「アスカ、僕...。」

「なによ、ぐずぐずしないではっきり言いなさいよ。」

「ぼ、僕はアスカのことが好きなんだ。」

「はぁ、あんた何馬鹿なこと言ってんのよ!。」

 

情けない顔をしてモジモジと告白するシンジを横目で睨み付ける。

私はこの男が大嫌いだった。

 

30℃を越す真夏の熱気と強い日差しは、只でさえ不愉快な状況に戸惑う私の頭をますますクラクラさせていた。

赤い海。

崩壊した黒ずんだ街。

どこまでもつづく浜辺。

 

 

「だ、だって僕はアスカのことが好きなんだ。この気持ちを伝えずにいられなかったんだ。」

「あんたはそれで気が済むでしょうけど、言われた人間の不愉快さはどうしてくれる訳?。」

 

努力もしない。

目的もない。

向上心もない。

いつもなよなよして僕は繊細ですという顔をしているが、この男が繊細なのは自分に対してだけ。

 

エヴァの操縦ではこいつに負けた。

そしてそれを良いことに、今頃になって私を守る素振りを見せる。

エヴァの優越感がなければ私に話し掛けることもできない弱虫のくせに。

 

告白なんて人に自分の想いを押付けるものでしかない。

ただ相手の気持ちを考えないエゴイストのやることだ。

もし本当に相手に好意を伝えたければ、ちょっとした会話で好感を持たせるとか、さり気なく一緒の時間を作ったりだとか、前もって相手の気を引くくらいのことは出来るはずだ。

ほんのちょっとの勇気がありさえすれば。

この男はそんな工夫すらしない。

自分が傷つく可能性のある面倒な努力を避けて、いきなり結果だけを求める。

しかも、誰もいない、逃げ出すこともできない二人きりの世界で。

 

こいつが私を好きだという事は前から知っていた。

影で私のことを見つめているのも知っていた。

訴えるような、舐めるような目。

きっと私が自分の告白を受入れるところを想像して一人満足していたのだろう。

不愉快だった。

 

確かに今精神的に参っているかもしれない。

だけどこんな奴と判り合うことで自分を立て直そうとは思わない。

元はといえばみんなに、そして死んでしまったママに認められようと始めたことだった。

それは間違っていたと思う。

この男を見ていれば良く判る、何かにすがる人間の醜さと情けなさが。

もう周囲に振り回されるのは真っ平だ。

揺らぐことなく生きていきたい。

そして目の前のこいつは、今自分が一番見たくない人にすがるという生き方をさらけ出す。

まるで私に対するあてつけみたいだと思った。

余計に腹がたった。

 

だから言ってやった。

 

「大体なんであたしとあんたが釣り合うと思った訳?。

どうしてあんたみたいな冴えない男相手にしなくちゃならないの?。

考えてみれば判りそうなものじゃないの。

とにかく、あんたなんかと付合うくらいなら死んだ方がマシよ!。」

 

びくつくような上目遣いで私を見る。

頬はうっすらと上気し、額には汗が流れ、手がワナワナと震える。

白い開襟シャツの襟がやたらとくたびれて不潔に見えて、汗臭い体臭が匂って来るような気がした。

 

「それから、くれぐれも言っておくけど、自分にはまだ可能性があるなんて思わないでね。

勘違いして欲しくないんだけど、私はあんたのことが好きじゃないんじゃない、嫌いなのよ。

そこ、間違えないでね。」

「はは、...ぼ、僕もそうじゃないかと、お、思ったんだ...」

 

この期に及んで適当な相槌を打ってまだ自分を守ろうとするのが気に入らなかった。

怒りの衝動で目の前が赤くよどむ。

 

「あんたって、ホントに気持ち悪いやつね!。

頼むからあっちに行ってよ。

そしてあたしの側に二度と近づかないで!。

あんたなんか消えてなくなればいいのよ!。」

 

泣きそうな顔をして打ちひしがれているシンジを見ていても、奥から沸き上がる嫌悪感はまだ消えない。

 

再び訪れる沈黙。

周期的なさざ波の音と風の音だけが聞こえる死の世界。

わずかな不安が私を覆う。

 

