introduction

(こいつ、人間じゃねぇ……)

足下に転がる無数の死体を横目に、少年がひとりごちる。
それぞれもちろん絶命しているわけだが、たとえばいきなり眉間を正確に射抜いたり、日本刀を持った相手の心臓を、苦もなく頸動脈を切り裂いた返しの瞬間に背中から貫いたり、または拳銃を構えている相手に躊躇なく踏み込んで喉をつぶしたり……つまりはそのような非現実的な出来事がこの部屋で僅か数秒前に数秒間おこなわれた。

少年の常識が少し崩されたわけである。

「てめえ!」

隣の部屋から男の金切り声らしきものが聞こえる。
直後に銃声。
がたがたと騒がしい。
合間をぬってやはり銃声が聞こえる。

パンパン!

常に素早く2連射される。
断末魔の声のようなものは聞こえない。

(ちっ)

少年は舌打ちした。

パン!

また銃声。
あまりそれ以外は目立つ音がしない。
あとは何かが倒れたような音と物がぶつかるような音。

(どうしろってんだ!)

隣の部屋への入り口を前に、ただ少年は毒づくだけだった。
血臭が漂いはじめる。
少年はもう一度死体をみた。
足下にも血が流れてブーツを汚している。

「ぅぅ……」

死んだはずの――頸動脈を切られた男が少し動いた。
床に広がる血のほとんどはこの男からだった。

「ぅ……」

パン!

銃声。
少年が放った。

「うるせえ!」

残酷ではないとどめが男の後頭部に命中した。
しかし9ミリホローポイント弾が無惨に脳味噌を撒き散らした。

「汚ねぇな!」

少年のブーツにも少し飛んだ。
自業自得であるからなおやるせない。
作戦最後の1発にしては少々無様だった。

(くそっ!)

足を振って付着した脳味噌を振り払おうとした。
無論取れはしなかった。





隣の部屋は、すでに静まりかえっていた――
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Lake DEATH Episode: X
I meet "Killing Angel".
Side A
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1. Artisan

「拓也、初めての作戦はどうだった?いきなり戦争まがいのことをやらせてしまったが、しかし完璧だったようだな。まあこんな仕事は滅多にないから安心してくれ。」

走るバンの中で、助手席に乗った男が振り向き少年に声をかける。
後部座席に少年は二人いた。

「別に。」

左側――入り口に近い席に座った少年が一言答えた。
『どうだった?』に答えたようだ。

「この程度の――無防備な相手を殺す程度の仕事ならいくらでも。」

そう付け足した。
会話はそれで終わりのようだった。
つまり、この少年にとってはその程度のことだった。
当人は既に窓の外を見ている。
窓に流れる景色はそう速くなく、殺しの現場から立ち去る車とはあまり思えない。


(無防備……かよ?あいつらどう見たって『武装集団』だったぜ?)

その右側の席に足を組んで座っている少年が声を出さずにつぶやく。
こちらはもう何分も前から窓の外を眺めている。
もちろん少年はおもしろくも何ともないように見える。

「秋人もご苦労だったな。今までで一番危険な作戦だったが無事でなによりだ。」

助手席の男がその少年にも声をかける。
左側の少年より親しいようだった。

「別に。」

秋人、と呼ばれた少年が、真似をするように答える。

「何もしてねぇし……っていうか、脳味噌で靴汚しちまったよ。」

まだ、気にしているような素振りを見せた。

「……これからこういった類の仕事は拓也と二人でやってもらうことになるだろう。そのつもりで今日は彼のバックアップについてもらったんだが。何か問題は?」

秋人の気にしているそぶりにはあえて言葉を返さず、助手席の男はもう一言仕事の話を出した。

「あのさ……」

秋人は窓から目を離して男の方を向いた。
今日死体以外の人間と目を合わせたのが実は初めてだったことを誰も知らない。

「二人でやる必要ってあんの?別に俺がいなくったって『こいつ』がいれば一人で十分っぽいぜ?」

そう言いながら、今度は拓也の方を向く。
その視線と、あまり良い内容でない言葉に、しかし拓也は別段何も思うことは無いような表情で視線を返しただけだった。

「そう言うな。やはり危険な作戦にはチームが必要だ。たとえ拓也のように突出した戦闘能力があったとしても人数には勝てん。いきなりの話だったから不満もあるかもしれんが、お互い見習って向上してくれ……もちろん仕事以外の部分でもな。」

