憎しみと怒りは人の心を軽やかにする。

それを知ったのは10才の時だ。

恐れや悲しみ、惨めさに喰い潰された自分を蘇らせてここまで生き長らえさせたのは、紛れもなく敵に対する単純な怒りだった。

見つけたら殺す。ただ、それだけ。

その為に必要なありとあらゆる物を学び、それを自分の身体で表現する。

単純に速く走るとか、匍匐前進から素早く起きるとか、接近格闘において1対3で囲まれた時にいかにして抜け出すか、等々。

そう、語弊はあるかもしれないが、僕達にとってそれらは任務を実行する為の手段と言うよりも、むしろ表現に近かったのだ。

待ち伏せも挟撃も強襲も狙撃も単純な殺戮も効果的な拷問も、全て僕達にとっては舞台の上で舞うように自然な義務で、狩人が鹿を撃ち詩人が詩を綴り子供が虫を殺し父親が子供を殴るように、どんな言葉より早く正確に自分を表現できる格好の媒体だった。

 

だから倒すべき敵がいなくなると、あっけなく存在価値が下落する。

 

戦う必要の無くなった僕達は聞いた事もない「組織」の手に引き取られ、ドイツの山深くに建つ収容所に押し込められた。

収容所では毎日「一般矯正」を繰り返し、週に1回狙撃手の監視付きで連れ出される散歩を除いては、下界の情報すら手に入らなかった。

だが、僕達にはそれで十分だった。

生まれて始めて見た雪。

銃声のない、白銀に包まれた世界。

明らかに今までの世界とは異なる場所。

それまで身の回りに武器がないと落ち着かないという習性に首まで浸かっていた僕達は、初めて平和な世界の価値観を学んだ。

そして今まで武器や戦闘で埋め合わせていた隙間を埋める為に、その代わりになる物を懸命に探した。

ある者は絵描きに執心し、ある者はただひたすら身体を動かしていた。出来もしないのに演劇をやろうとした連中もいた。

その過程で、僕は奇妙な物を見つけた。

 

「…この銃、やけに軽いんですけど」

「まあ、プラスチックだしね」

「これで何するんですか?」

「撃つのよ、画面の中の人間を」

 

妙に軽くてブローバックもなく、ワイヤーに繋げられた銃で、不自然に動きのトロい人間を撃つ。

5分で飽きて、「組織」から派遣された女に再び尋ねた。

 

「何の為に、こんな物があるんですか?」

 

女はまじまじと僕を見つめて、不意に目を逸らすと流暢なドイツ語で言った。

 

「そうね、あなた達から見れば本当に下らない代物でしょうね…」

 

 

 

 

 

 

 

 

その女のつけていた香水の匂いが、ラベンダーという花の香りだと知ったのは随分と後の事だった。

 

 

 


 

2015 tokyo-3

―― the dark children ――

mission 1 「dandelion seed」#1

 


 

 

牧野がその振り子時計を見つけたのは町外れのゴミ捨て場だった。

恐らくはどこかの旅館か旧家にでも置いてあったのだろう。総漆塗りの木製で、野ざらしで捨てられていたにもかかわらず文字盤と振り子のガラス張りも生きている。立ててみると高さは彼の背丈よりも大きい。

裏側には読みにくい文字で「寄贈」と書いてあったが、その下に続く文はかすれて全く読めなかった。

それでも中を見る限りは針も機構も生きていて、試しに外れていた振り子を吊してみると、弱々しく息を吹き返して時を刻み始めた。

彼はしばらくそれを眺めてから、もう1回ゴミ捨て場に行ってロープを拾ってきた。

そうして時計を自転車の後部にくくりつけ、そのまま乗り込んで真新しい舗装道路を下り始める。

始めはゆっくりと、そして周りに車も人もない事を確認してから次第にペースを上げていく。

横に倒して載せた時計が重量のバランスを崩していたが、脚力に物をいわせてスピードを上げる内に、それも些細なものとなる。

速度に比例して、湖から吹く風が徐々に鋭さを増していく。

いいかげん40キロは出ている筈だった。もうトップギアでもペダルの反発力を感じない。あとは傾斜に任せて落ちていくだけになる。

傾斜の変わり目でも速度を緩めず、そのままジャンプする。

牧野のかなり乱暴な運転に耐えているこの自転車も、元はビルの谷間に置き去りにされていたゴミだった。

ブレーキもチェーンも壊れていない、ただサドルが外れているだけで見捨てられていた物を友人に直して貰って使っていた。

拾ったと言っても別に価値のある代物でもない。変速は3段で、しかもママチャリだから前と後ろにそれぞれ籠と荷物台がついている。

自転車が欲しければ買うこともできるし、何より既にバイクを持っていたので初めから自転車を使う必然性もなかった。

彼はこの国に来るまで「自転車」という物を使った事がなかったのだ。

だから拾った理由も単なる好奇心でしかない。

 

「あなたもよくよく暇なのね。こんな物に乗りたいだなんて」

 

友人は呆れながらも新しい部品を用意してくれた。

錆が落ちてサドルも填まった自転車は、その部品ごとに経過した時間もちぐはぐで、修理品独特の中途半端な物新しさを秘めていた。

乗ってみると、意外と使い勝手の良い乗り物なのが分かった。

何より自分の運動量に合わせて変化する速度と、身体に受ける風が気持ちいい。

バイクのように風を切り裂くのではなく、自分が風と一体になったような、そんな快感があった。

だから個人的に遠出をする際にはなるべく自転車を使う。

身体を動かす為にも丁度良かったし、その気になれば車と同じくらいの速さは出せるから不便さも感じなかった。

 

