maxfill's Original Short Novel - Never can't get it


隣合せのファンシーフリー
第二部

Fancy Free in diary life





第四章
我が道をゆく、彼女と共に



陽立グループ。小さな家電製品から巨大コンピュータまで、そして重化学工場のプラント建築から、噂ではあるが兵器開発までもしているという巨大企業グループ。
その一つである、この陽立エンジニアリング。その全ての企画・開発を行なう企業だ。
企画開発室第3課は忙しい時には忙しいが、何も無い時には本当に何もない。それ故に、暇な時には他の部課から「給料泥棒」の称号を与えられてしまうという名誉がある。
今は丁度暇な時。社員は皆端末の前に座り、ゲームやネットサーフィンをして就業時間一杯を過ごさなくてはならない。営業では無いので、外回りと言う「ならでは」のサボり方が出来ないのだ。
午後も過ぎ、昼食後の気だるい時間。だが、睡魔が襲いつつも社内では寝る事も出来ない。そんな事をしたら、余計に「給料泥棒」と呼ばれてしまう。
課内でも割と優秀な社員である彼は、多分に漏れずネットに繋げていた。だが、サーフィンするネタも気力も無かったので、社内のサーバを覗いては遊んでいた。
そんな時に、突然チャットのコールが表示される。
…誰だ?社内でチャットなんか申し込む奴は?
怪訝に思いながらも、防壁プログラムを走らせチャットを起動させる。
『お忙しい所、申し訳無い。』
ハンドルネームが意味の無い英数字のみで誰かが分からないし、IPも表示されなかった。
「別に忙しくは無い。だが一体誰だ?IPまで隠すなんて非常識だぞ?」
『非礼は詫びる。だが、事態が事態なので、このような対処をさせて貰う。』
相手の反応はやけに早い。キーボードを打っての返信と言うよりは、声がそのまま文字にされた感じだ。
彼は咄嗟に管理者から借りている逆探知プログラムを走らせた。IP表示が無い為に最初の設定に手間取ったが、幸いな事に今彼の端末に繋がっているのは自社サーバと名無しの相手だけだった。
現在の接続全てを探査範囲にし、検索を開始させる。
だが、あっけない程にその検索は一瞬にして終了した。
そのルートをデータベースに繋げ社内地図に変換検索させた。
「…自社サーバだと?」
表示はサーバルームそのものを指していた。内線電話を取り、サーバルームへと掛ける。
「私は企画開発室第3課のものだが、今この部屋の端末にチャットを申し込んでいる奴は居るか?」
『居ないよ。今は俺一人を除いてメシに行ってるよ。その俺も監視してるだけさ。』
つっけんどんな技術者の話し方を余所に、それだけ聞いて電話を切った。
『逆探は無駄だよ。』
まるで彼を嘲笑うかのように、チャットプログラムの表示はそうなっていた。
「一体何の用だ?」
別にまだ被害が出ている訳では無いが、どこの誰かも分からない、多分クラッカーかもしれない相手の話し方は、文字だけだが何となく脅迫電話じみた様に見える。
今迄、自分個人を含めてクラッカーの攻撃対象にされた事も無く、またウィルスに因っての危害も受けた事が無い。
こうして目の前にすると、背中に寒気が走ってくる。さっきまでの睡魔は、何処かに吹き飛ばされた様だ。
『危害を加えるつもりは無い。情報を提供したいだけだ。』
「情報?」
『河崎重工とGE社が進めている極秘プロジェクトの事だよ。』
その文字を見た途端、彼は大声を出して課内の人々を集めた。
「ちょっと皆来てくれ!」
他の連中は、彼がヤケに辛気臭い顔をしながら遊んでるものだなと思っていたのだが、呼び出されて彼のモニターを覗き込んだ瞬間、皆顔を合わせた。
「ちょっと見せてくれ。」
課長が社員を掻き分けながら、モニターの一番見やすい場所を陣取った。そして、チャットの窓と、他の逆探知プログラムの結果表示を一通り見渡す。
「取り敢えず、会話を続けろ。」
それが課長の指示だった。彼はその言葉に従い、チャットを続ける。
「どんな事だ?」
『全てを話す事は残念ながら出来ない。だが、サワリの部分を提示しよう。』
その発言の後に、短いテキストファイルが転送されてきた。幸いな事にウィルス検知プログラムは、ウィルスの存在を否定した。
『疑惑があるなら調べてみてくれ。また2時間後に、ここに連絡する。』
そのファイルを開く間も無く、そう言い残して相手は一方的に回線を切ってしまった。
彼はその時刻を正確に読み取り、サーバに今切断された回線を検索させた。ログファイルまで一時的権限で覗いてみたが、その回線に限り、綺麗サッパリ削除されてしまった。テンポラリ(一時)ファイルも同様で無くなっている。
「随分と用心深い奴だな。」
そう評したのは彼では無く課長だった。皆、課長の過去の経歴は知らなかったが、何やらこういった相手には慣れている感じでもある。
「取り敢えず、休息の時は終りだ。手分けして調べるぞ!…岩田・小林・成田で、今の接続者を洗い出せ。後の残りは河崎重工とGE社を調べるんだ。」


「…と、言ったものの、二時間もここで待つのはシンドいなぁ。」
俺はチャットのログを見ながら呟いた。今は柚希菜の手伝いで作った「追っ手排除システム」を走らせ、逆探知をさせないようにしている。
「でも、なんとか上手く行きそうですね。」
顔は喜んではいるようだが、寒さがあるのか柚希菜は少し震えていた。
陽立エンジニアリング社のサーバルームがある地下2階。その5メートル程離れた場所にある狭いパイプスペース。人が横に一人、そして膝立ちするのがやっとの狭さ。
そこにある中継コネクション部の小さなドアを開け、ノートパソコンを繋げていた。そして、ノートから柚希菜のうなじにUSB接続されている。
「寒いか?」
「…少し…。」
小さくコクンと頷きながら答える柚希菜。
生憎、俺もツナギの作業服という格好だけで他に羽織る様なものを持ってきてなかった。
…次からパイプスペースに入る時には何かジャケットをもってこよう。
そんな事を考えていたら、いきなり目の前に柚希菜の後頭部がアップになった。
「え?」
そして程度の良い重さが前からのしかかってくる。
「こ、この方が暖かいかなぁ…と、お、思って…。」
ヤケにどもりながら彼女は答えた。首を少し曲げ彼女の顔を見ようとしたが、なかなか体勢が邪魔して見る事は出来なかった。
だが、髪から少し出ている小さな耳を見ると、この薄ぐらい中でも分るくらいに赤くなっている。
俺はやり場の無い手を暫く浮遊させた後、ゆっくりと柚希菜の前に回した。
「ひぁっ!?」
「ご、ごめん…け、けど、こっちの方が…。」
年甲斐も無く動揺してしまった。
…ったく、ガキじゃねーんだから。
そう考えながらも、自分の手は少しだけだが震えが続いている。
「…嬉しいです…。」
「え?何だって?」
「いいえ、何でも…。」
柚希菜の声は耳に届くまでは、まだ小さいものだ。

