走れ自転車

斉東 深月

電話が鳴った。

「はい。碇ですけど」受話器を取ったシンジの耳に、馴染んだ声が響く。
「おはよ、シンジ」名乗る必要など、微塵も感じていない、いきなりの挨拶。
シンジには、その弾む声の主は知れていたが、不意に悪戯心が芽吹いた。
「どちら様ですか?」
「どどどどど、どちら様ぁ?こぉの大べらぼう!間抜け!記憶喪失!!!」
途中からは、聞くに絶えない悪口雑言や、かなりガラの悪そうなドイツ語の奔流になってしまい、もはや何を言っているのかも判らない。それでも、いい加減ネタが切れてきただろう頃合いを見計らって、シンジがフォローを入れる。
「判ってるよ。おはよう、アスカ」
「・・・・って、わ、判ってればいいのよ、バカシンジ」効果てきめん、途端にアスカは不道徳的な長口上を打ち切った。シンジは少し満足するが、常々アスカに罵倒され慣れているが故の、己の読みの確かさに、ほろ苦いものを感じる。
「で、何の用?」アスカからの電話は、そう珍しくもないが、今日は日曜日。普通ならアスカは外出していて、自分の家にいるようなことは、まずない。
その事がシンジに不審を抱かせた。
「ん?何の用ってほどでもないのよ。あんたが生きてるか確認してみようとね。どう?生きてる?」
「辛うじてね。アスカはどうしたの?日曜に電話って、珍しいね」
「したことなかったっけ?日曜に、電話?」
「うん、確か一度も」
「してなかったんだ・・・・って、何であんたそんなこと覚えてんのよ!」
「い、いや、何となく残っちゃってて、ほら、記憶に」痛いところを突かれて、途端にうろたえるシンジ。
そう、確かに覚えている。覚えてしまっている。

アスカはシンジを救った。
自ら壊されたがっている人形。焼かれることを望む生け贄。
そんな存在だったシンジを、「碇シンジ」に戻したのは、アスカだ。
その存在自体消えかかっていた、シンジの心の扉をノックしたのは、アスカだ。
その扉を強引にこじ開け、うずくまるシンジの核を外に連れ出したのは、アスカだ。
そして、
そして、その扉のネームプレートに自分の名前を書き残したのも、アスカだ。

それ以来、シンジの胸の奥にアスカの名が彫り込まれている。
そのことを自覚しながらも、シンジは悩む。
自分はアスカをどうしたいのか?
アスカを従属させたいのか?そうじゃない。
アスカの足の間に身体を埋め込んでみたいのか?近いけど、少し違う。
アスカに自分だけを見ていて欲しいのか?そんなこと望んじゃいない。
じゃあ、どうしたいのか?
「何を、願うの?」
水色の髪の少女。その声が聞こえたような気がした。

「・・・・・ってことで、まぁ、寂しい少年を慰めてあげようかと、1日ボランティアを考えたげたワケ。多忙なあたしも、ひさびさにスケジュール空いたしね。遊園地なんてどぉ?あんた行ったことある?」
「いや、ないけど」
いつの間にか、話はとんとん拍子に進展している。
「あ、そぉ。あたしもないのよねぇ、実は。じゃ決まり。嘉納台の駅前ってことで。1時間くらいかかると思うから、10時ね。あたしの温情に感謝して、気合い入れて来んのよ。遅れたら重罪。じゃねっ」
電話が切れた。気のせいでもなんでもなく、振り回されているが、シンジはそれが嫌いではなかった。
と言うより、心地よかったのだ。

電話を切ったアスカの部屋では、嵐が吹き荒れていた。
コードレスの受話器を耳にあて、話している時点で、すでに着替えにかかっていたのだ。
部屋中に散乱する衣服をかき分け、ああでもないこうでもないと検討した中から、一着を選び出す。
シャワーは済ませておいた。ジヴァンシィの香水をふりかけ、手首と首筋になじませる。
髪留めを付け、服を着ながら玄関に進み、ショートブーツを履く。
部屋を出てエレベーターに向かうその姿は「突進」としか形容できない。

