「…OK、充分だわ。合格よ」

 

緊迫した空気の中で、くぐもったリツコの声が響いた。

自分を含めた周りの人間が恐怖に縛られているにも関わらず、彼女だけが平然と煙幕の中に立って黒ずくめの少年に話しかけている。

呑気な事に猫の模様が入ったハンカチで口元を覆いながら、目の前の空間を手で扇いで何とか視界を保とうとしていた。

 

「でも、司令室の制圧までやるとは聞いていなかったわ」

 

リツコの言葉を契機にして、少年の構えがゆっくりと解かれていく。

弛んでいく筈の姿にも関わらず、殺気と言うか、少年から発散される緊張感は全く変わる事なく周囲を威圧していた。

 

「状況が変化したので、計画を変更しました。ご了承下さい」

「これだけの変更を何の連絡もなしで強行するというの?」

「そうです」

「…なるほど、こちらの事情はお構いなしという事ね」

「無礼は謝ります。色々と検討した末の行動ですので、お気を悪くなさらないように」

「納得できる説明が貰えるなら、私は別に構わないわ。もっとも、皆はそうもいかないでしょうけどね」

 

呆気に取られていたせいで、今更になって気が付いた。

この少年は、極めて流暢な日本語で会話をこなしている。

外国人独特の発音癖もない、本物の日本語。

 

この襲撃者は第三国の軍人でも何でもなく、紛れもない日本人だったのだ。

 

 

 


 

2015 tokyo-3

―― the dark children ――

mission 3 「under ground」

 

 


 

 

少年が煙幕弾を始末し、リツコが換気装置を作動させて視界はすぐに元に戻った。

 

「警報を解除して第二次戦闘態勢に移行。戦自への連絡は『誤報』とするように」

「リツコ!」

 

できる事なら、胸ぐら掴んでひっぱたいてしまいたかった。

銃を下ろしたまま突っ立っている少年もろとも射殺できれば、なお良かった。

 

「何を言われても構わないわ。でもそれは全部後回しにして、先に私の話を聞いてちょうだい」

「ええそうね。私だけじゃなくてここにいる皆が聞きたがっているでしょうよ」

 

そして実際に白衣の襟元を掴み上げた。「本当なら反逆罪で投獄なしで即銃殺モノよ」

 

「…そうかもしれないわね」

「とぼけないで!一体何のつもりよ!?こいつら何者なのよ?」

 

威勢良く怒鳴ってはみたものの、すぐ横にいる少年の方を見る事もできない。

まるで強大な違和感と威圧感の塊が、人の形を取って聳えているようにも感じる。

職員達も数の上では圧倒的に勝っているにも関わらず、取り押さえようともせずただこちらの動向を見守るばかりだった。

同じ人間・人種の筈なのに、存在自体はむしろ異世界の得体の知れない獣に近かった。

 

「我々は敵対勢力ではありません。これだけの事をして信じられるとは思いませんが」

 

口を聞かれたと思うだけで、無条件で心に怒りが満ちあふれる。

言葉の意味など認識すらできなかった。

 

「日向君、そいつから銃を取り上げて拘束して!」

「え…拘束、ですか?しかし既に戦意は」

「早くしなさい!」

 

自分でもヒステリーに片足突っ込んでいるのは分かっていた。

ろくに拳銃持った事のない彼らが、実戦において不甲斐ないのも仕方のない事だった。

でも、許す事ができない。

何よりここまで付け入られたのは自分のミスだったのに、それを認めたくなかった。

 

少年は割と素直に小銃を引き渡した。H&KMP5のSD6。体格と任務に合った装備と言えた。

次いで彼はご丁寧にも両手を揃えて前に突き出し、みずから手錠を催促してきた。

だが、無論、司令室勤務の職員が手錠なんて持っている訳がない。

 

「押さえつけるなり何なり幾らでもできるでしょう!?」

 

結局、青葉君と日向君がそれぞれ自前の拳銃と奪った小銃で釘付けにする形になった。

二つの銃口に睨まれているくせに、危機感をかけらも感じていないらしい少年は、いかにも手持ち無沙汰そうに突っ立っている。

防毒マスクは暗視スコープと一体型で顔面全体を覆う汎用電子視界式なので、本当の視線がどこに向いているかは分からない。

ひん剥けば顔を拝めるかもしれないが、どんな得物を隠しているかも分からない状況で、さすがにそれは無謀に思えた。

 

最大の曲者たるリツコは、先程の態度なぞ何処吹く風で、マヤと一緒に端末いじりに精を出していた。

 

「アンタ、本当に頭でも打ち抜いてあげましょうか?」

「静かにして」

 

半透過のモニタ上に緻密な網の目模様が広がっていく。

拡大していくと、それらは更に何万という細かいグリッドとセクタによって分けられているのが見えた。

何度か拡大を繰り返し、最初の画面と比較すると想像も付かない程のミクロな区画までたどり着く。

その一角――膨大なジオフロントの半閉鎖型ネットワークの片隅――に、微かなノイズが挟まっていた。

そのグリッド名は、ミサト自身も知っている身近なものだった。

 

「ここの…司令室のすぐ近くに、『漏れ』があるって言うの…?」

「そんな、ハッキング対策は万全の筈です!10時間ごとに自己検査とクリーニングプログラムが走るんですよ、外部からの侵入なんて不可能です!」

「これはパスやアカウントを偽造した訳でもない、物理的な接触よ。介入しないで情報を読むだけなら発覚しにくい手段だわ」

「何にしても、情報が漏れていた。これは事実ね」

 

リツコの顔は心なしか青ざめているようだった。

 

「まさかとは思うけど…リツコ、あんた」

「こんな事までは知らないわ。私の目的は、」

 

一瞬で周りの視線が自分達に向かって集中するのが分かった。

 

「彼らの実力を判断する事…それだけだもの。私自身が手を貸したら意味がないわ」

「今更訊くまでもないでしょうけど、奇襲の事は最初から知っていたのね?」

「ええ。その上で、彼らにいくつか条件を出して試験をさせたわ」

!」

 

自分を止められなかった。

理性が抑制するより一瞬早く、手が出た。

 

「試験ですって…そのせいでどれだけ被害が」

「出ていないわ」

 

リツコは片頬を手で庇いながら毅然と睨み返してきた。

 

「条件の一つは、施設の損害を最小限に抑え、また人的被害は一切出さない事。実際、誰も死ななかったし大きな被害もなかったわ」

「レイは?零号機はどうなのよ?」

「たかが失神しただけで死んだように騒ぐんですか。この国では」

「何ですって!?」

「条件を守る為に、高い金払ってキングサイズのスタン仕入れたんだ。感謝してもらってもいいくらいですよ」

 

少年だった。

事実上拘束されている状況など屁とも思っていないらしく、思わぬタイミングで割り込んできた。

 

「これなら、委員会がすがりつくのも理解できる。ろくに外敵も排除できない連中に、文句言われる筋合いはありませんね」

 

返事の代わりに、常時装備している拳銃を突きつける。

少年の口にした言葉の意味や、近づく事による危険性は頭の中から綺麗に消え去り、代わりにこの糞餓鬼の頭を消し飛ばして減らず口を黙らせるイメージだけが充満していた。

誰もが息を飲んでこちらを見つめているのが肌で感じられた。

少年の無表情なマスクのお陰で、引き金を引くのもそう難しいとは思わない。

暗視スコープのゴーグル部分に銃口を当て、撃鉄を下ろす。

昔見た古い戦争映画の処刑シーンが、一瞬頭の隅をかすめて消えていった。

 

「止めなさい、葛城一尉。あなたに彼を処刑する権限はないわ」

 

リツコが事務的な物言いをする時は、大抵本気で止めにかかっている時だと知っている。

だがここで引き下がれば、この組織を支える屋台骨が崩壊する。

根拠なんて分からない。

ただ、そんな気がするだけだ。

 

「あなたの行動は理解できます、一尉。ですが、本当に私を殺せますか」

 

突然、ゴーグル部分だけが上にスライドして開き、少年の瞳が表に曝け出された。

 

どんな人間でも、目の部分だけを切り取って見れば善良に見える、という話を聞いた事がある。

これだけ人を虚仮にし、武力で脅迫してきた相手の目は、それでもやはり、まだあどけない少年のそれだった。

背格好からすればちょうどシンジ君と同じくらいだろうか。

すぐ目の前には銃口があるというのに、私達と同じ黒色の瞳は物怖じもせずに真っ直ぐこちらを見つめている。

優しげで、若さや輝きも失っていないくせに死を恐れない、そんな目だった。

 

「目を見て人は殺せませんか」

「…」

「泣こうが笑おうが殺そうとする相手は人間だ。逆にそんな表情を見せなかったとしても、やはり人間である事には変わりはない」

「…」

「どんな人間だろうと、殺すべき相手なら躊躇せずに引き金を引くべきです」

そして再び瞳はゴーグルに覆われた。「それがせめてもの礼儀というものでしょう」

 

指の力が抜け、形骸と化した拳銃がゆっくりと下りていく。

確かに、この少年は敵ではない。こんな悠長な敵がいる筈がないのだ。

少なくとも、二重三重の罠や陽動を仕掛けてここまで潜入した周到な凶悪さと、この少年の態度はかけ離れていた。

 

強いて言えばただ不愉快で不気味だった。

 

「二人とも、いい加減になさい。皆を怯えさせてもどうしようもないでしょう?」

 

知らない内に、リツコがすぐ側まで来ていた。

 

「アンタに言われたくないわよ」

 

用心深く、銃口を人のいない方に向け、デコッキングレバーを押してハンマーを戻す。

ふと気になって少年の方を見ると、レンズの双眸がこちらのやや斜め下に向いていた。

どうやら、銃を扱う手つきを見ているようだった。

気味が悪くなり、逃げるように背を向けてリツコに詰め寄った。

 

