4. Air

「ただそれを渡してもらうだけでいいよ、リュウイチ。」

静かな時間、とはこのような世界のことをいう。
日中あまり光の差し込まない、街の喧噪もなぜか遠くに聞こえる、そういった空間はこの世界の『どこにでもある』。
つまり、人によって作られる雰囲気であるなら、そういった人間の集まるところであればいかなるところでもそのような世界に作り替えられる。
この、何十年と続いた『万屋探偵事務所』であればその空気はもはや一つの世界であるといえるだろう。

「……まさか……君に関係があるとは思わなかったよ。あの子も、不憫な子だ……」

言葉通りに、表情は心の苦しみを表現していた。
かなり大きめのデスクに両肘をついた男の言葉だった。
指を組んで、顎に当てている。

「私もそう思うよ……」

自嘲、という言葉を表すのに最適な薄い笑みをこぼす。
流暢だが、外国人独特の癖のある日本語だった。

「キーン、少しの間そっとしておいてあげられないのか?あの子は自分では――気づいているだろうが、それでも止めようとは決してしないだろう?疲れてるんだ――肉体はもちろん、精神だって……見殺しにすることになるぞ?」

座っている男が、そのデスクの前に立っている西洋人にそう言った。
比較的背の高くない、目の青い西洋人はキーンという名のようだった。

「私は彼らとの接点であって、『意思』ではない。残念だが――それを渡すしか私にできることはないんだよ。」

男の机に置かれた封筒に視線をやった。

「……そうか……」

二人の表情に大差はなかった。


「用はそれだけなんだ、もう帰るよ。」

キーンはゆっくりと振り向き、出口へ向かった。
それを見て男は、何か声をかけようとしたがすぐには思い浮かばず見ていることしかできなかった。

「リュウイチ……」

何歩か歩いてキーンが振り返る。

「いつ『御厨』の名を継いだ?」

内容は唐突だった。
予期していなかった言葉に男は驚いたが、しかしそれも考え得ることだと、静かに答えた。

「もう、十何年も前だ。すっかり私も『御厨隆一』になってしまったよ……」

この男――御厨隆一もまた自嘲気味に笑った。

「ふふ、板についているようだな……安心して拓也をまかせられそうだ。よろしく頼むよ。」

そう言うと、今度こそ部屋を出ていった。
御厨はやはりそれをいつまでも見続けていた。



「ああ、あの子が鍵になるのなら……その日まで預かろう。」

言葉は、静かに空気へと変わっていった。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Lake DEATH Episode: X
I meet "Killing Angel".
Side B
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5. Envelope

「こいつにそんな服似合うわけねぇだろ?志麻、てめぇどんな趣味してんだよ?ぜってー自分の物にするつもりで買ったんだぜ?おい拓也!おまえも何とか言ってやれよ、この腐れ女によ。」

町はずれの山荘で、かねてから毒ガスの製造をおこなっているという疑いをもたれていた暴力団所属の、組員14名が惨殺されたというニュースが流れてから2日経った。
無論犯人は捕まっていない。
何の手がかりもなく、早くも事件は迷宮入りという雰囲気の火曜日だった。

「秋人!あんたには関係ないんだから黙ってなさいよ!なにが『腐れ女』よ!中学生ならもっとかわいげのある言葉使いなさいよ!」

平日にしてはやかましい3人組が街を歩いているのがよく目立った。

「へっ!おまえもな!もっとかわいげのある言葉使わねぇと嫁の貰い手見つからねぇぜ?」

どうやら姉弟のように見えるが、別段似たところはない。
変わった見方をする人がいれば、若い親子かと思ったかもしれない。
それほど気になることでもなかったが。

「きーっ!このくそガキ……」

まあ、彼女が母親であると想像した人もいないであろう。
実際の年齢よりもかなり若く見えた。
性格が子供らしいのも一役買ってはいたが。
つまりはそんな1シーンだった。


「ま、静かに街を歩かせてもらえるなら別段僕に不満はないんだけどね。」

一歩後ろを山のように――本当に山のように――荷物を抱えて歩いていた少年が静かにそう言った。
もっともではあった。
 

 

 

 

 

