強い風がボディアーマーの表面を薙いでいく。

忘れ去られた空間独特の、湿った埃の匂いがした。

 

ゴーグルのプロジェクタ表示では外気温を摂氏15度と示しているが、表皮をさらけ出している部分の体感温度は氷点下にも感じられた。

訓練されている身なので耐える事はできるが、寒さという感覚を誤魔化す事はできない。

『冬』を知っているタカシやニキータは多少はマシなのかもしれないが、曲がりなりにも旧世紀のアフリカで幼少期を過ごした彼には、もう遺伝子レベルで寒さへの抵抗感が刷り込まれていると自覚していた。

砂漠にいた頃でも、彼にとって寒さは大敵だった。

故郷のアフリカでもあれだけ寒暖の極端な場所は存在しない。

昼は40度を軽く越える酷暑、夜には氷点下の冷気地獄が吹き荒ぶ。

敵も味方も、環境という最大の敵を相手に藻掻きながら、同じ人類同士で殺し合いを繰り返していた。

 

言ってみれば、亡者達が業火で焼かれながら永遠に闘い続ける、煉獄のようなものだった。

 

いずれにせよ、今となっては、中東もアフリカもまともに人の住めない場所になっている。

だから彼の帰るべき場所は、もうどこにも存在しない。

闇の中に溶け込んで見分けの付かない黒い肌は、この国では恐ろしく目立つ存在になるだろう。

今日の作戦が失敗すれば、今後の彼の居場所は地球上では皆無という事になりかねない。

そうなれば、いずれかの勢力によって狩り出され、最終的には殺されるのがオチだった。

 

手に持った赤外線照射ライトで天井を照らす。

無機質なタイル面が時速80km強の速度で飛んでいくのが見えた。

それにしても、この空間は奇妙だった。

タイル面は最新鋭の半有機型対爆チョバムプレートだし、何故か至る所にスプリンクラーとは違う液体噴射口も設置されている。

しかも1年近く使用されていないにも関わらず、水漏れすら起こしていない。

彼が乗っている電動式貨物車も元気に生きているし、補助灯も恐らく電気を通せば息を吹き返すだろう。

こんな施設を使用せずに放棄している組織の気が知れなかった。

たとえあの『バケモノ』専門だとしても、何らかの用途はあっただろうに。

 

「ま、俺達が今からそれを分からせるって訳だ」

 

時計を見ると予定の時間から1分近く過ぎている。

今頃、仲間達は長いこと御無沙汰だった大空に舞っている筈だった。

 

「メインイベントに間に合えばいいんだがね」

 

彼は後ろの車両に乗せられた黒いシートの山に目をやった。

今日のイベントは時間との勝負になる。

予定が狂えば、楽勝で勝てる相手にもあっさりと負けるだろう。

もっとも、彼の仕事はこの荷物を届けてからが本番になるから、それまでは仲間達の働き次第という事になる。

本当の事を言うと、彼はこういうシチュエーションが最も嫌いだった。

他人任せにして失敗でもしたら、死んでも死にきれないという物だ。

 

「一発も撃たないで死ぬなんざ願い下げだぜ、全く…」

 

一足早く、彼だけが既に白兵戦モードに移行していた。

それが無駄になるか否かは、地上の仲間達にかかっていた。

 

 

 


 

2015 tokyo-3

―― the dark children ――

mission 2 「dandelion seed」#2

 

 


 

 

一番早く我に返ったのはリツコだった。

と言うよりも、彼女以外の全員が余りの状況変化に付いていけずに、呆然としていたのが本当の所だった。

 

「マヤ、相手の映像から兵器の形式を特定して!」

「はい!」走るような速さでマヤの指がコンソールを弾いていく。

「機種は不明、カラーリングも不鮮明で断定はできません」

「各国の主力装備データと付き合わせてみて」

「まさか、どこの国の軍隊だってここを襲う筈が」

「いいから早く!」

 

「その必要はないわ」ミサトはじっと画面を見つめたまま動こうともしなかった。「今すぐ迎撃して」

 

「ちょっと待って下さい、まだあれが敵と決まった訳では…」

「しかし、無断でウチの施設を使って市街に侵入して来ているんだぞ」

「でも、もし人間が乗っているとしたら」

 

「正体がどうであれ、機動兵器を使って街に侵入した時点で、第三東京及びネルフに対する侵略行為と見なせるわ」

リツコもごく冷静にミサトを支持した。「この際、人間の有無は問題ではないわね」

 

「ですが、まだ具体的な攻撃行動が、」

「侵入されてからじゃ遅いのよ!向こうが不意打ちを狙った以上、警告する必要もないわ。すぐに迎撃しなさい」

 

話している内にも、レーダー上の光点は徐々にこちらとの距離を縮めていく。

飛行兵器としては遅いものの、どういう挙動を示すのかも不明なせいか不気味さは益々募るばかりだった。

 

「…対使徒用迎撃システム、作動します」

 

相手が正体不明の集団であるにせよ、その中身は間違いなく人間の筈だった。

使徒に対しては殆ど役に立たない兵器群も、これだけの規模の敵なら簡単に蹴散らしてしまうだろう。

そういう思考が何とはない躊躇を抱かせていた。

 

「あれを通常兵器と同じように考えたら駄目よ」

「知っているの?」

 

スクリーンを見ているミサトは何かに耐えるように唇を引き締めている。

使徒戦の時とは異なる、苦痛の表情だった。

 

「零号機を出します。初号機は待機、ジオフロント内での迎撃を準備させて」

「エヴァまで出すんですか?」

「場合によってはそれでも足りないわ。速さが勝負の鍵よ。何としても相手の先手を取って!」

 

 

 


 

 

メインパネルには広葉樹を主とする広大な森と、それに囲まれた巨大な街が映っていた。

熱源探知と光源増幅の複合センサで写した街が、膨大な熱と中枢部で灯されたままの照明で鮮やかに光り輝いている。

確かにこれなら、『バケモノ』をおびき寄せるという目的においては申し分ない環境だろう。

ジオフロントの内部に何があるにせよ、人間の臭いがプンプンしている。それだけでも光に寄せられる虫のように寄ってくるに違いない。

その街の外側、外周から少しばかり離れた所に小さな熱源が連なって出現した。

それに合わせて全員の通信が騒がしくなる。

 

