蒼い夜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 お気に入りの人形を私は壊す
 とても大切だから
 とても大事だから
 でもなくなるのは恐いから
 だから私は人形を
 お気に入りの人形を私は壊す

 誰にも障らせない為に
 誰にも奪われない為に

 だから私は全てを壊す
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 後姿から見ると、背中まで伸びた長い髪の毛をポニーテールにしてひとまとめにしている女性が、長い坂道を上って行く。両手には荷物がぎっしり詰まったスーパーの袋を携えて、大変そうに彼女は坂道を登っている。市街からほんの少しだけ離れたそこには家々が所狭しと立ち並んでいて、その中の一つに彼女は向かっている。息が上り、着ている上着も少しだけ汗ばんだようで、足を止める。
 その坂の中腹まで来た所で、ふと後ろを振返ると、夜も近くなってきたのか街のあちらこちらで明かりが灯って行くのが目に入って来る。

「ふー」

 彼女、倉田佐祐理は少しだけ息を直しから、再び気を取り直して再び歩を進める。
 そんな彼女を後ろから、走って追って来る者がいた。彼女は後ろから誰が来るのかまでは判らなかったが気配だけは感じたのか、後ろに振り向くと、そこには彼女の見知った顔があった。

「祐一さん」

 少し彼女にしては大きな声で息を吐く。
 彼女から見ての彼、相沢祐一は、黒いスラックスに皺だらけの白いYシャツを着ていた。バイトから帰って来る途中だったのだろうか、その格好はかなり煤けていたのだが、表情には疲れた様子は見せない。普段、大学へ行く時はもう少しマシな格好をするのだが、普段はこう言った格好を好むのが彼のだった。

「ちょうど良かった。貸してその荷物持つよ。そんなに沢山入っている重いでしょ」

 走って来てそのまま佐祐理の隣に着くと、彼女の荷物に手を掛ける。

「そんな、別に大丈夫ですよ」

 そう言いながらも佐祐理は祐一に荷物を手渡す。祐一も別段、気にもしないで佐祐理の手から荷物を受け取る。

「悪いですね。でも本当に重たかったんですよ〜」
「一人でこんなに買い込むからだよ。全く、佐祐理さんはおっちょこちょいなんだから」

 そんな佐祐理に、祐介は苦笑して答える。 それだけで二人の間柄は良いものに見える。

「でも祐一さん、佐祐理だってあんなに安くなってるとは思ってなかったんですから。本当にこんなに買うなんて思ってなかったんです。でも、こんなことなら舞も連れて行けば良かったかも…。フフ、そう思いません?」

 小首を傾げて佐祐理も笑った。

「うん、そう思う。で、その舞は何してるんだ?」
「あ、忘れていました。その、今日は舞が夕飯の当番ですよね?で、今朝醤油が切れちゃってて、買い置きも切らしてて。と、まぁそう言うことで佐祐理が買いに行ったんですけど」

 言葉の途中で佐祐理は身をひるがえして、祐一の持っている方の袋の中から醤油を取り出すと、タッと地面を蹴った。

「佐祐理さん!」

 突然、坂を登り出した佐祐理を祐一は慌てて呼びとめる。

「すいません、祐一さん。先に行きますね。舞が待ってますから」

 そう言って祐一に背を向けると、佐祐理は坂を凄い速さで登って行った。そんな佐祐理を見て、首を振り、声を掛けるのを諦めた祐一も、少しだけ歩調を速めて歩き出した時、坂の上の方から、佐祐理の声が掛けられる。

「祐一さんも早く帰って来て下さいね!」

 それに手を振って応えると「あぁ、わかったよ。ほら、佐祐理さんも急いで。舞が待ってるんだろ?」 と、祐一も大きな声を上げる。それに佐祐理は頷いて、再び坂を登って行く。そんな佐祐理を見ている祐一は、少なからず幸せそうな顔をしていた。
 
 

