朝目が覚めるとシンジはすっかり食事の用意をしてくれていた。

部屋の空気は寒々としていた。

こたつにもぐりこんで膝を抱えて、頭を掛け布団に突っ伏した。

 

「アスカ、目が開いてないよ」

「...朝から...話し掛けないでよ」

 

まだ頭が起きてない...、呟いたけれどシンジは新聞を読むことに没頭していて聞いていなかった。

今までお互いを避けていたことが嘘のような自然な朝だった。

トーストを頬張りながらホットミルクが入ったマグカップに口をつけてゆっくり飲み込んだ。

テーブルにはスクランブルエッグとボイルしたソーセージの簡単な料理が湯気を上げていた。

テレビからはレポーターの不自然に明るい声が響いていた。

 

「アスカもう一枚食べる?」

「いらない」

「まだ目が覚めてないみたいだね」

 

ふん、ミルクを飲んだ時点でもう目は覚めてるわよ、心の中で呟いた。

シンジは自分のコーヒーをつぎ足すと後ろから私に覆い被さってドスンと座りこんだ。

チャンネルを変えたくて床に落ちているリモコンに足の指先を伸ばした。

指先が届かないのを見て、シンジは笑いながら私のズボンに手を入れて太腿に指を這わせた。

 

「硬いなぁ、アスカの脚」

「そんなとこに手をいれないで。くすぐったいじゃないの」

「いいじゃないか、昨日はあれだけ触りあっただろ」

シンジはまるでお前の心なんて全部知ってるよと言わんばかりにふふんと笑った。

 

(ああもう。それは昨日の夜のことでしょうが、朝から勘弁してよ)

私が押しのけたのでシンジは意外そうな顔をした。

昨日の夜は何度も仲直りのセックスをした。

久しぶりに気持ちのいいセックスだった。

シンジが射精した後大きく息をしたときの吐息がまだ耳に残っていた。

やっとのことでチャンネルを国営放送に変えて、残ったパンをホットミルクで飲み下した。

とても静かな朝だった。

 

沈黙をやぶるように電話のベルが鳴った。

嫌な気分に襲われた私はそれを無視した。

シンジも電話を無視すると、立ちあがって棚から封筒を出すと用紙になにかを記入し始めた。

呼び出しが5回鳴って留守電は沈黙だけを録音した。

冷汗が流れるような気分に襲われた。

きっと私は何かを恐れているんだ。

そして、まさか?、一体何を恐れるというんだろう、と考え直した。

やがて『碇君』という小さな声が聞こえて電話はプツンと切れた。

私の心の中にはシンジに対して嫉妬のような気持ちがドス黒く残った。

どうして綾波はこれだけ真剣に心配している私じゃなく、シンジに電話を掛けるんだろう。

 

「あんた授業あるんでしょ、そろそろ出たら?」

 

私は出来る限り明るい声を出して平静を装いながら言った。

シンジは黒のコートを羽織り大きなかばんを肩に掛けながら立ちあがった。

そしてしばらく私をジッと見つめて言った。

 

「気にしなくていいよ、今までもたまにあった電話だから。アスカは朝が遅いから気がつかなかっただろうけど」

「馬鹿、あたしは気にしてなんかいないわよ」

 

シンジはそろそろ出ないと次の快速間に合わないから、と言ってドアを開けた。

 

 


 

もう頬杖はつかない

第15話

 


 

 

商店街に買い物に出かけた。

どんより曇った空が広がって空気は寒々としていた。

毎日通っている商店街はいつもと変わらない風景だった。

スーパーマーケットはあるけれど、この辺りの住人は商店街の個人商店が好きなのか結構繁盛している。

八百屋の白い長靴をはいた恰幅のいいおばさんは今の時代でもザル勘定で商売をしている。

肉屋には高価なしゃぶしゃぶ用の薄切り牛肉から安い鶏までケースに並べられて焼鳥も売っている。

多分この街ではセカンドインパクト以来のドタバタが未だに日常の中に染みついている。

今晩の食事当番は焼鳥とサラダにしようと考えた。

あとはビールをつけてみようかな?、まだ喧嘩している時、シンジが飲んだらしいエビチュの空き缶を思い出した。

やがて私は紅茶屋の前を通りかかった。

 

(そういえばここで綾波と会ったんだよなぁ)

 

立ち止まってゆっくりと溜息をついた。

冷たい風が吹いて頬をなでた。

そういえば彼女に出会ったのはまだ随分暖かい時分だったなぁと、随分前のことを思い出した。

その瞬間目を疑った。

 

(まさか、あんな電話の後にこんなところにいるわけ...ないわよね?)