エレベーターの中で、ブーツの紐を結びながら、アスカは考える。
シンジが絡むと、とたんに整合性を失う自分の心について。
かつては顔を見るのも嫌だった男だ。
なのに?今では電話で話しをし、たまにはこうして会ったりもする。
好きじゃない?じゃあ嫌いなの?
判らない。ただ、もう他人としては生きられない。
知らない人として、シンジをあつかうことは、もうできそうになかった。

駐輪場から、自転車を引き出す。紅いフレーム、藤編みの籠、皮のサドル、26インチの車輪。ぱっと見は普通のシティサイクルだが、パーツを自分で選び、結構こだわったアスカ愛用の品だ。
サドルにまたがるのと、同時にペダルを漕ぎ出す。
6秒で加速を完了。マンションの敷地から出たときにはトップスピードだ。
風を巻いて走る自転車を操りながら、アスカは自分の高揚感を持て余し始める。

何故、こんなに急ぐんだろう?
この湧き上がるものは、何なのだろう?
どうして、こんなにシンジに逢いたいんだろう?
自覚だけはできる想いを抱えて、ひたすらにペダルを漕ぐ。
それがさらなる加速を生んだ。
横の路地から飛び出す人々を、縫うように躱しながら走る。
アスカでなければ、2,3人は跳ね飛ばしていただろう。
大通りに出ても、アスカのスピードはいささかも落ちない。ミリ単位のハンドルワークで、行き交う車をことごとく避ける。背後から甲高いクラクション、ブレーキ音や、何かがぶつかるような音が聞こえるが、全く気にしない。

坂道に差し掛かっても、アスカは自転車を降りない。
立ち漕ぎでひたすら坂を登る。
この向こうは嘉納台の駅、そこにシンジがいる。
そう思うだけで、心が沸き立つ。

坂を登りきって、駅前。
アスカは少し息を荒くしながら、周りを見渡す。
シンジは、いない。
落胆しながらも、ふと気付いて腕時計を見る。
電話を切ってから、12分しか経っていない。
その姿勢のまま、へなへなと座り込む。近年希に見るほどの脱力感がしみじみと全身を覆う。
浮かれる気持ちを押さえようとして、1時間後などと言ってしまった自分が腹立たしい。
「あーあ、いますぐ30分くらい、過ぎちゃえばいいのになぁ」
口に出してしまってから、赤面する。

ナニコレ?
あたしってば、どういうこと?
これじゃあまるで、
これじゃあまるで、「コイスルオンナノコ」じゃないのよおぉぉぉぉ。
どうしちゃった?あたしがシンジに?まさか、でも。

頭を抱えて苦悩するアスカ。
その視界に、影がさす。
見上げた先には、見慣れた顔が、薄い戸惑いと薄い笑顔を浮かべて立っている。
「おはよう、アスカ。どうしたの?頭抱えて」
「シンジ!」慌てて時計を見る。まだ、30分前だ。
「どうして、こんなに早く?」
「準備とか、特になかったし。アスカこそ早いよね。どうしたの?」
「あ、あたしもよっ。それより、気合い入れてこいって言ったでしょ。どうしていつもそうなのあんたは」
どうやら、シンジの服装についてらしい。普段と変わらないTシャツとジーンズ。はっきり言って「適当な格好」の部類だ。
「だって、これしかないし」
「買いなさいっ」
「だから、どんなのを?」
「あたしが選んだげるわよ。ほんとに手のかかるオトコね」勢いで言ったことだが、思いがけなく新たな口実が手に入ったことが、何となく嬉しい。
「さぁっ、行くわよ」そう言ってシンジに背中を向けたのは、照れ隠し以外の何物でもない。

「で、どこの遊園地に行くの?」
「街外れに、結構大きめのがあるらしいから。名前忘れたけどね。こっから急行で15分くらいかな」
「じゃあ、その自転車置いてかないと」シンジがアスカの自転車を押していく。
「あ、あたしがやるから」
「いいよ、僕がするから」あくまでシンジの表情は柔らかい笑顔。

アスカは、シンジの笑顔を見て、疑念を感じる。
シンジの短所なら、即座に2ダースは思い付くが、美点もちゃんとあることを知っている。
笑顔が優しいこと。滅多に見せることはないが。
そう。滅多に見せないのだ。それなのに、今日は頻繁に笑顔を見せ、それは暖かいものだ。
どうしてだろう?
考えながら、何気なく視線を横に移す。

