「あんたって、ホントに最低だわ。」

 

次々通りすぎてゆく風景を救急車の窓から眺めながら言った。

明け方の道路は車が少なくて救急車は面白いようにスピードが出た。

 

「最低、信じらんない。とにかく最低で最悪だわ。

 こんなひどいクズ男見たことない、あんた綾波の気持ち考えたことあるの?

 あんたがあんなひどいこと言うからこうなったんじゃないの。どう責任とるつもりよ。

 最低で最悪。もう顔も見たくない」

「僕が悪いよ」

「そうやってすぐに認める言い方がすごくムカツク! あんたが変わりに死ねばよかったのよ!」

 

救急車の職員が私達三人の方を興味深そうにチラリと振りかえった。

嫌な気分になって黙り込んだ。

窓の外を眺めながらシンジはため息をついて言った。

 

「結局僕は人を傷つけてばかりだ」

 

シンジは言った。

私は声を低くして周りに聞こえないように答えた。

 

「ふざけないで。そうやって一人で納得してしまうところが腹が立つって言ってんのよ。

 あたし、もうあんたと暮らせない。...出て行くから」

「そう。...仕方ないね。僕がアスカでもそうすると思うよ」

「...引越し先が決まったらすぐ出るから。もう二度とあたしに話し掛けないで」

 

怒鳴りたい衝動を押さえて私は言った。

病院につくと、当直の医者が綾波を診てくれた。

医者は命には別状はないでしょう、消毒してしばらく休めば大丈夫ですよと淡々と言った。

その後保険証の提示の手続きが必要だと言われて指示された窓口でしぶしぶ交渉した。

後で結構ですが保険証を持参しないとこれだけ診察料が掛かります、そう見せられた料金に私はびっくりした。

やれやれ人の命を救うのは結構大変なんだなと妙に納得した。

病院の外に出た頃には空はもう白み始めていた。

 

 


 

もう頬杖はつかない

第14話

 


 

 

その日の昼、綾波の様子を見に行くため午前の講義が終わると病院に向かった。

国連付属の総合病院は周りを威圧するような大きな古く汚れたクリーム色の建物だった。

受付には順番を待つ年寄りがソファーにびっしり座っていて、この街にこれだけの人間がいることに私は驚いた。

受付で見舞に来たことを告げると看護婦は綾波の部屋の番号を教えてくれた。

四人の相部屋だった。

自殺未遂の人間を相部屋に入れるのかな、普通?、私は腹立たしく聞くと看護婦は言い訳した。

 

「一応カウンセリングもしたんですけど精神的に立ち直ってるみたいなんで大部屋に入ってもらってるんですよ。

 体力が回復したらすぐ退院できる状態ですから。...あとベッドが不足してるってのもあるんですよね」

 

廊下では車椅子で看護婦に付き添われたおじいさんと杖をついてゆっくり歩くおばあさんとすれ違った。

奥に進んで階段を上がると、ドアの開け放たれた部屋に綾波はいた。

白いパジャマを着て上半身を掛け布団から出して外を眺めていた。

 

「なんだ、元気そうじゃん」

「ええ、元気よ」

 

上半身を起こして爽やかな笑顔と明るい声で綾波は返事をした。

深刻に落ち込んでいるところを想像していた私はちょっとだけ拍子抜けした。

 

「もう平気なの?」

「だって手首がちょっと切れただけだもの。これくらいじゃ死なないわ。

 手首で死のうと思ったらもっと深く切らないと駄目。例えばこのくらい...」

 

綾波は真剣な表情で右手の人差し指と親指でこれくらいを作って中を覗きこんだ。

切れたじゃなくて切ったの間違いだろう、私は苦笑いして指を覗き込む綾波にあきれた。

部屋にはテレビを見続けるおばあさんが二人、ヘッドホンをつけて週刊誌を読んでいる中年の女性がいた。

あらあら二人ともべっぴんさんだこと、若い人はいいねぇ、一人が後ろから声を掛けた。

そんなことないです、私は適当に相槌を打った。

 

