
 三文芝居のシナリオのような話だが、そういう情報員的なエクソシストもどきがいるらしいという噂が実しやかに流布されているのは確かだ。なんでも、我々が使うPSIとはまた違った体系に属する『奇跡』の力を行使するとか。
 名目上は、映画の悪魔払いや吸血鬼を狩るヘルシングのように、神の摂理に逆らった存在の排除することにあるらしいが、実際は教皇庁の政的や不穏分子を狩る現実的な暗殺部隊であるという。真偽の程は定かではないが、薪が燃えなければそもそも煙は上がらない。
「その12使徒とは逆に、かの有名な『ゾディアック・ブレイヴ』はクライスト・シリーズを敵視しています」
 ――Zodiac Brave。裏の世界に生きながら、その名を聞いて戦慄しない者があろうか。エンクィスト財団、そして我々スリングウェシルと並んで、世界三大勢力の一角を担う巨大な組織の名だ。構成員の能力強度アベレージだけでみれば、世界最強との噂もある。
 黄道十二宮の名を冠する幹部12名の実力は、A級ともS級とも囁かれているほどだ。私とて、彼等を正面から敵に回せば命の保証は無い。
「セカンドもサードも、ゾディアック・ブレイヴに抹殺されていますから、その点は一応気を付けた方が良いかもしれません。出来そこないと言えど、能力名奇跡であることに変わりはありませんから」
 死神は言った。
「それほど、能力名奇跡とは特異な存在だと?」
「パンダみたいなものですよ。彼等にとって能力名奇跡の保持者は珍獣なんです」









 15 Oak Hill Way NW7 Hamsted
 GMT San,23 July 2000 04:47 A.M.

 現地時刻 7月23日 深夜04時47分
 ハムステッド 佐祐理の別荘
祐一サイド


 弾ける火薬の匂い。排出される薬莢が続々と床に零れ落ち、硬質の連続音を奏でる。
 止むことのない銃声で、既に耳は正常に機能していない。もう滅茶苦茶だ。
 1階に降りてみると、その惨状は目を覆うばかりだった。艶のあるフローリングの床は、無数の弾丸に穿たれ見る影もない。あたり一面にガラスや陶器の破片が散乱していて、1歩足を進めるたびにそれが靴底の下で弾けた。窓はその全てが完全に粉砕されていた。床一面にばら撒かれているガラス片は、完膚なきまでに割られ尽くした窓ガラスの慣れの果てなのだろう。支えるものを失った窓枠が何とも哀れだ。
「絶対に頭を上げるな! 指示に従って進むんだ」
 先に立ってオレたちを先導するボディガードが、轟く銃声に負けないような大声で叫ぶ。オレたちは2班に分かれて、地下に下りる扉を目指してジリジリと前進していた。無論、サイバードールとかいう連中が、無闇矢鱈と弾幕をばら撒いてくれるおかげでなかなか先に進めない。ボディガードの人たちが援護射撃で隙を作ってくれる僅かな時間で、物影から物影へとゴキブリのようにカサカサと地を這って移動するので精一杯だ。
「栞、大丈夫か?」
 怖くて仕方がないのだろう、大きな目いっぱいに涙を溜めた栞に声をかける。彼女は言葉にならない悲鳴を上げながら、香里に縋り付くようにして震えていた。
 オレは2つに別けられた班の内、後半の方にいる。もう1つの班が先行し、オレたちはその後を追うといったような形だ。一緒にいるのは、オレ、天野、美坂姉妹、そしてボディガード2人だ。あゆも居るには居るんだが、気を失っているため勘定には入らない。ボディガードに背負われて、何も知らないまま運ばれている。
「……ッ!?」
 恐らくサイバードールのものだろう。遠くから男の呻き声が聞こえてきた。同時に、ガラスが砕ける連続音。頭を上げないように注意しながら音の方向に視線をやると、何やらズブ濡れになった銀色のボディが見えた。その足元には、割れたダース単位の酒瓶が無数に転がっている。
「お酒って……」
 2階から、女性の声。そして、それと共に落ちてくるジッポのライター。それは緩やかな放物線を描き、酒を浴びせ掛けられたサイバードールの足元に落ちた。
 次の瞬間、微かな爆ぜるような音と共にヤツの身体が燃え上がる。
「グォオォォォオッ!」
「――度数が高いと燃えるのよ。ご存知?」
 のた打ち回る金属の身体を持ったバケモノと、抗戦のために2階に残った護衛の声。
 なるほど、銃弾が効かない装甲で身を守ってはいても、火に包まれてしまえば、呼吸困難と全身火傷のショック反応で人間は死ぬ。使える武器は何でも使うって言ってたけど、こういう意味か。佐祐理さんに料理用の油があるかを訊いたのも、きっと同じような理由からだろう。
「流石はレジーナだ。これで1体片付けたな」
 同じチームに属しているボディガードの1人が言った。奴らは10人もいない。1人ずつ個々に潰していけば、必ず勝機は見えてくる。火力で劣る分、トラップや奇策で勝負と言うわけだ。
 だが、味方1人がやられた程度じゃ連中も怯まない。相も変わらず、ガトリングやアサルトライフルをフルオートで発射し、ところ構わず弾丸をバラ撒いている。たまに手榴弾が飛んでくるので要注意だ。

