「そうか…お前は完全に『そっち側』に移ったんだな」

 

ドラガンはむしろ静かに微笑みながら、ゆっくりと最後の武器を腰から引き抜いた。

いわゆるサバイナルナイフよりも一回り大きい、刀身が30cm余りはあろうかという、純粋に戦闘用として作られた刃物だった。

 

「お前の他には、誰も来ないのか」

「うん。みんな多分俺一人じゃないとダメだと思っているんだよ」

「自爆すると思っている、だろ。はっきり言えばいい」

「…まあ、そうだね。だからきっと狙撃もないと思う」

「あてになるか、そんな言葉が」

 

ドラガンは得物を握った右手を手前に引き、左手を軽く開いた状態で宙に浮かせて、構えを取る。

右足を伸ばしたまま左の膝を軽く曲げて、上半身の構えを維持しながら蹴りが繰り出せる態勢になった。

 

「じゃタカシ、久し振りにやるか。ひとつ」

「うん、そうだね。久し振りだから」

 

オウム返し気味に喋りながら、タカシは右足の脛に添え木のように括りつけられたブレードの留め金を外す。

このブレードも、脛とほぼ同じ長さを持つ比較的長大な物で、脛の空間全体を占拠してタカシの小さな身体に居座る、一兵士の装備としては異質な代物だった。

とは言え、得物がどれだけ異常でも、拘束が解かれさえすれば、後は引き抜いて戦闘態勢に構える事に変わりはない。

少なくとも、見ている誰もがそう考えていた。

だが、

 

「…タカシ、俺にはそんな構えを教えた覚えはないぞ」

 

彼はそれから何をしようともせず、まるで木偶のように突っ立っているだけだった。

両手をだらりと垂らし、辛うじて右手の指先がブレードの柄に触れているくらいで、他には構えも準備もない。

端から見ている者には、戦意を喪失したようにさえ思える態度だった。

 

しかし、ドラガンはタカシの姿勢を見ると、構えを維持したままで少しずつ距離を取り始めた。

 

「当たり前だよ。砂漠から出ていった後に教えて貰ったんだから」

「ふん、ボビーのハゲ親父にか?」

「いや、カワモトのクソ親父に」

 

ドラガンの顔から、微笑みが消え失せた。

 

「最悪だな、それは」

「うん、俺もそう思うよ」

 

そうして、ドラガンは返事の代わりにブレードの先端をタカシに向け、柄のスイッチを押した。

 

瞬間、本来あるべき場所から飛び出したブレードの刀身が、銃弾並の速さでタカシの眼前に迫っていた。

 

 

 

 


 

2015 tokyo-3

―― the dark children ――

mission 4 「flam berge」

 

 


 

 

 

勿論、ドラガンにもこの攻撃で戦闘が終わるというような油断はなかったし、次の攻撃を仕掛ける為に予備のブレードを用意する準備も怠ってはいなかった。

彼の予測したタカシの行動は、横移動で回避してからの急接近。

それに従うと、即座にブレードを準備しながら後方に退けば、まだ十分に間合いを取りながら攻撃態勢を保持できる筈だった。

だが、結果的に見ればタカシの機動はドラガンの予想を遙かに超えていた。

既に用の無くなった発射済みの柄を捨て、予備のブレードを抜こうとした瞬間には、

 

タカシは既にドラガンの目の前にいた。

 

ドラガンの動体視力で辛うじて確認できたのは、いつの間にか引き抜かれてタカシの右手に握られていた黒塗りのブレードが、腰より低い辺りから斬り上げで迫ってくる…と思しき光景だけだった。

明確に見えた訳ではなく、猛スピードで動く黒い物体がちらりと目の端を掠めたに過ぎない。

照明がなければ、気配すら感じ取れなかったかもしれない。

それでも後退しながらブレードを横薙ぎに繰り出し、一撃を避けようとする努力はできた。

 

空中で、金属と言うよりは重い剛体同士が衝突するような鈍い音が響いた。

 

カメラから見ているミサトやニキータからは、タカシの剣撃でドラガンが吹き飛ばされたように見えた。

横薙ぎでは回避しきれないと判断したドラガンが、咄嗟にバックステップで逃れたのだが、完全に衝撃を殺せなかったせいでブレードを握っている右手が上に泳がされたのだ。

にもかかわらず、ドラガンも泳いだブレードを果敢に振り下ろし、何とかタカシを牽制してみせる。

身体の重心も精度もかなぐり捨てた、必死の一撃だった。

 

すると今度はタカシが素早く下がり、バランスを崩すこともなく直立姿勢に戻る。

 

右手のブレードは斜め下に向けられ、手で直接握っているという点を除けば最初と全く変わらない態勢だった。

 

「それが『イアイ』か…単なるスタンドプレーだな」

 

ドラガンは再び微笑みを取り戻し、タカシに倣って姿勢を自分の形に戻した。

二人の距離は初めの状態から5m程近づき、ちょうど腕を伸ばせば届きそうな、絶好な格闘戦の射程距離に縮まっていた。

 

「斬る場所間違えた…でも痛い事は痛いだろ?」

「防刃帯を斬ったくせに言い訳なんざするもんじゃない。俺はお前みたいに失敗はしないぞ」

 

言うなり、ドラガンの左足がタカシの膝目がけて飛んでくる。

関節に打撃を加えて動きを封じようとする、典型的な先制攻撃のパターンだった。

膝を退けてそれをかわしたタカシが、繰り出されたドラガンの足に向けて、カウンターの素早い斬撃を加える。

 

だが、伸びきっていると思われたドラガンの足は、中途半端な場所で止まっていた。

 

フェイントと見切られず、それでいてタカシの攻撃をギリギリで凌げるチョークポイントで留まっていたのだ。

目標を捉えられず、空を切ったタカシの右手に、狙い澄ましたドラガンのブレードの一撃が加えられる。

足を浮かせたままの姿勢で出した斬撃だったため、力は入っていなかったが、タカシは反射的に刀身で直接弾き返した。

結果として力の加減が狂い、タカシの「攻め」の手は大きく流れていく。

 

二重のフェイントに引っかかったタカシは、敵の目の前に身体を開く形になった。

 

「そこら辺が、甘いままだな!」

 

浮いたままの足がそのまま踏み出され、ドラガンから左の拳が繰り出される。

その指の間には、手の平に入る程の刺突用ナイフが挟まれていた。

この微小な武器は、予備用の格闘ツールとして装備に含まれていてしかるべき代物だったが、それを引き抜いている光景を目にしていないタカシには、存在自体を計算できなかったのだ。

