講堂前のベンチに座って通り過ぎる人達を見ていた。

水曜の昼休みは誰もが気だるい歩き方をしている。

ベンチでパンを食べながら話をしている学生達はなんの悩みもなさそうに見えた。

もう十二時半を周って昼休みも終わりに近づいている。

 

(来ないつもりかな)

 

約束通り水曜の十二時に綾波レイを待っていた私は待ちくたびれていた。

昼から講義が入っていたけど、むしゃくしゃしていて教室に入る気が失せた。

何度も時計を見ながら周りを見たけれど彼女は来ない。

ひょっとして場所間違ったかな、講堂の周りをぐるりと一週してみた。

休み時間で人だかりしている売店と学生課のアルバイト掲示板の前を覗きながらゆっくり歩いた。

そういえばエヴァに乗っている頃も命令以外で彼女が期待通りにしてくれたことはなかった。

何を考えているか理解できないやつ。

だけどこの間会ったときの笑顔は昔と何かが変って、今日は話ができるかもしれないと思っていた。

 

結局なにも見つけないまま一周して元の講堂の前にたどり着いた。

思ったとおり彼女はそこにいなかった。

やっぱり綾波レイは嫌なやつだ、そう思った。

 

 


 

もう頬杖はつかない

第8話

 


 

 

日曜日の朝、彼女の話をしてシンジは塞ぎ込んでしまった。

埃をかぶったテーブルを拭きながら横目で見ると一人でぶつぶつ言っている。

 

「ちょっと、早く飲みなさいよ。コーヒー冷めちゃうよ」

「...うん」

 

窓の外を眺めてぼんやりしているシンジは気の抜けた返事をする。

目を合わせないのは都合の悪いことを聞かれた時の癖だ。

電線に雀が列なってとまっているのが見える。

 

「今日は街に出ようよ。そろそろ冬物の上着探したい」

「...うん」

「今年はダッフルコートが流行るらしいよ。それって、なんだか高校生みたいだよね」

「...」

「ねえ、あたし髪を、こう、...結んだらまだ高校生に見えるかな?」

 

左右に髪を上げて手で結んでみた。

首をかしげて笑顔を作っておどけてみせる。

 

「...」

「ねえ、ちょっと聞いてる?」

「きっと似合うよ、冬物だろ」

「全然聞いてないじゃない。機嫌が悪いとすぐに人の話無視してさ」

「な、なんだよ。ちょっと考え事してただけだろ!」

 

シンジはこちらを睨むと再び視線をそらして、すすりかけのコーヒーをテーブルに置いた。

反論しようとしたのか手を動かした拍子にカップが倒れる。

スローモーションのようにコーヒーがテーブルの上に広がって、カーペットの上にも滴り落ちた。

茶色の染みがこの間買ったばかりの青いカーペットの上に花火のようにじわりと広がる。

 

(全部こぼしたら綺麗にとれないじゃない...)

 

なんだかすごく情けない気分になった。

子供の頃大事な人形を壊してしまったときの気持ちを思い出す。

 

「もう、アスカのせいでこぼしちゃっただろ」

「な、なんであたしのせいなのよ!」

「だってアスカが僕のことああだこうだ、好き勝手なこと言うからじゃないか!」

「あたしのせいだって言うの! あんた頭おかしいんじゃないの!」

「昔からアスカはそうやって怒鳴り散らせば済むと思ってんだよ。はいはい、僕が悪いよ、どうせ」

 

バシャ!

目の前が一瞬真っ赤になって、気がついたらシンジにコーヒーをかけていた。

シンジはわけが判らないといった感じでポカンとした顔をしていた。

 

バフッ!

顔に痛みが走って、鼻の奥に塩素臭い匂いが広がった。

シンジがテーブルの上にあった台拭きを私の顔に力いっぱい投げつけたんだと気がついた。

反射的に投げ返した雑誌は狙いが外れて壁に当たって落ちた。

シンジはテーブルを叩きつけて怒鳴った。

 

「アスカ、どうしてくれるんだよ、洋服まで汚して! 最低じゃないか!」

「最低はあんたでしょ! この馬鹿シンジが!」

「アスカがグチグチ言うからだろ! 大体人にコーヒーかけといて偉そうなこと言うなよ!」

「最初こぼしたのはあんたでしょ!」

「アスカが悪いんだろ!」

「あたしの前に顔見せるな! あっち行け、この馬鹿シンジ!」

 

大声で叫んだ。

シンジは黙って立ち上がって、こちらに背中を向けて部屋を出ていった。

タンスを開く音がして足音がバスルームに消えると大きくバタンという音がした。

 

