maxfill's Original Short Novel - Never can't get it


隣合せのファンシーフリー
第五部

Fancy Free in diary life





第十章
この世に完璧なものなど無い






 覚えが無いのに、事が起こってしまうとやはり混乱してしまう。まるでそれは、酒に酔った勢いで、街中にある何かを壊したり持ち帰ったりするのと同じ事の様だ。
 無論、そんな事は俺はした事は無い。酒は飲んでも飲まれるな、がモットーだし、そこまで酔う程に飲んだ試しも無い。
 いや、それは兎も角、非常に困った。
 柚希菜が、俺のベッドで寝ている。それはもういい加減に慣れた。何時もの通り、ツインの部屋を頼んでいるにも関わらず、何故か気が付くと彼女は俺のベッドで寝ている。もうどうでも良くなってしまったのだが。
 なので、それ自体が問題になってる訳じゃない。彼女がベッドで寝ていて、俺はあたふたしている。尤も、逆になっていて彼女があたふたしている姿なんかは…余り、想像出来ないな。
「う…ぁぅ…」
 そう、彼女は今、ベッドの上で妙に悩ましい声を出している。こんな時に何を考えているんだ、と思うのだが、何故だか体が勝手に想像してしまったりもする。それどころでは無いと云うのに…。
「…よし。柚希菜、脇上げて。」
「ぅ…はい…。」
 いや、だから…そんな虚ろな目で見ないでくれ…。
 返事をしているものの、やはり体力が持たないのだろうか、少しだけ腕を上げ様として直ぐにぱたっと落ちてしまう。
 仕方が無いので、俺が軽く腕を掴んで、彼女の脇を上げさせた。
「んっ…ぅ…」
 いや…その…。
 そんな事は無いろうが、もし壁が薄くて全ての音が隣に漏れているのならば、ヘンな勘違いをされている事は間違い無いだろう。俺だって、目を瞑っていればきっとそんな風に思うかもしれない。
 やはり混乱してしまうと、余計な事を考えてしまう癖は抜けてないらしい。それでも、やる事はやらなければならない。
 表示された液晶の表示を何時の間にか眺めている自分に気付く。
「39.5度か…まだ下がらないな。」
「だ、大丈夫ですよ、秀明さ…んっ!けほっ!」
 なんとか取り繕い、無理矢理に笑顔を作って柚希菜は答えるが、言葉に続く咳き込みが余計に大丈夫じゃない事を語っている。
「いいから、寝てろって。」
 腕一本すら上げられないのに、無理して体を起こそうとする彼女を嗜めて、俺は体温計をケースに仕舞った。
 熱は出ている様だが、喉が腫れている訳でもなく、腹を壊している様子でもないし頭痛を訴える事も無い。風邪と言う訳ではなさそうだが、俺の中途半端な医学知識じゃ判別は出来ない。
 殆どが生体のまま、と言うか弄られては無いのだろうが、気になるのは脳に生め込まれたデバイスに与える影響があるんじゃないか、と考える。
 どんな熱を下げる薬でも、やぱり脳の方にも薬は廻って行くだろうし、それが悪影響を与える様では余りにも危険過ぎる。
 かと言って、メーカーに問い合わせる事も、仕様書を取り寄せる事なんてのも出来ない。それをしたら、そもそも逃げ回っている意味自体が無いのだ。
 改造されているとは言え、殆どがまだ生体のままなので、こんな風邪に似た症状が出てしまうのも無理はないだろうが…逆に考えるとそれは実用に耐えられるのだろうか?等と考えてしまう。
「けほっ!…ひ、秀明さん。」
「ん?」
「何かやりゅ事ありませんか?…何か暇で…。」
「いいから寝てろっ!」
 体調を崩しているにも関わらず、柚希菜は柚希菜のままだ。当然かもしれないが、思考回路は一緒らしい。さっきから5分置きくらいに同じ事を繰り返している。
「あうぅ…」
 暇なのは分るが、今は大人しくさせているしか考え付かない。俺が出来る事は何も無いのだ。多分、構って欲しいのだろうが、まさか枕元で絵本を読むなんて事はしないだろう。柚希菜が好きなファッション雑誌なんかを読んでも、あれは見ないと分らないものだ。
 そして間が悪い事に、こういう時に限って忙しくなっているのだ。回線を開きっぱなしのノート端末から、メールの着信音がバンバンと鳴っている。
 どうやら、広めたクラックソフトが功を奏しているのか、河崎重工とGE社の一部クラックに成功している様だ。
「いいから、大人しくしてろよ?」
 俺は半ば勢いで、そう言って柚希菜の頬に軽くキスをした。
 一気に熱が上がってしまったのか、柚希菜の顔は一層紅くなると同時に、にへらぁっと顔が綻んでしまう。そのままシーツを鼻くらいまで上げて、潤んだ目で俺の方を見ながら小さくコクンと頷いた。
…凶悪だ…。
 内心汗を流しながら俺は彼女に背を向けた。あんな顔を見せられたら、暫く離れられなくなりそうだったからだ。
 軽く頭をポリポリと掻きながらノートに向かうと、何時の間にやら50件以上もの添付ファイル付のメールが届いている。
 柚希菜と出会う前には、ダイレクトメールを除けば、一日あたり数通のメールが届けば良かった方なのに、今ではこれだ。
 全部まともにチェックしていたら、それこそ半日作業になってしまうだろう。予めフィルタリングしてメールの分別をしていても、20通ちょっとは残ってしまった。
 いい加減この量にもうんざりしつつも、何時の間にやら慣れてしまっている自分が恐い。今は柚希菜があんな状態だから気になってしまうが、今まではそれを平然とやってのけていたのだ。習慣と言うものは恐い。
 欲しかったネタ、要らないネタを振り分け、さらに商売ネタと柚希菜関係のネタを別フォルダに収めて行く。処理の優先順位は何といっても柚希菜関係が一番だ。商売も大事だが、一先ず彼女の事を何とかさせない限り、平安な生活をする事は出来ないだろう。
「…ん?」
 仕分けをしていると、何故か気になる3組のメールがあった。内容は何かでデコードしないと読めないものらしい。
…また、柚希菜宛てか?