ドラガンの踏み出しで一気に二人の距離は縮まっていたので、タカシにはこの微細な凶器を避けきれない状況になっていた。

 

それをタカシは、空いている左手で受け止めた。

 

手首を掴む余裕もなく、払い除けるには安定性も時間も不足していたので、迷う事なくそのまま手の平で包み込んだのだ。

5cm程の鋭い平刃が、鮮血と共に左手の甲から突き出る。

しかしタカシはそのまま怯まずにドラガンの拳を握りしめ、左腕の動きを殺す。

これで、双方ともブレードを持つ右腕だけが自由になり、強く結ばれた二人の左腕を挟んで、殺すべき相手の顔を睨み合う格好になった。

弱体化したようにも見えたタカシだったが、すかさず流血と引き替えに固定しているドラガンの左腕に向けて、報復の一撃を見舞う。

ドラガンの手首を切り落として甚大なダメージを与えると同時に、そのまま拘束を解こうという狙いだった。

だが、ドラガンも抜け目無く攻撃を受け止め、返す刃で直接タカシの右腕を狙う。

更にそれをタカシが受け返した所で、双方のブレードの動きが止まった。

最初の攻撃からこのまでの応酬が終わるまで、1秒とかかっていなかった。

 

「相変わらず、命を粗末にした戦い方だな。俺の言っていた事をちゃんと守っていたのか?」

「…今のアンタに…言われたくないね」

 

会話の間だけ止められていた応酬が、スイッチが入り直したような唐突なタイミングで再開された。

今度はブレードによる攻撃だけでなく、足を使っての激しいポジション移動が加わり、それによって互いに身体を引きずり引きずられる、まるでソシアルダンスのような回転運動が展開されるようになった。

二人の左腕で組み上げられたアーチと、素早いステップにより激しく入れ替わる両膝に挟まれた空間で、ブレードのリーチのやり取りが繰り広げられる。

足や手などの比較的届きやすい対象だけでなく、腹や、顔面にも意表を突いた斬撃が振るわれる。

相手の行動を読む洞察力だけではなく、視覚的に見極める動体視力と、対応する為の反射神経が要求される、全く前時代的な戦闘となった。

 

「その不細工な武器は…テレーゼ婆さんの特製か?」

「結構、イヤだろ?」

 

タカシのブレードは全体長こそ長い代物だったが、肝心の刀身自体はその半分にも満たない、いわば奇形の武器だった。

刃物と言うよりは、むしろ短い槍のようなもので、まともに振ってみても切り裂くのに困難を伴うのは想像に難くなかった。

しかし、ドラガンのそれよりも大きく勝る『柄』の有余を存分に活用して、自身に降りかかる斬撃を次々と受け流していく。

短い刀身も刺突を中心に攻撃を展開すれば、却ってドラガンのような純粋なブレードよりも鋭さを増した。

 

「…まさか、そんな単調な攻め口で勝てると思っているんじゃないだろうな」

 

一方ドラガンも、突き主体で伸び気味のタカシの腕を重点的に狙い、払う動きからそのまま斬撃へと繋ぐ攻防一体の戦法を展開する。

タカシの線の鋭さに対する、ドラガンの円の動き。

明確にそれぞれ固有の攻め口が見える中で、不意打ちのように足蹴りや転倒を狙う「けたぐり」が混ざり、更にそれを起点とするフェイントが加わる事で、シンプルだった動きも少しずつ激しくなっていく。

 

だが、ひたすら殺し合いを続ける二人の姿は、傍目からはまるで子犬がじゃれ合っているようにも見えた。

 

 

 *      *

 

 

暗視の無いスコープを覗くのは、随分久し振りだった。

特にこの国に来てからは夜間行動の訓練ばかりで、寝る時など目蓋に黄緑色の画像が焼き付いて見えた事もしばしばだった。

そのせいか、いざ可視光の下で標的を見ると体感的な距離感が掴みにくく、標的をクロスヘアの中心に誘導する事すら難儀な作業に感じられた。

そうでなくても、刃物振りかざして動き回っている人間を片方だけ狙撃する事など、いくら近距離とはいえ至難の業である。

 

JJより、司令室。現状況においては標的の狙撃は不可能…指示を求む」

 

相手が一人なら斉射で終わらせられるが、いかんせんタカシはドラガンと繋がったまま激しく動き続けていて、当分離れられそうもない。

この状況でも辛うじて相手のみを狙撃できる人材もいない事はなかったが、一人は司令室でモニターを睨んでいる最中で、もう一人はスコープの中で今も決闘遊びをしているタカシ本人だった。

従って、万一の場合にはここにいる自分達の手でドラガンを止めなければならない。

 

「…了解、態勢を維持したまま待機する」

「ニキータは何だって?」

「タカシがやられたら、即座に撃つ。状況に備えて待機だってよ」

「最優先目標部位は足と腕、それから頭でいいんだろ?」

「それでいい。頼むぜ」

「全く、一歩間違えばまとめて射殺だってのに、楽しそうに遊んでやがる」

 

ウィトラはベネリ・スーパー90を取り出し、掩蔽代わりのコンテナの陰から二人に向けて構えた。

優先順位でいけば、自分とカリミによる狙撃が先だったが、それが失敗した場合には、ドラガンが損傷限界距離を破る前に、散弾によって確実に倒さなければならない。

散弾なら防弾ベストで止まるから、自爆用の爆薬が暴発する筈はない。

少なくとも理論上ではそういう事になっている。

動きを止め、行動を制限するだけなら、防弾装備のない部分を破壊すれば事は足りるのだ。

 

「なあJJ、頭を頼むよ。俺が両腕やるからさ」

「いいやカリミ、お前が撃つんだ。俺一人で足と両腕をやる」

「一人でどうやって…」

「じゃ、お前は俺の代わりに動体二目標、できるのかよ?」

 

それでカリミは黙ってしまった。

可哀想だが、この場においては自分以外に足止めと腕部の狙撃を同時に遂行できそうな人間がいないのも事実だった。

確かにカリミは狙撃の技量だけなら自分より上だったが、それはまだ訓練時に限っての話であり、とりわけ動体目標には訓練においても弱かった。

それ故に、足を撃ち抜き、真っ先に自爆スイッチを押すであろう腕を飛ばした後ならば、辛うじて頭を静止標的として撃ち抜くのも容易だろうと判断したのだ。

 

しかし、仮に自分が撃つ事になったとしても、かつての仲間の頭を確実に撃ち抜けるのか。

 