私はもう一度テーブルの上に乗っていた新聞と本を壁に思い切り投げつけた。

結局そのままアパートを飛び出して街に出掛けた。

それ以来お互い顔を合わせないように別々の部屋で寝るようにしている。

今でも口を利かない冷戦状態が続いている。

 

 


 

 

もやもやした気分で空を見上げると薄暗く曇っていて自分まで暗くなる。

この間の綾波レイの意味ありげな笑みとシンジの態度が頭の中でオーバーラップした。

こんなことになるんだったら彼女の話なんてしなければ良かったと後悔する。

でもそんなこと事前に判りっこないじゃないかとやはりシンジに対して腹がたつ。

 

でもどうしてシンジは怒るんだろう。

私はシンジと彼女の関係は全然知らない。

なんだか自分だけが仲間はずれになっている気分になった。

むしゃくしゃした。

 

(やっぱ会いに行くか)

 

授業を休むことに決めてバス停に向って歩き出した。

時刻は一時を周っている。

構内の大学病院前のロータリーにはバスを待つ人達が列を作っていた。

おばあさんと子供連れの主婦と、背広姿のサラリーマンがいた。

 

三分とたたないでやってきたバスに乗り込んで後ろの方に席を見つけて座り込んだ。

走るバスの窓からは第二新東京の中途半端に都会な景色が流れる。

都心部はガラスに覆われた高層ビルが乱立している。

視線を落とすとサードインパクト前の薄汚れた商店街を歩く人達がいる。

くたびれた買い物袋を持ったおばさん同士がお辞儀をしている。

どこに隙間があるのか、焼きイカの潮臭さと醤油が混じった匂いがしてくる。

なんだか時間が止まったような、くすんだ景色だった。

第二新東京は山に囲まれた街だ。

曇りの日はちょっと陰鬱な感じがして、今日のこの景色は好きにはなれない。

 

研究所は都市高速沿いにあった。

向こう側はお洒落っぽい繁華街のくせに、高速を挟んだこちら側は何故か人気がない。

正門には緑青の浮いた金属プレートに大きく、先端生物学研究所、と書いてあった。

受付けには40歳くらいの髪の短い事務の女性が座っていた。

名前を告げて質問した。

 

「あの、綾波レイさんをお願いできますか」

「所属か内線番号はわかりますでしょうか」

「ごめんなさい、判らないんですが」

「ちょっとお待ち下さい」

 

しまったと思った。

所属くらいは言わないと窓口では判らないかもしれない。

そういえばここのセキュリティーはどうなっているんだろう。

目的を尋ねられたら?。

2000円貸してるから返してもらうんだ、その時は馬鹿みたいだけれどそう言おうと考えた。

 

端末の操作をしたきりで事務員は自分の仕事に戻ってしまった。

ほったらかしにされた格好の私は手持ち無沙汰になってイライラする。

屋内は暗く冷え切っていて薄汚れた壁も床も古びている。

掲示板には「警告」と大きな赤いスタンプを押された告知が何枚も乱雑に張り重ねられている。

カビ臭い匂いが鼻の奥に広がって、居辛い気分を必要以上に意識させた。

 

「...どうしたの?」

 

綾波レイが現れたのは段々と心細くなってもう一度事務員に掛け合おうかと考えたときだった。

ライトブルーのニットと白のスカート姿で階段から降りてきた。

キョトンとした表情のまま僅かに眉間に皺を寄せて、一体何しに来たんだといった感じだった。

私は腹を立てて言った。

 

「あんた今日待ち合わせのハズだったでしょ」

「...え...いけない。ごめんなさい」

 

彼女は手を口にあてて驚いたように目を見開いた。

 

「わざわざ来てくれたの?」

「そうよ、わざわざ、よ。あんた、あたしの交通費も払う?」

「...しょうがないわ。払う」

「バカね、冗談よ」

「ごめんなさい。突然実験が入ったの」

「そう...時間ある?」

「今日はもう終わりだから大丈夫」

「じゃあ、折角だからお茶でも飲みましょうよ」

「え...」

「な、何よ。嫌なの?」

「...惣流さん、あなたって可笑しい」

 

そう言うと彼女は口に手を当てて笑った。

一体なにが可笑しいのか全然判らなくてちょっとムッとしたけれど、放っておいて研究所から出ることにした。

この辺食べるところ何もないのよ、そう彼女は話し掛けてきた。

 

「女の人からお茶に誘われたの初めて」

「男ならあるんだ?」

「ここ、男の人ばかりなの。外に紅茶が美味しい店があるから」

「悪くはないわね」

「悪くないわね、その言い方好きよ、惣流さん」

「あんたいつから人をからかうようになった?」

「どうして?」

 