「いつ退院できるの?」

「今日か明日。早く出たい。ここの病院は最悪」

「何か嫌なことでもあった? なんならあたしが病院に文句言ってあげようか?」

「ここの自販機の紅茶、甘すぎて飲めない。ひどい味」

 

私は大きな溜息をついた。

窓の外には中庭を取り囲む薄汚れたクリーム色の外壁が見えて、縁には雀が何羽かとまっていた。

年寄りの同室者といいのんびりとした病院の雰囲気といい、まるで時が止まっているみたいだった。

ふとドイツにいた頃よく担ぎ込まれたネルフの病院の緊張した感じを思い出した。

あの頃はシンとした部屋の空気が子供心に恐ろしくて、そのたびに震えたことを思い出した。

私は手持ち無沙汰になったので脇にあったラジオをつけてボリュームを絞った。

スピーカーからは知っている曲が流れた。

 

「退屈なら本でも買ってこようか?」

「いい。それよりおいしいお茶が飲みたい」

「あんたが退院したらまたどっか行きましょう」

 

気がつくと綾波は指先でリズムを取りながら、再び話かけても曲に集中して答えてくれなかった。

曲が終わって質問すると、Close to you という20世紀のしかもヒッピーが流行っていたころの曲だと綾波は言った。

その頃は誰もが楽しく暮らす愛と平和の理想の時代だったと綾波は説明した。

私はそんな時代が本当にあったのかなぁ、と少し疑いながら話を聞いた。

 

「この歌知ってる?」

「聞いたことはある」

「出だしのところが好き。

 "Why do stars fall down from the sky, every time you walk by? Just like me,they long to be close to you"

 好きな人のために星が自分から落ちてきて側を歩くの。でもわたしだったら一緒には歩けないと思う。

 わたしは見てるだけで満足できるような人になりたい」

 

綾波はそう言うと顔を伏せて黙り込んだ。

私は昨日のことを思い出した。

綾波はきっと自分をコントロールできていなのだ。

そして彼女の心は悲しい思い出で押しつぶされて深く混乱しているのだ。

私は居たたまれなくなって何か言わなくちゃと考えた。

 

「ねえ、綾波、あんたの気持ち判るよ。だから元気だして。あんたにもこれからきっと良いことあるよ」

「本当はね、碇君はわたしがいなくなったら駄目になるんじゃないかって想像してたの。

 ...だって碇君、本当はすごく繊細で優しい人だから」

 

そう言われて私には綾波を慰める資格があるのだろうかとふと考えて口を開いたことを後悔した。

 

「だからあなたと普通に暮らしてるのを知って正直がっかりした。

 わたしがいなくなれば壊れてしまうかもと思ってたから。碇君、わたしの胸の中でよく泣いてたわ。

 一晩中ずっと。わたしが碇君のこと慰めてあげられたらどんなに素晴らしいだろうって...ずっと思ってた」

「シンジはあんたが考えてるほど繊細じゃないかもしれないわよ」

「それは違う...。それはきっと、わたしだけが知っている碇君なの」

「...」

「あの日トランプであたしが勝ったら...わたし碇君を殺して自分も死のうと思ってた」

「え?」

「冗談よ、本気にしないで」

「そんなの冗談でもやめてよ。...ごめん、あたし考えてみたらあんたに何か言える立場になかった。

 考えが足りなかったかもしれない。気を悪くしたら許して」

「そんなことはない。わたしはあなた達のことなんとも思ってない。

 碇君はあなたを選んだんだからわたしの前でも堂々と胸をはっていればいいのよ」

「...そんなこと出来るわけないでしょ。あたし本当に心配してるのよ」

 

顔を伏せる綾波は顔を強張らせてとても寂しそうに見えた。

この間のシンジの態度が心に蘇って怒りがふつふつと湧き上がった。

たっぷり一分は沈黙が続いたあと、私は胸の中に秘めていた言葉を外に出した。

 