「じゃ、まずこの有り難いテロリスト共で何をするつもりなのか説明してくれるかしら」

「詳しい事は私も聞かされていないわ…でも、外部からの人的脅威への対策の一環なのは確かね」

「はぁ?コイツら自体がれっきとした人的脅威とやらじゃないの」

 

「すいません、ちょっと…」

 

申し訳なさそうな日向君の声に振り向くと、また少年だった。

無言で自分の手首を指さして、何かを要求しているようだった。

 

「今度は何よ?」

「通信を許可して欲しいみたいです。どこかから呼び出しがあったらしくて」

「なるほど。じゃ、ついでに散々騒がせてくれた連中を引っ張り出してくれないかしら?」

 

少年は全く喋らずに淡々と通信を始めた。

どうやら、手首にリストバンド型の通信装置を装備しているようだった。

指先で軽くキータッチをしているだけだから、テキストのみで相手とやりとりできる物なのだろう。

一見不便そうだが、文字データなら同時複数の暗号化だけでほぼ傍受不可能にできる。

問題は、送る相手が今どこにいるかだった。

 

「貴方がそう言ってくれるのならこちらとしても助かります」

 

通信が終わると、少年は突然別人のような落ち着いた口調で話し始めた。

 

「丁度良い顔見せになりますので」

「顔見せ?」

 

そうして彼は司令部全体を見渡せるテラスから身を乗り出し、眼下に広がる司令室の空間を見渡し始めた。

青葉君と日向君は惰性で銃を持ったまま、その後を追うだけで何もできなかった。

 

「そこ!最下層のA4ブロックの人!」

 

銃を向けていた時には全く想像できなかった、ごく自然でフランクな口調で怒鳴ってみせた。

下を見ると、最下層の職員達がこちらを見上げて騒動の様子を伺っていた。

その片隅に固まっている一群が、自分達のいる場所を正体不明の侵入者に言い当てられて動揺し始める。

 

「ちょっとどいてくれませんか?そこ危ないんで…」

 

やけに物腰の低い態度が不気味さに拍車をかけていたせいか、A4ブロックにいた職員達は転がるようにその場から逃げ出した。

残りの皆は遠巻きにA4を取り囲み、二層、三層の連中までもがテラスから身を乗り出して野次馬と化している。

ミサトには、もう牧歌的とか何とか言う気すら起きなかった。

最初に武力で奇襲をかけた時より、むしろ銃を手放している今の方が、この場を容易に支配できているのも驚きだった。

 

最初に脅威で揺さぶりを掛け、すかさず友好的な態度で場を支配する。

小学校の教師でも知っている一種のマインドコントロールだったが、立場が上の者が行うには最高の掌握術でもあった。

 

この少年は、ただ単に腕が立つだけの「兵士」じゃない。

どうすれば人間を操作できるのかを的確に把握しているし、それに適する人格を判断して、任意に自分を変化させられる。

ただのテロ屋ではないのは、これではっきりと分かった。

 

「…随分、ここに詳しいようね」再び装填した拳銃を片手に、少年の左斜め後ろに立って話しかける。

「ご心配なく。図面を持っているのは我々だけで、他の組織には流通させていません」

 

A4――最下層の側壁に面した区画――の壁に、鈍い爆音と共に大穴が空いた。

 

「正体を訊ねた所で話す訳ないだろうけど…何が目的くらいかは聞かせてくれないかしら」

「もう少し待っていただければ、」

 

いとも簡単に開けられた大穴からは、重量感のある金属音と共に、人の話す声が聞こえてくる。

紛れもなくそれは、ミサトも3年前には日常語として使っていた英語とドイツ語だった。

 

「全てお話しできます。何より貴方が聞く気になってくれて良かった」

「押し込み強盗みたいな真似をしておいて、ふざけた事を言うじゃない」

「我々の手段がどうあれ、今のネルフは人的脅威に対して極めて脆弱な防御力しか持っていません」

 

壁一枚隔てた暗闇の中から、少年と同じ黒装束で防毒マスクの兵士が何人も入り込んでくる。

背丈の割に異常に発達した肉体を持つ者から、やはり子供のような体格の者まで様々な兵士がいた。

それぞれが肩に剣呑な銃器を担ぎ、余裕の態度で談笑しながら悠然と職員達の前を通り過ぎていく。

後ろには、何故か本部内でもよく見かける清掃用の電動カートが続いて来る。

カートには通常の洗浄器具と、戦場でしか見かけないような重機関銃が載っていた。

その姿は、まるで地上に侵入する悪魔の行列のようだった。

 

「それが現実です」

 

突然、テラスの向こう側に小さな黒い影が幾つも飛び上がってきた。

思わず後ずさって離れると、『影』は手すりに絡まって定着し、それでフック付きのワイヤーだと分かった。

下にいる連中が一斉に歓声を上げ、やがてワイヤーに吊された兵士達が下から姿を現し、軽々とテラスを乗り越えて最上層の地に降り立った。

伸びていたワイヤーは、彼らの背負ったバックパックの中に巻き上げられていく。

 

まるで冗談のようだったが、それで最下層からここまで上がってきたのだ。

 

総重量20kgは下らないであろう、少年と対照的にゴテゴテとした重装備の人間を軽々と持ち上げる程のウインチが、あの登山ザックと同じくらいのパックに仕込まれている事になる。

要するに装備から組織まで、初めから役者が違っていたのだ。

結局、司令室の最上層に重装備の機械化歩兵の一個小隊が出現する事で、ネルフの防衛網は無力化された。

少なくとも、無力である事実を目の前に突きつけられてしまったのだ。

 

 

 


 

 

「…なるほど。使えそうなのは、この女くらいか」

「唯一駒として使えるのが司令官本人ってのは、笑えない冗談だな」

「で、どれだけ話したんだ?タカシよ」

「まだ何も」

「だろーな。でなきゃそこのバカ面二人が理解できねぇ」

 

この場において、ドイツ語が理解できるのはミサト自身の他にはリツコぐらいしかいない。

だから、黒ずくめの兵士達がいくらバカにした口調で嘲笑しても、その内容までは皆には理解できない筈だった。

しかし、あからさまな笑い声や余裕綽々の態度で、誰が見ても大意は汲み取れる。

恐らく、彼らもそれを知った上でそういう態度を取っているのだろう。

要するに完全にナメられているのだ。

だが、この状況ではどうする事もできない。

最下層から上がってきた連中は戦闘態勢こそ取ってはいないが、例の少年は彼らから銃を受け取ったらしく、いつの間にかMP5Kを油断なくこちらに向けていた。

Kは短銃身だが、この距離では一瞬にして全員が蜂の巣にされてしまう。

仮に青葉君や日向君が応戦したとしても、とても間に合うタイミングではない。

連中はその状況を見越した上で笑っているのだ。

 

「な、どうするよ?俺達だけじゃ、単なる怪しい盗賊団だぜ?」

「取り敢えず…自己紹介でもするか」

「何だそりゃ?」

「何の信用もねぇガキ共がくっちゃべっても意味ないだろ」

「知るかよ…でもこのまんま睨めっこってのもマズイんじゃないか?」

 

内緒話をしているつもりなのか、兵士達は顔を見合わせて小声で下らない内容をこねくり回し始めた。

装備はいかにもプロのそれらしいくせに、大袈裟な仕草や馬鹿笑いは、まるで中学生のじゃれ合いのようだった。

最初に現れた少年といい、この武装集団の構成員は、尽く低年齢の兵士ばかりなのかもしれない。

 

「間が持たねぇ。JJ、お前何とかしろよ」

「何で俺なんだよ?」

「お前が一番口が達者だろ?」

「年増は苦手なんだよ」

 

そうして剣呑なマスク面達が一瞬だけミサトの表情を伺い、

 

「ほら、彼女怒っているぞ。何とかしようぜ」

「日本人相手ならタカシにやらせろよ…タカシ!」

 

『タカシ』

 

それがこの場を煙幕弾と銃一丁で支配した少年の名前だった。

仲間に呼ばれたタカシは、用心深く銃を構えたまま会話に参加した。

 

「その女にはドイツ語で通じている。そのまま話せばいい」

「いーじゃねえか、民族の絆は宗教よりも強いんだから」

「デタラメを言うな」

 

JJ』らしき兵士がタカシに近寄り、何事かを耳打ちした。

 

「…分かった、交代する。ブレイク、レディ」

 

それまで馬鹿騒ぎに徹していた兵士達が、少年の掛け声と共に豹変し、手持ちの火器を一斉に構えて分散隊形を取り始めた。

中央の三名が人一人分の間隔を開けて後退し、残りの四名が左右に分散して、それぞれこちらに銃口を向けて待機する。

三名はそのまま前方を、左右の四名は対角線上の区画をフォローする隊形だった。

 

「ゲットセット、レディ」

 

最後の掛け声と共に、今まで構えていた少年一人だけが銃を下ろした。

これで、警戒パートと交渉パートが交換された事になるのだろう。

最終的に、逃げ場のない包囲網と、その真ん中に対話役となる少年というフォーメーション成立した。

 

「…それで、どこまで話しましたっけ?」

 

 

 

奇妙な感覚だった。これがデジャヴと言うヤツだろうか。

 

いつかどこかで、同じ場面を経験したような気がする。

 

そう言えば、この少年の声も何となく聞き覚えがあった。

しかし、こんな物騒な連中を見たのは初めてだし、少年との面識もない筈だった。

だが、さっき僅かな間だけ見えた彼の瞳は、確かに頭の片隅に落ちている記憶と一致している。

あれは…どこで見たのだろう。

昔付き合っていた男の記憶か。

鏡の中で見た自分の瞳にも似ているような気もする。

もしかしたら、最後に見た父の残像なのかも知れない。

だが、その瞳の記憶と、少年の印象が何故重なるのかが分からなかった。

 

 