「やあ、お疲れさん。ずいぶん買い込んだな。後は部屋のクリーニングさえ終わらせてしまえば荷物も運べるから……まあ、3日後には引っ越せるだろう。」

事務所に帰った『騒がしい3人組』を笑顔で迎えたのは御厨だった。
いつもとは違う雰囲気が漂う。

「まったくよ!秋人なんて買い物に連れてったって何の役にも立たないわよ?愚痴こぼしてばっかで荷物持ちにすらなりゃしない。」

そう言って志麻は秋人を睨む。
当人はまったく気兼ねしていない様子だった。

「俺の荷物じゃねぇんだから俺が持つ必要なんてねぇだろが。だいたい『僕が使うものですから僕が持ちますよ』って拓也が明言しただろが。」

そう言って秋人は顎だけ拓也の方を指した。

「ま、その通りですからこんなもんでしょう。」

言われた拓也は、しかしいたって平然と荷物を隅に寄せているのだった。

「あん?なんだよ?なんか意味ありげじゃねぇか。」

秋人の矛先は拓也に変わったようだった。

「いーや?べつに?」

わざとらしく言いならが、しかし荷物を片づけることは止めない拓也。

「嫌みったらしいな。言いたいことがあればはっきり言えよ!」

短気坊やのような秋人だった。

「んー?なら、一つだけ。」

まだ荷物を片づけながら拓也が答える。

「なんだよ?」

「とりあえず、静かにしてくれ。耳から疲労する感じがする。」

それを聞いて御厨と志麻は笑ったようだった。
秋人だけは沈黙したが。

「けっ!くそが!」

そう言って志麻がテーブルに置いた荷物を拓也へ投げつけた。
やはり後先考えていない秋人だった。
残念ながらそれは魔法のように拓也に受け止められて片づけられる荷物の1つになり果てたが。



(なじんできたな……)

子供らしい喧嘩のような――とは少しずれがあったが、それでも彼らのやりとりに初日の暗い雰囲気がぬぐい去られているのを確認して、御厨は安心した。

(拓也を見習って、秋人も少しは冷静さを身につけてくれるといいが……拓也次第だな。しかしただいるだけでは目の瘤にしかならんか……秋人が……学ぶ力を付けてくれるといいが……)

無論我が子ではないが、彼らを見る御厨の表情には同様の物があった。
このような商売ではあったが、それが彼の気質だった。

(しかし……せっかくなじんできたというのに、長くは続きそうもないな……)

暗い表情を取り戻し、御厨は手に握った一つの封筒を見た。
今朝、旧友から直に届けられたものであった。

(流れには……逆らえんか……)

年相応に、どうにもならない世の中を知っている御厨の辛さだった。

「拓也。」

意を決したのか、秋人と言い争っている――一方的に喧嘩を売っているのはもちろん秋人であったが――拓也に声をかけた。

「何です?」

殴りかかろうという雰囲気の秋人を横目に、拓也は御厨の言葉を聞き逃さない。

「君に、手紙が届いている。」

一瞬のことだが、全員がそれを聞いた。
驚きはそれぞれだったが。

「え?」

声を出したのは志麻だった。
秋人は――何のことかわからない。
そして拓也は――

「…………」

すでに、彼の顔からは一切の表情は消えていた。
これが、彼の作られていない『本当の表情』なのだろう。

それを見た秋人と、志麻と……空気が、静けさを取り戻した。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6. Lake DEATH

「ドライブはありますか?」

御厨から渡された封筒を開き、中身を取り出すと一枚のミニディスクが現れた。
たったそれだけで、後は何もない。
拓也はディスクを確認すると御厨に読み取り装置を要求した。
その声には既に抑揚はなく、表情からも喜怒哀楽が抜け落ちていた。

「……ああ、用意しよう。」

その差違には、気づいていただろうが驚かず御厨はそう言って、別の部屋へと消えていった。

「おい、なんだよそれ?」

場の空気に明らかな違和感を感じて、秋人が尋ねる。

「何の曲が入ってんだ?」

無印のミニディスクに、流行りの曲でも入っていると思っていたわけでもないだろうが、秋人は場違いな質問をした。

「君には関係ない。」

やはり感情は込められていない。
秋人には関心を寄せずディスクを観察しながら拓也は簡潔につぶやく。

「なんだと!?」

秋人が嫌いな人間くささのない拓也を見て、激昂する。
今にもつかみかかっていきそうな勢いだ。
志麻は――状況を判断しかねるようでその成り行きを眉を寄せて眺めていた。