 用心の為、一端ネットから切断した後に、柚希菜の固有コードと照合してみるが一致しない。また別のコードの様だが、それが何か分らない。
 その三組の内、最後の日付になっているメールには添付ファイルが付いていた。どうやら、何かしらのソースコードらしいが、何の言語か分らない。ソースと言うよりは、どちらかと言うと、昔のマシン語に近いものであった。
 だが、意外な事に、そのソースコードの最初には柚希菜の固有コードが埋められていた。
 何もしなくていい、と言った手前、柚希菜に頼るのは気が引けたが、これが解決しないと次に進めない様な気もした。
 ちらっと、柚希菜の方を見てみる。
 彼女はまだ起きていて、俺の方をじっと見詰めていた。
 どうやら、このままで居ても、彼女は落ち付いて寝てはくれないらしい。
 俺は諦めた様に溜息を一つ吐くと、サイドテーブルごとベッドの横に移動した。
「柚希菜、ごめんだけど、ちょっとだけ力を貸して欲しい。」
 すると彼女は一瞬満面の笑みになったかと思うと、次に何かを考え、そしてそれを実行しようと決めた顔をした。何とも分り易いやつである。
「ん〜っ。」
 彼女は子供の様な声を出して、シーツの中から片手だけをちろっと俺の方へと向けた。
 一瞬、何の事か分らなかったが、どうやら起こして欲しいみたいだ。少しずつではあるが、最近彼女の行動が読める様になってきたのは、嬉しい事なのか哀しい事なのか良く分らない。
 俺はまた溜息を一つ吐くと、ベッドの横に腰を降ろして、彼女の肩に腕を回した。
「もう、いいオトナなんだから、そんな事しなくたって…」
「エヘヘ…。でも、今日は子供っ」
 確かに俺の背中に回された腕の力は、かなり弱々しいものだったので、一人で起きる事は難しかったのだろう。だが…、何時までくっついているんだ?
「秀明さん…ちょっと冷たいけど気持ちイイ…」
 彼女は俺の肩に顔を埋めながら言う。確かに柚希菜よりは体温が低いので当たり前だが…逆に俺から言えば、彼女の体温が高いのが良く分る。
 …にしても、離れてくれない。
 そんなに力が入らない様だから、無理矢理引き剥がしてもいいのだが、横になっている時よりも安心している顔をしているので、剥がす事も出来ない。
 俺は仕方無しに、足を器用に使ってUSBケーブルを手元に運び、柚希菜のしっとりとした髪を少しだけ掻き揚げて、首元の端子に指し込んだ。
「あんっ!」
 熱の所為で感度が良くなったのか悪くなったのか分らないが、非常に悩ましい声を上げてくれる。しかも、どことなく悦とした表情のオマケ付きだった。
…り、理性の…
 臨界点が近い様に思える。かなりご無沙汰な俺の体は、そんな柚希菜のちょっとした仕草や声でも敏感に反応してしまうらしい。
「はぁっ…秀明さん、もっとゆっくり…」
 危険。かなり危険だ。
…頼むから、そんな顔を向けないで欲しい。頼むから、そんな声と荒くなった息を耳に吹きかけないでくれっ!
 そう願いつつ、高校時代から使わなくなった幾つかの数式を白い天井に思い描きながら、心臓の鼓動が収まるのを待った。
「秀明さん…凄くドキドキして…」
「頼む!何も喋るなっ!」
「えへへぇ…ごめんなしゃい。」
 今、彼女には、俺にだけ見える耳と尻尾が付いている。
 この辛うじて残っている理性が無くなれば、俺も熱に魘(うな)されつつ、彼女とイイ事をし始めるに違い無い。
…ま、いっか…いや、イカンっ!