 

白いコートに身を包んだ青白い髪の綺麗な女性が店から出てきた。

その瞳は燃えるように赤い色をしていた。

手元には買ったばかりらしい紙袋を抱えていて、もう片方の手でレシートを丸めていた。

やっぱり彼女だ、私は驚いて声を掛けた。

 

「...ちょっと、あんた何してるの? こんなところで」

「別に。散歩してるだけよ」

 

綾波は私に視線を合わせないよう横を向いたまま、素っ気ない返事をした。

散歩だったら他に行く場所はいくらでもあるだろうに、私は疑いの眼差しで綾波を見た。

とっさにこの間のことをちゃんと謝っていないことに気がついた。

 

「...綾波、ごめんね。あたしこの間のこと...」

「今日は碇君は一緒じゃないのね」

「シンジは...関係ないでしょ」

「まあ、そうね」

「ねえ、あたしはあんたがあたしのことお節介だって思うのは判るわ。でもあたしなりに随分反省してるのよ」

 

シンジのことを質問されて私は嫉妬を感じた。

けれどそれを表に出さないようにしながら綾波の答えを待った。

綾波はゆっくり溜息をつくと、空を見上げて遠い目をして言った。

 

「私はね、...多分記憶なのよ」

「記憶?」

「そう、残存記憶。だってわたしはもう終わってしまった人間だもの。

 だから碇君から愛された思い出を何度も何度も心の中で繰り返して生きるの。わたしはそれで満足なの」

「そんなの...おかしいわよ。あんたはどうしてそうやって自分で自分をごまかそうとするの?

 もっと前を見て生きればいいじゃない。楽しいこともっと一杯あるはずでしょ」

「ねえ惣流さん、どうしてあなたはそう思うの?

 どうして思い出の中で生きることは変なの? どうして前を見て生きるのが正しいの?

 わたしは全然そうは思わない。わたしは今のままの自分でいいと思うもの」

「そんなの変よ」

「あなたはきっとまだ周りの人を気にして生きているのね。

 前を向いて生きることの方が正しいと思い込んでいるのね。

 それはきっと...あなたが本当に人を愛したことがないからだわ」

「ちょ、ちょっと、ひどいじゃない!」

「だってあなたはちっとも判っていないもの」

「どうしてそうなるのよ! あんたこそシンジに嘲笑われてるのよ。

 そんなことをすればするほど自分が傷つくだけじゃないの! それじゃあんまり...みじめじゃないの!」

「わたしは...みじめでもかわいそうでもない。それはきっと...あなたの方よ」

「あたしが!? あたし知ってるんだからね! あんたが夜中鏡の前で笑顔を作って突っ立てるの。

 どうせシンジのこと想像して一人で勝手に満足してたんでしょう。あたしは知ってるのよ!」

 

綾波は初めてハッとした顔をした。

そして見る見るうちに顔色が変わると、私を睨みつけてワナワナ震えた。

美しい赤い瞳には深い憎しみの色が満ちて、やがてその表情は怒りで醜く歪んだ。

私は言ってはいけないことを言ってしまったのだと気づいてしまったと思ったけれどすでに遅かった。

 

「あなた...友達だって...言ったくせに」

 

綾波はくるりと振り向いてスタスタと歩いていった。

その後姿はいつものように美しかったけれど、背中にはどんな声も届かない気がした。

小さくなってゆく後姿を見送るうちに私はとても悲しくなった。

 

 


 

 

寝苦しくて目が覚めてふと横を見た。

カーテンの隙間から刺し込む月明かりに裸のまま寝ているシンジの顔を見た。

かわいいなぁ。

寝ているシンジの顔は相変わらずかわいい。

14歳の頃ユニゾンでの練習をして必死についてこようとクタクタになって寝てしまったシンジを思い出した。

 

(こいつは昔からこういう寝顔なのよ)

 

喧嘩していたのが馬鹿馬鹿しいくらいシンジに対して肉親に対するような懐かしさを感じた。

まとわりつく髪を後ろに撫でつけた。

どうも眠れなくなったらしい。

シンジを見ていると今日の憂鬱な気分が少しでもまぎれるのが嬉しかった。

まったくシンジは本当に幸せそうな顔で寝ている。

ちょっと悪戯だ、そう考えて鼻をつまんでいるうちにシンジの寝息が変わった。

 