横を歩く彼女はこの間と同じように少し早足だった。

下り坂は往復一車線づつの狭い道の割に車が多くて排気ガスで蒸せている。

両横を取り囲むように立っている汚れた低いビルと入りくんだ電線のせいで空が狭い。

ツタが絡まった白いビルの一階にある「馬車」という名の喫茶店に入った。

店内はアンティーク調のダークブラウンの椅子とテーブルが並んでいる。

クラシックが静かに流れて、壁には花の絵が掛っている。

ただ外はすぐ側が車道と歩道になっていて、通り過ぎる人達がジロジロと店内を覗いていて居心地が良いとは言い難い。

 

「汚い店だけど、ここのラムウィンナーティーおいしいのよ」

「何それ」

「飲んだら判るわよ」

 

同じでいいわよね、彼女はそう確認すると返事を待たずに近づいてきた店員にゆっくりと注文をした。

店員が去るのを待って、今度は微笑を浮かべて黙ってこちらを見詰めた。

やっぱり彼女の赤い目は印象的だ。

さらさらとした青白い髪はきらきら光って綺麗だ。

背筋を伸ばして座るととても上品でまるで良く出来た人形のように全てが整っている。

彼女が足を組み替えた機会に、沈黙が嫌になった私は口を開いた。

 

「綾波ってあの研究所で何やってるの?」

「エヴァの起動実験みたいなもの。昔と同じ」

「あんただけ特別ってどうして?」

「あたしはずっと前からエヴァに乗ってるから。蓄積されたデータが沢山あるから都合がいいの。それだけ」

「ふ〜ん、まだ続けてたんだ、あんなの」

 

思い出して少し嫌な気分になった。

店員がグラスを持ってきてテーブルの上に置く。

アイスティーには生クリームがたっぷりと入っている。

エヴァという言葉を聞いてなんとなく落着かなくなった私は一気にストローを吸った。

 

「げ、なによこれ、アルコール入ってるじゃない」

「だってラムだもの」

「...そういう意味か。これじゃカロリー高いじゃない。どうしてくれんのよ」

「やっぱり惣流さんって可笑しい」

 

そう笑うと、彼女は唐突に紅茶とハーブのことを話始めた。

どうやら最近凝っているらしい。

カモミールは沈静作用があるとか、タイムは料理に使うと食欲が湧いて疲労回復にもなるとか、とにかくそんなことを延々と話してくれた。

キョトンとして聞く私に彼女はゆっくりと、だけど絶え間なくたっぷり20分は話を続けた。

 

「だから健康が一番大事なの。わたし体弱いから」

「まあ、綾波って昔から線細いもんね。でもあんたが健康オタクだって知らなかったわ」

「惣流さんは体が丈夫でうらやましい」

「それどういう意味よ」

「さあ」

 

ストローを咥えながら彼女は答える。

私は上目づかいでニヤリと睨み付ける。

そして二人で笑った。

 

彼女は話の合間に時々視線を下に降ろして指先でテーブルをこすったりした。

私はそんな彼女の指先に見とれた。

白魚のように細かった。

でも考えてみたら白魚なんて見たことがない。

きっと白魚っていうのはこの子の指みたいな魚なんだろうと想像してみた。

話がひと段落して、この間の分も含めて払う、そう言って彼女は席を立とうとした。

急に現実に戻ると、聞かなくてはいけないことを思い出して追いかける。

 

「ねえ、あんたこの間あたしとシンジが一緒に暮らしてること知ってるって言ったわよね」

「ええ」

「どうして知ってたの?」

「葛城さんから聞いたのよ」

「ああ、...なぁんだ」

「どうしたの」

「ううん、なんでもない」

「そう」

「...シンジがさ、綾波のことやたら気にしてたからさ。あんたたち何かあったのかと思って」

 

彼女はお金を払い終わるとゆっくりとこちらを振り向いて言った。

ライトブルーのニットと青白い髪が一つにつながって見える。

 

「碇君...わたしのこと何か言ってた?」

「特に言ってないけど...昔のことは思い出したくないって言ってた」

「...そうなの。...わたしも好きじゃない」

「...そうね。あたしも嫌い。嫌なことばかりだったもの」

 

口に出してハッとした。

あの頃のことが嫌いだ。

周りの人も、ネルフも、そしてしゃにむになっていた自分も何もかも嫌いだ。

そしてそういうことを話せたのはシンジ以外初めてだった。

ドキリとして彼女の顔を見ると小首を傾げて微笑みを返された。

彼女は別れ際に、暇だったらメールでも頂戴、そう言って名刺をくれた。

その場所で私達は別れた。

 

