全ての障害は除いた筈だった

 深淵に隠された最後の障害

 まるでそこは、暗闇に浮かぶ湖のように、遠い最後

 でも、確実にソコに近づいているのだと感づいていた

 いや、知っていた

 知っていたのだ















 
おしまいの日
















「退いてくれ…」

 低い声だった。何よりも、誰よりも夜に、佐祐理に届くような声だった。しかし、それに動じもせずに佐祐理は告げる。

「貴方に舞を追う資格はあるんですか?」

 二人の視線が絡む。

「どうして?」

 祐一は佐祐理に疑問の言葉を聞く。
 自分が判らないから、それを相手に教えてもらう言葉。
 けれど祐一は、判っていた。
 何故、彼女が言ったのかを。
 何故、彼女は壊したのかを。
 それが祐一には痛いくらいに判ったから、祐一は聞いた。
 どうして、と。
 同時に、腕に鈍い痛みが走る。
 それでも、祐一は表情を変えない。
 彼女の方が、痛いことを知っているから。

「もう、終わり」

 疲れた表情で佐祐理は言うが、どこかさっぱりしていた。
 けれど、言葉や表情とは裏腹に想いは濁っている。
 長年置かれたワインに底に溜まる苦い澱のように。
 同じように、彼らの家の中にはきっと、苦くドロドロとした澱が溜まっていた。
 最早取り除けないほどに。

「ずっと前から決まっていたんですよ…」

 溜まり過ぎたら決壊する。
 だから、その前に壊した。
 壊れたのではなくて、壊した。
 二人はそれをきちんと知っている。

「…俺達の我が侭ってやつさ」

 壊れることに耐え切れずに自らで壊す。
 それでしか自分を救えない。
 子供の我が侭と同じだと、始まりから気付いていた。

「そう…ですね」

 佐祐理は祐一が出て行かないとことを確かめると、掴んだ腕の力を抜く。
 祐一の腕を離すことはない。
 佐祐理の手の平の中に、祐一の血が流れる。

「もう、持たなかったのよ。舞の前じゃ保てないのよ…」

 その血を見ながら、彼女は続ける。

「私も、そして貴方も…」

 佐祐理はそのまま力を抜くと、玄関のドアに寄り掛かる。

「…知ってるよ」

 何が辛かったのか、それを自問しながら祐一は佐祐理に言う。それでも答えは出ないから、これは自問自答ではない。

「辛かったんだろ?」

 自虐だと、自らで気付くが、それはそれで心地良いと決めつけることも出来た。だが、それは同時に陳腐な覚悟だとも、知っている。けれど、それしか残っていなかったから、佐祐理は言う。

「はい。辛かったです」

 何も映さない二人の瞳が、重なる。何も映さずに。ただ、重なる。
 無機質で、鉄と何かが混ざり合うような、そんなたぐいの重なり方だった。

「行くよ…」

 祐一は佐祐理に告げると、佐祐理を退けようと、玄関のドアノブに手を伸ばす。だがし、それはなかった。

「それでも…」
「佐祐理さん、退いて下さい」
「あなたにだけは、絶対に舞を渡さない」

 玄関のドアに立ちふさがる佐祐理。彼女の瞳の奥に光るのは、純粋な愛情であり、憎悪だった。

「それは舞が決めることだ。俺じゃないし、佐祐理さんでもないはずです」

 そう言いながら、祐一は聞いていた。どこからか聞こえて来る足音を。湿った音をたてながら、確実に近付いて来る足音を。けれど、耳を塞いでもその音は止まない。それもそのはずだ。自分からその音をたてているのだから。自分から壊れることを望んだから。

「いいえ、違うわ。舞は、結局選べなかった。私か祐一さんかを…だから……だから、貴方は私に抱かれなさい…。そうすれば舞は、ワタシタチのどちらをもを選ばなくて済みますから。そうすればあの子が苦しまなくても済みますから。それに…舞が居なくなっても、今度は祐一さんが私の"一弥"になってくれるんでしょ?私のための、祐一さんに」