男は、大人らしい理屈と精神論を言った。
そうあるべきの、もっともらしい言葉は残念ながら反抗期の14歳には逆効果だった。

「ボス……俺なんかみて向上できるところあんの?」

少年らしくない卑屈な笑みを浮かべる。

「それに『人数には勝てない』?嘘こけよ、さっきこいつは14人を一人で殺ったぜ?それも全員瞬殺。俺なんて死に損ないの脳味噌ぶちまけただけだ。」

そのあたりに少年の本音が隠れているようだった。
もちろん人を殺して気分が良くなるわけでもないが、作戦成功の後にしてはあまり雰囲気が良くなかった。
本人の頭にはおそらく『拗ねている』という言葉は思い浮かばなかっただろう。
感情とはつまりそういったものだった。


「秋人君?なぁに拗ねてるのかしら?」

運転席から声がかかる。
今まで一言も喋らなかった運転手は女性だった。
からかうような言葉は一瞬だけ彼女の視線を伴った。
もちろん運転中につき、よそ見は禁止である。

「なんだよ、志麻。なんつった?もういっぺん言ってみろ。」

秋人はそう言って運転手――志麻を睨む。

「ほら、ムキになって。やっぱり拗ねてるわよ?」

もう一度からかった。
志麻は少年の怒気にも動じていないようだった。

「あんたもいい加減子供じゃないんだから、他人のいいとこは素直に認めなさい?そんな性格じゃ長生きできないわよ?」

まるで母親のように声をかける。
どちらかというと背格好は姉弟に近いが。

「けっ!」

秋人は言いつつ運転席を乱暴に蹴った。
反抗はそれで終わらせるつもりだったようだ。
また窓の外を眺めはじめる。

(冗談じゃねぇ……何で俺が……)

声にならない愚痴は、しかし彼の表情をみれば察しがつくものだった。
無論本人はそのようなことは思いつきもしなかっただろうが。

(急な仕事が入ったとかで呼び出されてみれば、いきなりバックアップ?それも今日入ったばかりの新人の?冗談じゃねぇ……しかも内容は『皆殺し』で……俺はなにやってた?後ろで突っ立ってただけだ。こいつ……)

ちらりと左の少年をみる。

(ホントに一人で殺りやがった。信じらんねぇ……奇襲っつっても相手はすぐ武器出してきたし、銃だって持ってた。そんなの相手にどうやって一人で殺るんだよ?絶対こいつ人間じゃねぇ。)

そんな思いも、左の少年には通じていないようだった。
全く何事もないように落ち着いた表情をしている。

(人間じゃ、ねえ……)



秋人は思い出す。数十分前を――
 

 

 

 

 

部屋に突入した瞬間、3人見えた。
5人いたわけだがまず視野に入ったのが3人だった。
次の瞬間。
鋭い風を切る音とともにナイフが飛ぶ……いや既に二つの心臓に突き刺さっていた。
拓也が投げたようだ。
心臓にナイフを突き刺した二人はそれが『死』であることを理解するまもなく唖然としている。
みると拓也は既に駆け出している。恐ろしく速い。
姿勢を低くして左手には残虐そうな、しかしシンプルなファイティングナイフ。先ほど投げたものはまた違い、専用の投げナイフだった。
駆け出した先にいた男は、運悪く拳銃をなぶっていたらしく既に拓也に向けて構えていた。
しかし臆さずに踏み込む。
逆に男は窮してうろたえ、その一瞬の隙に右手首を大きく切られた。
恐ろしく鋭いナイフは何の抵抗もなく男の手首を切り上げたあと、その勢いでそのまま男の喉笛を切り裂いた。
ここまで、3秒にも及ばない。
一切の大きな音、つまり隣の部屋に聞こえるような音はでていない。
喉を切られ声を出すこともできずに崩れる男を迂回して、拓也はまた駆け出す。
何か長いものが見えた。
駆け出した先にいた男は日本刀を抜刀した瞬間だった。
すぐに振りかぶり拓也に斬りつけるが、しかし手にしたナイフで軽くはじき――長物の加速した重量を受け流すほどに彼のベクトル計算は完璧だった――その瞬間頸動脈を切り裂く。
比喩ではなく首から血を吹き出させた日本刀の男は、驚愕した表情のまま背中から衝撃を受ける。
唾元まで深い角度でナイフが突き刺さっていた。
両手で拓也が突き上げている。
正確に、心臓までとどいているのだろう。

パン!