 

気が付くと、タカシが呑気にバックパックから書類筒を取り出し、それをこちらに放り投げる所だった。

日向君がそれを恐る恐る開けてみると、見慣れた書体と文面が目に入った。

 

「…委員会からの命令書!?」

「まあ、そういう事で。ひとつよろしく」

「そういう事って…『正式に第三新東京市及びネルフ本部の施設の使用許可を与える』って書いてあるぞ」

「だったら、こんな真似しないで普通に来れば良かったじゃないですか!」

 

本当に兵士達が敵でない事実を知った事で、日向君達の対応がいっぺんに変わってしまった。

隅に真っ赤なネルフの紋章がプリントされているだけで、その書類が本物であるという根拠もないのに。

 

「襲撃は基本的には我々の意志ではありません。彼女に聞いてみれば分かるでしょう」

 

言わずと知れたリツコの事だった。

だが、奇妙な事にそのリツコ本人が全く腑に落ちない表情で兵士達を見つめている。

冷静で自信に満ちた揺るぎない態度は頬を叩いた時に既に失われていたが、そのまま回復する余地を見つけられないらしく、ただ現状を傍観したまま混乱しているしかない様だった。

少なくとも、そんな彼女を見たのはこの時が初めてだった。

 

「テストを指示したのは、委員会と碇司令よ…正確に言うと、碇司令の発案を委員会が許可したの」

「碇司令が!?」

「目的は、ジオフロントを含む第三新東京市全体をフォロ−する防衛戦力を導入する事。その実用試験と…」

「デモンストレーションね。この場所がいかに人的脅威に対して脆弱であるかを実証する為に、敢えて彼らに攻撃させたんでしょ」

「その通りよ。でも、彼らは施設内に潜入した時点で撤退し、その後で改めて顔見せする予定だったわ」

 

「それが、そうもいかなくなりました」リツコとミサトの間にタカシが割り込んで言った。

 

「思ったよりも早く状況が悪化しています」

「まさか、もうここまで来ているとでも?」

「その辺はご想像にお任せしますが、既に現状において、私達は表立ってこの組織に導入される訳にはいかなくなっています」

「そう…ヒトがロジックに従わないのは分かっていても、その想像さえも越える事もある訳ね」

「まあ、ヒトですらない獣なら、思考の想像など望むべくもありませんので」

 

こちらには通じないニュアンスで、タカシとリツコが会話していた。

正体が見えないはずの相手と冷静に会話しているリツコに、ミサトは何とはない違和感を感じた。

 

「あのさ、話が見えないんだけど…その悪化した『状況』っていうのは何の事よ?」

 

二人が揃って彼女の方を向いた時、

 

「きゃっ!」

 

マヤの悲鳴だった。

咄嗟に少年達を見るが、彼らは相変わらず銃をこちらに構えたまま、微動だにしていない。

悲鳴の起きた方に駆けつけてみると、マヤは床に尻餅を付いて端末の真下を指差していた。

 

「どうしたの?」

「ゆ…床の下から…音が…ノックが聞こえて…」

 

下層から響いてくる喧噪を聞き間違えたのでは、と思った。

だが、確かにマヤは自分以外の誰かが床を叩く音を聞いたと言う。

安易に耳を床に付けるのもためらわれるが、確認は行わなければならない。

手で触れてみても、特にどうという変化も見えなかった。

一旦懐に納めた拳銃を再び取り出し、慎重に頭を床に近づける。

 

その鼻先で、床下からの振動が伝わってきた。

 

明らかに人間の叩くノックの間合いで、2回。

 

咄嗟に拳銃を構えて下がると、途端に猛烈な勢いで床下からノックが繰り出され始めた。

 

「ああ、悪いな。忘れていた」

 

タカシは問題の床の上に座り、妙にリズミカルな拍子でノックを床下に送り返した。

すると今度は床下から同じようなリズムの、しかも訴えるようなノックが返される。

紛れもなくそれは何らかの暗号で、タカシと下の何者かが親しげに会話しているのだ。

 

「忘れていただけだって。そう騒がないでくれよ」

 

タカシはそう呟いて、腰のポーチから手の平に入る程のショートドリルと、やけに大袈裟なキーホルダーを取り出した。

言うまでもなく、キーホルダーの正体は様々なドライバーヘッドのセットで、タカシはそこから一本を取り出してドリルに取り付ける。

 

「よう、そっちはもう大丈夫なのかよ?」

 

突然のドイツ語に振り向くと、さっきまで銃を構えていた筈の兵士達が、呑気に雁首揃えて突っ立っていた。

一体、統率が取れているのかバラバラなのか、理解に苦しむ連中だった。

 

「お前ら、命令もなしに散開するなよ」

「もう書類見せたんだろ?だったらもう良いじゃん」

「バウアー隊長が直々に顔見せない限り、完全には信じないだろ…ここ開けるから手伝えよ」

「早くしないとニッキの機嫌がどんどん悪くなる…」

「分かってんなら早くしろよ」

 

端末の真下に兵士達が群がり、ハニカムチタン製の床を固定しているネジを一斉に外し始める。

ネジは通常では流通していない形状の物を使っている筈だが、今更それを気にするのも馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 

「いいか、こっちはOKだ」

「よし、上げるぞ。アイン、ツヴァイ…」

 

本来なら、マギの不具合でも無い限り開く事のない扉が、易々と解き放たれる。

 

だが、その向こうには更に気の滅入るものがいた。

 

膨大な配線と配管の渦の隙間から、小さな黒い影が這い出してくる。

こちら側に立っている連中とは異なる、身体に密着したナイトスーツで全身を包んだ小柄な女性だった。

目だけはタカシ達と同じ暗視スコープ型のゴーグルに覆われていたが、潜入用とおぼしきナイトスーツは、くっきりと彼女の身体に張り付いて、ごく端的に体型を表現している。

均整の取れたバストやヒップが美しい曲線を描いてはいるが、そのバランスの良さが低い背丈には不似合いで、却って彼女の半端な幼さを目に見せているようだった。

 

「で、上手くいった?死人はいないみたいだけど…」

 

さっきまで潜んでいた空間の奥から荷物を引きずり出しながら、いかにも興味なさそうに彼女が訊ねる。

荷物と言っても、シートサイズのパソコンと、食料や飲料水らしい幾つかのパックだけだった。

その中の一つ、何かの液体が入っているらしいパックを、兵士達の群に向かってアンダースローで投げつけた。

 

「何だよこれ」受け取った一人が聞き返した。

「小便よ。もう用済みだから始末して」

「ゲッ!ふざけんなよ」

「忘れていたお詫びに、それくらいやってくれてもいいじゃない。飲みたければ飲んでもいいわよ」

「そんな趣味あるかよ」

 

そうして少女は尻餅付いているマヤに何食わぬ態度で近づき、しゃがみ込んで先程のタカシと同じ要領でゴーグルを外し、その瞳を曝した。

 

彼女の目は透き通るような蒼色だった。

 

「すみませんね。驚かせちゃって…あそこはすぐに直すんで、ちょっと手伝ってくれません?」

 

意外な事に彼女までも流暢な日本語を話したが、それに気を取られる余裕もないマヤは、今にも泣きそうな顔でリツコを伺った。

 

「下で『漏らし』ていたのはその子でしょ。敵じゃないんだから、指示に従いなさい」

 

リツコは首を振ってつれなく突き放した。

 

「あの、手伝うって何を…」

 

恐る恐る立ち上がるマヤに、少女は目だけで笑いながら言った。

 

「心配しなくても大丈夫ですよ。ちょっとしたイベントの準備だけですから」

 

 

 


 

 

血塗れの床の上には、両足首と両手の親指を針金で縛られた男が転がっていた。

猿ぐつわを噛まされている顔は、口髭を生やした金髪のスラブ人という面持ちだった。

その金髪も彼自身の血で赤黒く染まり、縛られている親指以外の指は尽く爪を剥がされた上に砕かれていて、生命を維持できるギリギリの環境に追い込まれているのは、傍目にも明らかだった。

 

「三つ質問する。答えなければ死なない程度に更に傷を増やしていく」

 

打ち放しのコンクリートの天井に、ゴミのような傘付きの裸電球。

男の目にはそれ以外は何も見えない。

どこかの地下室かもしれない、という情けない憶測の他には、止めようもない恐怖と混乱が頭の中を飛び回るばかりだった。

何よりも、声を出している筈の脅迫者が何処にいるのか分からなかった。

実際には、河本は男の3m程後方で椅子に座っているだけなのだが、現実から目を背けたい一心からなのか、男の脳は部屋に響く支配者の声だけを受け入れるのみで、具体的な状況の分析など望むべくもなかった。

 

猿ぐつわが外され、最初に男の口から出た言葉が、

 

「貴様、何者だ?何故俺達を知っている!?」

 

男の顎が強く床に叩き付けられた。

河本の履いている革靴の底が男の頬に食い込み、反対側の頬が下ろし金のような床に擦りつけられ、肉を削り取られていく。

骨が折れる寸前で力を抜いているとは言え、男にとっては地獄のような苦痛だった。

 

「質問をするのはこちらだ。まず一つ、この国に入った時期は?」

「…俺が入ったのは1ヶ月前…残りの連中はその前からいた…詳しくは知らない」

 

従順に答えた事で、男の顔から足が退けられる。

衰弱した咳と共に口から夥しい血が流れ出し、折られた歯が血の赤に紛れたままで不気味に白く輝いていた。

 

「明確な攻撃目標は伝えられていたのか?」

「俺は…ただ施設に潜入して撹乱するのが目的だと言われた…だが、その割には他の連中の態度が異常だった…奴らが超原理主義派だなんて知らなかったんだ…」

「この国に入るまでは、全てアメリカのエージェントが世話していたんだな?」

「そ、その通りだ。現場に来てから全くメンツが違ったんでおかしいとは思っていた…」 

 