「あたし、いっそのことシンジと別れようかと思うの」

「え?」

「だってあいつの態度はひどかったもの。人間として許せない気がした。

 なんか覚めちゃったって感じなのよ。限界が見えたって感じっていうか」

 

淡々と言い終わると私は窓の外を見た。

さっきまでいた雀はどこかにいなくなっていた。

私はラジオの曲に耳を傾けながら、これからアパートを出る算段をしなくっちゃ、と考えた。

 

「帰って!」

 

急に大声が聞こえた。

綾波は顔を伏せたまま肩を震わせていた。

耳をつんざく声は綾波の声のようだったけれど、でも彼女が怒鳴るなんて信じられないと思った。

けれど綾波は急に顔を上げて恐ろしい目つきで睨んで言った。

 

「...あなたは...わたしをかわいそうだと思ってるでしょう」

「え?」

「...あなたはわたしをかわいそうだと思ってるわ」

私は驚いて言った。

 

「違うわよ。ただあたしはシンジがあんたにひどいことしたって腹が立ってるだけよ。

 あなたに同情したり馬鹿にしてるわけじゃないのよ」

「あなたは全然理解してない」

綾波は静かに言うと私をもう一度睨んだ。

 

「わたしは自分がしたことに決して後悔なんかしてない。碇君にも腹を立ててなんかいない。

 碇君がどんなにわたしを嫌おうとわたしはあの人を好きになって良かったと思ってる。

 思いが届かなくても彼のことを恨んだりしない。

 わたしは傷つくことで自分が生きていることを感じることが出来た。

 この痛みだけはわたしだけのものなの。生きている証なの。

 わたしはこの痛みが愛しいし、誇りに思っている。わたしが...生きている証だもの」

 

私は混乱した。

一体綾波は何を怒っているんだろうと思った。

そしてどう接して良いか判らなくなって、仕方なく笑顔を取り繕って肩に手をかけた。

瞬間、彼女の体が翻ったような気がした。

 

パチン!

 

乾いた音がして、私の頬を刺すような痛みが襲った。

私はびっくりして頬を押さえた。

 

「触らないで」

 

綾波は静かに言った。

見る見るうちに綾波の瞳からは涙がボロボロと落ちて、頬を伝って白いパジャマに落ちた。

なすすべもなく凍りついたように動けなかった。

私はしばらく混乱した挙句、やっと出てきた言葉を口にした。

 

「あんたは...シンジにフラれたことを正当化してるだけでしょ」

「違う」

「違わない」

「違うわ」

「...どうしてもっと素直に認めないのよ、あんたは傷ついてるんでしょ。

 あたしの言うことをどうして素直に聞いてくれないの? どうして怒るのよ?」

「あなたにはわたしと碇君の関係は判らない。あなたみたいな幸せな人には決してわからない」

「あたしが幸せ? あんたこそシンジがかわいそうだと思ったんでしょ。

 だからシンジのこと好きになったのよ。孤独な男なら自分だけを見てくれるって思ったんでしょ!」

「それはあなたじゃない。じゃああなたはどうして碇君と一緒に暮らしてるの?」

「うるさい! あんたなんかに何が判る!」

「帰って」

「...」

「もし今度わたしをかわいそうなんて言ったら...わたしはあなたを殺すわ。

 どこまでも追いかけて...きっと絶対に許さない」

 

そう言ったきり綾波は顔を上げなかった。

綾波への親愛の気持ちが踏みにじられた気がして心を開いたことに対する後悔の気持ちが沸き上がってきた。

私は怒りにまかせて黙って部屋を出た。

そしてしばらく歩いて私は深く後悔したけれど、綾波との間に出来た溝は簡単には埋まらない気がした。

 

 


 

 

私の10代は完全に終止符をうった。

二十代最初の冬はまるでぬかるみのように私の心を重くした。

新しい部屋を探す気力はなかなか沸かなかった。

今更新しいアパートに一人で暮らしてどうなるというんだろう。

 