次の瞬間その姿勢のまま右手で銃を抜き、一番遠くで狼狽えていた若い男を撃つ。
正確に一発で眉間を貫いた。
初めて発砲音を出した。
僅か、数秒ほどの出来事である。
この後、隣の部屋でどのように9人の殺戮が繰り広げられたのか、見るまでもなく想像できた。
そして、秋人はただそれを見つめていただけなのである。
 

 

 

 

 

(俺にどうしろってんだ……)

つまり、いきなり現れた凄腕の同僚に呆然としているのであった。
今までこの年齢で本職の殺し屋と言えば、世の中広しといえど自分くらいだと思いこんでいた。
見習いではない、間違いなく一人でも人を殺せる精神と技能を身につけた能力者であると、自信を持っていたくらいだった。
しかしである。
今日見せられた拓也の『それ』は秋人の常識を凌駕してなおあまりあるものだった。
つまり。
秋人がどれだけの鍛練を積んだとしても、絶対にたどり着けないであろうところに既に彼はいたのである。

(…………)

もう一度、彼をみる。
ほとんど首を動かさずに視線だけを向けて。

(…………)

全くその視線には気を向けず、少年は窓の外を眺めている。
表情は……ない。
喜怒哀楽を取り除いた表情がどんな物かと言われれば、つまりは『これだ』と言えるほどの造形をしていた。

(けっ……すましやがって……)

秋人には、平静を装っているように見えたらしいが。



今日会ったばかりの少年から、職人的暗殺技能と人外の冷静さを見せつけられ、秋人の心は大きく揺れた。
それは変化であり、進化であり、成長であり……彼に与えられるすべての糧であった。
本人がそう思えるようになるのは数年後になるが。

出会いの日はこのようにして残虐であり非凡であった。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2. Dark eyes

「風呂はそこを曲がって右だ、勝手に使ってくれ。便所もその隣だ。」

日も沈み、18時も半ばを過ぎた頃だ。
自宅に戻った秋人はなぜか拓也に部屋を案内していた。

(ったく……ホントに冗談じゃねえぞ……)

眉を寄せてつぶやく。
今にも声になりそうだった。

(冗談じゃねぇって。)

もう一度つぶやく。
連呼している『冗談』はつまり、1時間ほど前の車内で起こった――
 

 

 

 

 

「ところで秋人、一つ頼み事があるんだが。」

助手席の男がまた振り向き、声をかける。

「なんだよ、面倒はごめんだぜ?」

秋人は露骨に嫌そうな声を出す。
彼はそういった少年だった。

「そう言うな、おまえにしか頼めん。」

男はそう付け足して話を始めた。

「実はな、拓也は日本に着いたばかりでなにもないんだ。身一つで服もなければもちろん部屋もない。もっと言うなら戸籍すらないんだが、まあそれは別の話だ。だから部屋や彼の生活に必要な物をそろえないといけないわけなんだが……」

聞きながら秋人はさらに嫌そうな顔をする。

「もちろんそれはこちらで用意するよ。しかし部屋を用意して家財を入れるには1週間くらいはかかる。それまで拓也をおまえの部屋に泊めてやってほしいんだ。」

「はぁ!?何で俺んちなんだよ!」

聞くなり秋人はそう返す。
表情も露骨にそう表現していた。

「おまえのところが一番適している。年も同じくらいだし、なにより部屋が余っているだろう?14歳が一人暮らしするにはあまりにも贅沢だよ。いい機会だ、1週間くらい共同生活してみても良かろう?」

言われて、しかし秋人はなお反発した。

「馬鹿言え!一人暮らしで部屋が余ってるってんなら志麻のところだって同じだろうが。一応女だし、だいたい男もいねぇんだからそれこそ適任だろが。」

彼は本気だったが、戦火を広げていることには気づいていない。

「ちょっと!失礼ね!!」

志麻も振り向き声を荒げる。
さすがにハンドルは放さなかった。

「前見ろ!」

さすがに秋人も面食らって驚く。
しかしもちろん運転は順調だった。
『それ』が彼女の性格だったからだ。
つまり冷静さと感情をうまく混ぜ合わせているところが、後ろの二人の少年とは違っていた。

「あんた……さっき言ったこと覚えときなさいよ?いつか後悔させてあげるから。」

「なんだよ、ホントだろが。三十路も過ぎて男の一人もいないようじゃ……」

「まだ28よ!!」

……そうでもないかもしれない。
かなり絶叫していた。

(同じだろが……)