暫く沈黙が続いた。だが、その沈黙はそうこの寒さを強くするものでは無かった。むしろ僅かだが心地よさも与えてくれる。
その沈黙を破ったのは柚希菜の方だった。
「あの、秀明さん?」
「何だ?」
この沈黙の間、彼女は彼女で何かを考えていたのだろう。言葉一つ一つ選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「秀明さんって、恋愛した事あります?」
自慢じゃないが星の数程…とまでは人生都合は良く無い。この歳になっても精々片手で数えるのには十分な数しかこなしてない。それは他の人と比べると結構希薄なものかもしれないが。
「ああ、まぁあるといえばある。」
そんな曖昧な返事をした。まったく無い訳じゃないから、間違いではない。
「私…一度死ぬ前に、初恋をしてました。」
既に過去形で言われている。まぁ死んでしまったから、以前の事は既に過去なんだろう。
ふと、そう考えて不思議な思念に囚われる。
もし自分が一度死んで生き帰って、以前の事が全て「過去」のものになってたとしたら?
会社も友人も恋人も家族さえも…全てを失ってなお生きているのはどういう事だろう。
「私、凄く奥手って言うんでしょうか?兎に角、恋愛に慣れてなくて凄く不器用で…でも、彼はそんな私を優しい笑顔で迎えてくれたんです。初めて好きだって思いました。それまでは恋に恋焦がれていただけなんだなって。」
「…」
「でも突然の自動車事故で…。私は幽霊じゃないから、お葬式とか家族の事とか、そして彼がどんな反応をしたのかは知りません。」
当然と言えば当然だろう。だが、幽霊と言う比喩を使うのが可笑しかったが、まぁ笑う所ではないので、笑いは肺の中に沈めておく事にした。
「でも、私…研究所から逃げ出した後に、彼の家に行ってきたんです。」
そこまで聞いて結果はおのずと分るものだ。彼女の一途さだろうが、そういったものは得てして悲劇的な結果になるだろう。自分が彼の立場だったら分らない事では無い。
「彼…もう他に付合っている女性が居たんです。多分、その彼女の車でしょう、その車の中でその女性とキスしてるのを見たんです。」
彼氏に驚かれたのかと思ったら、そういう事だった。だが、半分は当っている事だ。驚かれるより…いや、どっちもショックはショックだろう。
「だから私、つい頭に来て…降りてきた彼を叩いたんです。」
何を根拠にしたのかは分らないが、安易にそれが想像出来た。そして彼の唖然とした顔が何となくだが分る気がする。
「でも今考えると…それは当り前なんですよね。居なくなった人を想い続けるよりも、現実に居る近くの女性を…それは当り前ですよね。」
「…」
「私、悪い事したなぁって…でもやっぱり悲しいんです。何より他人から私の存在が消えてしまった事が…。」
「それで、方々探しまわって…俺の所か?」
「…はい。」
よくこんな気弱な彼女がそれまで逃げ回れたものだなと関心してしまう。逆にそれだけに彼女の心細さが分った様な気にもなった。きっと、俺に断られた時のショックなんかは計り知れないかもしれない。
そう考えると、あんな態度を取ってしまった自分が少し悪者に見える。
また暫く沈黙になった。
その間に葛藤が起こる。その言葉を言って良いものなのか?
言ってしまえば、もう後には引けない。いや、既に後には引けない所まで来てはいるんだが、それが決定打になりはしないか、自分にその責任が取れるものなのか。
まるでそれは結婚を迫られた状態にも思える。もしかしたらそれはある意味同じ様な事かもしれない。
だが、考えが纏まらない内に言葉が先行してしまう。
「…俺でいいのか?」
「はい!」
彼女は戸惑う事なく、そしてハッキリと答えた。
その態度に俺は逆に疑問に思ってしまう。本当にそれでいいのか?と。
だが、そういう自分にも思う事がある。そうやって何時も煮え切らない態度を採っている自分が、全ての事を中途半端に終らせている。
前の彼女の時もそうだった。我が身を振りかえらず、なんてした事は無い。思い返せば思い返す程、身勝手にやっていた様な気もする。
だから、ほんの少しばかりかもしれないが、それだけでも前向きに考え様とは思ってみたりもした。
そんな思考もチャットの呼び出し音で中断される。思ったよりも早い返答だった。流石大企業と言った所だろうか。
再びチャットウィンドウを開いて通信を再開させる。
「早かったな。」
『我々も仕事だからな。仕事くらいはキッチリするさ。』
相手の苦笑する顔が想像出来る。
『全てにおいては確認出来なかったが、貰った情報は半分は信用出来るものだと確信した。』
半分か。まぁそれだけあれば十分な結果だろう。何せ柚希菜の記憶から曖昧な情報を引き出しただけだからな。相手も慎重な事は良い事だ。
『それで、何が望みだ?』
それが問題だ。ここで、自分達の身の安全と保証、そして河崎重工とGE社のプロジェクトを潰して欲しいと願うのも一つの選択肢ではあるが、余りにも危険すぎる。
自分達は身を伏せながら共食いさせなければならない。
「取り敢えずは金だ。その方がそっちも安心してビジネスが出来るだろう。」
別に金には困っている訳じゃない。だが、銀行クラックもリスクが大きい。それに言葉通り、ビジネスと思わせた方が向こうも素直になれると言うものだ。
向こう側で笑っているのか困っているのかは分らないが、レスが一瞬止まった。前者である事を祈ろう。
『分った。額は?』
「今回はレスが早かったのでサービスだ。30で結構。だが、その変わりこちらも万能では無い。そっちが得た情報も流して欲しい。」
この言葉には危険があった。だが、そうせざる得ない。
普通のクラッカーはもっとプライドが高いだろう。他人の手によって得られた情報なんかは欲しがらない筈だ。だからこっちが普通のクラッカーだと思わせるにはこの言葉ま不味い。
しかしこう言わないと何時まで経っても自分達には情報が得られないだろう。これは賭けだった。無論、先方が全ての情報をこちらに流そうとはしない事は明白だ。
またレスが固まっている。多分、こちらを詮索しているんだろう。
暫くの沈黙の後、
『了承した。…やけにストレートだな、気に入ったよ。』
このレスには流石に安堵した。完全に信用は出来るものじゃないが、一先ず切り抜けたと言った所だろう。
「支払いは末締め後で結構。どうせ伝票切るんだろ?」
『ははは、その通りだ。その方が助かるよ。』
「ではまた連絡する。」
そしてこちらから通信を切った。
「秀明さん、こちらも出来ました。」
にこやかに彼女は答えた。
会話中でも、柚希菜には働いて貰った。連絡する度にこの狭くて寒いパイプスペースに潜り込むのはイヤだ。
だから、サーバをちょっと弄ってもらい、管理者からも見えない隠しアカウントを作成、通信ログや記録は全て削除する自動化スクリプトを埋めこんで貰った。
「じゃ、とっとと出よう。暖かいコーヒーでも飲みたいな。」
「はい!」
明るい笑顔。場所が暗いのが惜しまれたが、年甲斐も無くドキっとする様な顔だった。


