少年の手の中にある鏡の破片、そしてそこからは美しいまでの真紅の液体が流れ落ちていた。
少女は見ていた、その赤い流れを。彼の瞳の奥底に写る深い悲しみを。
『赤い流れの中にあるのは何なのだろうか?』 少女は探していた、その答えを。そして少年はその答えを見つけた。
そして二人の瞳が重なったときに少年は微笑み、少女はその微笑みに嫌悪した。少女は心の叫びを吐いた。
「殺してよ・・・・もう生きたくなんて無いんだから。」
「私に生きる価値なんて無いんだから。」
「望みも、夢も何もかも無いから。」
「生きたくないから。」
少女は続ける。
「そう・・・あんたが・・シンジがあたしから全部奪ったのよ。」
「あんたがいたから、あんたがいるから、あんたが生きているから、あたしが生きられないのよ!」
「パパも、ママも、ミサトも、あんたも、嫌いよ。大っ嫌い!!」
彼女はうな垂れたように呟く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・だから、もう殺してよ。」
「あんたならあたしの言う事聞いてくれるんでしょ。」
「だから・・・お願い。」
そして虚ろな瞳はシンジを捕らえる。
少年は彼女の願いを聞き入れたのかのように、血塗れの鏡の破片に力を込める。
「ねぇ、アスカ。生きるって何なんだろう。」
少年は自分に問うように答える。
「僕には全部は分からないけど。」
「・・・・・でも、一つだけ判っている事はあるんだ。」
「生きるって事はね、逃げないことだと思う。」
「それにね、やる事があるうちは人は絶対死んじゃ駄目なんだ。」
「今の僕にはやらなきゃいけない事があるんだ。」
少年は少女に向かってとても優しい、暖かい笑みを見せると、手の中にあるものに力を込め、ゆっくりと自らの手首に押し付けていく。 深く刺さった無機質なものは、少年から血を貪っている様にもみえるのだろうか、止めど無く赤い流れは床に溜まっていく。
二人の瞳が再び重なったとき、少年はなだめるように少女に言う。
「アスカ、前にね、ミサトさんが言ったんだ。」
「『生きてるんでしょ』って。」
「『あんた、生きてるんでしょ』って。」
少年は続ける。
「そしてこう言ったんだ。」
「『やること、やってから死になさい』ってね。」
「あの時は意味が良く分からなかったんだ、でも今は分かるような気がする。」
「今の僕にはやらなくっちゃいけないことがあるから。」
少年の瞳には曇りはなかった。
彼は一息つくと、話しはじめた。
「綾波はね、作られた人なんだ。」
「利用されるためだけに生まれた人なんだ。」
「僕はその事が判っても、助けられなかったんだ。」
「その事実から逃げたんだよ。」
「そして、アスカ。僕は君が泣いているときにも逃げたんだ。」
「綾波のときと同じように、自分に嘘を付いて。」
「だから僕にはアスカを殺してあげることは出来ないんだ。」
「僕にはそんな資格はないから。」
「でも・・・僕はアスカが好きだから。」
「もう誰も失いたくはないから。」
「アスカだけは失いたくないから。」
「だから・・・還ってきてよ。」
「みんな、待っているから。一人じゃ寂しいよ、アスカ。」
「だから還って来てよ。」
「僕らの場所に、還ろう。」
ここまで言ったとき、少年は突然止まった。
「僕はもう逃げない・・・・アスカのことは・・・・・僕が守るから・・・助けるから・・・」
「・・・アスカ、・・・僕は・・・・・・・・・・待って・・・・・いる・・・から・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・アスカのことを・・・・信じて・・・・・・いるから・・・・・・・」
そして時間の流れが止まったき、少年はゆっくりと赤い流れに身を任せるように崩れ落ちていった。彼女にはどう写っているのだろうか。少年の姿はあまりにも弱くなっていた。そして赤い中にいる少年に向けて彼女は呟く。
「何やってんのよ、あんた、勝手に倒れてるんじゃないわよ。」
「あんた、あたしの言うこと聞いてくれるんでしょ。」
「だったらあたしを罵りなさいよ。」
だが少年は答えない。
少年は微動だにしない。
「あたしを殺しなさいよ!」
「あたしを殺してよ!」
「答えてよ、シンジ。」
「ねぇ、シンジ、答えてよ、お願いだから、答えてよ。」
「答えなさいよ!返事をしてよ!シンジ。」
すでに願いは少年に届いていないのだろう。
「一人にしないでよ、シンジ、お願いよ!」
「もう、一人にしないで!!」
「お願いだから一人にしないで!!」
この時、彼女は心から叫んでいた。数分後。
『コンコン』
ノックの音がするがアスカには聞こえない。
彼女は倒れたシンジの傍らで呆然としていた。
「変ね。ここはアスカの病室でしょ?碇君いないのかしら。」
「センセは三時半に来いゆーてたし、まぁ入っとこか。」
「お邪魔しまーす。」
とヒカリが遠慮勝ちに。
「センセ、惣流の調子はどないやー?」
とトウジが、相変わらずな感じで二人が部屋に入って来た。
その時、鈴原トウジと洞木ヒカリは、血塗れのシンジ、側で呆然としているアスカ、この二人の惨状を見ることになる。