 相沢祐一。

 川澄舞。

 倉田佐祐理。

 三人が一緒に暮らし始めてから、時の流れは既に4年も向かえようとしている。祐一が大学に受かってから3年、当初男女3人が同棲するなどとは、3人共が到底無理だろうと思っていた。しかし、それに対しては誰も何も言わなかった。 祐一の保護者である秋子も、また舞の母親も別段反対も無かったのだが、その中でも特に、佐祐理の両親だけは無理だろうと思っていたのだが、その両者が共に何も言わずに承諾したのだった。
 そんな始まり方をした3人の生活が続く中、何時の間にか学校に行っているのは祐一だけで、既に舞と佐祐理の二人は就職していた。舞は地元企業の託児所に、佐祐理は家に入っての仕事に就いた。その仕事と言うのは、彼女が大学時代からの続けていた英語翻訳のバイトをそのまま契約社員的な扱いではあったが、それを本業にしていた。最も、始めは誰かが就職したら別れるような、そんな雰囲気があったにも関わらず、彼等は未だに一緒にいた。
 既に家族だと、御互いの関係はそう呼ぶに相応しいものなのだろうか判らないが、三人は淡々と暮らしている。
 祐一はバイトと単位をとる作業を続けて、今は就職活動も大詰め、後は内定待ちを貰うだけまで来ている。舞は託児所で、子供達を相手に毎日を過ごしている。そして佐祐理は、翻訳の仕事とそして家にいると言う利点から、家事を全般を請け負いながら、少なくとも心安らかな生活を送っていた。
 家に戻ると、佐祐理はまず台所にいる舞の所へと向かった。夕飯の準備をしていた舞は、帰って来た佐祐理を見つけて「おかえりなさい」と、声を掛ける。佐祐理も「はい。醤油。遅くなってごめんね」と、答える。そう言うと、佐祐理も腕裾を捲ってから舞に尋ねる。

「佐祐理も今日は手伝うね」
「じゃあ御願い」

 そう舞は返すと、佐祐理に包丁と大根を渡す。自分はハンペンとちくわの入った袋を佐祐理に見せてから告げる。

「今日は寒かったから…」

 舞の選んだ今晩の夕食は"おでん"らしい。
 
「ただいま〜」

 佐祐理が家に着いてから10分程経った頃だろうか、祐一が帰って来た。その声と共に玄関のドアが開かれる。程無くして祐一の顔がひょっこりと除かせる。祐一の声に気が付いた佐祐理が、重いであろう彼の持っている荷物を受け取りに良く為にトタトタと玄関に向かう。佐祐理との距離的な時間差は少し長いように思えるが、学生だった頃の三人が自らの力で住むには、これ位は街から離れて然るべきだった。少なくとも、今はもう少しマシな所に移れるのだろうが、そうしないのは節約だけではないのだろうが、それはまた別のことだ。

「おかえりなさい」

 佐祐理が一つのスーパーの袋を受け取ると、その後ろから包丁を手に持った舞が、台所から顔を覗かせ、

「祐一。おかえり」
「ん、ただいま」

 祐一は靴を脱いで玄関に上がると、先程の荷物を台所に持って言って、着替えてくると言い残して部屋に戻って行く。スリッパの音が遠くなるのと共に、台所にはおでんのかつお出汁(だし)が効いた良い香りが漂う。
 佐祐理がお皿を並べている内に、舞はテーブルの真ん中に鍋敷きを置くと、その上にドンと鍋を置く。鍋の中にはぎっしりとおでん種が詰まっていて「おいしそうですね」と、側で準備をしている佐祐理の食欲も注ぐ。その内に祐一も着替えを済ませて戻って来て椅子に座る。

「おでんなのか?」
「うん」

 そう言って祐一は立ち上がって冷蔵庫の中を除き込む。

「ビールは?」
「冷やしてない」

 舞の言葉を聞くと、一瞬だけ落ち込んだそぶりを見せるが直ぐに立ち直る。

「まぁ良いか」

 そんな祐一を見て佐祐理はくすっと笑って祐一に言った。

「だったら燗をつけましょうか?」
「え!ホント?」
「はい、荷物も持って貰ったことですし、佐祐理もちょこっとだけ飲みたい機分ですから。それに、今日は寒いですからね」

 佐祐理はそう言うと、料理用に置いてある日本酒(料理酒ではない)を出すと、どこからか持って来た徳利に入れて、ストーブの上に御湯を注いだ鍋と共に掛ける。
 夕飯の準備も終わり、皆が椅子に座って箸を持つ。