会社に勤めていた時に比べると、俺はきっと見違える様な働き者になっているだろう。
ホテルに戻って着替えが終るなり、ノートパソコンを広げて探索を始めた。
柚希菜にも手伝ってもらおうとも思ったが、今からやる事は柚希菜が居ない方が安全だし、何より陽立のサーバが手に入ったので、それとノートで十分対応出来るものだろう。だから彼女には「ゆっくりしとけ」と言っておいた。
まずは、その陽立の動きを探って見る。企画開発室第3課の連中は躍起になって辺りを探索している様だ。午後7時も過ぎていると言うのに残業とは仕事熱心なものである。
次に河崎重工とGE社の動きも見てみる。こちらも残業しているのか24時間体制で働いているのか、その触手は方々にまで広がっている。多分、柚希菜の痕跡を探しているんだろう。
その触手の端々が陽立の連中とぶつかっている様子が伺える。
「凄いな、こりゃ。」
面白いくらいにクラック合戦が始まっている。それを見付けた一般のクラッカーだろうか、横槍が入っているのまで見れる。
急造のアプリケーションなのでグラフ表示やマップ表示なんかせずに、文字列がただ流れ出ているだけだが、それでもその激しさは読み取れる。
ふと背中に刺さるものを感じた。
横目で少しだけ後ろを振りかえると、そこには詰らなそうな顔をして枕を抱いている柚希菜がこちらを睨んでいる。
てっきりテレビを見ているか、本を読んでいるのかしてるかと思ったら、ずっとこっちを見ていたらしい。
声を掛け様かとも思ったが、俺はそれを優しく無視し、ノートのモニターに顔を戻した。
それが不満だったのだろうか、彼女はガサゴソと辺りを物色した後、シャワールームへと行ってしまった。
ちょっと冷たかったかな?とは思いつつも、こっちもしなければならない事は多い。それも彼女の為にやっている事だから理解出来るだろう、と考えた。
だが、柚希菜が風呂に入った途端に、何故か部屋がガランとした感じになった。人の気配が消えたから当然なのかもしれないが。
一人暮しも結構慣れていた筈だ。だからこんな感じは別に何とも思わない筈。この何日かの間に彼女が居る事が当り前になってしまったんだろうか?
取り敢えず、そんな事を考えつつ見ないテレビの電源を入れた。擬似的な存在感でもいいからあった方が落ち付くからだ。
テレビの音を囁き声くらいにまで落し、再びノートに向かい直す。
「秀明さんっ!」
いきなり思ってもみなかった方向から柚希菜の声がした。
てっきりシャワーをもう浴びているものかと思ったら、バスタオルを巻いて、俺から数歩離れた所に立っている。
「じゃ、じゃ〜ん!」
彼女は真っ赤な顔をしながらバスタオルを投げ捨てた。
「こ、こ、こっ、この、し、下着…か、可愛い、でしょ?」
そのバスタオルで隠れていた部分には…残念ながら彼女の全裸がある訳では無かった。薄いピンクのレースブラと、それに揃ったショーツ…いやパンティと言った方がいいかもしれない。それはよくよく見ると、結構なハイレグだった。ヒモの細さから、多分Tバックだろう。
「…」
どもりながら、そこに佇んでいる彼女。俺はちゃんと観察をしながらも唖然としたままの表情で固まってしまった。
「や、やっぱり恥ずかしい!」
彼女はバスタオルを拾い上げ、逃げる様にシャワールームへと掛け込んで行ってしまった。
…俺をからかおうとしたのか?
いや、結果から言えばそれは成功だろう。俺はそのまま固まったまま動けなかった。
だが、それをやるには恥じらいがありすぎたし、何よりも彼女自身がそんな恥ずかしい思いをしただけで終ってしまった事だろう。
そんな彼女の態度と言葉が、逆に俺を刺激してしまう。
…悪くないな、いや…いいかもしんない。
彼女の下着姿を見て、正確にはそんな姿をした彼女の恥じらいを見て、俺の下半身は久し振りとも思えるくらいに反応を示していた。
「こんな事ぐらいで」と言う情けなさと「まだ若いんだな」と言う安堵感が複雑に混ざり合っていく。
考えてみれば、彼女と一緒になってから欲望の捌け口が無い。別の女に行く訳でも無く、風俗に行く訳でもなく、自慰をする訳でも無く、つまり溜まっているのだ。
だが、不思議と彼女にその捌け口となる事は望まないし、何故かそうは思わない。
最初は何時彼女を襲う様になるのかを心配してたが、そんな気になる事自体が無かった。
性的な事は…今回がきっと初めてだろう。それも彼女からと言うのが何とも可笑しい。
俺がそうやって下半身を膨張させながら思考していると、軽いノックの音がそれを中断させた。
慎重に事を進めているつもりでも、やはり俺はまだ一般人なのかもしれない。
迂闊にもドアを簡単に開けてしまった。
「はい?」
ドアを開けると、そこにはにこやかに笑っているピザの配達人が居た。手にはピザの箱を、そしてその箱の下にある手には銃を持ち、こちらに向けている。
「アメリカンスペシャルミックスのLです、お待たせしましたぁ。」
その男はその笑顔を崩さずにそう言いながら、顎をしゃくっている。どうやら中に入れろと言う事なのだろう。
銃を向けられては仕方が無い。その男の指示に従って部屋へと入れる。柚希菜がシャワールームに行ってて正解だったかもしれない。
男は後ろ手にドアを閉めて、そしてそのピザの箱を投げ捨てた。ダミーかと思ったが、その箱の中にはちゃんとピザが入っていたらしい。グチュと言う鈍い音を立てながら落ちた。
「ドコに居る?」
その一言でこの男がどこに所属している人間かは良くわかる。ピザの配達人の姿をしていてもだ。
「…ピザ、勿体無いねぇ。」
軽口を叩く俺。そうでもしないと平静を装えないからだ。相手に分っているかどうかは知らないが、既に俺の膝は笑える程に震えている。
「面白いな、お前。」
そう言いながらも彼は怒っているんだろう。銃をさらに俺に突きつけ、その笑い顔は引きつり始めた。
「もう一度聞こう。次は無いぞ?」
俺は咄嗟に「代金は?」と続けようかと思ったが、流石にそう脅されては口をつぐんでしまうしか無い。何より目先の銃口が怖い。
確かに時間の問題だったが、それにしてもここが見付かるのが早かった。俺は侮っていたのかもしれない。二つとも大企業だと言うのに…。
だが、今更それを後悔しても始まらない。だが、死んでからでは後悔すらも出来ないだろう。やっぱり今後悔すべきかな?
「ドコだ?」
その男が諭すように声を張り上げる。
俺は何かしらの切っ掛けを待っていた。このままでは動けない。
その時、その男の横にあったシャワールームのドアが勢い良く開き、そしてシャワー口から熱湯が拭き掛けられた。
「うぁあああ!!」
その男はいきなりの事で驚き、その熱湯を頭から被ってしまう。それを避ける様に咄嗟に手を挙げたらしいが、同時に銃を落してしまった。
「秀明さんっ!」
柚希菜の声に気付き、俺は咄嗟にその銃を拾う。だが残念な事に銃器に詳しくないどころか、扱いを全く知らない俺。
人殺し未経験者の俺には無理な事だろう。だから、俺は銃をその男に向けるよりも、手っ取り早く銃尻をその後頭部へと振り下ろした。
…こんな事で死ぬなよ。せめて脳震盪で抑えておいてくれ。
その願いが成就したかは分らないが、男はその場に崩れ去ってしまった。残念な事にその男はきっと柚希菜の姿を見る事は出来なかったろう。
「柚希菜!逃げるぞ!」
俺は柚希菜の手を半ば強引に引っ張り、ベットサイドへと駆け寄る。
必要な荷物だけ鞄に詰め込み、その男が気付く前に部屋を出なくてはならない。
「あ、あの…着替え…」
柚希菜は既に下着も脱いでいたのだろう。シャワーを浴びるなら当然かもしれないが…。彼女はバスタオル一枚と言う姿であった。
「後ででも出来る!取り敢えずこれを羽織れ!」
俺のジャケットをバスタオルの上から被せ、引っ手繰るように鞄を手にし、その部屋を逃げ出した。
ホテルというのは案外人通りは少ない。更に幸いな事に地下駐車場へはエレベータが直通で繋がっている。柚希菜はその姿を他の誰にも見られずに済んだ。無論、俺は除外される。
車に掛け込み、急いでエンジンを掛ける。ふと辺りを見まわすが、それらしき人物は見当たらない。この車自体も物色された様子もなく、まだバレていない様だ。
「あ、あの…」
泣き出しそうな顔をしている柚希菜。ジャケットの前をキツく握り締めている。
「後ろに乗れ!」
言われてから、慌てて彼女は俺の指示に従った。
ドアが閉じられる音を確認してから、俺は急ぎながら、だが違和感が無い様に出来るだけスピードを出してホテルを後にする。
ここで派手にホイルスピンしながら出ていったら「私達ですよ」と喧伝するのも一緒だからだ。