「起こしちゃった?」

「んん...なにするんだよ...アスカ」

「ねえ、もう一回しよう」

「...明日にしようよ」

「でもほら、こんなになってんじゃない」

 

私はシンジの下半身に手を這わせながら言った。

最初こそ抵抗していたけれど、しばらくまさぐるうちにシンジが勃起したのが判った。

シンジは私の唇をふさいで下半身に手を伸ばしてきた。

お腹から侵入してくる手のひらが暖かくて気持ちよかった。

けれど私は気が変わってシンジを押しとどめて言った。

 

「ねえシンジ、...あの子とのこと教えて」

「え、なんだよ、急に」

「あんたが言いたくないのは判るけど...でもどうしても聞きたいの」

「...」

「今日ね、綾波に会ったんだ。この辺りに時々来てるみたい。

 ねえ本当にあたしは知りたいの。頭下げるから。あんたが何を言っても怒ったり取り乱したりしないから」

「...」

 

大きな溜息をついてシンジが黙り込んだので私も黙って待った。

シンジの腕に手を回すと広い胸が呼吸の度に膨らんだりしぼんだりするのが判った。

やがてシンジは口を開いた。

 

「...いいけど、決して面白い話じゃないよ。これは僕の恥を話すわけだから」

「判ってる。ごめんね、こんなことお願いして」

「...何から始めたらいいんだろう。

 ...僕と綾波は同じ高校に通っていたんだ。

 ミサトさんははっきり言わなかったけど、どうも旧ネルフがチルドレンの確保の目的でそうしたみたいだった。

 話せば長くなるけど、アスカと違って僕と綾波はネルフと因縁めいた関係があるんだよ。

 だけど僕にとってそんなことはどうでも良かった。

 僕はサードインパクトの後抜け殻のようになった。

 世界中の街が壊れてしまったように、僕の心も多分壊れてしまったんだと思う。

 もう決して誰にも本当のことを言わずに生きてやろう、そう心の底で決めた。

 笑顔と優しい言葉でみんなを欺いて、心の底では舌を出して世界中を馬鹿にして生きてやろうと決めたんだ。

 ...ねえ、アスカ、なんだか恥ずかしいね、こういうの喋るのって」

「...そんなことないわよ。他の人は知らないけどあたしは変だとは思わない」

「アスカは優しいね」

 

シンジは鼻で笑いながら言うと訥々と続けた。

 

「あれからはなんでも必死でやった気がする。

 人に勝つとか誉められることはどうでも良かった。

 ただみんなが必死になっているものを馬鹿にしてやりたくて、それだけのために勉強もスポーツも頑張った。

 悪ぶって格好つけてる連中も気に入らなかったから、逆に親友みたいに振舞ってやった。

 どいつもこいつもみんな下らない馬鹿ばっかりだった。

 学校でつるんでいた連中とは、よく週末のクラブに女の子を引っ掛けに行った。

 女の子達は簡単についてきてセックスさせてくれた。

 彼女達はこんなことは全然大したことじゃない、退屈だからやっているだけだ、と鼻で笑って言うんだ。

 だけど僕は、自分に自信がない女に限ってせめて容姿が人を惹きつけることを確認しないと

 安心できなくて執着から逃れられないことを知っていた。

 単に誰かから『君が必要だよ』と言って欲しいだけなんだよ。

 僕は毎日の性欲の処理をするために、よくそんな女を適当に騙してセックスに使ったよ」

「使った?」

「そうだよ、使用って言うべきだよ。だってちっとも人間って感じがしない。実感がわかないんだ」

「あんたがそんなことしてたなんて...知らなかった。

 彼女達だって自分なりに考えたり悩んだりしてたんじゃないの?」

 

私はシンジの言うことに憤りを感じているのに気がついた。

なんとなくシンジが馬鹿にしている奴らが私にも当てはまる気がしたからだった。

シンジは表情を全く変えず溜息をつくと、やがてゆっくりと言った。

 

「ねえアスカ、僕だってそんなことは判ってるよ。僕は決してそんなに傲慢でも無自覚でもない。

 そんなことは...本当に判ってるんだよ。彼らだって辛ければ傷つくし、良いことがあれば嬉しいんだ。

 ただ、ただみんな決定的に何かが欠けているんだ。

 彼らは延々と繰り返す日常に対して僕の何百万分の一の疑問も感じていない。

 