大差ないことに気づいていないのは本人だけだったが、さすがの秋人もこれは指摘できなかった。
このあたりの年齢の差に女性がいかに敏感であるか、何度か経験していたからだった。


「志麻、ちゃんと運転しなさい――秋人、君が一人で生活したがっているのは十分知っているが、1週間だけだ。それくらい我慢してもいいだろう?」

一歩遅れて男が入る。
年の功か、タイミングは良いようだった。

「だから、何で俺んちなんだって。探しゃいくらでも1週間くらい寝泊まりできるところあんだろうがよ?」

しかしなお秋人は反対した。
彼にとっては一人がいいというより、今日初めて会った得体の知れない拓也という少年を自分の近くに置きたくなかったからだった。

「ホテルなんかじゃ怪しまれるだろう?年が年だし、あてを探すといっても急には……」

「御厨さん?あてが無いようでしたら部屋を用意していただくまで野宿でもかまいませんが?」

男――御厨の言葉を制して拓也が言葉を発する。
内容はあまり常識的ではなかった。

「いや、最悪でもそんなことをさせるつもりはないよ。屋根のあるところには間違いなく案内できるが……手ごろなところがなかなか堅くてね。」

言いながらちらりと秋人の方をみる。
彼もその視線には気づいていた。

(けっ!)

「いいよ、好きにしろよ!もう。だいたい1週間野宿だって?馬鹿じゃねえのか?どこの国と勘違いしてんだ?ここは日本だぜ?いくらおまえがナイフ1本で永遠にサバイバルできたって生活する空間がねぇんだよ。」

秋人はそう言って、拓也を睨む――初めてこの少年と目を合わせた。

「いいのかい?」

拓也も秋人の方を向いて尋ねる。
口調はいたって穏やかであった。
それがなお秋人の感情を撫でていることに、気づいていないのか、それとも気づいているが気にしていないのか……やはり表情からははかりかねた。

「そう言ってんだろ!」

ようやく、何の気兼ねもなくこの少年をみることができたようだった。
そして気づく。

(……?)

瞳の色が、何か違う。
茶色でもなければ、黒でもない。もちろん青でもない。
彼の瞳は闇色をしていた。
透き通らない、光を宿さない――彼独特の瞳を初めて知った。

(…………)

もちろん、秋人にはその違いは明確にわからなかったが。
しかし『何か』が違うことだけは直感した。
普通の人間とは違う何かを。

(くそっ……冗談じゃねぇ……)
 

 

 

 

 

「部屋はそこが空いてる。なにもないから布団だけ用意して、後は好きに使ってくれ。」

簡単に家の案内だけ済ませてリビングに落ち着いた。
テレビ番組が気になっていたからだった。

「おまえさ、すげぇ血の臭いがする。部屋に染みつく前に風呂に入ってくれよ?」

ずっと気になっていたことはそれだった。
あれだけの近接戦闘で14人も惨殺すれば、返り血も大した物である。
銃声が止んで隣の部屋に入ったときに秋人の目に最初に映ったのは『黒』だった。
辺り一面、撒かれたような黒だった。血が濁った赤――つまり黒色をしていることはもちろん知っていたので、その光景を目にしたときには唖然としたが、なにより黒かったのは拓也の左腕だった。
血だらけで、握ったナイフからはなお血が滴っている。もちろん殺した人間の血ではあったが。
何かとてつもない残酷さを見せつけられたようで、秋人はずっと声をかけられなかった。


「ああ、すまない。そうさせてもらうよ。」

拓也はそう言って、気にするように左腕を上げる。
その後すぐに風呂場へ向かった。
広い家ではあるが、位置は正確に覚えているようだった。

(…………)

彼の姿が見えなくなるまで、秋人はその後ろ姿を眺めていた。
彼が昼間見た闇色の双眸は、その後ろ姿からでも見えるような気がしたからだった。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3. Warning

夜に近い夕方の、テレビアニメも変わってきたものだと思いながら秋人は映像を眺めていた。
特に興味もなかったが、アニメらしい架空の世界はこの現実から僅かの間でも精神を切り離せると知ってから何となく見るようになった。
もちろん、それがまやかしだということも見ている最中であっても気づいてはいたが、『自分自身を騙している』という感覚がなぜか好きでそうしていた。

(…………)

時間帯にしては色鮮やかな映像が目を引く。
毎週放送されているにも関わらず、結構丁寧に塗られている。
アニメの雰囲気によく合ったBGMのジャズもいい。

(でも、わけわかんねぇ……)