そして男の表情が明らかに打ちひしがれた弱者のそれに変わり、懇願するような目で必死に後ろにいる河本の姿を見ようとあがき始めた。

 

「な、な、分かるだろ?俺は雇われただけなんだ。頼む、知っている事は何でも喋るから、命だけは助けてくれ!」

 

それまで辛うじて保っていた声の緊張感も無くなり、もはや命の恵みのみを求める乞食に成り果てていた。

 

「俺は騙されたんだ…研究施設で技術調査するだけだった筈なのに…」

「フン、その割には、貴様の最初の言葉はやけに自信に溢れていたな。自分が捕獲されるという状況を全く想定できていなかったんだろう?」

!」

「まあ、貴様が教徒じゃない事は認めてやろう。だが潜入先がネルフだという事実は知っていた。違うかな」

 

河本の声が、いつしか怯える男をなだめる優しい神父のそれに変化していた。

それに引きずられる形で、男の口調も饒舌さを増し始めていく。

 

「…ああ、そうさ。規模と任務の割に対人防御は脆弱だって聞いていたし、日本人はろくに銃も撃てない連中だって聞いていたからな」

「その情報は正確だな。ごく単純な一般論に過ぎないが」

「唯一問題になる保安諜報部に引っかからないように物理的潜入を計れば楽勝だって…だが連中には潜入で終わらせるな気は更々無かったんだ」

「それで怖じ気づいた所で捕まった」

「奴等はクレージーだ!何の事はない、死ぬ為にここに来たのさ!俺はただ契約しただけの傭兵なんだぞ!」

 

河本は再び椅子に座って、男の八つ当たりを黙って聞いていた。

騒ぐだけ騒いだ男は、荒れる息を咳に巻き込んでしまい、喘息のように激しい発作に襲われた。

のたうち回り、肺の奥から絞り出すように血痰を吐き出し、縛られている現実も忘れて両腕を口や胸に持っていこうと無駄な抵抗を始める。

肋骨が折れているのかもしれない、と河本は思った。

 

「では、最後の質問だ。具体的な彼らの目的は何かね?」

 

最後のフレーズがコンクリートの地肌に反射され、やがて消えた。

発作の収まった男の息が、次第に沈黙へと収束していく。

滲み出るような時が過ぎて、ゆっくりと男の口が開いた。

 

「…自爆テロだ。『偉大なるアラーとその使徒の為に、汚れた異教徒達とその偶像を、この身を持って排除する』と言っていた」

「なるほど。それなら逃げ出すのも無理はないな」

「俺の故郷にもイスラム教徒は腐る程いたし、戦争で殺し合いもした。だがあそこまで狂ってはいなかったぜ」

「本場物は違うだろう?あれが正真正銘の超原理主義だ。穏健派原理主義を含んだその他の回教徒から毛嫌いされている、最後の無差別宗教テロ組織だ」

「畜生!何だって俺が奴等の尻拭いを押し付けられたんだ!アメ公の仕事だから安心していたのに!」

「…だから、そういう事さ」

「何だって?」

「単純な足し算と引き算さ。組織が存在意義を保つ為に何を成すべきで、妥協するべきか。その計算が分かれば貴様にも生きる望みはあるだろう」

 

望んでいた単語が出てきたせいか、男の態度が実に分かりやすく変化した。

 

「お、俺、まだ色々知っているんだ。奴等この街の旧市街で…」

「こちらの質問は終了した。もう聞く事はない」

 

豹変を冷たく突っぱねる残酷な宣告が下され、男の背後からゆっくりと靴音が迫ってくる。

一転、死の恐怖に震える男の目の前に、何か固い物が投げ込まれた。

男は硬質の音に怯えて目を閉じるが、何も起こらない。

恐る恐る目を開けて見えた物は、この国でも容易に購入できる標準的なフォールディングナイフだった。

 

「これから貴様がするのは、一種のゲームだ。ルールは簡単、自分の命を自分で守る」

 

目の前と言っても、男からの距離は5m以上。拘束された身では手に取るのも困難だった。

つまりは、これを這ってでも手に入れて自力で脱出しろ、という事だ。

 

「我々はもう貴様には用はない。だから再びネルフに攻撃を加えない限り、危害を加える事はない。後は貴様が自分の力で生き残る。連中の処に戻って我々の存在を話すも良し、別の勢力に駆け込むも良し…実に公平なルールだと思わないか?」

「ほ、本当に俺を殺さないのか!?逃げたら何するか分からないんだぞ!」

「いらぬ世話だ。我々は既に『高機動兵器群を擁する敵対勢力』を撃退した。地上兵器は損傷を受けたが、ジオフロント内では順調に迎撃を遂行できた」

 

男の怯えの度合いが一遍に最高にまで達したのが、河本には手に取るように分かった。

この男と物騒な仲間達は、子供達の戦いの一部始終を目撃し、当初の計画を変更してドサクサに紛れて潜入するつもりで行動を開始したに違いなかった。

 

「ネルフが、あんた達が、あいつらを…」

「すぐに貴様の仲間達も殲滅できるだろう。もっとも、こっちは予想外の余録だったがね」

「…分かったぞ。俺はそれを伝えればいいんだな!?アラー共やアメ公に」

「その辺は好きにすれば良い。そうする事が生き残る手段だと判断したなら、勝手にしろ」

 

そのままナイフと男を残し、河本は地下室の扉に向かう。

パチン、と裸電球が消えて、視界から一切の光が無くなった。

 

「お、おい、待ってくれ!俺はどうすれば良いんだ!」

「チャンスは与えた。後は自分の力で道を切り開く事だ」

 

 

 

後ろ手に扉を閉めて階段を上る河本の顔には、地下深くに潜った子供達と同じ暗視ゴーグルが装着されていた。

それを外してケチな丸眼鏡を代わりにかければ、誰が見ても四十がらみのレコード屋の店主だった。

ため息をつき、階段を登り切って人気のない通りに出る。

 

「やれやれだな」

 

10km離れた向こうから、警報や闇にも浮き出る程の濃い煙がここまで届いて来る。

当初の予定通りとはいかず、施設に多少の損害を出した点は、御愛嬌で済ませるしかなかった。

弁償は…ミスした本人が払う事になる。

 

「後は、タカシの仕上がり具合の問題だが…」

 

頭をボリボリ掻きながら階段の向かい側に歩いて行く。

何の事はない、そこが彼の城たるレコード屋だった。

雨戸とシャッターを閉め、立て看板を中に片づければ、廃屋と言っても通じる程の貧相さだったが、だからこそ敵の目を欺くのに適していた。

裏口から入ると、無灯火の真っ暗な空間の中を暗視なしで歩き回り、無造作にダイヤル式テレビの電源を付ける。

映ったのは警戒放送でもニュースでもなく、濃緑と黒の二色に支配された光倍増管独特の画面だった。

画面の中では先程の男がナイフの場所まで辿り着こうと必死に藻掻いている。

 

「やっとるやっとる…若い奴はそれでいいんだ」

 

時代遅れの黒電話を引きずり出し、受話器を取ってダイヤルを回す。

地下室の男――恐らくは中欧内戦からあぶれてきたセルビア人――はようやくナイフの元に辿り着いた所だった。

 

 

 

 

 


少女の細い指が、シートパソコンの華奢なキーの上を滑らかに走っていく。

いつもオペレーターの皆が叩くペースとは微妙に違う、流れるような美しい軌跡。

リツコ程の速さはないものの、無駄な動きのない堅実なペースで指を操っている。

ブラインドタッチと言うよりも、まるで楽器を扱うような手つきだった。

 

「じゃ、地上から換気ダクトを潜ってここまで来たっていう事?」

「ええ、防衛上の問題から具体的な経路や時間は明かせませんが、少なくとも一週間以内で到達可能ですよ」

「で、でも、可能だとしても…その間ずっとこの中で?」

「そうですけど」

「すごい…メインフレーム制御の技術をここまで知っている上に、そんな事までできるなんて…」

 

マヤが示した反応といえば、床下から出てきた少女に対する無邪気な驚嘆と好奇心だけで、さっきまでの極度な警戒心などまるで何処吹く風だった。

却って、最初の恐怖感が強かったからこそ、実物を見た時の衝撃が大きく感じられたのかも知れない。

ましてやそれが自分の味方だとなれば、好奇心どころか憧れまで抱くようになるだろう。

漆黒のタイツ状のナイトスーツ姿に、金髪の眉と蒼色の瞳。

目以外はスーツに覆い隠されているとは言え、その雰囲気だけで美しい金髪の少女を想像させる。

まるで少女漫画の世界だった。

 

「『クリオ』から入電。状況を確認、相手は予定通りにステファン達と同じ経路で侵入したわ」

「ステファン達の状況は?モード6で確認できる筈だ」

「それも確認済み。息を潜めてやり過ごしている最中みたい」

「息を潜めて?あいつらが?本当かよ」

「そんな事まで確認できないわよ。殺されてないのは確実だから、それでいいんじゃない?」

「じゃ、これからこっちの出番か…」

 

タカシが他の少年達に向かって、片手を上げて何かを伝える。

にわかに彼ら全員の態度が変わり、慌ただしく装備の調整が始まった。

銃、予備マガジン、暗視装置、通信装置、ブレード、些細な所ではブーツの閉め具合までを、二人一組で互いにチェックし合う。

馬鹿みたいに律儀な作業だが、実戦においてはこの手の律儀さの有無が生死を分ける事もある。

ミサト自身もドイツで幾度と無く繰り返してきた儀式だった。

ただ、彼女の場合はあくまで訓練であり、例えそれが実弾射撃訓練だったとしても、誰かが死ぬ予定までは組まれてなかった。

 

しかし、今、少年達が行っている儀式の背後には、明確な死のイメージが浮かんでいる。

 