「…………」

しかし、それでも拓也は気にとめずディスクとそれが入っていた封筒に注視している。

「おい……何とか言えよ。」

もう一度秋人が言う。
すごみのある声色で。

「君には関係ない。」

こういった雰囲気の中で、おそらくもっとも危険な結果を生むであろう言葉――無反応、無関心、相手に判断をさせるための一切の情報を出さないこと。つまりそれは無言であったり今のような情報量のない繰り返しだったりする。はっきりとその意志が伺えるだけになお相対するものに刺激を与える。秋人のような感情で問う種の人物なら耐えられないだろう。このような雰囲気には。

「ずいぶん一方的じゃねぇか。てめえ、ちょっと秘密持ち過ぎじゃねぇのか?」

大きな声は出さないが、既になにかしようという声色だった。
ゆっくりと拓也に近づき、肩をつかむ――

「!」

その瞬間、世界がぶれたような感覚で拓也が消えた。
同時にものすごい衝撃。
それが痛みだと判断するのには少しの時間を要した。
膝が体に突き刺さっている。むろん拓也のものだった。

「っっ……てめぇ……」

密着した状態なので彼の表情は読みとれない。
ゆっくりと足がおろされる。
既に意識は昏倒し始めていたがそれでも彼をつかもうと腕を伸ばす……

ガツッ!

しかし屈んだところに背中に強烈な打撃を受けて、そのまま意識は遠のいていった。
ものすごい勢いで打ち下ろされた両腕が秋人の意識を道連れにしていったようだ。

「これが、『最優先』だ。」

崩れる秋人を支えながら拓也がつぶやく。

「ちょっと!秋人!」

志麻が駆け寄る。
さすがに黙っては見ていられないのだろう。

「意識を失わせただけです、怪我はさせていない。」

淡々とそう言う拓也は、やはり感情も表情も持ち合わせていなかった。
敵視こそしていなかったが、困惑する志麻の視線が拓也を見続けていた。

「巻き込みたくないでしょう?これは――僕の問題だ。」

意識を失った秋人を受け取り、抱きかかえる形でその向こうには拓也。
不思議と時間の流れを感じない。静か、でも、ゆっくり、でもない――暗い、闇の底。彼の世界には時間軸とは無縁の何かがある。志麻は輝かない拓也の瞳を見つめながら漠然とそう感じていた。
そして、記憶の浅い部分から感情無くそう言った少年を思いだしていた。
10日前にも、この少年はそう言ったのだ。
同じ声で、同じ顔で――
 

 

 

 

 

『関わるな。これは僕の問題だ――』

アメリカ。夜。暗い――そして、血の臭い。
闇。
暗かったのはその倉庫が明かりをケチっていたわけではない。
むろん広さがそう感じさせるわけでもない。
のみ込まれるような闇色の瞳から目が離せなかっただけだ。

血の臭い。
それも忘れられない。
決して意識したわけでもないのに、視界にさりげなく在る死体。
無数に横たわる。
数えられないほどのそれはとてもさっきまで人間だったとは思えない。
肉塊――というのか、まるでゴミのように在る。
価値は見いだせない。

見えそうなほど空気を漂う硝煙の臭いと、それに混じって血の臭い。
忘れない。
臭いなど覚えていないが、感覚が忘れさせてくれない。
異質で不快な感覚だと。
もしかしたら、戦場の空気とはこういったものかもしれないと気がついた。


少年は拳銃を右手に持ち、立っていた。
表情はないが、もしかしたら疲労しているかもしれないと状況から悟った。
さっきここで起こったことがなんなのか、受け入れる力はまだなかったが、しかし何人もいた、明らかに戦闘に対する訓練をうけていたであろう軍服の男たちをすべて殺したのはこの少年だった。
どうやったかはよくわからない。
理解は脳が拒否しているようだった。
しかし事実だけは受け入れられそうだった。