遠くの方から聞こえる微かな周期的な機械音。

段々と大きな音になりやがてヘリの音だということが判った。

目を凝らすと「UN」という白い文字が見える。

手を振りながら、相手に聞こえるはずがない大声を張り上げている自分がいる。

この死に絶えた環境より、むしろ碇シンジという不愉快な男からの救助であることが嬉しかった。

 

やっとプラグスーツが脱げる。

汗が気持ち悪い。

長い長い夏がやっと終わった、そんな気がした。

 

 


 

もう頬杖はつかない

第1話

 


 

 

第二新東京は連なる山々に囲まれた盆地のような街だ。

新緑の季節は緑が照りかえって眩しいけれど、曇っている日には周囲の山が光を遮って暗い印象を与える。

今住んでいるのは郊外の住宅地で山の斜面に近くてまだ自然が残っている。

最近は開発の手が進んで森が切り崩されて整備されつつあるけれど。

どこから現れたのか知らないが環境保護団体が活動している姿を時折見掛けることもある。

 

ノートが入っている大きめのバッグを肩に引っかけるようにして背負い急ぎ足でアパートに向う。

今日は大学の授業が長引いて帰りが遅くなった。

単位を取るのに必要な実験の講義で、機器が故障してしばらくデータが取れなかったせいだった。

全員が嫌な顔をしたけれど担当教官は平然としたもので学生達に修理を任せて自分は別の仕事をしている。

怒る前に全く呆れてしまう。

昔ならこんな時は相手が謝るまで怒鳴りつけてやったけれど最近はそんな酷いことはしない。

と言っても人間的に成長したわけじゃなくて、ただ単に他人と喧嘩するのが面倒でバカバカしいだけだ。

だけど今回の教官の態度にはさすがに腹がたったので一言だけ嫌みを言ってやった。

 

「この機械はどこ製ですか。」

「中国製だよ。この手の機械は日本製じゃないとダメだな。直ぐに壊れる。」

「そうですね、日本製の機械はなかなか故障しませんね。だけど何故日本の労働生産性が欧米に比べて低いかご存知ですか。」

「どうしてだね?。」

「例えばこんな非効率的な修理をする人間がいたんじゃ折角の性能を活かしきれないからですよ。日本の労働生産性が低いのは学校での非効率な講義がお手本になってるんでしょうね。」

 

教官はムッとしてみんなは青い顔をしていたけれど知ったことじゃない。

あとから隣にいた女の子から言われた。

 

「惣流さんが怒るのも無理はないけれど、あの教官陰険だから後で仕返しするかもよ。」

 

彼女は呆れたような顔をしていたが、確かにこんなことを言うのなんて馬鹿げているかもしれない。

言われてみれば尤もだと思うがムシャクシャするのは仕方がない。

 

久しぶりに喧嘩をして今でもまだ心の中でフラッシュバックして心臓がドキドキする。

こんな時は早く帰って風呂に入るに限る。

今は10月で気温は大分涼しくなった。

アパートの近くまでたどり着いたことに気が付くと既に10時を周っている。

だけど講義が長引いて急ぎ足で歩いているせいか、体に纏わりつく疲労感のせいで頭が重くて考える力がなくなっていく。

 

(よし、あと50m!)

 

道路を挟んでグリーンがかった灰色のアパートが見えて来くる。

横断歩道を渡るがこの時間既に人影はなく、靴音だけが周囲に響く。

 

「ただいま。」

「アスカ、遅かったじゃない。」

「ごめん、ごめん。実験が長引いちゃって。」

「連絡くらいしてくれれば良かったのに。」

「まだ食べてないの?。」

「だって折角の記念日だろ。」

「え、記念日...。」

 

そう言われて思い出したけれど、今日は二人が一緒に暮らし始めた日だった。

考えてみたら人と何かを祝うなんてここ最近のことでまだ慣れていないように思う。

少なくともあの14歳の時のサードインパクト以来、お祝いをしたのは昨年の私の誕生日と今年のシンジの誕生日だけ。

高校の頃はそんなことをする気もなかったけれど、昨年一緒に暮らし始めてから彼が勝手にこんなことをしてくれる。

 