もっとも、河本に言わせると彼の乗り方は危険極まりないらしかった。

 

「また、自転車か」

 

話しながらも河本の目は新聞を追っていて、彼の方は見ようともしない。

この街の旧市街にある、誰も寄りつかないレコード屋。

一週間前までは空家だったテナントを内装抜きの突貫工事と河本の趣味とで何とか形にしたものだが、偽装にしては明らかに目立ちすぎる感もあった。

商品や棚は辛うじて揃えたものの、店内は駄菓子屋と見紛うばかりに古臭いままで、その上皺の入った開襟シャツに身を包んだ河本も40過ぎの店主という設定としては絶好のみすぼらしさを漂わせていて、あまりに店の雰囲気に合い過ぎていた。

カウンターに扇風機を置いて回してみると、もう店と言うよりは博物館の展示室のようだった。

 

「言われた通り、市街ではスピードを緩めたよ。心配ないだろ」

「この暑いのに、そんな物を自転車に載せて運びながら汗一つかかないガキが目立たないと言うのか」

 

ちらりと大時計を一瞥して、また新聞に目を落とす。

 

「しかも横に寝かして持って来ただろう。この国では交通の邪魔になる物が一番目立つと言ったはずだ」

「逆に自分の邪魔にならなければ、どんなに派手な物でも視界に入らない…だろ?」

「分かっているなら気を付けろ」

 

牧野は空になっている湯飲みに茶を注いでカウンターに置いた。

河本は礼も言わずに受け取って一口飲んでみる。

 

「ぬるいな」

「アンタの沸かした湯だ。温度まで知った事か」

「で、この時計を俺にどうしろというんだ?」

「この場所に合うと思って持って来ただけだ。いらないなら捨ててくる」

 

そう言いながらも、既に牧野は時計の針を動かして時間を合わせ始めていた。

自分の腕時計を見ると、針はもうすぐ真上を指して重なろうとしていた。

 

「俺が頼んだのは蓄音機だったろ?一応ここはレコード屋なんだぞ」

CD屋だろ」

「品数はレコードの方が多いんだ」

「それじゃ、客来ないじゃないか」

「その方が都合はいいだろう」

 

針が重なったタイミングに合わせて、振り子を振らせる。

思った通り駆動部分に問題はないらしく、振り子は何の支障もなく緩慢な往復運動を始めた。

 

「せめて、客が来たら応対くらいはまともにやれよな」

「馬鹿言うな、気に食わん客は追い払うまでだ」

「…ちょっと待てよ、話が違わないか」

「何の話だ」

「この店は偽装するためのギミックだろう。何のつもりでそんな目立つような真似をするんだ」

「何、誰も気にしやしないさ」

「冗談言うな、大体今時MDもSDATも無い店がどこにある。目立つな、と言ったのはアンタだろうが。我が儘に付き合って突貫工事した意味がないだろ」

「少し変わっている方が却って目立たないんだ。この国ならどこの街にもそんな場所はある。これでも空気に合わせたつもりだ」

 

時計の蓋を閉めると、牧野は振り返って河本の顔を凝視して言った。

 

「しくじって寝首かかれるのはアンタだけじゃないんだぞ」

 

河本は一瞬だけ重なった視線を新聞で隠して、ただ肩をすくめるだけだった。

牧野が視線を隔てた新聞をむしり取り、詰め寄る。

仮に、そのまま牧野がカウンターを挟んで掴みかかって来たとしても、河本は全く抵抗するつもりは無かった。

どうせ今となっては、素手の格闘でも牧野に勝てないのは分かっていた。

 

「俺達にはアンタの勝手に巻き込まれる筋合いは無い。ふざけるのも大概にしてもらおうか」

「それは俺も同じだ。誰だって望んで死にたいとは思わんさ」

「じゃあ、いっそここで死ぬか。死人は少ない方が楽だからな」

「まあ、待て。お前の言う事は正しい…だが、最初に全員で決めた筈じゃないのか?」

「…何を?」

「これからは、皆自分の好きなように生きる。好きな事しながら生き残る。その為にこの街まで来たんだ。違うか」

 

牧野の目から発せられていた明確な殺意が、少しずつ緩んでいく。

 

「だから俺はそうさせて貰っているだけだ。皆に極端な迷惑を掛けない範囲でな」

今度は逆に河本が視線を合わせた。「お前はそうじゃないのか?」

 

牧野は破れた新聞紙を丸めて屑籠に捨て、鼻を鳴らして時計の所に戻った。

 

それで話は終わりだった。

 

「蓄音機はどうした」

「…探したけど無かった」

「まあ、当たり前だな」

「なんだよそれ、無いのが分かっていて行かせたってか…」

「年長者の特権って奴だ」

「自分で言うなよ」

 

牧野は動き始めた振り子時計を、レコード棚の隣に立てかけてみる。

 

「なかなか似合うだろ。いかにも地元の人間らしくて」

「こんなボロ部屋にそれじゃ立派すぎるな」

「なに、置いとけば慣れるさ。そのうち」

「よく言うな。持って帰るのが面倒くさいだけだろう」

「人の思いやりくらい素直に受け取れよな」

 