「前方、2500。迎撃兵器確認」

「先鋒のガトリングだ。電線、よくあの重量に耐えられるな」

「単に素材の問題だろ」

「金だけは余っている証拠だな」

「総員、着地体勢。そのまま突っ込むぞ」

「へーい」

 

瞬間、失速感と共に持ち上げるようなGが襲いかかり、

 

「…くっ」

 

鈍い衝撃と共に身体全体が縦に揺さぶられる。

機体はそのままスラスターに押されて前進するので、人間の身体には容赦のない圧迫がかかり、軋むような痛みが全身に走る。

40過ぎの身体には、正直これは言って少々応える。

やはり元気なのは子供達だった。

 

「ヘボなりに攻撃集中させてくるぞ。FWはポスト準備」

「マジか?俺に囮やれってのかよ?」

 

ベルファストは露骨に嫌そうな不満を平気で吐き出す。

作戦中の軍人としては全く規格外の行動だったが、

 

「…じゃ、好きなようにすればいい」結局ステファンは認めてしまう。

 

だが、この子達はこれで正常なのだ。

なじりながら、役割を押しつけながらも全体としては秩序を保って行動する。

さながら全体が一つの生物のように機能する部隊。

これこそ、私やグラーフ、年老いた死に損ない達が夢想した理想の軍隊だった。

 

「じゃ、壊しても構わんの?」

「情報よりもかなり数が多い。自分で判断しろ。カンターにサイドから上げさせるから、上手く合わせろ」

「お優しいこって。ミューレン!」

 

もう一人のFW、ゲルト・ミューレンの顔がパネルに映る。

顔と言っても、射界ゴーグルと吸気マスクを着けているからには、他のメンツと比べてもほとんど判別はつかない。

 

「こっちは了解している。お前に合わせて勝手にやらせて貰う」

「はいよ」

 

二人の通信パネルが消え、2トップのスラスターがより強く輝き、目標に向かって遠ざかっていく。

彼らの腕がなまっているか否か心配するにしても、私に何ができる訳でもない。今は自分の仕事をするだけだった。

 

「大佐、周辺区域の脅威レベル確認完了。Aランク以上の兵器は認められず。ラインディフェンス稼働可能です」

「…ギド、初めての実戦だからだろうが、堅くなりすぎだ。いつもの通りで良い。私はパッシブモードに入る」

「了解…すみません。どうしても、手が…」

「早く迎撃モードに移行しろ!サイトをこちらに寄越してラインディフェンス維持」

「了解」

 

レンジを遠距離用に設定して、ミサイルを補足ポインタにマーキングする。

8000m先に巨大なミサイルトーチカが見えた。

情報によると、フル稼働時にはERINT-2クラスの汎用ミサイルを雨のように乱射できる性能を持つらしい。

無論、そんなものをおちおち目覚めさせる訳にはいかない。

その為のラインディフェンスだったが、本来の3バックより駒が1つ足りない上に、GKの支援もない。

実の所、この部分が今回の作戦における一番のネックになっていた。

 

「通過した山地に観測車両が見えますが」

「放っておけ、向こうに見せてやらなければ意味がないしな」

 

 

 


 

 

「目標、国道2号に着地。フォーメーションを組んで接近しています」

「全機、時速約160kmで接近中」

「滑空しなくても速いわね…」リツコはむしろ感心しながら見ているようだった。

「迎撃は?どうしたの?」

「今、先頭の二機が射程範囲に入りました。既に、攻撃を開始していますが」

 

防衛線上の観測車から映像が送られる。道路沿いの機銃だった。

縦横無尽に動く二機の機動兵器にはほとんど弾丸が当たっていない。

その内の一機は、まるで楽しむような大げさな動きで攻撃をかわしていた。

 

「…やっぱり、速すぎる」

「使徒用の兵器では速さも大きさも合わないのよ」

「後方の四機に攻撃を集中させて、先頭の二機はミサイルで対抗して!」

「はい!」

「マヤ、機銃の制御系を一点集中から分散型に切り替えて」

「今すぐ全てを変えるのは無理です。替えている間に突破されます」

「青葉君、FCSをマヤと分担して切り替えてちょうだい。一個ずつでも構わないわ」

「了解」

「敵が二機ずつの単位で別行動を開始しました」

 

レーダー上の光点が速度の差で3つのペアに分かれていく。

最前線の二機は機銃に向かって突撃し、中央のペアは二手に分かれて、それぞれ防衛線を迂回するコースと中央突破を狙っている。

 

「最後尾の二機は射程範囲ギリギリで停止しています」

「後方支援ね。中央の二機は外側から突破するつもりかしら」

ミサトは防衛線の内と外にある光点を見つめている。「どっちか、飛ぶわよ」

「射出時だけでなく、地上から飛行するんですか?」

「念の為、防衛部隊を組織して待機させといて」

「零号機は?」

「ケージで待機中です。呼び出します」

 

通信パネルにレイの顔が映る。

 

「レイ、動けそうなら先に出て。シンジ君は一応の後詰めになってもらうから」

「敵は、使徒ではないの?」

「そうよ」一瞬口ごもり、意を決して口に出した。

「…できれば、シンジ君には」

「私が、止めればいいのね」

 

その一言で、彼女が全てを悟っているのは分かった。14歳の少女の老成が、今は有り難かった。

 

「頼むわね」臭い物に蓋をするように通信を閉じる。

 

何はともあれ、これで最後の城壁は確保できた。

だがそれとて完璧とは言えない。できるだけ数を減らせれば越したことはないのだ。

 

「ミサイルは?」

「攻撃準備完了、熱源追尾で発射します!」

「発射30秒後に零号機を射出エレベーターまで移動させて…」

「ミサイル、撃墜されました!」

「何ですって?」

「発射直後に最後尾にいる二機から迎撃ミサイルが発射されました。ランチャーの信号消失、6機が使用不能!」

「異常に反応が早いです。弾速も向こうが上です」

「そんな、先に撃っているのはこっちなのに」

「まさか超運動型ミサイル…」

「馬鹿な!そんな物、戦自にも配備されてない筈だぞ!」

「固定砲台じゃ…埒があかないか」

 

 

 


 

 

まるで喝采のような打撃音がデタラメな勢いで降り注ぐ。

たかが機銃とは言え、対バケモノ用に用意された炸裂弾ともなれば、一発で抜かれないとはいえ、それなりに威力は強烈だった。

 