 無限ループに陥りそうになったが、辛うじて理性の勝利の元となったのは、ノートパソコンの確認音だった。
『解析、コンパイル終了』
 ご丁寧にも日本語のダイアログで知らせてくれている。どうやら、柚希菜が自動処理をしてくれたみたいだ。
「一体、何時の間に…って、柚希菜?」
 呼び掛けた途端に、いきなり体重を掛けられた様だ。
 彼女は「くー…すぅー」と、俺の肩に顔を埋めながら柔らかな寝息を立てている。
「疲れた…んだろうな…。」
 そのまま、柚希菜を枕元へと戻そうと思ったが、こう安らかな顔をしていると、直ぐにそれをしてしまうのも可哀相かな、と思った。
 暫くこのまま、そっと柚希菜を抱いたまま、髪をゆっくりと撫でて行くのも悪く無い。

 出来るだけ性欲が主な成分である本能には、出来るだけ向こう側に行って貰い、俺は再びノートパソコンと対峙する。
 どうやら柚希菜が急に寝てしまったのも、送られてきたメールによる処理らしい。出来るだけ稼動を押さえて発熱を下げる為の様だ。
 そして、柚希菜にコンパイルしてもらったデコードアプリを通すと、メールの内容がちゃんと読める様になった。
 それには、
『柚希菜の身体は完全では無い。試作品の為に欠陥が存在する。時期的に限界値に近づいている為に身体へ異常が発生している筈だ。』
 との前振りの後、簡略的にその欠陥部分を説明した文が載っている。だが、元々文系である俺には、半ば謎な所が多かった。
 だが、その次には生体への影響が出た部分の対処法が続けられていた。
 基本的には、市販されている風邪薬の一部と、頭痛薬、それと漢方系の胃腸薬と栄養剤を調合したもので収まるらしい。調合の仕方も、俺にでも出来る様に丁寧に説明されている。
 そこまでならかなり有り難い情報だった。どうやら内通者の様でもあり、情報としてはかなり信頼出来る様にも思える。
 しかし、最後の方に書かれている文章については、どう判断すれば良いのか迷う。
『柚希菜の完全な情報提供、欠陥の修繕、プロジェクトの内部崩壊の手助け。その見返りとして、自分を含めたもう一人の保護。』
 と、書かれている。
 プロジェクトの内部崩壊の手助け、と言う部分には非常に興味があるが、それによって面倒な事が一気に増えてしまう様な気がする。
 尤も、自分と柚希菜だけで、このプロジェクトを崩壊させる事は難しいだろう。まだ、河崎重工とGE社からの情報収拾をしているだけで、その先をどうするかはまだ考えてもいない。
 また、このメール自体が罠かもしれない、と言う可能性もある。
 一応署名には、「ハイブリッドロボテクス、Doris-System Project、開発チーフ。梶原」と書かれているが、それも信用できるかどうかはわからない。
「ま、裏が取れるまでは保留かな…。」
 取り敢えず、その最後の文の事は一端隅に置き、次なる課題となる薬の安全性を調べ始める事にした。
 この調合の仕方なら、素人でも危険性は薄いと感じるものの、やはりある程度でしかないかもしれないが、確実性が欲しい。
 メールの最初の方に書いてある、柚希菜の欠陥部分の説明と、脳周辺に関しての記述、それとネット上にある薬学知識関連のデータベースを閲覧し、リスクが無い事を確認する。
 余り病気らしい病気をした事の無い俺には縁のある事項ではなかったが、こう調べ始めると薬にも色々ある事が分る。
 風邪薬だけでも、成分によって機能や効能がそれぞれに違い、種類だけでも数十は下らない様だ。
「ふーん…へぇ。」
 思わず、そう口に出してしまう。

 調べ終った時には、結構な時間が過ぎていた。
 幸いな事に、まだ柚希菜は寝ているし、日付も変わっていない。
 更に幸いな事に、手持ちの薬で何とかなりそうだった。銘柄も一致している。
 以前、薬屋で買物をした時、バンドエイドや包帯、消毒液や化膿止めといった外傷対応系の薬類を大量に買ったが、同時に内科系も買っておいてよかったと今更ながらに思う。
 これで、ビーカーやらフラスコやらを使って調合する事になれば、ちょっとした化学ごっこになるのだが、残念ながらそこまでは必要では無いらしい。
 風邪薬のカプセルを開き、中に入っている粒状の薬を必要な物を必要な分だけ選り分け、元のカプセルに戻す。後は、柚希菜に順番通りに時間を一定間隔に開けて飲んでもらうだけだった。
「インドや中国みたいに、お手製って訳でも無いな。」
 そんな歴史ある情景の様では無く、どちらかと言えば、合成ドラッグを作っている様にも見えるから結構妖しいと思う。
 ま、それは兎も角、出来あがった。
「柚希菜、柚希菜。」
 熱に魘されてか、少しだけ荒い息をしていた肩をそっと揺らして彼女を起こす。
「んに…ふぁい?」
 文字通りぼけぇっとした目を、子供の様に擦りながら薄っすらと目を開ける。俺は言われるまでも無く、彼女の肩に手を廻してゆっくりと起こした。
 思った以上にパジャマが濡れている。シーツにも少し染みているくらいだ。良く見ると、首筋や額の辺りには結構な汗がまぶされている。
「熱い…に決まってるよな。」
 このまま放っておけば間違い無く今度は風邪を引いてしまうだろう。
「取り敢えず、コレを飲んでおけ。特製だから、一発で治るぞ。」
「ふぇ…特製?」
「ああ、俺様オリジナルだ。」
 盆に載せたコップとカプセルと錠剤の薬、それを彼女の前に渡すと、何の躊躇いも無く口に入れて一気に水で流し込んだ。
 普通なら少しは躊躇するのだが…。
