route

朝目が覚めると、泣いていた
夢を見ていた
音のない白い世界
まるで時間も止まってしまったような、そんな感覚
そんな中に僕たちは存在した
車椅子に乗って、穏やかにほほえむ彼女と
連れ添ってゆっくりと歩く僕と
そして
まぶしいくらいに光が降り注いで
ずっと僕らを照らし続けてた
 
夢、じゃない
あの日の終わりは永遠で
きっと今に続いてる――
 
どれくらいそうしていただろう
僕は声を上げることもなく
ただ涙を流し続けて
もう感じることのない悲しみや苦しみを胸に抱いて
思い出をかみしめていた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1 - June, 2014
まるで夢と区別がつかないような日曜の朝
光も優しく射し込んで、時間の感覚もつかめない
ようやく涙もやんで起きあがろうとしたとき妻が部屋に入ってきた
朝食をと呼びに来たのだが僕の様子に気づいたらしく、なにがあったのかと心配したが、結局僕は何でもないよと言うことしかできなかった
妻は数瞬思考を巡らした後、それ以上追求することなく
「冷めるともったいないから早めにね」
それだけ言い残して食卓へ戻っていった
決して僕の心に深入りしてこない、不満を漏らさない彼女はとても忍耐強い女性だと思う
いつだって僕が話し出すまで待ってくれる
彼女に対して何か特別してあげられることがあるわけではないのに彼女の優しさは出会った頃と何ら変わることがない
僕はいつもその優しさに甘えてばかりで正直この幸せがいつまで続くのか不安に思うことさえある
失うことのつらさは誰より知っているつもりだから――
 
 
 
 
 
時計を見るともうすぐ10時になるかという頃だった
平日であればとっくに会社で仕事をしているという頃なのに日曜になると僕はいつもこうだ
世の中には目覚ましなしで毎日定刻に目を覚ます人も多いらしいけど、僕には一生そんな生活は無理だなと実感する
窓の外に目をやると小鳥が2羽飛んでいるのが目についた
雲もまばらでとても暖かい
「本当に、今日はいい天気だな……」
(これ以上の幸せなどこの地上にあり得るんだろうか?)
休みは無駄に時間をつぶすことがもっとも有意義な過ごし方だなんてとても妻や息子には言えないけど、正直そう感じてる
今日だってどこへ行こうという予定はない
妻と息子と、三人で時間を共有しているだけで僕は十分幸せなんだ
こんないい天気の日には――やっぱり家にいたい
家で彼女たちの顔を見ているのがなによりだ
そんな話を会社の先輩にしたら
「おまえが幸せでどうする。家族サービスだろ?家族サービス!」
なんて言われた
まあ、そうなんだけどね
確かに気分転換に出かけるのは結構好きだけど、無理矢理目的を作って遊びに行ったりするのは好きじゃない
なんだかわざとらしくて、作られた家族みたいで窮屈だ
見えない幸せを必死につかもうとあがいてるみたいで辛い
だから、今ここにある、目に映る幸せを実感していたいんだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「父さん、泣いてたんだって?」
食卓についてすぐ、息子が何か新しいおもちゃでも発見したような顔つきで僕に言ってきた
(……やられた)
予想していなかった事態に僕は正直に、完全にはめられたと感じた
妻はこの秘密をすっと胸の奥へしまっておくものだと思っていたからだ
「秋子……」
僕は非難がましい声を上げて、台所でなに食わぬ顔をして料理を温めている妻を呼んだ
別に責めているわけじゃなかったけど僕としては秘密にしておいてほしかった、という意志を伝えておきたかった
「だって、すごく驚いたのよ。あなたのそういうところ見るのって、結婚してから初めてじゃない?心配してたのよ、ねぇ?」
そう言って、息子に同意を求める
「うーん、僕も驚きだよ。父さん、根性なしだけど泣き虫じゃないからね」
……なんという息子だろう。こんなに口悪く育てた覚えはないがしかし相手の傷口をえぐるのが妙にうまい
「おまえなぁ、もう少し言葉を選んで喋ったらどうだ。そのうち友達に後ろから刺されるかもしれんぞ?俺は寛容だから一発で許してやる」
そう言いながら軽く息子の頭を小突く
息子も僕が強く叱らないのを知っているのだろう
何ら抵抗することなく唇を勝利の形で歪めている
「ほら、ほこりが立つからあんまり暴れないで」
僕が息子に対してわずかながら父親らしい態度をとっているところに妻が台所から鍋を片手に戻ってきた
「お味噌汁、暖め直したけど食べるでしょう?」
すでに彼女の関心はすっかり家庭的な内容に移っているようだった
そして、
「ああ……」
と僕が返事をする前にすでにお碗に移されているあたり、まったくいつも通りの朝だったが、やはり今日は僕にとってはいつもとは違う懐かしくて、悲しいにおいのする朝だった
 
 
 
 
 