「今日はどうだった?」

 小皿におでん種を様々な乗せながら、祐一が舞いに聞いた。

「別に、何も」
「じゃあ、佐祐理さんは?」
「佐祐理も特に変わったことはありませんでしたよ」

 佐祐理がそう答えると、祐一は大根を口に頬って「そっか」と言う。

「祐一は何かあったの?」

 舞は祐一から、何時もとちょっと違う雰囲気を感じたのか、恐る恐ると言った感じで聞く。

「別に、何もないぞ」
「ふーん、そう」

 舞が答えると同じくして、佐祐理が燗をした日本酒をテーブルの上にに持って来ると「あつつ」と、声を上げる。耳たぶに指を置いている佐祐理を見て、舞が「大丈夫?」と心配そうな顔をする。祐一は嬉しそうに、二人の会話を耳にしながら食事を続けている。

「はい。祐一さん」
「くぅっ。やっぱり寒い日は美味い。熱燗に限るねぇ」

 佐祐理がくすっと笑って、祐一の手にある御猪口に日本酒を注ぐと、祐一はそれを一気に煽る。

「はい、佐祐理さんも」
「ありがとうございます」

 そう言うと、祐一は佐祐理に返杯すると、佐祐理も一気にそれを飲み干す。

「ふぅ、舞も飲みますか?」

 佐祐理が問うと、舞はコップに入っているウーロン茶を揺らす。それは舞の、アルコール御断りの意志表示だった。

「美味いのにな…」
「ねぇ」

 二人で頷き合うが、舞はそれを見ても気にした様子も見せずに、コクとウーロン茶を喉に流す。
 その後も、適当な談笑をしつつ三人で夕食を採る光景が続く。それを傍目に舞は黙々と、祐一と佐祐理はそんな舞をからかいながら、一見すると幸せな時間だ。

「そういえば、二人とも明日の予定は?」
「え?」

 思い出したように祐一は二人に問い掛ける。

「えっと、佐祐理は何時も通りですよ。舞は?」
「私は明日は遅番だから、終わるのがちょっと遅い。多分10時くらいになると思う」

 二人がそう言った。

「うーん、なら佐祐理さんだけか」
「ふぇ?」
「うん、あのね。明日なんだけどさ、バイト先で映画のチケット貰ったんだがどうしようかと思ってな」

 祐一がぶっきらぼうにYシャツの胸ポケットから四枚の映画のチケットを取り出す。

「で、期限が明日までなんだが、舞がダメなら止めようか…」

 祐一がそこまで言った時、リビングの隅に置いてある電話機からリンと音を発てた。三人で受話器を取ろうと腰を浮かせるが、3回ほどベルが鳴った所で、電話機に一番近かった舞が受話器を取る。

「はい、倉田ですが…。はい……」

 祐一と佐祐理が浮かせ掛けた腰を椅子の上に戻すと、舞が佐祐理の方を見つめながら会話しているのに気が付いて、佐祐理は自分を指差して舞に目で訴える。舞も佐祐理にうんと頷いく。

「佐祐理。おとうさん」

 舞はそう言って受話器を佐祐理に渡す。
 おとうさん。その言葉を聞いて一瞬固まった佐祐理だが、舞から受話器を受け取ると、何時も以上に落ち着いた物腰で応答していた。
 
 

 佐祐理は、自らの父親に余り良い感情を持ち合わせていない。
 それはあの時、佐祐理の弟である一弥が死んだあの日からだった。10年以上も前の日から、彼女はそれを引きずっていた。 忘れられずに、いや忘れた振りをしながら。 そして、今一緒に住んでいる同居人達はそれを知っていた。だからかもしれない、彼等に自分の父親の存在を恥じ、またそれに対する自分が嫌で嫌で仕方がなかった。

 弟殺し…。

 父親と言う言葉と同じくして頭に浮かんでくる残痕の言葉。 自分の持つ業の深さに押し潰されそうになりながらも、消えたくなるのを我慢しながらも、彼女はそれを享受し続ける。 それが自らで決めた生き方なのだと言い聞かせながら。
 