「あの…見ないで下さいね。」
おどおどしながら彼女は後部座席で着替えをしている。
確かに俺はバックミラーを見てはいたが、それは彼女の着替えではなく追っ手の車を探していたからだ。
だが、完全に無視出来るものでもない。ついつい着替えもチラチラと見てしまう。こんな状況なのにだ。
右に2回、左に1回。更に右に2回曲がって2つ直進。そのまま左へと向かう。
取り敢えず追っ手は居ない様子だが、街中ではやはり分り辛い。どこか開けた場所にまで行かないと確認は取れないだろう。
取り敢えず、逃げ辛い渋滞路を避け首都高速に乗り、そこから北上を目指す。外環状線に乗り換え、埼玉方面へと向かう事にした。
流石に荒い運転の中で着替えるのは難しいかったのだろう。首都高に乗ってから彼女は着替え終えたらしい。助手席に移りたいと言うので、一旦路肩に車を停車させ、助手席に乗り換えさせた。
車を再び走り出させてから暫くは無言だった。怯えているのだろうか。小さくなって黙っている。
「どうした、怖いのか?」
そう言ってる自分が一番怖がってたりする。まだ膝の震えは収まらない。しかも俺の股の間には、さっき奪った銃が置いてある。
見ればそれはモデルガンとそう大差は無い。だが握った感触とその重さで、それがホンモノだっていうくらいは分る。
何時までもそんな所に置いていたら検問に掛かった時とかに危ない。一先ずその銃をダッシュボードに入れる事にした。
「きゃっ!」
運転しがらダッシュボードを開ける時、おざなりになっていたのか柚希菜の身体に少しだけ触れてしまう。そこがドコなのかは分らなかったが、どうやら感触からして胸に触れてしまったらしい。
「す、すまん。」
「い、いえ…あの、下着付けてないから…その…」
一瞬どう繋がるのか理解出来なかったが、
…敏感な訳ね。
それで落ち付いた。と、同時に彼女は怖がっているのと恥ずかしさが交じり合って、こんなに小さくなっているんだと気付いた。
その途端、何故だか笑いがこみ上げてきて、つい声を出して笑ってしまった。
「はは…あはははは!!」
その笑いにつられてか、彼女も不思議そうな顔をしながらも徐々に笑い始めた。

