電源のつきっぱなしになっていたPCでログインすると、すぐにメールの着信を意味するメッセージが表示されたYou have new mail.
(メール、か……)
中島の言うように、確かにメールはたまってた
おそらくゴミみたいなものばかりだろう
僕にはメールを交換するような知り合いなんていないから
まして作りたいとも思わない
だって、めんどくさいじゃないか
毎日メールをチェックしなくちゃいけないし、そのためにはここに毎日こなくちゃいけないし
メール届いたら返事書かなくちゃいけないし……
だいたいにして僕には他人に話をするようなことなんて何もない
だから、メールとかチャットとか、そんなコミュニケーションのツールは必要ないんだ
新着メールを一覧表示すると7件受信していることがわかった
うち5件は同じところから届いたもので、そのアドレスは確かこの大学グループと契約しているネット通販のものだったと思う
(やっぱり広告ばっかだ)
開く気にもならなかったのでそのまま削除した
残り2通を開く
(……?)From: diskmaster <diskadm>
To: <tak_itoh>
Date: Fri, 16 Apr 2004 0:00:02
警告:
あなたは60日以上本サーバへアクセスしていません。「パソコン研究会ネット
ワークサービス利用規程」第3条に従い、クオタハードリミットを30000Kバイト
から50%の15000Kバイトへ変更しました。リミットの復帰を希望する場合、理由
を記述した上で下記アドレスまでご連絡ください。
なお、90日以上アクセスがない場合、本サーバに対する一切のアクセス権限が
失効します。ご注意ください。
diskadm@pclab.touto-3iu.tokyo-4ug.ac.jp
1通目のメールはなんだかいかにも機械が吐き出したようなメッセージで読みづらくて意味も通じにくかった
よくわからないがどうやら僕へのサービスが縮小したらしい
こういうことは中島が詳しいので、彼に聞くのが無難だろう
というより、確かこのサーバを管理しているのは中島のはずだ
「なあ、中島。これってなんだ?」
まだ入り口で高良先輩と話をしている中島を呼んだ
「あん?」
彼らは話し始めると一気に自分たちの世界へ入り込んでしまうが、何とか僕の声は届いたらしい
「ああ、これ?ユーザのアクセス頻度によって自動的にサービス規模を変更するようにシステムを設定してあるんだ。崇はずっとログインしてなかったからディスク領域を半分に減らされたって訳だ」
「ふーん?困るの?それ」
「そりゃ困るさ。下手するとメールが受信できなくなる」
「なるほど。僕には関係ない話だね」
「これだ。おまえって奴は……安心しろ。すぐに元通りにしてやる」
そう言って僕に席を空けるよう要求した
彼は椅子に座ると同時に、ものすごいスピードでキーボードをたたき始めた
僕はじっと彼が入力するのを見ていたけど、それでもいったい何を入力しているのかわからないほど速くて、画面に表示される文字でしかその軌跡を追えなかった
「いや、別にいいよ。どうせ使わないし……」
せっかくの善意の処理を拒否したが、きっと彼には通じないだろう
言い始めたら聞かないし、特に今日は強引だから……
「残念!もう処理しちまったよ。しかもユーザレベルを上げといたから50メガまでメール受信できるぜ?どんどん使えよ?」
……やっぱり聞いちゃいなかった
「おまえさ、人と話するの好きじゃないだろ?」
(……?)
急に、妙にまじめな表情で言ってきた
彼がこんな顔をするときは、必ずその内容は人生論だと相場は決まっている
(だから、説教は聞きたくないってば……)
「そうだね。好きじゃない」
嫌々ながらもあっさり相手の質問に答えてしまうことが僕の弱点かもしれない
「だからさ、メールをやれって言ってるんだよ。メールだったら相手の顔とか見えないから落ち着いて思ってること伝えられるし、相手のいやなところあんまり見なくてすむし、リアルタイムを必要としないし。ここからならおまえみたいな奴でもコミュニケーションを深めていくことができると思うんだよ」
「……そうかな」
曖昧に答える
「そうさ。メールから始まるつきあいって多いんだぜ?それで結婚した奴だって知ってる。ここの会員だけ見ても600人以上いるんだ。そのうち6割くらいが女性さ。コミュニティだって多い。オフ会も頻繁にある。ちょっと積極的に参加すりゃイヤでもつき合いが始まっちまう。だから勧めてんだよ」
「600人もいたか?」
いつ部室に来ても10人もいないのに、ちょっと話が見えない
言葉の意味が通じるように部屋を見渡して見せる
「オンラインだけの会員もいるんだよ。ここの大学のグループ全体にサービスを提供してるから、ほかの大学の学生とか高校生とかとも会えるぜ?」
「いや……別に、会いたくないよ」
「そりゃ知らない人間に興味はないわな。でも、いろいろわかってくると実際会ってみたくなるもんだよ」
……違う、違うんだよ。そういうことじゃないんだ
僕は人と話をするのが苦手だから話さないんじゃない
めんどくさいんだよ……他人とコミュニケーションをとること自体が
何も意欲がわかないんだ
だから直接話すだとかメールだとか、手段なんかが問題じゃないんだよ……
「そうかな」
それでも、彼のここまでの善意を無下にすることはできなくてやはり曖昧に答えてしまう
「そうだよ」
どうやら彼の説教は終わったようだった
まったく、どうして中島はこんなに人の世話を焼きたがるのだろう?