一見朗らかな少年達の態度の裏側に、冷たい現実としての『死』が亡霊のように覆い被さっている。

周りを見渡すと、日向君や青葉君、マヤなどは興味深く彼らを眺めているだけで、事態を正確に把握しているようではなかった。

少年達を包み込んでいる暗い影は、ミサトにしか見る事のできない、いわば予感によって生み出された幻だった。

 

「タカシ、スタメン、OKネ」

 

いかにも外人臭いエセ日本語で、『JJ』が少年達を指差して見せる。

MP5、M4やモスバーグを装備した小柄な少年達は恐らく前線人員、ミニミやMSG-90を装備した頑丈そうな連中は支援人員なのだろう。

これにタカシが加わった総勢10人程の部隊が、一斉にテラスに向かって駆け出していく。

それを下層で見物していた職員達が、にわかに騒ぎ始める。

少年が降りてきた時とは全く異なる、歓声にも似たざわめき。

 

つまり、これがイベントなのか。

 

「あんた達、一体何をするつもり?」

「いわゆる白兵戦です。早い話が殺し合いです」

「な、ころ…」

「幾ら何でも早すぎるわ、そんな段階にまで達しているなんて…」

「文句ならお国の公安にでも言って下さい。今時あんなザルな検閲態勢で外国人を入れる方がどうかしてます」

 

リツコと子供達の会話は相変わらず雲を掴むような内容だったが、この状況を見ればさすがに嫌な予感を抱かずにはいられなかった。

 

「恐らく、本部内の戦闘はこれが最初で最後になります。その為の我々ですから」

 

少年達を取り巻く亡霊のような死の影はもう見えなかったが、ミサトは思わず彼らの元へ駆け寄ろうとした。

何故そうするのかは、実の所、彼女自身もよく分かっていなかったのかもしれない。

だが、

 

「もしかして、今更私達を止めるつもりなんですか?」

 

蒼眼の少女がこちらを凝視していた。

言葉尻こそ丁寧だったが、威嚇と非難の入り交じった、外国人にしてはひどく高度な日本語の言い回しだった。

 

「最後まで全然気付かなかったくせに…」

 

笑った。

口元はマスクで隠されていたが、その目は確かに嘲笑う者特有の、動物的な表情の切れ端だった。

武装した少年達は、テラスからワイヤーパックでレンジャーよろしく最下層まで一直線に降下し、わき目も振らず壁の大穴に駆け込もうとしている。

無論、子供だからと言って心配する必要もない連中だろうし、先程の脅迫じみた邂逅を考えれば、その筋合いすらもありはしない。

しかも彼らは味方である証拠を提示した今でさえ、抜かりなく5人の仲間を残して司令室を監視させている。

完全に信用していないのは、相手も同じなのだ。

 

しかし、何故か、銃を片手に喜々として実戦に出向く少年達を止めたい、という残心を捨て切れない。

これは自分にとっても想像外の出来事だった。

 

「ご心配なさらずとも、舞台もちゃんと迷惑にならないように用意してありますから、心配ありません」

 

少女の手が床下の回線に接続されたシートパソコンを叩くと、更にそこから先に接続されているマヤの端末の画面上に、大小様々な無数のライブウィンドウが開く。

ビデオノイズだらけのライブウィンドウには、何処とも知れない薄暗い狭い通路や配線抗が映っていた。

 

「その為に、ここ以外は第一次戦闘態勢のままで維持しているんですから…扉のロックもA級以上の職員でないと解除できない筈ですよ」

 

と、やにわに少女が後ろを振り向き、画面を覗き込んでいた日向君達に言った。

 

「見ます?」

「え?」

「覗き込んでいるくらいなら、見易くしてあげますよ」

「いや、別にそんな…」

「じゃ、見せてくれるかしら?」

 

思わず、挑発するような調子で言葉を叩き付けていた。

それを受け止めた少女の目が、再び笑う。

だが、その視線はどことなくピントがずれていた。

彼女の注目は私達にではなく、後ろの階段をゆっくり登ってくる人間に向けられていたのだ。

 

「ああ、オバチャン、間に合って良かったー」

 

振り向くと、いつの間にか階段口に背の低い太めの人影が立っていた。

 

格好こそ子供達と同じ黒ずくめで目出し帽だったが、明らかに身体の動きに精細さが無く、とても同じ仲間には思えなかった。

オバチャンと呼ばれているからには、相当の年齢なのかもしれない。

子供達と違って階段から登ってきたのは、そのせいなのだろう。

 

「じゃ、ちょっとこの部屋と施設をお借りしますよ…」

 

なにより、声と雰囲気からしてとても子供とは思えない。

体格も少女とは全く異なる短躯に太めで、肥満と言っても差し支えなかった。

声などは、むしろ老婆のそれに近かった。

 

「年寄りにこんな所まで来させるなんてどういう了見さね、全く」

「文句言わないで、MAGIを経由しないで直接映像回線に繋ぐから、同調と位相調整お願い」

「また、若い者はそういう無茶を平気でするから…」

「機械も我が儘になる、でしょ?分かったから早く後ろにいる連中に腕前見せてやってよ」

 

女性はブツブツ愚痴りながらも床下から伸びた配線を機材に繋ぎ、灯を入れる。

一見すると、それは今ではどこにも無いくらい古めかしい機材に見えたが、

 

「ほい、捕まえた…ランクSの資格でそのまま掌握できたね。結構結構」

「変換コードはUNJ32-09だから、通してくれればこっちで合わせられるわ」

「こっちはOKさね。カウントよろしく」

「じゃ5秒前から。5、4、3、2…」

 

二人がそれぞれの端末を睨んで手を構えている。

これだけ機器を揃っているくせに、同調は人の手だというのは腑に落ちなかったが、余程無理な接続をしでかしているのかもしれない。

 

「コンタクト!」

 

掛け声と共に、司令室のスクリーン全体に複数のウィンドウが開いた。

本来なら、そんな所に開く筈のない物である。

突然の状況に職員達の喧噪が更に大きくなり、少女はそれに拍車をかけるように端末を操作して、ウィンドウの開閉を繰り返す。

 

映っているのは明らかに本部内と思しき、狭苦しい通路だった。

だが、それは雰囲気が以前見た事のある外殻内部に似ているというだけで、正確にそれがどこであるかは把握できなかった。

 

「ここで公開しなくても、私達だけが見れば済む事じゃないかしら」リツコはこの司令室が他者に掌握されている事実を、何の抵抗もなく受け入れているようだった。

「余計な情報漏洩は防ぎたいわ」

「いえ、この司令室にいるメンツには知って貰わないと、逆に困りますので」

 

ウィンドウ群の内の一つに、見慣れない人影が出現した。

少女の指先が密やかに疾走し、別のウィンドウ上で人影のクリアな拡大映像が映される。

さっきまでいた少年達とは異なる、単眼式の暗視スコープを装備した兵士だった。

背格好も子供ではない通常の兵士らしく、銃などの装備は明らかに異なっていた。

 

「…これは、どこの映像だ!?」

「第10層6b区画のD抗内部。大人の男性が通れるルートの内の一つです」

「君達の、仲間なのか?」

「そう見えますか?」

 

それだけで何のフォローもなかった。

だが、素人目にも先程までいた少年達とは明らかに違うのは分かる。

何より、その手に持っている旧共産圏の代名詞とも言える小銃が目立ちすぎた。

 

「保安部は何をしてるんだ?ジオフロントに武装した侵入者まで入れるなんて!」

「彼らは監視カメラのある箇所しか見られません。責任を問うのは無意味です」

 

では、今映っている映像はどうやって配信しているのか。

恐らくは、少年達が勝手に仕掛けたカメラなのだろうが、少女は相変わらず一方的に情報を垂れ流し続けるだけで、それ以上は何も話そうとはしなかった。

司令室内の職員達は突然の『イベント』に度肝を抜かれながらも、当初の謎の軍団に制圧されたという誤解や緊張感から解放され、少しずつ興味本位の騒ぎに支配され始めていた。

 

「皆さん乗り気になってきたようで、大いに結構ですね」

「まさか、実戦を見せ物にしようって言うの!?」

「その通りです。お陰様で最初の機動兵器編が好評でしたので、次は白兵編という訳です」

「ふざけんじゃないいわ!人の命を何だと思っているの!?」

「嫌なら、御覧にならなくて結構です。強制はしません」

 

そして、あろう事か少女は通信機のマイクを司令室のスピーカーに同調させ、ふざけた言葉を職員達に投げ掛けた。

 

「皆さんも同じですよ〜見たくなければ目を閉じて耳を塞いで膝丸めて座っていて下さいね〜」

 

そうこうしている内に、他のウィンドウにも『敵影』が映り始めた。

最初に現れた一人を含めて、総勢四人。

特殊工作に必要な最低限の人数である事は、少女以外にはミサトにしか分からなかった。

 

「ま、一つだけ付け加えるなら、殺し合いではなくて一方的なこちらの虐殺になります」

 

 

 


 

 

かつて、カンター達の前に立ち塞がった『敵』は、間違いなく強大な脅威そのものだった。

 

大人と子供という根本的な差はもとより、物量、練度、何より立たされている立場の違いが余りに大きすぎた。

本来ならば、彼らはとうの昔に砂漠の何処かで狩り出され、奴隷として扱われれば幸運、暴行を受けて殺されるのが普通という運命を辿っていた筈である。

事実、巡り会った多くの仲間達の半分以上は、そんな形で短い人生の結末を迎えていた。

銃を手にしてようやく戦えるようになってからも死人が途絶える事は無かったが、少なくとも徒手空拳で逃げ回っていた頃に比べれば、その量も悲惨さも大きく違っていた。

 

同じ死という運命を迎えるならば、最後まで一人の人間として闘って死ぬ方がいい。

 