それが率直な感想だった。
彼が欲しているものはつまり、一時的に与えられる感覚であってこの時代に流行っていた深い精神描写ではない。

(どうしたいんだよ?わっかんねぇなぁ……)

僅か30分足らずのストーリーでは、自ずから理解を求めない秋人には少々つまらない内容だったかもしれない。
既に終わりに近づいていた。

(ま、ムネのでかい女は好きだけどな……)

色白の女性キャラが乱雑にマシンガンを放っている。
言葉通り、胸の大きい美人だった。

(ま、いいさ……飯でも食うか……)

ブッン

映像が落ちる。
リモコンで電源を落としたようだった。


「秋人君。」

不意に声がかけられる。
もちろん声の主は拓也だった。

「?」

薄明かりの、廊下で彼を見つけた。

(…………)

何というか、声を失う。
風呂上がりの少年は一糸纏わず、唯一タオルを頭にかけていただけだった。
それから……

「すまないが、下着と服を貸してほしい。」

相変わらず丁寧にそう言う。
ただ、戦闘服を着ていた昼間とは違い、今は若干気だるそうな雰囲気をしていた。

(…………)

それから、目についたのが……

「秋人君?」

惚けていた秋人に怪訝そうに拓也が声をかける。

「あ、ああ……下着も服もそこの引き出しに入ってる。下着は新しいのを使ってくれ……」

拓也の立っているすぐ隣のタンスを指さす。
彼はすぐ言われたように新しい下着を身につけた。
その後ろ姿を見ても、やはり……

「おまえ……何だよ、その傷?」

全身、とまでは言わないが体中あちこち言葉通りの傷が付いていた。
明らかに常識外の数で、もちろん一般人の生活では一生かかっても負わないであろうほどのものだった。

「全身傷だらけじゃねぇか……それにおまえ、それは……」

特に秋人の目を引いたのが『それ』だった。

「銃創と刀創ばっかじゃねぇか……」

言葉通り、拓也の体にはあちこち銃弾と刃物で受けたであろう傷跡が残っていた。

「ああ、昔の傷だよ、ほとんどが癒えてる。」

着替えた拓也が言いながら秋人に近づく。
下着に大きめのTシャツを着ただけのラフなスタイルだった。
一応、言われたとおりの傷跡を自分でも見てみる。
しかし彼が見たのはそれ以外の特に、左半身の傷が多い部分だった。
それは銃創や刀創とはまた違った傷口で、いびつなものだった。

「これは、まだ少しかかりそうだけどね。」

自嘲気味にそう言った。
初めて表情のような物を見たのかもしれない。

「癒えてないのか?」

秋人が聞く。
彼の表情を見て、秋人も初めて少しずつこの少年とのペースを見つけることができたのかもしれない。
今までの攻撃的な姿勢に比べて若干ではあるが柔らかさがでてきたようだった。

「今日負ったものじゃないよ。2週間くらい前。」

無論、秋人もそれが今日負った傷でないことくらいは見ればわかったが、逆にそれが彼を唖然とさせた。

「2週間って、おまえ2週間前もこんなことやってたのか?おまえ……戦争屋かよ?そんだけ傷もありゃ毎日戦争してたっておかしくねぇ……」

「まあ、概ねそんなところかな。」

さらりと言う。

「けっ!認めてやがる……しかしその傷、生々しいな……痛そうだし……銃創じゃないな、なにやったんだ?」

彼の、比較的新しい本人も気にしているであろう傷跡を見て尋ねた。
言葉通り、まだ癒えきっていないであろうそれは痛々しく見える。

「クレイモア。」

簡潔に拓也は答えた。

「……は?」

秋人は耳を疑ったのか、もう一度聞く。

「だから、クレイモア。」

気にせずもう一度返す。
やはり、あまり常識的ではない。

「……おまえ……やっぱ人間じゃねぇな。何で地雷喰らって生きてんだよ?」

唖然として秋人は言葉を紡いだ。
もはや彼ですら常識の範疇に拓也はいなかった。

「運が、よかったのさ……普通は死ぬ……」

少し拓也の言葉に陰りが見えた。
秋人もそれに気づいたのか、彼を見た。
秋人ではなく、あさっての方を向いて……なにを考えていたのかはわからない。

「…………」

拓也の、別の一面を見たような気がして秋人にはかける声が見つからなかった。



ピピッ

沈黙に支配された二人をよそに、遠くの台所で炊飯器が仕事の完了を主張していた。
 

 

 

 

 