一度は壁に掛けた大時計を苦もなく片手で持ち上げ、小脇に抱える。

素振りだけなら鞄を抱えるのと同じ動作だが、時計はゆうに30kgは下らない巨大なものだった。

 

「ホントにいらないなら、このまま持って帰る」

「…まあ、いい。とりあえず置いておけ」河本は面白くもないように言い放って茶を啜るだけだった。

「そんな物担いで出歩かれたら、目立って仕方がないからな」

「毎朝後ろのゼンマイを巻かないと狂うぞ」心なしか牧野の口元には笑みが覗いていた。

「言われんでも分かっている」

「じゃ、そういう事で」

 

そう言って牧野が外に出ようとした拍子に、カウンター上の電話が鳴った。

これは河本が自分で拾ってきたらしい、信号形式すら知れない怪しげな黒塗りのダイヤル式電話だった。

彼は受話器を取るとそのまま相手の話だけを聞き始めた。

向こうは一方的に話をしているだけで、微かに声が外に漏れてくる。

牧野にも会話の相手は大体見当がついていたので、そのまま店内に留まった。

 

「了解した」

 

河本は最後にそれだけ告げて電話を切った。それから残った茶を一気に飲んで立ち上がり、店の入り口に「準備中」の札を掛けた。

 

「契約成立だ。お前は連中に知らせとけ」

「全て、予定通りという事で?」

「そうだ」

牧野はほんの少しだけ頭を下げた。「じゃ、マネージメントの方、よろしくお願いします」

「今回はあくまで制圧のみだ。我々には情報収集と物資調達しかできんからな」

「いつだってそうでしょう」

 

言い捨てて、牧野は入り口ではなく、店の奥へと歩いていった。

土足のままで六畳部屋に上がって押入を開けると、そこに潜り込んで戸を中から閉める。

 

そしてそれきり出てこなかった。

 

後に残った河本は六畳部屋に寝そべり、テレビをつけてワイドショーを見始めた。

振り子時計の鐘が3分程遅れて昼を告げ、彼は煎餅をかじって昼飯の代わりにする。

その光景だけなら、誰が見ても寂れたレコード屋の店長のありふれた平日にしか見えなかった。

 

「まあ、どうせまだ誰も見ていないんだろうけどな」

 

河本はご丁寧に欠伸をして、その上目やにを取る仕草までして見せた。

 

 

 


 

 

同日、契約成立より3時間後

 

地下は喧噪に包まれていた。

ただでさえ狭い空間なのに、大量の弾薬や兵器を運搬する為にカートやゴンドラ、エレベーターをフル稼働させたのだから、隔離された室内でなければ他人と声をやりとりする余地さえない。

予定ではとっくに施されているはずの施設全体の防音措置も遅れていたので尚更だった。

これだけの騒音なら、もしその気になれば地上からでも地下施設の構造を解析できるのかもしれないが、今の所は敵はおろか、ネルフ関係者にさえ、ここの存在自体を知られていない筈である。それが辛うじて救いになっていた。

それでも、ジオフロント側では何らかの探知はしているだろう。ニキータにはそれが不安でならなかったが、今更偽装工作などできる訳もなかった。

どうせ騒がしくやるなら、せめて手早く行きたいと願うばかりだが、彼女の足の下を通って行くトランスポーターは、そんな思いとは裏腹に常に安全運転を遵守して走行していた。運搬物も重量がある分、低速で走らなければならないのだろう。当然、それだけ音も大きい。

ニキータは溜息をついて本来の仕事に戻った。

彼女の目の前にある画面には多層建築物の横断図が写っている。青焼きの図面を取り込んでデータ化したものらしく、お世辞にも見やすい代物とは言えなかった。だが、それでも何もないよりはいい。要はそれを使えるレベルにまで昇華すればいいのだ。

 

「一次搬入はあと2時間だってさ」ジャックが扉を開けて入ってきた。

「それまでに『地取り』終わらせろって言ってるけど、上手くいきそうか?」

「そんな簡単にできると思う?足並みならこっちでどうにか揃えるから、アルには適当に言っておいてよ」

「奴を言いくるめるくらいなら、適当に図面仕上げて誤魔化した方が楽なんじゃないのか」

「ダメよ。作戦内容は単純だけど、こちらが動く前に見つかったらそれで終わりだもの」

「相手があの連中なら、見つかっても臨機応変で何とでもできるだろ」

「それもダメ。今回は『殺し』無しって事になっているから」

「へ?おいおいおい、じゃ俺達は一体何しに行くんだよ」

「相変わらず情報に無関心なのね。無血開城ってやつよ」

「…なるほどね。趣味が悪いや」

「その後のイベントよりはマシよ」

 

ジャックはオーバーに両手を広げて「お手上げ」のジェスチャーをして見せた。

人間性はともかく、それだけは確かに良くできているジャックの顔にはあまり似つかわしくない大袈裟な仕草だったが、当人はそれで格好良いつもりでいるらしい。

しかも、彼女には信じられない話だったが、行きずりの女相手なら結構釣り上げる成功率は高いらしかった。

 