「止まってるモノなら簡単だろ?俺が止めるから、そこを撃てばいいんだよ」

「いや、しかし…」

「昔の仲間の顔は撃てないってか?」

「いや、そうじゃないけど…」

 

単に重責を押し付けているだけ、というのは承知の上だった。

だがこの場にいる一個分隊3人と、丁度線路を挟んで向かい側に待機しているブラノフの分隊を合わせた戦力で、確実にドラガンを止めるには、躊躇する隙など許せる筈もない。

 

「ドラガンが自分で選んだなら、せめて俺達の手で幕を引いてやるしかねーだろ」

 

ウィトラが構えを解かないまま呟いた。要するに、死のうとしている人間に気を使っても無駄という事だ。

残酷な考え方なのかもしれなかったが、誰もがドラガンは説得に応じるタマではないと知っている。

ならば、例えそれが言い訳じみた「逃げ」だとしても、

 

「分かったよ…俺が楽にすればいいんだろ」

 

そういう一番楽な結論に帰結するのが道理になる。

カリミはM4のスコープに目を戻し、そのまま二度とよそ見をしなかった。

 

「…動きが緩くなってる。止まりそうだぞ」

 

ウィトラの言葉に慌てて自分のスコープに目を戻すと、もはやステップの応酬すら止めた二人が、戦いの手法を緩慢な睨み合いにシフトしようとしていた。

こちらから見た限りでは、背中を向けたタカシが障害になって射線は塞がれていたが、足自体は止まっているので、チャンスさえあれば狙撃も可能の筈だった。

 

JJより司令室。標的は停止、状況の変化によっては狙撃可能。指示を仰ぐ」

 

ブラノフの分隊を見ると、やはりこちらと同じく攻撃態勢を急に整えているのが分かる。

タカシが障害になるのは向こうでも同じ筈だが、どこまで差があるだろうか。

そう考えて、直接訊ねようとブラノフを呼び出そうとした時、

 

『撃つな』

『…何?タカシなの?』

『俺が死ぬまで…撃つな…頼む』

 

荒い息遣いに混じって聞こえる声は、確かにタカシのものだった。

 

 

 *      *

 

 

二人の装備しているヘッドセット式の無線は、身につけていた主要装備を捨てた時点で、半自律起動モードに切り替えてあった。

使用者の声に反応して起動し、自動的に送信を行える。

それは、送受信を行いながらも自由に活動できる環境を確保する為でもあったが、半ば自分達の言葉を垂れ流しにしようという、共通の意志も働いていた。

どちらが生き残るにせよ、この場で残した言葉の一つ一つが、そのまま死んだ側の遺言となる筈だった。

 

「今のは、後ろの連中に伝えたのか」

「そうだよ…アンタにも全部聞こえていただろう」

「仮にブラノフやアコンチャが俺を仕留めたとしても、お前が死んでいたら無意味だろう」

「そうは…ならないから…止めただけだよ」

 

減らず口に対する返事は、やはり容赦のない攻撃だった。

著しく鈍く、しかし恐ろしく重いドラガンのブレードを、タカシが正確に受け止める。

受け損なって、少しでも身体に掠れば、それだけで致命傷になりかねない凶悪な斬撃。

先程までの軽快な叩き合いとは正反対の、まるで演武でも行っているような、威力に比重を置いた緩慢な遣り取りだった。

 

だがこの状況は、目に見えて息の上がっているタカシだけでなく、ドラガンも速攻の応酬によって一気に疲労している証拠でもあった。

 

複雑な読み合いに見える空白の時間は、積もった疲労を引きずりながら、牽制を兼ねて重い一撃を狙いに行く消却的な戦法の現れであり、致死性の高い攻撃は、最小限の消費で出来うる限り大きな効果を得る為の苦肉の策だった。

 

 『JJより司令室、このままでいいのか?』

 『現状での狙撃は自爆の危険大と判断する。制圧可能な状況となるまで引き続き待機…』

 『今なら、頭撃って一発でいける!ニキータ、そっちからも俺からの映像は見えているんだろ?』

 

乱雑なノイズに混じって、ウィトラの荒い息遣いが届いてくる。

 

 『JJ、通信は二人にも筒抜けだろ。その辺にしておけ』

 『…了解、引き続き待機する』

 

ドラガンの口が緩く開き、その口だけで笑ってみせる。

 

「…アコンチャの奴は…相変わらず熱くなる癖が直ってないな」

 

お互いに似た環境で、同じ思考に従って、鏡に映った自分自身と闘うように刃を合わせる。

2、3回だけ同じような斬撃を繰り返しては、すぐにまた膠着状態に陥り、回復するや否や再び斬り合いを始める。

そんな単純労働を1分、また1分と続けるにつれて、二人の体力も徐々に削られていく。

 

そしてついに、二人の応酬が刃を交差させた姿勢のままで停止した。

 

「…ドラガン、あんたろくな物食ってないんだな」

「…なん…だと…」

「こんな緩いペースでやっているくせに…ちっとも回復していないじゃないか…」

「お前こそ…もう血が足りないだろ…」

 

力の競り合いで拮抗しているようにも見えたが、双方とも身体と精神の疲労によって停止してしまったのが真実だった。

停止して回復を待つにも、その根本となる体力がどれだけ残っているか。

それを待つだけの時間は、確実に、ない。

 

「…こうなったら体力のある方の勝ちだろう…お前と俺と、どっちが上だ…」

「生き残った方に…決まってんじゃねーか」

 

二人は鍔迫り合いを続けながら、次の攻撃を読み取ろうと相手の眼球の動きを注視している。

その間にも、左手同士の拮抗が続けられ、傷ついている側のタカシの血液が少しずつ失われていった。

もし、タカシ自ら刺突ナイフを振り切って逃れたならば、傷口が開いて更に出血が多くなる可能性が高い。

治療もままならない現状では、この体勢のままで決着をつけるか、あるいはドラガンの手から刺突ナイフをもぎ取って、ナイフのおまけ付きで左手を解放させるしかなかった。

 

だが、客観的に見て、無償で左手が解放される見込みは低い。

 

ドラガンの力の入れ具合からして、出来る限りの損傷を残した上でナイフを引き抜き、致命傷となりかねない程の出血を導こうとしているのは明白だからだ。

 

「そろそろ、この邪魔な手をどうにかしたいだろう…でないと、得意の『足』が生きないからな!」

 