「柚希菜、イイ子?」
 ご丁寧に水まで全て飲み干すと、えへっと笑って俺の方を向いてくる。どうやら…
「ああ、イイ子だな。」
 俺は半ば苦笑しつつも彼女の頭を撫でる。こうして欲しかったらしい。
 すると彼女はご満悦の様で、ニコニコと笑いながら小さな声で「えへ、イイ子イイ子」と連呼している。熱の所為もあるのか、何故か子供に帰っている。
…ま、悪い気はしないが…
 悪い気はしないが、どことなく複雑な心境ではある。
 俺はそんな彼女に背を向けて、口の中で「俺はロリじゃない…」と繰り返しながらタオルと着替えを探し出し、再び彼女の元へと戻った。
「ほら、これで体拭いて着替えておけ。このままだと本格的に風邪惹きそうだからな。」
 そう言って目の前に置いたのだが…。
「…ぁぅ…」
 そう小さく唸って、立ち去ろうとする俺の袖を握ってきた。
「…あのなぁ?」
「…ぁぅぅ…」
 俺の顔を見て、俺の言いたい事は分っているらしい。それでも唸って袖を離さない。
「お前…幾つだ?」
「3しゃい」
「アホっ!こんなデカい3歳が居るかっ!」
「柚希菜、アホじゃないもん!3しゃいだもんっ!」
「はぁ…」
 こんな事を長々とやっていたら、俺の頭の中も3歳児に戻ってしまうかもしれない。それに、このまま汗で濡れている彼女を放って置く訳にも行かない。
 俺は黙ってタオルを取って、彼女の望み通りにする事にした。
「わぁい!秀明さん、だから好きっ!」
 屈託の無い笑顔でそう言う彼女。俺は目を瞑り、心の中でさっきの呪文の様な言葉を繰り返す。
…俺はロリじゃない…。
 だが、ふと静かになって動きを止めている様子に思えたので、俺は再び目を開けた。
「どうした?」
 彼女はパジャマのボタンに手を掛けたままで、動きを止めている。
「…ちょっと…恥かしい…」
「だから、自分でだな…」
「ううん。恥かしいけど、秀明さんなら…秀明さんにして欲しい…」
 俺はその時、前に同僚が言っていた言葉を思い出した。
…萌へ…
 確かそんな単語だったと思った。今、この状況はそんな言葉が良く当てはまる。
「えへへ…でもあんまり見られると、恥かしいから…」
 俺が目をまん丸として彼女を見ていたら、そんな言葉が俺の思考を停止させた。
「あ、ああ…」
 そう曖昧に返事して、全然関係の無い明後日の方向へと目を背けた。
 その横で、いそいそとボタンを外して行く柚希菜。
 別にこれから特別な事をする訳でも無い。普通に彼女の汗を拭うだけだ。
 だが、そういった事をする直前の期待に満ちたドキドキと言うのでは無く、何となくまた別な鼓動を感じてしまう。
…俺ってそんなに初心なヤツだったか?
「秀明さん?」
「あ?ああ…」
 何とか平常を装い、心も落ち着けなながら、出来るだけ意識しない様に彼女へと向いた。
 だが、こういう時に限って、意識してしまうものである。
 見慣れた訳でも無いが、まったく始めて見る訳でも無い彼女の下着姿。そう、偶然等もあり何度か見ているのでいい加減慣れてしまった筈だが、こうして改めて見ると、新鮮に思えてしまう。
「綺麗…だな…」
 思わず、口からそう漏れていた。
「え?え?」
「い、いや何でも無い。」
 俺は強く被りを振って、柚希菜の肩に手を乗せて彼女の背中をこちらに向けさせる。そしてやや荒くはあったが、背中についている汗を拭い始めた。
 片手は肩に置いたまま、彼女が動くのを止め、もう片方で背中を拭いて行く。
 その肩に置いた手に、彼女の手が重なった。
「秀明さん…ちょっとイタい…」
「あ、スマン…」
 何時の間にか力が入ってしまっていた手を緩め、拭いて行くスピードも弱める。
…このままでは抱き締めてしまうかもしれない。
 そう思いながら、俺は俺で、心の中で格闘していた。
 やがて、背中も拭き終わり、そして出来るだけ見ない様に前面も拭き、取り敢えず上半身は着替え直させた。
「下は…どうする?」
 聞く俺もバカだった。と、いうか、普通は聞かないだろう。
「え?下?」
 柚希菜はそう聞き返すと、顔を真っ赤にした。それと同時にまだシーツの中にある自分の下半身をもぞもぞとすると、
「あ、いいです!自分で出来ますっ!」
 更に顔を赤くさせて半ば奪う様に俺の手からタオルを持っていった。
「み、見ないで下さいねっ!」
「あ?ああ…」
 さっきとはまったく逆の言葉。俺の心は正直に残念がりながらも、彼女の言う通りにした。
 彼女に背を向け、やれやれと安堵の息を吐くと、備え付けの小さなソファーに身を沈めて、カーテンを少し捲り、外を眺めた。
 何時の間にか、空は赤々と染まっており、夜の帳がもう直ぐ訪れている事を示していた。
 その中に飛んでいく一機のヘリコプター。
「…」



 陽が沈む明るさをそのままに、部屋も沈んでいった。電灯も付けずに、少しの間の後にこの部屋も暗くなっていった。
 カーテン越しから入ってくる街の明かりが薄っすらと、ベッドの上で安らかな寝息を立てている柚希菜の姿を照らし出している。
 薬が効いてきたのか、汗をそんなに掻く事も無く、熱も下がってきている様だ。
 先と比べて随分と落ち付いた息遣いをしている柚希菜を見てから、俺は軽く身支度を始める。
 考えてみれば、彼女と出会ってから一人で行動するのは初めてかもしれない。
 それだけに、少し後ろめたさがあった。多分、そんなに遅く帰ってくるつもりでは無いから、戻ってもまだ寝ているだろうが、もし起きていたら彼女はどんな顔をするのだろうか?