より良い死を迎える為の執念が、結果的に生存に結びついたのはとんだ皮肉と言える。

彼らを窮地に追い込んでいた『敵』が、実は彼らと似通った通念を持って闘っているのを知ったのは、国連軍に拾われた後の事だった。

 

「笑わせやがる、神の為なら何やっても良いってか…」

 

彼は足下に投棄されていたAKMを軽く蹴り飛ばした。

『敵』は今や、銃弾を撃ち尽くした上に脚を傷つけられ、進める方向に従って坑道を逃げ回る得物になり果てている筈だった。

元々、少ない装備と虎の子の自爆型兵器だけを頼りに潜り込んだ、哀れな片道切符のネズミにすぎない。

カンター達が起こした騒動をどこからか監視し、それに乗じてジオフロント外郭に潜入したのは間違いなかった。

 

「どうだ、今はお前達が追われる番だ。恐れ多いアラーの神はどうやって助けてくれるんだ?」

 

カンターのわざとらしい大声が、高さ2m強の坑道内に響いて通る。

この坑道が人間が通れるレベルを保つのは残り20m程度で、相手はもう袋小路に追い込まれているのは確実だった。

そして、各種のケーブルとパイプラインが重複する陰に、人が隠れる為のスペースが無数に存在している。

ここから導き出せる結論は一つだった。

 

「隠れて有利に立っているつもりか。俺達も岩場の陰に隠れて逃げ切れるつもりでいたよ…」

 

本来なら少しも物音を出さずに済む所を、わざわざ大きな足音を立てて堂々と歩いていく。

第一次戦闘態勢で非常灯すらつかない暗闇のどこかで、『敵』は息を潜めて待ち構えている。

徐々に双方の間隔が縮んでいき、互いの守備範囲が重なり合うのがカンターの肌で感じられた。

袋小路の終点まで、残り10m。

ふいにカンターはそこで立ち止まり、漆黒の壁を見据える。

赤外線スコープの緑黄色の視界には、無機質な壁面とパイプラインの群しか映っていない。

だが、間違いなく『敵』はこの限られた空間の中に潜んでいる。

換気システムでも排気しきれない程の熱が篭もり、じっと立っているだけでも汗がにじみ出てくる。

 

湿気を多く含んだ、乾きとは縁の遠い灼熱。

 

砂漠のそれと違って即死に繋がる訳でもなく、それでいて着実に体力を奪っていく奇妙な熱だった。

彼らと同じ砂漠から来た『敵』も、この慣れないボディブローのような暑さに気を揉んでいるのは間違いない。

 

「いつまで隠れていられる?どうせもう水もないんだろ?」

 

元より生存の為の装備は最低限に切り詰めているという読みがあった。

隠れている『敵』が目的地まで生きて到達するには、どうあってもここでカンターを返り討ちにするしかない。

実際には、ゲルトやアルフレッドが後詰めで展開しているので、たとえここを抜け出せても先は繋がらない。

それでも、未来の選択肢が二つしか残されていないのなら、たとえそれが死を意味するものでも、確実に最終目標に近い方を選択する筈だった。

 

だから、カンターもそれに準ずる行動を取る事にした。

 

「俺達はもう、あの頃のクソ弱いガキじゃねぇ!テメェらみてぇなメシも満足に食えない貧乏テロ屋なんぞ一発で殺してやれるさ!さあ、出て来やがれ!その貧相な髭面を見せてみろよ!嬲られ、殺された奴等の恨みを晴らしてやるぜ!」

 

傍目から見れば、それは男のヒステリーそのものだった。

吠えるように吐き出された言葉の群が、返ることもなく闇に吸い込まれていく。

言葉の主は、その虚しく薄っぺらい闇を見つめ、平然と立ちつくしていた。

 

「…何とか言えよ」

 

答えは即座に返ってきた。

カンターは後頭部に振り下ろされたブレードを屈んで回避し、そのまま相手の腕を掴んで捻り上げた。

 

「あっさり引っかかんじゃねぇよ、バカが!」

 

『敵』を陰から引きずり出し、そのまま腕から捻り投げて床に引き倒す。

衝撃でブレードが放り出されたのか、何回か鋭い金属音が鳴った後にだらしなく床の上を滑る音がした。

赤外線暗視視界で進んでいたカンターからすれば、敵の古くさい迷彩模様はパイプの群の中で明確に浮き出て見え、滑稽で場違いな木偶人形に見えた。

今時、対赤外処理も施されていない軍服を平気でゲリラ戦に用いる辺りが、こちらを甘く見ている証拠だった。

それでも通常勤のネルフだったら、警報すら鳴らないで通った可能性が高かったかもしれない。

だが、少なくともこの場ではそれが敗因となった。

まんまと挑発に乗ったこの男は、見えている事も知らずに動いてしまったのだ。

 

「オラ、立ってみろコラ。かかって来いや」

 

スラングだらけの英語が通じたのかどうか、傷ついた脚を庇いながら襟首を掴もうと手を伸ばしてくる。

カンターはわざとそのまま襟を掴ませ、相手が引き落とそうとする所を、逆に軸足を蹴り飛ばしてあっけなく転倒させた。

男は無様にも足場を失って投げようとした相手の服にぶら下がる形になり、カンターの胸元に生暖かい息が掛かった。

 

「触んじゃねえよ、アラー崩れが!」

 

余裕を持って溜めをつけたボディブローが、敵の身体を引き剥がして更に1m程も遠ざけた。

よろめき、辛うじて立っている男の顔に、容赦のないストレートと腹蹴りが交互に決められる。

力で相手を粉砕するというより、死ぬ寸前の獲物をなぶるような一方的で残忍な暴力だった。

手と足のコンボが3回当たった後、最後に首筋へ綺麗にカンフーキックが入り、ぼろ雑巾のようになった男が後ろ向きに倒れる。

後頭部がもろに床に落下し、重く湿った破砕音が鳴った。

 

「テメェらがやった事に比べれば、楽勝だろ?こんな程度はよ」

 

微動だにしない敵の腹に、カンターは尚もトーキックを連続で入れ始める。

つま先が柔らかい腹の筋肉にめり込む度に、その反動と共にかつての強大な『敵』を叩きのめす快感の熱量がカンターの身体を駆けめぐり、紛う事なき暴力の情熱が彼の神経を完全に支配していく。

 

「クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズ、クズクズクズクズクズクズクズクズ。テメェらはな、群れねえと何も出来ない人間のクズなんだよ。悔しかったら人の一人でも立派に殺して見ろよ、あぁ?」

 

このカンターは黒ずくめの対暗視ナイトスーツを着て、赤外線スコープ一体型の汎用防毒マスクを装備した、2m近い巨漢の兵士だった。

どこかの特殊部隊員だと言っても、誰も驚かない風貌と言える。

その風貌と子供じみた攻撃的な行動の落差が、殊更異様なものに見えた。

床の上に転がる男の方は暗視装置も蹴飛ばされ、痩せこけた髭面も無数の打撲によって、既に元の形を失っていた。

カンターは容赦なくその顔面を踏みつけ、故意に靴底の重心を目に集中させる。

顔面自体が潰されるような痛みと恐怖に、初めて男が悲鳴を上げた。

 

「そろそろ西に向かってお祈りする時間か?もう祈らなくても神様の所へ行けるようにしてやるから心配するなよ」

 

ぱん、という滑稽なほど軽い銃声が響いた。

 

起爆装置のスイッチを引こうとした男の手が、吹き飛んでいる。

男が見られないつもりで密かにバックパックから出ている紐を引こうとしていた所を、予測していたカンターに打ち抜かれたのだ。

 

「ダサいんだよ。する事なす事見え見え。これだから宗教は嫌いだぜ」

 

さらに反対側の手も打ち抜いて、完全に自爆の手段を奪う。

男の悲鳴が身体の芯から出るような呻き声に変わり、それに混じって少しずつ砂漠の言葉が口から紡ぎ出される。

カンターにとっては、耳の腐るほど聞いた彼らの『神』に祈る言葉だった。

 

「一々ゴチャゴチャうるせえんだよ…事ある毎に神様に頼りやがってよ…」

 

カンターの手には、敵の手を砕いたグロックが握られていた。

それを、IRのぼやけた視界で辛うじて分かる敵の額の位置に突きつける。

銃口の冷たい感触に、イスラムの祈りも途絶えてしまった。

 

「死ぬ時はな、みーんな、一人なんだよ。そしてその後は綺麗サッパリ消えて終わりなんだ」

 

銃声が響き、男の顔が吹き飛んだ。

 

しかし、それはカンターの狙っていた頭ではなく、黒い髭をたくわえた顎の骨だった。

 

カンターは咄嗟に右側に跳ね飛び、まだ死んではいない敵の身体を遮蔽物にして銃声の音源に向かって構えた。

フロントサイトの向こう側に、隠れもせずに堂々と立つ人影が見える。

識別信号は、青色。味方なのは確かだった。

 

「いつまでナメているつもりだ?そいつの顔をよく見てみる」

 

後方に控えている筈の、ゲルトだった。

カンターはすぐに自分の過ちに気付き、懐中電灯を赤外投射にして男の顔を照らす。

無惨に砕けた頬肉の陰に、奥歯に隠れる程の小さな電極と極細の皮膜導線が見えた。

 

「こいつら、最後のスイッチは奥歯に仕込んであるんだ。知らなかったのか?」

「いや、頭に血が上っていた…俺のミスだ。すまない」

「どうという事はない。ここで爆発しても、死ぬのはお前とこの男だけだ」

 

端的で素っ気ない口振りに怒る気力も削がれたカンターは、ただ溜息を漏らすだけだった。

 

「で、こいつどうすんだよ?」

 