靴を脱ぎながら奥を覗くとシンジは奥の部屋で寝そべって勉強している。

首だけ動かして目をこちらに向ける。

アパートの間取りは廊下を挟んでトイレとバスルームがあり、その奥はキッチンを伴ったフローリングのリビングがある。

奥は寝室として使っている六畳間で多少大き目のベッドと本、CD、収集品が積み上げられている。

 

学生には多少贅沢な間取りだという気はする。

だけど二人で暮らすにはやはり一部屋では足りないと思い決めたアパート。

実際生活してみると時には一人になりたい日もあるし二部屋あって良かったと思う。

 

「あんたも家に帰ってまで良くそんなもの読む気になるわね。」

「だって一応学生だからね。理解くらいはしておかないと。」

「そんなに勉強しなくても十分成績良いんでしょ。一番取ろうって狙ってるわけ?。」

「別にそんな趣味はないよ。」

「ふうん。にしてはご立派だこと。」

「待ってて、晩御飯今から作るから。今日は久しぶりに腕を振るったんだ」

「ふ〜ん、そうだったんだ。」

 

シンジはのっそりと起き上がりながら答える。

昔に比べて態度がでかくなった。

でもふらふらと歩くその姿は近所の野良犬みたいでなんだか可愛いやつだなと思った。

よく見ると髪に寝癖がついているみたいだった。

 

最近はシンジに敵わないことが多い。

努力する気を失ってだらだらと過ごす私と比べると、シンジは結構真面目に勉強している。

やる気がある、というわけではないけれど迷いや不安がないように見える。

時々人を馬鹿にしたような面倒臭そうな顔をすることもあるけれど、もともと地がマイペースなんだろうなと思う。

あまり教えてくれないけれど、高校の時は密かに部活もやっていて運動音痴じゃなくなったらしい。

見てくれも父親に似なかったのが幸いしたのか、そう悪くはない。

そう、はたから見ればこいつは十分に良い男だと思う。

 

だけど良い男ならこれまで周りにはいくらでもいたし、何度も口説かれた。

みんな私を綺麗と言ってくれた。

誉められると嬉しいくせに、だからなんだと言っているもう一人の自分がいる。

人間って見た目や表面的な能力じゃないと思う。

それでいて見た目にも能力にも、こっそり人に点数をつけて安心している自分がいる。

ときどき救われない人間だなと思う。

男の子達も女の子達もそんな匂いがしたし、もっとあからさまだったように思う。

だからなんとなく誰にも気持ちが向かなかった。

シンジは少し違っていた。

私にとって不思議な存在だと思う。

 

それにしてもシンジが腕を振るってくれるなんて久しぶりだ。

食事は交代で当番を決めていて一応ルールを守って自炊しているけれど、最近シンジは料理に熱心でなくて手抜きをすることが多い。

準備に時間がかかりそうなことが判ると、体にまとわりつく疲労感が急に襲ってきて体全体が重たく感じる。

特に首筋が鬱血しているのか肩が凝る。

一気にスカートとストッキングを脱ぎ捨てブラウスのボタンを外しながら殆ど下着だけになった。

バスルームに向かいながら言った。

 

「先にシャワー浴びるわよ。」

「今日のアスカはブルーのパンツなんだ、可愛いよ。」

「もう、見てるんじゃないわよ。いやらしいわね。」

「なんだよ、自分が見せてるくせに。」

「サービスじゃないわよ、金払う?。」

 

お互い口の減らない会話だなと思う。

こいつの前で下着姿になることに抵抗がなくなってどれくらいの時間が経ったのか考える。

女が家の中で下着姿でうろうろするなんて冴えないけど、らくちんだから別にいいやと思う。

人間生まれてきたときはどうせ裸だったんだから。

 

最近自分は結構だらしない人間かもしれないと思うようになった。

肌の温もりに弱い、適当な言い方かどうか判らないけれど。

シンジとは体の相性は悪くはないと思う。

時には我を忘れて快感に溺れることもある。

気分が乗らない日は途中で面倒になって止めてしまうこともある。

でもどちらの場合も寝る時はシンジが隣にいないと寂しくなる。

それなのに相手がシンジである理由は良くは判らない。

強いて言えば昔一緒に悲惨な経験をして他の同世代の連中よりは共感出来るものがある、ということかもしれない。

やっぱり私は寂しいんだろうか。

 