「ああ、畜生!好き勝手にバンバン撃ってきやがって!」

「エリック、この距離なら装甲は抜かれない。構わず突破しろ!」

「言われなくてもやっているだろ!それよりそっちはどうする?正面に集中されるぞ」

 

正面には制圧したミサイルランチャーと、その周りに群がる吊り下ろし型の機銃が見えていた。

至近で直撃を食らえば、さすがに穴だらけにされる可能性は非常に高い。

 

「跳んでからシザースで抜こう、タイミング合わせてくれ!」

「…コケるなよ」

 

射界には想定危険距離までの猶予がカウントされ始めている。

もう、残りは200mもなかった。

『マキナ』が想像を絶する早さで飛行軌道を計算し、パターン別に結果が示される。

 

「そっちこそ」

 

両足のスロットルを深く踏み込むと、ちょうど背中からワイヤーで吊り上げられるような感覚で、頭からGがかかってくる。

胃が、尻の穴まで落ちていくようだった。

火器系を操作しているのは彼だが、『マキナ』は自身の組み上げた軌道に従って飛行していく。

エリック・カンターの乗った『ファギー』と連携して、時速300km以上で空中交差する。

集中した敵の照準を急激な軌道変化でかわし、その瞬間に両機は相方に攻撃を加えていた機銃を捕捉し、攻撃する。

機体操作をAIに委任し、攻撃のみをパイロットが行う分担型システムで成し得る離れ業だった。

 

『マキナ』『ファギー』の両機はそっくり互いの位置を取り替える形で着地し、何の抵抗も受けずに前進を再開した。

 

「…死なずに済んだな」

「ああ、お前とのコンビは初めてだったけどな」

「マキナはお前よりは素直だからな」

「抜かせ。貴様こそ、」

 

はるか前方で、機銃の攻撃反応が復活した。

FWの二人が引きつけている筈の区画だった。

 

「…やっぱり、ジャックじゃダメか」

「どうせ先走りしていい気になっているんだろ」

「面倒くさいから跳んで避けるか」

「弾丸が勿体ないしな」

 

そう話している間にも、機体のAIは目の前に広がる建造物をどう回避するか計算している。

飛行するには、ある程度の滑走は必要不可欠であり、その距離を稼ぐには入り組んだ建造物の群をどうにかしてトップスピードで駆け抜けて行かなければならない。

本来なら、火器を使ってそれらを一掃してしまえば良いのだが、今回はさすがにそればかりはできない。

一般建築物を破壊せず、かつ被弾率のより少ないルートを検索するには異常な繊細さとデータ量が必要になる。

その為の計算だった。

 

「通れる道見つかったぜ。お先に」

 

『ファギー』がいち早く結果を割り出し、機体を反転させて急加速させる。

まるでこれからスキーでも始めるような、滑らかな旋回と急加速だった。

 

「あっ、おい待てよ!」

「悔しかったらもう少しクロック上げときな」

 

捨て台詞がステファンに届いた時には、もう『ファギー』のノズルの光は建物の陰に隠れてしまっていた。

 

 *      *

 

拡大されたウィンドウの中で、通常なら『使徒』に向かって放たれる巨大なミサイルが、剣呑な弾頭を覗かせる。

ビルの外装に偽装したランチャーの中に、そんな発射口が二十余りはあるだろうか。

それがまた総数二十以上は林立しているから、単純に計算しても五百前後の発射口がこちらを狙っている事になる。

本来ならば人ではないバケモノに向けられる兵器が牙をむいてくる。

先制すれば簡単に制圧できるという事実を心に流し込んでも、恐怖は消えなかった。

 

「…その調子だ、落ち着いていけ。捕捉は全てこっちでやる」

「はい」

 

発射反応が現れた発射口から優先的に潰していく。

相手はランチャーだけに一度に何個も同時反応が現れるが、バウアー大佐の補佐に合わせれば大方のロックに問題はない。

しかし、最終的な誘導は自分の手でしなければならない。

大佐がパッシブで探知した反応を解析し、視界誘導でミサイルロックを引っ掛けなければならない。

もし、心が折れて長時間目をつぶったら視線感知が消失し、発射自体が不可能になる。

そんな知識が呼びもしないのに次々と頭の中に湧いて出てくる。

それを強引に押しつぶして、前方に集中する。

 

「左翼、火器反応!」

!」

 

警報に反応する間もなく、複数の火砲の固め撃ちが、衝撃緩和姿勢をとっていた脚に直撃した。

音もなく接近していた、迎撃用のガトリングだった。

可載量を重視したヤークトパンター3L型の脚部は衝撃に耐えられず、機体は簡単に転んだ。

 

「ギド!」

「ああ!反応が…反応が、どこだ!見えない!」

「落ち着け、モードを倒立復帰にしろ!」

 

『フォクツ』の叫ぶ警報の嵐の中で、意識が混乱したまま遠のいていく。

薄れていく視界の中で、隣にいた『カイザー』が予備のミサイルを全弾発射しながら、忍び寄っていた砲台を拡散バルカンで打ち抜くのが見えた。

脚部の挙動をAI任せにしたとしても、二つの目標を同時に攻撃するのは至難の技である。

少なくとも、ルンバルト自身の技量では到底不可能な真似だった。

 

「『カイザー』より全機、『目標L』は完全に破壊。各機とも予定に従って侵攻を継続されたし」

「『エレファント』より『カイザ−』…確認願います。『制圧』ではなく『破壊』ですね?」

「『破壊』だ」

「了解」

 

目の前が真っ暗になった。

 

「ギド、早く倒立しろ」

 

ああ、僕がいなくても充分任務は達成できるんだな。

それだけじゃなく、邪魔にさえなってしまう。

 

「どうした、早く戻せ!」

 

そう思うとルンバルトは簡単に意識の糸を手放して、眠りについてしまった。

赤いアラートランプと悲鳴のような警報が、回転木馬のリズムで周囲を駆けめぐる。

このまま死んでも良い。そう思った。

 

 *      *

 

足下のスロットルペダルを交互に叩き、かつ機体の上半身を固定して脚部のみを左右に振りながら突き進む。

ジャイロとオートバランスの併用によって、直進を維持しながら両足を任意の角度に傾斜させられるので、この傾斜の方向と深さを変える事で上半身をほぼ固定させたまま小刻みな旋回を繰り返せる。

 

