KISS YOU

第二部:21TH CENTURY FLIGHT

第二話:きみの弱さ

斉東 深月

「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
喫茶店で向かい合って座るふたり。無言のままの12分41秒。
互いにどう口を開けば良いのか判らない。

シンジは、アスカの秘めた願望に応えられない理由を伝えようとしていた。
アスカは、シンジが受け止めてくれるように『想い』を伝えようとしていた。
なのに言えない。
ふたりともに恐れていた。半ば本能的に悟っていた。
今から始まるであろう会話において、僅かな齟齬が大きな亀裂を生む可能性があることを。

『やっぱ、あたしから言わないと、シンジ口開かないかなぁ』
そう思うアスカの意表を突いて、先に声を発したのは、シンジだった。
「アスカ、ごめん」と。
13分6秒の空白を隔てて聞く、シンジの声だった。

「何が?」アスカの声は落ち着いているようにも聞こえる。
が、そうではなかった。突然の謝罪に硬直しているのだ。
シンジに気取られないように隠してはいるが、実は、奥歯がかちかちと小さく鳴っている。
それほどに、アスカは緊張していた。

「僕、さ。言ってなかったことがあるんだ」
「何を?」
「あ、あの、ア、アスカと、ほら、えーと、何て言うか・・・・」
何が言いたいのか言いたくないのか。常のアスカなら、『んん〜、なぁにかなぁ?』と判った上でからかったりして楽しむのだが、さすがに今はそんなゆとりも余裕もない。だから、こう切り込んだ。
「寝ること?」
「あ、うん。それ、が、その」
みっともないほどに口篭もっているが、アスカは促したりしない。その先に出てくるはずの台詞が、アスカをさらに緊張させたから。
そして、シンジは、ひと呼吸置いてから、言った。
「怖かったんだ」

「怖い?」肩を透かされた。
それはアスカの想像の外にあった言葉。
『オトコはみぃんなあたしのカラダを欲しがっている』
いっそ傲慢に近いほどの偏見ではあったが、ほぼ正確な真実でもあった。
なのに、シンジは『怖い』と言う。多くの男が望んで止まないことを『怖い』と言うのだ。
不可解で、そしてそれはアスカを不快にする。

「どうして?」
聞くのは辛かった。怖いのはあたしの方よとも思った。
この2年間を台無しにするような、そんな返答が返ってくるのを恐れた。
冷静に考えれば、ありえない話なのだが、それこそが今のアスカに不可能なことだった。
が、シンジは何かを振り切ったように顔を上げ、穏やかとも言える表情で言った。
「アスカのことは、好きだよ」と。

それは知っている。良く知っている。
シンジはいつも伝えてくれた。その声で、その表情で、そのくちびるで。
だから、安心できた。だから、生のままの自分を見せることができた。
それなのに?それなのに!
「好きなら、どうして!」
その焦る想いが口から漏れる。絞り出すような、すがり付くような声音で。
アスカには似合わない声音で。

「ほんとだよ。僕はアスカが好きで、今も変わってない。嘘はないよ。でもね」
きしっ。
小さくテーブルが音を立てた。シンジがテーブルの上で組んだ両手に力を込めたから。
「・・・僕は・・・弱い人間なんだ・・・僕の中にから、どろどろした欲望の塊みたいな、そんな何かが生まれてきて、アスカを抱いてしまう。それが嫌だったんだ・・・そんな自分になるのが・・・怖いんだよ」
「そう、なの?」
「たまにね・・・アスカのちょっとした仕種で、ざわざわしたものを感じることがある。たまらなくアスカをどうにかしたくなって。アスカをこんなに好きなのに、どうして僕の中にこんなものがあるんだろうって、思うよ」
「シンジにとっては、邪魔な感情だったんだ」
一見納得した風に感じられるアスカの声だった。

しかし、先程からの緊張が解けたアスカの中では、感情と思考が渦を巻いていた。
何か、違和感を感じる。
シンジが嘘を付いている?
違う。これほど上手に嘘の付ける男じゃあない。きっと、何かに気付いてない。
何に?記憶を探りながら、答えを探してみる。
あった。

「あんたさっき言ったよね。『そんな自分になるのが怖い』って。違うわ。そうじゃない」
奇妙なまでに確信を込めたアスカの台詞に、シンジの心臓が踊る。
「あんたの欲望は生まれてくるんじゃないの。あんたの一部として、もう存在してるのよ。あんたはもう『そんな自分』になってるの。それを認めるのが、怖いのよ」
シンジには、意外に過ぎる結論だ。おとなしく肯けるものではない。
そんなはずはない!そうなりたくないからずっと耐えていた!そう言おうとした。
が、口から言葉が出てこない。
「あんたが昔、あたしに何やったか。忘れてないよ、ね」
アスカの言葉は不思議と穏やかで、しかし重かった。

無論、シンジは覚えている。
愛情を感じているわけでもないのに、眠るアスカにキスしようとした。
アスカの裸身を前に、自慰に耽った。
忘れていない。忘れようがない。

「確かに・・・・・僕はアスカに酷い事をしたよ・・・・でも、だから・・・もう、そんな事したくないから・・・」
「耐えてきた、ってこと?」俯いてそう言うシンジに苛立つアスカ。
「さっき・・・・」
「え?」
「さっき、あんたが詫びたから、あたしも詫びとくわ。ごめんね、シンジ」
「え?」アスカの意図が判らない。
「別にね。今更あんたを責めるだとか吊し上げるだとか、そんなこと考えてるわけじゃあ、ないの」
「じゃあ・・・・・?」何故あんな話を蒸し返したのか?
「あんたが履き違えてるから」
ますますアスカの言うことが判らなくなる。