 ...生きるってことは自転車に乗ることみたいなものだと僕は思う。

 自転車は走り出してしまえば爽快だけど、ペダルをこぐのを止めれば転んでしまう。

 14歳の頃の僕は転んだまま走ることを知らない子供だった。

 そしてその後の僕はなまじ走ることを覚えたばかりに止まることを恐怖するようになったと思う。

 走っている時だけ僕は生きていて、止まってしまうと僕は死んでしまうんだ。

 まるで電池が切れたオモチャのロボットみたいにね。

 僕は止まることをいつも恐怖した。多分今でも恐怖している。

 そして根拠もなく無邪気に人生を信じているやつらを、自分にはひょっとしたら何かの価値が

 あると勘違いしているやつらを僕は激しく憎むようになった。

 僕には...何もないっていうのに。

 僕はもういろんなことが出来るようになったのに、...でも何もないんだ。

 きっと僕は、みんなが僕と同じように傷つく以外、僕の言葉は誰にもとどかないという気がするんだよ。

 

 だから...僕は段々と綾波に惹かれていったんだと思う。

 最初僕は彼女が一緒の学校にいることに気がついても興味を持てなかった。

 むしろ女の子と寝たり、僕に負けて悲しそうな顔をする周りの連中を見る方に興味を持った。

 だけどね、僕は気づいたんだ。そんなことすぐ飽きてしまう。

 そして...綾波だけは違っていた。

 彼女はいつも一人で、毅然と世界を拒絶していた。

 『綾波には友達はいるの?』

 そう質問した僕に綾波は答えたんだ。

 『どうして友達なんかが必要なの? 碇君って不思議ね』

 僕は言葉を失って、心から驚いて、そして喜んだ。

 僕は心の底では一人きりの自分を密かに恥じていたんだとその時初めて気がついた。

 それなのに恋人はおろか、友人すらいないことを当然のように綾波は受け入れていた。

 僕は心から感動して、心が高ぶったんだよ。

 彼女こそが人間なんだ、他の奴等は下らない木偶人形に過ぎないんだ、僕は本気でそう思った。

 そして初めて彼女と出会った14歳の頃の記憶が鮮明に蘇った。

 僕はどうして今までずっと遠回りをしていたんだろうと思った。

 僕には心の底から求める人がすぐ近くにいたんだよ。

 

 最初は帰り道で会話するだけだった。14歳のときに初めて彼女と話しをした時のようにドキドキした。

 まるで初恋みたいだった。

 その頃の僕は...他の女だったら紙くずみたいに扱うことだってあったのにだよ。

 綾波と手もつなげずにドキドキしながら学校から帰って、夜は性欲を処理するための女を口説いたりした。

 

 やがて僕と綾波は次第に心が通じるようになった。僕は引き込まれるように彼女の部屋に通った。

 食事をしたり、手が触れ合ったり、抱きしめたり。...そして綾波を抱いた。

 それはとても純粋な思いからだったような気がする。

 それはとても優しく、暖かで、今まで他の女性と経験したどんなセックスよりも素晴らしかった。

 綾波と比べたら他は本当にゴミだと思った。

 僕はまるで心が溶けて綾波と一つになるような錯覚に何度も陥って、そして綾波の胸の中で何度も泣いた。

 自分が今までどれだけつらかったかを綾波の胸の中で全部打ち明けた。

 綾波はいつも黙って抱きしめてくれたんだ」

 

シンジは言葉を切って長い間沈黙した。

肩が冷えているのに気がついて布団をずり上げて、ついでにシンジにも掛けてあげた。

遠くから車のエンジンの音と人の話し声が聞こえて来た。

カーテンの隙間からは白み始めた光が漏れていた。

ああもうすぐ朝だな、と思った。

 

「僕は本当に幸せだった。

 彼女の微笑みに心の底から魅了された。

 彼女が普段周りに見せる氷のような表情から笑顔が覗くと、それはなんて言ったらいいんだろう...