仲間内ではウェーデルンと呼んでいるが、ジャックは勝手にドリブルと呼んでいる挙動だった。

 

本来なら中にいる人間は左右からの巨大な衝撃に晒される筈だったが、お利口なAIが常にコクピットを挙動の中心に据えてくれるので、せいぜいブランコに乗っている程度の横揺れで済んでいる。

 

見た目に派手なだけではなく、直進を維持しながら不規則に平行移動する攪乱・回避運動としては絶好のもので、FWという被弾率の高いポジションに居座るジャックにとっては、趣味と実益を兼ねる絶対必要な挙動だった。

 

当然、『スラック・アリス』の頭脳にはあらゆるパターンのドリブル挙動がモジュールとして組み込んである。

 

それを周辺の状況と兼ね合わせて選択し、実行させるのがジャック本人の仕事だった。

 

「おいゲルト、そっちはどうだ?こっちは見た目の割にヘタレで、クソ退屈で殺されそうだぜ」

「…『エレファント』の着弾予測が完全に当たっている。向こうさんは完全に攻撃を機械に依存しているらしいな」

「こっちも俺が操縦桿握る必要ない感じだ。…全く、面白味も何にもねぇな」

 

実際、ジャックは形ばかりの牽制攻撃を完全に『アリス』に任せ、操縦桿から手を離して足だけで機体の操作をしていた。

操縦と言うよりは、音楽を聴きながら足でリズムを取っているだけのようにも見える。

彼にとっては耐Gスーツを着ている事すら馬鹿馬鹿しく思える状況だった。

 

「ま、これはこれで、楽でいいけどな」

「ああ…だが、突出しすぎだ。少し引き返そう。後で大佐にドヤされたくない」

「何だよ、俺達もう行き過ぎなのか…まあ大丈夫だろ、このまま行っても」

「どうせ今日は囮だけだ。俺はもう戻る」

 

そう言い残して、ゲルトの『エレファント』は即座に振り向き、一直線に後退してしまう。

 

「どうせ、先に行くのは同じじゃねーか、この程度の相手なら別に…」

 

だが、『アリス』が一斉に全方位警戒警報を鳴らし始め、途端にジャックの顔も叩かれたように引き締まる。

先程までゲルトが引き寄せていた機銃の砲門が、残っていたジャックに全て向けられ、いつの間にか残り数秒で包囲されようとしていた。

 

「何だよ、結局俺がオチつけるんじゃねーか!テメェのケツくらい自分で拭けよ!」

 

吠えながら操縦桿を握りしめ、一気に引き寄せて両足のペダルを踏み込む。

強烈な制動がかかり、機体が前進から後退に転じる。

逆進行の衝撃がもろにジャックの身体にのし掛かり、ベルトが強く腹に食い込んで内蔵を締め上げる。

さっきまで『アリス』のいた場所に嵐のような着弾煙が立ち上った。

 

「カマ野郎共がついて来れるならついて来やがれクソッタレが!」

 

ジャックは激しく操縦桿を左右に振りながら、再び両足のペダルを交互に叩き始めた。

バックダッシュ特有の切り裂くような爆音が、不自然なリズムで左右から響いてくる。

コクピットの腋にある逆進用のスラスターは構造上の問題で消音機構が上手く機能しないのだ。

 

「アリス、緩和計算を放棄して後方進行に集中しろ!30秒後にアフターバーナー!」

『反動緩和、オフ。後方進行計算占有率65%。赤外線遮断機構、出力32%上昇』

 

柔らかい、それでいて異様に無機質な女性の声が返ってくる。

途端に反動緩和の揺りかごが取り上げられ、エンジンの悲鳴に合わせてコクピットが大きく揺れ始める。

その中で、ジャックは歯を食いしばって射界ゴーグルの近距離レーダーを睨み続ける。

細かい挙動は全て『アリス』に任せ、主人たる自分が進むべき進路に機体を導いてやれば、大抵の攻撃は回避できる。

そうして敵陣に突入し、ひたすら攪乱陽動しながら砲弾をばらまくのがFWの戦法だと彼は固く信じていた。

 

『衝撃緩和機構再開。燃料噴射燃焼開始、スラスター出力、132%』

 

きっかり指示を出した30秒後にスラスターから赤黒い輝きが吹き出し始める。

後方に向けていたベクトルが一気に逆転し、ジャックの身体がシートに叩き付けられる。

機体はVの字の軌跡を描いて後退から前進に転じ、一気にトップスピードに達する。

ガトリングの弾丸は機体の軌跡をなぞるか、バラバラに拡散して騒音を立てる事しかできない。

後背部の銀翼が開き、『アリス』と彼を揚力に乗せ始める。

ジャックは圧倒的なGに耐えながら、両手の操縦桿を最大まで引き寄せた。

 

「あ…が…れ…!」

 

そして一瞬の後、機体は闇夜に飛び上がった。

機銃は完全に振り切られ、虚空に向かって空しく縦断をまき散らすだけだった。

『アリス』の正面には、既に沈黙しているビル型ミサイルトーチカがあった。

その向こう側に、光り輝く人気のないビルの群。

第三新東京市の中枢に達したのだ。

 

「中枢…一番乗りだぜ!ハハハハ!」

 

だが、飛び立ったばかりの彼の足下を、別の機体が駆け抜けていった。

 

「…ジャック、助かる。お陰でこちらには何も来なかった」

 

ゲルトの『エレファント』が悠々と地上を走行していた。

損傷は明らかにジャックのそれよりも軽く、武装も殆ど消費してはいなかった。

 

「テメ、戻ったんじゃないのかよ?」

「戻ったら時間が無いと言われた。もうそろそろ第二段階らしい。他の皆もじき追いつく」

「行き過ぎたんじゃねえのかよ?」

「俺の勘違いだ。悪かったな」

「…ケッ」

 

幹線道路に入り、ジャックはゲルトと併走する形で機体を着地させた。

『アリス』は表面こそ傷だらけなものの、主翼や機構は殆どダメージを受けておらず、着地から即時走行復帰まで何の支障も無く移行できた。

戦車以上の重量を持つ機体が、まるで猛禽類のように力強く穏やかな着地をやってのける。

大穴が開くはずのアスファルトには目立つ程の損傷もなく、機体の脚部にも大袈裟な形態変化は見られない。

エヴァの重量にも耐えられる特殊舗装ではあるにせよ、驚くべき衝撃緩衝能力だった。

 