慌てていた分、流石に疲れも早く来てしまった。
まだそんなに遠くまでは逃げてないのだが、余り車の多くない外環状を走っていても尾行車は見当たらなかったので、関越に乗り換えた時点で休憩しようと思った。
丁度、練馬インターからそんなに離れては無いが三芳SAがあったので、そこに車を止める。
流石に近いインターが二つもある所為か、利用者は殆ど居なく閑散としている。
俺は疲れていても、車はまだそんなに走らせてはいない。エンジンは掛けたままにしておいた。
「さて、どうしたもんかな。」
自分で言いながらも気付いてはいるが、この言葉は最近俺の口癖になってしまった。
結局、先の事を考えている様で、足元がまったく見えてなかったりする。悪い癖なんだろう。
「…下着、持ってこなかったのか?」
「いえ…多分、鞄の中にあります。」
だが、残念な事に俺に見せてくれた下着は、きっとシャワールームに置きっぱなしなんだろう。その為に戻ろうとまでは思わないが、惜しい気はした。
「あ、あの…ジュース買ってきますね。何がいいですか?」
「ん〜?…じゃコーヒー。ホットね。」
「はい。」
下着の事を聞かれて恥ずかしかったのか、顔を赤くしたまま彼女は車を降りていった。きっと冷ましたいと思ったのだろう。
俺は少しシートの角度を下ろして、疲れた身体を解し始めた。
「ふぅ、どうしたもんかねぇ。」
深い溜息を吐き出しながら思案に耽る。
取り敢えず切っ掛けは作った。あとは陽立がどう動くか次第だ。予備策も考えなくてはならないだろう。
だが問題なのは、実際に今日みたいに足を取られる事だ。想像はしてたものの、やはり現実のものとなると違ってくる。
どう隠れて、逃げ回らなければならないかを考えないとならない。一生、と言う訳でも無いだろうが、それでも陽立が何かアクションを起こしてくれるまではそうなるだろう。
自分の身と、そして彼女自身を守ってやらなくてはならない。
「…彼女を守る、か…」
まさか自分が物語りの主人公みたいになっているなんて、会社の同僚とかは思わないだろう。自分自身思っても見なかった事だ。
普通の恋愛をしていても「お前を守る」なんて言葉は比喩的に使われるだけであって、実際にそうしている訳でも無いだろう。
だが、これに関しては実際に彼女の身を守らなくてはならない。
そこで俺は不思議に思った。
「…俺が?何で?」
そう。なんで俺が守らなくてはならないのだろう。自分の生活を壊してまで。
「ただいまぁ。はい、これでいいですか?」
彼女は笑顔で戻ってきた。そして暖かい缶コーヒーを手渡してくれる。
…ただいま、か…。
そんな風に考えている俺に対して、彼女はそう言ってくれる。屈託の無い笑顔でコーヒーを渡してくれる。疑いさえも掛けてない。
「あの…秀明さん。」
「ん?」
「私…嬉しかったんです、本当に…。守ってくれてるんだなぁと思って。」
彼女の顔は見えない。ホットミルクティーの缶を胸元で握り締めながら、向こう側の外を見ている。
「嬉しいなぁって…」
今度は呟く様に彼女は言った。
「…柚希菜は俺が守るよ。」
言った直後、頭に血が上った。顔全体に熱が帯びているの自分でも分る。俺は咄嗟に彼女とは反対側の窓を見て顔を逸らした。
自分で言って恥ずかしい台詞。誰にも言った事の無い言葉。
…俺が守る、か。
さっきまでの考えが一瞬にして吹き飛んでしまう。だが、そんな衝動的に出てしまった言葉でも、俺はそれでいいんじゃないか、と納得できた。
可愛い女の子を守る為に戦う。
いいんじゃないかな、そんな感じも。悪く無い。他じゃ味わえない事だろうし。
「嬉しい…嬉しいよぅ…」
背中にそんな彼女の声が聞こえる。背を向けているから表情は分らないが、その言葉の後に続いたしゃっくりが、泣いているんだなと想像させた。


第五章
増える想いの出口は何処


熱く蕩けるようなキス。
言葉にしてしまうと、思わず「ケっ!何言ってんだよっ!」と叫びたくなるくらいなのだが、実際に体験してしまうと、そんな言葉しか出てこない。
それは初めてキスした時よりも、初めて女性の身体を知った時よりも、心の底から「甘い」と感じ取れるものだった。
俺は、子供みたいな事を感じる気恥ずかしさよりも、素直に感動出来た。それすら、俺にとっては驚きである。
しかもそれで満たされてしまった。その後、と言う考えまでもしなかった。
結局、そのまま車の中で寝てしまい、サービスエリアで朝を迎えてしまった。よく無事なものだ。
簡単にトイレで用を済ませ、顔を洗い、朝のコーヒーを買って車を走らせた。
柚希菜は助手席に座り、ずっと俺の顔を見ている。
見ているだけだったらいいのだが、口元に手を添えて、何やらニヘラニヘラとずっと笑っている。
可愛くもあるんだが、結構気色悪いぞ?
何か言ってやろうとも思ったのだが、口から出るのは溜息ばかりだ。もう放っておこう。
そんな状態の彼女にこれからの事を相談するのは愚かだ。多分、何も考えてはくれないだろう。
そうなるとやはり自分一人で考えなくてはならない。
「都内の戻るのもなぁ…」
既に俺達が居るホテルを特定出来る所まで向こうは扱ぎ付けているのだから、今都内に戻るのは危険だ。だが、当て弾にする企業が陽立一社では心もとない。せめてあと一社くらいは用意しておきたいものだ。
陽立、日木電気、松上電機、ZONY、富市通…国内企業で、河崎重工とGE社のプロジェクトに興味を示しそうな企業はこれくらいだろう。だが、その殆どが本社所在地が東京である。
いや、まてよ…松上電機の本社は大阪だったな。
いずれは東京に戻らなくてはならないが、取り敢えず今は離れなければならない。そしてもう一社槍玉を作らなくてはならない。
答えは単純、消去法の問題。
そして目に入るのは中央道への連絡高速が繋がっている鶴ヶ島ジャンクションの看板だ。
「ちょっと、長旅になるぞ?」
「はい!秀明さんと一緒なら。」
別に嫌な訳じゃないが、溜息が出てしまう。ちゃんと彼女は理解してくれているんだろうか。