 佐祐理が電話から帰ってくると、彼女が電話口から帰って来るのを待っていたのか、舞も祐一もとも食事を中断していた。佐祐理が椅子に座ると、祐一は彼女の御猪口に日本酒を注ぐ。別にそれだけで何も聞かない。それを佐祐理は嬉しく感じながらも、ホンの少し頼りたい気持ちも膨らんでいるのを自分でも感じ、それを誤魔化そうとクイっと日本酒を煽る。

「明日…映画は二人で行って来て」

 そんな二人を見て舞は、少し冷めてしまったおでんの卵を箸で割りながら言った。

「でも…」
「良いの、佐祐理はいつも家にばっかりいるんだから。少しくらい気分転換して。それに映画のチケットも勿体無いでしょ?」

 佐祐理がそれに対して否定しようとすると、それを舞が遮る。

「じゃあそうしよう。折角舞もこう言ってくれてることだし。なっ?」

 舞に合せた様に、無理矢理に祐一は笑って答える。
 
「良いんですか?」

 佐祐理が舞と祐一に恐る恐る尋ねる。二人はそんな彼女に対してうんうんと頷く。 そんな二人の気持ちを知ってか、佐祐理は「じゃあ」と言って行くことを了承すると、それ聞いて嬉しそう舞は「おみやげ」と言う。

「はいはい、判ってるよ」

 祐一も舞に合わせて佐祐理を元気付ける。

「おみやげは、何が良いですか?」

 二人の気持ちを知って、佐祐理も本当に嬉しそうな表情をして言った。

 夕食も終えて、後片付けをしようと舞が立ち上がると、それを遮って裕一が立ち上がる。

「今晩は俺がやるわ」
「私が当番」

 舞は冷静に返す。

「俺がサービスしてやろうと言うのに、断る気か?」
「何を考えているのか判らないからいい。私が…」
「だから、明日の詫びってことで今日返しとこうと思ったの」

 祐一がそう言うと、佐祐理もあっ、と気が付いたように立ち上がる。

「そうですね。佐祐理もそう思います。後は祐一さんとやりますから舞は休んでいて下さい」
「ほら、今日は舞も仕事で疲れただろ?それに夕飯の準備もやったんだしさ。今日は早目に風呂に入ってくれ。後は俺らがやっとくからさ」

 舞は二人に堰き立てられて、しぶしぶと言った具合に立ち上がる。

「そう…なら良いけど」

 どこか納得のいかない表情の舞が風呂場へ向かうのを見送ると、祐一は台所で皿を洗う手を休めて、佐祐理に向かって尋ねた。
 
 
 
 

「大丈夫か?」

「…はい。なんとか、大丈夫です」

「そっか、なら良いんだ…」
 
 
 
 

 この時の、二人の間に交わされた言葉はそれだけだった。

 翌日、佐祐理は洗濯と朝食の用意を早めに済ませ、仕事に向かう舞を見送ってから、出掛ける支度をした。出掛ける十分前には用意を終えようと、少しだけ急ぎながら。 そんな時、トントンと佐祐理の部屋のノックが鳴らされる。時間にして丁度十分前、口紅を塗り終えた佐祐理は鏡台の椅子から立ち上がって、急いでドアを開ける。

「佐祐理さん、準備出来た?」

 ドアを開けるとそこには祐一が立っていて、既に準備は終わっていたのかジーンズに厚手のブルゾンを羽織り、サングラスを掛けて車の鍵を左手の指に掛けてぐるぐると回していた。

「はい、もう少しで終わりますから下で待ってて下さい」
「ん、わかった。じゃあもう車を回しとくから玄関で待っててくれれば良いから」

 祐一はそう言うと階段を降りて行く。
 佐祐理は祐一の背中を見送ると、再び鏡台の前に座って、いつもは縛っている髪の毛を梳いて降し終えた所で準備は完了する。

「…さてと」

 財布の入った手提げなど、一通りの準備を終えてから佐祐理も階段を降りる。一応台所に回って火を落してから、部屋の電気を消して玄関へと向かう。
 低めのヒールを履いて玄関を出ると、そこには彼等の車が止めてあった。祐一が大学の先輩から破格の値段で譲り受けた、かなり古めの国産車だ。その助手席に佐祐理は乗り込むと、車は緩やかな加速と共に、長い坂を下って行った。