そう言って、ドラガンは更に強い捻れの力を加え始めた。

すかさず、タカシはその反対方向に力を加えるが、骨と骨の間を貫通している平刃が、傷を更に大きくしようとあがく。

平刃を挟む二本の骨の距離が着実に大きくなっていき、痛みと言うより感電に近い感覚が全身を駆けめぐる。

言うなれば、手の平をリーマーでこじ開けられるようなものだった。

それでも、タカシは左手の力を更に強め、平刃の回転を留めるだけでなく、相手の左腕全体を外に向かって押し退けようとする。

タカシの血液は腕を伝って床に滴り落ち、既に小さいながら血溜まりを作りつつあった。

 

「いい加減、我慢しないで離れたらどうだ」

「…うるせえな」

「最初の時点で俺の装備を計算できなかったお前のミスだ」

 

言い返すように繰り出されたタカシの斬撃を、余裕たっぷりに受け流す。

 

「お前自身のペナルティだ。大人しく受け取れ」

「…」

 

数刻の沈黙が、二人の間を支配する。

聞こえるのは、遠くから見守る野次馬達の勝手な喧噪のみ。

聞く限りでは、状況は少しずつ静観から狙撃実行へと移行しつつあるようだった。

実の所、ドラガンだけでなくタカシ自身も狙撃を妨害するべく、故意に仲間達の射界からドラガンを庇う動きを取っていた。

そのお陰で、少なくとも今の段階では横槍を入れられる可能性は低くなっていたが、本当に戦闘中に割り込んで狙撃すると決まれば、仲間達は露骨にポジションチェンジを繰り返し、意地でも射界を確保して撃ってくるだろう。

疲労によって動きの鈍った現状で、真剣勝負をしながらどこまでその動きに対処できるか。

左手のダメージを引きずるタカシと、狙撃を回避しなければならないドラガン。

状況を組み替えなければ、双方共に致命的なダメージを受ける事になる。

 

「すまなかったな、タカシ」

「…何が」

「こんな太陽の見えない場所で、道連れにしちまうんだからな」

 

ドラガンの左手が、タカシの力が抜ける絶妙のタイミングを狙って引き抜かれた。

そのまま離れれば、目論見通りタカシの左手に多大なダメージを追わせた状態で第二ラウンドを始める事ができた筈である。

 

だが、タカシはそのまま腕の動きに釣られるように前に踏みだし、ドラガンに密着する程の距離まで一気に近づいてきた。

遠ざかると思っていた相手の顔が、息がかかる程の場所に来ていた。

 

!」

 

 

 *      *

 

 

マイクを通じて漏れる、湿った何かが折れたような、重く鋭い音。

 

最初の接触の時と同じく、ミサトやニキータ達には、詳しい状況が全く把握できなかった。

確かなのは、瞬時の内にタカシが前進、ドラガンが後退する動きを見せた事だけで、その前の段階で何が起きたのかは、当の本人達以外には見る事すら叶わなかった。

ようやく離れた二人の様子も、一見何の異常もないように見える。

しかし、

 

『…俺が引き抜くのを待っていたのか』

 

ウィンドウ上の画像を見る限りでは、左腕から大量の出血をしていたのはタカシではなく、ドラガンの方だった。

腕を覆っていた漆黒の布地が大きく裂かれ、まるで腸詰めが弾けたような長く鋭い斬傷が姿を覗かせている。

動脈や静脈が破れていれば遠からず死に至る筈だが、痛みすら感じていないのか、本人はむしろ破願の笑みを浮かべて立っていた。

 

『もう思うように動かない筈だよ。二の腕の筋肉が切れているから』

 

一方のタカシは件の左手を握りながら高く構える事で、危惧された出血を最小限に抑えていたが、

 

『抜かせ、お前だって避けきれなかっただろう』

 

タカシの額にも、長さ10cmを越える横真一文字の新しい傷が生まれていた。

目蓋の真上から血流が簾のように流れ落ち、碇シンジと同じ造りの顔が、鮮血に染まる事で全く別の何かに変化していく。

笑顔。

まるで何か共通の秘密を分かち合うかのように、殺し合う二人の顔が、無垢の子供が笑うようにほころんでいく。

自らの置かれている場面を危惧するどころか、喜悦さえ感じているらしい血に染まった笑顔。

 

 

ミサトにはそれが『タカシ』本来の顔なのだとハッキリと理解できた。

 

 

「…確かに、似てはいるけど」

「え?」

「あれは、シンジ君とは全然違う人間だわ」

「当然さね。時間と金をかけて顔と体格、それに声を似せたんだ」

 

訳知り気味な口調で、調整機器を操る女性隊員がうそぶいてみせる。

 

『しかし、あの短いステップで『イアイ』を出すとは思わなかった…』

『押せば退がると思ったから、近づくついでに出してみただけだよ』

 

双方共に、その外見よりダメージが大きいらしく、仕掛ける事もなく言葉のみを交換するに留まっていた。

サッカーか野球といった、ちょっとしたスポーツを終えた子供達のような遣り取り。

 

「馬鹿な子だよ、タカシは」

「何か引っかかるの?」

「どうにかしてドラガンを生かすつもりさ。さっさとケリをつければいいだろうに」

「冗談でしょ?今更そんな…」 

「そもそもあんな手間も傷も必要ないんだよ。馬鹿にしているのさ、全く」

 

案外、彼女が『テレーゼ婆さん』なのかもしれない。

『オバチャン』とか『婆さん』などと呼ばれる人間がこの手の組織に複数いる事は考え難い。

それに、妙に苛ついているのは、かつての仲間が敵になっている事だけが理由ではない筈だ。

自分の作った『得物』に関して何らかの思い入れがあるに違いなかった。

 

「似せた…人為的に変えたのかって言うのか?」

「しかし、一体何の為にそんな」

 

その質問には、『ニキータ』も『テレーゼ』も答えなかった。

 

 *      *

 

 

タカシの額と左頬には、それぞれ一本ずつ鋭い切れ込みが入っていた。

頬の傷はスペツナイズナイフの奇襲を回避した時のものだったが、額のそれはドラガンの横薙ぎが掠めてできた明確なダメージだった。

額の傷から滴り落ちる赤い滴が、既にタカシの顔の半分ほどを侵略していく。

このままでは、顔に露出している器官の中で最も脆弱である目が塞がれてしまうのは明らかだった。

 

「どうする?そういう時に何をすべきか教えてきただろう」

 

セオリーに従うなら、ここは後方にある障害物に一度逃れるなりして状況を立て直すべきである。

 

