恐いと思った

 

割れた鏡の破片がこんなに無機質である事が

 

明らかに人の肌と違う感触にシンジは恐れを感じていた

 

僕らの還る場所

第三話

 

 少年の手の中にある鏡の破片、そしてそこからは美しいまでの真紅の液体が流れ落ちていた。

 少女は見ていた、その赤い流れを。彼の瞳の奥底に写る深い悲しみを。

『赤い流れの中にあるのは何なのだろうか?』 少女は探していた、その答えを。そして少年はその答えを見つけた。

 そして二人の瞳が重なったときに少年は微笑み、少女はその微笑みに嫌悪した。少女は心の叫びを吐いた。

 

「殺してよ・・・・もう生きたくなんて無いんだから。」

「私に生きる価値なんて無いんだから。」

「望みも、夢も何もかも無いから。」

「生きたくないから。」

 

 少女は続ける。

 

「そう・・・あんたが・・シンジがあたしから全部奪ったのよ。」

「あんたがいたから、あんたがいるから、あんたが生きているから、あたしが生きられないのよ!」

「・・・おまえなんか死んじゃえばいいのよ。」

「嫌い!嫌い!みんな大っ嫌い!」

「パパも、ママも、ミサトも、あんたも、嫌いよ。大っ嫌い!!」

 

 彼女はうな垂れたように呟く。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・だから、もう殺してよ。」

「あんたならあたしの言う事聞いてくれるんでしょ。」

「だから・・・お願い。」

 

 そして虚ろな瞳はシンジを捕らえる。

 少年は彼女の願いを聞き入れたのかのように、血塗れの鏡の破片に力を込める。

 

「ねぇ、アスカ。生きるって何なんだろう。」

 

 少年は自分に問うように答える。

 

「僕には全部は分からないけど。」

「・・・・・でも、一つだけ判っている事はあるんだ。」

「生きるって事はね、逃げないことだと思う。」

「それにね、やる事があるうちは人は絶対死んじゃ駄目なんだ。」

「今の僕にはやらなきゃいけない事があるんだ。」

 

 少年は少女に向かってとても優しい、暖かい笑みを見せると、手の中にあるものに力を込め、ゆっくりと自らの手首に押し付けていく。 深く刺さった無機質なものは、少年から血を貪っている様にもみえるのだろうか、止めど無く赤い流れは床に溜まっていく。

 

 二人の瞳が再び重なったとき、少年はなだめるように少女に言う。

 

「アスカ、前にね、ミサトさんが言ったんだ。」

「『生きてるんでしょ』って。」

「『あんた、生きてるんでしょ』って。」

 

 少年は続ける。

 

「そしてこう言ったんだ。」

「『やること、やってから死になさい』ってね。」

「あの時は意味が良く分からなかったんだ、でも今は分かるような気がする。」

「今の僕にはやらなくっちゃいけないことがあるから。」

 

 少年の瞳には曇りはなかった。

 彼は一息つくと、話しはじめた。

 

 

「綾波はね、作られた人なんだ。」

「利用されるためだけに生まれた人なんだ。」

「僕はその事が判っても、助けられなかったんだ。」

「その事実から逃げたんだよ。」

「そして、アスカ。僕は君が泣いているときにも逃げたんだ。」

「綾波のときと同じように、自分に嘘を付いて。」

「だから僕にはアスカを殺してあげることは出来ないんだ。」

「僕にはそんな資格はないから。」

「でも・・・僕はアスカが好きだから。」

「もう誰も失いたくはないから。」

「アスカだけは失いたくないから。」

「だから・・・還ってきてよ。」

「みんな、待っているから。一人じゃ寂しいよ、アスカ。」

「だから還って来てよ。」

「僕らの場所に、還ろう。」

 

 ここまで言ったとき、少年は突然止まった。

 

「僕はもう逃げない・・・・アスカのことは・・・・・僕が守るから・・・助けるから・・・」

「・・・アスカ、・・・僕は・・・・・・・・・・待って・・・・・いる・・・から・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・アスカのことを・・・・信じて・・・・・・いるから・・・・・・・」

 

 そして時間の流れが止まったき、少年はゆっくりと赤い流れに身を任せるように崩れ落ちていった。彼女にはどう写っているのだろうか。少年の姿はあまりにも弱くなっていた。そして赤い中にいる少年に向けて彼女は呟く。

 

「何やってんのよ、あんた、勝手に倒れてるんじゃないわよ。」

「あんた、あたしの言うこと聞いてくれるんでしょ。」

「だったらあたしを罵りなさいよ。」

 

 だが少年は答えない。

 

「あたしを殺してくれるんでしょ!」

 

 少年は微動だにしない。

 

「あたしを殺しなさいよ!」

「あたしを殺してよ!」

「答えてよ、シンジ。」

「ねぇ、シンジ、答えてよ、お願いだから、答えてよ。」

「答えなさいよ!返事をしてよ!シンジ。」

 

 すでに願いは少年に届いていないのだろう。

 

「一人にしないでよ、シンジ、お願いよ!」

「もう、一人にしないで!!」

「お願いだから一人にしないで!!」

 

 この時、彼女は心から叫んでいた。数分後。

 

 

 

『コンコン』

 ノックの音がするがアスカには聞こえない。

 彼女は倒れたシンジの傍らで呆然としていた。

「変ね。ここはアスカの病室でしょ?碇君いないのかしら。」

「センセは三時半に来いゆーてたし、まぁ入っとこか。」

「お邪魔しまーす。」

 とヒカリが遠慮勝ちに。

「センセ、惣流の調子はどないやー?」

 とトウジが、相変わらずな感じで二人が部屋に入って来た。

 

「「!!」」

 

 その時、鈴原トウジと洞木ヒカリは、血塗れのシンジ、側で呆然としているアスカ、この二人の惨状を見ることになる。

 

 

第四話へ続く

 

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