「シンドい…」
東京・大阪間を車で移動したのは初めてだ。新幹線でなら出張や何やらで何度は行った事があるが、それでもその2時間弱は長いものに思えたのに、車で7時間も掛かるとは思わなかった。
幸いにして大きな渋滞には巻き込まれなかったが、日中の移動はやはり時間が掛かる。
高速を下りて大阪市内と思われる地名の看板が見れる様になった頃には、既に日が沈み始めていた。
「にしても…分かり辛い道だな。」
東京と違って、大阪市内は碁盤の目の様な道が走っている筈なのだが、実際に車に乗って走ると、慣れていないものには混乱させられる道ばかりだ。一方通行も多い。走りづらいのは東京も一緒だろうが…。
それに車の運転も皆荒い。トラックや大型車は脅威そのものである。クラクションも五月蝿い。
「何しとんじゃ!ボケっ!」
何度もドア越しに怒鳴られる。俺は「へいへい」と呟きながらもいそいそと車を左側に寄せ、慣れない道を徐行と言うには早過ぎる速度で車を走らせる。
で、やっとの事でホテル到着。
著名人などでホテル住まいをしている話を聞くと、贅沢だなぁ、と思っていたが、いざ自分がそういう立場になるとなかなか複雑な思いをさせられる。特に定住地が無いとは何となく不安にさせられる。著名人だって、固定のホテルで過ごしているというのに、俺達は転々としなくてはならない。
「ごゆっくり。」
ホテルのカウンターでチェックインを済ませ、少ない荷物を携えて部屋へと入る。その途端に疲れがどっと押し寄せてきた。
「ごめん、先に寝る。」
そう言って俺はベットに倒れ込み、後はどうなったか知らない。


疲労時の記憶の曖昧さは恐ろしい。自分ではちゃんとしたつもりなので何所で間違っていたのかを思い出せない。
かなり俺は爆睡していたらしい。その間に前みたく河崎重工やGE社の手先が来ていたらどうなっていたのだろうと、恐ろしい考えになってしまうが、幸いにもそれは無かったようだ。
それはそれでいいのだが、今この状況に自分が置かれているのが理解出来ない。
朝。ベットの上。
ここまでは分かる。
Tシャツとトランクスだけの俺。同じベッド、と言うよりは目の前で寝ている彼女。
これは何だろう?
しかも辺りを見渡すとベッドは他に無い。それだけでなく、このベッドも他に比べて大きく感じる。
そして横になって寝ている俺の胸の中に彼女の頭。俺の片腕は何故か彼女の背中に廻されている。
どうも、俺は勘違いしてツインでは無くダブルの部屋を取ってしまったようだ。
彼女はまだ安らかな寝息を漏らしている。顔は見えないが、穏やかな様子だ。
そして俺は穏やかでは無い。下半身が、まだ年齢を重ねてても行為が出来るぞと主張している。何故か今日は何時もより一段と元気だ。
目と鼻の先にある彼女の髪からは、シャンプーの匂いだろう。甘い女の子らしいほのかな香りが鼻の中に染み入ってくる。それがまた、一段と一部を元気付けてしまっているようだ。
だが、このままでは俺は起きられない。このまま二度寝をしてしまうのも良いかなとは思うが、残念ながらここには遊びで来ている訳じゃない。今日もやる事はある。
彼女を起こさない様にゆっくりとその頭を胸から退けた。かなり痺れている俺の腕もゆっくりとそこから引き抜いた。
瞼を閉じ、その可愛らしい口を少しだけ開けて漏れて行く寝息。大人の女ではあるが、その無防備な姿は子供の可愛らしさも兼ねていた。それに…。
「綺麗だな…」
解れた髪が口元、そして喉に向かって流れている。彼女の呼吸に合わせてゆっくりと漂っている。
この寝顔。出来れば守ってやりたい。
そんな衝動が心の中から芽生えてきた。
「うっしゃ…今日も頑張りますかっ!」
小声で自分に気合を入れる。なんとしても出来るだけ早く、この子を呪縛から逃してやりたい。考えているんじゃなく、そう感じていた。
そして俺は、取り敢えず気合を入れた身体の、一部分の余計な気合を押さえる為に熱いシャワーを浴びるためにバスルームへ向かった。

「で、結局汚れるんだ。」
「え?何ですか?」
「いや、独り言。」
随分長いこと放置され、メンテナンスもロクにやってないのだろう。埃塗れになっているパイプスペースに、やはり埃塗れになりながら作業を続ける。
やる事は陽立の時と同じだ。難しいのは人選と部署だが、まぁ大きな企業はシステムとしてはそんなに大差は無いだろう。精々部門名が違うくらいだ。
「そろそろ行くぞ…って何やってんだ?」
「え?邪魔ですか?」
「いや、邪魔じゃないけどさぁ…」
柚希菜は俺の横からUSBケーブルを拾うと、俺の後ろに回って背中を抱きしめてきた。決して苦痛では無い重圧感が寄り掛かって来る。羽毛布団の様な柔らかさ。
「この方が集中出来るかなって。」
「お、おい!耳に噴き掛けるな!」
思わず大声を出してしまう。幸いな事に人通りも無ければ、そんなセンサーも無い。見つかる事は無いだろうが、静かにしているに越した事は無い。
「ダメですか?」
頼む、そんな目で見ないでくれ…。
俺は小さく頭を振っただけで何も答えなかった、と言うよりは言葉に出来なかった。充血しつつ顔を冷ます様にモニターの方へと向直る。
「じゃ、行くぞ。」
「はい。」
彼女は目を瞑り、抱いている力を少し強めた。