つま先で小突かれた男の顔は、もはや最後の手段をも失われ、声も上げられず静かに涙を流すばかりだった。

声の代わりに、喉の奥から乱れた調子の呼吸が笛の音を立てて漏れる。

良く聞けば、その呼吸は先程の祈りの言葉と同じリズムで吐かれているのだが、カンターもゲルトも全くそんな事には関心を払ってはいなかった。

祈りは男の頭の中でだけで紡がれ続けていた。

 

「そりゃ…さっさと退場願うしかないだろ」

「じゃ、お前やるか」

「ん…ああ。ちょっと向こうに下がっていてくれ」

 

ゲルトがゆっくりと男の元へと歩いていく。

見ているカンターが苛つく程の緩慢なペースで足を進め、やがて潰れた男の顔の側でしゃがみ込み、優しそうな口調で喋り始めた。

 

「よう、苦しいか?」

「…」

「お前にも家族や恋人がいたんだろう?いや、こんな所まで来る分じゃ、まだ女と付き合った経験はないか…」

「…」

「俺にもな、仲間がいたのさ。こんな俺にもな」

「…」

「家族は皆死んだが、同じような孤児同士で固まり合って、あのクソ砂漠を生き抜いてきたのさ。それこそ色んな事をしたさ。殆ど盗みばっかりだけどな」

「…」

「でもよ、お前らの教義では異教徒の盗みは即、死罪だよな」

「…」

「で、気に入った女がいたら皆で楽しんで、最後に『悪魔の手先』として殺す。そうだよな?」

「…」

「お前は良かったな、男で。だから死ぬだけだ。同じやり方でな」

 

そこまで来ると、男はもう息を吐く事さえできなかった。

 

「俺はね、わざわざお前らと同じように特製の手榴弾持ち歩いているんだよ。同じやり方で殺せるようにね」

 

ゲルトは腰のポーチから、その最新式装備にはそぐわない旧式の手榴弾を取り出した。

そして、それを男の裂けた口に填めて、安全ピンを抜いた。

 

「分かっていると思うけど、そいつは爆発するまで最低30秒かかる上に、それからどれくらい時間がかかって爆発するかは、作った本人にも分からないんだ」

 

男は、ただこれ以上ない憎しみの目でゲルトを睨むだけだった。

 

「おっとっと、憎んじゃいけないよ。俺達のおかげで、お前は晴れて『殉死』だろ?あの世で処女ばかりのハーレムでお楽しみだ」

 

そうして、ゲルトは悠々とその場から離れていく。

男の止まっていた息が荒々しい咳となって戻り、かろうじて動ける舌が何とかして手榴弾を取り除こうと、口の中で激しく暴れ回る。

何とか身体を動かそうとしても、銃創による出血とカンターによって散々に痛めつけられたせいか、もう首すら回せない状態だった。

神の元へ旅立つ殉死を目の前にして、男は必死にそこから逃れようとも藻掻く。

その目は回教徒でも殉死者でもない、純粋に生を求める人間の目だった。

 

「今更遅いんだよ、バカが」

 

 

くぐもった爆発音がして、それで終わった。

男が身に付けていた爆薬には何の影響もなかった。

 

 

「…あれって、炸薬減らしているのか?」

「まあな。巻き添えはゴメンだろ?」

「そりゃそうだ」

 

男から発せられていたすべての音が消え失せてから、カンターが振り向いて呟いた。

 

「やあ、良く映っていたかい?」

「無駄口叩くな、まだ一人残っている」

 

 

 

 

 


ウィンドウから二人の影が消え、無惨に破壊された骸だけがその場に残される。

 

それが3人目だった。

 

ここまでの戦闘で、固まって動いていた4人は最初の攻撃で分断され、バラバラになった兵士達は1人ずつ確実に殺されていった。

先程の私情が混ざったらしい遣り取り以外は、どれも極めて堅実かつ迅速な集団行動で追い詰め、自爆する暇さえ与えず始末する、鮮やかな手口だった。

 

誰も、何も喋れなかった。

 

画面の中で行われている行為の全てを、一方的な殺戮を、ジオフロント内の現実として受け入れる事ができなかったのだ。

 

見た事もないような異様な兵士が、それまで自分達の物だと信じていたテリトリーに出現し、それを一応の『味方』である所の少年達が撃滅していく。

それら全ての光景は、司令室のスクリーン全面に散らばるウィンドウにリアルタイムで映されていた。

しかし、確かに現場の光景や音は中継されて伝わってくるが、よく耳を澄ませても、直接壁を通して聞こえる銃声や悲鳴、爆発音など何も聞こえないのだ。

体感として認識できない、僻国の戦争映像を流されているのと同じだった。

ただ、その現場との間隔が、ほんの数100m程度にしかすぎないというだけだ。

 

「戦闘は分厚いジオフロントの隔壁の中で行われていますからね」見透かしたように少女が言った。

「まず、外には音なんて洩れません。それを承知で相手も押し掛けてきているんですけど」

 

皆が押し黙る異様な雰囲気の中で、ミサトとリツコだけが冷静に画面を睨み続けていた。

 

「随分と手慣れているのね」

「当然よ。それがこの子達の仕事なんだから」

 

二人共子供達の戦い方を観察している事に変わりはなかったが、その目的は明確に異なっていた。

ミサトは子供達の行動形態を見定めて何とか所属する国や組織を見極めようとしていたが、リツコの方は単に戦力評価の総仕上げとして組織的な機能を確認しているに過ぎない。

リツコに訊けば子供達の詳細も聞き出せるかもしれなかったが、ミサトは現段階においてその可能性を敢えて否定していた。

 

「もしかして、今までもこんな事が…」怯えた様子でマヤが訊ねる。

「お宅の所の保安部もそれほどバカじゃないさ。これが最初で最後になる予定だよ」年老いた方の女性が平然と答えた。

「それじゃ、何で今になって」

「あなた方は御存知ないでしょうけど、少し状況が変化したんです」端末とスクリーンを交互に睨みながら、少女が呟いた。

「どういう事」

「…まあ、バケモノ退治にも金がかかりますからね。そういう事です」

 

しかし、余裕たっぷりに見えた少女の様子が、少しずつだが変わり出した。

 

頻繁に入ってくる部隊からの交信を受けながら端末を叩いていただけだった筈が、少しずつ音声での応答が混じり始めた。

 

「モード6から4へ移行。ジャック、状況を説明して」

「こちらジャック。残りの一人に突破された。他のザコと動きが違う」

「了解、負傷者は?」

「こっちにはいないが、ゲルトの方にいるらしい」

 

冷静な英語のやり取りが始まり、ウインドウの中でも、それまで演出程度にしか見えなかった火線が次第に目立つようになる。

 

「…こちら…カンター、すまん。気を抜いた隙にやられた」

「起きた事だけ話して。アルの方に行ったの?」

「こちらアルフレッド。相手を見た!あれはアラーじゃないぞ!」

 

楽勝ムードのデモンストレーションが、実戦に滑り込もうとしているのが傍目にも分かった。

皮肉の一つも言いたい所だったが、事はネルフの存亡に関わりかねない。

 

「こっちのメンツは?もうネタ切れ?」

「まだタカシが最後に張ってる。情報をちょうだい」

「格好は連中と同じだが、動き方も間合いも腕もケタ違いだ!それに…」

「それに…何?状況を正確に伝えて」

「…あれは俺達と同じやり方だ。『こっち側』の人間の可能性がある」

 

ここからは見えない回線の向こうで、少年達の息を飲む音が聞こえるようだった。

 

「タカシ!」

「聞こえている。手はず通り映像送ってやるから心配するな」

「そんな事はどうだっていいわよ!大丈夫なの?」

 

数刻のラグが開き、そのせいなのか少女の態度が明らかに乱れていく。

 

「タカシ!返事をして!」

「…相手がBTBに引っかかった。脳波探知を知らないらしい。多分内戦前の人間だ」

「こっち側の人間で戦前って…それって、まさか」

「私語は厳禁だろ。後は頼む」

「…了解。他の隊員は包囲して退路を遮断せよ。残りの一人をポイントA-1aに誘導する」

A-1aだと?それは確かなのか?」

「繰り返す。行動可能な隊員は残存する敵対勢力をA-1aに誘導せよ」

「いきなりピンチかよ!クソ!」

 

端末の画面上では、ジオフロント外郭――ネルフ間の坑道地図が立体的に表示されている。

細かな網の目の上にきらめく青い光点が、時間と共に規則正しく動いていく。

その中心には、ネルフのある方向へ最短距離で駆けていく、たった一つの赤い光点があった。

先程までは4つあった、『敵』を示す光だった。

赤い光点の後ろから迫る青い光点が、次第に点から縁、線から厚い壁となって包み込むように迫っていく。

二色の光は時折触れ合っては弾き返しを繰り返し、着実にこのネルフ本部へと接近していた。

 

「このままだとこっちに来るぞ!」

「あれも爆弾抱えているんだろ?どうするんだ!」

「こっちから迎撃しないと危ないんじゃないのか?」

 

司令室のあちこちから状況を危惧する声が挙がる。

さっきまで警戒していた少年兵達も、坑道に続く大穴に駆けつけ、最後の防衛線になるべく配置に付く。

そうこうしている間にも、スクリーン上の光点は着実にこちらへと向かってくる。

 

A-1a到達まで60秒。ニキータ、挙動から目を離すんじゃないよ!」

 

不適だった少女――『ニキータ』と呼ばれていた――でさえ色を失いつつある中で、壮年の女性だけが腰を据えている気配が伺えた。

ミサトは話の相手を即座にシフトさせ、小太りの技師らしい女性に顔を向ける。

 

「あの子供一人で止められる可能性は?」

「戦略的には無意味な話だと、そう言いたいので?」

「こちらからは実戦経験はないにしても、それなりの武装をした警備隊を出せる用意はあるわ」

「よく言う。10秒以内に用意できるならやってもらいましょうか」

 