 尤も、そんな考え自体が自負し過ぎているのかもしれない。
 部屋を出る前に、もう一度彼女の元へと歩む。
 少し解れた彼女の髪が、目の上に掛かっていた。俺はそれを軽く寄せてやる。
「ん…すぅ…」
 軽く寝返りを打つ彼女。
 俺は自分でも気付かない内に、顔が綻んでいた。
 再びドアの前に歩みを戻すと、何度か頬を叩き、気合を入れなおす。
 そして、ドアを潜り、何時しか何かで知った方法を試す。
 少し背伸びをし、ドアの上の方へ、周りから分らない様に透明のセロテープを張って置く。こうすれば、間の抜けた連中なら、侵入時にテープを破るので分かり易い。
 尤も、侵入されたのが分るくらいで、その後の対処は彼女自身に委ねる事になるが…。
 兎も角、侵入される前には戻ってこないとならないだろう。一応、自作の警報装置も内側に設置してある。
 幸い、自分がゴソゴソとやっている時にはホテルマンも、他の客も辺りには居ない。
 内心胸を撫で下ろしつつ、ホテルを後にした。

 ホテルを出ると同時に、キャップを深く被り、それと無しに歩き始める。
 久しぶりに一人で歩く街並みは、新鮮な感じがすると同時に、何かしら物足りなさもあった。
 街行く人々…それこそ老人から若者まで様々…だが、ふと自分もついさっきまではこの人込みの中の一人に過ぎないと思ってしまう。
 そう、さっきまで。
 別と言えば別だが、それでも似たり寄ったりの日常を送っていた筈だ。日本の国家が何をしようと、米国の政府が何をしようと、何所かの企業が何か裏で色々とやっていたりしようと関係が無かった筈だ。
 精々何かを知っていたとしても、女グセの悪い部長がまたセクハラ紛いの事をしたとか、係長が自分の飲み代を領収書で賄っていただとか、その程度だろう。
 河崎重工とGE社が戦略武器を秘密裏に開発していたとしても、俺には関係の無い事だった筈だ。
 新宿で出会った時に全てが変った。
 あの時、仲間内に誘われて、そのままカラオケに行っていたらどうなっていただろう?
 やはり出会っていたのかもしれないし、あのままの生活がずっと続いていたかもしれない。もしかしたら、別のトラブルに巻き込まれていた可能性もある。
 だが、そんな事を今更考えた所で仕方が無い。今はこうなってしまっている。過去は過去だ。
 それで自分が全てを棄てた訳でも無い。
 仕事は無くなった、と言うよりは辞めるしかない。友人や親には迷惑を掛けられないので、連絡すら取る事が出来ない。家も無くなったし、家財も全部燃えた。
 それでも、この身は残っている。そして、今は守るべきものもある。
 案外、それで十分なのかもしれないな…。
 アレが欲しいだのコレが欲しいだの、ときめきが欲しいだのスリルが欲しいだの…色々あるだろうが、それは隣の芝生が青く見えるだけなのかもしれない。
 よくよく振り帰って見ると、今は今で良かったりもする。少なくとも、悪い事もあるにはあるだろうが、悪い事だけでは無い様だ。
 上手くバランスが取れているのか、上手くはぐらかされているのかは分らないが、そう思える。
「ま、何時までも続けてはいられない。こっちとしても早く終わらせたい所だ。」
 取引先や得意先の人間にアレコレ文句を言われながら仕事をするよりは、まだ納得もしやすければ遣り甲斐すら感じる事がある。
 もしかしたら、惰性を初めて抜けて、自分から選択肢を選んでいる様な気にさえなる。
 もっとも、命との引き換えの選択肢だが。
「…っと、やっぱりな。」
 普段であれば、一瞥するだけで気にも止めないものだが、今となってはその存在は確認するに足るものだ。
 目立たないが独特の色合いに塗られているジープと、その横に居る人物3名。勤務時間を終え、自宅や飲み屋に向かうサラリーマンの中、その人物達はまだ勤務中なのだろう。だが、それでも控え目な存在としてそこに居る。
 待ち行く人々は、遠慮がちに見るだけで、殆ど素通りだ。仮に、そのジープが装甲車だとしても同じだろう。日本人は特に、そういったものとは縁遠い。
 その迷彩服を着た、どう見ても自衛官達が何やら相談しながら、辺りを見渡している。半ば当てずっぽうだが、その手に握られている資料は、多分俺と柚希菜のものだろう。
 ホテルの窓から見た自衛隊のヘリが、辺りを捜索しているのに気付き、街に出てきて確認したのは損では無かった。
 俺は半ば業とらしく自分の存在を知らせると、その内の一人が俺と目が合った。
「…」
 彼が、俺に背中を向けている隣の自衛官の肩を叩き、軽く親指で俺の方を指す。
 これで決定だ。
 遂に連中は、自衛隊…多分、在日米軍も含めて動かし始めたのだろう。これで、日本と言う国家全て…とまでは断言しずらいが、それでも一部の連中が絡んでいる事には間違い無い。