 


 

 

アパートに帰るとシンジは夕食を作っているところだった。

白のニットとジーンズに一つしかないエプロンをはめて何かを包丁で刻んでいる。

ラジオからはボサノバらしいゆっくりとした音楽がかかっていた。

祈るような歌声とギターとリズムの音。

傾き始めた太陽の光線が差込んで台所は一面オレンジ色に反射していた。

 

シンジには声を掛けずに奥の寝室に入ってスライド式の白い扉を閉めて寝転んだ。

首の周りに汗をかいているらしい。

化粧を落とそうと思った。

 

「アスカ、ご飯食べる?」

 

シンジが扉の外から低い声で話掛ける。

日曜から顔を見ていない。

感情を殺した声で振り向かずに答える。

 

「あたしの分もあるなら頂戴。こっちで一人で食べるから」

 

声がちょっとイライラしていたかもしれない。

そんなんじゃ駄目だ、自分をコントロール出来る人間にならないと、そう思った。

時々自分の感情の量が嫌になる。

 

洗面台で顔を洗ってタオルで拭き取り、髪をヘアバンドで上にまとめた。

額を全部だすとちょっとブスっぽくて嫌だ。

急ぎ足で部屋に戻って扉を閉めて、CDを掛けてジムノペディを聞く。

シンジの顔を見て気分が沈むと今日の記憶が蘇る。

『暇だったらメールでも頂戴』、彼女の声を思い出した。

 

(言われてすぐ書くってのも寂しい人間みたいで嫌だなぁ)

 

そう思いながらもノートパソコンの電源を入れた。

環境が立ち上がるまでぼんやりと今日の出来事を考えて、そして気持ちを一つ一つ反芻した。

 

 

To: 綾波<ayanami@abi.ac.nerv>

Subject: 今日はthanks

 

惣流です。綾波、今日は一緒にお茶してくれてサンキュー。

約束の時間に綾波が来なかったので正直会うまでは腹を立てていました。

ごめんなさい、私ってやっぱり今でも時々感情が表にでるみたいです。

綾波は随分変ったんですね。

何より笑顔が綺麗になったんじゃないかな?

 

それと今日はお茶ごちそう様でした。

綾波の健康ハーブうんちく話なかなかだったよ。

今度試しに私も作ってみようと思います。

取りあえずはハンバーグ+タイムなんて合うとおもうんだけど、どう思いますか。

健康オタクにならない程度に頑張って精進してください。

今日は短いけれど、またいつか時間がある時にお茶できるといいね。

それではまた。

 

追記

あなたに会って自分で想像していた以上に懐かしい気持ちになって、今でもドキドキしています。

なんだかちょっと不思議な気分です。

 

----------------------------------

惣流・アスカ・ラングレー

asuka@ie.t.u-tokyo2.ac.jp

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初めて書くにしてはちょっと気持ちを書き過ぎたかなと迷ったけれど最後は目をつぶって送信ボタンをクリックした。

バタンとクッションの上に横になる。

メールを書いたらやることがなくなった。

テレビはシンジのいる居間にあるので見にいくことはできない。

しかたなくCDを聞きながらステレオの上に積もった埃をティッシュで拭き取った。

 

考えてみれば、下らないことばかりの世の中が嫌でシンジと一緒に暮らしている。

そしてシンジと喧嘩してまた一人になって綾波レイにメールを書いている。

彼女はこのメールを読んでどう思うだろう。

嬉しそうにしている私を見て、寂しいやつ、と笑うだろうか。

窓の外はもうすっかり暗くて、頬杖をついた私がベランダのガラスに写っている。

扉越しにシンジの声が聞こえた。

 

「ねえ、アスカ」

「...」

「何やってるの?」

「...学校の宿題」

「ご飯出来たよ」

「こっちで食べるって言ったでしょ」

「まだ怒ってるよね」

「...」

 

返事はしたくない気分だった。

シンジは扉に寄りかかるように座ったらしくてドスンという音が床に響いて扉が揺れた。

扉の外からは炒めた肉とケチャップ、そしてバターの匂いがした。

 

「今日はさ、アスカの好きなオムレツにしたんだよ」

「...」

「ねえ、返事はしなくても良いから聞くだけ聞いて欲しいんだ。...この間のこと謝りたい」

「随分勝手ね。一方的に感情的になってたくせにさ」

 

低い声だった。

一年前に再会したときのように一つ一つ言葉を選ぶような口振りでシンジは話を続けた。

私は膝を強く抱きかかえて、体を堅くしながら耳を傾けた。

 