その通り、包囲網を一人に突破されたのも馬鹿げた話なら、それをやはり一人でくい止めようという発想も下らなかった。

折角後詰めにとって置いた司令室の子供達も、あくまで最後の防衛役として張らせるつもりらしいし、それなら司令室はこちらに任せて、少年達は援軍としてタカシに合流させるべきではないか。

少なくとも、このままあの華奢な日本人少年一人に任せるよりは遙かにマシな筈だった。

 

A-1a到達まで30秒…」

「司令室の職員を避難させます。扉を開けなさい」

「お断りします。第一、今逃げたって遅いさね」

「職員達の安全を守るのが私の任務です。開けなさい。命令です」

「何か勘違いしているようですがね」

 

スクリーン上に新たなウィンドウが開き、明らかにそれまでと違う広大な空間が映し出された。

オレンジの補助灯と、闇に向かって伸びる複線の線路。

今まで全く見た事もない、未知の空間だった。

 

「我々はアンタ方ネルフに直接属している訳じゃない。上は人類補完委員会と国連だけで、ネルフとの関係はあくまで対等という事になっている」

「対等ですって!?」

「さっきタカシが渡した筈の書類には確かにそう書いてあるさ。我々はあくまで厄介事を依託されて解決するだけだ」

「だからといって、この状況じゃ逃げるしか無いじゃない!」

「アンタの心配はもっともだ。しかし、ウチのタカシも抜かれるタマじゃなければ、相手も自爆なんかしない。これはもうハッキリしているんだ」

「何を根拠にそんな事…」

 

「目標、A-1b地点で停止!タカシと接触したまま停滞!」

 

言い争っていた二人も投影スクリーンを見遣った。

最後の砦たるタカシの青い光点と、今まで散々飛び回っていた赤い光点が、まるで二重星のように近接している。

そして不思議な事に、そこで一気に追いつめなければならない仲間の光点達も、中心の二重星を見守るように包囲したまま動こうとしなかった。

 

 

 *      *

 

 

「タカシ!」

 

無線の周波数は、長い事使っていなかった国連軍のものだった。

 

「お前なんだろ?出てきて返事をしてくれ」

 

既に男の弾薬は、手榴弾や件銃弾も含めて全て尽きていた。

残っているのは接近戦用のブレードと、自爆用のベスト内蔵爆薬だけだった。

彼の目的地は、あと僅か200m程先に迫っている。

この先に潜んでいるたった一人の兵士の攻撃を死を覚悟してでも突破すれば、もう目的は殆ど果たせた事になる。

だが、男は待ち受けている兵士を良く知っていた。

何より、黙ってその場を通しそうもない人間である事を理解していた。

 

「T字路の所に彫ってあったのは、お前のナンバーだったよな」

 

さっき通ったコーナーで、オンボロの赤外線スコープに映った微かな傷跡。

稚拙な長剣の絵にジグザグの線を重ねて、波形の刃を描いた落書き彫り。

その上に、一つの番号が彫られていた。

 

「『フラームバルグの14番』」

 

二人の声が、計ったように重なった。

そのハーモニーに思わず起こった笑い声も、計ったように重なった。

 

「アンタは、11番だった」

 

お互いに、黄緑色の闇を挟んで、見えない相手に向かって言葉を投げかけている。

それらは男の行く手を阻んできたかつての仲間達も遠巻きにして聴いているに違いなかった。

簡単なジャマーすら男の装備には含まれてはいなかったし、タカシの方は敢えて妨害など施していない筈だった。

 

「違うな。俺は10番だった」

「…」

「偽物だと思ったのか」

「当たり前だろ」

「そうか」

 

沈黙が、無線の交換をぷっつりと閉ざした。

時折、双方が会話の機会を掴もうと回線を開く音が繰り返されたが、そのどれもが言葉に繋がるものにはならなかった。

その雑音がようやく途絶えた後、タカシが口を開いた。

 

「…ドラガン、一度だけ、言う」

「…」

「俺達は、もう一度戦えるんだ。居場所も、武器も、水も食料も金も自由も、全部手に入れた」

「…」

「昔の仲間達だけじゃない、見捨てられた連中もみんな呼べる」

「そうか。良かった」

「…」

「大佐はお元気か?」

「ああ、今アンタが通り抜けた『壁』の端で目を丸くしていると思う」

「バウアー大佐が前線に…そんな人ではなかったが」

「みんな、変わったんだ。自分でこれが良いと思う方向に。それが『自由』って事だろ?」

「…」

「誰よりもアンタがそう言っていただろ」

「そうだな…」

「…」

「…」

「…まだ、」

「家族が、見つかった」

!」

「残党と一緒に北に連れて行かれていた…まだ生きている」

「そうか」

「俺が…ここで戦果を出さないと、処刑される」

「…」

「そこを、通してくれ」

「断る」

「そうか…」

 

それで男は、しぶとく身につけていたAKを投げ捨てた。

今更、床に落ちる音など気にする必要もなかった。

 

ゆっくりと、暗視スコープとブレードの身一つで通路の真ん中へと出ていく。

 

いま、すぐにでもライフル弾なり9mmなりが飛んで来れば、タカシの腕なら間違いなく即死するだろう。

それでも死刑囚が13階段に向かって歩くよりは、ましかもしれない。

これはあくまでも、自分で選んで取っている行動なのだから。

 

「そこでいいよ」

 

懐かしい肉声が、闇に響いた。

言われた通りにその場で立ち止まると、何故か周辺の照明が回復して光をもたらした。

オートで暗視モードの切れたスコープを取り外すと、目の前には、かつての自分と同じ黒いベスト姿の兵士がいた。

 

「似合うじゃないか、タカシ。背が伸びたか?」

 

 

 *      *

 

 

「何故照明を戻すの!?暗闇ならこっちが有利じゃない!」

 

そんなミサトの訴えは、それまで悪態ながらも相手をしてくれていた女性やニキータの間をすり抜けていった。

二人は微動だにせず、スクリーン一杯に展開しているタカシと『ドラガン』のやり取りを見つめていた。

ただそれを見る為なら、今までも複合暗視付きのカメラを使っているのだから照明の必要は一切無い。

 

 『…照明を戻したのは誰だ?』

 『ニキータだよ。今だけここの統合管理を掌握している』

 『そうか…ありがとう、ニキータ。どうせ、今もどこからか俺達を覗いているんだろう』

 『まあね』

 『ここに来るまでは、まさかお前達が待っているとは思っていなかったよ。地上でHIGH-MACS見た時に嫌な予感はしたんだが…』

 

何故か二人は話しながら、少しずつ身体の装備を外し始めている。

元々軽装になっていたドラガンはともかく、タカシまでもがSWAT並の装備を自ら剥がして、折角のアドバンテージを放棄しようとしていた。

 

「ちょっ…まさか、これって」

 

結局、タカシもブレード以外の武装を全て外してしまった。

防具となるのは、双方とも最初から着ている軍服の他には、胴体のみを守る防弾防刃ベストと、顔を覆っている目出し帽くらいだった。

 

「馬鹿馬鹿しい、決闘でもするっていうの?」

「だとしたら何か?」むしろ、ニキータの声は先程よりも穏やかだった。

「相手が抵抗を止めたのなら、捕虜にすればいいじゃないか」青葉君が不思議そうに言う。

「だって、あの人昔の仲間なんでしょう?説得すれば…」

「あんたら、話を聞いていなかったのか!?」

 

今度は壮年の女性が殊更キツい口調でミサト達を罵った。

画面の中の少年達と同じ覆面から覗く双眸は、明らかに怒りの光に満ちていた。

 

「もう、あの子は…ここで死ぬしかないのさ。誰よりも、自分でそう決めているんだから」

 

 『顔を見せてくれよ、タカシ。もう3年になるか』

 

ミサト達が罵倒し合っている内に晒け出されたドラガンの素顔は、モデルと見紛うばかりのブロンドの美少年だった。

線の細い顔には優しげな微笑みが浮かんでいたが、よく見ると目だけは少しも笑ってはいなかった。

 

 『いや、俺は…もう顔が違うんだ』

 『違うって、整形でもしたのか?』

 『もう、昔の顔じゃない。俺はアンタの知っているタカシ・マキノじゃないんだ』

 『それはお互い様じゃないか。それとも、マスク脱いでいる間に俺が襲うとでも思うのか?』

 『まあ、率直に言えばそう思っている』

 

ドラガンは余裕のある声で笑って見せた。

 

 『だが、俺はもう先に脱いだんだぜ。信用してもいいんじゃないか?』

 『…ニキータ』

 

タカシが正面を向いたまま、天からその場を支配する少女の名前を呼んだ。

 

 『隊長に確認取ってくれ。ここで見せていいのかどうか』

 『あのね、タカシ。今の責任者は一応アンタ自身なんだけど』

 『冗談言うな。こんな事まで決められるかよ』

 

 『構わんさ』

 

 『大佐?』

 『丁度良い顔見せになる。その司令室の人間だけなら見せた方が都合がいいだろう』

 『…だそうよ。脱ぎたければ、勝手にすれば』

 『感謝します。大佐』

 

「どういう事?これは完全な契約違反よ!」

 

何故か、リツコが慌てた様子で少女の元へ詰め寄った。

 

「もう何を言っても止まりません。調整はまた後程行いますから、今はご容赦願います」

「そういう問題じゃ…」

 

 『只の整形じゃない。顔を全部作り替えたんだ』

 『身元を隠したのが、そんなに重要な事なのか?』

 『違うよ。多分、アンタも見ればすぐに分かる』

 

 

そう言ってタカシはゆっくりと目出し帽を引き剥がした。

 

そしてその瞬間、ミサトは今まで少年に対して感じていた違和感の正体を完全に理解した。

 

「あれは!」

「そんな…これは一体、何のつもりだ!」

 

 

覆面の下から出たタカシの顔は、エヴァの中に隠した筈のシンジと全く同じ顔だった。

 

 

 

 

to be continued

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