 俺は彼等に背を向け、その雑踏の中に紛れ込んで行く。そして手にしたハーフミラーのサングラスを外し、その鏡面で後ろを確認してみる。
 案の定、二人が静かに追い掛けてきて、一人は何やら通信機に向かって喋っている。二人はあからさまに追い掛け様とはせずに、まるで尾行する様に付いて来た。
 丁度、俺とその二人の間に、警察官が横切って行った。自衛官と警官は軽く敬礼を交わしただけで、何の会話も無く、再び警官は何所かに消えた。
 これで、軍部が独立しているのが分った。少なくとも警官までは動かせない所を見ると、やはり国全体では無く、利権絡みで一部が動いているのだろう。
 彼らもそんなとばっちりを受けて、“任務”を遂行しているのだろう。理由も知らされずに。
 そうする事により報酬を貰える“仕事”としては哀れだな、と同情しつつも、こっちは命を掛けているのもあり必死だ。給料どころではなく命まで関わる問題となれば、流石に他人を気遣ってはいられない。一気に、野生の世界の法則に準じなければならないのだ。
 彼等の様に、俺には力が無い分、知恵を働かせないとならない。あと、地の利もだ。
 流石繁華街とだけあって、人通りは多い。彼らも目立っている分、派手な動きは出来ないだろう。
 俺は近くにあるデパートへと何気無く入り、買物客に混じって行く。彼等もそんな俺の行動を見て、一瞬たじろいたものの、すぐ様尾行を止めて応援を呼びにいったのだろう。多分、出入り口を全て監視するつもりだ。
 ここからはスピード勝負。
 俺は目立たない様に急ぎ足で、地下の食料品売り場を通り、誰にも分らない様に通用口に入った。運が良かったのか誰にも見付からずに、地上への出口、物品搬入口へ出る事が出来た。
 客の駐車場とは違い、そこそこ大きいもののやはり裏口。次の日の搬入を既に始めているのか、大型トラックから荷物が下ろされている。
「お疲れさまでしたぁ〜」
「お疲れさまです。」
 バイトか何かと勘違いしてくれたのだろう。警備員が軽い会釈で挨拶してくれる。その警備員もキョロキョロしていない所を見ると、自衛隊員はまだここまでは辿り付いてないのだろう。
 念の為、トラックの隙間から外を見やり、それが事実とわかると、俺は急ぎ足でその場を立ち去り、再び人込みの中に埋もれて行く。
 流石に、自衛隊と云えども、俺に発信機でも付けてない限り追い掛ける事は出来ない筈だ。
 どこまで通用するかは分らないが、素人なりに自分の気配を消し−消しているつもりで−ながら、ホテルへと急いで戻る。
 途中、やはり自衛隊員の姿を見掛けたが、俺には気付かなかった様だ。

 部屋へ戻ってくると同時に、取り敢えずドアをチェック。テープは破れていない。
 そのテープを慎重に剥がして、俺は部屋の中へと戻った。
 だが、一瞬後には驚きに包まれる。
 ベッドで寝ている筈の柚希菜の姿が無い。
「…柚希菜っ!?」
 思わず大声を上げて、辺りを見渡す。
 あと一瞬遅ければ、俺はベッドをひっくり返す所だったが、部屋の端っこに蹲っている彼女の姿を見付ける事が出来た。
「柚希菜…そこに居たのか…」
 俺は自分でも驚くくらいに大きな溜息を吐いた。
「秀明さん…ひどいよ…」
 驚いたのは私の方、と目で訴えている柚希菜。半ば涙目になり、俺の方を上目遣いをしながら睨み付けている。
 確かに一人にしたのは悪いとは思う。だが、やはり一人の方が行動し易い事もあるし…と心の中で言い訳をしながら、恐る恐る彼女の方へと歩いていく。
 そして、彼女の睨む目線から顔を逸らす事が出来ずに、俺は彼女の前にゆっくりとしゃがんだ。
「ゴメン。」
 結局、あれやこれや言い訳を言おうとしてたが、出て来た言葉は一言だけ。
 許してくれる意志表示とは違う様だが、彼女は少しだけ俯き俺のシャツの袖を、ギュっと握り締めてきた。
「怖かった…。」
 そして彼女も、小さくその一言を搾り出す様にして、俺の胸の中に顔を埋めてきた。
「暗い部屋で、一人は…もうイヤ…」
 “もう”…というその一言が、俺の中に罪悪感を生ませる。同時に、今迄彼女に何があったのか知らない自分に気付かされた。
 少なくとも、彼女の意識がある内で、研究所か何かの設備の中の、“暗い部屋”でずっと一人にされていた事があるのかもしれない。
 確かに、自分一人で確かめたい事があったが、彼女の事を少しおざなりに考えてしまった様だ。
「ごめん…。」
 俺はもう一度謝り、そして彼女の小さく震える肩をそっと抱きしめた。
「秀明さん…一緒に居るって約束してくれた…」
「ああ…そうだな…」
 そう。約束した。
 そして、彼女を守る。
 大それた事だろうと、無謀な事だろうと、“約束”はした。
 だから…
「ああ。約束、だもんな。」
 もう一度、彼女の背中に腕を回して、強く抱き締めた。
 結局、許してくれそうな言葉は貰えなかったが、彼女の震えは納まった。同時に、どうやら熱も引いたらしい。