 まるでカチカチに凍った冬の日に、急に暖かな日溜りに出くわしたみたいにホッとするんだ。

 僕は心から綾波を誉めた。

 『綾波は笑顔が素敵だね』

 そう僕が言うたびにうぬぼれじゃなくて本当に彼女は綺麗になってゆくように思った。

 ひょっとしたら僕の言葉が綾波を変えているんじゃないか、そう考えるとたまらなく嬉しかったんだ。

 自分の言葉にそんな価値があるだなんて、僕は自分にも価値があると感じたよ。

 僕らは何度も何度も体を重ねた。

 何度も何度も激しく求め合って、そのうち綾波も僕を積極的に求めるようになってくれた。

 綾波が自分から上になって腰を使ってくれるようになったとき、僕は心が溶けるような一体感を感じた。

 僕達はセックスの相性も本当に良かったんだ。

 

 けれど、段々何かが変わってゆくような気がした。綾波は僕に少しづつ自分のことを話してくれるようになった。

 ネルフでの生活が本当は嫌だったこと、赤木博士が嫌いだったこと、僕のとうさんに憧れていたこと。

 ミサトさんも...アスカも信用していなかったこと。そして全てのネガティブな感情のこと」

「...」

「ごめん、アスカ。でも...あの頃はしょうがなかったと思うんだ。僕らはみんな必死だったじゃないか。

 誰だってなりふり構ってられなくて余裕が無かったし、僕もアスカもそうだったもの。

 ...そして綾波は、でも今は僕のことを愛してると言った。

 僕以外の世の中全ては下らないと言った。何もかも下らないと言った。

 学校の授業も、未だに続いている研究所での生活も。そこにいるクラスの連中も大人達も。

 趣味で集めている紅茶や食器も本当はどうでもいいんだって言った。

 本当は他に何も欲しくない、何も手に入れたいと思わない。

 自分の中にはきっと憎しみしかない、そんな悲しい人間だって、そう言った。

 そして僕はそんな綾波で構わないと答えた。

 むしろそんな綾波だから好きになったのかもしれにないからね。

 すると綾波は言うんだ。

 『わたしを愛して。誰の代わりでもないわたしを、...わたしだけを愛して』

 綾波は涙ぐんで何度も何度も言うんだ。

 

 きっとそのときだったんだ。...僕は...だけど一体なんてことだろうと愕然とした。

 月明かりの中で見た綾波の表情は、...今まで僕が心から軽蔑していた女達と同じだった。

 自分も他人も愛せないくせに、自分を見てくれる人の前で子供のよう笑顔を振りまいて僕に依存している。

 僕の歓心をかおうとして、僕に愛されることで居場所を見つけようとして必死になってるんだ。

 彼女の笑顔はいつの間にか媚びに変わっていた。

 そしてまさに...僕が綾波をこんな風に変えてしまったんだと気づいたんだ。

 僕はそれから綾波に対する愛情が急激に覚めて、自分が冷静になってゆく事に気がついた。

 

 それが決定的になったのは綾波に会うために一度研究所に行ったときだった。

 綾波と職員らしい男が一緒に並んでいるのを見たんだ。

 その男は明らかに下心をもって綾波に近づいていると思った。

 綾波は確かにその男のことなんか相手にしていなかったけれど... だけど僕は...

 それは綾波が振りまく笑顔のせいなんだと直感的に理解した。

 彼女はいつの間にか他人を誘惑することを覚えていた。

 綾波は自分の笑顔が人を惹きつけることを、しかも僕を手放さないための武器になると理解しているんだ。

 そして許せないのは彼女がそのことに何一つ気がついていないように思えたことだった。

 僕はまさに僕が綾波を変えてしまったんだと気がついた。

 それからは僕は綾波の笑顔を見てもただ吐き気を催すだけだった。

 僕は深く傷つけられた。

 ...ねえアスカ、...この世に悪意なく人を傷つける人間ほどひどいものはないんだよ。

 

 僕は押しつぶされそうになった。

 綾波を抱いてもなんの感慨も沸かなくなった。

 アスカには判らないかもしれないけど、男にとって出したり入れたりするだけの単調なセックスなんて

 マスターベーション以下なんだ。

 綾波と寝ることはとても退屈で耐えられないものになった。

 僕はいっそのこと昔みたいな友達の関係に戻ろうと密かに努力したりもした。

 でも全ては無駄だったよ。

 そして僕に出来ることはもう綾波を遠ざけることだけだと判った。

 僕は心の中で唯一大事にしていたものを自分の手で汚してしまったんだ。

 だからせめて彼女を傷つけたいと思った。

 そうすることが...僕にとっては一番苦しいから」

 

シンジは話が終わるとベッドから抜け出だした。

冷蔵庫を開ける音がしたので、きっとシンジはウーロン茶を飲んでいるんだと想像した。

一人で寝るベッドは広すぎるな、考えているとシンジが戻ってきた。

シンジは私の上に勢いよく覆いかぶさった。

 