(なぁんか、かったりぃなぁ)

 

私は時々独り言を言った。

シンジには相変わらず腹が立ったけれど、それが綾波にも私にも余計なことだ判ってうんざりした気分になった。

顔を合わさないで済むようアパートには出来るだけ遅く帰った。

大学の講義が終わると殆ど毎日映画を見に行った。

平日夕方の映画館はいつもガラガラでのんびりくつろぐにはちょうどよかった。

ビールのミニ缶を飲みながらぼんやり大きなスクリーンを眺めたけれどどれも単調でつまらない内容だった。

全てはバイオレンスとセックスとサスペンスに溢れていてエンターテイメントという言葉に私はうんざりした。

ハリウッドではきっと誰もが能天気さとラブとピースがあれば世界は全て事足りると考えているのだ。

そして適当な本を買ってファーストフードを食べながら読むと、終電でアパートに帰った。

 

私はシンジからも避けられていた。

アパートに帰りつく頃にはシンジは布団にもぐりこんで寝息を立てていた。

私は起こさないよう奥の部屋に入って、そっと着替えてベッドにもぐりこんで深い眠りについた。

そして翌朝、シンジは私と顔を合わさないよう早起きしてアパートを出るのだ。

一応朝食が準備されていたけれど、生ごみ袋に捨てていたらそのうち食事の準備はなくなった。

 

私は自分の気持ちを何通かのメールにして綾波に送った。

あなたの気持ちを傷つけてごめんなさい、悪気はなかった、決して馬鹿にしたり見下したりしたわけじゃない。

少しづつ言葉を変えたけれどどれも同じ意味だった。

私は最初のうち授業もそっちのけでメールを書くことに没頭した。

けれど返事は一度も来なかったので、一週間ほどするとそれもやめてしまった。

悔しいけれどシンジが言った、理解できないならいっそのこと傷つけ合いたいという言葉が少し判った気がした。

私の気持ち川底の泥のように深く沈んでいった。

私は努力して綾波のことはしばらく忘れることにした。

久しぶりに寂しくなった。

せめてシンジと話がしたいなと考えたり、そんなことを考える自分自身を激しく憎んだりした。

私の二十代はそうやって始まったのだ。

 

 


 

 

(ああ、かったりぃ)

 

年が明けて一月はあっという間に過ぎ去り二月になった。

昼からの講義に出るため入り口に近い机に場所をとった。

しばらく講義が始まるのを待っていると、後ろから人が近づく気配がした。

横目で見ると隣に座ったのはシンジで、疲れた顔でぼんやり黒板を見つめていた。

専門も違うしこの講義をとる必要はないのに一体どうしたんだろうと考えた。

やれやれと思って頬杖をついていると、一分程してシンジは口を開いた。

 

「ねえアスカ、僕はアスカに話したいことがある」

「あたしにはあんたから聞きたい話はないわ」

「まあ、...それは理解できるよ。でもそのことじゃないんだ」

 

私は今更なにがそのことじゃないだと腹が立った。

シンジは仕方ないといった表情で何かを考え込んだけれど、すぐに教授が入ってきて会話は終わった。

私は板書された数式をノートに写し取ることに専念した。

九十分の講義が終わって私が逃げるように立ち上がろうとすると、シンジは引きとめるように話し掛けてきた。

 

「ねえ、アスカはやっぱり怒ってるよね?」

「ねえ、あんた馬鹿? どこの世界に目の前で友達傷つけられて平然とフランス料理食ってる女の子がいるのよ。

 もしそんなのがいたら、それが他人でも横から割って入ってあたしがひっぱたいてやるわよ」

「僕は許して欲しいというつもりはないんだ」

「じゃあ、あんた何のために話し掛けてんのよ。あんた綾波に悪いと思わないの!」

「...綾波はアスカにとって大事な人だったんだね。悪いと思ってる」

「...あの子のことはそれはそれよ。あたしが本当に腹を立ててるのはあんたの態度よ」

「それは僕だって理解できるよ」

「そうじゃなくてあたしはあんたのそういう態度に腹が立つって言ってるのよ!