「しかしよ、俺んところに来たって何もねえぜ?それこそ服と部屋しかねえ。料理なんかできねえし……」

二人して簡素な食事をとる。
言葉通り、それは出来合いの作られた物でしかなく、暖かみのある物と言えば機械仕掛けの愛情が注がれたご飯くらいだけだったと言える。

「そう考えると志麻のところに行った方がホントに良かった気がするぜ?冗談はさておき料理くらいできるだろうし、女だから1週間くらい飽きねえだろうし……」

秋人は昼間の話を蒸し返していた。
別にそこまで言い募るほどのことでもすでになかったが、何となく一人ではない『二人での暗い食事』が耐えられなくて気を紛らわせたかったのだろう。

「志麻さん?女性の部屋に1週間も関係ない……子供とはいえ男が滞在するのはまずいんじゃないかい?」

意外に普通の反応を示す拓也に秋人はこんなものかと思いつつ言葉を続けた。

「男がいないのはホントさ。行きたいと言えば泊めてくれたはずだ。あいつはそういう面倒見のいい女だ。」

「ふふっ」

拓也がそれを聞いて薄く笑った。
食事をとりながら、秋人の方は見ていない。

「なんだよ、なに笑ってんだ!」

また別の一面を見せられて、秋人は声を荒げた。
今日は発見が多い。

「いや、意外に君は人を見てるじゃないかって思ってね。」

視線だけ上げてそう答える。
それを聞いて秋人はなお落ち着きを失った。

「ちっ!なんか、やっぱおまえすげえむかつくぜ!」

そういいながら秋人は箸を拓也に投げつけた。
既に食事を終えて暇を持て余していたので……でもないだろうが、直情型の彼の性格はすぐに精神が行動に結びついた。

拓也は少しだけ体をずらして箸を持ったままそれをはじいた。
1本はあさっての方向へ、もう一本は拓也の箸にはじかれて後ろに落ちた。

「くそ!」

そういって椅子から体を起こす。
つまり殴りかかろうとでもしたのか。

「止めてくれよ?」

ヒュッ、という音は聞こえなかったが、しかし聞こえそうなほど恐ろしい正確さとスピードで拓也の箸が秋人の喉に向けられていた。
突き刺さる直前で明らかに制御されてストップしていた。
まるで、映画を見ているようだった。

「…………」

そう言った拓也の表情を見て、秋人はなにも言えずにいた。
あの、例の無表情が拓也を覆っていたからだ。
やはり、瞳には光を宿していなかった。

「僕はこの箸1本でも君を殺すことができる……君じゃなくても、訓練された軍人が1ダースいたとしても確実に全員殺せる自信はある……たとえ箸が無くても、両手を縛られていてもね。」

淡々と、拓也は語る。
そこに何の意味を持たせているのか、秋人には正確にははかりかねた。

「だから……なんだってんだ?」

冷や汗がどっと流れているのはわかったが、それでもやはりプライドがあるのか、強がってみせる。

「僕の存在意義は……殺すことさ。それだけのために存在している。御厨氏にはその価値を買ってもらって今ここにいるんだ。逆に君はそうじゃないだろう?」

拓也は今まででもっとも言葉数が多かった。
彼にとって、理解を得る手段とは、こういうものらしい。

「僕が君を殺して喜ぶ者がいるとも思えないし、そんなことをするためにここに泊めてもらうわけでもないんだ。無用な争いはさけるべきだと思うね。君は君に望まれていることをするべきだと思うよ。」

彼は、秋人が周囲でどのような位置にいてどう思われているのか、既に理解しているようだった。
秋人は、身を引いてどっと椅子に腰掛けた。
もう一度拓也を睨む。

「勘違いしてもらって困るのは……」

それを見ながら、立ち上がり拓也が続ける。
食事は終わりにするようだった。

「僕には最優先でやらなければならないことが……おそらくある。」

自ら確認するように、そう言った。

「それは御厨氏の依頼よりも優先するし、逆に障害になるようなら取り除く。」

この時点で、はっきりと秋人の目をとらえていた。

「僕の意志ではないが、もしそこで君が障害になるようなら……それも取り除く。」

冷や汗が、また秋人の全身を流れた。

「つまり……?」

聞かなくてもおそらくはわかったが、秋人はこの少年の意志を確認したくてそうつぶやいた。



「君を殺す。」

はっきりとそう告げた。
はやり、この少年の瞳に光は一度も灯されることはなかった。

出会いの日は、異常のまま終わろうとしていた。
 

 

 

 

 

Side B

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