事実、ドラガンは総合的な戦闘方針こそ相手の想像を超えるよう教育してきたが、危機的状況に陥った場合には迅速に撤退、復帰を目指すように固く言い聞かせて来た。

その一方で、ドラガンは逃れようとするであろうタカシの動きを先読みして、一気に方をつけようとしていた。

 

だが、タカシは指に唾液をつけて眉になすりつけると、そのまま黙って目を瞑った。

他にはいかなる対処らしい行動を見せない。

 

「…何のつもりだ、タカシ」

「別に。開いていても血が入って見えないし痛いだけだから」

 

本来なら攻め込む絶好のチャンスである筈のところを、何故かドラガンは左手を後ろに庇った構えのままで硬直した。

フェンシングと同じように獲物を持つ手だけで闘おうとするスタイルだったが、構えを維持するには1kg弱はあるブレードを、サーベルグリップで握って浮かせ続けなければならない。

時間を稼ぐ分だけ、ドラガンの不利が大きくなる状況だった。

 

「そのナイフは…もうスペツナズじゃないんでしょ」

 

対するタカシも、ドラガンと同じく相手に半身を向ける形で相対した。

 

違っていたのは、攻める右手ではなく、素手の左側を前に向け、後ろに隠した右手は獲物を握ったままだらしなくぶら下げているだけで、緊張感の欠片も感じられない点だった。

最初の時のような不気味な緊張感すらない、言ってみればただ立っているだけの構えだった。

自らの血に染まった表情は、まるで瞑想でもしているかのように安らかで、眠っているようにも見える。

状況はタカシが不利であるにも関わらず、両者の余裕さの比重が明らかに当初と逆転していた。

 

「どうするの?今度は投げつけてみる?」

 

その言葉で、ドラガンが動いた。

 

 

 *      *

 

 

「おい、あいつ目を閉じながら闘う気だぞ!」

 

画面には剣呑な刃物を振るって殺し合っている二人が映っていた。

既に片腕を失いかけているドラガンが懸命に白刃を振るう。

相手の顔や手首、かわした拍子に隙を見せる腹部や首、喉めがけて素早く一撃を加えていく。

 

「相手はいつ自爆するか分からないんじゃないか?今すぐ殺せば良いじゃないか!」

「待てよ、無理矢理撃っても自爆するかもしれないじゃないか」

「頭撃てよ、頭!そうすれば一発だろ!」

 

さっきまで怯えながらも傍観を決め込んでいた下層の職員達が、一斉に声を上げ始めた。

その内容は、先程まで日向や青葉が言っていたものとほぼ変わらず、それどころかより過激で厚かましいものだった。

 

「あまり時間が掛かると、下の連中も抑えられなくなるわ」

 

端的に苦言をぶつけてみる。対応の期待など初めからしていない。

 

「仮に突破されても、後方には二個分隊が待機しています。ここまで来る可能性は皆無ですから、心配はありません」

 

思った通りのにべもない回答だったが、そのまま黙って引き下がる気には到底なれなかった。

 

「そもそも、率直に言ってあんな戦い方が必要とは思えないわね」

 

やっかみやこじつけではない。それが、かつて曲がりなりにもドイツ支部で軍隊式の訓練を受けたミサト自身の感想だった。

 

現代の軍隊においては一般的な兵士だけではなく、いわゆる特殊部隊と言われる兵士も含めても、特化した格闘技術は、実はそれほど必要とされてはいない。

早い話、銃を使った方が安全だし確実だからだ。

 

「彼の行為は、契約違反として捉えざるを得ないわね」これはリツコの意見だった。

「第一目標を無視する規律に欠けた行動、計画性に欠ける無謀な方針。今後の予定にも考慮する必要が…」

「何分こちらとしても予想外の状況ですから」すかさずニキータが断ち切る。

「契約条項に例外は含まれていないわ」

「ではあなた方の使徒との戦闘においても、『例外』は一切無いとでも?」

「そんな問題ではなく、あくまで契約上の規定の話をしています」

「防衛上必要な規定外行動を認める第五条三項を適用できると考えます。この件に関してはまた後程協議するという事で」

 

同じ金髪だからなのかもしれないが、恐らくはるかに年下であろうニキータとリツコが、一瞬だけダブって見えた。

まるで、画面の中の少年達のような、似た者同士のぶつかり合い。

 

「…どうでも良いがね、そろそろケリがつくんじゃないのかい」

 

その少年達の戦いも、どうやら決着が付く段階に近づきつつあるようだった。

 

 

 *      *

 

 

視界が薄れているのは、疲労のせいだけでは無い筈だ。

 

もう既に左腕の感覚が失われて、痛みすら感じない。

ただ、何とかしてタカシの身体に当てようと右腕を振る度に、言うことを聞かない方の腕から貴重な血液が垂れ流しにされていく。

その感覚だけが妙にリアルに伝わってくる。

ホースから止まらないガソリンがダダ漏れになる感覚に近い。

それで止まろうとしているのは、車や装甲車ならぬ自分の身体だ。

 

「もう無理だよ…分かっているんだろ」

 

目を閉じたまま、生意気な口調でタカシが挑発してくる。

今更言われなくても分かっている。自分で勝手に罠に掛かったのだ。

大きな傷を作って無駄な運動をさせれば、それだけで体力を奪える。

さっきこちらが使った手口を、更に大きな傷を作って返してきたに過ぎない。

しかも憎らしい事に、奴の方が手口が巧妙でしかも合理的だ。

まず、運動量の格差が全然違う。

俺のやり方では自分自身も動かなければならないが、タカシの方は俺だけ振り回して自分は余裕綽々でかわしている。

元から残余体力に差がある上に、精神的に追い詰められた状態だと、一度嵌ればもう抜け出す事は不可能だろう。

 

動きを停めた。

 

いつの間にか、タカシの目はしっかり見開いていて、笑うどころか憐れむような目でこちらを見つめている。

おまけに、こちらとの間隔も接近戦の間合いと言うには程遠い距離に開いていた。

 

「…どうして」

「血は、動き回っている内に固まったんだ」

「そうじゃない」どうすればそんな手品のような回避ができるんだ。

「…ドラガンって、いつも片手だけで闘う時にはシチリア・スタイルにするだろう」

 

クソ生意気な知恵を付けたもんだ。

 

「シチリア・スタイルは確かに片手刀法の中でも強い方だけど、足捌きも含めて型が大体決まっているじゃない?」

「それで、足捌きを音から聞き分けて、更に攻撃全体を読んだっていうのか」

「そうだよ…それにさ」

「何だ」

「シチリアに決めたら最後、もう後退なんてしないでしょ。だったらこっちは後に退いていれば、適当にどうにかなるから」

 