僕なんて、他人のことなんか全く興味がわかないのに
同じ人間なのに、この違いってどこから生まれるんだろう
まあ、どうでもいいか。そんなこと……
「まずは適当に掲示板とかチャットとかをのぞいてみることだな。気になる書き込みがあれば自分も参加すればいい。メールの交換もそこから始まるよ」
「そだね」
気のない返事を返すが、彼はそれでも満足したようだった
「ほれ、1通未読メールが残ってるぜ?なんかの誘いかもよ?」
別に、興味ないってば……
なんていうか、彼はどんなことにも興味を示す
どんな小さなアクションにも反応するんだ
それはすごくうらやましいと思う
でも、本当は僕は何も感じていない
それがうらやましいことだということが理解できるだけで
僕の心は微動だにしていないんだ
また無価値な、無感動な文字達を見るのだと決心して、僕は2つ目のメールを開いた――
「…………」From: aoi <aoi.lisp_com@free3.tokyowire.tokyo-sec2.ne.jp>
To: <tak_itoh@pclab.touto-3iu.tokyo-4ug.ac.jp>
Date: Sun, 25 Apr 2004 11:46:21
この私って、なんだろうね?
見る人によって違う私
私を感じる数だけいる私
でも私は私、一人しかいない
でもね
最近考えるの
もし私を誰も知らなかったら
私の存在を認めてくれなかったら
私って存在することになるのかなって
私しか私の存在を知らなかったら
この世界に存在することになるのかなって
それっていない人間なんじゃないかなって
でも、私いるよ?
ここにいるよ?
ちゃんと生きてるよ?
存在してるよ?
なんだろうね?この私って
(……なんだよ。これ……)
僕の予想を大きく裏切り、開いたメールの内容はまったく僕には通じないものだった
「ほ〜う。これまたサイコな女性だな。おまえの友達もやっぱり変わってるな。感動したよ」
隣で見ていた中島が何か感心したような声色で言ってきた
見ると腕組みなどしている
「……なぁ、中島。これが僕の知り合いだとホントに思ってるのか?」
さすがにこれを誤解されては困るので睨んで言ってやる
「いや、おまえの周りになら十分いそうな感じがするからな。違ったか?」
「そう言ってるじゃないか。知らないよこんな人……」
差出人とアドレスをもう一度確認してみたがやはり知らない
よく見ると昨日届いたものじゃないか
「いたずらの類にしちゃ変わってるな、このメール。相手の気分を悪くしたり、だまそうとしてるわけでもないし……なんていうか、独り言が漏れた?って感じがするな。なんにせよ、普通じゃない」
「僕は知らない女性にこんなメールもらうおぼえはないよ」
「どうだか。適当にどっかにメール出したおぼえはないのか?ネットなんかやってると気づかないうちにメールアドレス漏らしちまうこともあるからな」
(……やっぱり、記憶にないんだけどなぁ)
どうにか思い出そうとするが、やっぱり何も思い出せない
でも思い出すような記憶もないんだからそれは当然かもしれない
「やっぱり身に覚えがないなぁ。これって、流れ弾が当たったって感じなのかな?」
「かもな。でも、結局は何もわからないな。無作為に不特定多数に送られたのか、崇をピンポイントでねらってきたのか、このメールだけじゃ、な」
ブーンブーンと気持ちの悪い回転音の響く部屋で、しばらく僕はこのメールと向かい合っていた
中島はすぐに興味を失ったらしく、また部室にいた人と僕にはわからない話をはじめたていた
「この間パッチ当てたウェブサーバが…………」
「あれはまだ完全に対応…………」
「SSLだからって信用できるわけじゃ…………」
「いい加減内部だけでもギガビットに…………」
「まだそんなにトラフィックは…………」
僕にとってはほとんど雑音に等しかった
理解できない単語を並べては議論している
何より、このメールに僕は意識を奪われていた
私を感じる数だけいる私?
存在しない?
誰も知らなければ存在しない?
存在しないのと同じ?
(…………)
なんだ?
目眩が、する
存在しない?胃が、食道が締めつけられるような感じがする
存在、しない
しないのと同じ
(誰も知らなくなってしまったら、いないのと同じ……)
…………
同じ
そう、同じなんだ
誰にも気にされない人間なら、いないのと同じ
「僕も……そうだ」