「あたしもね、シンジに伝えてないことがあったの」
「え?」
僅かにシンジの方へと顔を寄せるアスカ。
「抱かれたかったの。あんたに」少し声を低くしてそう言う。
「知ってた・・・何となく、だけど」つられてシンジの声も、より静かなものになる。
「でも、ちゃんと言葉にしてなかったしね。それじゃあ、あんたも断れないわよね」
「いや、別に断るってつもりは」
「じゃあ、どうして?」
「さっきも言っただろ。今の僕じゃあ、またアスカを傷つけるよ」
「それが履き違えだって言ってるの」
「え?」
「あたし自身が望んでるのに、どうして傷つくのよ?」
望んでもいないことを無理矢理されたから、傷つく。望んでいることをされても、傷つかない。
単純な理屈。
そして、頬杖をついたアスカは、辛そうな、寂しそうな、複雑な笑い方で言った。
「傷つくのは、あたしじゃなくて、あんた自身よ」
ふぅっ、という溜息が『言いたくなかったんだけどね』という気持ちを表していた。

うつむいたシンジの身体が微かに震えている。
「は、はは・・・・そうか。そうなんだ・・・アスカのことを考えてるつもりで・・・・・結局僕はいつも・・・・」
「誰だって、見たくないものはあんまり見ないもんよ」
「やっぱり・・・駄目なのかな・・・」
「何が?」
「僕は・・・アスカを好きだって、この気持ちだけは本当のことだと思ってた。未だに自分に自信なんてないけど、アスカを好きでいることだけは、誰にも負けないでいるつもりだったんだけど、やっぱり、僕じゃ駄目なの、かな・・・」
ぴきりっ。
自分の眉間に何かが走るのを、アスカは感じた。



「どぉして、誰にも負けないでいなきゃ、いけないの?」

そんなに自分に自信がないの?

「どぉして、駄目だとか、思わなきゃいけないの?」

まだ釣り合うとか何だとか気にしてるの?

「あたしがどれだけあんたを好きか、あんた知らないでしょ」

判ってない。きっとこいつは判ってない。自分の壁に気を取られて。

「さっき、いきなり『ごめん』って言われた時、どれだけ怖かったか、あんた知らないでしょ」

判ってないから、不用意にあんなことだって言う。

「あんたに『好きだよ』って言ってもらえてどれだけ嬉しかったか、あんた知らないでしょ」

どうしてあたしがこんなに振り回されるのよ。

「どれだけあたしが不安だったか、あんた知らないでしょ」

もう嫌なのよ。あやふやなのは。こんな曖昧なままでいるのは。

「確かなものが欲しかったのよ!記憶や思い出だけじゃなくて!もっとはっきり身体の奥に『シンジがあたしを愛してくれる』って、そんな証が欲しかったのよ!いけない事?欲しがっちゃいけないの?」

その声は、もはや悲鳴に近かった。



「ごめん・・・言いすぎだったわ」自分の澱みを吐き出したからか、アスカの声は落ち着いていた。
「でもね。あたしも、ゆとりないのよ・・・判って・・・って、これじゃあ無理、か」
「そんなこと・・・」
「少し前までは、まだ大丈夫だったのよ。いつかはシンジもあたしを・・・ってね。でも、最近不安になっちゃった」
「どうして?」
「その『いつか』がちゃんとやってくる保証なんてないのよ。シンジが近くにいてくれる。ずっと安心できてたけど、離れ離れになったり、逢えなくなったり、そういう日が来てもおかしくないのよ」
これほどまでに、重く、悲しそうなアスカの表情は、シンジの記憶にもそうはない。
「出張でね・・・・・・・アメリカに行くの・・・」
意味を飲み込むのに、数瞬を要したシンジだった。

「アメリカ・・・・・・って、いつから?どのくらい?」
「来週から・・・・帰ってくるのは、再来月の予定だけど仕事の進み具合によっては、もっと先かも」
「も、もっと先って」
「半年・・・下手したら1年かかるかも」
死刑宣告よりも、反応に困る。そんなに長い間アスカと逢えないことが自分にとってどういう意味を持つか、シンジには理解できなかったからだ。

「あたしが変に急いでたのは、そのせいってわけ」
言いながら立ち上がる。これ以上シンジの『弱さ』を受け止めることは、アスカにはできそうになかった。
それがアスカ自身の『弱さ』であると気付いていたにせよ。
そしてシンジは気付いてしまった。アスカの声が落ち着いているように聞こえたのは、諦念からであるということに。アスカが何かを諦めようとしていることに。それが恐らくは自分であるということに。

「見送りには、来なくて良いわ」
何かを押し殺すようなアスカの声を聞きながら、シンジは、自分の心が乾いていくのか濡れていくのか、もう判らなくなっていた。
アスカの言葉が本心なのかどうか、それさえも。

<つづく。つづいてしまう>


愚者の独白

お久しぶりデス。サイトヲでス。またこんな挨拶で。
しかし相変わらずこの遅さったら!どうしてまたオリはこんなに遅いデスカ!

今回はかなり難産でした。あぁでもねぇこうでもねぇとあちこち手を入れたので、原形留めてないでス。
もっと良いやりようがあったかも知れませんが、オリにはこれ以上どうにもできんでス。
いっそのこと全面書き換えしちまおうかとも思ったでスけど、この混沌具合も含めて、サイトヲの世界だってことで、無理矢理自分を納得させるヨ!
とにかく、これがサイトヲの一番苦労した回でしょう。希望を込めて。
だって、この先これより苦労するなんて考えたくもねぇから。

これだけじゃちょっとアレなんで、三話と同時投稿になるでス。
それにしてもナァ。この盛り上がらないことったら!

19990211:ラヴ!この世で一番汚れた澱みから空を見上げる実存に!



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