「どうだ?もう大丈夫か?」
「はい。少しまだフラフラした感じがしますけど、もう大丈夫です。」
 出来れば、もう少しだけ。今晩くらいは休ませたかったが、状況がそうもいかない。
「そうか。じゃ、もうここからは出るぞ。」
「え?」
「囲まれ始めた。今度は自衛隊だ。」
 一瞬唖然として、そして次の瞬間には困った顔になり、
「はい」
 と一言だけ言って、そそくさと身支度を始めた。


 ホテルの地下駐車場。
 買い換えたばかりのバサディナレッドの三菱・エクリプス。FTOやGTOに比べれば大人し目ではあるが、それでもそこそこ目立つ車種ではある。
 だが、流石三菱の車と言った所だろう。俺は余り馴染めないFF車ではあるが、結構なスポーティさを持っている車だ。所謂スポーツカーの様にじゃじゃ馬では無く、素直にステアリングに反応して扱い易いものだ。
 その車を、暖気させる時間中に、ノートを携帯からネットに繋いで、今ある状況を把握する。
 柚希菜のサポートを得ながら、現在の包囲網をチェックし、既にもう所々に出来ている検問を抜けられる様なルートを検索した。
「北と東には進めませんね…」
「作為を感じるな…が、仕方無いか…」
 結局、柚希菜の計算に因らなくても、脱出ルートは一つだけしか無かった。
…半ば、強硬突破、か…
 今までも何度かはあったが、早速命を掛けなければいけない様だ。
「よし、行くぞ!」
 柚希菜がシートベルトを締めているのを確認してから、ギアを1速に入れる。
 アブナイ橋を渡るにしても、やはり安全第一だ。

「次の交差点を右折。150m先にある路地に左折して侵入…。」
 柚希菜のナビに云われるままステアリングを切って行く。逃げているのだが、すぐ後ろに敵サンが迫っている訳でも無いのでごく普通に車を走らせていく。
 それでも万が一、ステスル性のある車が隠れていれば、特に狭い路地を走っている時に見付かればアウトになってしまう。緊張は変わりない。
「もう直ぐ国道です。750mで高速に乗れます。」
 当然の事ながら、時間が経つにつれ包囲網は厳しくなっていくと同時に狭まってくる。ここまで辿り付くのも一苦労だ。
 あの独特の高速乗口である緑色の道路案内板が頭上を通り過ぎるると、一安心といった所で、少しだけ安堵の息が漏れる。
 今の所、高速にはそれらしき姿は現れてない。少し苦労するかもしれないが、今度はどこか錆びれた様な街を目指していこうと思う。最近は俺達を見付ける時間も早くなってきているから、また暫くは雲隠れしないとならないだろう。
 確かにネット上で、少々暴れ過ぎたのだろう。自分らしくないとは思いつつも、焦っていたのかもしれない。
「秀明さん、ハイウェイカー…」
「さんきゅ」
 柚希菜が日除けに差していたハイウェイカードを取って、俺に手渡ししてくれたが、言い掛けたまま後ろを凝視していた。
 何事かと聞こうとしたが、すぐに料金ゲートに進入出来たので、俺はそのままカードを受け取り、料金所のおっちゃんに渡す。
「はい、ありがとうございます。」
 事務的にそれを処理し、再びカードを俺に戻すおっちゃんに軽く会釈をしながら、再び正面へと車を走らせる。
 横目で彼女を見ると、まだ後ろを気にしていた。
「どうした?」
 やっと彼女に確認する。
「秀明さん…失敗しました。」
「へ?」
「私達、囲まれちゃいました。」
 バツの悪そうな顔をして、おまけに小さく舌までだして「てへへ」と笑っている柚希菜。
 何かをツッコもうと思ったが、背後で結構大きく「ガシャン」と言う音が聞こえてきたので出来なかった。
 前方に障害物が無い事を確認しつつ、徐行しながら後ろを振り返ってみる。音の原因はどうやら、料金所のゲートが一斉に閉る音らしい。後ろからは一般車両は走ってこなかった。
 その代りなのか、どうも不自然だと感じていた、端の方に止められていた巨大なトレーラー数台の影から見なれぬシルエットの車らしきものが追い掛けてくる。
「しまった…って事か。」
 再び前を見てアクセルを踏み込んで行く。進入路から、本線へとスムーズに車を流して行く。
 楽に進入出来たのは、本線にも一般車両が無かった為だ。見るからにガラガラの状態。
 そして、暫く走っていくと頭上を通り過ぎていく、電光掲示板にはこうあった。
“ガソリンタンク車の事故の為、全面通行止め”
 つまりこういう事になる。
「最初から追い込む為だったんですね。やられちゃいました。」
 代って柚希菜が声にして答えてくれた。
「…そーゆー事だな…」
 大きな溜息が漏れる。
 確かにこういう状況になってしまったからもあるが、やっぱり柚希菜は切羽詰った状況になっても、相変わらずのほほんとした顔をしている。さっきのホテルでの緊張感は何所へ行ったんだろう?