 祐一は集点の定まらない瞳をした佐祐理の腕を引っ張って、佐祐理の眼前で告げる。祐一の中に映るのも、佐祐理と同じ。愛情で、憎悪。そして…。
 どれもがぐちゃぐちゃに混ざって、自分が何を思って言葉を発するのか、それすらも判らずに。

「……だったら俺の"まい"は佐祐理さんかい?」

 佐祐理は祐一に怯えることなく、恍惚とした表情で見詰める。祐一もまた哀しげに受け止めて佐祐理を見詰める。

「それも良いかと思います。それならワタシタチ以外の誰にも迷惑を掛けなくても済みますしね」

 あどけない微笑。そんな佐祐理の姿は、何も知らない童女を思わせる。
 純粋な、ただの笑み。純粋故の、恐さがあった。

「例えば…舞か?」
「はい…。そして、祐一さん。あなたのことも…」
「佐祐理…さん…」

 祐一は、立つことが出来なくなった。自分を知ったから。その程度だと。
 そして、知っていた。その答えを。
 結局、子供なのだ。自分も。守るつもりで、守られている。
 それはプライドが、捨て切ったつもりの過去の残痕が赦さなかった。だから、誤魔化した。
 だが、佐祐理は、言ってしまった。認めてしまった。子供のままで。そしてまた、自分が同じだったのだと、見せつけられて。
 力なく祐一は玄関に腰を落す。
 佐祐理は、祐一を見下ろすと、幸福感と嫌悪感が混ざり合うのを感じて、いかにも自分らしいと。

「貴方は、どこまでも私を苦しめる。でも、それでも私は…」

 そこまで言いかけて佐祐理は首を振る。それ以上は言えなかった。言ってしまえば、彼が辛くなるからだと、言いきかせて。
 だから彼女はどこまでも自分に辛くなれる。

「今度は私の番、ですよね?祐一さん…」

 自分が気づかせて上げたのだと、そう言わんばかりの、笑顔。
 自分をも傷付けていると思う。だが、彼女は言った。
 この青年、いや少年が、憎みきれない。絶対的に憎むべき相手なのに、憎みきれない。
 どうしてだろう。その答えが判らない。
 でも、彼女はそれで良いと思った。
 判らない方が、判っていることよりも理解して出来るかもしれない。判ってしまえば、彼を、本当に愛してしまうかもしれない。
 だから…。
 どこか甘えた自分の想い。
 でも、良いと思った。そんなモノだと、深い部分で嘲笑っている自分が囁く。

「私を、愛してくれますか?」

 佐祐理はそう言うと、祐一の前にしゃがんで、両手で祐一の頭を抱きしめる。母親のする抱擁。そしてゆっくりと、彼女も頭をずらして祐一の唇の前に持って来ると、キス。次には女の抱擁。





 自分達が出来ることは、互いに傷付け合って、慰め合うことだけだと

 でも、それでも良いんじゃないか

 所詮、人なんてこの程度で、やっぱり他人は、自分の為にいるだけで

 でも、それでも良いんじゃないか

 互いに成長することが出来る関係なんて、そうそうあるわけもなくて

 でも、それでも良いんじゃないか

 だから、自分が好きになれなくても、他人を、誤魔化しでも愛することは出来るのだと

 どうしようもくて、安全な場所から色眼鏡で見る世界を、現実を馬鹿にして、自分に嘘を吐いて

 でも、それでも良いんじゃないかと…

 そんな自分でも良いんじゃないかと…





 祐一は、佐祐理の背中に腕を回す。
 佐祐理がその力に顔を歪めるくらいに。
 佐祐理も祐一の腕の全てに身を任せて。
 体中で縋る。




 二人は、ココロのそこから互いと、自分を認める

 弱い人間なのだと

 脆弱で、臆病な、弱い自分なのだと

 自分に縋る、子供なのだと

 自らに作った枷と思っていたモノに縋っていた、ただの子供なのだと…



「私は…貴方と、もう一度だけ寝たいでんですけど、良いですか?」

 佐祐理は、祐一の腕に包まれる感触の中で、誰に言ったのか、それは小さな声で言った。
 祐一は、答える代りに佐祐理を抱き締めると、そのまま玄関のドアに押し倒す。
 二人は抱き合う。
 人間ではない、本能のままに生きる、ヒトと言う生物。
 一番奇麗な姿かもしれないし、それは一番醜い姿なのかもしれない。
 それでも、二人は抱き合った。
 服を脱ぐのもお座成りに、乱暴で暴力的に。
 二人は、どこかしこに何度も何度もキスをして、ただ、その行為に溺れる。