 

   

 

 

ミサトは手櫛で前髪を掻き上げる。

その手で右目を隠しながら天井の投影スクリーンを見上げた。

 

「さすがに嫌になるわね。こうもあっさり抜かれると」

 

投影スクリーンには絶望的な現実が映し出されていた。

使徒用に配備された兵器が尽く退けられ、正体不明の賊は尚もジオフロントのメインゲートに向かって進行している。

気のせいか、ミサイル以外の兵器群は殆ど損傷を免れている様にも見えたが、逆にそれは第五世代コンピュータを基本とした最新鋭の都市型統合式迎撃機構が、人の手によって小馬鹿にされている事実の証拠に他ならなかった。

戦自の応援が駆けつけるには時間がなさ過ぎる。

残る地上の砦は、エヴァのみ。

その現実が重く全員の心にのし掛かっていた。

 

「この際、出撃のリスク云々言っている場合ではありませんよ!零号機を出しましょう!」

「でも、この前の事故以来、再起動実験だけでシミュレーションすらやってないんですよ?実戦なんて無茶です!」

「相手は使徒じゃないんだ、仮に緊急停止してもパイロットに危険はないだろ?」

「三人ともいい加減になさい!」

 

リツコの叱咤がなければ、いつまでも口論を続けていたかもしれない。

彼らは使徒との戦闘訓練や実戦経験は積んではいたが、それ以外の戦闘に関してはただの民間人とさして変わらなかった。

この場において軍人としての経験を持っているのはただ1人ミサトだけで、その他は極端に言えば国際公務員の一員でしかない。

人間相手の戦闘――いわゆる戦争――に対して免疫など持ち合わせてはいなかった。

混乱の極みにある状況を打開し、職員達に緊張感を取り戻させるには、自ずと方法は限られてくる。

 

使徒と同じ扱いで賊を撃退するしかなかった。

 

「零号機射出準備。エレベーターまでの移動は?」

「完了しています」

「では、90秒後に零号機を射出。正体不明の戦力を迎撃します」

「はい!」

 

エヴァを出す、という決定が下った途端に場が落ち着き、少しずつ機能を取り戻し始める。

まだ実績は使徒二体だけだと言うのに、エヴァに対する信頼と無意識の依存は、確実に職員達の間に蔓延していた。

命令が下った以上、自分の役割をこなし、後は子供達に任せれば何とかなる。

致し方ないにせよ、いつの間にかそんな慣れや達観がこの地下空間全体を支配していたのだ。

 

「気にする事はないわ。碇指令だってこの状況なら同じ判断を下す筈よ」

 

気休めのつもりなのか、リツコがミサトに笑いかける。

他人に指摘される程険しい顔をしていただろうか、とミサトは我に返った。

だが、頭の中に膨らんでいる疑問の暗雲は、晴れるどころかどこまでも膨らみ続けていた。

 

「そうじゃないのよ…納得行かないの。何もかも理解できないわ」

「理由や根拠は後で調べるのがいつものやり方でしょう?ミサトらしくないわね」

「使徒ならともかく、どうして今、第三国の軍隊がここを襲撃するの?大体、何の利益があるの?」

「それは…相手を捕獲して本人達に聞くしかないかしら。出来れば、の話だけど」

「人間と戦うには相手の動機や傾向が分からないと話にならないのよ。使徒なら、どんな奴でも結局は同じ目的だわ。けど、彼らは一体何をしようとしているのか全然分からない…」

「使徒と同じでしょう。ここに潜入して破壊活動を行う点では」

「それだったら、もっと他に方法がある筈よ。何もこんなに派手にする必要はないわ」

 

今考えてみると、ネルフ参加国もしくは日本に友好的な国、そして国連の情勢ぐらいしか政治的な情報は控えていなかった。

実際、ネルフに関連している国はセカンドインパクトの災厄から復興し得た先進国ばかりで、それ以外の中流以下の国々は今でも災害から抜け出せずに貧困や紛争にあえぎ、国家としての存在自体が危うい状況にある。

たとえ使徒の存在が人類全体の問題だとしても、地球規模で見ればそんな事は眼中にない人間の方が多いに決まっている。

 

もし、このネルフを襲撃する軍事勢力があるとすれば、それら非参加国か、もしくはそれらをまとめて勢力を獲得しようとする一部の国しか考えられない。

 

「零号機、射出30秒前!」

 

しかし、たとえ非参加国だとしても、私達がここでしている事の重要性くらい分かっている筈だ。

 

では、この状況は何?

 

第一、あの機体は廃棄されていた筈の作業坑から出てきた。

一体、どうやってそんな場所から出てこられる?

 

「零号機、射出10秒前!」

「心配ないわよ。エヴァさえ出せればあの程度の戦力、問題にもならないわ」

「どうだか」

 

指揮官として不安を口に出すのは禁物だったが、雰囲気を気にする余裕はなかった。

レーダー上の光点は、確実にジオフロントのメインゲートに接近しつつある。

零号機はその進路を塞ぐ形で射出されるので、少なくとも進行を防ぐ効果は望める筈だった。

しかし、ミサトは自分の首の周りに鋭利で冷たい感触が、じりじりと迫ってくるように感じられた。

 

あの15年前の南極の時やドイツでの事故の時に感じた、確実な『死』の予感だった。

 

 

 

 

 

「大人気ないよなぁ。俺達みたいな陸戦兵器にあんなバケモノ本当に出すかよ」

「ヘタレだって事さ。怯えて本気を出すしかなくなったんだろ」

「ま、ここまではタカシの言った通りになった訳だな」

「…」

「ギドはついてきているのか?遅れるとさすがにヤバいぜ」

「ああ…大丈夫だよ。心配かけてすまない」

「お前の命よりも装備の方が心配なんだよ」

「…分かっている」

「フン」

「人の命は金で買えんが、逆に売っても金にはならないからな」

「役立たずの命は特にな」

「みんな、そこまでにしておけ。そろそろ『ディエゴ』から通信が入る筈だ」

「ちゃんと落っこちて来ているのかね、あのジジイとアバズレは…」

 

「だーれがアバズレだってぇ?」

 

「痛ぇ!」

「何のつもりだレオナ!作戦中は信号送ってから回線開けよ!」

 

「小娘だけならともかく、俺までコケにするとは偉くなったな、ジャック」

 