 ――ボディガードたちが立てた作戦はこうだ。
 まず、非戦闘員を2班に分ける。そしてそれぞれの班に護衛を2人ずつ付け、サイバードールの猛攻を凌ぎながら1階にある地下室への入り口に向かう。残ったボディガードの2人は2階に残って奴等と抗戦。注意を引き付け、オレたちが地下室に行くまでの時間を稼ぐ。
 非戦闘員が無事に地下室に入ったら、今は使われていない地下道を通って外に脱出。地下道の入り口はレンガで塞がれているらしいが、これは簡単に破れるだろうとの話だ。
「ガトリングから、アサルトライフルに変えてきましたね」
 1歩間違えば死ぬという事態においてなお冷静な天野が、呟くようにしてきした。
 アサルトライフルっていうのは、たぶん機関銃のことだと思う。ハリウッド映画に出てくる特殊部隊の兵士が持っているような、両手で持つ大きなやつだな。ハンドガン――いわゆる拳銃は、1発撃つ度に引金トリガーを絞らなくちゃならないが、アサルトライフルは引きっぱなしにしていれば、マシンガンのように弾を連続して発射することができると聞く。
「ガトリングの欠点は、弾切れを止められないことだ。あれだけ撃ちまくればな」
 言った瞬間、オレたちの護衛についているボディガードが遮蔽物から身を乗り出し発砲する。勿論、連中を倒そうと云う攻撃ではなく弾幕を張って、移動の隙を作り出すのが目的だ。
「問題は、こっちの弾数にも限界があるってことだ。エリック、あとどれだけある?」
「マガジン2本。あと、リボルバーの22口径6カート」
「22なんて役に立つかよ」
 射撃の腕だけ見れば、サイバードールよりオレたちの護衛の方が数倍上だ。奴等は物量に任せて撃ちまくるだけだが、こっちの兵士は1発1発を的確にヒットさせている。無駄弾は1発たりとも使わない。全てが計算尽くの行動だ。だけど、火力の差ってのは如何ともし難い。ガトリングが弾切れになったら、今度はアサルトライフルのフルオート掃射だ。歩く弾薬庫という表現は、そう大げさなものじゃないらしい。
 対照的に、こっちは装備が殆どない。護身用として持ち込んだ、最低限度のものだ。最初から撃ち合いの戦闘に持ちこむつもりで用意してきた奴等とは、基本的に違い過ぎる。
「よし、移動するぞ。エリック、先に行け」
 射撃にも呼吸というものがある。連射していれば弾が無くなるから交換の必要も出てくるし、それでなくても相手との攻守のターンが入れ替わる瞬間というものがあるからな。撃って、隠れて、また撃つ。自然とそういう流れができるものらしい。
 ボディガードは相手の息継ぎの瞬間を狙って、遮蔽物から身体を出す。そして、援護射撃を開始した。
 まず、気を失ったあゆを背負うガードが先を走る。その後に間髪入れずオレと天野、そして美坂姉妹が続く。最後に、残ったボディガードが追いついて移動は完了だ。
 基本的にこの手順を繰り返しながら、オレたちはゆっくりと前進していく。目的となるのは、1階の西側にある地下への入り口だ。食堂とホールの間に挟まれるようにしてそれは存在するらしい。
 今オレたちがいるのは、階段から下りてすぐのホールだ。この別荘は、映画に出てくる洋館のような造りをしているから、それはつまりエントランスに相当する。両開きの玄関ドアがあって、外から入ってくるとそこは巨大な吹き抜けのホールになっているという寸法だ。正面に2階へと続く階段があり、その更に奥に食堂やキッチンに続くドアがある。