「でさ、父さん。結局何で泣いてたのさ?」
やはり忘れることはできない関心事項らしい
朝食の後ぼんやりテレビを眺めていた僕にまた息子が訊ねてきた
「うぅん?」
あまり関心のないような曖昧な返事をして見せたが、しかし息子の追及からは逃れることができそうにはなかった
「まさか、目に埃が入ったとかいう古典的な言い逃れをするわけじゃないよね?」
「…………」
なんというか、この子の言葉にはいつも相手を煽るような一言が添えられている
このセンスは僕のものではないしもちろん妻のものでもない
おそらくは学校の友達との会話から得ているのだろうが最近の小学生はどんな精神をしているんだろう?
自分が小学生だった頃を思い出してそのギャップに驚く
かなり末恐ろしい
「ねぇ?どうしてさ」
……しつこいなぁ
「別に……ただ夢を見たんだよ」
根負けして口を開く
このあたりでスッと嘘をつけないところが自分でも不器用な性格だと思う
「何の?」
「……好きだった子が死んでしまう夢さ」
「なにそれ?母さんとは違う人?」
「ああ……俺が大学生の頃の話さ。秋子とは違う女性だよ」
「えっ?もしかしてホントの話?」
「ホントの話。俺が19で彼女が16の時だったよ」
「ひぇ〜、今あかされる真実!だね。まさか父さんがそんな劇的な人生を送ってたなんて!ねぇ、母さん聞いた!?」
息子は大きな声を出して台所で食器を洗っている妻に声をかける
「ちゃんと『聞こえた』わよ」
やはり聞こえていたらしい
少しいたずらっぽい声色で応えてきた。僕があまり話したがらないことをわかっているのだろう
「あ〜ぁ、母さん残念だったね。母さんは父さんの初恋の人じゃなかったらしいよ?でもまさか父さんが母さん以外の人とつきあってたなんてね、ちょっと想像できないなぁ」
どうやら息子の関心はそこらしい
僕が秋子以外の女性を意識するのかどうかがこの子にとって重要なポイントになっているらしい
「ん〜?そうねぇ?確かに残念だけど、でも私があなたと知り合ったのもそのころじゃなかった?」
そういいながら妻が片付けを終えて戻ってきた
同じテーブルにつく
「そうなの?」
(この年でこういう話題が好みとは、なんか老けてるよな)
目が輝いているのは気のせいではない
「そうだな……」
思い出すように、静かに答える
「へぇぇ……?もしかして父さん、二股してた?」
「人聞き悪いな。俺がそんなことできるわけないだろう」
情けないがそれも事実
「じゃあその人が死んだから、母さんに乗り換えたの?」
…………
「おまえ……そういう言い方するの、好きな。ホントに殺されるぞ?そのうち……」
子供には軽薄という言葉は当てはまらないのだろうか。自分の息子でなければすぐさま殴っているかもしれない
「どうなのさ?」
…………
「知らなかったんだよ……人が好き、っていう感覚が。二人とも、離れていってほしくなかった。それだけだったんだ……」
「なんか、よくわからないな……でもよくそんな父さんと結婚する気になったね?母さんも」
「ん?うーん……だから、かな?そうだったから父さんのこと好きになったのよ、たぶん……あなたにはまだそういうのはわからないでしょうけどね」
そういって彼女は息子の頭をなでる
息子は言われて少し気分を害したようだったけれども、妻に何の悪気もないことはよくわかっているのでなにも言わずにすねた表情をしただけだった
 
「でもさ、父さんとつき合ってたなんて、きっとその女の人は母さんよりも我慢強い人だったんだろうね」
(どういう意味だよ……それ……)
「誤解の無いように言っとくけど……俺は彼女とつき合ってたわけじゃない。俺が彼女を好きになってそばにいただけだ」
「じゃあ、片思いだったの?」
「さあな……」
「さあな、って……その人から気持ちを聞かなかったの?」
女性として何か引っかかる部分があったのだろうか、妻は僕の曖昧な返答にやけに強く反応した
「いや、好きだって言ってくれたよ……死に際にね……」
「…………」
妻は悪いことを言ったと感じたらしい
『死に際』という言葉に彼女は表情を曇らせていた
「だからって……言葉にしたからってそれが本当の気持ちかどうかなんて本人にしかわからない。その逆も同じで、なにも言わなくったって相手の気持ちがわかったような気になることもある。でもやっぱり人の気持ちはその人しかわからない。勝手に相手を理解したつもりで、繋がったつもりで……人間なんてそんなもんだよ。自分と他人には絶対越えられない壁があるのさ。だから……彼女の口から聞いたかどうかなんて、それほど意味のあることとは思わない……」
「…………」
気がつくと、妻も息子もじっと僕の話を聞いているみたいだった
「ふふっ、彼女の持論さ……」
 
 
 
 
 
空気が、少し重みを増してきたような気がした
この雰囲気は好きじゃない
でも、昔は……彼女と一緒にいた頃は好きだったような気がする
また頭をよぎるあのころの記憶
決して忘れることのない彼女の言葉たち
小さな、本当に小さなものだけど
何か決心のようなものが心の中に生まれる
 
言わなくちゃね
 
妻と息子と、はっきりと視線を合わせて僕は心を音にした
「彼女のこと、好きだったよ。愛してる……今でもね」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今、僕たちは車を走らせている
二つ隣の町の、大きな総合病院へ向かって――
 
 
あの後妻は彼女のことをもっと知りたいと僕に告げた
僕が彼女を今でも愛していると言ったことに関してはそれほどショックを受けている様子ではなかった
どちらかというと息子の方がその衝撃は大きく伝わったらしい
小1時間たった今でも口を開いていない
ただ車の窓から流れる景色を眺めているだけだ
(まだまだ子供だな)
小学生は子供に決まっているが、素直に言葉通り受け止めた息子は僕が今の家庭から目を背けていると感じているのだろう
すねた子供にどれだけ通じるかわからないができる限り僕の心が理解してもらえるよう努力するつもりだ
妻には……妻はとても思慮深い女性だ
口数の少ない僕をよく理解してくれる
本当にいつも迷惑をかけてばかりだ
だから妻には彼女のことを何でも話すつもりだ
妻と彼女と、2人の女性を愛しているなど一家庭の主としてあるまじきことだが、それはなくならない事実であっていつまでも隠しておこうとは思っていない
その意味と、思いと――あのとき言えなかった言葉を伝えるために
僕は車を走らせる
僕と彼女が過ごしたあの場所へ
僕と彼女が過ごしたあの時間へと

すべては、夢
僕らは形のない世界で生きていく

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