 祐一が佐祐理の中の胎内で果てて、未だ起立したそれを佐祐理に納め、彼女の胸の中にいる時に佐祐理が言葉を発した。

「舞が出て行ってから、また、私達こんなことしてる…」

 祐一を胸に抱きながら、佐祐理はどこか寂しげな顔で言った。
 佐祐理は祐一の方を見るが、祐一は佐祐理と視線を合わせようとはしない。

「いっそうのこと、私が妊娠でもしていれば良かったのかもしれませんね…」

 そんな祐一に佐祐理は、やはり自虐的に、自分をどれだけ卑しめられるかと、そう思いながら言う。

「…そうかも」
「そうですよ」
「だったら不妊症な佐祐理さんが悪いってことかな?」

 佐祐理の瞳を見る。彼女はいつだって涙を見せることはなかった。
 祐一にはわかっていた。彼女の言葉の意味を。だから、佐祐理の言葉に相槌をうって、肩をすくめて見せる。

「やっぱり貴方は優し過ぎる」

 佐祐理に、今の祐一は辛かった。それはわかられる痛み。
 佐祐理も知っていた。優しい痛さが、いずれ恐怖に変わることを。失われる、そんな恐怖に変わってしまうことを。

「うん。でもね、佐祐理さん、やっぱり俺は残酷なんだよ。やっぱり、舞以外には、舞の為なら誰にだって残酷になれるんだよ…」

 祐一も同じだったから、先の言葉を意味を含めて告げる。
 それが、祐一の優しさであり、残虐さだった。

「知ってます。そしてそのための私であり、貴方なんですから…」

 佐祐理は祐一の言葉を抱き締める。祐一の優しさも、残虐さも同じにして、大切に。

「なんだ、佐祐理さんも随分優しいじゃないか」

 二人は、わかり合った。こんな形で。いや、こんな形で理解し得なかった。
 だから笑う。優しく、小さな、笑み。

「…舞の為、ですから」
「あぁ、舞の為だからな。だけど…だから、それも、もう終わりだ」
「…えぇ、ワタシタチがして上げられることは、もう、何もありません。側にいて上げることも、もう…」