「ハハハ、アスカの体あったかいや」

「もう、びっくりするじゃない」

「ねえアスカのお腹暖かいよ」

 

シンジが笑いながらお腹をなでるうちにとても切ない気持ちになった。

傷ついた過去がシンジにもあったということ、それは想像していたこととはいえ私にショックを与えた。

私よりもずっと大きなシンジの背中がとても小さく感じた。

私は首に手を回してシンジを抱きしめた。

 

「シンジは強いね」

「僕は強くなんかないよ」

「シンジは強いよ。あたしだったらそんなこと絶対人に言えない。

 きっとシンジは自分なりにいろんなことを克服してきたんだよ。だから人に晒せるんだと思う」

「ねえ、アスカ、僕は...アスカから嫌われて今すぐアスカが出ていくかもしれないって思ったよ」

「じゃあ、ホッとしてる?」

「ホッとしてるよ」

「馬鹿ね、あたしそんなことしないわないよ。約束したじゃないの。やっぱりあんたって馬鹿シンジだわ。

 それに...気にらなかったらあたしが出て行くんじゃなくて、あんたを追い出すわよ」

「それもそうだね」

 

私達は笑った。

シンジの笑い声は妙に明るくて違和感を感じた。

だけどもし私が出ていったら...シンジはそうやってまた自分を傷つけようとしているのかもしれないと想像した。

私はシンジの首筋に手を回してそっとキスをしてあげた。

 

「ねえ、シンジはあたしで大丈夫なの?」

「うん、アスカなら。アスカは僕に幻想を抱かせないもの」

「だけどあたしは傷つけられるの嫌いだから。気に入らなくなったらすぐに言ってね」

「うん、判ってる」

「...ねえ、シンジはあたしのこと好き?」

「好きだよ」

「本当にあたしのこと、好き?」

「勿論だよ」

「どのくらい好き?」

「たぶん、地球上で一番好きだよ」

「宇宙で一番じゃないの?」

「宇宙には人類はいないよ。それと宇宙人と比べられて嬉しいの?」

「馬鹿ねぇ。ねえシンジ...あたしはあたしが嫌いだった。あたしはいなくていい人間だと思っていた」

「僕もだよ」

「パパもママも、周りの人達も誰もあたしを必要としてくれなかった。

 本当はすごくすごく寂しかった。...これはシンジだから言うんだよ」

「僕もアスカだから言ったんだ」

「シンジは寂しかったんだね。すごくすごく寂しかったんだね」

「僕も寂しかったよ」

「あたしには何もないの」

「何もないのは僕だ。アスカはとても綺麗だ」

「そんなの何の役にも立たないわ。ねえシンジ、私は絶対あんたを裏切らないわ。

 だからあんたも絶対私を裏切らないって約束して。そうすれば私はあんたをすごく愛してあげられると思う」

 

シンジは黙って私をギュッと抱きしめた。

 

「あたし、あの子を随分傷つけた。今日あの子にひどいことを言ったの。

 自分で自分が信じられなくなるくらい。死にたくなるくらいひどいこと言ったの」

「僕は思うんだ...綾波は僕にとってもアスカにとっても...きっと純粋すぎるんだよ。

 だから綾波は僕みたいなやつを信じてしまう。僕はそれに耐えられなかった」

「そうかもいれない。だからきっと...あたしもあの子に憧れてしまんだわ」

「アスカなら...。アスカとの距離は僕にはちょうどいい気がする」

 

シンジは私を引き寄せるて唇をふさいだ。

胸にしがみついてベッドに倒れると、上になって唇でシンジを愛撫した。

まるで男の人を犯しているみたいでとても興奮した。

ヴァギナをシンジのペニスに押し当て、私は腰をゆっくりグラインドさせた。

 

「もう入れるよ」

シンジが言った。

「ゆっくりね」

私は腰を浮かせて答えた。

 

シンジは上半身を起こして座位になって乳房にキスをした。

そしてシンジは私を下にして覆い被さると腰をゆっくりと上下に動かした。

私達の呼吸が速くなるのに合わせて、シンジの腰の動きも一緒に速くなった。

私もシンジに合わせて腰を波打たせ押しつけた。

乱暴に扱われて自分がモノになってゆくような感じが心地良かった。

私は心の中でシンジ、シンジと何度も名前を呼びながら、やがて達した。

 

 


 

to be continued

 


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