「久しぶりだな…二人で出掛けるのって」
「そう言われればそうですね」

 祐一の言葉に対して、適当に佐祐理は答える。

「多分、1年振り位だと思うけど…」
「佐祐理もそれ位だったと思います」

 佐祐理はそれに対しても余り気にかけていないような返答をするが、祐一も気にしていないようだ。

「さてと、どこに行こうか。まぁ映画を見てその後は適当にどこかで時間潰して外で夕飯食べて、それで良いかな?」
「佐祐理は祐一さんとなら、どこでも構いませんよ。取り敢えず舞が家に着くまでには帰りましょう」

 と、佐祐理は答える。

「うん、そうだな。じゃあ映画を見終わったら海の方でも行ってみようか。高速使えば1時間ぐらいで行けるだろうし」

 そう言うと祐一はカーステレオのスイッチを入れる。佐祐理の知らない洋楽が車中に溢れそれに併せて祐一も鼻唄を歌っている。その横顔を佐祐理は流れる景色と一緒に見ていた。
 今年で大学も卒業となる祐一は、佐祐理の一つ年下になるのだが、佐祐理はその横顔を見ると、自分よりも、もう少しだけ年下にも見えなくもない、と思えた。
 あの日、祐一と知り合った5年前の冬。冬の真っ只中の寒さの中で舞と共にいた彼が、そのまま一緒に暮らすことになるとは、佐祐理は夢にも思わなかった。ただ、あの時の舞に向けられた瞳の色と、そしてその奥で揺れていたモノに自分を見つけた時には、既に佐祐理も祐一に惹かれていたのかもしれない。その相手が舞の想い人であったとしてもだ。
 だが、祐一も佐祐理と似たような感情を持っていた。佐祐理に自らの過去を聞かされた時に、どこか引っかかるものが裕一のどこかに在って、それが自らの、感情の深い場所に残り続けているようで忘れられなかった。だからなのか、舞が自らを傷つけようとした時、祐一に縋ろうとした時に、祐一には舞を抱くことは出来なかった。彼女が自分のことを今でも想ってくれていると知っていて、その気持ちに答えることが出来なかった。

 祐一と佐祐理。
 お互いが何処かで、自らも判らない何処かで縛りつづけているのを二人ともが感じていた。 二人が御互いを縛り、想い続けること。それはきっと同じモノなのだろう。 そして舞を守ると言う、それだけの為に、彼等は共に暮らしているのだ。今も、そしてきっとこれからも。だが…

 市街に入ってから映画と昼食を終え、二人は行き掛けに言っていた海に向かうことにした。ここからだと高速に乗って一時間足らず。佐祐理も「それで良いですよ」と言って、二人を乗せた車は高速に入る。

「今日は空いてるな」

 インターチェンジから高速に入ってから少し走ると、何時の間にか制限速度を40キロも越ていた。このペースならば一時間と言わず、40分足らずで目的の場所まで着けるだろう。 