簡単に言いやがる。そんな真似、俺を仕込んだ奴にだって出来やしないだろう。

 

「お前、それを誰に習ったんだ」

「別に」

 

自力で、ここまで来たのか。

河本の親父に仕込まれたとしても、ここまでの学習能力があるとは予想外だった。

 

「…強くなったな、お前」

「うん」

 

跪きそうになった身体を無理矢理立たせる。

筋肉というよりは、張りつめた鉄筋を引き絞る形で関節を伸ばしていく。

今更ここで諸手を上げて降参する事など、出来はしない。

 

『デク』という言葉をこの国で聞いた。

 

人の手から伸びた針金や鯨髭で操られる、機械人形の事らしい。

痛みも屈辱も感じる事無く、時には人間では考えられない動きで観客を圧倒する。

 

ならば、今この瞬間、『デク』になりきれるか。

 

「だけどな、俺にもやる事があるんだ…」

 

命を託して振り回していたブレードを、力を抜いた腕でぶら下げる。

正面から相対して、両足は肩幅ほどに広げる。

力を抜いて直立する事がこんなに困難だとは思わなかったが、無駄に力んでは瞬発力が得られない。

左腕がどうなっているかはもう知る由もないが、放っておけば自然に付いてくるだろう。

 

「そこを、通して貰う」

 

これで、確かに『イアイ』の構えになる筈だ。

 

「どうしてもやめないの?」

 

縋るような弱音を吐きながら、タカシもこちらと同じ構えを取ってきた。

同じ条件、同じ方法で受け止める覚悟を固めたらしい。

やはりそういう所は不気味な程に律儀なままだったが、心の中で感謝するばかりだった。

後は、自分自身の能力と運に全てを賭けるしかない。

目の前にいるタカシの影が左右二つに別れて見えるが、その間に向かって走れば多分当たるだろう。

 

「やめたいなら、お前が勝手にそうすればいい」

 

膝を、最高級のグリスとベアリングで包んだ関節としてイメージしてみる。

自由に、音もなく曲がり、多少無理な角度でも壊れる事無く付いてきてくれる、魔法のジョイント。

出来る限り無茶な妄想で現実をひた隠しにして、強引に希望を紡いでいく。

 

俺は勝てる。

 

奴を見る限り、『イアイ』の要素はスピードと、それを力に変換する無駄のない動きの型にあるらしい。

それさえフォローできれば、片腕が不自由でも勝機はある。

今は、相手を完全に屈服させる必要はない。

極端に言えば、タカシを素通りしてでも、そのまま司令室まで辿り着けば良いのだ。

 

「一つだけ教えてくれないか」

「何?」

「最初の一歩はどっちの足を出した方がいいんだ」

「好きな方で良いけど、利き腕と同じ足にするのが基本じゃないかな」

「そうか。ありがとう」

 

砂漠にいた頃も、こいつはこんな感じで見つめてくる事があった。

何かを訴えかけるというより、消えていく物を憐れんで眺める諦観の目だった。

 

「そんな目で見られる程、俺は落ちぶれている訳じゃないぞ」

「何だよそれ」

 

 

身をかがめて、一気に走り抜ける。

 

 

 *      *

 

 

「走った!」

 

最初のタカシの攻撃と同じく、ドラガンが低い姿勢で猛烈なダッシュをかける。

傷の状態からすれば信じられない速さだったが、先程のタカシのように想像を絶するレベルではなく、素人から見ても、とても結果の望める選択肢とは思えなかった。むしろ、特攻という名の断末魔に見えた。

二人を隔てる距離は、およそ5m程だろうか。

そのまま激突すれば、躊躇無くタカシに斬り捨てられるだろう。

当の本人たるドラガンが何を思っていたのかは知る由もなかったが、多分に死の影を含んだイメージを抱いていた事は想像に難くない。

 

「あの少年が死ぬ事で私達が得られる物は、何なの」ミサトが誰にでもなく呟く。

「この土地が、何者にも侵されない場所である保証よ」

 

リツコの答えに憤然と言い返そうとした画面から目を背けた瞬間、

 

「おい…今の見えたか」

「いや、よく分からなかった。でも」

「どっちも、斬られていない…」

 

さっきまで両手で顔を覆っていたマヤも画面を見ていた。

 

「ねえオバチャン、あれが新しいオモチャの威力な訳?」

「あのバカガキ、余計な真似をして…」

 

画面の中の二人は、交錯する以前とそっくり位置を入れ違えた形で立っていた。

正確に言えば、タカシは片膝を付いたままブレードを振り抜いた格好で静止していて、一方のドラガンは、まるで木偶のように突っ立って、ただタカシを見つめているばかりだった。

項垂れたまま石像のように固まっているドラガンは、カメラの映像ではその生死さえ判別できない。

だが、その足下には最後まで主人に従って働き続けたブレードが、その使命を終えたように静かに横たわっていた。

周辺は血にまみれていたが、肝心のブレードの刀身には一滴も血が付いていない。

ブレードは落ちたのではなく、何らかのダメージによって「落とされた」のだ。

 

 

ようやく、目に見える形で勝敗が決した。

 

 

『それが、タネ明かしか…』

 『そうだよ。ごめんね、騙しちゃって』

 

誰かが、気を利かせたつもりなのかタカシの手元をクローズアップして見せた。

本来、そこにはあの短槍に似た奇形のブレードが握られている筈である。

 

だが、そこにあったのは「似た物」ではなく、正しく「槍」そのものだった。

 

短い刀身を支える柄の部分が、いつの間にか2倍強程の長さに伸びていて、その分だけブレードのリーチが増していた。

単に大型のブレードでしかなかった得物が、カタナに匹敵する大型武器に変化していたのだ。

状況を見る限りでは、タカシがその長いリーチを利用して、アウトレンジからドラガンに攻撃を仕掛けたのは間違いない。

その結果として相手の武器を捨てさせたという事は、

 

「ご丁寧に、親指だけを選んで切り落としたのさ」

「…ふうん、それでタカシは一旦ドラガンをやり過ごして意表を突いたんだ」

「真っ正面からぶつかると思っていた相手が目の前から消えて、慌てて振り返った所を狙ったんだよ」

 

ニキータ達の会話を総合してみると、タカシは最初からドラガンを戦闘不能に追い込む為に、真っ正面からの決闘を仕向けた事になる。

一番最初にセオリーからかけ離れた挑発的な攻撃を仕掛け、決闘じみた縺れ合いに引き込んで疲労を誘い、最後に行動不能へと導く深刻なダメージを与えて仕留める。

生け捕りとしては手が込んでいるにせよ、周到に仕組まれた手口と言えた。

 