「名雪や秋子さんたちの班は大丈夫かな」
 先行する班は既にこのエントランスを抜け、西側のドアを潜り廊下に出ていった。廊下は北に向かって真っ直ぐ伸びていて、その左右にドアがついている。そこから、食堂や厨房などに入るわけだな。
「優秀な護衛もついていますし、川澄先輩もいます。大丈夫でしょう」
 天野が励ますように言ってくれた。他人の口から聞かされると、なんとなく落ち着くもんだ。本来、年上のオレが天野を励ますような立場にないといけないんだろうけどな。親父なら、こんな時どうするだろう。
「キャアアァァアッ!」
 機関銃を連射する怒涛のような連続音。同時に、栞が悲鳴を上げて頭を抱えた。
 遮蔽物としている柱が鉛の弾丸に穿たれ、細かい木片を散乱させる。迫り出した2階部分を支える円柱形の巨大な柱だが、何千発という弾丸を受けてもうボロボロだ。
「ヤバイっスよ。もう遮蔽物も限界だ」
 護衛たちはプロだ。言わなくても把握しているだろうが、言わずにはいられない。
「……ヒック……もう、嫌です。ヒック、お姉ちゃん。怖いですぅ」
 泣きながら訴える栞。その相貌は、もう涙でグチョグチョだ。身体を丸めて小動物のように震えながら、香里に縋っている。
 ドラマ好きの彼女も、実際に生きるか死ぬかの戦場に送り込まれるのはゴメンらしい。日常とは明らかに雰囲気を異にした、死と隣り合わせの空間。そこに漂う触れれば切れそうな程の緊張感は、それでなくても常人の精神を蝕んでいく。外の世界を知らない少女に耐えきれるものではないだろう。
 オレだって、過剰なまでに怯える栞を前にしているから自分を保っていられるものの、1人でこの場所に放り出されたら絶対パニック状態に陥ってしまうだろう。
「1番遮蔽物が少なく、1番広い空間がここだ。ここを乗り切れれば、何とかなる」
 栞を慰めるように護衛の1人が言う。彼の背中に抱えられたあゆは、今も気を失ったままだ。ハッキリ言ってこれは幸いだよな。ここであゆが覚醒してギャースカ騒がれたんじゃ、余計な手間がかかる。
生きるか死ぬかって時に泣いて蹲るしかできないタイプの人間は、本来切り捨てられるのが戦場での鉄則なんだろう。
 銃撃の勢いが衰えた瞬間、素早く身を乗り出しオートのハンドガンを連射。ボディガードたちは、なんとか移動の隙を作ろうとするが奴等はそれを許さない。1発撃てば、次の瞬間には100発の弾丸がオレたちの頭上に降り注いでくる。
「クソッ、火力が違い過ぎる」
 マガジンを交換しながら、護衛は吐き捨てた。ゴトリと重い音をたてて弾の無くなったマガジンが床に転がる。周囲には、鉛弾に削られた木片に混じり金色の薬莢が無数に散らばっている。
「予備のマガジンもこれがラストだぜ……」
 2階でも激しい銃撃戦が繰り広げられているらしい。催涙ガスの白い煙と、途切れることの無い銃声が先程から続いている。残った2人の護衛はまだ無事だろうか。ある意味、オレたちを逃すために囮になってくれている彼等が1番危険だ。
 小回りの利かない奴等が相手の屋内戦とはいえ、先程から散々悪態吐かれているように基本的な火力が違い過ぎる。弾だって無尽蔵じゃないんだ。
「仕方ない、オレが囮になる。エリック、お前はこの子たちをキッチリ連れて行けよ」
「スコット!?」
 あゆを背負った護衛は、相棒の言葉に目を見張る。オレにもその理由は分かった。
「こんな商売やってるんだ。いつかは順番回ってくることだろ?」
 スコットと呼ばれたアメリカ人は、唇の端を持ち上げた。
 アンダースローで投げられた手榴弾が地を滑るように飛んできた。信じられないことに、アメリカ人護衛はそれをハンドガンで正確に撃ち返した。弾かれた手榴弾は明後日の方向に飛んでいき、爆音を轟かせる。
「2歳だが俺の方が長生きだ。それに、お前にはレジーナがいる」
 2人の男の間で、視線が交錯する。言葉は無かったが、幾百の言葉に匹敵する意思は飛び交っていた。
「……分かった」
 暫くの逡巡の後、あゆを抱えた男は苦々しく言った。それを見て、相棒は笑顔を見せる。
「よし、決まりだ。3でいくぞ」
 スライドを引き、彼はチャンバーに初弾を送り込む。次の呼吸の瞬間が勝負だ。
「いいか、君たち。合図と同時に全力で走れ。絶対迷うな。振り向くな。何も考えずにとにかく走れ」
 オレたちは頷く。今1番やっちゃいけないのは、囮になる人間の行為を無駄にすることだ。
「いくぞ。1、2、……3!」
 掛け声と同時に、彼は柱の影から飛び出した。雄叫びを上げながら、敵に突撃していく。左手にオートマティック、右手にリボルバー。手にした拳銃から放たれる銃声が木霊した。
 ほぼ同時にオレたちも行動を開始した。サイバードールの注意は、玉砕覚悟の護衛の行動に引き付けられている。その隙を狙って遮蔽物の陰から飛び出すと、一気に廊下へと続くドアに向かって走る。
 イチかバチかの賭けだった。
 走っている途中、後ろの方で拳銃の発砲音とは明らかに種類の違う銃声が響き渡った。声にならない男の呻き声。柔らかい何かを弾丸が穿つ特有の音。血の匂い。
 それが何であるか、何を意味するか、オレには分かったが分からないふりをした。ここで少しでも考えてしまったら、オレはきっと足を止めてしまうだろう。そして、もう動けなくなる。そんな気がしたからだ。
 頭の中で繰り返す。絶対迷うな。振り向くな。何も考えるな。今1番やっちゃいけないのは、囮になる人間の行為を無駄にすること。彼の言葉を忘れてしまうことだ。
 ――でも、現実ってのは残酷だ。
 結局、彼1人では囮としては不充分だったらしい。機械仕掛けの殺人狂たちは、囮を一瞬で片付けると直ぐにオレたちに攻撃目標を修正してきた。その銃撃を受けるより早く駆け抜けるには、あまりに距離があり過ぎ、ホールはあまりに広過ぎた。
 涙で視界を歪ませた栞が、恐怖と焦りで足を縺れさせる。それを支える香里共々、彼女たちは一瞬ではあるが足を止めてしまった。
 勿論、戦闘のプロフェッショナルはその刹那を見逃してくれるほど甘くはない。鈍く光る銀色のメタリック・ボディに身を包んだ男の1人が、そんな彼女たちにサブマシンガンの銃口を向けた。そして、そのトリガーは何の躊躇いもなく絞られる。