「大丈夫か?」

すぐ隣で手錠をかけられている男が少年に問う。御厨だった。
しかし少年は答えずに近寄る。
どうやら手錠をはずしてくれるようだった。

「我々を……助けてくれたのか?」

もう一度御厨が問う。

「彼らを殺しに。」

簡潔に答えた。
つまりそれだけなのだと。

「なぜ?」

何となく、聞く。
あまりにも何かが足りない。理解のための何かが。
志麻はそう感じた。
単純に今の状況を知りたいのだった。

「関わるな。これは僕の問題だ。」

やはり簡潔に、そして理不尽に。
問う者には希望は与えられない。
絶望ではなかったが、彼との出会いはまったく浮いた――あり得ないようなまるで夢のごとき出来事だった。
 

 

 

 

 

どのような経緯で御厨の元へ来たかは志麻にはわからない。
このような彼をどうやって御厨が連れてきたのかもわからない。
しかし間違いなく今目の前にいるのは事実である。
そして関われない何かがまた彼の近くで起こっていることを、彼の手の中の小さなディスクが予言していた。

「中身が何か知っているのか?」

停止したような世界へ、御厨が両手にコンピュータを持って戻ってくる。
志麻の時間は取り戻された。
見ると右手にはノートブック型PCを、そして左手には古めのMDドライブ抱えている。

「…………」

拓也は御厨の質問に答えるべきかどうか思案しているようだった。
むろん、表情など作ってはいなかったが。
空気がそうだと告げた。
それを見て御厨が続ける。

「それは、キーンが今朝直接持ってきたものだ。」

「キーンを?」

若干、おそらくは驚いているような内容の言葉を発した。

「学生時代からの旧友だ。まさか、君につながりがあるとはな……彼の仕事がなんなのかは……何となく知っている。君がその……」

御厨も、そのことについて正確には知らないのだろう。
言葉を探しながら話を続ける。

「キーンの指揮下にあるというのなら……君もまた……『Lake DEATH』の関係者なのだろう?」

曖昧な知識を整理しつつ、御厨は拓也に尋ねた。
もしかするといきなり殺されかねない危険な賭だったのかもしれないが、事実を確かめることの方が優先したようだ。

「…………」

拓也は黙って御厨を眺め続ける。
どう判断するべきか、やはり思案しているようだった。

「『Lake DEATH』なる組織がどのようなものなのか、正直に我々は知らない。ただキーンが何をしようとしているかは馴染みなりに知っているのでそれに関係することなのだろう。」

そう言いながら、御厨はコンピュータの設置を始めた。
拓也はじっとそれを眺めていた。

「10日前に君に出会ったのは、必然だったかもしれんな……我々は『Lake DEATH』内乱の影響を調査すべく渡米していたのだからな。」

ピッ!

携帯端末独特の作動音が始まった。
耳につく回転音がいくつも絡み合う。

「調査、とはいえ、具体的には我々はなにも知らん。特に内部のことなどなにも、な。ただ噂に聞いたその『内乱』が少なからず日本にも影響を及ぼすと助言する者がいてね、かなりの権力者だ。今思えば君たちの関係者なのだろうな。誰とは言わないが、もしや君なら知っているかもな。」

「…………」

「結局、我々は何の結果も得られず逆に特殊部隊に殺されかかっただけだったが、つまりその男の指示で調査に行った我々を殺そうとした、その特殊部隊を殺した君は『本家』のほうについているのだろう?」

「…………」

拓也はまだ何もも答えない。

「キーンから指示があるということは、そういうことなんだろう?つまり、分派ではないと。」

「…………」

拓也は、なお黙っている。
御厨はじっとそれを眺めていたが、志麻は不安そうにその二人を眺めていた。

「言えないのかね?」

もう一度、御厨は尋ねる。

「それを判断する権限がない。」

やっと発せられた言葉は、ある意味期待通りのものだった。
人間味のない彼らしい、機械人形のようなせりふだった。

「そうか……」

落胆したわけでもないが、御厨はその言葉を確認してコンピュータの操作を始めた。

「ただ……」

もうひとつ、何か言おうとした。

「?」

「『Lake DEATH』は暴走した。そして……」

御厨は操作を止めて聞き入った。
志麻も、聞かずにはいられなかった。

「追跡者が放たれた。旧ナンバーは狩り出される。」

視界に御厨と志麻をとらえたまま拓也は告げた。

「10日前、あなた達を襲った特殊部隊は本来は僕を狙っていた。単に、嗅ぎまわっていたから関係者だと勘違いされたらしいが……気づかなかったでしょうが、20名ばかりいた特殊部隊の中に『Lake DEATH』の暗殺者が2名いた。彼らが追跡者だ。」

