部屋に突入した瞬間、3人見えた。
5人いたわけだがまず視野に入ったのが3人だった。
次の瞬間。
鋭い風を切る音とともにナイフが飛ぶ……いや既に二つの心臓に突き刺さっていた。
拓也が投げたようだ。
心臓にナイフを突き刺した二人はそれが『死』であることを理解するまもなく唖然としている。
みると拓也は既に駆け出している。恐ろしく速い。
姿勢を低くして左手には残虐そうな、しかしシンプルなファイティングナイフ。先ほど投げたものはまた違い、専用の投げナイフだった。
駆け出した先にいた男は、運悪く拳銃をなぶっていたらしく既に拓也に向けて構えていた。
しかし臆さずに踏み込む。
逆に男は窮してうろたえ、その一瞬の隙に右手首を大きく切られた。
恐ろしく鋭いナイフは何の抵抗もなく男の手首を切り上げたあと、その勢いでそのまま男の喉笛を切り裂いた。
ここまで、3秒にも及ばない。
一切の大きな音、つまり隣の部屋に聞こえるような音はでていない。
喉を切られ声を出すこともできずに崩れる男を迂回して、拓也はまた駆け出す。
何か長いものが見えた。
駆け出した先にいた男は日本刀を抜刀した瞬間だった。
すぐに振りかぶり拓也に斬りつけるが、しかし手にしたナイフで軽くはじき――長物の加速した重量を受け流すほどに彼のベクトル計算は完璧だった――その瞬間頸動脈を切り裂く。
比喩ではなく首から血を吹き出させた日本刀の男は、驚愕した表情のまま背中から衝撃を受ける。
唾元まで深い角度でナイフが突き刺さっていた。
両手で拓也が突き上げている。
正確に、心臓までとどいているのだろう。
パン!
次の瞬間その姿勢のまま右手で銃を抜き、一番遠くで狼狽えていた若い男を撃つ。
正確に一発で眉間を貫いた。
初めて発砲音を出した。
僅か、数秒ほどの出来事である。
この後、隣の部屋でどのように9人の殺戮が繰り広げられたのか、見るまでもなく想像できた。
そして、秋人はただそれを見つめていただけなのである。
(俺にどうしろってんだ……)
つまり、いきなり現れた凄腕の同僚に呆然としているのであった。
今までこの年齢で本職の殺し屋と言えば、世の中広しといえど自分くらいだと思いこんでいた。
見習いではない、間違いなく一人でも人を殺せる精神と技能を身につけた能力者であると、自信を持っていたくらいだった。
しかしである。
今日見せられた拓也の『それ』は秋人の常識を凌駕してなおあまりあるものだった。
つまり。
秋人がどれだけの鍛練を積んだとしても、絶対にたどり着けないであろうところに既に彼はいたのである。
(…………)
もう一度、彼をみる。
ほとんど首を動かさずに視線だけを向けて。
(…………)
全くその視線には気を向けず、少年は窓の外を眺めている。
表情は……ない。
喜怒哀楽を取り除いた表情がどんな物かと言われれば、つまりは『これだ』と言えるほどの造形をしていた。
(けっ……すましやがって……)
秋人には、平静を装っているように見えたらしいが。
今日会ったばかりの少年から、職人的暗殺技能と人外の冷静さを見せつけられ、秋人の心は大きく揺れた。
それは変化であり、進化であり、成長であり……彼に与えられるすべての糧であった。
本人がそう思えるようになるのは数年後になるが。
出会いの日はこのようにして残虐であり非凡であった。
「ところで秋人、一つ頼み事があるんだが。」
助手席の男がまた振り向き、声をかける。
「なんだよ、面倒はごめんだぜ?」
秋人は露骨に嫌そうな声を出す。
彼はそういった少年だった。
「そう言うな、おまえにしか頼めん。」
男はそう付け足して話を始めた。
「実はな、拓也は日本に着いたばかりでなにもないんだ。身一つで服もなければもちろん部屋もない。もっと言うなら戸籍すらないんだが、まあそれは別の話だ。だから部屋や彼の生活に必要な物をそろえないといけないわけなんだが……」
聞きながら秋人はさらに嫌そうな顔をする。
「もちろんそれはこちらで用意するよ。しかし部屋を用意して家財を入れるには1週間くらいはかかる。それまで拓也をおまえの部屋に泊めてやってほしいんだ。」
「はぁ!?何で俺んちなんだよ!」
聞くなり秋人はそう返す。
表情も露骨にそう表現していた。
「おまえのところが一番適している。年も同じくらいだし、なにより部屋が余っているだろう?14歳が一人暮らしするにはあまりにも贅沢だよ。いい機会だ、1週間くらい共同生活してみても良かろう?」
言われて、しかし秋人はなお反発した。