「え…あ…えーと、その」

「グラーフ、あとどのくらいだ?」

「多分間に合うさ。地上からのインターセプトは遅いんだろ?」

「地上兵器は抑えた。『センジ』からの応援は来たとしても、せいぜい30分以上後だろう」

「そっちの地下では物騒な反応がドクドクたぎっているな」

「ま、お手柔らかにな」

「自分の身は自分で守ってもらおうか」

 

それで通信は終わった。

 

「こちらでも感知しました。『ヌル』が射出コースに乗ります」

「…さて、お楽しみだな」

「ハロー、ニポンの皆さん」

 

闇夜に浮かんでいた巨大な流星が、いつのまにかその大きさを何倍にも増していた。

 

「これが、俺達の種巻きさ」

 

 *      *

 

ガイドビーコン代わりのレーザー誘導は、確実に『ヌル』の出現予定位置を指していた。

よほど過激な動力を抱え込んでいるのだろうか、地下深くに潜んでいる割にはやたらに強力な熱反応が確認できる。

これだけの巨大な質量を重力に逆らって地下から打ち出すのだから、そのエネルギーたるや射出だけでも想像を絶する規模になるだろう。

それを必要となれば連日で行い、場合によっては高エネルギー兵器まで持ち出して撃ちまくると言うから、考えるだけで目が回る。

このバケモノ自体の維持費は勿論、施設やこの街全体に投下される資金はそれこそ天文学的レベルと推定できるだろう。

HIGH-MACSやこの『オオトリ』もクソ金食い虫だが、この街は一回の戦闘行為だけで国家予算規模の金を浪費してしまう。

 

こんな効率も損害も無視した戦闘など、バケモノ相手でなければ即銃殺モノの犯罪行為にしか見えない。

 

それを今、奇襲してきたとはいえ通常戦力たる自分達に向けようとしている。

戦争とは、即ちケチさ加減の競争である。

限られた資金でどれだけ効率的に戦果を上げ、かつ相手の資金を無駄遣いさせられるのかが勝負だ。

そういう意味では、仮にここで自分達が負けたとしても、バケモノを担ぎ出させた時点で戦略的には既に勝利しているとも言える。

 

もっとも、連中には尽きる事のない予算が永遠に組まれ続けているらしいが。

 

「少佐、種蒔きまで残り140です」

「よし、補助推進はいけるか?」

「訊くまでも無し。今更問題あったら俺達死にます」

「少佐でも不安になる事があるんですな。ここで種を蒔かない限り、行き場所なんてどこにもありゃしませんぜ」

「お前らと違ってな、フライバイワイヤや自動制御を頭から信用してないだけだ。機械を使う時は常に疑わなければ、こちらがパシリにされちまう」

「…何なら、御自分の手で落とします?」

「フン、ジジイのしくじる所を見てからかうつもりか?」

「いえいえ」

 

警告音が鳴り、地中から巨大な影が生えるようにして出てくる。

お目当てのオモチャがようやく姿を現したのだ。

 

「ありがたいな。まるで計ったようなタイミング」

「外れていたらどうしていたんです?」

「さあな。後で下に訊いてみな」

 

 

 


 

 

「…使徒が」

「え?」

「成層圏にいた使徒が、いつの間にか高度6000mまで来ています!予想よりも3倍以上は早いペースで降下しています!」

「『使徒』という考えはいい加減捨てなさい。どう考えたって、アレは奇襲部隊と連携しているのよ」

「根拠は?」

「そんなの、見りゃわかるわよ。空からあんな物が降ってきているのに、連中平然としているじゃない」

「待ってください…奇襲部隊、動きを止めました」

「止まった?」

「ちょうど、零号機が射出される射出口の手前300mです」

「一体、何のつもりだ?」

「出会い頭に総攻撃するつもりでは…」

「だとしても、まだ射出警告もしていないのにどうやって場所が分かるんだよ?」

「分かっているのよ。この街の構造も、エヴァが出てくるコースも」

 

少しずつ、ミサトの首の回りにまとわりつく悪寒が他の者にも伝染し始めていた。

 

仮に、エヴァの事まで詳細に知っているのだとしたら、相手は何のつもりで停滞しているのだろうか。

まともな知能を持つ者なら、幾ら優秀な兵器といえども使徒用の兵器と張り合って勝てる訳がない事ぐらい分かる筈だ。

上空に現れた飛行物体が連携しているのだとしたら、どのような行動を取るのか。

恐怖が、共鳴するように職員達の間を増幅しながら広がっていく。

スクリーンに大写しにされた不気味な賊の姿も、増幅する恐怖に拍車をかけた。

 

「…初号機の状態は?」

「依然、通信はオフのままで待機しています」

「よろしい。今回の『処理』は、初号機を使用せずに行います」

 

『処理』とミサトはハッキリと言った。

そんな作戦区分はネルフの作戦要項には存在しなかったが、言葉の響きからニュアンスは明確に伝わってくる。

 

虐殺。

 

「保安諜報部の人員を中心に、警備部からもメンツを選抜して掃討部隊を組織します。装備が整い次第、他職員を第15層以下に避難させて、代わりに掃討部隊を配置させるように」

「しかし、相手は機動兵器だけで歩兵はいません。対物兵器はせいぜい一個小隊分しかありませんよ?」

「どの道、メインゲートから潜入して来るならエヴァは使えないわ。キツくても歩兵で対抗するしかないのよ」

 

暗視処理された薄赤色の機体の影が、微動だにせずに立ちつくしている。

 

「それに、あの図体でどこまでも潜入できる筈がないわ。必ずどこかでパイロットが…」

「零号機、射出します。地上まであと120秒!」

 

軽い地響きが鳴り、画面上の零号機を示す光点が地上に向かって駆け上がっていく。

 

「飛行物体が高度4800mまで降下!肉眼で確認できます!」

 

サイドのスクリーンに、闇夜に浮かぶ不気味な流星が映し出された。

今となっては、膜を被ったモノの正体がはっきりと見て取れる。

巨大な全翼型の航空機が、真っ直ぐにこちらに向かって突っ込んでくるのが分かった。

進路を推定すると、そのまま零号機の射出口に特攻する事になる。

 

「正気か!」

「こんな真似したって、エヴァやジオフロントには大したダメージは与えられないじゃないか」

「やっぱり、地上の部隊とは無関係なんじゃないですか?」

「だからって、奴らがまとめて敵なのは変わらないだろ」

 