脱衣所に入ってドアを閉めると、かび臭い匂いがした。

好きな匂いじゃないけど、でも自分の家に返ってきたんだなと感じる瞬間。

白熱灯の赤みかかった光。

換気扇の低く唸る音。

ブラを外したら急に楽になって肩が軽くなる。

隅にちょこんと据えつけられた洗濯機にショーツと一緒に放り込んだ。

 

(いけね、こないだ落としちゃって汚したんだ。)

 

洗濯機の下に水が溜まっているのは頂けない。

今度シンジに掃除させようと思った。

でもどうせジャンケンになるんだろうな。

 

肌の温もり、結局それを求めてシンジから離れることが出来ずにいるのだと思う。

時々妙に客観的に生きている自分が嫌になることがある。

あまり酒を飲むでもない私は男と体を重ねることでしか自分をさらけ出し素直になる方法を持たないのかもしれない。

セックスは女をバカに変えてくれる。

それとも、他の女は違うんだろうか。

考えてみたら結局男のことも女のことも、他人のことなんて自分には判らないのだと思う。

 

私が男と暮らしていることは恐らく学校の連中は誰も知りもしない。

隠しているわけじゃないけど聞かれないので言う必要もない。

それ以前に周囲に友達と呼べる人間は多くはない。

ヒカリも年賀状に返事をださずにいたら最近は何も連絡がない。

私が悪いからしょうがないけれど、友情なんてそんなものかもしれない。

 

と、いうより私は他人に対して興味を持たないようにして暮らしている。

考えてみれば悲しい人間のようだけれど、一番無理が無い生き方だと思う。

強気な態度は変っていないかもしれないけれど、最近は自分の気持ちを表に出さない。

いや、むしろ言わないのじゃなくて、考えない、そして感じないようにしている。

 

何事にも執着しないこと。

 

シンジに負けても昔のようにイライラしない。

相手に勝とうとする心が闘争心に火を付けるのが嫌だ。

自分の中を覗かなくてはならなくなるから。

そんなことはもう面倒だと思う。

今は必要なら敢えて負けを選択することだってする。

それが幸せと心の平穏に繋がるのなら。

今必要なのは、真実でも自由でもなく、そういうことなんだと最近気がついた。

 

受け売りだけれど、これは良い言葉だと思う。

人は楽しいから笑うのではない、笑うから楽しい。

 

尤も私は過去の自分に単に復讐しているだけかもしれない。

勿論、それはちょっと考え過ぎのように気がする。

気分のよくない時は誰でもその程度のことはは考える。

私はそんな分裂した人間ではないと思うから。

 

 

何時の間にか熱いシャワーが私の肌を火照るまでに温めている。

足の疲れが少し軽くなるのを感じながら蛇口を捻りシャワーを止める。

滴り落ちる水滴に僅かに開いている窓の隙間から風があたるのだろうか、急にひんやりとした感覚が伝わる。

 

(もうご飯の準備できたかな?。)

 

バスタオルをつかむと白熱灯の薄暗さの下で力いっぱい髪を擦りながら、一年間一緒に暮らしているシンジのことを考えている。

変わらないシンジの瞳、変ってしまったシンジのゴツゴツした手、変わらないシンジの柔らかい髪の毛、変ってしまったシンジの胸。

だけど何より、こいつは昔よりずっと強く、優しく、そして他人への静かな拒絶を内に秘めた人間になった。

5年の歳月は彼を変えた。

そして、変ったのは私も同じ。

 

キッチンに顔を出すとシンジがもうすぐだから、と振返るでもなく言った。

ダブダブのパジャマのズボンの裾を折り曲げながらリビングの中央に腰を下ろす。

 

「1年、だね。」

「...うん、1年。」

 

背後からフライを揚げる音に混じって聞こえて来るシンジの声。

あぐらをかいて腰を下ろすと側にあったTVのリモコンを拾い上げのスイッチを入れた。

特に見たくもない下らないニュース番組を見ながら、ぼんやりと二人が再開した時のことを思い出していた。

 

 


 

第2話を読む

 


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