「文句言う暇があったら手伝ってくれないかしら?あなたもこの仕事の担当だからここにいるんでしょう」

「冗談、俺にそんな真似できないもの。マインスイーパーでもやってた方がマシさ。皆の為にもね」

「全く、どこからそんな科白が出てくるんだか」

「ライトスタッフだよ、適材適所。俺は俺で特技を披露しますから」

「サボるのが特技扱いとはまた悠長な話ね」

 

そうしてジャックはニキータの隣に座って、野次馬を決め込んだ。

画面に反射した彼の顔は笑ってこそいるが、その目はじっと図面を睨んでいる。

やる気はないにせよ、図面自体にはかなり興味がありそうなのは明らかだった。

 

「見ないでよ、気が散るから」

「つれないなぁ」

 

再び彼らのいる解析室の下をトランスポーターが走っていく。

今度は一度に数台が通っているらしく、床が震えるほどの轟音が辺りを満たした。

思わず下を覗き込んだニキータの目に、長い間見る事の無かったシルエットが飛び込んできた。

 

保護シートに包まれた本体はその外形を見ただけでも正体が分かる。

恐らくこの国では、ここを除いて使用している組織も人間もありはしないだろう。

その数は丁度10体。

3年前と同じ数だった。

解析室の前を通り過ぎた巨大車両の群は、すぐに角を曲がって彼女の視界から消えた。

 

「今回は使えるの?あれ」

「そりゃそうさ。そうじゃなきゃ俺もタカシも役立たずだ。君と違って」

「あら、タカシとあなたを一緒にするのはちょっと早すぎるんじゃない?」

「そうかな」

「タカシは別格よ」

「やけに気にするんだな」

一瞬だけ振り返ってジャックの顔を見ると、ニキータは軽く首を振って言った。「違うわ、彼は化け物よ」

 

言葉の往復が途切れ、ジャックは画面の中にニキータの表情を探した。

誤魔化すようにニキータは手元の資料を捲り始め、ジャックには流れるような彼女の金髪しか見えなかった。

 

「…それって、あいつに嫉妬しているのか?」

「さあね。そうだとしても、あなたになんか言わないわ」

「そいつはどうも」

 

見計らったようなタイミングで誰かが扉をノックした。二人はそれだけで外にいる人物を察して、起立の姿勢をとった。

 

「失礼、取込中だったかな」

 

扉が開き、外の乱暴な機械音と共に中年の男が入ってきた。

男は彼らと同じく、常夏のこの国では珍しい全身を包み込む黒い服を着ていたが、体格は桁違いに大きく、背も40cmは高かった。

もっとも、これは彼らの体格の方が異常に小さいだけの話だった。

ジャックはまだ背だけなら男と並ぶが、ニキータに至ってはこの国の中学生ほどの身長しかなかった。

 

「いえ、隊長こそわざわざこんな所まで」

「いやなに、初めてきた時にはさすがに驚いたがね。居着けば静かでなかなかいい場所じゃないか」

銀髪の頭を掻きながら周りを見渡して付け加える。「今はこの有様だがね」

「この深度なら核やN2程度なら十分にやり過ごせますね」

「ふむ、だがそれは向こうも同じだぞ」

 

男は画面の前まで来ると、適当にクリックして全体図や俯瞰図を見始めた。

 

「解析にはもうしばらくかかりますが、大体の概要は掴めています」

「使えそうなポイントさえ押さえればいい。見つかったか?」

「はい…と言うより、はっきり言ってかなりずさんな防衛体制です。その気になれば2、3名でも制圧は可能です」

「そこまで言い切れるのか」

「タカシとレオナ、それに私でなら」

「それはいかん。今回はあくまで我々全体の実力で実行せねばならん。またそうでなければ意味がない」

「どうでもいいんですけどね、1人も殺さないで制圧なんて調子よすぎませんか?」

 

ジャックの声には遠慮と言うべき要素が無かった。

 

「まあ、それはそうだ。だがそういうややこしい手筈を決める作業は向いている人間がやればいい。お前はいつも通りだ。心配するな」

「…了解」露骨に嫌悪の満ちた返事だった。

「ジャック、あなたそんなに人を殺したいの?」

「別に、ただ魂胆が気にくわないだけさ。こちらの安全を考えるなら、そんな馬鹿な話ありゃしないだろ」

「何、腑に落ちんのは皆同じだ。やるだけやって、後で考えるしかない。いつもそう言っていたのはお前じゃないか、ベルファスト」

「…信用、できるんですか」

「ちょっと、いい加減にしなさいよ」ニキータは眉をひそめ始めた。

「駄目なら私も死ぬだけだ。その限りでは、責任を持って状況を把握しているつもりだ」そう言って男は真っ直ぐにジャックの目を見つめた。

「少なくとも、君達が私より先に死ぬ事はない。それだけは保証する…それで良いかね」

 

結局、折れたのはジャックの方だった。

 

「…分かりましたよ、俺は自分でやれる事をやります。何かあったら隊長とタカシで考えてください。今まで通りに」

「すまんな」

「いえ、俺の方が言い過ぎました」

「シャフチェンコ、構造解析が済んだらポイントをピックアップしてマキノ隊長の所に持っていってくれ」

「はい。隊長、それと…」

 

男は首を振ってニキータの言葉を遮った。

 

「『隊長』はよしてくれ。私はもう君達と同じ立場なんだから。タカシも困っているだろう」

「…じゃ、何と呼べば良いんですか?」

「バウアーでいい。隊長としての相談はタカシにするんだ。いいな」

 