「馬鹿言え!一人暮らしで部屋が余ってるってんなら志麻のところだって同じだろうが。一応女だし、だいたい男もいねぇんだからそれこそ適任だろが。」
彼は本気だったが、戦火を広げていることには気づいていない。
「ちょっと!失礼ね!!」
志麻も振り向き声を荒げる。
さすがにハンドルは放さなかった。
「前見ろ!」
さすがに秋人も面食らって驚く。
しかしもちろん運転は順調だった。
『それ』が彼女の性格だったからだ。
つまり冷静さと感情をうまく混ぜ合わせているところが、後ろの二人の少年とは違っていた。
「あんた……さっき言ったこと覚えときなさいよ?いつか後悔させてあげるから。」
「なんだよ、ホントだろが。三十路も過ぎて男の一人もいないようじゃ……」
「まだ28よ!!」
……そうでもないかもしれない。
かなり絶叫していた。
(同じだろが……)
大差ないことに気づいていないのは本人だけだったが、さすがの秋人もこれは指摘できなかった。
このあたりの年齢の差に女性がいかに敏感であるか、何度か経験していたからだった。
「志麻、ちゃんと運転しなさい――秋人、君が一人で生活したがっているのは十分知っているが、1週間だけだ。それくらい我慢してもいいだろう?」
一歩遅れて男が入る。
年の功か、タイミングは良いようだった。
「だから、何で俺んちなんだって。探しゃいくらでも1週間くらい寝泊まりできるところあんだろうがよ?」
しかしなお秋人は反対した。
彼にとっては一人がいいというより、今日初めて会った得体の知れない拓也という少年を自分の近くに置きたくなかったからだった。
「ホテルなんかじゃ怪しまれるだろう?年が年だし、あてを探すといっても急には……」
「御厨さん?あてが無いようでしたら部屋を用意していただくまで野宿でもかまいませんが?」
男――御厨の言葉を制して拓也が言葉を発する。
内容はあまり常識的ではなかった。
「いや、最悪でもそんなことをさせるつもりはないよ。屋根のあるところには間違いなく案内できるが……手ごろなところがなかなか堅くてね。」
言いながらちらりと秋人の方をみる。
彼もその視線には気づいていた。
(けっ!)
「いいよ、好きにしろよ!もう。だいたい1週間野宿だって?馬鹿じゃねえのか?どこの国と勘違いしてんだ?ここは日本だぜ?いくらおまえがナイフ1本で永遠にサバイバルできたって生活する空間がねぇんだよ。」
秋人はそう言って、拓也を睨む――初めてこの少年と目を合わせた。
「いいのかい?」
拓也も秋人の方を向いて尋ねる。
口調はいたって穏やかであった。
それがなお秋人の感情を撫でていることに、気づいていないのか、それとも気づいているが気にしていないのか……やはり表情からははかりかねた。
「そう言ってんだろ!」
ようやく、何の気兼ねもなくこの少年をみることができたようだった。
そして気づく。
(……?)
瞳の色が、何か違う。
茶色でもなければ、黒でもない。もちろん青でもない。
彼の瞳は闇色をしていた。
透き通らない、光を宿さない――彼独特の瞳を初めて知った。
(…………)
もちろん、秋人にはその違いは明確にわからなかったが。
しかし『何か』が違うことだけは直感した。
普通の人間とは違う何かを。
(くそっ……冗談じゃねぇ……)
「部屋はそこが空いてる。なにもないから布団だけ用意して、後は好きに使ってくれ。」
簡単に家の案内だけ済ませてリビングに落ち着いた。
テレビ番組が気になっていたからだった。
「おまえさ、すげぇ血の臭いがする。部屋に染みつく前に風呂に入ってくれよ?」
ずっと気になっていたことはそれだった。
あれだけの近接戦闘で14人も惨殺すれば、返り血も大した物である。
銃声が止んで隣の部屋に入ったときに秋人の目に最初に映ったのは『黒』だった。
辺り一面、撒かれたような黒だった。血が濁った赤――つまり黒色をしていることはもちろん知っていたので、その光景を目にしたときには唖然としたが、なにより黒かったのは拓也の左腕だった。
血だらけで、握ったナイフからはなお血が滴っている。もちろん殺した人間の血ではあったが。
何かとてつもない残酷さを見せつけられたようで、秋人はずっと声をかけられなかった。
「ああ、すまない。そうさせてもらうよ。」
拓也はそう言って、気にするように左腕を上げる。
その後すぐに風呂場へ向かった。
広い家ではあるが、位置は正確に覚えているようだった。
(…………)