 確信犯ですって言えば恋愛だったらどんなひどいことしても許されるって訳じゃないでしょう。

 そういうは個人的なものだから仕方ないって人に押し付けるのやめてくれる?

 迷惑するのは周りの人間でしょう」

「だけど僕が綾波に対して抱いている感情はどうしようもないんだ。

 それは僕にとって理由があることなんだよ。そしてそのためにアスカから憎まれても仕方ないとすら思ってる。

 もしそうなったとしても僕はきっと後悔しないと思うよ。そういうことなんだ」

「それって何なのよ? それをはっきりいいなさいよ」

「それは言えない。言いたくない」

「...もういいわよ! あんたと綾波のことについてはもう聞かない!」

 

シンジは困ったような顔をした。

ふと気がつくと教室の後ろの方に残っていた連中が興味深そうにこちらを眺めていた。

その中の何人かはやれやれというジェスチャーをして私達をからかう素振りを見せた。

私は、くだらない、見世物じゃないのに、と口の中で呟いて黙りこんだ。

 

「クリームパン食べない?」

「なによ、突然」

「人間には突然甘いものが食べたくなることがあると思わない?」

「まあ、ないとはいわないわね」

「どうも最近そういうものが食べたくなることがあるみたいなんだ」

「一つだけ忠告しておくと甘いものの食べ過ぎは太るもとよ」

「そうとも言うね。まあ、それはいいとして、...どう?」

 

シンジはそう言ってビニール袋に入ったパンを取り出して半分に割ると一つ差し出した。

気を引くためにクリームパン?、心の中で文句を言いながらやけになって口に頬張って飲み込んだ。

頬杖をついて黒板の方を眺めているシンジを眺めた。

シンジはちょっと寂しそうに見えた。

 

「もう、いいわ」

「え?」

シンジは驚いた顔で聞き返した。

 

「あんたが綾波にしたことは許さない。あんたの態度も気に入らない。でもこれ以上口きかないのはやめる」

「どうしたの、一体?」

「綾波に対する同情であんたと喧嘩するのって変でしょ。

 そもそも綾波があんたに腹をたてればいいんであってあたしが怒る筋合いないもの。

 とりあえず他人のお節介で喧嘩するのはやめる。なんだか馬鹿馬鹿しいもん」

「...うん」

「なんだか息が詰まってしかたないわ。だから仲直りする。

 ただ一つだけ覚えておいて。あたしは理由もなく人から傷つけられるのは大嫌いなの」

「そう。判った」

「ホントよ、あたしは傷つきやすいのよ。

 あたしはいつかあんたが自分を傷つけるんじゃないかって、それが怖くなった。

 どう、これなら文句ないでしょ」

「え、...うん」

「あんたが心から優しくしてくれたら、きっとあたしもあんたにそうしてあげられるわ。これ本当よ」

「じゃあ気をつけるよ」

「これであんたが話したかったこと解決したかしら?」

 

シンジは何も言わなかった。

けれど、私達の間にあったとげとげした空気は少し和らいだことは確かだった。

私達はそれから都心に出て少し考えた挙句デパートに入った。

これといって理由はなかったけれど、なんとなくぶらつきたいと思ったからだ。

しばらく洋服と文房具と食器を見て、そして二人でとんかつを食べた。

赤だしの味噌汁が付いたおいしかったとんかつだった。

 

店を出ると窓の外はもう暗くて空気は刺すように冷たかった。

デパートの低層階の屋外は、一段づつ階段状の公園のようになっていた。

広いスペースにはベンチ以外四角いオブジェがあるくらいでやたらだだっ広かったけれど静かで落ち着いていた。

周囲の手すりの向こうには第二新東京の高層ビル群が頂上の赤いランプを点滅させていた。

そこはちょっとしたデートスポットでベンチにはカップルが何組か座っていた。

私はシンジに促されてその中の一つに座った。

 