バウアーは入ってきた時と同じように、騒音に紛れて音もなく部屋を出ていった。

音と言うよりも気配そのものが感じられなかった。

 

「…変わったよなぁ、大佐も」

「しょうがないでしょ。あれだけの事があって変わりそうもないのはアンタくらいじゃないの?」

 

その言葉に振り向いたジャックの顔は、何故か悪戯っぽく笑っていた。

 

「…な、『フランツ』って呼んだらぶん殴られるかな?」

「やってみたら?」

 

子供は良い。反抗して丸め込まれても傷つかないから。

ニキータは心の中で2度目の溜息をついた。

 

 

 


 

 

一週間後、AM0:00

第三新東京市ジオフロント第十層・エリアδ−6s

人型決戦兵器用地上射出エレベーター網・旧強羅第七ライン(廃棄済)

 

 

「総員、注目」

「へーい」

「はいよ」

「おう」

「現在、我々は地下約650mに位置している。これより行う作戦は、本来なら空中より空挺降下するのが最も有効なものだが…」

「おーい、今更作戦の復習なんていらねぇよ」

「大体、なんでお前がトップ張ってるわけ?」

「…」

「バウアー隊長、指揮取って下さいよ」

「今の私はただのDFだ。ステファンの指揮に従え」

「あ…なるほどね」

「そういう事ですか」

「ベルファスト、皆に伝えなかったのか?」

「すいません、忘れてましたです」

「タカシとかニッキは?」

「今日は別行動だ」

「了解。じゃ、指揮してよ分隊長殿」

「俺達を殺してくれるなよ、隊長殿」

「…我々は『鳳』からの連絡を待って作戦を開始する」

「オオトリって…アレかぁ」

「あれは乗ってんのレオナじゃなかったか?大丈夫なのかよ」

「グラーフも乗っている。心配するな」

「作戦会議には間に合わなかったから、あっちは指令書だけでのぶっつけ本番だろ?」

「た…いや、バウアー、各部署からの連絡はどうか」

 

からかい混じりのどよめきが皆の口から漏れた。

 

「『アルカ』、『ベック』、『クリオ』は感度良好。状況も確認済みだ」

「やっぱり残りは『ディエゴ』か」

「来なかったらどうするよ、隊長殿」

「その時は、我々だけで作戦を開始する」

「じゃ、今は待っているだけか」

「そうだ」

「隊長、クーラーつけていいか?暑くてやってられないよ」

「駄目だ。電力消費は最小に抑える。この作戦次第では二度と燃料は手に入らないんだぞ」

「ったく…あのクソアマ、早く来いよな…」

 

*      *

 

AM2:00  第三新東京市ジオフロント

ネルフ第一司令室

 

「あれからシンジ君の様子、どう?」

「ああ、何とかね。やっと家族っぽくなったかなって感じ?」

「お互い干渉するのも程々にやっていくしかないわね」

「分かってるわよ」ミサトは天を仰いで呟いた。

「これで何事もなくアスカを連れて来られれば完璧だけどね」

ATフィールドを完備した汎用人型兵器が3機。これから風当たりも強くなるわ」

「ま、そこら辺は碇司令や広報の仕事よ。私達には関係ないでしょ」

「そう上手くいくかしら」

「あら、何かヤバい裏話でもあるの?」

「別に…でも、広報のごまかしや通り一遍の政治工作だけで片づく話だけとは限らないわよ」

 

ミサトはリツコの言葉の真意を量りかねた。

確かに、言っている内容は事実だし、考慮するべき問題ではあったが、この場で突き詰めた所でどうなる事でもなかった。

普段なら、そういう不毛な話題を「無意味な議論」として一蹴するのは、むしろリツコの方である。

 

「どういう風の吹き回し?」

「何か変な事言ったかしら」

「別に。ただリツコがそんなハッキリしない話をするのは珍しいかな、なんて思っただけ」

「…今度、日本政府の主導で作った対使徒用無人兵器のお披露目があるでしょ」

「税金無駄使いしてデッチ上げた、例の鉄クズの事?」

「少なくとも、向こうはそう思っていないわ。晴れて実験に成功したら、本気でエヴァに取って代わる気でいるらしいわよ」

「あんなの、政府が死にかけの重工業界に金つぎ込む為の口実じゃない。バカにしてるわよ」

「例え実態が鉄クズでも、それが立ち上がるという事は、後押しする勢力が相当多いって事よ」

「クズさ加減に比例して、きな臭さが増すって事か…コーヒー、貰うわよ」

 

冷めているわよ、という声を無視して、廃液同然の黒ずんだ液体を一気に飲み干す。

いつものリツコが言う所の「不毛な会話」が、ミサトにとっては正しく不毛な言葉遊びに感じられ、頭の中を彷徨っている眠気も相まって、今や我慢の限界点を越える寸前だった。

会話を切るためのきっかけになるなら、正直何でも良かったのだ。

 

「どうせ分からず屋が多いのは今に始まった話じゃないわよ。全く、何だと思っているのかしら。私達の仕事を」

「自分の手で地球を滅ぼしたい、と思っている人間だって大勢いるのよ。私欲の為に私達の邪魔するくらい、何て事ないわ」

「…死にたければ自分だけで死ねばいいのよ」

 