「やっぱり平日ですからね〜」

 と、呑気そうに佐祐理は言う。

「平日にデート出来るだなんて、我ながら良い身分だと思うよ」

 祐一も佐祐理と同じように、気楽に答える。

「それには佐祐理も同感ですね」

 そう言って二人で笑う。
 暫く走っている内に、二人とも段々と口数が減って来るが、祐一が佐祐理に尋ねる。

「佐祐理さん、ぼーっとしてるけど考え事?」

 そんな祐一の言葉を聞いて、佐祐理は小さく笑う。

「そんな、ただ舞の御土産を考えていたんですよ」

 そう返された祐一も、ハンドルを握り前を向いたまま笑う。

「そっか、でどうしよっか?俺忘れてたよ…」

 佐祐理に対して少し時間を置いてから祐一は答える。

「それで思ったんですけど。これから海に行くなら色々あると思うんですけど…。お刺身とか、カニなんて良くありません?」
「うん、以外と良いかもね」

 祐一はそんな佐祐理をミラー越しに見詰めながら答える。

「…はい。それで鍋になる材料なんてどうです?まぁ、昨日はおでんでしたけどね」
「うんうん。良いね〜。で、今夜も一杯いきますか?」

 くいと手首を曲げて御猪口を口に持って行く動作を佐祐理に見せる。

「う〜ん、祐一さんは御酒ばっかりですね」

 佐祐理がそう言って笑った時、一つの景色が目に止まった。長い下りのカーブ越しに彼等の目の前には冬の海が広がり、地平線と空の境界線が重なって一つの世界が、まるでどこかに繋がっているように見えた。それは、自分達の様な気がしないでもなかった。

 高速を降りてから、ガリンを入れる為にスタンドに車を寄せ、そこでちょっとした買い物が出きる場所を場所を教えて貰って、二人はそこに向かうことにした。そこはちょっとした魚市場で、午後も少し経ったこの時間になると殆どの店は閉まっていたが、それでも何軒かは開いていて、そこで二人は御土産として数匹の鮮魚とカニを買ってその場を後にした。

 そこから少し走った所で丁度駐車場もあって、海が良く見える場所に祐一は車を止める。

「佐祐理さん?大丈夫?」
「…え。どうしてですか?」

 突然話し掛けてきて驚いたのか、目を丸くして佐祐理は答えた。

「いや、さっきからずっと黙り込んでるからさ」

 祐一はそう言うと車の窓を開けて、冷えた空気を胸に吸い込む。

「…祐一さんはいつでも優しいですね」

 そう返された祐一も、少し驚いたような顔をする。そしてハンドルを握りっている手に力を込めると、前を向いたままで笑いながら「…まさか、そんなこと無いよ」 と、佐祐理に対して少し時間を置いてから祐一は答える。

「いいえ。祐一さんは優しいですよ。舞にも、そして私にまでも。それに比べて私は…本当に自分の都合に良い女ですよね」
「佐祐理さん…」

 祐一はそんな佐祐理をミラー越しに見つめる。

「……いや、それを言うなら、きっと俺もそうなんだよ。だから、もう良いよ」
「………はい。きっと同じ、なんでしょうね。私達」

 佐祐理が自嘲のように、小さい声で話す。それを掻き消すかの様に祐一がぶるっと寒さに体を震わせる。

「佐祐理さん寒くないですか?」

 場を変え様と、祐一はちょっとふざけて佐祐理に聞く。佐祐理もそれを見てフフっと笑う。祐一もそれに笑って答える。

「窓、開けっぱなしだからな」
「閉めなきゃ寒いのは当然ですね」
 
 

 午後5時。再び高速に乗って岐路へと着くが、後十数分で降りると言う頃、二人の乗った車は通勤ラッシュに巻き込まれて渋滞に飲まれる事になった。少し進んではブレーキ、少し進んではまた、と車は止まったり動いたりを繰り返している。祐一がふと隣を見ると、そこには車酔いを起こした佐祐理が顔色を悪そうにしていた。

「佐祐理さん。大丈夫?」
「はい?」

 佐祐理は白い肌を青くして、気持ち悪そうに、曖昧に祐一の答えに頷いた。

「気持ち悪いでんしょ?」

 佐祐理は力なく微笑む。

「ごめん、渋滞に弱いのを忘れてた。次ぎで降りるよ」
「でも…」
「もう少しだけ我慢できる?」

 祐一の、優しい声に、瞳に見つめられた時、佐祐理は子供の頃に戻ったような気がした。
 佐祐理はそっと手を伸ばして、ハンドルを握っている祐一の左手に触れてみる。それに気がついて祐一が佐祐理の方を見る。

「佐祐理さん…」
「ごめんなさい、我慢出来ないかもしれません…」
「うわ、嘘?ちょっと止めるから待って!!」

 祐一は慌てて高速の路肩に止める。幸い渋滞でゆっくりだった為、無理矢理車を止めても大丈夫だった。
 御昼に食べた物を、一通りもどした後、佐祐理は車に戻る。運転席に座っていた祐一が心配そうに水筒から水を注いで佐祐理に手渡す。