 舞のためだけに、自分達を彼女から離すために、二人は笑う。
 くすくすと、おかしそうに。





 二人は再び玄関にいた。
 祐一は、再度舞を探しに行こうと。
 佐祐理は、そんな祐一を見送るために。

「ねぇ、祐一さん。ちょうど良いですから私達、結婚でもしませんか?」

 佐祐理が言う。最後に残った、彼女の残滓がそう言わせるのだろうか。

「結婚、か。良いかもしれませんね」
「面白そうじゃありませんか?」

 祐一も、それに答える。自分の想いを断ち切るために。

「じゃあ、結婚しちゃいますか」
「はい」

 と、なるべく穏やかに。
 そして、どこかふっきれた佐祐理の笑顔を、とても奇麗だと思い、一瞬見惚れる。

「そうすれば、舞も私達から離れてくれるでしょうし…」

 時計の針が進み過ぎてしまったことを、今になってわかる。だからこそ、佐祐理は笑顔で言った。

「そう、だな」

 佐祐理とは対照的に、祐一は目を細める。全てを懐かしむような、そんな瞳で。

「でも…」

 祐一が、ふと言葉を止めて一度目を瞑る。一瞬だけど長い時間だった。再び見開いた瞳は玄関を見ながら祐一は口を開く。

「もう、良いのかもしれない」
「…私も、そう思います」

 二人で玄関のドアを見ながら、小さく微笑む。
 共有した時間は、終わる。

「じゃあ、舞を探しに行ってくるよ…」

 すぅ、と祐一が立ち上がって、佐祐理に言った。

「はい、御願いします」

 きっと、それは彼らが今までに語り合った、どんな時より、どんな言葉よりも濃密な会話であり、時間だった。

「あの子も寒さで震えてますから、コートでも持って行って下さい」

 本当に"三人"の最後の時間が訪れる。

「あぁ」

 佐祐理が今まで抱えていた、舞のコートを受け取ると、祐一はドアノブに手をかける。
 今度こそ、止める者はいない。 

「そうだ、祐一さん」

 扉を開けようとした祐一に、佐祐理は声をかける。だが、その声は聞き慣れた者でないとわからない程に、小さく震えていた。

「何?」

 彼女の震えに気が付くが、振り向かずに祐一は答える。

「言うのが遅くなったんですけど、辛いと思いっているなら、私だけは、待っていても良いですか?貴方のこと…。
もし良かったら、ですけど」

 彼女の言葉に振り向いてしまったら、きっと、もう戻れなくなる。

「…そうしてくれると、嬉しいけど、無理はしないで欲しいな」

 それがわかっていたから、祐一は振り向かない。

「無理なんてしてませんよ…。それに、約束…じゃないですか。舞を悲しませたらって…」

 佐祐理にも、それがわかる。
 痛いくらいに。

「約束。俺は破っちゃったな…。佐祐理さん」
「はい」
「帰って来たら"御願い"しても良いですか?」
「祐一さんが望むなら」
「ありがとう」

 背中越しに伝わる佐祐理の言葉の、その一つ一つにある優しさに感謝しながら、祐一はドアノブに手をかける。

「…でもその前に、俺達の結婚式場。どこにしましょうか」

 だから、祐一はそこで"いつも通り"の自分になる。足掻いているのが自分でもわかる。どうして今更縋るのか、求めるのか。
 だが、哀しい未来だった。

「…結婚式、ですか。え、誰のですか?」

 佐祐理が、少しあっけに取られた様に言うその姿は、一瞬だけ"彼女らしさ"を見せる。
 彼女もまた、縋ろうとするが、それも同じに哀しい未来だった。

「佐祐理さんと俺のだよ。言ったじゃないか、さっき」

 これだから佐祐理さんは、とおどけた口調だけは変えずに祐一は言う。

「でもあれは冗談ですよ。それに"佐祐理"は、何の取り柄もない、ただのちょっとドジな女の子なんですよ。誰も"佐祐理"を好きになんてなってくれませんよ」

 そう、クスっと笑って、佐祐理は肩をすくめながら、祐一の背中を見詰める。
 今の彼女の笑いには一切自虐は見えなかった。それは、いつもの彼女が見せる、どこか儚い微笑。

「いけませんか、何もない女の子を選んじゃ。俺は、それでも良いと思うけど。……でも佐祐理さんが良かったら、いつでも言って下さい。なんなら、今直ぐにでも良いですよ」

 いつも通り。祐一も、それを演じ続ける。

「…それじゃあ、帰って来たら一緒に市役所にでも行きましょうか」

 佐祐理もそれに合わせてさっぱりと笑ってみせる。恐ろしく好感度の高い、いつもの笑みで。それでいて、瞳だけは隠し切れないほどに意図的で、失われることを享受してしまった悲しい微笑み。
 その笑顔と共に、祐一はドアを開ける。玄関のドアが開くと同時に、冬の残り香を残した冷たい風が、完全に道を違えた二人の間に吹く。

「はい。…じゃあ、行って来ます」

 それが、終わりの合図。

「いってらっしゃい」

 佐祐理の言葉で、祐一は玄関のドアを出る。
 最後に、家に残されたのは、佐祐理が独り。
 そして、ゆっくりとドアが閉じられるのを見詰めるのも佐祐理だけだった。
 坂を下る祐一の足音が、静かな夜に響く。それと同じように、佐祐理は、そっと呟く。










「もう私には出来ませんから。舞を向かえて上げることは、出来ませんから、祐一さん、後は御願いしますね」










 佐祐理は独りで、祐一が出て行ってしまった玄関を見詰める。既に祐一の足音すら遠過ぎて、聞えてこなくなったが、それでも彼女は玄関の前に立っていた。過ぎ去ってしまった全てを、見詰めるようにして立ちつくしていた。