 また暫く走っていると、似た様な電光掲示板が、何も表示されていなかったのに、俺達が通り過ぎるのを見越したかの様に“緊急整備の為、通行止め”の表示に変わった。
「連中。とうとう本腰入れて来やがったって事だな。」
 今度の相手はSSや非合法な探偵ばかりでなく、ホンモノの自衛隊だ。一部ではあるだろうが戦いに関してはプロだろう。
 対して俺達は、銃が一丁あるだけ。しかも車は三菱エクリプス。高速で追い掛けっこをするのが分っていれば、多少無理してでも、トムス・スープラくらい買っておけばよかったと後悔。
 ふとバックミラーを確認すると、先程から追い掛けてくる謎の車の数が数台多くなっている。シルエットから見ると、少し潰れた装甲車らしきもの。
「あれは?」
 俺はバックミラーを顎でしゃくって柚希菜に聞いてみる。
「多分…新型の装甲車です。タイプLCMA-2012型、完全な自動制御の装甲車です。OSには、私の元にもなっている判別・判断処理式人工知能が組み込まれている筈ですよ。」
「成る程。どこぞの新商品って訳か。」
「はい。あれもGE社と河崎重工の…まだテスト版でしょうが製品です。」
「実地試験の相手が俺達って事かい…一般人を巻き込むなっつーの!」
 迫ってくる装甲車5台を引き剥がすかの様に、一気にアクセルを踏み込む。タコメーターが一気に拭き上がり、スピードメータの針の振れも加速させた。
ゴンッ!
 同時に鈍い振動と音が響き渡る。
「な、何だ!?」
「た、多分…砲撃です。」
 流石に、笑っていた柚希菜の顔も苦笑にまでなっている。心無しか、冷や汗を掻いている様にも見えた。
「音からすると…スタン弾でしょう…が、車を破壊するには十分な威力があります。」
…つまり、実弾とそう変らないって事だな。
 そんなに余裕も無くなってきた俺は、心の中でツッコムのが精一杯だ。
 こうなったら、スピードで逃げ切りながらも、相手の砲弾を避けながら運転しないとならない。
 サイドミラーに2・3回、閃光が走る。再びの砲撃だ。
 流石に砲弾まで見る事は出来ないので、闇雲ながらに車を蛇行させる。危うくバランスを失いそうになりながらも、何とか体勢を戻した。
 そのお陰か、2弾は外れ、もう1弾はギリギリを掠めていった。
 慣れないFF車だけに苦労する。それでも前の車であったら、こうも機敏には動いてくれなかっただろう。多少の不満はあるものの、車は変えておいてよかったとつくづく思う。
 もう一度アクセルを踏み直し、出来れば射程距離から一刻も早く逃れたかった。
 だが、バックミラーのシルエットは一向に小さくならない。
「普通、装甲車の方が鈍重じゃないのか?」
「いいえ。あの車種は、市街戦での機動性重視タイプですから、2500ccクラスの一般車両と十分勝負出来るスペックになっています。」
「こっちがターボ車でも?」
「向こうも、ターボ、積んでます。」
 確かに世の中、様々なものが開発されてどんどんと便利にはなってきている。その恩恵に与って、俺達もここまで逃げて来れた。
 だが、何故に相手にもそんな恩恵を恵む必要があるのだ?
 理不尽過ぎる。
 いや、平等なのか?
「ダメです、秀明さん。インターチェンジも閉鎖されてます。」
 10数秒後に通り過ぎたインターチェンジにも、似た様なシルエットの装甲車が、隙の無いバリゲートと作って封鎖していた。
 それでも走るしかない。
 この先には、ここで捕まるか、追い込まれるかの、どちらかしか選択肢が無かったとしてもだ。
「私、秀明さんと一緒なら…何があっても大丈夫です。」
 シフトノブに置かれていた俺の手の上に、柚希菜が力強く手を乗せてきた。
「…」
 俺は小さく頷き、ギアをもう一つ上げ、タコメーターを更に引き上げた。








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