☆






 苦手なタイプ ─ そう言ったが、もう少し正確に言うなら。

 彼女は僕にとってうらやましいと同時にうとましく、妬ましいタイプだった。


 僕にとって彼女は、頭も良く、ものごとに積極的で(時には攻撃的なほどに)、他人が

どう思っていようが関係なく自分の意見を貫き通すタイプの「強い人」だった −そうでは

無かったと上司から聞かされて後に知ることになるが、当時の僕にとっては上に述べた見

方が僕にとっての「真実」だった−


 彼女が持っていたのは、全て僕が持っていないものだった。


 そして、僕の欲しいものだった。


 そんな彼女が近くにいると、自分がいかに何も持っていない人間であるか、という事を

思い知らされた。


 とても自分が卑小な存在に思えた。




 人間を、自分が持っていないものを見つけた時に、それを欲しがるものと諦めるものの

2つのタイプに分けるとしたら僕は後者だった。かつて父さんに見捨てられ(仕事に従事

する為だったのだろう)、「先生」に預けられたことが、僕を諦め上手にしたのかもしれ

ない。


 だから、彼女が持っていて、僕が持っていないものを見せつけられても、僕は手に入れ

ようと努力したりはしなかった。


 しょうがない、と思った。


 その代わりに僕は彼女を妬んだ。もちろん、表面上はそんな素振りを少しも見せないよ

うに振る舞ったが。


 そして、自分が欲しいものを全て具えている彼女を、そして自分の意見を相手にぶつけ、

欲しいものを我慢しないで「欲しい」と言い続けることが出来る彼女の事を「ずるい」ヤ

ツと思っていた。




   −
僕は、惣流の様には出来ない


 それが、当時僕がよく言った独り言の一つだった(まったく、その頃すでに僕は独り言

が多かった。それは今になっても変わっていない)。


 僕はなんて愚かだったんだろう。彼女が、自分の望む物を手に入れるために、それこそ

血を吐くような努力をしていたのを僕は知らなかった。


 いや、知りたくもなかったのかもしれない。僕は彼女の努力から明らかに目を背けてい

た。まったく、救いようもなく、僕は愚かで、弱かった。




 そんな僕に、やがてほんの小さな幸せが訪れた。僕はそれを楽しむ事になる。破滅の前

に必ず訪れる偽りの救いとは知らずに。








 どうか、そうでありませんように





             ◆ ◆ 2  円環ノ中 ◆ ◆






 何がきっかけだったのかはよく思い出せない(思い当たるフシはいくつかあるが)。た

だ単にそういう事を考えがちな年頃だった、というだけかもしれない。しかし、いずれに

しても僕の、彼女に対する見方はいつのまにか少しづつ変わっていった。


「もしかすると彼女は僕の事を好きなのではないか?」


などと思うようになったのだ。




 今考えても不思議なのだが、何故そのように思えたのだろう?彼女がそのような素振り

を僕に見せただろうか?


「そういう解釈も出来るし、違う解釈も出来る行動」が幾分かはあったのかもしれない。

そして、人馴れしていない僕の勘違いのせい、というのも幾分かはあったのかもしれない。

しかし、いずれにしても、それは不思議な確かさをもって僕の心に根づき、心に異様な熱

を与え始めた。




                    ☆






 事実というものは断片的にしか与えられないから、人が心の中に真実を築く時には多分

に解釈が盛り込まれる。解釈と想像が、事実と事実の隙間を埋める緩衝材の役割を果たす。


「多分相手はこう考えているからこう行動を取るのだろう」という解釈をもとに相手がど

んな存在かを心の中に捉えていく 真実を築くとはそんな作業であるのだろう。


 しかし、当時の僕は熱に浮かされ、「彼女の自分に対する行動は全て恋心ゆえ」という

前提を元に彼女の行動を解釈したのだ。


 そして解釈の結果、彼女の行動が、如何に自分を思ったものであるかという点に真実の

全ては帰結し、僕はその真実を掌で転がして愉悦に浸っていた。そして、その愉悦が僕の

心の熱をますます高めた。




 今考えれば、これは完全な同義反復にすぎなかった。


               「彼女は僕の事が好き」

                    ↑

       「何故なら、彼女の行動は僕を思ったゆえのものであるから」

                    ↑

「何故彼女の行動が僕を思ったゆえのものであるかといえば、それは彼女が僕の事を好きだからだ」

 

 

推論はこのような過程から成り立っていた。


 一見、これは妥当に見えてその実全く無意味だ。証明したい命題が証明中の条件に用い

られているのだ。早い話が、この証明はまるっきり証明になっていないのだ。


 自分を確かに存在せしめる為に自分自身を養分としなければならないこの理論は、まる

でウロボロスの輪のようだった。自分の尾に食らいつく蛇が作る円環。


 自ら作り上げたこの円環の中で僕は一人ぐるぐると走り、勝手に加速していったのだ。


 よくこの解釈から真実構築をする過程で矛盾が出なかったものだ、と思う。


 実際、今になって考えてみると、「彼女が僕の事を好きだから」取った、とは思えない

ような行動をも彼女はしばしば取っていたように思う。


 しかし、僕は自分のお好みの「真実」を作り上げるために、矛盾する「事実」にかなり

苦しい解釈を施したり、無意識に(あるいは意識的に)心の中の事実を一部改変したり、

捏造したり、捨て去ったりした。


 このような「事実」の累々たる死骸の上に僕の望む「真実」は建っていたのだ。




 しかし、「真実」の為に殺された、都合の悪い「事実」もむざむざ死にはしなかった。


 それらは、魍魎となり、夜毎僕を襲った。


 日毎僕を苦しめた。


 時を見ては僕に囁いた。


  「お前はひょっとしてとんでもない勘違いをしているのではないのかい?」


  「本当は彼女は」


  「お前のことなんか」


  「好きでもなんでも無いんじゃないのかい?」


 僕は、埋もれていった「事実」
−すなわち、僕のお好みの「真実」、「彼女は僕を好

きに違いない」という真実を構築する為に「事実」に解釈を施す中で、邪魔になるため葬

り去った「事実」− があげる怨嗟の(あるいはもっと恐ろしいことに甘美な誘惑の)声

から逃れるように、円環の中をひた走りに走った。心の熱は増していった。


 しかし、無限に走ることも、無限に心の熱が上がることもありえない。


 やがて終わりが来る事は初めから予定されていた。





                    ☆






 そして、ついにその日はやって来た。


 もう走れないことを悟った時、僕は決心せざるを得なかった。




 「彼女が僕の事をどう思っているかを」


 「彼女に聞くしかない」






 この時、既に帰趨は決していた。

 

 

 

 

 

「彼女に聞くしかない」、その言葉が既に全てを表していたのだ。


 

 

 

 

 

 

「彼女に言うしかない」、では無かったのだから。

 

 

 

 




続く


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