「――ッ!」

 誰もがその光景を見送るしかなかった。
 全ての音が遠ざかる。時の流れが緩慢になり、世界がスローモーションをかけた様に動きを止める。それは、人ひとりの命を奪うにはあまりにも軽く、あまりにも乾いた連続音だった。
 いや。皆が絶望に身を凍てつかせている間、1人だけその状況に対応した奴がいた。天野だ。
 オレのすぐ後ろを走っていた彼女は、美坂姉妹を庇うように銃口と姉妹を結ぶ直線上に身を滑り込ませた。発射された弾丸は、まずそんな彼女の右肩を抉った。
 血飛沫と共に、弾丸に穿たれた肉片が宙に散乱する。オレの頬に生温かい鮮血がバシャリと飛び掛った。
 続けて、2発。3発。6発、8発、そして9発……
 右胸、右の肺臓、そして心臓。弾丸が天野の身体に着弾する度、歪なダンスを踊る様に彼女の軽くて小さな身体が跳ね上がる。
 それは――それは、酷く現実感を損なった光景だった。
 あんなに撃たれたんじゃ、天野、死んじまう。
 馬鹿げた話だ。何発も、十何発も天野の身体に弾が撃ち込まれていく。心臓にも当たってる。血が飛び散って、肉片が宙を舞ってる。どう考えたって、あれは致命傷だ。
 だから、これはおかしい。そんなこと、あり得るわけない。天野は死なない。だから、これは現実じゃない。
 その筈だ。間違いねぇよ。だって、天野はオバさんくさいやつだけど、でも普通の女子高生だし。弾丸に撃たれて死ぬなんて、だからあり得る筈ないし。
 言うまでも無く、これはつまり、現実の出来事じゃない。天野が、死ぬわけない。
 死ぬわけ、ないから……。

ガッ…ガガガッ!!
 なのに妙だ。銃声が、妙にリアルに聞こえる。弾が1発撃ちこまれるごとに、ビクリと跳ね上がる天野の体は質感充分。膝から崩れ落ちて、仰向けに倒れこんだ天野の口から溢れてくる――あの血、本物そっくりだ。
 おかしい。絶対、これは変だ。
 だって……。だってさ。
 ――そこで、オレの意識は途切れた。





to be electrification...
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脱稿:2002/05/04 20:37:56

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