「じゃ、ずっとあれがやりたかったんだ…バカみたい」

「最悪さね。結局タカシはドラガンを殺したくない上に、実力でそれを可能にしようとしているんだ」

 

画面の中では、もう立つのがやっとというドラガンが、静かにタカシの元へと歩み寄っていく。

 

 『お前、斬り合っている最中にも時々それ使っていただろう?』

 

まるでトランプのイカサマを咎めるような、飄々とした表情だった。

 

 『うん、ほんの少しだけ』

 『良い使い方だ。本当なら隙を見て即座に刺し殺すんだろう』

 『そうだよ』

 

答えたタカシも、上手く儲けをせしめた子供よろしく朗らかに答えた。

さっきまでの躍動感や狡猾さなど欠片も見えない、心の底から自慢気たっぷりな態度。

 

『なら、なぜそうしなかった』

 

タカシは笑った顔のまま、喋ろうとしない。

問い詰めるドラガンは、殺し合いの最中にも見せなかった沈痛な面持ちで少しずつタカシに近づいていく。

 

 『お前なら、あの組み合っている時に幾らでも隙を突けた筈だ』

 『どうだっていいだろ、そんなの俺の勝手じゃないか』

 『そうか』

 

死を免れた人間が発したとは思えない、乾いた笑いが坑道内に響く。

もしかしたら、泣いているのかもしてない。だがそれを荒い画面で確認する事はできなかった。

 

『お前に手加減されるとは持ってもみなかったぞ』

 『だって、もういいだろ。もう充分戦ったじゃないか』

 

タカシの笑顔も既に消えていた。

代わりに張り付いていたのは、エヴァに乗る事を拒否した時のシンジ君と全く同じ顔だった。

目の前にそびえる現実を、必死に否定しようとする子供の顔。

しかし、この少年の場合はシンジ君と違って、自分の力で現実を変化させようとしている。

 

 『情けをかけているつもりか』

 『そうじゃないよ』

 『じゃあ何のつもりだ』

 『ねえ、俺達がどうしてここにいるのか、分かる?』

 

唐突に話が私的な方向に進み、ドラガンばかりか、傍観しているこちらまでもが意表を突かれた。

 

 『スポンサーが付いたからだろう。それが俺達と反対側だっただけだ』

 『それだけじゃないよ』

 『…』

 『俺達は、自分の人生を取り戻したいんだ』

 『何だと?』

 『ここは、あの砂漠なんかに比べたら、天国だよ』

 

司令室で待機している隊員達は、明らかに委員会との契約に違反する行動を取っている仲間を責めようともせず、黙って見守っている。

 

 『あんな場所と比べなくても、この街は楽園だろうさ』

 『ここで戦えば、俺達はここで生きていけるんだ』

 『…』

 『誰の為にでもない、今度は俺達自身の為に戦って生きていけるんだ』

 『じゃあ、あの時の仲間、みんな戻ってきているのか?』

 『いや、全員は来れなかったけど、でも』

 『前に言った筈だろう』

 『…何をさ』

 『泣こうが笑おうが殺そうとする相手は人間だ。逆にそんな表情を見せなかったとしても、やはり人間である事には変わりはない』

 『ちゃんと覚えているよ』

 『だったら、何故俺を殺さない』

 『…殺したくないからだよ』

 

力無く首を振り、ドラガンが溜息をつく。

 

 『お前も可哀想にな』

 『どうして』

 『お前は、これからも今日と同じ目に遭うだろうからな』

 『…それじゃ、まさか』

 『俺は、ただ家族を守る為に戦っている。だがそうじゃない奴等も大勢向こうにいるんだ』

 

その言葉の意味を深く理解はできなかったが、タカシの仲間達が重大な衝撃を受けたのは確かだった。

現にニキータやテレーズ以外の連中は、それまでの用心深さや規律を忘れて私語を交わし始めている。

件の二人はキツイ眼差しで画面を睨んでいるだけだった。

 

 『ここが天国だって分かれば、こっちに加わる方が多いに決まっているよ』

 『そうかもな…だが、そんな事はもう俺には関係ない』

 

それが、タカシにとって最後通牒にも等しい言葉なのはこちらでも理解できた。

 

 『自分が死んで、家族が生きられるなら、それでいいの』

 『悪いか?』

 『分からないよ。俺には、そんなの分からない』

 『そうか』

 

「ブラノフ、JJ、同時に展開…包囲して…」

 

二人が会話にかまけている隙に、ニキータが密かに仲間達に指示を送る。

久しく動きの無かったレーダー上の光点の群が、静止した色違いの二重星を中心に、包囲するように散らばり始めた。

それはミサトの目から見ても、極めて合理的な判断だった。

 

 『そろそろだな』

 『…』

 『みんなによろしく言っておいてくれ。それと、ニキータに礼をな』

 『分かった。伝えとく』

 

言うまでもなく、二人も周囲の動きを察知していた。

だが、画面を見る限りは逃げる場所などどこにも無く、降伏する気配も見られない。

残る選択肢があるとするなら、その場での自爆くらいしか考えられない。

だとするなら、それは最悪の結末となる。

 

「止められるんでしょうね…弾く前に」

 

答える者はなく、最後の幕引きに向けて隊員達が配置に付き始める。

下層の職員達も、固唾を飲んで事態を見守る。

 

 『なあ、この街は』

 『何?』

 『良い街だな』

 『だから、そう言っているだろ』

 『お前達なら、どうにかなる。俺が保証する』

 『そう』

 『ああ、大丈夫さ』

 

もう既に、二人の目に見える程の近距離にまで隊員達が迫ってた。

2分隊、6人が3種類の距離で構えて包囲する。

これが警察ならば、警告の一つも出るのかも知れないが、彼らは黙って銃口を突きつけるだけである。

速攻で弾丸を撃ち込まないのが不思議なくらいだった。

 

 『お前の守る物は、見つかったのか』

 『…うん』

 『じゃあ、それを守れ』

 『うん』

 

無心で頷くタカシの顔は、血塗れであるにも関わらず、まるっきりシンジ君そのものだった。

 

 

 *      *

 

 

「じゃあ、な」

 

最後に微笑んで見せて、ドラガンは身を翻した。

満身創痍の身体から最後の力を振り絞り、最初のタカシの疾走と見紛うばかりの速さで走り出す。

だがその方向は、誰も予想していなかったものだった。

 