「この間は本当にごめん。僕が全部悪い」

「当たり前でしょ。なによ...今更そんなこと言っちゃってさ...」

「綾波の話を聞いて動揺してたんだ。僕にとってね、多分綾波は特別なんだ。...いろいろあったんだ」

「ファーストと何かあったの」

「一言じゃ言えない。ネルフの中でのことや、生まれや育ちも、いろんな事情があるんだ」

「...」

「サードインパクトのときも...。アスカもあのときは...」

「その話やめてよ!」

「ごめん」

 

私が叫ぶとシンジは黙り込んだ。

換気扇の低い唸り声が聞こえて、しばらくしてシンジの体と扉が擦れ合う音が聞こえた。

 

「ねえ、アスカ、悪かったよ。聞いてくれる?」

「...その話以外だったら」

 

座ったまま扉にもたれ掛かるとゴトンという音がした。

もう一度膝を強く抱え込んだ。

 

「綾波は僕にとって特別なんだ。だから会いたくないんだ」

「ファーストが特別?」

「うん。嫌なことばかり思い出すから」

「じゃあ、あたしは?」

「勿論アスカと一緒にいても思い出すよ。でもアスカなら...」

「あたしなら...?」

「...それは...ごめん、きっと僕には自分の気持ちが整理できてない。だから言えない」

「じゃあ、ファーストは?」

「綾波に対しても...まだ気持ちが動かない。だから言えない。...こんなんじゃアスカ怒るよね」

「別に...怒らないよ。誰だって言いたくないことはあるよ」

「あ、...ありがとう」

「いいよ。シンジがそう話してくれただけでも、あたし少し楽になった。ちょっとは伝わったよ」

「ありがとう」

「シンジにもつらいことたくさんあるんだ」

「うん」

 

段々とシンジが可哀相になってゆく。

そして一人で悩んでいた高校時代を思い出した。

少しだけ心が切ない方に動いた気がした。

 

「ねえ、シンジ。でも、あの子だいぶ変ったよ」

「知ってる」

「えっ?」

「でも、もう会えないんだ。綾波とは」

「そう...」

「僕のせいだ。全部僕が悪いんだよ」

 

そう言うとシンジは黙り込んだ。

もうこれ以上は聞けないなと思った。

そして聞きたくもないと思った。

扉を1/3くら開いてそっと覗くとシンジは膝の間に顔を埋めて動かなかった。

オムレツ食べようよ、私は言った。

冷えちゃうよね、シンジは答えた。

二人でお盆に乗せてあった皿を手に持ってオムレツを口に運んだ。

塩加減がちょっときつかったけれどシンジらしいバターが利いた味付けだった。

冷えたコンソメスープを飲み終えると、シンジは私の手首を握った。

 

「アスカ、...しよう」

「今?」

「うん」

「別にいいけど。...片付けは?」

「後でやるよ」

 

(仲直りの儀式かぁ)

 

背中から抱き着くシンジは私を運ぶようにベッドに連れていった。

明かり消そうよ、そう呟く唇は乱暴に塞がれて、そのままの姿勢でシンジが蛍光燈を消した。

シンジの指が髪を耳に掻き上げて、やがてうなじに向って動いてゆく。

汗臭い男の匂いのする顔は頬が少しだけ濡れていた。

オムレツの匂いが残る舌が出て行くと、シンジは立ち上がった。

部屋に差込む街灯の明かりの中でサイドボードを漁る。

コンドームかな、そう思いながら手を伸ばしてCDのボリュームを少し上げた。

ちょうどグノシエンヌになっていた。

 

お互い裸になって久しぶりに擦れ合う皮膚を感じた。

ピアノを聞きながら目をつぶってシンジの手の動きに意識を集中させる。

下半身を動き回る指先に合わせて何時の間にか声を漏らしていた。

 

シンジは何時の間にか私の中に腰を沈めていた。

儀式だよなぁ、痺れ始めた頭でもう一度考えた。

息があがる。

ゆっくりと腰を動かすシンジの背中に腕を回しながら、きっと言葉に出したら気持ちいいだろうなと考えた。

うなじを這うシンジの頭を捕まえて耳元に口を寄せる。

 

「シンジ...ごめんね」

 

シンジの腕に力が入って体が締めつけられると、胸まで締めつけられるような感覚を覚えた。

心が解放されたような気分が広がる。

首筋を強く吸われた。

結局その日の私達は、いつもより時間をかけて、いつもより少しだけ激しいセックスをして、そして泥のように眠りに沈んだ。

 

 


 

to be continued

 


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