 ふぅ、と深い溜息を吐き、踵を返してリビングへと向かってから後ろを振り向いた。明けない夜の扉は、閉じられたままで。
 リビングに入ると、佐祐理は"片づけ"を始める。
 集められる共有された想い出の後片付けは、無造作に進められる。
 黒いポリ袋の中に全てを注ぎ込んで、全ての想いを立ち切るために。
 本棚に収められたアルバムに三人で写った写真があった。テレビの上にゲームセンターで取ったUFOキャチャーのぬいぐるみが飾ってあった。食器棚には三人でお揃いのティーカップが置いてあった。どれもが、三人にとっては大切な思い出だった。きっと、消すことなんて出来ないほどに大切な、大切な思い出だった。
 佐祐理はその全てを一つ一つ愛おしげに手にとって見詰めては、黒い袋に投げ捨てる。取り繕った笑みは今にも零れそうにして、涙を零すことなく。
 いつしか黒く大きな塊は三つほど出来あがっただろうか。佐祐理は長い時間をかけて、思い出をまとめ上げて、重みの増したそれらを放るように部屋の隅に置く。
 時計をみると、既に五時を越えた所だったろうか、山々の狭間からうっすらと陽が昇り始めるのがわかる。祐一が出て行ってから今まで、そんなに長い時間、自分は何をやっていたのだろうかと、そんな風に思いながら。
 佐祐理はおもむろに台所に向かう。コンロの脇に置いてある食用油を手に取ると、タプン、と重い感触がした。それをしっかりと握って、佐祐理は黒いポリ袋に立つと、開け口を斜めにして油を缶から零すようにしてかける。ビニール袋に跳ね帰る油は、そのまま絨毯に染み込み、白色の明りから出来る佐祐理の影と共に黒く染め上げて行く。
 油の詰まった缶の全てを空けると、次には階段のしたから持ち出した新聞紙を丸めたモノに、コンロを使って火をつける。
 油で塗れた過去に炎の塊を放ると面白いように燃え始め、哀しげな佐祐理の頬を焔で赤く染め上げる。
 ボゥと、膨れ上がる炎はカーテンに飛び火するが、佐祐理はそれにも気に止めずに、それを後ろにある台所にある1番下の引出しを開けて、そこから一つの薬袋を取り出す。ありったけの、連なった袋から薬を取り出すして、佐祐理の手の平には、剥き出しの紫色の錠剤が7、8粒程握られる。
 ゆっくりと燃え盛るリビングを背に蛇口を捻る。不似合いに現実的な音で、コップに水が溜まって行く。水の入ったコップを片手に、錠剤を口に含み一気にそれを飲み込むと、ゆったりと、落ちついた様子で佐祐理はリビング後にして階段を上る。後ろからは、パチパチと炎が激しく猛っているのだが、彼女には、階段の軋む音が聞えるだけで、炎の叫びは届かない。

 全ての障害は除いた筈だった。
 しかし、深淵に隠された最後の障害は、確実にソコにあることに佐祐理は薄々と感づいていた。
 眠気が誘う中、ゆっくりと、確実に近づいて来るのがわかる。
 佐祐理はドアノブに手をかける。
 ゆっくりと開いた場所からは、佐祐理が望んだ光景があった。

「一弥。そこにいたのね」

 そして、閉じられる部屋。
 ガチャリと鍵の掛かる音が、彼女にとっての最期の音。






























 愛しきれないんです

 憎みきれないです

 だから、ゆっくりと時間をかけて

 なくなっていったんですね

 ワタシタチ

 とても寂しいけど

 もう、なくなってしまったんですね

 だから、祐一さん

 どうか

 どうか

 もう一度だけ

 優しい夢を

 都合の良い夢を見ても

 怒らないで下さい

 もう二度と、舞を愛さないように

 貴方を抱き締めないように

 夢を

 夢を見ても良いですよね

 だから

 祐一さん

 舞を…






























続く



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