結果としてはまぁまぁ上出来と言えるだろう。やった事は陽立の時と変わらないし、反応も略一緒のものだった。どの企業も新技術には目が無いのだろう。
今度は十分に周りを警戒しながらホテルへと戻ってきた。河崎重工の本社も神戸にあるからお膝元と言う訳だ。警戒するに越した事は無い。まぁ、まさか直ぐ近くに潜っているとは思ってないかもしれないが。
俺はベッドの上で胡座を掻き、ノートパソコンを何時もの様に弄っている。柚希菜は枕を抱きながらテレビに熱中している。
何やら恋愛ドラマをやっているらしく、表情をくるくると変えながら必死になって画面を見つめていた。
俺も別に話す事も無ければ、話しかけた所で邪魔してしまうだけだろう。ついつい出てしまう独り言を言わない様に口を堅く閉じながら、黙々とキーを打っていく。
流石に大企業が2社も動くと派手になる。陽立も松上も様々な手法で情報を収集している。対する河崎とGEはそれを必死になって邪魔をしたり隠蔽工作に追われている様だ。
陽立と松上の収集した情報を横から奪い去り、河崎とGEがてんてこ舞いになっている所へ、隙を突いてクラックの準備を進めて行く。
楽でもないし、下手なアクションゲームよりも難しい。リアルタイムで進んでいる状況に追いつくのは至難の技だ。
それに情報量も半端じゃない。外部記憶としてDVD-RAMを使っているが、既に5枚目に突入している。無論、その全てに目を通す訳にもいかず、後で抽出の作業をしなければならない。
…結構働いてるぞ、俺。
少なくとも社員だった時に比べれば倍以上になっているだろう。何せ、ホテルに戻ってからもずっとパソコンと向き合っているのだから。
だが、やっているとキリが無い。大企業らしく殆ど24時間体制でも布いているのか、動きが止まる事が無いのだ。適当な所で切り上げて、拾った情報の選別をしなくてはならない。
情報収集用のウィルスを数匹、進入クラック用のウィルスを4匹ネットに放り込んで、そこからは切断した。
ウィルスも精々有効期限は1週間くらいだろう。その後は対抗策が出来るだろうし、市販のウィルスチェッカーのソフトメーカーに分析されてしまうだろう。
出来るだけ俺だと言う事を特定させない為に、ダミーデータやスクリプトを塗してあるのだが、それも何処まで通用するかは分らない。だが、今の所は大丈夫そうだ。
DVDのフォルダを開き、膨大なデータが入った一覧を見ると疲れがどっと出てきてしまう。
「はぁ〜…」
頭を掻きながら深い溜息を一つ。柚希菜の手伝いで作って貰った選別アプリで大分作業は楽なのだが、それでも処理と、抽出した重要そうなデータには目を通しておかなければならない。
残念ながら、今迄は残ったデータと言うのは皆無に等しかったが、今日になって幾つかの書類が出てきた。
暗号化されているその書類を解凍してみると、一般的なワープロ文書。どんなに隠した所で、使われているのは一般的に売られているワープロソフトの書類なのだろう。
『機密文書V657756:次期支援戦術用機動機開発プロジェクト草案:ハイブリッド・ロボテクス・自走汎用機(仮)』
禍々しいとまで感じられる長ったらしいタイトルがついた膨大な書類。企画書らしく、ちゃんと目次や概要までも載っていた。
だが、後半部分の技術的な部分になると殆どが英語となり、ある程度文章が推測出来ても殆どが技術用語で何が何だか分からない。日本語で書かれていても分らないだろう。
要は、燃料補給の必要性が可能な限り薄く、ある程度自律的に判断や攻撃・防御が出来、その場での戦術判断までをして勝手に動いてくれる様な自走砲といった所だろうか。
まだこの段階ではロボットと言ってもヒト型では無く、どちらかと言うと車に近い物らしい。6輪の装甲車の様なイメージ画が添付されていた。
『極秘:医療技術の転用』
次の書類は、真っ赤な文字で『極秘』とタイトルが付いている書類。だが、タイトルだけが日本語で、中身はドイツ語で書かれていた。何が何だかさっぱり分からない。
添付されてる画像を見る限りでは、どうも神経系の事らしいが、やはり内容を知るまでの手掛かりにするには量が少なかった。
『第2・四半期分プロジェクト予算案』
本文も無ければグラフや表も無い。多分、別ファイルになっているか削除されたかは分らないが、少なくとも手元には無い。
ただ、最後に書かれた備考欄の所には、
『検体が発見され次第、別予算案にて対処するものとする。』
と小さく書かれていた。
情報的には大した収穫では無いだろうが、仕方が無い。カマを掛けた会社に頑張ってもらうしかないだろう。
ただ、自分的には結構な情報を仕入れたつもりだ。
少なくとも、柚希菜が言っていた事はなんとなくだが現実味が帯びてきたし、今見た書類もまったく関係の無い事じゃないだろう。
軍備用の新規開発機器、最先端医療の技術転用、そしてプロジェクト予算…。
繋がる確実な物は今の所は無いが、その内それも出てくるだろうと確信に近いものがある。
コンコン…。
そんな時に小気味良い音がドアの方から聞こえてきた。柚希菜と俺は互いの顔を見る。
「はい!?」
俺はその場から動かずに大きな声でドアに向かって叫んだ。
『仕出弁当の”藍屋”ですがぁ。』
少し間の抜けたくぐもった声が向こう側から聞こえてきた。俺は柚希菜の方を見るが、首を小さく振っている。無論、俺が頼んだ配達でも無い。
俺はまた大きく息を吐いて柚希菜に目で合図をした。
こんな事もあるだろうと、荷物は最小限しか外に出してない。面倒だが、直ぐに逃げられる様に、一々鞄の中に仕舞ってあるのだ。
「はぁい、ちょっと待って貰えますぅ!?」
感取られない様に静かに準備をしながら、そう大声で同じ様にドアに叫ぶ。
柚希菜は大きな陶器の灰皿を持ち、リュックを背負う。俺は鞄を肩に掛けながら木製のハンガーを持ってドアに向かった。
ガシャン!べきっ!
まさか同じ手を使ってくるとは思わなかった。それを見越してそういう手段に出たのかもしれないが、余りにも間抜すぎる。
倒れた男はやはり銃を持っていた。
今度はそれを拾い上げる事無く、俺達は部屋を後にし、ホテルをチェックアウトした。
車は諦め、徒歩でホテルのエントランスを出た。そして予想通りに、ホテルの駐車場の前には黒いスーツを着た男が立っていたが、俺達には気付いてない様だ。
バレない様にやや早歩きをしながら繁華街の中へと解け込んで行く。