そこに、答えがあった。
駅前の喫茶店。その暗い窓に映る、自分の姿。
セットしたはずの髪は乱れ放題。前髪はオールバック状態で、おでこは全開だ。
アスカの中で、何かが途切れる。

「シィインジィッ!」
短い助走をつけると、前を歩くシンジの後頭部に、ミサイルキックを叩き込む。
自分がスカートをはいている事実は、成層圏の彼方にすっ飛ばしている。
「なっ、何だよ、いきなり」アスカの技を世界一受けているシンジだ。さすがに回復は早い。
「何だじゃないでしょ!どうして言わなかったの」
「何を?」
「あたしのアタマぐしゃぐしゃになってることをよっ!」押さえられないのか、さらにローキックを一発。
顎先を蹴られ、脳を揺らしながらも、弁解に努めるシンジ。
「い、いや、ほら、急いで、来てく、れたって、お、思ったら、何か、嬉しくって、さ」
その言葉に、アスカが凍り付く。
「ま、待たせちゃ、悪いと、思って、早く来たんだ、けど、もっと早く、アスカが、来てたのを、見て・・・・・」
「見て?」その先を聞きたくて、促すアスカ。
「何か、その・・・・・かわいいなぁ・・・・・って」
「え?何?何て言ったの?今」
「い、いや、何でもない・・・・」
「言いなさい!」
「かっ、かっ、かわいいなって思ったんだよっ」
「もう一回!」
「かわいいなって」
「もっと!」
「かわいいなって」
「もう一声!」
「かわいいなって・・・・・アスカ、まだ言うの?」

シンジの都合もお構いなしに、アスカは湧き上がる感情に心を震わせる。
16年になろうという人生の中、「かわいい」と言われたことは、それこそ数え切れぬ程あった。
自分に向けられる、そうした賞賛は「海は広い」というのと同じレベルで受け入れてきた。
だから、嫌ではないが、たいして嬉しくもなかった。
が、シンジの口から聞かされる言葉は、今までにない響きがあった。少なくともそう感じられた。
自分の容姿についてのことではないだろう。
だから、嬉しい。

あぁ、こういうことだったの。
説明できる領域のことではない。が、アスカは得心した。
なにかを「つかまえた」ような感覚。

気持ちがはっきりしたということではない。
だが、決意はできた。
この気持ちの赴くところに、シンジがいるのなら、それを見届けよう。
いいじゃない、一生かかっても。
ここまで、あたしに振り回されて。
ここまで、あたしに振り回されなくて。
ここまで、あたしに近くて遠い。
そういるもんじゃないわよ、ねぇ。

「ほらっ、シンジ。さっさと起きて。行くわよ」
「え?う、うん」うろたえるシンジを横目に、倒れた自転車を引き起こす。
「さ、あんたが乗るのよ。ほら」
不得要領なシンジを自転車に乗せ、自分は、後輪のステップに足をかける。
「で、どこまで行くの?」
「駐輪場、よ。他に行きたいとこでもあるの?」
「な、ないよ」アスカの声に、何となく意味深いものを感じたシンジが、軽く赤面する。
「じゃあ、行けぇっ!」
シンジの肩に手を置いて、アスカがはしゃぐ。

シンジが好きなのかどうか、未だ判らない。
ただ、今この瞬間を好ましく思う。
そのことははっきり判るアスカだった。

<おしまい?>


思うこと

「あっちゃあ」ってな感じです。
基本プロットは、固めてあったんだけど、くくりかたを考えてなかったんで、この体たらく。
ただ、まぁ、現時点での自分の実力は、だいたい出てます。
願わくば、今後もお見捨てなきよう・・・・・

遊園地に行く話なのに、行く前に終わっちゃいました。
これは、当初の予定通り。
この話に「ジェットコースター(仮題)」「相合傘」の2本を加えて「休日3部作」になったりするかも、と。
あくまで予定スけどね。
問題は、「相合傘」が、18禁になっちゃいそうなこと。
やべぇよなぁ。

それでは、また、ご縁がありましたら。


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