なお、つづける。

「つまり、僕は追われ、殺される。都合の悪い事実らしい。」
 

 

 

 

 

 

 

 

 

7. Serial number

「見ておくといい。」

そう言って、拓也は服を脱ぎはじめた。
先日秋人に見せたようにやはり体のあちこちには銃創と刀創がある。
そして……

「それは……?」

志麻が気づく。

「これが旧ナンバー。」

拓也はそういって上半身裸になったところで右腕を見せた。
右腕には『MPTL-P00』という文字があった。
実はこれは秋人には死角にして隠しておいたものであった。

「何の意味だね?」

御厨が尋ねる。

「意味に関して口外する権限はない。ただ『Lake DEATH』出身者にはこういった番号が与えられているのです。」

その文字を見ずに、拓也は続ける。

「『MPTL』で始まるシリアルはすべて旧ナンバー――『セカンド』と呼ばれていました。」

「…………」

あまりにも人間味のないその事実に、二人は声を出せない。

「追跡者も同じシリアルを持っています。おそらく『MPTL-T』コードの100番付近の者がそうでしょう。150番までは見たことがないから……そのあたりです。」

淡々と拓也は説明を続ける。
これが何の意味があるのか、二人とも思案を始めた頃だった。

「10日前にアメリカで追ってきた二人は122番と134番だった。」

「…………」

二人は、10日前に次々と拓也に殺されていった特殊部隊を思い浮かべた。
いつの間に調べたのか、その中にも今この目の前にある番号を持つ者がいたのだ。

「100番以降は気をつけてください。間違いなく追跡者だ。」

「つまり……」

志麻が尋ねる。
声は震えていた。

「あなたたちも一度関わった。今も僕がそばにいる。殺される可能性が無いとは言えない。現実的ではないが、それが追跡者の特徴です。後は……自分たちで何とかするしかない――僕が教えられるのはここまでです。」

「そんな……腕なんて誰も見せてないわよ!?どうやって見分けるのよ!?」

志麻が叫ぶ。
もっともではあった。

「追跡者は暗殺者です。難しいでしょうね。」

冷ややかにそう告げた。
無論事実ではある。

「拓也……」

御厨が思いついたように声を出す。

「キーンも番号を持っているのか?」

もっともな質問だった。
旧来の親友がそんな味気ない番号のシステムに組み込まれているとは思いたくない。

「いや、キーンは違います。彼は『ネットワーク』だ。『Lake DEATH』の実践ではない。番号は実践にしか与えられない。」

「…………」

やはり、不明瞭な点が多く奥の深さを思い知らされた。

「拓也……」

もう一度御厨が問う。

「『Lake DEATH』とは、何だ?何かの特殊部隊か?私の知識と君の異常な戦闘センスを見てもそうとしか思えないが。」

それはおそらく答えられない質問なのだろう。
拓也は言葉を出さなかった。

「…………」

ただし、しばらく思案した後、

「遠からず、しかし違うでしょう……僕のような末端は何も知らない……知りたいのならばキーンに聞いてください。教えてはくれないでしょうが。そして……命もないと思ってください。」

拓也はそう告げて、また服を着た。
彼の残酷さは本人の知らない、しかし生まれつきのものだった。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

8. Assassin

「データは機密です、見ないでください。見れば僕が殺す。」

拓也はそうことわってコンピュータを操作し始めた。
明確に『殺す』と言われ、既に志麻は青ざめていた。

「志麻……秋人を連れて寝室に行っていなさい。秋人は……しばらく起こさない方がいいだろう。」

御厨は二人の身を案じて、この場から離れるように指示した。
秋人は未だ意識を失ったままだった。
志麻は抱きかかえながら秋人を見る。
14歳らしいあまり大きくない秋人は志麻でも運べるようだった。
彼の顔はこの場には似つかわしくない、幼い寝顔だった。

(あなたは、関わらせたくないわ……)