何故、使徒戦の時にはあれだけ冷静な面子が、人間相手だとこれだけ取り乱すのだろう。

エヴァの出撃で取り戻せた落ち着きが、さっきまで忘れ去っていた全翼機の出現で完全に失われている。

こうなれば、たとえ嘘や方便でも目的なり行動指標を示して見せるしかない。

 

「…レイに繋いで」

「零号機は射出中です、会話はまず不可能ですが」

「一方向でいいから早く!」

 

小さめのパイロットウィンドウが開くが、当然、画面は砂嵐で音声もノイズまみれで判然としない。

 

「レイ、地上に上がったら足下にいる雑魚はこの際無視して良いわ。上空にいる航空機を確実に仕留めて」

「…」

 

幽かに砂嵐の奥からレイの返事らしき声が聞こえたような気もしたが、正直ミサトにとっては、レイに自分の声が届いていようがなかろうが、そんな事はどうでも良かった。

大事なのは、ミサトの足下にいる忠犬達に、ごく間接的に命令を伝える事だけだ。

早い内にどうにか片づけないと、こういう焚き付けも効果が薄くなるかもしれない。

できる事なら、ここにいる連中をまとめてドイツの訓練施設に叩き込んでしまいたかった。

 

「航空機、高度3500に達しました」

「推定される最大の攻撃手段は…やはり」

N2だろうな」

「戦自は何やっていたんだ?軌道上からだと言って、こんなモノをやすやす通すなんて!」

 

リツコは冷静にマヤ達と画面上の敵を見比べている。

 

「あの流星状の皮膜、『マスカー』ね」

「戦自でも試験段階の偽装兵器か…元気に動いてるじゃない」

「勝ったとしても、やっかいかもね」

「何よそれ?」

「次に何が来るか分かったものじゃないでしょ?」

「正体掴んだら、委員会なり国連なりにねじ込んで始末させるわよ。一々こんな連中の面倒まで見てらんないわ」

 

リツコの口に含み笑いがこぼれる。

その場にそぐわない、余裕のある表情だった。

 

「何がおかしいのよ」

「ミサトも、思ったより丸くなったかなと思ってね」

 

強烈な寒気が首筋に走った。

 

頭の中に渦巻く数々の矛盾点が、一瞬だけどこかで結びつき、即座に四散していった。

ミサトの感覚は無根拠に強烈な危険信号を発しているが、一体それが何なのかは具体的には掴めなかった。

 

「ねえリツコ、あんた…」

「零号機、露出します!」

 

クリムゾンイエローの零号機が、警告灯の赤い光に照らされて闇の地上に現れる。

装備はB装備に加えてロングバレル追加型パレットライフルだけだったが、これで充分遠近及び対空に対応できるはずだった。

リフトオフされ、桁違いに巨大な質量が賊達の目の前に解き放たれる。

ここに至るまで、その意外な戦闘力で強烈な印象を与えてきた賊の機動兵器群も、実際にエヴァの前に晒して見れば、遙かに非力な小人の集団でしかなかった。

後は、その手に握られたライフルで一掃すれば事は終わる。

だが今は上空から迫る脅威を排除するのが先決だった。

 

「初号機から、あらゆるチャンネルで再三のコールが来ていますが」

「この映像は、向こうに流れているの?」

「いえ、シンジ君にはこちらの情報は一切流していません」

「…では、初号機はそのまま自閉モードに移行します。彼には後で私から説明します」

「了解」

 

初号機のパイロットウィンドウが「呼出」から「拒絶」に変わり、シンジと本部の回線は一時的とは言え完全に遮断された。

これで、外部からの解除信号がない限り初号機は純粋な生命維持装置としてのみ機能する事になる。

事が済み次第、彼には故障や事故とでも言ってごまかすつもりだった。

 

「本当に初号機無しで大丈夫でしょうか…」

「人間相手ではあの子は役に立たないわ。それに…」

 

地上では零号機がライフルを天に構えている。

照準はまっすぐ迫り来る航空機―おそらくは爆撃機の一種―に向けられていた。

 

「これで決着はつくわ」

 

 

 

 

 

「照準確認。進路に障害認められず」

「後は自動制御です。楽なもんでしょう、少佐」

「やかましい。一々言わんでもいい」

「種を投下します」

「『タイセンコウ、タイショックボウギョ』か?」

「そうだ。デンエイクロスゲージだな」

「違うだろ、『タイショック、タイセンコウボウギョ』だろ?」

「やかましいぞ貴様ら! 空に上がったら機械を過信するなと言っているだろうが!」

 

乗員達の騒ぎをよそに、『鳳』のFCSは予定の高度でスケジュール通りに投下を開始した。

一発目は地上のレーザー誘導に乗って確実に目標に向けて落ちていった。

 

「サヨナラァ」

 

 

 


 

 

今、零号機が正に引き金を引こうとする瞬間。

けたたましい警報と共に、再び空気が深紅に染まった。

 

「今度は何よ!」

N2です、爆撃機が投下しました!」

「そんな!この高度じゃ半端すぎる!」

「零号機は防御姿勢、ATフィールド展開始めます」

「相手の機動兵器は…」

「これ…違う」

「何?」

「爆撃機が依然降下中です。このままじゃみんな巻き込まれるのに!」

 

N2じゃ

 

強烈な閃光が 

 

 

「しまっ…」

 

 

 

全ての感覚を断ち切った。 

 

 

 

 

 「まさ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「何よ…これ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何が起きたのかは分からなかった。

 

 

一瞬の光と、鼓膜が破れるくらいの轟音。

 

 

零号機の目の前に居座る賊達が微動だにしない光景を確認したきり、意識が飛んだ。

 

 

N2が降ってくるのは分かっていた。

 

通常なら、N2は爆風の効果が最も高く得られる高度に達してから爆発する。

 

だから、エヴァのフィールド発現や本部のセンサー、カメラのフィルタもそのタイミングに合わせて被せられる。

 

その筈なのに、あの落ちてきた『物体』はそんなタイミングを無視して炸裂した。

 

たとえN2が炸裂したとしても、これほどの閃光が起きる筈もない。

第一、音や光は強烈でも、肝心の衝撃は一向に襲いかかってこない。

それとも、もう自分は死んでしまっていて、衝撃を感じる程の猶予も与えられなかったのだろうか。

でも、背中には間違いなく硬質の床の感触が、ある。

 