リツコは返事をせずにチェック用のシートに目を落とした。

この時間帯には碇、冬月両司令は常駐していないので、基本的に司令室の空気は和んだものになっている。

時々、下層から露骨な私語や笑い声も聞こえてくるが、一々咎めるのも馬鹿らしいので二人共放っておいている。

使徒さえ来なければ、ここに脅威は訪れない。

それが職員全員の思いだった。

 

「赤城先輩」

「どうしたの、マヤ」

「これ、昨日の環境観測値なんですけど…」

「規定値とのズレは誤差範囲内ね」

「いえ、大気環境は正常なんですが、地盤に微弱な振動が発生しているんです」

「振動?」

「はい。気象庁からは地震の報告は来ていません」

「場所は?」話を聞いていたミサトが割り込んできた。

「強羅防衛線の5km外側、旧エレベーター網第七ライン付近です」

「そこは去年の段階で閉鎖されている筈だわ」

「使徒との関連性は?」

MAGIの判断はまだ仰いでいませんが、その可能性は低いですね」日向が顔を上げて答えた。

「振動が観測できる程近いなら、パターンが先に観測される筈ですから」

「外部の組織からの作業申告等もありません」

「…要するに、明確な原因や根拠は見つからない、と考えていいのね?」

「はい。しかし今の所は微弱な反応なので、そう気にする必要も無いと思われますが…」

 

ミサトは言葉を最後まで聞かずに即決した。「すぐに調査隊を選抜して、現地の調査に向かいます」

 

「了解。非常勤の観測班を招集します」

「広報部に連絡して緊急放送を流して。危険度はCクラス、避難の可能性あり、で」

「それはまだ早すぎるんじゃない?」

「どうせ逃げるなら早いに越したことはないわ。司令と副司令にはリツコから連絡しといて」

「…分かったわ」

「念の為、レイを起こしておいて。シンジ君には私から連絡するわ」

 

ミサトは携帯の番号を押して、自宅の電話に繋いだ。1分程経ってからようやく受話器が上げられ、あくび混じりの声で彼の声が届いて来た。

「…これから乗るんですか?ミサトさん」

さすがにこういう時間帯に起こされる理由は察しているらしく、多くを聞いては来なかった。

「今から迎えをよこすから、すぐに準備して…」

 

「待って下さい!」日向の叫び声が裏返っていた。

「何?」

「軌道上の観測衛星から入電!東シナ海上空15000mに、正体不明の物体が出現しました!」

MAGIの判断は?」

「判定結果出ます…パターン青!使徒です!」

「第一次戦闘態勢!」

 

けたたましい警報音が響き渡り、各部署に職員が駆けつけてくる。

「初号機を出すわ。すぐに準備して!」携帯に叫んでスイッチを切った。

 

「市街を戦闘形態に移行させます。住民に最優先避難命令を発令」

「戦自と国連軍に緊急通告と共に対使徒援軍要請して」

「エヴァの起動準備を開始。可動待機領域まであと600秒」

「相手の動きはどう?」

「現在、マッハ1.5程度の速度で太平洋上からこちらに向かっています」

「映像は出る?」

「衛星の画像回線を開きます」

 

投影スクリーンに成層圏の映像が映し出される。

青い地球と漆黒の宇宙の境界に、白く細長い物体が浮いている。

使徒と言うよりは、何かの予言に従って落下する巨大な彗星にも思えた。

 

「大きい…」その場にいる全員が息を飲んだ。

「降下速度は?」

「毎秒、約5m。真っ直ぐこちらに落下する軌道に乗っています」

「到達予想時刻は03:06です」

「早すぎる…市民の避難を急いで!」

 

*      *

 

同時刻、旧強羅第七ライン。

 

何の前触れもなく、全員のインターコムから馬鹿でかい声が流れた。

この国に来て初めて見た「アニメ」のような、嘘臭い女の声だった。

 

「は〜い、みんなお待たせ〜!」

「うるせえぞ!耳元で大声出すな!」

「てめぇ、わざと送信設定変えているだろ」

「みんな静かにしろ!」

「うるせぇな、あのクソアマに言えよ!」

「やっと来やがったか…ギリギリだったな」

「ゴメンね〜こんなデカブツ飛ばすのも偽装するのも一苦労なのよ」

「クルーマン、そこにグラーフはいるか」

「あ、大佐だ大佐だ。相変わらずだよねぇ、私をホームネームで呼ぶ…」

 

回線が引ったくられ、代わりに男の低い声が届いてきた。

 

「こちら『ディエゴ』。現在、成層圏を巡航中。受信感度は良好だ」

「軍事法廷以来2年ぶりだな、ヨハン」

「フランツか。すまんな、マスカーの準備が遅れてしまったよ」

「まだ十分間に合う。それより、こちらの場所を感づかれているようだ」

「例の司令官かね」

「タカシが言っていただけの事はあるようだ」

「分かった。侮らずに手早く決めるとしよう。タイミングは予定通りでいいな?」

「細かい調整はそっちで頼む。通信終わる」

 

途切れる寸前にレオナの物らしい甲高い声が一瞬だけ届いた。

どうやら歌を歌っているようだった。それもソプラノの独唱だった。

 