誰にも聞かれることがなかったそのつぶやき。
しかしそのつぶやきも扉とともに。
閉ざされた空間はやはり別世界のようだった。


「なんなのか、聞かない方がいいのだろうな。」

二人の出ていった扉を見つめながら、素早くコンピュータを操作している拓也に尋ねた。
よくは見なかったが、恐ろしくタイピングは早い。
コマンド操作のようだ。

「いや……」

操作を続けながら拓也は言葉を紡ぐ。

「そうでもないようです。これは……見せてもいいが、得するか損するかはわかりかねます。」

拓也は内容を確認して続けた。

「なんだ?」

御厨も慎重に聞く。

「追跡者がデコイにかかった、そのリスト。まもなく日本に到着する――」

「…………」

(なるほど……)

御厨はそれを聞いて納得した。
それを見ればこれから起こるかもしれない危険を回避できるかもしれない。
しかし、見たこと自体を知られればより大きな危険が待ち受けているかもしれない。
たしかに、判断は難しい。

「どうするつもりかね。」

とりあえず拓也の出方を見る。

「迎え撃つ。彼らは僕の存在を知らない。彼らは『MPTL-T31』を追ってくる。」

「なるほど、『それ』が囮か……しかし君一人で相手にするつもりか?人数は?」

「追跡者7名、ドックマスター1名。」

リストを見ながら、答える。
よどみなく。
彼には答えられる情報とそうでないものがはっきりとあるようだった。

「ドッグマスター?」

聞き慣れない言葉を耳にし、御厨が尋ねる。
過剰な知識は危険を生むと往年の経験からよくわかってはいたが、既に彼の脳内では目の前にあるかもしれない危険の回避が最優先で処理されているようだった。

「『ドッグマスター』とは追跡者の指揮系統。だいたい100番以降の者は通常まだ判断の伴う戦闘ができない。戦術がない。従って実戦で能力を発揮するには的確に指示を出せる者が必要になる。そういった場合戦術に長けた『ドッグマスター』と呼ばれる指揮者が付随する。」

淡々と説明をする。
拓也はまったくその言葉に対する意味に価値を見いだしていない様子だった。

「……なるほど、な……」

御厨は概ね納得した。
そういったものだと理解するほか無かったわけだが。

「しかし、君一人で勝てるのか?いくら君が長けていても……君と同じくらい戦闘のできるものたちなのだろう?その追跡者は。」

「…………」

拓也は黙ったままだった。
もう一つ、御厨は気づいたことがあった。

「彼らは、『MPTL-T31』を追ってくるのだろう?彼と協力したらどうだ?」

もっともらしい提案だった。
御厨の認識は、『MPTL』コードを持つ者は例外なく戦闘に長けたもの、と言うイメージがあったからだ。
しかし拓也は簡潔に否定した。

「無理だ。」

「なぜ?」

「ヨゼフは……31番は僕の目の前で死んだ。だからデコイ、だ。」

「…………」


御厨は、恐ろしい事実と直面している自分と、そしておよそ現実らしからぬ世界で生き続けたであろう少年をどう配置してよいのか、理解に苦しんだ。情報は少ない。碁盤が見えない。まして、自分が渦中にあるわけでもない。ただ飛車のように猛然と戦い続けるこの少年と、そしておそらくは戦い、敗れ死んでいった彼の友人を哀れんだ。まるで物語で仕組まれたかのように彼らは戦い続けるのだろう。抗えない大きな力によって物語を紡ぐ。もしかしたら、この少年はその主人公なのかもしれない。あるいはただの脇役かもしれない。ただ……大きな、大きな見ることのできないストーリーがこの世界に描かれていることを、気配で悟っていた。

「勝てるのか?」

長い沈黙の後、ひとこと御厨は質問した。
今彼の知りたいことはそれだけだった。
本当に、それ以外はどうでもよかった。

「おそらく。」

ひとこと、一瞬の間をおいて拓也が答える。

「おそらく?」

鸚鵡返しに問い直す。
おそらく――どちら?

「僕は彼らのすべてを殺せる――」

はっきりと、迷いなく――そう答えた。
自信も何もない、感情自体のない言葉。

「なぜ、そう言いきれる?」

もう一度問う。
この少年の根拠をどうしても知りたかった。
それが、おそらく闇色の瞳の奥にある――



「僕は、すべてを殺せる暗殺者として育てられた。誰でも、何人でも絶対に殺せる。それがたとえ神であっても――」
 

 

 

 

 

物語は闇の中で。
それを紡ぐのは――間違いなく彼だ。
そして、まだ始まってはいない――
 

 

 

 

 

Side C

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