 

 

 

まだ、生きている。

 

 

 

 

 

 

「…ぎさん、葛城さん!」

 

身体が揺すられる感触と同時に、静寂が次第に強烈な耳鳴りに変化し始めていく。

頭が痛い。

恐る恐る目を開けると、ぼやけながらも色彩や輪郭は正常に把握できた。

薄皮一枚隔てた視界の向こう側では、砂嵐の暴れる複数のウィンドウが現れては消え、職員達は復旧に当たっているらしく大声を上げながら端末を操作していた。

 

「…日向君、状況は…」

「爆発から27分経過しています。音声と閃光は一瞬でしたが、計算を外してきたお陰で『目』と『耳』のセンサーが死にました」

「予備の回線で復旧を目指していますが、地上の状況は未だ完全には掴めていません」

「レイは、零号機は?」

「生命反応は異常ありませんが、パイロットは失神しています」

「それに…」

 

地上の『目』や『耳』が回復したらしく、一番大きな画面に灯が点る。

零号機が、道路の真ん中に横たわっていた。

その周辺には兵器どころか人っ子一人いない。

 

「零号機自体が『失神』しています。パイロットが回復していても、これでは復帰に時間がかかります」

N2爆弾ではなかったのですが、一時的に発生した光と音はそれを凌駕していたようです」

「そうか…スタングレネードね」

 

ふらつく足下を何とか落ち着かせて、強引に立ってみる。

意志に従わない上体がぐらついて倒れかける。

後ろから支えたのはリツコだった。

 

「なるほど、N2サイズの攪乱兵器ならばエヴァにも効果があるという事ね」

 

椅子に腰掛けると、波が打ち寄せるようなリズムで短い頭痛が繰り返し襲いかかってきた。

それでも休める暇がある筈もなく、嘔吐する代わりに思いつく事を口から吐き出して、意識を強引に引き戻してみるしかなかった。

 

「攪乱なんてものじゃないわ。エヴァが生物兵器なら、弱点も人間と同じという事…それを知っていたのよ。知っていてと言うより、思いついたのかな…私達だって考えていなかったんだから、全く独創的なアイディアよね…」

「遮断機構を騙す為にわざと妙なタイミングで投下させたんですね」

「何のつもりか知らないけど、これならATフィールドも関係なく攻撃できるわ。大した奴等じゃない、戦自の連中に爪の垢でも飲ませてやりたいわね」

「被害範囲から推定すると、零号機を中心にしてだいたい1km範囲に攻撃が集中しています」

「ご丁寧に指向性か…エヴァといえども形無しね」

 

ここまで来て、ようやく重大な問題を思い出した。

 

「連中は?アレの居場所は?」

「見ての通り、姿を消しました。動力反応もありません」

「ドップラーレーダーの記録によれば、爆撃機の方はあれから地上ぎりぎりまで降下して急上昇して消えたようです」

「あれだけのデカブツが急上昇?ロケットでも使ったのかしら」

「第2観測所の音声記録の最後にそれらしき…」

 

リツコとマヤの会話を置き去りにして無理矢理立ち上がり、いつもの場所に戻る。

機動兵器が消えたのなら、その中身はどこに行ったのか。

空と地上で連携しているなら、まず今の隙をついて行動に出たと考えて間違いない。

あれだけの図体を隠す手段を考える暇は無いけど、既にパイロットはジオフロントに侵入していると考えた方が良い。

行動を起こす必要があった。

ここまで突破されたのなら、最悪の事態も想定しなければならない。

 

「掃討部隊は?」

「選抜は終了していますが、武装がまだ十分には…」

「部門を問わずに武装可能な職員全員を総動員して、地上からの侵入可能ルートを虱潰しに索敵します」

「全員ですか?」

「非武装の下級職員は第15層まで避難するように…」

 

 

頭上で、何かが砕ける音がした。

 

 

「…勧告します。第1次戦闘態勢のままで避難作業を…」

 

 

後ろの床に、何か固い物が落ちた。ごく短い、金属音。

まださっきの衝撃が頭に残っているのかと思った。

 

 

「…葛城さん、今何か変な音が…」

 

 

頭の回路が、最悪の結論をはじき出していた。

振り向くと、円筒状の物体が弧を描いてバウンドしているのが見える。

まるでスローモ−ションでも見ているように、その形がハッキリと確認できた。

国連軍正式採用型、HG-012手榴弾。

 

首筋にまとわりつく寒気が、一気に収束して恐ろしい力で締め付けてくる。

 

死が、見えた。

 

 

「伏せて!」

 

 

 

頭を下げた後に、誰かが私の上に覆い被さるのが分かった。

 

庇っているつもりなのか?

 

この距離では、どう足掻いても致命傷は避けられないだろうに。

仮に私が助かっても、もう…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

衝撃はまたも来なかった。音もなかった。

 

その代わりに鼻腔から軽い刺激臭のついた気体が侵入してくる。

耳を塞いでいた手から先に離すと、誰かのせき込む声が聞こえた。

 

手榴弾でも催涙弾でもない、

降ってきたのはただの煙幕弾だったのだ。

 

「動くな」

 

ここにいる誰にも該当しない、無機質な声だった。

私の背中に乗っていた誰かの体重が消え、次いで打撲音と悲鳴が起こった。

悲鳴はマヤのものだが、苦悶する声からすると乗っていたのは日向君のようだった。

 

「抵抗は無駄だ。我々の勝ちだ」

 

実に単語数の少ない、機械的な英語が教科書通りの発音で繰り出される。

覚悟を決めて、使徒をも凌駕する侵入者の姿を見るべく、目を開いて顔を上げた。

沸き立つ白煙の中心で、黒ずくめの小柄な防毒マスク男が剣呑な小銃を構えてこちらを見据えている。

 

「この司令室は我々が占拠した。これより機能を停止し、地下全域を掌握する」

 

しかしその声はまるで声変わり前のように甲高く、背丈はせいぜい中学生ほどの高さしかなかった。

そのくせ、小銃を構える姿勢は袈裟懸けに掛けたストラップで固定する方法を使っていて、明らかに何処かの特殊部隊のやり方を踏襲しているのが分かる。

 

その子供のような外貌と、冷徹な戦闘技術の組み合わせに、不気味な違和感を覚えずにはいられなかった。

 

 

 


to be continued

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