真横。

 

その先には壁の他には何もない。

 

司令部の方向と予想していた隊員達は、虚を突かれて対応が遅れる。

 

JJ!」

「振られる!」

「構うな、撃て!」

 

ウィトラがベネリを、一歩遅れたカリミもM4をフルオートに変えて連射する。

しかし、弾丸は一歩遅れて床に当たり、尽く跳ね返る。

それまでのドラガンの弱り方から見れば、考えられない程の力強い、しかもフェイントも絡めたダッシュだった。

その進行方向にあるのは、壁のみ。

 

「違う、溝だ!」

 

ブラノフがいち早く、壁の手前に口を開けている黒い裂け目に気が付いた。

幅は丁度人ひとり入れる程だったが、見る限りでは深さを推し量る事もできない、そこだけが地獄に通じているような、正に「裂け目」だった。

ドラガンは、一目散にその穴を目指していた。

司令室に向かわないと知った隊員達の銃撃が、一瞬、止まる。

その間にドラガンと溝との距離が一気に縮まり、あと3ステップ程度で到達できる位置にまで達した。

 

「逃げるつもりだ、撃て!早く!」

 

もう躊躇せず、ベネリを装備したウィトラとブラノフが物陰から抜けだし、タカシの前まで走っていく。

そこからドラガンの背中に向けて、直線に撃ち込むつもりだった。

散弾ならば、間違いなくそれで命中できる筈である。

だが、誰の目から見てもそのタイミングは、タイムリミットには数刻遅いように感じられた。

もう、あと2歩でドラガンは溝に吸い込まれる。

 

!」

 

唐突に、ブラノフの眼前にグロック26の銃身が現れた。

さっきまで馬鹿みたいに突っ立っていたタカシが、瞬時に立射の構えをとってドラガンの背中を狙っていた。

 

「バッカヤロ、テメエ目の前で!」

 

至近での射撃に、本能的に危険を感じて後退したブラノフの目の前で、タカシは一発だけ9mmパラベラムを発射した。

ドラガンの右足が不自然な方向にねじ曲がり、同時に頭部がハンマーで叩かれたように前方に引き寄せられる。

最早意識のないドラガンの身体は、それでも落ちていく頭に引きずられて溝と床の境界線上に倒れた。

 

「ヤバい…全員退避だ!」

 

MSG90のスコープを覗いていたJJが、大声で怒鳴って廃棄コンテナの陰に隠れた。

無線を通じて警告が隊員だけでなく司令室内にも伝わり、詳しく状況が把握できないミサト達も、自ずと何が起きるのかは理解できた。

ドラガンの身体が、重力に引かれてだらしなく闇の中へと吸い込まれていく。

隊員達がかつての戦友の最後を尻目に一目散に逃げ出す中で、一人タカシはその場に立って溝の方向を見つめていた。

 

「確かにスイッチ入っているんだな?」

「ベストの紐を引っ張っていた!間違いない!」

「タカシ何やっているんだ、死ぬ気か!?」

「司令室の連中にフォローさせろよ!」

 

無線の怒号が飛び交い、人影が消え去り、一瞬の静寂が坑道を支配する。

ただタカシだけがその中で微動だにせず石になっていた。

 

司令室では危険を感じ取った職員達が騒ぎ出し、特に隊員達が開けた穴周辺の人々が、一刻も早くその場から離れようと逃げ惑っていた。

 

「最下層の職員は上層に退避! 非常用のマスクを装備して衝撃対応姿勢!」リツコが声を上げて状況を抑えにかかる。

「何してるのミサト?あなたが指揮しないと…」

 

本来、このような状況で指示を出すべきミサトは、黙って立っているだけで声も出そうとしなかった。

 

「葛城さん、マスクを付けて隠れないと」

「必要ないわ」

 

日向の言葉を振り切ったミサトの視線は、投影スクリーンの中のタカシに向けられていた。

 

「彼が逃げないからって、」

「そこのお客さん達も逃げてないじゃない」

 

確かに、ニキータもテレーゼも、相変わらずその場に居座ったまま動こうともしない。

それどころか、後詰めに残っていた隊員達は平然として何事か作業を始めている。

隊列に紛れていた清掃用のカートから、何かを引きずり出して最下層に降ろそうとしていた。

 

 

 

そうして最初に訪れたのは、思いの外小さな破裂音だった。

 

 

 

実際に手榴弾の爆発を目にした事のある人間なら、すぐにそれと分かる地味な爆発だった。

爆弾がどうこういうよりも、気体の膨張によって引き起こされるような、正しく破裂というべき現象。

司令室には、せいぜい巨大な爆竹としか感じられない音が響いてきただけで、衝撃波も破片も飛んでは来なかった。

 

こんなものかと皆が拍子抜けした一瞬の後に、二度目の爆発が起きた。

今度も音自体は驚異的という程ではなかったが、鈍く、そして明らかに重かった。

 

溝から巨大な炎が登り上がった。

 

タカシの目の前、ドラガンの落ちた地点を中心に、駆け抜けるような速さで左右に炎柱が展開されていく

それは坑道に沿って伸びる溝全体を覆い尽くす、さながら地霊の怒号のような灼熱の壁だった。

司令室の付近で炸裂していたなら、なまじ爆発力の大きい爆弾よりも遥かに悲惨な被害を産み出していたに違いなかった。

 

「…タカシ」

 

赤々と燃えさかる炎を前に、タカシは最初と同じ場所で立ちつくしている。

 

「入り口を閉鎖するから、こっちに戻って来て」

 

ニキータの呼びかけにも答えようとしない。

 

「このままだと私達も窒息するわ。早く戻ってきて」

 

現に、司令室の後詰の隊員達は鋼材とボードを最下層まで降ろし終わり、いつの間にか閉鎖作業に取りかかろうとしていた。

職員達が逃げ惑う最中に、彼らは淡々と後始末の準備を進めていた事になる。

 

「タカシ、お前が戻らないと俺達も戻れないんだよ」

 

既に壁の大穴付近まで撤退しているJJが、ごく冷静に現実を突きつけた。

 

「…分かってる。もう戻るよ」

 

言葉のみを返して動こうともしないタカシの左手には、ドラガンの遺した血塗れのブレードが握られていた。

 

 

 

日の目を見ず、地下深くでいつまでも燃え続ける炎の壁は、姿の見えない何者かの呪いそのものだった。

 

 

 

 


to be continued

青の6号 歳月不待人 / Catherine battle


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