「ねえ、そこらじゅうカップルばかりだね」

シンジは言った。

 

「みんな暇なのよ。とっととホテルに行ってベッドにもぐり込めばいいのに。どうせやることは一緒なんだから」

「そうはいかないよ、こういうのは段取りが大事なんだから。

 いきなりホテルじゃ女の子はびっくりするじゃないか」

「男の子ねぇ」

「男ってそういうとこに努力する生き物なんだよ」

「あんたって紳士だわ。でもあたしだったら人を寒いとこに野ざらしにする紳士はお断りね」

 

私がからかうように言うとシンジは黙って苦笑いした。

排気口からの低いファンの音が響いてきた。

都心の眺めは人工的で秩序だって寂しかったけれど、夜の静けさはそれはそれで格別だった。

 

「ねえ、あそこの二人キスしてるよ」

「ホントだ」

 

指差された方をシンジの体にもたれかかるように覗きこんだ。

シンジは私の頬を手のひらで包み込むとそっとキスをした。

少しだけポカンとしている間にシンジは着ているコートを広げて私の体ごと包み込んだ。

まるで映画に出てくるドラキュラに抱かれた女みたいだと思った。

 

「ねえ、こうやって話をしてもいい? こうやるとアスカの暖かさを感じる」

「いいけど、別に」

 

シンジはもっとくっつきたいと言って私の太ももを持ち上げて自分の膝の上に乗せた。

コートの中にくるまって胸に頬を押し付けて、私はシンジの中で息をした。

 

「ねえシンジ、あんたあたしからシカトされて腹立てなかった?」

「勿論立ったさ」

「じゃああたしのこと憎いと思った?」

「そうじゃないよ。どうしてそんなことも判らないんだよ。

 僕はアスカのことが好きだし、そういう気持ちを簡単に忘れることができる性格じゃないよ。

 アスカはきっとと判ってて意地悪してると思ってた」

「どうしてそうなるのよ」

「僕はこの二ヶ月間本当に落ち込んでいたんだよ。これは本当だよ」

 

私はシンジに、バ〜カ、と言ってそれからしばらく黙り込んだ。

シンジはまた苦笑いして、抱きしめる腕に段々力をこめた。

私が、あん、と声を出したのでシンジは力を緩めた。

 

「ねえアスカ、もっとぎゅっと抱きしめていい? 僕はずっとそうしたいのを我慢してきたんだ」

「なによそんなこと。勝手にすればいいじゃないの」

 

ゴワゴワしたコートの上からシンジが私の体を抱きすくめた。

ふと考えた。

 

(あたしも好きって言っちゃったら楽になるのかなぁ)

 

シンジは私のこと好きだって言ってくれる、いっそのこと甘えるのも悪くないかも、そう考えた。

シンジはもう一回キスしてもいい?と聞いた。

私はしたけりゃすれば、と言うとシンジはそっと抱き寄せて唇にキスをした。

久しぶりのキスは妙にくすぐったかった。

 

「アスカ、やっぱり僕はアスカのこと好きだと思う」

「...あたしも...ひょっとしたらそうかもしれない」

 

キョトンとした顔でシンジは私を見た。

見上げるとシンジのまぶたが濡れているような気がした。

目を触ろうとすると、やめろよ、と言われた。

そしてシンジはもう一度私を抱きしめた。

 

(あたしってずるいなぁ)

 

もうこれ以上綾波とシンジの関係について触れるのはやめようと思った。

結局こういうことには他人は口を挟めないのだ。

とりあえずシンジのことは正面から見据えることにして嫌なら別れるし、そうでなければこのままだ。

綾波には時間を置いてほとぼりが冷めた頃にまた会いに行こう。

誰からも傷つけられない居場所が欲しいなと思った。

ひょっとしたら私はシンジでも綾波でも誰でもいいんじゃないだろうか、そんな考えが頭をよぎった。

 

 


 

to be continued

 


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