一端市境まで電車で移動し、そこで中古車屋を見つけて適当なのを現金で購入。登録は自分でやるからと言って書類を奪い、用が済んだ大阪市から離れた。
高速に乗って、北上では無く南下していく。追っ手を巻く為だ。
「さて、どうしたもんかね…。」
オービスに引っかからない程度にスピードを出しながら俺は考える。
どの道、東京に戻るしかないだろう。自分が良く知っていて動きやすい場所はそこしか無い。今度は遠回りになるだろうが、和歌山白浜から42号線を通り三重県伊勢に行き、そこから高速に乗る事にした。
前にも増して長時間の運転になるだろうが、仕方が無い。命が無くなる事を考えればマシな方だろう。
だが、昼間の疲れもあり、その白浜に付くなり俺は休憩する事にした。
大阪を出た時にはまだ陽は高かったのだが、白浜についた時には空を紅く染め上げていた。
久しぶりに見る海。
適当な横道に逸れ、人気が無い沿岸に車を止めた。
「うわぁ〜、キレイぃ〜!」
十分に元気が残っている柚希菜は海に向かって腕を振り上げ、その胸に潮風を思いっきり吸い込んでいる。そして、遊泳区域では無いのだろう、小さな浜辺にあるテトラポットに囲まれた砂浜へ向かって走り出した。
「やれやれ…」
逃げている最中だと言う事を思い出して欲しいな、と思いつつ、さっき買ったばかりのまだ暖かい缶コーヒーと紅茶を持ち、俺は彼女の後をゆっくりと追いかける。
適当な座り心地の良さそうなコンクリを探し、俺はそこに腰掛けて彼女が遊んでいるのを見る。
彼女はまるで、初めて海を見に来た子供の様にはしゃいでいる。砂浜を掛けまわり、寄せては引いていく波との追いかけっこをして遊んでいた。
「ひ〜で〜あ〜き〜さーん!」
コーヒーを飲んでいる俺に、大きく手を振る柚希菜。俺は恥ずかしさもあり、それに小さく手を振って答えてやる。辺りに人影は無いのは幸いだった。
暫くそれを眺めていたが、彼女も疲れたのか、こっちに走り寄って来て俺の隣に座った。
「あ〜!楽しかったですぅ!」
「それは良かったな。」
満面の笑みで言う彼女に、半ば苦笑しながら俺は答えた。自分の横に置いてあった、今では少し温くなってしまった紅茶を彼女に手渡す。
丁度良い加減だったのか、彼女はプルタブを開けると勢い良くそれを飲み始めた。
「はぁ…気持ちいい…。」
どうやら喉が乾いてしまう程走り回っていたらしい。
「海か…」
俺はポツリとそう漏らしてしまう。考えてみれば海なんて殆ど来てなかった。最後に海を見たのは4年前の小旅行の時くらいだったろう。
さざ波の音。砂に吸い込まれる水の音。塩の香り。海鳥の鳴き声。遥か向こうの地平線。
夕日の赤々しさが、余計に懐かしさを感じさせてくれる。
それに…隣に座っている柚希菜。少しだけ潤んでいる瞳は海を見つめていた。繊細な顔が陽に照らされて綺麗な紅味を帯びさせている。
「ねぇ…秀明さん。」
彼女は缶を持ったまま立ち上がり、俺に背を向けて海を眺めた。彼女を見てなかったら、その声は聞き漏らしていたかもしれない。
俺はやや堅くなった腰を上げ、何気なく彼女の隣に立つ。
微妙に陰りが篭った瞳に、海が反射している夕日の光は差し込んで行く。無表情な顔をしているが、その目が何かを訴えている。
「私、追われてるんですよね。」
「そうだな。」
「私…もしかしたら殺されるかもしれないんですよね。」
「…或はそうかもな。」
推測だが、躍起になって彼女を探している連中には、連れ戻すかもしくは抹殺の命令が下っている事だろう。機密保持や証拠隠滅を考えるのは当然かもしれない。
無論、その時は俺も一緒だ。もっとも、彼女が連れ戻される時には、俺も一緒では無く、その場で短い人生にお別れを言わなくてはならないだろう。
「私…死んだままの方が幸せだったのかな…?」
死んだ後に幸せを感じるかどうかは分らないが、少なくともこんなゴタゴタには巻き込まれなかっただろう。普通に生活して、交通事故で気付かないまま…。
…そうか、そうだよな。
彼女の死は決して自分の望んだものじゃなかった。そして死の淵から強引に連れ戻されたのも、彼女の望みじゃない。
彼女は今は生も死も、どちらも望んでいないのかもしれない。
「どうして?」
俺の口から出た言葉はそれだけだった。他の言い方が出てこない。
「だって…そうすれば秀明さんにも迷惑が掛からなかったし、こんな逃げ回る事にもならなかったろうし…」
確かに言う通りだ。こんな羽目にはならず、今でも俺は会社で日和見的な生活を送っているかもしれない。もしくは、柚希菜では無く別な人物が来ていた可能性もあっただろう。
だが、結果としてはこうなった。良くも悪くも無い。そういう流れになってしまった、それだけだ。
「生きるのは、嫌か?」
「分りません…。でも、私を人として必要としてくれる人なんて…」
柚希菜の家族では、既に彼女は死んでいる。恋人もそうだ。もう次の恋人を見つけ、別な人生を選んでいる。この国の中で人として認知される為の書類ですら、彼女は過去の人となっている。
河崎重工やGE社の人間にとって、彼女は単なる実験体だろう。人では無い。
でも俺の隣に今立って、缶紅茶を飲み、海を眺めている彼女は人だ。人間だ。
…俺が居る。
口からは出ない、言葉にはならない。
気恥ずかしさもあるし、彼女が本当にそれを受け入れてくれるかも分らない。もしかしたら自分の独り善がりかもしれいのだ。
だが、そんな考えとは裏腹に、俺は身体ごと彼女の方へ向直った。
「守るよ。」
そんな短い言葉。それしか言えなかった。それでも中に含まれているのはより大きな物の筈だ。小さい声にはなってしまったが、それでも出す事は出来た。
彼女の瞳からは影が消え、そして陽の明りを受けて反射させる潤いが瞬間、増えた。
そして目を閉じ、溜まっていた涙を一筋流すと、ニッコリと微笑んだ顔を向けてくれた。
「はい、お願いします!」
もう鼻には彼女の顔がくっ付いている。顔に手を添えて、流れた涙を拭った。
「守って、下さい…」
柔らかに動いていた口を、塞ぐ。








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