「大丈夫?」
「はい、少し落ち着きました」

 まだ顔色が優れない様子の佐祐理が答える。祐一にはそんな佐祐理が無理をしているのが手に取るように判った。

「少し休んで行けば大丈夫です」

 そう言って佐祐理がチラと視線を移す。その先にはラブホテルの看板があった。
 
 

 暫く佐祐理は眠っていた。
 ゆっくりと意識が戻ってくるのが判ると、今度は自分が裸で毛布に包まっているのを感じた。
 気持ち良い、暖かい、このままでいたい。起きるのはもう少し後にしたい。そう思いながら、腕に抱いている枕をぎゅっと抱きしめる。すると、枕だと思っていたソレが、逆に佐祐理を抱き返してくる。そして、抱き返してきた手の平が髪を撫でる。

「佐祐理さん。大丈夫?」

 祐一の優しい声が佐祐理の体の中に浸透するように入り込んで来る。

「わたし…」
「少し眠っただけだよ」

 佐祐理を腕に抱きながら、そっと体を起こして祐一が言った。佐祐理が自らのことを"わたし"と言ったことに気が付くと、祐一はどこか悲しげな表情になるのを隠せなかった。

「今、何時ですか?」

 自分のことを気付かれたことを隠しながら、佐祐理は胸元にシーツを引き上げながら言った。

「8時半、かな?」

 ナイトスタンドに付いているデジタルの時計を見て祐一が答える。そして続け様に、

「そろそろ帰らないとな…舞が待ってるかもしれない」

 と言う。

「じゃあ10時までには帰らないといけませんね」

 そう言うと佐祐理は、祐一の体から離れると、シャワーを浴びる為にベッドを降りて、そのままの格好でシャワー室に向う。しかし途中で立ち止まり、祐一に背を向けたままで、佐祐理は崩れ落ちる。

「私…また。ゴメンナサイ。ゴメン…なさい……祐一さん。ゴメ…」

 床に膝を着きながら言葉を告げると、祐一は佐祐理の腕を引っ張り、自らの胸で再び抱き止める。

「あっ」

 そのまま、声を上げる佐祐理を無視して、祐一は有無を言わさぬ力で佐祐理の唇を奪う。佐祐理のことをまるで見ておらず、ひたすらに荒々しいキスを、何度も何度も祐一は繰り返す。その内に、佐祐理は祐一の胸に力無く崩れると、それを祐一は力強く、そして自らを守るかのように、抱き締める。

「もう良い…もう良いから、これ以上は謝らないで。御願いだから…佐祐理さん。御願いだから謝らないで…」
「ゆういち…さん」

 力なく佐祐理は呟くと、再び祐一に佐祐理はもたれる。祐一もそれを逃さないように、しっかりと抱き締める。それはまるで寒さに震え、御互いの体を温め合うかのような、そんな抱擁だった。
 そう、二人は御互いを抱き締め合うことでしか、自分を見れないのだから。
 
 

 帰り道。二人とも何も言葉を交わすことはなかった。ただ、行きと同じようにカーステレオからは、ラジオのノイズが交じった猥雑な音だけが車中に溢れていた。
 9時半、二人が家に着くと、まだ家屋に明かりは灯っておらず、舞が帰っていないことを示していた。
 リビングに入って、祐一はテレビを点け、佐祐理はポットの御湯を変える為に台所に出てると、ヤカンに火を掛ける。暫くの間、テレビのから流れる音と、コンロの炎の音だけが、二人のいる空間を支配していた。

 がちゃ、と玄関のドアの開く音と共に、もう一人の住人が帰って来る。

「ただいま」
「「おかえり。舞」」

 舞の声が、狂い掛けた二人の時間をを正常なモノへと戻す。
 舞の存在だけが、二人にとっては、最後の救いなのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 降り注ぐのは赤い雪
 血の朱に染まる赤い雪
 ただひたすらに降り積もり
 世界を赤く染めて行く

 少女に染まった赤い雪
 それに埋もれる願いは一つ

 どうか私を殺して下さい

 せめて貴方を消し去る前に

 せめて貴方の心の中で
 
 

 どうか私を殺して下さい
 

 せめて貴方を消し去る前に
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  (つづく)
 
 



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