「…まずいな、今日の『歌姫』はかなりご機嫌だぞ、あれは」

「どうか、俺達の上に落ちてきませんように…」

「大丈夫だろ。あいつはカクテル決めた時も余裕で飛んでいたからな」

「カクテルって…麻薬の方のか?」

「きっと人工の肝臓でもつけているんだろうよ」

「だからって、HIGH-MACSとあれは別物だろ…」

「ステファン!」バウアーの叱咤が飛ぶ。

「え、あ、はい。総員、これより作戦を開始する!」

「よっし、クーラーが使えるぜ」

「くれぐれも言っておくが、戦闘は可能な限り最小限に抑える事。スピードを生かして搬入口まで行くんだ」

「どうしてもヤバい場合は?」

「無人兵器なら撃っても構わないが、できるだけ回避しろ」

「了解」

「よし、全員もう質問はないな?」

 

バウアーの一言でピタリと私語が止んだ。

地上の喧噪もここからは遙かに遠く、周囲の空間は絶対の静寂に支配されていた。

今になって、彼らは自分達がこの静寂を恐れていた事にようやく気づいた。

これに比べれば今から始まるであろう戦火など、どうというほどもなかった。

 

「ステファン隊長」

「…はい」

「『アルカ』から『ディエゴ』まで状況確認した。全て予定通りだ」

「了解。各機、射出位置につけ」

 

もう誰もへらず口を叩く者はいなかった。

 

「主電源回復、射出準備!」

 

アルフレッドの声が初めて機体の外に響き、一斉に縦坑内の照明が点灯する。

回転灯や警告灯だけでなく、なぜか非常灯までもが息を吹き返し、けたたましい警報と共に新たな主人達を迎え入れる。

照明や電磁ロック機構と異なり、ジオフロントの主電源系に接続されている射出用エレベーターに灯を入れると、ネルフ本部内のMAGIにこちらの存在を知らせてしまう事になる。

必要最低限の電力以外は、ギリギリまで使用を控えていたが故に、この坑は、正しく今この瞬間まで眠ったままだったのだ。

 

「…全機、エンジン点火。アイドリング開始!」

 

ガスタービンエンジンのヒステリックな悲鳴が縦坑に響き渡る。

長い事遠ざかっていた高揚感が、彼らの心臓を鷲掴みにした。

 

「何だか…ANTHEMが欲しい気分だな」

「鼻歌でも歌ってろよ」

 

*      *

 

AM2:20  ネルフ第一司令室

 

依然、『使徒』は降下速度を不規則に変化させながら、地表に迫っている。

目で見る限り、体積はゆうに大型のタンカーを上回る程はあった。

球形の『使徒』が落下しつつ尾を引いているだけなのか、それとも気体の尾の中にも身体の一部があるのか、それは映像からでは判断できなかったが、落下のエネルギーは相当な物になる事は誰の目にも明らかだった。

 

「これがそのまま落ちてきたら、ただでは済まないわよね」

「比重が不明なので断定はできませんが、直撃した場合には少なくとも地上の市街は全滅します」

「しかし、これだけ巨大な物体が隕石のように外から来たのなら、とっくに観測されている筈です」

「まさか、空間転移能力?」

「その可能性もあり得ます」

「…奇妙ね」

「どうしたの、リツコ」

「仮にそんな能力を持っているとしたら、どうして直接ここに現れないのかしら?」

「それは落下エネルギーを利用して…」

 

ふと、ミサトの目が投影スクリーンを捉えた。

『使徒』の先端、彗星の頭にあたる部分が見える。

白い霧状の膜に包まれたそれの向こう側に、一瞬だけ何かが見えた。

 

「日向君、使徒の先端部分を拡大できる?」

「はい」

「限界ギリギリまでズームアップしてみて」

 

画面が彗星の先端を拡大し、膜を出し続ける渦の中心を捉える。

 

「可視光だけでなく、キャッチできる電磁波は全て拾ってみて」

「バックグラウンドの影響を除外するのに多少時間がかかります」

3分以内でお願い」

1分半でできるわ」リツコが自分でコンソールを叩き始める。

「エヴァ零号機、初号機共にパイロットの搭乗、完了」

「エントリープラグ挿入しました」

「こっちと二人を回線で繋いで」

 

側面のパネルにシンジとレイの顔が映し出される。

シンジの顔には初めて乗った時のような恐怖は無かったが、緊張のせいなのか唇が青くなっていた。

 

「ミサトさん、使徒はどこにいるんですか?」

「そろそろ成層圏を抜けるわ。そのままこちらに落ちてくるつもりらしいわね」

「そんなのどうやって…」

「いい?二人共。今の段階では分からないけど、場合によってはエヴァを自閉モードに移行する事もありえるから」

「自閉モードって…エヴァが動かなくなるんですよね?」

「機能の85%を人為的に停止させて、乗員の生命維持を最優先に保護する形態…」レイの唇から誰に向けるでもない説明が流れ出る。

「どうしてです?だって、使徒を倒さないと街が…」

「自閉モードになったら、こっち側の信号を受信するまで何があっても絶対にエヴァを解放しないで。いいわね?」

「…はい」シンジは軽く下唇を噛んだ。何とはなしに、相当な危険を予感して緊張を増しているらしかった。

「了解」レイの顔は何を聞いても全く変わらなかった。

「心配しなくても大丈夫よ。出番が来たらお願いね」

 

最後に笑って見せてミサトは回線を切った。

 

「画像解析が終わりました!」

「どうなったの?」

「これ、見て下さい」

 