彼の姿が見えなくなるまで、秋人はその後ろ姿を眺めていた。
彼が昼間見た闇色の双眸は、その後ろ姿からでも見えるような気がしたからだった。
「しかしよ、俺んところに来たって何もねえぜ?それこそ服と部屋しかねえ。料理なんかできねえし……」
二人して簡素な食事をとる。
言葉通り、それは出来合いの作られた物でしかなく、暖かみのある物と言えば機械仕掛けの愛情が注がれたご飯くらいだけだったと言える。
「そう考えると志麻のところに行った方がホントに良かった気がするぜ?冗談はさておき料理くらいできるだろうし、女だから1週間くらい飽きねえだろうし……」
秋人は昼間の話を蒸し返していた。
別にそこまで言い募るほどのことでもすでになかったが、何となく一人ではない『二人での暗い食事』が耐えられなくて気を紛らわせたかったのだろう。
「志麻さん?女性の部屋に1週間も関係ない……子供とはいえ男が滞在するのはまずいんじゃないかい?」
意外に普通の反応を示す拓也に秋人はこんなものかと思いつつ言葉を続けた。
「男がいないのはホントさ。行きたいと言えば泊めてくれたはずだ。あいつはそういう面倒見のいい女だ。」
「ふふっ」
拓也がそれを聞いて薄く笑った。
食事をとりながら、秋人の方は見ていない。
「なんだよ、なに笑ってんだ!」
また別の一面を見せられて、秋人は声を荒げた。
今日は発見が多い。
「いや、意外に君は人を見てるじゃないかって思ってね。」
視線だけ上げてそう答える。
それを聞いて秋人はなお落ち着きを失った。
「ちっ!なんか、やっぱおまえすげえむかつくぜ!」
そういいながら秋人は箸を拓也に投げつけた。
既に食事を終えて暇を持て余していたので……でもないだろうが、直情型の彼の性格はすぐに精神が行動に結びついた。
拓也は少しだけ体をずらして箸を持ったままそれをはじいた。
1本はあさっての方向へ、もう一本は拓也の箸にはじかれて後ろに落ちた。
「くそ!」
そういって椅子から体を起こす。
つまり殴りかかろうとでもしたのか。
「止めてくれよ?」
ヒュッ、という音は聞こえなかったが、しかし聞こえそうなほど恐ろしい正確さとスピードで拓也の箸が秋人の喉に向けられていた。
突き刺さる直前で明らかに制御されてストップしていた。
まるで、映画を見ているようだった。
「…………」
そう言った拓也の表情を見て、秋人はなにも言えずにいた。
あの、例の無表情が拓也を覆っていたからだ。
やはり、瞳には光を宿していなかった。
「僕はこの箸1本でも君を殺すことができる……君じゃなくても、訓練された軍人が1ダースいたとしても確実に全員殺せる自信はある……たとえ箸が無くても、両手を縛られていてもね。」
淡々と、拓也は語る。
そこに何の意味を持たせているのか、秋人には正確にははかりかねた。
「だから……なんだってんだ?」
冷や汗がどっと流れているのはわかったが、それでもやはりプライドがあるのか、強がってみせる。
「僕の存在意義は……殺すことさ。それだけのために存在している。御厨氏にはその価値を買ってもらって今ここにいるんだ。逆に君はそうじゃないだろう?」
拓也は今まででもっとも言葉数が多かった。
彼にとって、理解を得る手段とは、こういうものらしい。
「僕が君を殺して喜ぶ者がいるとも思えないし、そんなことをするためにここに泊めてもらうわけでもないんだ。無用な争いはさけるべきだと思うね。君は君に望まれていることをするべきだと思うよ。」
彼は、秋人が周囲でどのような位置にいてどう思われているのか、既に理解しているようだった。
秋人は、身を引いてどっと椅子に腰掛けた。
もう一度拓也を睨む。
「勘違いしてもらって困るのは……」
それを見ながら、立ち上がり拓也が続ける。
食事は終わりにするようだった。
「僕には最優先でやらなければならないことが……おそらくある。」
自ら確認するように、そう言った。
「それは御厨氏の依頼よりも優先するし、逆に障害になるようなら取り除く。」
この時点で、はっきりと秋人の目をとらえていた。
「僕の意志ではないが、もしそこで君が障害になるようなら……それも取り除く。」
冷や汗が、また秋人の全身を流れた。
「つまり……?」
聞かなくてもおそらくはわかったが、秋人はこの少年の意志を確認したくてそうつぶやいた。
「君を殺す。」
はっきりとそう告げた。
はやり、この少年の瞳に光は一度も灯されることはなかった。
出会いの日は、異常のまま終わろうとしていた。