奇妙な映像だった。

可視光映像では確かに中心に大きな渦があった筈なのに、複合解析した映像では横一線に小さな渦が整列している形になっている。

渦の一つ一つは全く同じ大きさで、その並び方も綺麗に直線上に載っているように見えた。

 

「…どういう事」

「つまり、表の顔は偽物という事よ。あの膜全体で中心の本体をコーティングした上で、複数の電磁波を反射もしくは放出してあの形状を見せているという訳」

「中心の本体までは見えないの?」

「今の所はここまでしか…」

「ちょっと待って」

 

画面を睨んだまま、ミサトは何かを考え始めた。

腑に落ちない事実をまとめ上げ、繋ぎ合わせていく。

その間はリツコもコンソールについたままの3人も黙って彼女を見ているだけだった。

 

「…戦自と国連軍はあとどれくらいで動ける?」

「使徒に対応できる戦力を集めるには、あと20分はかかると…」

「ヘリの一個大隊でいいから、すぐに来るように言って」

「しかし、それだけでは時間稼ぎにも」

「いいから早く!」

 

*      *

 

「…クソ、なんて女だ!もう気づいているぞ!」

「いや、まだ正体までは掴んでいない。勘で動いているだけだ」

「作戦は中止かよ?」

「…」

「アル!どうするんだよ!」

「待て、『ベック』から通信だ」

「何だって?」

「…『作戦続行、今ならまだ間に合う、このタイミングで動けば更に効果的』」

「それだけかよ」

「そうだ」

「ふざけるな、今の隊長は俺なんだぞ!なんでタカシに指図されなきゃならないんだ!」それまで慌てていたアルフレッドの声が、更に強張ってヒステリックに荒れる。

「分かっている。ステファン、お前が判断すればいい」

「行けばいいじゃん、どうせ行かないとグラーフのおっさんがヤバくなるんだから」

「…よし、向こうがマスカー解除する5分前に射出する!」

 

ブツリという乱暴な音と共に、やけに雑音の大きい通信が届いた。

 

「こちら『クリオ』…市民の避難を確認した。ここまできたらチャンスは逃せんぞ、アル」

「カワモト、お前も早く逃げた方がいい。これは思ったより荒れるかもしれん」

「何言っている、俺が目にならなければ話にならんだろう。通信終わる」

 

通信の最後に旧式の受話器が落ちる音がした。

 

「決まったな」

「ウイングを上げろ!屈伸体勢を取って射出に備える!射出角度は−15.02だ!」

「よっしゃ、始めるか!」

「どうにでもなるなる。やっちまおうぜ」

 

脚部の関節が大きく曲がり、全員の機体が低く屈む。

背部の翼が広がり、スラスターが縦坑の角度に合わせて固定される。

そのスラスターの口が、赤黒く光る。

摂氏1000度を超えるターボシャフトの輝きだった。

 

「こちら『ディエゴ』。マスカー解除7分前。早くしないとヤバい連中が来るぞ。いくら何でもヘリの一個大隊は勘弁してくれよ」

「あたし達が落ちたらみーんな灰になっちゃうから、そこんとこよろしくー」

 

ジャックが舌打ちして囁いた。「行こうぜ、アル。ちゃんとアンタに従うよ」

 

各機の燃料タンクから一斉にホースが外された。

燃料供給が無くなると、フル稼働で20分もすれば全員ガス欠で動けなくなる。

今が限界点だった。

 

「射出口を開けろ、地上ビーコン確認」

 

遙か上方に、針の穴のような光点が見えた。

あの向こうに、自分達の新しい戦場がある。

自分達の居場所が。

 

「カウントは?」

「時間がない、省略する!」

「マジかよ!」

「全機、射出!」

 

号令と共に、エレベーターのロックが開き、途端に巨大なGが足下からせり上がってくる。

エレベーターの擦過音が機体の中でも聞こえる。擦ると言うよりは、硬質の金属がぶつかり合うような凶悪な音だった。

少しずつ大きくなる光点を見つめながら、今日は雨が降っていなくて良かった、とバウアーは思った。

 

*      *

 

「…これは?」

「観測車のセンサーはどうですか?」

「ああ、間違いない。例の場所からだ!」

 

瞬時に『使徒』の映像が消えて、地上のそれに移り変わる。

 

「どうしたの!?」

「旧第七ライン付近から強力な熱源反応が接近しています!総数6、全部地下からです!」

「…そっちだったのね」

「どういう事ですか?まさか、他の使徒が…」

「あれは使徒なんかじゃない、別の何かよ。それも多分人間だわ」

「熱源、地上に出ます!」

 

射出口から吐き出された物体をカメラが捉える。

闇に紛れて目視では確認できないが、即座に変換された暗視画面にその姿が浮き出た。

一見すると飛行機にも思える、大きな翼と鋭いノーズ型の本体。

しかしそれにはいかなる現行兵器とも異なる明らかな特徴があった。

 

上昇する角度に合わせて後ろに逸らせている脚部。

翼の下から伸びている武装付きの腕部。

 

それは、今まで物語や空想でしか存在しなかった、純粋な機械式の二脚歩行兵器だった。

しかも、それは

 

「空を、飛んでいる…」

 

そして、集団でまっすぐネルフのあるジオフロントへと向かっていた。

 


to be continued

Raycrisis/「ラベンダーの咲く庭」

    by zuntata/tamayo

 


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